言語は作ることが出来る。
あとは、生かすと治る。
何が正しくて何が間違っているのかを考えれば良い。
分からなくなると分かる。
心のどこかで分かっているのが辛い。分かっている部分が辛い。
日本語の動詞は付け足せば良いだけだが、英語は考える必要がある。
今日も英単語をやった。
真実だと思っていたものは、真実ではないことがある。
また、単純だと思っていたものは、もっと高度であることがある。逆もある。
良いを信じれば分かる。
神の愛を信じれば良い。
昔は応用と自然科学のようなことを分かっていた。
全ては道具であり、応用出来る。
全ては自然発生であり、決められたことが決められた時に起きる。
それは、誰かによって人為的に決められたわけではなく、ただあるままであり、法則は法則ですらなく、現象や振る舞いに過ぎないこともある。
法則を変えると、皆がすぐに治る。
認識すると、変わる。そのせいで、認識が怖くなった。認識が無くなっている。
同じように分かるのは、もう止めた方が良い。
環境や意識にも法則がある。そこから可能性になる。それを真面目に考えれば分かる。
書いていると、すぐに分かる。何故か、最近はそういう風に分かるようになった。
いつもをやれば楽だ。書かない方が楽に見えて、最近は書いた方が楽だ。
環境から組織を作ることや、手段のことを分かっていた。
あとは、想定や、人格の生成のような内容が多かった。とにかく想定して分かっていた。
もう辛くない。あとは、精神がおかしいだけだ。精神がおかしな女になっている。
あとは、手段を与えるとか、制度を自由に決めるとか、環境を自由にするとか、自由な思想のようなものを書いていた。
忘れれば治る。忘れた方が良い。あとは、何か言いたかったが、忘れた。
認識、可能性、制度、意志、自由を全部作って、思いやりを書いていた。
心理学や経済学のようなものを全部作っていた。
この世の全てを書いていた。
もう覚えていない。全部忘れた。忘れた方が分かる。
そのまま神になって、分からなくなった。そういう、神のことを言いたかった。
選挙で政治家を選ぶのを、もっと違う方法に出来ると思っていた。免許制と言っていた。
税金のようなことをたまに考えていた。
皆と話したかった。もっと皆と話したいといつも思っていた。
歴史は、王や権力者だけではなく、文化や社会情勢も教えるべきだ。
開拓したかった。そういう文章が多かった。
ゆっくりと考えれば分かる。最近、あまりに速く考えるようになった。
辛い。治るのが辛いようで、生まれて死ぬのが辛い。
歴史は、フランス史と日本史を読んだら、それ以上しない。
歴史なんか、しない方が分かるところもある。
そういうわけで、適当な人間の方が分かる。
あとは、自由を真面目に考えれば分かる。
それぞれの自由にして、選択可能にすれば、それぞれが出来る。
創造性から、社会を変えられる。
そのように、自由をきちんと考えれば良い。視点と活動から歴史が見えて来る。
フランス史はきちんとしたい。むしろ、日本史はしなくて良いと思う。
そういうわけで、社会が変えられるのや、自由に環境を作り、協力し、習得や構築が出来るのを良く考えていた。
自由で考える知性があった。
制度から場まで、何でも変えられて、そこでは実際に考える、知性があった。
あとは、自由な人間像を書いて、思いやりを書いていた。
平和を信じ、知性をつけ、平等と自由を実現することから、理想と相手を思いやる気持ちが生まれる。
そのように、思いやりのようなことをいつも書いていた。
謙虚に自分と向き合い、反省し、自由を信じることで、神の愛と仏の慈悲が分かる。
涅槃に至るためには、驕りと執着心を捨て、謙虚に反省し、何も必要としなくなるべきだ。
あとは、視点と場から社会や生態系のようなものを作っていた。
健やかに生きるためには、悪いものに対する処罰も必要だが、処罰や強制は出来るだけすべきではない。キリストが言っているように、裁く人間は裁かれる。
今楽だ。あとは、夜、死ぬ時に辛い。
治るわけがない。そもそも治すのが間違っている。耐えて、受け流すしかない。
そんなに速く考えて、続けて言う意味が無い。
ゆっくりと考えて、単純にそれだけを言えば良い。
いつも辛いが、仕方ない。最初からこの文章を書かなければ楽だ。
分かると、分からなくなる。分からない方が賢い。
聖書ぐらい知っていた方が良い。
英語は、Do youとAre youから言えば分かる。
自然は、愛と共生活動の源泉だ。
人生は、成長することによる平和の実現だ。
そのように、もう分かった上で、分かることを書いていた。
修正せず、加筆し、全て1から何度も作り直して文章を書いていた。
自由な人生学を書いていた。
組織のようなものを全部作っていた。
抽象的な世界のようなものを全部作っていた。
英語は、Have youやCan youが多い。
もっと丁寧な言い方もある。
Could you tell meと言ったり、Would you likeと言ったりする。
英会話教室でやっている以外には、スヌーピーの本が参考になる。
どんな英語を言うのか、色んなところにある英文を読んで分かる。
英語は、会話だ。疑問に答えを言うのが基本だ。英会話教室では、それしかしない。
そういう、疑問文と応答文のような英語を思い出すと、話せるようになる。
もっと疑問文を思い出した方が良い。次に行く時に、覚えると良いと思う。
昔は、マスターのような、突出して賢い人間だった。最近居ないが、昔多かった。
一般的な人間たちが分からないことを分かっていた。
マスターへと至る経緯のようなものを書いていた。
成長し、自立し、困難を克服し、全てを解決し、あらゆる側面から理解し、経験から理想の社会を実現し、理性的に経験を考え、神や哲学者のように分かっていた。
デカルトと思えば分かる。あるいは、ヘーゲルやキルケゴールと考えても良い。
そういう、突出して賢い、全ての人生経験をマスターのように分かった人間だった。
涅槃のような安心と、あらゆる経験における欲や信念の包括によって、全ての人間を分かっていた。本当にマスターのように、人生経験と涅槃から分かっていた。
