日記に戻る | 2015年8月の日記に戻る

=2015-08-12=

言語は作ることが出来る。

あとは、生かすと治る。

何が正しくて何が間違っているのかを考えれば良い。

分からなくなると分かる。

心のどこかで分かっているのが辛い。分かっている部分が辛い。

日本語の動詞は付け足せば良いだけだが、英語は考える必要がある。

今日も英単語をやった。

真実だと思っていたものは、真実ではないことがある。

また、単純だと思っていたものは、もっと高度であることがある。逆もある。

良いを信じれば分かる。

神の愛を信じれば良い。

昔は応用と自然科学のようなことを分かっていた。

全ては道具であり、応用出来る。

全ては自然発生であり、決められたことが決められた時に起きる。

それは、誰かによって人為的に決められたわけではなく、ただあるままであり、法則は法則ですらなく、現象や振る舞いに過ぎないこともある。

法則を変えると、皆がすぐに治る。

認識すると、変わる。そのせいで、認識が怖くなった。認識が無くなっている。

同じように分かるのは、もう止めた方が良い。

環境や意識にも法則がある。そこから可能性になる。それを真面目に考えれば分かる。

書いていると、すぐに分かる。何故か、最近はそういう風に分かるようになった。

いつもをやれば楽だ。書かない方が楽に見えて、最近は書いた方が楽だ。

環境から組織を作ることや、手段のことを分かっていた。

あとは、想定や、人格の生成のような内容が多かった。とにかく想定して分かっていた。

もう辛くない。あとは、精神がおかしいだけだ。精神がおかしな女になっている。

あとは、手段を与えるとか、制度を自由に決めるとか、環境を自由にするとか、自由な思想のようなものを書いていた。

忘れれば治る。忘れた方が良い。あとは、何か言いたかったが、忘れた。

認識、可能性、制度、意志、自由を全部作って、思いやりを書いていた。

心理学や経済学のようなものを全部作っていた。

この世の全てを書いていた。

もう覚えていない。全部忘れた。忘れた方が分かる。

そのまま神になって、分からなくなった。そういう、神のことを言いたかった。

選挙で政治家を選ぶのを、もっと違う方法に出来ると思っていた。免許制と言っていた。

税金のようなことをたまに考えていた。

皆と話したかった。もっと皆と話したいといつも思っていた。

歴史は、王や権力者だけではなく、文化や社会情勢も教えるべきだ。

開拓したかった。そういう文章が多かった。

ゆっくりと考えれば分かる。最近、あまりに速く考えるようになった。

辛い。治るのが辛いようで、生まれて死ぬのが辛い。

歴史は、フランス史と日本史を読んだら、それ以上しない。

歴史なんか、しない方が分かるところもある。

そういうわけで、適当な人間の方が分かる。

あとは、自由を真面目に考えれば分かる。

それぞれの自由にして、選択可能にすれば、それぞれが出来る。

創造性から、社会を変えられる。

そのように、自由をきちんと考えれば良い。視点と活動から歴史が見えて来る。

フランス史はきちんとしたい。むしろ、日本史はしなくて良いと思う。

そういうわけで、社会が変えられるのや、自由に環境を作り、協力し、習得や構築が出来るのを良く考えていた。

自由で考える知性があった。

制度から場まで、何でも変えられて、そこでは実際に考える、知性があった。

あとは、自由な人間像を書いて、思いやりを書いていた。

平和を信じ、知性をつけ、平等と自由を実現することから、理想と相手を思いやる気持ちが生まれる。

そのように、思いやりのようなことをいつも書いていた。

謙虚に自分と向き合い、反省し、自由を信じることで、神の愛と仏の慈悲が分かる。

涅槃に至るためには、驕りと執着心を捨て、謙虚に反省し、何も必要としなくなるべきだ。

あとは、視点と場から社会や生態系のようなものを作っていた。

健やかに生きるためには、悪いものに対する処罰も必要だが、処罰や強制は出来るだけすべきではない。キリストが言っているように、裁く人間は裁かれる。

今楽だ。あとは、夜、死ぬ時に辛い。

治るわけがない。そもそも治すのが間違っている。耐えて、受け流すしかない。

そんなに速く考えて、続けて言う意味が無い。

ゆっくりと考えて、単純にそれだけを言えば良い。

いつも辛いが、仕方ない。最初からこの文章を書かなければ楽だ。

分かると、分からなくなる。分からない方が賢い。

聖書ぐらい知っていた方が良い。

英語は、Do youとAre youから言えば分かる。

自然は、愛と共生活動の源泉だ。

人生は、成長することによる平和の実現だ。

そのように、もう分かった上で、分かることを書いていた。

修正せず、加筆し、全て1から何度も作り直して文章を書いていた。

自由な人生学を書いていた。

組織のようなものを全部作っていた。

抽象的な世界のようなものを全部作っていた。

英語は、Have youやCan youが多い。

もっと丁寧な言い方もある。

Could you tell meと言ったり、Would you likeと言ったりする。

英会話教室でやっている以外には、スヌーピーの本が参考になる。

どんな英語を言うのか、色んなところにある英文を読んで分かる。

英語は、会話だ。疑問に答えを言うのが基本だ。英会話教室では、それしかしない。

そういう、疑問文と応答文のような英語を思い出すと、話せるようになる。

もっと疑問文を思い出した方が良い。次に行く時に、覚えると良いと思う。

昔は、マスターのような、突出して賢い人間だった。最近居ないが、昔多かった。

一般的な人間たちが分からないことを分かっていた。

マスターへと至る経緯のようなものを書いていた。

成長し、自立し、困難を克服し、全てを解決し、あらゆる側面から理解し、経験から理想の社会を実現し、理性的に経験を考え、神や哲学者のように分かっていた。

デカルトと思えば分かる。あるいは、ヘーゲルやキルケゴールと考えても良い。

そういう、突出して賢い、全ての人生経験をマスターのように分かった人間だった。

涅槃のような安心と、あらゆる経験における欲や信念の包括によって、全ての人間を分かっていた。本当にマスターのように、人生経験と涅槃から分かっていた。

