日記に戻る | 2015年8月の日記に戻る

=2015-08-03=

辛くなりたいと治る。楽になりたいと治らない。

いつもの戦争を怖くないと思えば楽になる。

楽や安心が怖くなった。何も無いが怖いのはおかしい。

書かずに思考すれば治る。

辛いのが起きるのが怖い。

要は、本当に辛い方が楽だ。

一瞬になって、止まっている。ロボットだ。

辛いのを望めば良い。地獄の苦しみを望めば良い。

ただの辛いだけになると、楽になる。脳が分かる。

普通、辛いと治る。治り方を脳が分かると治る。

最近は、地獄の苦しみを望むようになった。それで治る。

昔は、全部の知性があっただけだ。

もう治った。昔が分かる。

昔は、感情で全て分かっていた。自由と行動で本質を分かっていた。

行動と成り立ちと変化が分かっていた。

想像力があった。経験と思考で実際を分かっていた。

あとは、社会のモデルや想定、そして人生経験で分かっていた。

社会における経験を考えた。人生経験を考えた。

時計が治る。時計のせいでここまで分かった。

仕事の経験、社会の経験、人間の経験を想定して分かっていた。

最近は、普通を考えて分かっている。

少数の法則から、あらゆる定義と定理まで、物理を全部創った。

戦争の時代に戻る。怖いと思っているのは自分だけだ。それで皆も楽になる。

場と心理を支配して分かっていた。

賢くなりようが無くなっている。それを治した方が良い。皆も治る。

意識の中では、過去と未来は同時に存在している。

分かっているのは、ただ分かっているだけで、全体としては分からない活動をしている。

女は最初から守られる生き物で、男は守る生き物だ。

考える部分と書く部分を融和すれば治る。

環境が自分で無いのはおかしい。それで、辛いのに辛いのが分からなくなった。たまに一番辛くなる。環境を自分にすれば治る。

植民地は、左翼から見れば、奴隷で、白人支配だが、右翼から見れば、持ちつ持たれつで、両者にメリットがある。ソ連なんか、同じだ。

植民地は、経済的な覇権争いだが、経済的な収支はむしろ、取れていないことが多い。

フランスと旧植民地の国は、今でも仲良くしている。嫌い合ってはいるが、それでも、フランスの植民地文化圏として、仲間のようにやっている部分もある。

それに、文明化はおかしくない。アフリカの貧困を見ていると、強制的に日本にすれば良いように見えることも多い。フランスなどは、それをしたかっただけだ。

奴隷とは言うが、フランス人にとって植民地化とは文明化である、と意識されている。

そういうわけで、フランスは結構、押しつけがましい国だ。

英語は、また後でやる。あまり意味が無いから、英語についてはもう書かない。書かなくても毎日やっているから、それで良い。これ以上、あまりこの文章を書きたくない。

昔は、社会における経験を考えて、想定して分かっていた。

手と脚がそろそろついた。治った。もう何も辛くない。バラバラになっているのが、本当に辛かった。止まっていられない。動いていないと気がすまなくなっていた。

国家は、分散して自由に選択すれば、自由に出来る。

昔は、コンピュータの世界を知って、環境を思い出して考えて、ものごとを考えて、自由な行動や経験を捉えて、ものごとを捉えて、順序や経緯を考えて分かっていた。

平和は自由であると考えていた。戦争も民衆が望むなら自由に出来るべきだとしていた。

むしろ、平和にも悪い点がある。平和ボケして馬鹿になる。戦争が良いことも多い。

フランスは間違っていない。完全に正しいのがフランスだ。

戦っていると、分かる人間が多い。人間は、一人戦っていると分かる。

最近辛いのは、戦いたいのに戦いたくないからだ。もっとまともに戦えば良い。

倒すべき敵は、マイクロソフトとテレビと学校だ。それらが悪い。

まともに戦えば良い。だが、殺したりはしない。適当に反抗していれば良い。

昔は、町や歴史を考えて、人間の中身や学校環境を考えていた。

戦いは、無益なことが多い。戦うよりも、もっと別の解決策がある。きちんと理解し合って、お互い努力すれば、もっと違った解決が出来る。解決策は無数にある。無限にあると言っても良い。きちんと解決すれば良い。また、問題の根源や原因も無数にある。何が悪いかを一概に言うのは難しいが、それでも、解決する時の検討課題として、どこで起きた何が本当に悪いかを再検討するべきだ。ただし、戦いにも意味がある。戦うべき時は多い。