そして、理性があった。古代のギリシャの哲学者のような発想が全部あった。数学は、コンピュータと自分で作った数学で分かっていた。
あらゆる理性と経験が、人生経験として、全て分かる人間だった。
自由とは、人生である。それは、そういうことを言っている。
脳が何かやっている。そこを考えないのがおかしい。
1つ1つ考えて行けば、そのうち分かる。
望みも1つ1つ叶えていけば良い。
辛い楽が悪い。辛いのを楽だと思うのがおかしい。比較的楽な辛いが楽になっている。
昔は、学習や経験を色んなものにして分かっていた。そこが分かると出来る。
ヘーゲルやキルケゴールと同じように、意識する、意識しない、から自覚や経験的確信のようなものを分かっていた。
あとは、フーコーのような社会的規範や規則、規律や訓練のようなものから、日本社会と人間性のようなものを分かっていた。
自分は、フーコーと良く似ている。特に、こちらの狂った人間がフーコーと同じだ。昔考えていたことと、フーコーが言っていることが一致する。だが、それはフーコーに限ったことではない。何故か自分と哲学者の言うことは良く一致する。
時間のようなことを良く考えていた。それも、世代や環境がどのように移り変わるか、のような時間と経緯のことを良く考えていた。経験論のように考えても良いだろう。
革命は、皆を支配して、導き、自分の人生を全部書いて、記憶と意識を書いて終わった。
神は、宇宙人からキリストやスターリンまで、色んな人間に替わる。
革命と神を終えて、作家になったのが自分だ。
神は、左翼と右翼を言う。自分はフランス人とドイツ人であるとした。そう見える。
また、共産主義はイスラエルでやるべきだと言っていた。ドイツを倒すためには、それしかない。ドイツは今でも悪い。
神を信じながら、共産主義をやった。そこがイスラエルに見えるだけだ。
そういうわけで、自分はユダヤ人のイスラエルの王だ。
それこそ、それが一番ここまで出来る。こういう人間は、フランス人に多い。
社会主義を分かるどころか、宇宙の全て、偉大な国の歴史の全てを創っていた。
昔の自分は、差別無く自由にし、階層を否定するところが、マルクスやフリードマンと一致する。経済学と心理学をきちんとすれば分かるかもしれない。何も分かっていない。
最近は、つまらない。何も出来なくなった。すぐに死ぬべき部分が死なない。いつまでも永遠に辛い。何も出来ない。本当におかしな精神の地獄になっている。
死ぬのが怖いだけだ。死にたくないから、まだ書いている。書くのを止めると、死ぬ。
昔は、フリードマンと同じように、全部自由にすべきだと考えていた。
だが、最近は、弱者の人生もきちんと考えるべきだと言うことが分かった。
昔は、馬鹿でも賢いと思っていた。誰でも人間並みの理性があって、平等な賢さがあると思っていた。だから、自由が好きだった。馬鹿に好きなようにやらせれば、可能性があると思っていた。そういう創造性の自由だった。
最近、そうではないことが分かった。馬鹿は本当に馬鹿だ。平等なんか、あるわけがない。馬鹿は馬鹿だ。だからこそ、弱者は助けるべきだ。愚者と賢者が同じなわけがない。
馬鹿を馬鹿とは言うが、ほとんど皆賢いから、自由にした方が良い。
何でも自由に決めるべきだ。それが一番、それぞれのことを尊重している。それぞれの好きにすれば良い。状況や場合を見て考えるべきだ。そういうわけで、自由は悪くは無い。
だが、むしろ、平等にした方が良い。そういう賢い馬鹿な皆に意味が無い。賢い人間なんか居ない。皆馬鹿だから、馬鹿な平等が一番楽だ。
自由とは可能性だ。自由と言うよりは可能性を尊重すべきだ。
自由とは意志の合意だ。
皆で決めるのは悪い。何も出来なくなる。個人の自由に決めた方が良い。
そこでの判断基準は、ネットを見ながら理性的に自由に考えれば良い。
皆が賢く見えた。皆の知性を吸収して、プロフェッショナルを生み出したかった。
そういうことを言っていた。
昔を自由とは言うが、自由なんか好きではなかった。オープンソースが好きだっただけだ。
最近が自由に見えて、最近は平等な革命家の王だから仕方ない。
自由とは創造性であり、それぞれの個性の尊重だ。
自由とは皆の尊重であり、皆を賢いと信じることだ。
だが、見ていると、皆何も賢くない。皆昔のままだ。馬鹿な人間しか居ない。
自由は、ブラックにしかならない。ブラックを見ていると、ロシアの方が良く見える。ロシアはまともだ。最近は、そういう、共産党やロシアが好きな人間があまりに増えた。
僕は、自由が好きだ。ブラックになるのは、自由どころか、本当の自由が無いからだと思う。もっと、従うだけではなく、時に反抗して、滅ぼす自由があるべきなのかもしれない。
だが、それは悪いと思う。反抗とブラックなら、どちらも悪い。最初から戦わず、平等にするのが良い。そういうことを言えば良い。
皆がそれぞれ実現して、可能性を持って、ありのままになるのを考えていた。
生産手段の実現、多様性の実現、共同体の合意による実現を考えていた。
また、研究における認識の役割のようなものを考えていた。
昔は、そういう、認知的で社会的な推論の能力があった。想定して、捉えて分かっていた。
あとは、善悪と思いやりの心があった。それくらいの人間だった。
意識から歴史と存在を分かっていた。そういう人間が、ヘーゲルみたいに多い。
むしろ、こういう人間は、歌手が歌っているように、普通の人間に多い。
こういう人間に良い人間が多い。
自由とは、可能性を高めながら、それぞれのやっていることを信頼し、信じることだが、同時に、悪いことは出来なくする必要がある。
ブラックを解決するためには、警察の力を強化して、法律で取り締まれば良い。それなら、自由でブラックが無くなる。だが、それは出来ない。それをすると、経済が悪くなる。自由はそういうところがクズだ。だが、秘密警察なんか言う人間はありえないだけだ。
権力を分散するのは、良いと言うが、そんなに良くは無い。格差と強弱が顕著に出て来ると、地域が戦うようになる。独立性はファシズムになる。統一と集権化の方がまともに発展する。それに、ブラックになるかもしれない。
分散はそんなに良いものではない。ソ連のようにすると、分散した自治体は何も出来なくなる。廃墟になってものが無くなって滅びるから、分散には良い点が無い。分散を理想とは言うが、絵に描いた餅のようなものだ。