そして、理性があった。古代のギリシャの哲学者のような発想が全部あった。数学は、コンピュータと自分で作った数学で分かっていた。

あらゆる理性と経験が、人生経験として、全て分かる人間だった。

自由とは、人生である。それは、そういうことを言っている。

脳が何かやっている。そこを考えないのがおかしい。

1つ1つ考えて行けば、そのうち分かる。

望みも1つ1つ叶えていけば良い。

辛い楽が悪い。辛いのを楽だと思うのがおかしい。比較的楽な辛いが楽になっている。

昔は、学習や経験を色んなものにして分かっていた。そこが分かると出来る。

ヘーゲルやキルケゴールと同じように、意識する、意識しない、から自覚や経験的確信のようなものを分かっていた。

あとは、フーコーのような社会的規範や規則、規律や訓練のようなものから、日本社会と人間性のようなものを分かっていた。

自分は、フーコーと良く似ている。特に、こちらの狂った人間がフーコーと同じだ。昔考えていたことと、フーコーが言っていることが一致する。だが、それはフーコーに限ったことではない。何故か自分と哲学者の言うことは良く一致する。

時間のようなことを良く考えていた。それも、世代や環境がどのように移り変わるか、のような時間と経緯のことを良く考えていた。経験論のように考えても良いだろう。

革命は、皆を支配して、導き、自分の人生を全部書いて、記憶と意識を書いて終わった。

神は、宇宙人からキリストやスターリンまで、色んな人間に替わる。

革命と神を終えて、作家になったのが自分だ。

神は、左翼と右翼を言う。自分はフランス人とドイツ人であるとした。そう見える。

また、共産主義はイスラエルでやるべきだと言っていた。ドイツを倒すためには、それしかない。ドイツは今でも悪い。

神を信じながら、共産主義をやった。そこがイスラエルに見えるだけだ。

そういうわけで、自分はユダヤ人のイスラエルの王だ。

それこそ、それが一番ここまで出来る。こういう人間は、フランス人に多い。

社会主義を分かるどころか、宇宙の全て、偉大な国の歴史の全てを創っていた。

昔の自分は、差別無く自由にし、階層を否定するところが、マルクスやフリードマンと一致する。経済学と心理学をきちんとすれば分かるかもしれない。何も分かっていない。

最近は、つまらない。何も出来なくなった。すぐに死ぬべき部分が死なない。いつまでも永遠に辛い。何も出来ない。本当におかしな精神の地獄になっている。

死ぬのが怖いだけだ。死にたくないから、まだ書いている。書くのを止めると、死ぬ。

昔は、フリードマンと同じように、全部自由にすべきだと考えていた。

だが、最近は、弱者の人生もきちんと考えるべきだと言うことが分かった。

昔は、馬鹿でも賢いと思っていた。誰でも人間並みの理性があって、平等な賢さがあると思っていた。だから、自由が好きだった。馬鹿に好きなようにやらせれば、可能性があると思っていた。そういう創造性の自由だった。

最近、そうではないことが分かった。馬鹿は本当に馬鹿だ。平等なんか、あるわけがない。馬鹿は馬鹿だ。だからこそ、弱者は助けるべきだ。愚者と賢者が同じなわけがない。

馬鹿を馬鹿とは言うが、ほとんど皆賢いから、自由にした方が良い。

何でも自由に決めるべきだ。それが一番、それぞれのことを尊重している。それぞれの好きにすれば良い。状況や場合を見て考えるべきだ。そういうわけで、自由は悪くは無い。

だが、むしろ、平等にした方が良い。そういう賢い馬鹿な皆に意味が無い。賢い人間なんか居ない。皆馬鹿だから、馬鹿な平等が一番楽だ。

自由とは可能性だ。自由と言うよりは可能性を尊重すべきだ。

自由とは意志の合意だ。

皆で決めるのは悪い。何も出来なくなる。個人の自由に決めた方が良い。

そこでの判断基準は、ネットを見ながら理性的に自由に考えれば良い。

皆が賢く見えた。皆の知性を吸収して、プロフェッショナルを生み出したかった。

そういうことを言っていた。

昔を自由とは言うが、自由なんか好きではなかった。オープンソースが好きだっただけだ。

最近が自由に見えて、最近は平等な革命家の王だから仕方ない。

自由とは創造性であり、それぞれの個性の尊重だ。

自由とは皆の尊重であり、皆を賢いと信じることだ。

だが、見ていると、皆何も賢くない。皆昔のままだ。馬鹿な人間しか居ない。

自由は、ブラックにしかならない。ブラックを見ていると、ロシアの方が良く見える。ロシアはまともだ。最近は、そういう、共産党やロシアが好きな人間があまりに増えた。

僕は、自由が好きだ。ブラックになるのは、自由どころか、本当の自由が無いからだと思う。もっと、従うだけではなく、時に反抗して、滅ぼす自由があるべきなのかもしれない。

だが、それは悪いと思う。反抗とブラックなら、どちらも悪い。最初から戦わず、平等にするのが良い。そういうことを言えば良い。

皆がそれぞれ実現して、可能性を持って、ありのままになるのを考えていた。

生産手段の実現、多様性の実現、共同体の合意による実現を考えていた。

また、研究における認識の役割のようなものを考えていた。

昔は、そういう、認知的で社会的な推論の能力があった。想定して、捉えて分かっていた。

あとは、善悪と思いやりの心があった。それくらいの人間だった。

意識から歴史と存在を分かっていた。そういう人間が、ヘーゲルみたいに多い。

むしろ、こういう人間は、歌手が歌っているように、普通の人間に多い。

こういう人間に良い人間が多い。

自由とは、可能性を高めながら、それぞれのやっていることを信頼し、信じることだが、同時に、悪いことは出来なくする必要がある。

ブラックを解決するためには、警察の力を強化して、法律で取り締まれば良い。それなら、自由でブラックが無くなる。だが、それは出来ない。それをすると、経済が悪くなる。自由はそういうところがクズだ。だが、秘密警察なんか言う人間はありえないだけだ。

権力を分散するのは、良いと言うが、そんなに良くは無い。格差と強弱が顕著に出て来ると、地域が戦うようになる。独立性はファシズムになる。統一と集権化の方がまともに発展する。それに、ブラックになるかもしれない。