出来るだけそのままで、戦わず、争わず、必要なところだけを解決する、そんな解決法があっても良い。

正しく考え、正しく改善すれば、どんな世界も良く出来る。

だが、最近の僕は、その逆だ。全てを創って、全てを変えて、全てを成し遂げる。

そのために全てのことをする。そういう、偉大な王のような人間になった。

問題の解決方法のような内容が多かった。

昔から、解決が一番多い。特に解決を考える。

それは、もっと好奇心旺盛に考えれば、カントのようになる。

足は、死にたいと言っている。死にたいのはおかしい。死にたいのを止めれば治る。

最近、自分の人生は良い人生だ。

要は、辛いと思うのがおかしい。何も辛くない。そのうち、楽になるだろう。

あとは、最近多いようで、昔から、芸術家、学者、聖職者、王のような体験をしていた。

理想とは、存在意義である。

存在意義とは、平和であること、自由であること、助け合うこと、平等であること、人間的であること、思いやることである。

全ては、本当に自由な中で、何が出来るかを、それぞれの分かる視点で考え、意見を共有し、自由に議論し、社会へと還元し、自分の立ち位置を全体の中で知ることである。

平和とは、本当に全員を平等に愛し、幸福にすることであり、それによって争いを無くすことである。

本当に正しい機械は、平等の中で生まれる。自由の中では、金儲けのための機械しか生まれない。それが、オープンソースとマイクロソフトだ。

平等とは、マイノリティのことも、マジョリティと同様に考えて、対等に扱うことだ。

自由にすることが平等につながる。それぞれの共同体が自立して考えることで、それぞれは好きなように出来る。それは、もう平等な領域における自由だ。

ただ、それは自由では無い。何故なら、弱い。そういう弱い自由が、ドイツにも多い。

本当に大切だと思う気持ちから、個性が生まれる。

何故か、どうしてか、どうなっているのか、本当は何なのか、自分からどう出来るか、自分の行動や体験とどう関わるのか、考えれば良い。

何故かは分からなくても、どのようになるかは分かることが多い。そこから、何をどう出来るかを分かる。本当は何かは分からなくて良い。そこでは、原因と条件と解決方法だけが存在する。そのように考えても良い。医学のように考えれば良い。

そういうわけで、神とは何なのかは分からなくても、神のような現象は起きる。

本当の理由が何か分からなくても、その通りに起きる。いつでも正しいことしか起きない。意識しなくても、知覚しなくても、分かり得ない領域でも、自然法則はその通り起きる。そのように考えると、宇宙の法則は既に科学ではなく、仏教的、宗教的なものになる。