自由を手段とは言うが、皆が頑張るのが良いから手段と言っていた。手段を与えれば、あとは頑張れば出来る。分かるためには、知る機会と考える機会が必要だ。そういう、手段と機会の自由をいつも言っていた。
それから、会社や学校で頑張るのも良いが、もっと自由に、例えばネットなどで頑張るのを良いと思っていた。ありえなく見えて、それが一番自由で創造的で、人生にとっての意味がある。だが、自由で分かる内容は、誰でも同じだと思っていた。
経験でサルトルのように分かる。
そういう風に、社会と人間のことを自由に考える。そこでは、豊富な経験と認識の共有がなされるべきだと考えていた。そういう、考えて分かったマスターが自分だ。
ようやく昔が分かった。昔は、そういう人間だ。自由から社会と人間の可能性を考えただけだ。昔は、そういう思考力と推論の能力がある、経験豊富な賢い人間だった。
もっと人間のことを分かった方が良い。
昔は、場と意識のようなものから、自分の住んでいる地域の歴史のようなことを分かっていた。意識と経験で場を分かっていた。根源的な意識から、言葉の経験を分かっていた。そして、人間がいつ何を分かるのか考えて、可能性と知る機会を考えていた。
人間のことを分かるなら、理性的なことや人間的なことを考えれば良い。
特に、人間が何に苦しんでいるか、何が愚かで、何が賢明なのかを考えれば良い。
昔は、そういうところを実体験から考えていた。
仮象の世界と実体験が分かる、理性的で経験豊富な人間だった。
時に、経験と言うが、2ちゃんねるの経験は馬鹿に出来ない。
ネットには、良い人間が多い。
オープンソースまでやっていると、本当にネットの経験だけで全部分かる。
楽しさや辛さを共有して、夢のようなことを分かっていた。
冒険のような人生だったが、政治家のような議論も多かった。それがインターネットだ。
そういうわけで、色んなことを知って、考えて、やって、経験した。
そういう人間が昔の自分だ。
もう無いとは言うが、まだまだいくらでもある。そういうわけでまだ書いていた方が良い。
あとは、認識を想定して分かっていた。
まるでロボットを組み立て、プログラミングするように、認識を想定して、全ての仮象的なこと、認知的なことを、裏の構造と発想から分かっていた。
自由にすべきだと言っていたのは、経験の可能性のことも言っていたが、自分のような人間が出来るようにして、皆が自分と同じように出来るようにすべきだ、と言いたかったところがある。
だが、自由にはしない方が良い。馬鹿には分からない。賢い人間には、賢いようで分かっていない人間が多い。賢い父親や姉が賢いわけがない。何も分かっていない。分かっている人間は、自分のように、馬鹿な人間しか居ないし、少ない。
だが、自由にすれば良い点も多い。賢い父親や姉は賢い。それらにやらせれば、きちんと良いものが出来る。自分がやっても、ただ普通の馬鹿なものが出来るだけだ。
平等が良いとは言うが、平等はここまでの馬鹿だ。本当に自由の方が良い。それも正しいが、自由は明らかに悪い。父親や姉が、自由なんか、誰も良いと言わない。平等の方が良いと言う。当たり前に、平等が理想だから、平等が良いと言うだろう。
自由とは、経験の可能性だ。
最近、経験していない。自分が経験しないのが一番ありえない。
こういうマスターは、経験を一通りして、世界のことを根源的かつ行動的に考えれば、誰でもなれる。
経験すると、自由が悪いのがすぐに分かる。自由では何も出来ない。
きちんと人に教えてもらって、真面目にやらないと、何も出来ない。自由で出来るわけがない。自由は、何もしないだけだ。
マスターになりたいのなら、ネットを経験して、オープンソースのことをやって、思考から科学的に森羅万象を考えて、色んな経験と思考を照らし合わせて考えると良い。
マスターなんか、誰でもなれる。そういうわけで、皆を自分にするのは、不自由過ぎて良い。出来る人間にキモイ人間が多いのは、出来る人間は不自由な右翼しか居ないからだ。
自由で出来るのはありえない。昔は、前提条件と認識を作って、自由な方法で色んなことをやっていたが、あれで何か出来るわけがない。分かる人間には、何も出来ない。そんなに分かっても意味が無いが、あれは分かる人間だった。最近の安倍が同じだ。
昔は、自由な理性で分かる人間だった。合意と許可と経験で、捉えて、良く考えて分かっていた。出来るわけが無いようで、それで良かった。自分なりに何かが出来て、分かって、それで満足していた。馬鹿だったが、きちんとマスターほど分かっていたのを誇りに思っていたし、沢山の経験と受け入れる力に満足していた。ネットの馬鹿が好きだった。ネットに親友と夢と希望が多かった。
ネットは悪い。その親友にもう一度会えないのはおかしい。そういうわけで、何もしなくなった。もう全てに満足している。もう望むなんかとっくに叶っている。
最近は、楽になりたいだけだ。ただ、楽になれるなら、それで良い。それは、悪くは無いが、それなら書く必要はない。書くのが楽しいのか、楽なのか良く分からないが、書いてもただ辛いだけだ。今日もこんな文章を作りたいのは分かる。それは仕方ない。まだやっていたいだけだから、単純にそのうちいつか止めれば良い。
昔は、ネットで馬鹿なことを全部言って分かっただけだ。
2ちゃんねるの良い点は、匿名で何でも言えて、皆誰でも受け入れるところだ。
そういう自由が好きだった。自由でしか分からないと思っていた。
そういう馬鹿で分かるのを止めた方が良い。2ちゃんねるで全部言って分かったのを、もう忘れた方が良い。はるかに昔の、過去のことだ。
最近すら昔なのが分かっていない。すでに神なんか誰も話していない。自分との対話を永遠に続けているだけだ。自分の話なんか聞いても、意味が無いだろう。
カントとヘーゲルは、どこでもまともだ。狂っていない。ヘーゲルをキモイとは言うが、まともな体系を全部きちんと論述しているだけ、本当に内容がまともだ。カントとヘーゲルはまともだから、自分はカントとヘーゲルをすれば良い。
そろそろフランス史のローマの章が終わる。次はポストローマ期だ。もう50ページぐらい読んだ。英語をやっていると、あまり読むのも辛くない。