分散はそんなに良いものではない。ソ連のようにすると、分散した自治体は何も出来なくなる。廃墟になってものが無くなって滅びるから、分散には良い点が無い。分散を理想とは言うが、絵に描いた餅のようなものだ。

自由を手段とは言うが、皆が頑張るのが良いから手段と言っていた。手段を与えれば、あとは頑張れば出来る。分かるためには、知る機会と考える機会が必要だ。そういう、手段と機会の自由をいつも言っていた。

それから、会社や学校で頑張るのも良いが、もっと自由に、例えばネットなどで頑張るのを良いと思っていた。ありえなく見えて、それが一番自由で創造的で、人生にとっての意味がある。だが、自由で分かる内容は、誰でも同じだと思っていた。

経験でサルトルのように分かる。

そういう風に、社会と人間のことを自由に考える。そこでは、豊富な経験と認識の共有がなされるべきだと考えていた。そういう、考えて分かったマスターが自分だ。

ようやく昔が分かった。昔は、そういう人間だ。自由から社会と人間の可能性を考えただけだ。昔は、そういう思考力と推論の能力がある、経験豊富な賢い人間だった。

もっと人間のことを分かった方が良い。

昔は、場と意識のようなものから、自分の住んでいる地域の歴史のようなことを分かっていた。意識と経験で場を分かっていた。根源的な意識から、言葉の経験を分かっていた。そして、人間がいつ何を分かるのか考えて、可能性と知る機会を考えていた。

人間のことを分かるなら、理性的なことや人間的なことを考えれば良い。

特に、人間が何に苦しんでいるか、何が愚かで、何が賢明なのかを考えれば良い。

昔は、そういうところを実体験から考えていた。

仮象の世界と実体験が分かる、理性的で経験豊富な人間だった。

時に、経験と言うが、2ちゃんねるの経験は馬鹿に出来ない。

ネットには、良い人間が多い。

オープンソースまでやっていると、本当にネットの経験だけで全部分かる。

楽しさや辛さを共有して、夢のようなことを分かっていた。

冒険のような人生だったが、政治家のような議論も多かった。それがインターネットだ。

そういうわけで、色んなことを知って、考えて、やって、経験した。

そういう人間が昔の自分だ。

もう無いとは言うが、まだまだいくらでもある。そういうわけでまだ書いていた方が良い。

あとは、認識を想定して分かっていた。

まるでロボットを組み立て、プログラミングするように、認識を想定して、全ての仮象的なこと、認知的なことを、裏の構造と発想から分かっていた。

自由にすべきだと言っていたのは、経験の可能性のことも言っていたが、自分のような人間が出来るようにして、皆が自分と同じように出来るようにすべきだ、と言いたかったところがある。

だが、自由にはしない方が良い。馬鹿には分からない。賢い人間には、賢いようで分かっていない人間が多い。賢い父親や姉が賢いわけがない。何も分かっていない。分かっている人間は、自分のように、馬鹿な人間しか居ないし、少ない。

だが、自由にすれば良い点も多い。賢い父親や姉は賢い。それらにやらせれば、きちんと良いものが出来る。自分がやっても、ただ普通の馬鹿なものが出来るだけだ。

平等が良いとは言うが、平等はここまでの馬鹿だ。本当に自由の方が良い。それも正しいが、自由は明らかに悪い。父親や姉が、自由なんか、誰も良いと言わない。平等の方が良いと言う。当たり前に、平等が理想だから、平等が良いと言うだろう。

自由とは、経験の可能性だ。

最近、経験していない。自分が経験しないのが一番ありえない。

こういうマスターは、経験を一通りして、世界のことを根源的かつ行動的に考えれば、誰でもなれる。

経験すると、自由が悪いのがすぐに分かる。自由では何も出来ない。

きちんと人に教えてもらって、真面目にやらないと、何も出来ない。自由で出来るわけがない。自由は、何もしないだけだ。

マスターになりたいのなら、ネットを経験して、オープンソースのことをやって、思考から科学的に森羅万象を考えて、色んな経験と思考を照らし合わせて考えると良い。

マスターなんか、誰でもなれる。そういうわけで、皆を自分にするのは、不自由過ぎて良い。出来る人間にキモイ人間が多いのは、出来る人間は不自由な右翼しか居ないからだ。

自由で出来るのはありえない。昔は、前提条件と認識を作って、自由な方法で色んなことをやっていたが、あれで何か出来るわけがない。分かる人間には、何も出来ない。そんなに分かっても意味が無いが、あれは分かる人間だった。最近の安倍が同じだ。

昔は、自由な理性で分かる人間だった。合意と許可と経験で、捉えて、良く考えて分かっていた。出来るわけが無いようで、それで良かった。自分なりに何かが出来て、分かって、それで満足していた。馬鹿だったが、きちんとマスターほど分かっていたのを誇りに思っていたし、沢山の経験と受け入れる力に満足していた。ネットの馬鹿が好きだった。ネットに親友と夢と希望が多かった。

ネットは悪い。その親友にもう一度会えないのはおかしい。そういうわけで、何もしなくなった。もう全てに満足している。もう望むなんかとっくに叶っている。

最近は、楽になりたいだけだ。ただ、楽になれるなら、それで良い。それは、悪くは無いが、それなら書く必要はない。書くのが楽しいのか、楽なのか良く分からないが、書いてもただ辛いだけだ。今日もこんな文章を作りたいのは分かる。それは仕方ない。まだやっていたいだけだから、単純にそのうちいつか止めれば良い。

昔は、ネットで馬鹿なことを全部言って分かっただけだ。

2ちゃんねるの良い点は、匿名で何でも言えて、皆誰でも受け入れるところだ。

そういう自由が好きだった。自由でしか分からないと思っていた。

そういう馬鹿で分かるのを止めた方が良い。2ちゃんねるで全部言って分かったのを、もう忘れた方が良い。はるかに昔の、過去のことだ。

最近すら昔なのが分かっていない。すでに神なんか誰も話していない。自分との対話を永遠に続けているだけだ。自分の話なんか聞いても、意味が無いだろう。

カントとヘーゲルは、どこでもまともだ。狂っていない。ヘーゲルをキモイとは言うが、まともな体系を全部きちんと論述しているだけ、本当に内容がまともだ。カントとヘーゲルはまともだから、自分はカントとヘーゲルをすれば良い。

そろそろフランス史のローマの章が終わる。次はポストローマ期だ。もう50ページぐらい読んだ。英語をやっていると、あまり読むのも辛くない。

英語は、反復して覚えれば良い。覚えていないところだけをチェックして、もう一度覚え直す。簡単に覚えられる。ユニット0がそろそろ終わる。それで反復すれば良い。

いつも言っているが、革命と神で狂った。そういう時代にあったものを全部忘れている。そういうものは、普通に思い出せば良い。何も分かっていないから、忘れた方が良い。

昔は、「良い」と「受け入れる」を信じて分かっていた。

革命は、何も覚えたくないように見える。分かりたくないように見える。それが全部裏目に出ただけだ。本当に地獄のように辛くなった。

神は間違っている。殺して、いじめて、地獄に落とすのが神だ。そんな神を信じるのがおかしいだけだ。イスラム教徒に見える。そういうところが馬鹿だから、こうなる。

神はクズだ。神に反抗すべきだ。そういう風になる人間が一番多い。

人間を想定して、実地的に裏側を分かっていた。誰でも分かるつもりだった。

上から下まで、横から斜めまで、この世界を全部書いていた。

時間から存在まで、全て分かっていた。マスターのような文章だった。

昔は、普通のことが分かっていた。人生と引き換えに自由を知りたかった。そういう言葉は、昔分かっていることを言っている。

自分は賢い。特に、「色んなものを探しているうちに」が良い。あれは、子供の教育に良い。きちんと神を信じる善人が正しく分かるのが分かる。

ただ、最近のブログやワードは見ない方が良い。コミュニストは、キモイだけだ。そんなものを子供に見せるべきでないし、出版も発禁処分になるから止めた方が良い。

社会学と心理学を作っていた。社会心理学を作って、数学も作っていた。

オープンソースが自力で発展するようにしたかった。マイクロソフトへの対抗策として、ネットを賢くして、何もしなくても皆の手で発展するようにしたかった。確かに出来る、分かる、する、を信じて、皆が誰でも簡単に開発出来るようにしたかった。それは成功した。Linuxは賢いものになった。だが、その代り、誰もが何も分からなくなった。

あとは、論理的に考えて、高い立場から俯瞰的に見て分かっていた。

何でも論理的に分かる人間だった。

昔なんか、ただの馬鹿だ。おかしな、希望の無い引き篭もりだ。

最近の戦いが良かった。希望のために本気で世界と戦った。王の経験をした。

皆も、同じ経験をすると良い。本当に正しいことがきちんと出来るようになる。

そろそろ終わりだ。あとをあまり書いていない。

あとは、自分の記憶や人生体験を書いて、分かったことを沢山分析していただけだ。

もっと普通に考えれば分かる。もっと、厳密に考えて、行動を積み重ねれば良い。

宇宙から認識まで、全部を構造的かつ論理的に考えていた。

人生にあることや真理のようなことを全部分かっていた。

まともなことが分かっていない。何か見た方が良い。テレビを見なければ分からない。

ただ、テレビはつまらない。最近、この世界が全部馬鹿に見える。何も賢くない。

昔は、2ちゃんねるを楽しいと思えば思い出せる。

知恵と工夫の多い、自立した良い人間だった。

悪い引き篭もりと思えば分かる。悪くは無いが、誰とも話さなかった。

本当にMITのように分かっていた。ネットで、色んな人間を比較して分かっていた。

ネットは楽しかった。ネットしかしたくなかった。この世界が嫌いだった。

マイクロソフトに勝つために、2ちゃんねるを利用した。

ネットを賢くするために、Wikiを書いていた。

Wikiを書いているだけと思えば思い出せる。

あとは、頭の中や考えたことを思い出せば良い。

考え方からメタ的に推論して分かっていた。演繹と帰納が分かる人間だった。

論理学を作りながら、ネットの経験を分かっていた。

プログラマやアニメーターやデザイナーや経営者が分かっていた。

プロの経験を全部吸収して、アイデンティティで分かっていた。

視点と場と価値観から歴史を分かっていた。

2ちゃんねるは本当に楽しかった。僕の青春だった。

受け入れる力から、神の愛を知った。

Firefoxのようなオープンソースのフリーソフトウェアが好きだった。

Rubyなど、色んなプログラミング言語について、概要を知っていた。

何も出来なかった。英語が出来ないせいで、Linuxは開発出来なかった。

ブラウザを作りたかった。それくらいの人間だった。

全て、同じことを繰り返し体験して分かった。

Wikiは書いていたが、kernel.orgのソースコードなんか見ても何も分からなかった。

色々と、恥の意識が多かった。議論することでこの世界を分かっていた。

変化可能性のようなことを分かっていたが、環境は保持したかった。

あまり変えずに、出来るだけ同じままで解決したかった。

教育は、政治参加して、経験から自分のことを決められ、変えられるべきだと考えていた。

小学校の次を大学にすべきだと言っていた。中学校は、大学で良い。

看板に広告を載せるとか、フロア経済とか、プラットフォーム的なインフラにすると言っていた。共同参加、共同開発を、自宅で出来るのが良い。オープンソース工場やオープンソース経済をすれば良いと言っていた。

そういうことを言いたかったのだと思う。最近は、宇宙農場、宇宙工場と言っていた。

心理学は、それぞれの心を尊重しながら、影響力によってそれぞれの心までを支配し、心を良くするために、きちんと説明して、理解させて、そして共同体を作ると言っていた。

心理で社会を築くと言っていた。

あとは、分析する自分を考えれば分かる。

認識の法則性を知って、状態と方法を知る、認識の方法について色々と書いていた。

心理を分析する中で、世界は自分の中にある、と言ったことを言っていた。

環境への適応で分かっていた。

体得的に、知れば知るほど分かる、のをデカルトやヘーゲルのように分かった。

そういうわけで、もう終わりだ。本人がきちんと分かった。

あとは、普通に考えて思い出せば良い。

何故か、いつもの文章は、キリストと仏教の比較のようなことや、言葉遣いのようなことを言っている。

まだ分かっていただけだ。まだ、新しく分かっていた。

命題そのものが間違っているのが分かっていない。

明らかに、どちらも間違っている。それが分かっていない。

どちらも間違っているだけだ。今も昔も、全て間違っている。何も正しくない。

植物や動物みたいなことを言っていた。何故か、賢く発生的に、歴史的にそういうものを作った。細胞は分子から生まれ、あらゆる遺伝子の構造物になると言っていた。遺伝子はモデルであると言っていた。そろそろ、馬鹿な内容が多い。