英語は、反復して覚えれば良い。覚えていないところだけをチェックして、もう一度覚え直す。簡単に覚えられる。ユニット0がそろそろ終わる。それで反復すれば良い。
いつも言っているが、革命と神で狂った。そういう時代にあったものを全部忘れている。そういうものは、普通に思い出せば良い。何も分かっていないから、忘れた方が良い。
昔は、「良い」と「受け入れる」を信じて分かっていた。
革命は、何も覚えたくないように見える。分かりたくないように見える。それが全部裏目に出ただけだ。本当に地獄のように辛くなった。
神は間違っている。殺して、いじめて、地獄に落とすのが神だ。そんな神を信じるのがおかしいだけだ。イスラム教徒に見える。そういうところが馬鹿だから、こうなる。
神はクズだ。神に反抗すべきだ。そういう風になる人間が一番多い。
人間を想定して、実地的に裏側を分かっていた。誰でも分かるつもりだった。
上から下まで、横から斜めまで、この世界を全部書いていた。
時間から存在まで、全て分かっていた。マスターのような文章だった。
昔は、普通のことが分かっていた。人生と引き換えに自由を知りたかった。そういう言葉は、昔分かっていることを言っている。
自分は賢い。特に、「色んなものを探しているうちに」が良い。あれは、子供の教育に良い。きちんと神を信じる善人が正しく分かるのが分かる。
ただ、最近のブログやワードは見ない方が良い。コミュニストは、キモイだけだ。そんなものを子供に見せるべきでないし、出版も発禁処分になるから止めた方が良い。
社会学と心理学を作っていた。社会心理学を作って、数学も作っていた。
オープンソースが自力で発展するようにしたかった。マイクロソフトへの対抗策として、ネットを賢くして、何もしなくても皆の手で発展するようにしたかった。確かに出来る、分かる、する、を信じて、皆が誰でも簡単に開発出来るようにしたかった。それは成功した。Linuxは賢いものになった。だが、その代り、誰もが何も分からなくなった。
あとは、論理的に考えて、高い立場から俯瞰的に見て分かっていた。
何でも論理的に分かる人間だった。
昔なんか、ただの馬鹿だ。おかしな、希望の無い引き篭もりだ。
最近の戦いが良かった。希望のために本気で世界と戦った。王の経験をした。
皆も、同じ経験をすると良い。本当に正しいことがきちんと出来るようになる。
そろそろ終わりだ。あとをあまり書いていない。
あとは、自分の記憶や人生体験を書いて、分かったことを沢山分析していただけだ。
もっと普通に考えれば分かる。もっと、厳密に考えて、行動を積み重ねれば良い。
宇宙から認識まで、全部を構造的かつ論理的に考えていた。
人生にあることや真理のようなことを全部分かっていた。
まともなことが分かっていない。何か見た方が良い。テレビを見なければ分からない。
ただ、テレビはつまらない。最近、この世界が全部馬鹿に見える。何も賢くない。
昔は、2ちゃんねるを楽しいと思えば思い出せる。
知恵と工夫の多い、自立した良い人間だった。
悪い引き篭もりと思えば分かる。悪くは無いが、誰とも話さなかった。
本当にMITのように分かっていた。ネットで、色んな人間を比較して分かっていた。
ネットは楽しかった。ネットしかしたくなかった。この世界が嫌いだった。
マイクロソフトに勝つために、2ちゃんねるを利用した。
ネットを賢くするために、Wikiを書いていた。
Wikiを書いているだけと思えば思い出せる。
あとは、頭の中や考えたことを思い出せば良い。
考え方からメタ的に推論して分かっていた。演繹と帰納が分かる人間だった。
論理学を作りながら、ネットの経験を分かっていた。
プログラマやアニメーターやデザイナーや経営者が分かっていた。
プロの経験を全部吸収して、アイデンティティで分かっていた。
視点と場と価値観から歴史を分かっていた。
2ちゃんねるは本当に楽しかった。僕の青春だった。
受け入れる力から、神の愛を知った。
Firefoxのようなオープンソースのフリーソフトウェアが好きだった。
Rubyなど、色んなプログラミング言語について、概要を知っていた。
何も出来なかった。英語が出来ないせいで、Linuxは開発出来なかった。
ブラウザを作りたかった。それくらいの人間だった。
全て、同じことを繰り返し体験して分かった。
Wikiは書いていたが、kernel.orgのソースコードなんか見ても何も分からなかった。
色々と、恥の意識が多かった。議論することでこの世界を分かっていた。
変化可能性のようなことを分かっていたが、環境は保持したかった。
あまり変えずに、出来るだけ同じままで解決したかった。
教育は、政治参加して、経験から自分のことを決められ、変えられるべきだと考えていた。
小学校の次を大学にすべきだと言っていた。中学校は、大学で良い。
看板に広告を載せるとか、フロア経済とか、プラットフォーム的なインフラにすると言っていた。共同参加、共同開発を、自宅で出来るのが良い。オープンソース工場やオープンソース経済をすれば良いと言っていた。
そういうことを言いたかったのだと思う。最近は、宇宙農場、宇宙工場と言っていた。
心理学は、それぞれの心を尊重しながら、影響力によってそれぞれの心までを支配し、心を良くするために、きちんと説明して、理解させて、そして共同体を作ると言っていた。
心理で社会を築くと言っていた。
あとは、分析する自分を考えれば分かる。
認識の法則性を知って、状態と方法を知る、認識の方法について色々と書いていた。
心理を分析する中で、世界は自分の中にある、と言ったことを言っていた。
環境への適応で分かっていた。
体得的に、知れば知るほど分かる、のをデカルトやヘーゲルのように分かった。
そういうわけで、もう終わりだ。本人がきちんと分かった。
あとは、普通に考えて思い出せば良い。
何故か、いつもの文章は、キリストと仏教の比較のようなことや、言葉遣いのようなことを言っている。
まだ分かっていただけだ。まだ、新しく分かっていた。
命題そのものが間違っているのが分かっていない。
明らかに、どちらも間違っている。それが分かっていない。
どちらも間違っているだけだ。今も昔も、全て間違っている。何も正しくない。
植物や動物みたいなことを言っていた。何故か、賢く発生的に、歴史的にそういうものを作った。細胞は分子から生まれ、あらゆる遺伝子の構造物になると言っていた。遺伝子はモデルであると言っていた。そろそろ、馬鹿な内容が多い。
全ては、自発的な努力と、協力による可能性であり、人間はともに戦い、慰め、協力する生き物だ。そういう、経験に基づく真理のようなことを言う。
そろそろ終わりだ。あとは、色んな考えたことや考え方を思い出せば良い。
ネットは、ページの共有とテキストやファイルのコピーである。
アプリケーションは、ウィンドウよりももっと高度なインターフェースを持つべきだ。
Linuxには、独自性が足りない。もっと独自性を持つべきだ。
そういうことを適当に言っていた。何も分からなくなって分かっていた。
自由を止めよ。活動をするよりも、もっと思考せよ。
皆、未来を想定して、自分の出来ることを全部やれ。
そういう、導きや教えのような内容が多かった。
先進性や発展なんか要らない。いつまでも同じものを使いたい。
それが出来ないWindowsはおかしい。
誰でも、同じものをいつまでも使いたいだけだ。
マイクロソフトはそれが分かっていない。
Windowsをオープンソースにするべきだ。それで、ストールマンも納得するだろう。
ただ、そうはならない。無償アップグレードなんか、本当にしたのがありえない。
それなら、オープンソースになるように見える。
ただ、Linuxなんか何も無い。独自でないどころか、GNOME 3が同じだ。誰もが同じものを使いたいのに、GNOMEはおかしく先進的にする。
どうでも良いから、MATEが良い。
そういうところがおかしいのがITの発展だ。最近の創造性の世界は、おかしい。
Windowsはおかしくない。昔からWindowsの新しい版は不具合があるのを承知で使う。オタクにはそれしか居ない。Linuxなんか誰も知らない。パソコンはそういうものだ。
悪くは無い。そういうWindowsのおかげで、世界は大分進歩した。きちんと世界が発展した。悪いと言う人間は多い。だが、コンピュータ業界の人間なら、Windowsには敬意を表するべきだ。
それは居ない。明らかにWindowsは馬鹿だ。Linuxの方が賢い、しか居ない。
あとは、生命の誕生のようなことを考えていた。生命は、海と熱と波と重力から生まれたとしていた。海が考えたように見える。自然発生的に生まれるわけがない。
そういうわけで、真面目に考えれば分かる。真面目に考えなければ、分からない。
自分だけで分かるわけがない。他の人を吸収して考えれば分かる。自分だけで良いわけがない。そういうわけで、本気で真面目に考えて、発想して、真面目に生きれば分かる。
Linuxはつまらない。Linuxに良いことを書いていると、馬鹿に見える。勝つわけがないものにつくのはおかしい。ましてやLinuxはロシアだ。そんなものにつく意味が無い。
2ちゃんねるのLinux板は、自分のせいで賢くなった。2ちゃんねるなのに賢いからありえない。Linuxはありえない。一番悪いのに賢い。
Linuxの良い点は、日本と良く似ているし、違った思想の人間が協力して頑張っている。アメリカからロシアまで、Linuxは国際的な友好が出来ている。
そして、UNIXのコピーとは言うが、UNIXの賢い基盤が全部残っている。本当のコンピュータ世界が分かる。そういうわけで、それをWikiに書いた自分が賢い。
開発体制が優れていると言うが、本当に無料であんなに賢いソフトウェアを作れたのはありえない。Windowsがそこらへんを真似るように見える。最近はオープンソースに友好的なのがマイクロソフトだ。良く知らない。最近、IT関係のニュースは見なくなった。
Linuxはあまり賢くない。むしろ、Windowsの世界は本当に賢いから、Windowsの世界を知るのが良い。何か書けば良い。本もいくつか買ってある。猫でもわかるWindowsプログラミングと言う本をいつか買ったが、読まなかった。読まないで出来るわけがない。
ソフトウェアの共有は良く見える。開発者が見て楽しいように見える。それに、革新的に見える。デジタルの共有は、最近、Wikipediaなどに見られる。流行っている代わり、悪いものが多い。Googleは音楽をコピーし放題だが、著作権団体にきちんと金を払っているらしい。最近のネットは、そういう風に悪い。
要は、何をすれば良いのか考えていただけだ。
実現性から、何をすれば良いのかを考えていた。それで、社会を作る方法を共有すると言っていた。メタ的なことを考えていた。
昔は、世界を変えたかっただけだ。自分なりに何かしたかったが、何をすれば良いのかを知りたかった。そこを考えたかった。それで全部分かっていた。
そういう内容を書いている。心理的かつ社会的なプロセスを実現し、過去に遡って解決すれば良い。そういうことしか言っていない。
こういう人間は、悲惨になる代わり、賢い人間になる。スピノザのように、悲惨な哲学者が普通こういう風に考える。
何をすれば良いか考える。明らかにニーチェはそこまでの馬鹿だ。
世界を変えるためには、沢山の自由な経緯を取って、多様で、それぞれが自分のことを決められて、支配出来るようにするべきだ。そこでは、それぞれが経験し、経験から自由に考え、自在に変えられるようにすべきだ。
そういうことを言っていた。本当に、何をすれば良いかしか考えていない。
子供は、それぞれのことを本当に自分のことのように愛すれば良いが、勉強はしなくて良い。勉強したいなら、ただ従うだけではなく、自発的に考えるべきだ。
産業をオープンソース化しろとは言わないが、ロシア的なものをもっと受け入れるべきかもしれない。だが、それは悪い。ロシアはキモイ。だが、アメリカ的なものをそんなに受け入れるなら、ドイツやロシアも受け入れれば良いように見える。
教育は、もっと自由に、自分の考えた自発的なこと、発想から、考える機会を持って分かるべきだ。