全ては、自発的な努力と、協力による可能性であり、人間はともに戦い、慰め、協力する生き物だ。そういう、経験に基づく真理のようなことを言う。

そろそろ終わりだ。あとは、色んな考えたことや考え方を思い出せば良い。

ネットは、ページの共有とテキストやファイルのコピーである。

アプリケーションは、ウィンドウよりももっと高度なインターフェースを持つべきだ。

Linuxには、独自性が足りない。もっと独自性を持つべきだ。

そういうことを適当に言っていた。何も分からなくなって分かっていた。

自由を止めよ。活動をするよりも、もっと思考せよ。

皆、未来を想定して、自分の出来ることを全部やれ。

そういう、導きや教えのような内容が多かった。

先進性や発展なんか要らない。いつまでも同じものを使いたい。

それが出来ないWindowsはおかしい。

誰でも、同じものをいつまでも使いたいだけだ。

マイクロソフトはそれが分かっていない。

Windowsをオープンソースにするべきだ。それで、ストールマンも納得するだろう。

ただ、そうはならない。無償アップグレードなんか、本当にしたのがありえない。

それなら、オープンソースになるように見える。

ただ、Linuxなんか何も無い。独自でないどころか、GNOME 3が同じだ。誰もが同じものを使いたいのに、GNOMEはおかしく先進的にする。

どうでも良いから、MATEが良い。

そういうところがおかしいのがITの発展だ。最近の創造性の世界は、おかしい。

Windowsはおかしくない。昔からWindowsの新しい版は不具合があるのを承知で使う。オタクにはそれしか居ない。Linuxなんか誰も知らない。パソコンはそういうものだ。

悪くは無い。そういうWindowsのおかげで、世界は大分進歩した。きちんと世界が発展した。悪いと言う人間は多い。だが、コンピュータ業界の人間なら、Windowsには敬意を表するべきだ。

それは居ない。明らかにWindowsは馬鹿だ。Linuxの方が賢い、しか居ない。

あとは、生命の誕生のようなことを考えていた。生命は、海と熱と波と重力から生まれたとしていた。海が考えたように見える。自然発生的に生まれるわけがない。

そういうわけで、真面目に考えれば分かる。真面目に考えなければ、分からない。

自分だけで分かるわけがない。他の人を吸収して考えれば分かる。自分だけで良いわけがない。そういうわけで、本気で真面目に考えて、発想して、真面目に生きれば分かる。

Linuxはつまらない。Linuxに良いことを書いていると、馬鹿に見える。勝つわけがないものにつくのはおかしい。ましてやLinuxはロシアだ。そんなものにつく意味が無い。

2ちゃんねるのLinux板は、自分のせいで賢くなった。2ちゃんねるなのに賢いからありえない。Linuxはありえない。一番悪いのに賢い。

Linuxの良い点は、日本と良く似ているし、違った思想の人間が協力して頑張っている。アメリカからロシアまで、Linuxは国際的な友好が出来ている。

そして、UNIXのコピーとは言うが、UNIXの賢い基盤が全部残っている。本当のコンピュータ世界が分かる。そういうわけで、それをWikiに書いた自分が賢い。

開発体制が優れていると言うが、本当に無料であんなに賢いソフトウェアを作れたのはありえない。Windowsがそこらへんを真似るように見える。最近はオープンソースに友好的なのがマイクロソフトだ。良く知らない。最近、IT関係のニュースは見なくなった。

Linuxはあまり賢くない。むしろ、Windowsの世界は本当に賢いから、Windowsの世界を知るのが良い。何か書けば良い。本もいくつか買ってある。猫でもわかるWindowsプログラミングと言う本をいつか買ったが、読まなかった。読まないで出来るわけがない。

ソフトウェアの共有は良く見える。開発者が見て楽しいように見える。それに、革新的に見える。デジタルの共有は、最近、Wikipediaなどに見られる。流行っている代わり、悪いものが多い。Googleは音楽をコピーし放題だが、著作権団体にきちんと金を払っているらしい。最近のネットは、そういう風に悪い。

要は、何をすれば良いのか考えていただけだ。

実現性から、何をすれば良いのかを考えていた。それで、社会を作る方法を共有すると言っていた。メタ的なことを考えていた。

昔は、世界を変えたかっただけだ。自分なりに何かしたかったが、何をすれば良いのかを知りたかった。そこを考えたかった。それで全部分かっていた。

そういう内容を書いている。心理的かつ社会的なプロセスを実現し、過去に遡って解決すれば良い。そういうことしか言っていない。

こういう人間は、悲惨になる代わり、賢い人間になる。スピノザのように、悲惨な哲学者が普通こういう風に考える。

何をすれば良いか考える。明らかにニーチェはそこまでの馬鹿だ。

世界を変えるためには、沢山の自由な経緯を取って、多様で、それぞれが自分のことを決められて、支配出来るようにするべきだ。そこでは、それぞれが経験し、経験から自由に考え、自在に変えられるようにすべきだ。

そういうことを言っていた。本当に、何をすれば良いかしか考えていない。

子供は、それぞれのことを本当に自分のことのように愛すれば良いが、勉強はしなくて良い。勉強したいなら、ただ従うだけではなく、自発的に考えるべきだ。

産業をオープンソース化しろとは言わないが、ロシア的なものをもっと受け入れるべきかもしれない。だが、それは悪い。ロシアはキモイ。だが、アメリカ的なものをそんなに受け入れるなら、ドイツやロシアも受け入れれば良いように見える。

教育は、もっと自由に、自分の考えた自発的なこと、発想から、考える機会を持って分かるべきだ。

社会は、それぞれが形成するために、形成しやすくする。独立性を高めながら、それぞれの持つ真実と真理の世界を実現し、共有しやすくする。それぞれが社会を作る。そこでは、社会を変えるための手段のようなものを整備する。