社会は、それぞれが形成するために、形成しやすくする。独立性を高めながら、それぞれの持つ真実と真理の世界を実現し、共有しやすくする。それぞれが社会を作る。そこでは、社会を変えるための手段のようなものを整備する。
あとは、人生や科学のことを考えれば良い。
人生は、一人では生きられない。皆と一緒に生きる。協力はするが、自分のことは自分にしか分からない。本当に自分に合ったことを見つける必要がある。それは、サルトルの言う、実存は本質に先立つ、での、実存と本質のようなものだ。
科学は、仮説を立て、解決し、自由に具体化し、視覚化し、実現し、実験し、実験からさらに最初に戻って仮説を立てる。永遠のスパイラルのようで、ニュートンのように、分かってしまえば簡単に、ごくシンプルな法則で分かる。そういう数式が多い。
数式は、宇宙の真理だ。それしか居ないが、本当に美しい数式が多い。
あとは、場と視点のようなことを考えて、人間を分析していた。
もっと厳密に考えれば分かる。細部まで考えて、小さな差異を大切にすれば分かる。
フランス史の本は、ローマ帝国の章を最後まで読んだ。次は、中世の王国が出て来る。
今日は教室は無いがピアノの日だった。だが、ピアノは弾かなかった。あまりおかしくはない。やることが無いから、今から弾こうと思う。
あとは、自動車などの機械や、デパートなどの施設などを作っていた。
キリスト教や共産主義、自然科学や人文科学など、本当に色んなことを書いていた。
それで終わりだ。自分が一番賢いようで、本当に見るとそこまで馬鹿な文章だ。
ピアノを少し練習した。
協力し、参加し、支配し、議論し、感情を知り、影響力を知り、世界観を融和することによって、社会は変えられる、と言っていた。
不思議と、あとは色んなことを普通に考えれば良い。何故か、きちんと書けた。
自分は、経験があるように見えて、無い。色んなことを経験した方が良い。
昔経験出来ていたのに、最近出来なくなったのはおかしい。
ただ、大人になっただけだ。2ちゃんねるなんか、全くする意味が無い。最近、ネットなんか一切見ていないし、2ちゃんねるなんか一切していない。
昔は、自由に色んなことをして、経験して分かっていた。感受性の高い成長期の若者だった。青少年は、それで良い人間が多いが、今の自分は、どん詰まりになっている。本当に何も出来ない。ネットだけはしたくない。自由では分からない。何かするしかない。
経験なんか、英会話教室で良く見える。明日は英会話教室の日だ。頑張って経験すれば分かる。
経験がしたいなら、農業が良い。仕事をしたいなら、自分は農業をやっている。
中華料理店のバイトでもすれば良いようには見える。むしろ、農業で良い。
毎日きちんと農園に行っているのが自分だ。
昔はプログラマを目指して頑張っていたのが賢かった。プログラマは賢い職業だ。
最近は、作家をやっているが、馬鹿になった。作家は馬鹿な職業だ。
そうでもない。唯一作家が賢いのは、書いていると本当にこういう風に分かる。
そういうわけで、作家はマスターになれる正しい職業だ。
農業は悪くない。トマトは美味しい。そんなに採れる意味が無いが、トマトは沢山生る。
神との対話はもう止める。こんな超常現象を永遠に体験しても意味が無い。
良い体験ではあったが、殆ど地獄のように辛かったのが神だ。神が一番嫌いだ。
昔から、自分は宗教が嫌いだ。それも、特にキリスト教が嫌いだ。どうでも良いが、嫌いなものが好きで、好きなものが嫌いなのが自分だ。皆が嫌いなものばかり好きになる。好きになったものは、全部あとで嫌いになった。そういうわけで、キリスト教は好きだ。
当たり前に考えれば良い。自由にするなら、判断力が必要だ。環境を自由にすれば、場に拘束されなくなって、自由度が上がる。そういう風に、当たり前に考えれば良い。
科学のことでも分かれば良い。それできちんと昔と同じだ。科学が分かると良く分かる。
あとは、考える余裕のようなことを言っていた。
思考を辿って、認識と場を想定して、視点と場の法則性を知って、知り尽くして、想像力を使って、比較して、人格を想定して分かっていた。
それくらいを全部言っていた。記憶と経験を考えると言っていた。
本当に他にない。他には、もっと適当なことを言っている。
自由とは、想像力と方法を使って、本質、意図、人生、活動、設計図、プロセスを考えることだ。そういう、全部分かっている内容を言っていた。
ただ、段階ぐらいしか言っていないから、それで終わりだ。
あとは色々と普通のことを言っていた。人間が集まって、それぞれが活動し、協力した時に、何が出来るか、何が考えられるか、どのように判断し、協力するか、のようなことを言っていた。自由な判断と行動を考えていた。
人生における全ての心理学、あらゆるものを包括する心理学のようなものを作っていた。
あとは、包括と頂点とか、連邦と共同体とか、考え方のようなことを言う。
そろそろ、Windowsの時代が終わる。新しいどこかの会社のOSになる。
それと同時に、僕の戦いも終わる。Windowsは悪くない。便利なOSだ。
あとは、人生における体験のようなものを、目的と手段と本質から考えていた。全ての本質のようなものを書いていた。環境や秩序を作っていた。
皆、支配されるのを止めよ。
僕と一緒にこの世界から抜け出そう。必要なのは、この世界から離れて、精神から脱出することだ。きっと成功するだろう。
適当なことを言っている。何も考えていない。
戦いとは、精神を超越することだ。
考え方から、精神を超越して、未来のことを全て感情で知ることが出来る。
不思議と、そういうことを言っているのがいつもの文章だ。
機械は、方法と設計図を共有して、皆の手で考えて、原理を成り立たせて、技術の考え方と手段で作ることが出来る。そこでは、協力し、努力し、方法を具現化して、発想を実現して、沢山の方法的、取り組み的、決まり的な発想を検討し、研究する。
そういう、想像力のような内容をいつも書いていた。それくらいを書いていただけだ。
夢を信じて努力し、自分には出来ると信じることで、道は開ける。
そのような、人生の考え方のようなものも書いていた。そういうものを書いただけだ。
キリスト教の聖書やイスラム教のコーランは、宗教の聖典なので、後の時代になって変えることは出来ない。
だが、皆の手で新しい宗教を作ることは出来る。そこでは、もっと皆の意見を取り入れて、自由に、それぞれの意見を吸収し、教義を自由にする、新しい自由な宗教に出来る。
そのように、色んな実現性から、宗教や科学などの新しい発想を考えていた。それだけが本当に多かった。新しい宗教、科学、国、歴史のようなことを考えていた。
核兵器は、国連が買い取って無くせば良い。
そのように、色んな政策や科学の発想を考えていた。解決したかった。本当にそれくらいが多かった。そろそろ分かって良かった。新しい神話のようなものを作っていた。
過去のもの、古いものと思わずに、新しい視点で古いものを作り出す。そういう発想も多かった。だが、古い資材のようなものは全部撤去して考えていた。
あとは、あることに関して、それに関係するあることを全部考えて、実現するような、前提条件と可能性の構築のような文章が多かった。可能態を現実態にしていた。
昔は、全部分かっていた。解決の経験のせいで、何でもすぐに書けて、すぐに言える人間だった。皆を支配して、導く、神のような王だった。
皆、まず自由になりなさい。環境から自由になりなさい。
ネットなどで、自然な経験をしなさい。
環境を、自分の体験とともに、思い出しなさい。
慎重かつ大胆に、自由を考えて、認識を疑いながら、解決し、神を信じなさい。
応用的なことから、科学の方法と法則を知りなさい。
自分の自発的な努力から、実践しなさい。
哲学的に、理想的に、数学的に考えなさい。
自分の経験から、人間の可能性を知りなさい。
人間の欲や思い込みを考えなさい。
歴史や価値観から場と視点を知りなさい。
同じことを何度も経験しなさい。
皆に対して、色んなことが出来る人間になりなさい。
自由な行動と創造性から、理想を知りなさい。
理想の世界を築く方法を知りなさい。
科学的な真理と、数学的な体得を知りなさい。
社会がどうなっているか、人間がどうなっているか、環境がどうなるかを知りなさい。
体験的に、助け合いの世界を知って、神の愛を知りなさい。
仏の力である生命の生きる力から、関係と条件で原因を知りなさい。
仏の境地へと達し、涅槃を知りなさい。
全ての職業の経験から、自分のMITをやりなさい。
人と関わり、コミュニケーションをする中で、人間の段階と意識を全て知りなさい。
ものを作り、達人になるまで知り尽くしなさい。
人生の全てを知りなさい。
戦い、書き、神を信じて、悪と善の狭間を知りなさい。
宇宙の全てを表現し、包括しなさい。
哲学、経済学、心理学を作りなさい。
全ての地獄に耐えて、神になりなさい。
信じること、思い出すこと、疑うこと、永遠に分かることで、文章を書きなさい。
全てを経験しなさい。
全ての人種と科学になりなさい。
全ての言語を知りなさい。
全ての世界を知りなさい。
終わりの中で、自分を治しなさい。
最後まで分かったら、もう、地獄を越えて、天国へと行きなさい。
生まれ変わって、神と対話しなさい。
そこでは、自由の全て、人生の全て、宇宙の全て、人間の全てがあるだろう。
あとは、実際の中で変化させる、のようなことを言っていない。
自然体、ありのままで生きるとか、考え方や習慣を変える、と言ったことを言いたかった。
コンピュータの世界を知り尽くして、永遠に文章を書けば良い。それで自分と同じだ。
数学的な認知学と言っていた。もっと、色んなことを思い出せば分かる。
数学的に認識を作っていた。感情を数学にしていた。それは、いつも言っている。
感覚から、自分の経験も、他人の経験も、全部分かると言っていた。
神との対話は、天使のような、テレパシーのような超能力だ。それをまだやっている。
辛いのは、そろそろ本当に止めるべきだ。
本当に、毎日生きて死ぬのが辛い。そういうわけで、今日も寝る時に辛いし、明日も書いた時に辛い。もう止めた方が良い。何もしなければ楽だ。
明日も明日で、何か分かるから、書かないといけないような気がする。それが悪い。
あとは、人間と関わり合って、感情を融和させて、段階的に体験を分かっていた。
分かった時と分からない時を比較して分かっていた。
階層的に自由を積み重ねて分かった。
モデルにして認識を分かっていた。フィルターも多かった。見方を変えて分かっていた。
心理で人間を支配し、社会の意識を知った。
自由は、共同体の自由になった。
そういうことを言っていた。
終わりだ。もう何も書かない。これでフレイはフレイヤになる。
ゆとり教育は悪い。昔は、高校まででドイツ語までやっていた。そういう風に、もっと教える内容を増やした方が良い。
だが、考える時間は必要だ。そういうわけで、要らない科目はどんどん消した方が良い。
そうでもない。何も変える必要はない。
あとは、Windowsは右翼的だ。もっと左翼的な価値観にした方が良い。ユーザーを見下す態度を取るのはおかしい。ただ、それはオープンソースも同じだ。オタクはクズだ。
2ちゃんねるは悪くない。昔は、2ちゃんねるの自然な経験で分かっただけだ。オープンソースが多かった。2ちゃんねるは、こういう風にその人の人生で分かる人間が多い。
右翼は悪い。左翼の方が良い。右翼は、こういうキモイ人間が多い。
僕は、右翼が一番嫌いだ。
ただ、右翼の賢い人間は、悲惨に見える。何も悪くない。右翼は頑張っている。
全ては、構造性、相対性、法則性、本質性、創造性における、システム的で、自由で、構造的な、関係と方法の関わり合いであり、そこでは、自然と必然、天と地、人間と自然、社会と理性、そして自由と平等から、全ての知恵と知識を作り、想像力で分かることが出来る。考え方の世界だ。
そういう風に、関係を良く考えてモデルにする、構造的な文章が多かった。
いつも制度や可能性と言っているが、それを歴史的、システム的、共同体的に考えていた。
それを、英語のように考えていた。
場とは、状態と関係から生まれる、条件と原因の全てであり、全てを創造し、生成し、相互関係する、人間の拘束と創造である。
そういう風に、色んなことを全部、全ての側面と、関係と構造と方法から分かっていた。
この文章は賢くない。何も考えていない。
こんな風にして分かるわけがない。そんなに文章を増やしても意味が無い。