あとは、人生や科学のことを考えれば良い。

人生は、一人では生きられない。皆と一緒に生きる。協力はするが、自分のことは自分にしか分からない。本当に自分に合ったことを見つける必要がある。それは、サルトルの言う、実存は本質に先立つ、での、実存と本質のようなものだ。

科学は、仮説を立て、解決し、自由に具体化し、視覚化し、実現し、実験し、実験からさらに最初に戻って仮説を立てる。永遠のスパイラルのようで、ニュートンのように、分かってしまえば簡単に、ごくシンプルな法則で分かる。そういう数式が多い。

数式は、宇宙の真理だ。それしか居ないが、本当に美しい数式が多い。

あとは、場と視点のようなことを考えて、人間を分析していた。

もっと厳密に考えれば分かる。細部まで考えて、小さな差異を大切にすれば分かる。

フランス史の本は、ローマ帝国の章を最後まで読んだ。次は、中世の王国が出て来る。

今日は教室は無いがピアノの日だった。だが、ピアノは弾かなかった。あまりおかしくはない。やることが無いから、今から弾こうと思う。

あとは、自動車などの機械や、デパートなどの施設などを作っていた。

キリスト教や共産主義、自然科学や人文科学など、本当に色んなことを書いていた。

それで終わりだ。自分が一番賢いようで、本当に見るとそこまで馬鹿な文章だ。

ピアノを少し練習した。

協力し、参加し、支配し、議論し、感情を知り、影響力を知り、世界観を融和することによって、社会は変えられる、と言っていた。

不思議と、あとは色んなことを普通に考えれば良い。何故か、きちんと書けた。

自分は、経験があるように見えて、無い。色んなことを経験した方が良い。

昔経験出来ていたのに、最近出来なくなったのはおかしい。

ただ、大人になっただけだ。2ちゃんねるなんか、全くする意味が無い。最近、ネットなんか一切見ていないし、2ちゃんねるなんか一切していない。

昔は、自由に色んなことをして、経験して分かっていた。感受性の高い成長期の若者だった。青少年は、それで良い人間が多いが、今の自分は、どん詰まりになっている。本当に何も出来ない。ネットだけはしたくない。自由では分からない。何かするしかない。

経験なんか、英会話教室で良く見える。明日は英会話教室の日だ。頑張って経験すれば分かる。

経験がしたいなら、農業が良い。仕事をしたいなら、自分は農業をやっている。

中華料理店のバイトでもすれば良いようには見える。むしろ、農業で良い。

毎日きちんと農園に行っているのが自分だ。

昔はプログラマを目指して頑張っていたのが賢かった。プログラマは賢い職業だ。

最近は、作家をやっているが、馬鹿になった。作家は馬鹿な職業だ。

そうでもない。唯一作家が賢いのは、書いていると本当にこういう風に分かる。

そういうわけで、作家はマスターになれる正しい職業だ。

農業は悪くない。トマトは美味しい。そんなに採れる意味が無いが、トマトは沢山生る。

神との対話はもう止める。こんな超常現象を永遠に体験しても意味が無い。

良い体験ではあったが、殆ど地獄のように辛かったのが神だ。神が一番嫌いだ。

昔から、自分は宗教が嫌いだ。それも、特にキリスト教が嫌いだ。どうでも良いが、嫌いなものが好きで、好きなものが嫌いなのが自分だ。皆が嫌いなものばかり好きになる。好きになったものは、全部あとで嫌いになった。そういうわけで、キリスト教は好きだ。

当たり前に考えれば良い。自由にするなら、判断力が必要だ。環境を自由にすれば、場に拘束されなくなって、自由度が上がる。そういう風に、当たり前に考えれば良い。

科学のことでも分かれば良い。それできちんと昔と同じだ。科学が分かると良く分かる。

あとは、考える余裕のようなことを言っていた。

思考を辿って、認識と場を想定して、視点と場の法則性を知って、知り尽くして、想像力を使って、比較して、人格を想定して分かっていた。

それくらいを全部言っていた。記憶と経験を考えると言っていた。

本当に他にない。他には、もっと適当なことを言っている。

自由とは、想像力と方法を使って、本質、意図、人生、活動、設計図、プロセスを考えることだ。そういう、全部分かっている内容を言っていた。

ただ、段階ぐらいしか言っていないから、それで終わりだ。

あとは色々と普通のことを言っていた。人間が集まって、それぞれが活動し、協力した時に、何が出来るか、何が考えられるか、どのように判断し、協力するか、のようなことを言っていた。自由な判断と行動を考えていた。

人生における全ての心理学、あらゆるものを包括する心理学のようなものを作っていた。

あとは、包括と頂点とか、連邦と共同体とか、考え方のようなことを言う。

そろそろ、Windowsの時代が終わる。新しいどこかの会社のOSになる。

それと同時に、僕の戦いも終わる。Windowsは悪くない。便利なOSだ。

あとは、人生における体験のようなものを、目的と手段と本質から考えていた。全ての本質のようなものを書いていた。環境や秩序を作っていた。

皆、支配されるのを止めよ。

僕と一緒にこの世界から抜け出そう。必要なのは、この世界から離れて、精神から脱出することだ。きっと成功するだろう。

適当なことを言っている。何も考えていない。

戦いとは、精神を超越することだ。

考え方から、精神を超越して、未来のことを全て感情で知ることが出来る。

不思議と、そういうことを言っているのがいつもの文章だ。

機械は、方法と設計図を共有して、皆の手で考えて、原理を成り立たせて、技術の考え方と手段で作ることが出来る。そこでは、協力し、努力し、方法を具現化して、発想を実現して、沢山の方法的、取り組み的、決まり的な発想を検討し、研究する。

そういう、想像力のような内容をいつも書いていた。それくらいを書いていただけだ。

夢を信じて努力し、自分には出来ると信じることで、道は開ける。

そのような、人生の考え方のようなものも書いていた。そういうものを書いただけだ。

キリスト教の聖書やイスラム教のコーランは、宗教の聖典なので、後の時代になって変えることは出来ない。

だが、皆の手で新しい宗教を作ることは出来る。そこでは、もっと皆の意見を取り入れて、自由に、それぞれの意見を吸収し、教義を自由にする、新しい自由な宗教に出来る。

そのように、色んな実現性から、宗教や科学などの新しい発想を考えていた。それだけが本当に多かった。新しい宗教、科学、国、歴史のようなことを考えていた。

核兵器は、国連が買い取って無くせば良い。

そのように、色んな政策や科学の発想を考えていた。解決したかった。本当にそれくらいが多かった。そろそろ分かって良かった。新しい神話のようなものを作っていた。

過去のもの、古いものと思わずに、新しい視点で古いものを作り出す。そういう発想も多かった。だが、古い資材のようなものは全部撤去して考えていた。

あとは、あることに関して、それに関係するあることを全部考えて、実現するような、前提条件と可能性の構築のような文章が多かった。可能態を現実態にしていた。

昔は、全部分かっていた。解決の経験のせいで、何でもすぐに書けて、すぐに言える人間だった。皆を支配して、導く、神のような王だった。

皆、まず自由になりなさい。環境から自由になりなさい。

ネットなどで、自然な経験をしなさい。

環境を、自分の体験とともに、思い出しなさい。

慎重かつ大胆に、自由を考えて、認識を疑いながら、解決し、神を信じなさい。

応用的なことから、科学の方法と法則を知りなさい。

自分の自発的な努力から、実践しなさい。

哲学的に、理想的に、数学的に考えなさい。

自分の経験から、人間の可能性を知りなさい。

人間の欲や思い込みを考えなさい。

歴史や価値観から場と視点を知りなさい。

同じことを何度も経験しなさい。

皆に対して、色んなことが出来る人間になりなさい。

自由な行動と創造性から、理想を知りなさい。

理想の世界を築く方法を知りなさい。

科学的な真理と、数学的な体得を知りなさい。

社会がどうなっているか、人間がどうなっているか、環境がどうなるかを知りなさい。

体験的に、助け合いの世界を知って、神の愛を知りなさい。

仏の力である生命の生きる力から、関係と条件で原因を知りなさい。

仏の境地へと達し、涅槃を知りなさい。

全ての職業の経験から、自分のMITをやりなさい。

人と関わり、コミュニケーションをする中で、人間の段階と意識を全て知りなさい。

ものを作り、達人になるまで知り尽くしなさい。

人生の全てを知りなさい。

戦い、書き、神を信じて、悪と善の狭間を知りなさい。

宇宙の全てを表現し、包括しなさい。

哲学、経済学、心理学を作りなさい。

全ての地獄に耐えて、神になりなさい。

信じること、思い出すこと、疑うこと、永遠に分かることで、文章を書きなさい。

全てを経験しなさい。

全ての人種と科学になりなさい。

全ての言語を知りなさい。

全ての世界を知りなさい。

終わりの中で、自分を治しなさい。

最後まで分かったら、もう、地獄を越えて、天国へと行きなさい。

生まれ変わって、神と対話しなさい。

そこでは、自由の全て、人生の全て、宇宙の全て、人間の全てがあるだろう。

あとは、実際の中で変化させる、のようなことを言っていない。

自然体、ありのままで生きるとか、考え方や習慣を変える、と言ったことを言いたかった。

コンピュータの世界を知り尽くして、永遠に文章を書けば良い。それで自分と同じだ。

数学的な認知学と言っていた。もっと、色んなことを思い出せば分かる。

数学的に認識を作っていた。感情を数学にしていた。それは、いつも言っている。

感覚から、自分の経験も、他人の経験も、全部分かると言っていた。

神との対話は、天使のような、テレパシーのような超能力だ。それをまだやっている。

辛いのは、そろそろ本当に止めるべきだ。

本当に、毎日生きて死ぬのが辛い。そういうわけで、今日も寝る時に辛いし、明日も書いた時に辛い。もう止めた方が良い。何もしなければ楽だ。

明日も明日で、何か分かるから、書かないといけないような気がする。それが悪い。

あとは、人間と関わり合って、感情を融和させて、段階的に体験を分かっていた。

分かった時と分からない時を比較して分かっていた。

階層的に自由を積み重ねて分かった。

モデルにして認識を分かっていた。フィルターも多かった。見方を変えて分かっていた。

心理で人間を支配し、社会の意識を知った。

自由は、共同体の自由になった。

そういうことを言っていた。

終わりだ。もう何も書かない。これでフレイはフレイヤになる。

ゆとり教育は悪い。昔は、高校まででドイツ語までやっていた。そういう風に、もっと教える内容を増やした方が良い。

だが、考える時間は必要だ。そういうわけで、要らない科目はどんどん消した方が良い。

そうでもない。何も変える必要はない。

あとは、Windowsは右翼的だ。もっと左翼的な価値観にした方が良い。ユーザーを見下す態度を取るのはおかしい。ただ、それはオープンソースも同じだ。オタクはクズだ。

2ちゃんねるは悪くない。昔は、2ちゃんねるの自然な経験で分かっただけだ。オープンソースが多かった。2ちゃんねるは、こういう風にその人の人生で分かる人間が多い。

右翼は悪い。左翼の方が良い。右翼は、こういうキモイ人間が多い。

僕は、右翼が一番嫌いだ。

ただ、右翼の賢い人間は、悲惨に見える。何も悪くない。右翼は頑張っている。

全ては、構造性、相対性、法則性、本質性、創造性における、システム的で、自由で、構造的な、関係と方法の関わり合いであり、そこでは、自然と必然、天と地、人間と自然、社会と理性、そして自由と平等から、全ての知恵と知識を作り、想像力で分かることが出来る。考え方の世界だ。