ゼロから考えるしかない。
日本をどうすれば良いか?それは、もっと普通の国にすれば良い。
創造的で自由な国より、戦う国や平等な国が良いとは思えない。だが、創造的で自由な国は、良いと思えない。そういう人間が多い。
確かなことは、自分は平凡な人間で、十分に幸福だが、いつも辛かった、と言うことだ。
学校やテレビは悪いが、自分はあまり悪くない。
右翼を悪いとは言うが、右翼は悪くないし、自分は左翼のキリスト教徒だ。
そういうわけで、協力でも考えれば分かる。そんなに考えない方が良い。それだけを分かっていると、何も分からない。協力が良いなら、支配も良いはずだが、支配は悪く見える。そういうところが違うのを分かると分かる。協力は良いが、支配は悪い。そこには、関係性と理想がある。そういう風に考えれば良い。
人間的な協力が良いと思う。
国は、何もしなければ良い。勝手に発展してくれればそれで良い。国に期待しない。あまり期待しない方が良い。こんな人間はどうでも良い。
小さなところから考えていると、大きな部分が分かる人間が多い。確かな少数の方法から、必然性と全体像が見えて来る。そこでは、客観視と法則性が相対性を解く鍵になる。
自発的に、だが当たり前に考えて、分かっていることを良く分かり、厳密に正しく疑う。信じるべきものを選びながら、本当に正しいものを信じる。不可知なものは考えない。語り得ないもの、分かり得ないものに関しては、沈黙するしかない。ヴィトゲンシュタインはそこが賢い。だが、あの哲学者は、言語分析のことを言いたかったはずだ。
もっと、「もし」や「かもしれない」を考えれば良い。
正しく問題を調査研究する。思考実験と理性批判から分かることが出来る。
この文章は、何も考えていない。もっと考えれば良い。
考えていないのに賢いのはおかしい。この文章は、昔からそこがおかしい。皆を騙して、馬鹿にしているのが誰でも分かるから、キモイ文章にしか見えない。
本気でこれを書くのがありえないだけだ。
テレビは最近見ていない。ニュースをたまに見ている。
テレビは、見ていると悲惨だ。馬鹿しか居ない。芸人のせいで、あまりに馬鹿になった。日本人は、クズだ。日本は、馬鹿の王国だ。
考え方は、デカルトが参考になる。特に、問題を小さな部分に分けて、推論して分かるのが参考になる。デカルトは、そういうところが数学者だ。誰でもそれで分かる。
自分で考えないと分からない。そういうわけで、考え方を作るのは間違っていない。
もっと、きちんと考えるべきだ。最近、きちんとした考え方が分かっていない。誰にも教わっていないと、そこが分からなくなる。分からないのが賢いから、こういう風になる。
正しい考え方とは、問題を解決し、答えとやるべきことを、方法から知り、証明し、実験し、説明し、知を作り、モデルにし、解決し、実現すること。そしてそのための全てだ。
あとは、ネットで社会を知った。それを、経験や真理と言って、この文章に書いていた。
全ては、努力すること、信じること、自由に考えること、自在に考えること、経験を吸収すること、知ること、知り尽くすこと、肯定すること、否定すること、信じること、疑うこと、思考すること、従うこと、反することだ。
それをもっと具体的に、真理のように書いていた。そういう経験のような文章が多かった。
日本を直す。皆、何も分からなくなっている。確かなことが何も無い。分からなくなっている。確かなことは、最初から何も無かった。信じていることの正しさが、そのまま他のものに替わっただけだ。そういうわけで、信じているものをきちんと変えれば良い。それできちんと分かるようになる。
もう、日本は日本を信じるべきではない。新しい国を信じるべきだ。それが、新世界だ。
昔は、経験から意識を分かっていた。本当に意識をきちんと分かって、存在を吸収して分かっていた。思い出せない。何故か、キモイ人間に見えるが、賢い人間だった。
フランス史を読んでいるが、フランスは意味が無いところがある。フランスなんか分かる意味が無いだろう。ヨーロッパの大国で、日本とそんなに関係ない。日本史の方が良い。
ただ、全部で450ページぐらいある。今50ページぐらい読んだ。そういうわけで、頑張れば読める。分厚い本だが、読めないことは無い。英語をやっていると良く読める。
昔賢かったのは、ネットゲームと試験勉強が賢かった。つまらない代わり、色んなことが賢く分かり、努力出来るようになった。剣道部とピアノも良かった。そういうわけで、そういう風に、色んなことをやった方が良い。意味が無いようで、それで出来るようになる。
数学は、コンピュータのことをやっていると出来る。異常なほど出来る人間が多い。
最近は、物理や政治経済などの構造が分かっていない。普通、構造で分かる。
自由と平等をモデルにして分かっていた。
自由に働くか、平等に働くか、自由に決めるか、平等に決めるか、など。
上が決める、下が決める、自由に決める、高度な国にする、単純な国にする、など。
そういう風に考えていた。そろそろ、書くことはもうあまり残っていない。
あとは、原因と結果や分類のような考え方を考えていた。
心の深層に迫りながら、心を物理的に分かっていた。心がいつ何を思うかから、心の深層を全部理解した。心と意識で全て分かった。何を意識するかを想定して分かっていた。
人間を予想し、想定して分かっていた。人間を分析した。
自分は、死ぬと二人に分かれて、それがカップルになる、と思っていた。神が言っていたかもしれない。そうでもない。そんなことは誰も言っていない。
あとは、独立と一体のようなことや、多様性と統一のようなことを考えていた。ボトムアップとトップダウンから、ネットのように社会を分かっていた。
歴史や文学のような内容も多かった。ロシアを分かって、地球の歴史を創っていた。
テレビが敵だった。昔から、テレビを相手に戦っていた。テレビが悲惨だから、止めた方が良い。テレビは敵ではない。だが、昔から嫌いだったから、仕方ない。
あとは、意志や関係の分析が多かった。それから、悟る人間が多かった。
そろそろ今日は終わりだ。もう寝る時間だ。続きは明日書く。何か書けば良い。
本当に、書き始めた時と、寝る時だけ辛い。生きるのと死ぬのが辛いだけだ。