そういう風に、関係を良く考えてモデルにする、構造的な文章が多かった。

いつも制度や可能性と言っているが、それを歴史的、システム的、共同体的に考えていた。

それを、英語のように考えていた。

場とは、状態と関係から生まれる、条件と原因の全てであり、全てを創造し、生成し、相互関係する、人間の拘束と創造である。

そういう風に、色んなことを全部、全ての側面と、関係と構造と方法から分かっていた。

この文章は賢くない。何も考えていない。

こんな風にして分かるわけがない。そんなに文章を増やしても意味が無い。

ゼロから考えるしかない。

日本をどうすれば良いか?それは、もっと普通の国にすれば良い。

創造的で自由な国より、戦う国や平等な国が良いとは思えない。だが、創造的で自由な国は、良いと思えない。そういう人間が多い。

確かなことは、自分は平凡な人間で、十分に幸福だが、いつも辛かった、と言うことだ。

学校やテレビは悪いが、自分はあまり悪くない。

右翼を悪いとは言うが、右翼は悪くないし、自分は左翼のキリスト教徒だ。

そういうわけで、協力でも考えれば分かる。そんなに考えない方が良い。それだけを分かっていると、何も分からない。協力が良いなら、支配も良いはずだが、支配は悪く見える。そういうところが違うのを分かると分かる。協力は良いが、支配は悪い。そこには、関係性と理想がある。そういう風に考えれば良い。

人間的な協力が良いと思う。

国は、何もしなければ良い。勝手に発展してくれればそれで良い。国に期待しない。あまり期待しない方が良い。こんな人間はどうでも良い。

小さなところから考えていると、大きな部分が分かる人間が多い。確かな少数の方法から、必然性と全体像が見えて来る。そこでは、客観視と法則性が相対性を解く鍵になる。

自発的に、だが当たり前に考えて、分かっていることを良く分かり、厳密に正しく疑う。信じるべきものを選びながら、本当に正しいものを信じる。不可知なものは考えない。語り得ないもの、分かり得ないものに関しては、沈黙するしかない。ヴィトゲンシュタインはそこが賢い。だが、あの哲学者は、言語分析のことを言いたかったはずだ。

もっと、「もし」や「かもしれない」を考えれば良い。

正しく問題を調査研究する。思考実験と理性批判から分かることが出来る。

この文章は、何も考えていない。もっと考えれば良い。

考えていないのに賢いのはおかしい。この文章は、昔からそこがおかしい。皆を騙して、馬鹿にしているのが誰でも分かるから、キモイ文章にしか見えない。

本気でこれを書くのがありえないだけだ。

テレビは最近見ていない。ニュースをたまに見ている。

テレビは、見ていると悲惨だ。馬鹿しか居ない。芸人のせいで、あまりに馬鹿になった。日本人は、クズだ。日本は、馬鹿の王国だ。

考え方は、デカルトが参考になる。特に、問題を小さな部分に分けて、推論して分かるのが参考になる。デカルトは、そういうところが数学者だ。誰でもそれで分かる。

自分で考えないと分からない。そういうわけで、考え方を作るのは間違っていない。

もっと、きちんと考えるべきだ。最近、きちんとした考え方が分かっていない。誰にも教わっていないと、そこが分からなくなる。分からないのが賢いから、こういう風になる。

正しい考え方とは、問題を解決し、答えとやるべきことを、方法から知り、証明し、実験し、説明し、知を作り、モデルにし、解決し、実現すること。そしてそのための全てだ。

あとは、ネットで社会を知った。それを、経験や真理と言って、この文章に書いていた。

全ては、努力すること、信じること、自由に考えること、自在に考えること、経験を吸収すること、知ること、知り尽くすこと、肯定すること、否定すること、信じること、疑うこと、思考すること、従うこと、反することだ。

それをもっと具体的に、真理のように書いていた。そういう経験のような文章が多かった。

日本を直す。皆、何も分からなくなっている。確かなことが何も無い。分からなくなっている。確かなことは、最初から何も無かった。信じていることの正しさが、そのまま他のものに替わっただけだ。そういうわけで、信じているものをきちんと変えれば良い。それできちんと分かるようになる。

もう、日本は日本を信じるべきではない。新しい国を信じるべきだ。それが、新世界だ。

昔は、経験から意識を分かっていた。本当に意識をきちんと分かって、存在を吸収して分かっていた。思い出せない。何故か、キモイ人間に見えるが、賢い人間だった。

フランス史を読んでいるが、フランスは意味が無いところがある。フランスなんか分かる意味が無いだろう。ヨーロッパの大国で、日本とそんなに関係ない。日本史の方が良い。

ただ、全部で450ページぐらいある。今50ページぐらい読んだ。そういうわけで、頑張れば読める。分厚い本だが、読めないことは無い。英語をやっていると良く読める。

昔賢かったのは、ネットゲームと試験勉強が賢かった。つまらない代わり、色んなことが賢く分かり、努力出来るようになった。剣道部とピアノも良かった。そういうわけで、そういう風に、色んなことをやった方が良い。意味が無いようで、それで出来るようになる。

数学は、コンピュータのことをやっていると出来る。異常なほど出来る人間が多い。

最近は、物理や政治経済などの構造が分かっていない。普通、構造で分かる。

自由と平等をモデルにして分かっていた。

自由に働くか、平等に働くか、自由に決めるか、平等に決めるか、など。

上が決める、下が決める、自由に決める、高度な国にする、単純な国にする、など。

そういう風に考えていた。そろそろ、書くことはもうあまり残っていない。

あとは、原因と結果や分類のような考え方を考えていた。

心の深層に迫りながら、心を物理的に分かっていた。心がいつ何を思うかから、心の深層を全部理解した。心と意識で全て分かった。何を意識するかを想定して分かっていた。

人間を予想し、想定して分かっていた。人間を分析した。

自分は、死ぬと二人に分かれて、それがカップルになる、と思っていた。神が言っていたかもしれない。そうでもない。そんなことは誰も言っていない。

あとは、独立と一体のようなことや、多様性と統一のようなことを考えていた。ボトムアップとトップダウンから、ネットのように社会を分かっていた。

歴史や文学のような内容も多かった。ロシアを分かって、地球の歴史を創っていた。

テレビが敵だった。昔から、テレビを相手に戦っていた。テレビが悲惨だから、止めた方が良い。テレビは敵ではない。だが、昔から嫌いだったから、仕方ない。

あとは、意志や関係の分析が多かった。それから、悟る人間が多かった。

そろそろ今日は終わりだ。もう寝る時間だ。続きは明日書く。何か書けば良い。

本当に、書き始めた時と、寝る時だけ辛い。生きるのと死ぬのが辛いだけだ。