戦うこと。いつまでも永遠に戦い続ければ、負けない。勝つまで戦えば、いつか勝てる。

そのように、ヒュームのように自然法則を考えれば良い。

そこが出来ると、ブッダが出来る。ブッダは、きちんと考え方が分かっていて、社会や人間のことも全部分かっている。昔の自分と変わらない。自分は、ネットで分かった。

あとは、考え方を分かっていた。考え方や認識のことをネットと経験から全部分かった。

最近賢い人間が多いのは、昔の自分になっている。ネットのせいで賢くなった。

だが、それは、そのうち狂って辛くなる。そのまま死ぬ。

そうなるのが怖い。すぐにそうなる。皆自殺して死んで行く。

ただ、それは無い。世界を支配出来ると妄想するのが悪いから、そういう風に狂う。

何も起きていない。世界なんか、昔のまま、何も変わっていない。

テレビを見たくないのは、真実を知りたくないからだ。本当に真実が分からないのに分かるのが怖い。自分が悪いせいで、本当にテレビが嫌いになった。

戦ったのもある。テレビとの戦いが、最近一番多かった。テレビを治す、菩薩の戦いだ。

あとは、人間と人間の関係や、心理学を考えれば良い。ネットはおかしいから、そういうものが分かる。時間を考えることで、ハイデガーのように分かる。

哲学者を賢者とは言うが、賢者に見えない哲学者も多い。哲学者は、正しく世界を分析するせいで、昔の自分と同じことを同じように分かる。一番愚かな哲学者が多い。

昔は、そういう風に何がどうなるかを考えて、問題と照らし合わせて分かっていた。何をどう出来るか分かっていた。

何か、まともな本を読んだ方が良い。それで分かる。ネットは怖いから見ない。だが、ネットを見れば分かる。

あとは、環境と人間、視点と心の相互作用のようなものを分かっていた。

女なんか、ただ開いているだけで、男なんか、ただついているだけだ。

男と女なんか、意味が無い。僕は、恋愛なんかしたくない。

あとは、基盤と自由のようなことを考えていた。プラットフォーム的な自由だ。

生態系も社会も、全部基盤だと考えていた。

恋愛しないなら、神との対話が終わる。ただ、キモイ同性愛の恋愛をしているだけだ。

そうでもない。男と女のカップルにしたのが、対話だから仕方ない。

ソ連は、ロシアと言うおかしな国がやったのが間違っている。他の国がやれば成功する。

何故か、ドストエフスキーを読んでいると、シベリア送りは昔からロシアにある。

つまり、ロシア帝国のシベリア送りをそのままやっているのが、ソ連の強制収容所だ。

ロシアは悪い。中国がやって良くなるなら、ソ連の社会主義体制が悪いだけだ。

もっと違う国がやれば良い。日本が社会主義をやれば成功するように見える。今の日本も、昔の日本も、見ていると、成功した社会主義の右翼の国だ。

あとは、色んなことを突き詰めて考えれば良い。原因から原因を辿って、根源的に考えていけば良い。時に、仮想的なモデルを作ると良い。それで経緯と問題が良く分かる。

あとは、日本語を考えていた。形容詞や冠詞や動詞は、論理的で本質的な意味にして、デカルト的に意味を増やすべきだと言っていた。

そして、格変化を多様にすれば良い。もっと格変化を応用して、普遍的・個別的な意味を考えるようにすれば良い。

足は、死にたいだけだ。もう死にたい。それなら、死ねば良い。死にたい人間は、すぐに終わって、すぐに死ぬようになる。そういうわけで、死にたいと早く賢くなる。

自宅で色んなことが出来るのは、悪くない。差別せず、自由に参加出来るようにする。それこそ、オープンソースだ。1つの理想は、自宅とネットで全て出来ることだ。

大学以外に研究手段があり、会社以外に生産手段があれば良い。そこから、新しい社会、高度な社会や単純な社会が考えられる。一番の例がオープンソースだ。成功はしないが、可能性はある。もっと手段から考えると、何かの形で実現出来るかもしれない。

そういう想像力があると、自由な発想が良く分かる。都市の景観を変えても良いだろう。色んなところに広告や看板をつけることも出来るだろう。地球儀のようなモニュメントも考えられるだろう。新しい自然言語を作っても良い。

時間や空間を視覚化して考えるのが好きだった。空間の見え方や、視点と像などを考えていた。地球儀を作ると言っていたし、芸術は視点だと言っていた。

あとは、方法を考え、知ることが好きだった。いつもの文章は、そういうことを言う。

会社は、方法を知り、知恵を集め、それぞれが合意するように組織を作るべきだ。

それぞれが労働基準と労働・給与内容に合意して、不自由を受け入れれば良い。

だが、会社には何も出来ない。特に外れたことが出来ない。オープンソースなら、外れたことをいくらでも出来る。

オタクは金を払わなくても、好きなものを作りたいために作る。そういうものだ。

環境への適応、基盤と参加、そして設計と共有から、世界の変化可能性を分かっていた。

オープンソースが好きなのは、おかしくない。だが、オープンソースの問題は、会って話し合って決めず、ネットで決めることだ。そのせいで、統合的なことが出来ない。それぞれのプロジェクトの端で頑張るしかない。ニッチな分野は出来るが、統合的な分野が出来ない。そういうわけで、GUIやグラフィックが出来ないのがオープンソースだ。

そうでもない。最近のGNOMEやKDEは賢い。きちんと美しくなっている。

どうでも良いほど、オープンソースがキモイのは当たり前だから、誰も言わない。

環境への適応と意識は、創造性のある社会なら誰でも出来るが、最近は何も無い社会だ。創造性は多いようで、そういうものに否定的な人間が増えた。リベラルより保守が好きな人間が多い。会社にリーダーシップのある良い人間が多いからだ。

こういう風に、何かの原因を何かである、と考えるのは、良く考えると誰でも出来る。昔は、そういうところを洞察して、視野を広げて考えていた。

昔は、自分の経験で、ジョブズのような賢い人間が分かっていた。

2ちゃんねるの経験が特別多かった。オープンソースに関しては色んなことをしていた。

自分が一番賢い。誰も分からない中で、自分だけ分かっている。

ただ、それは寂しいだけだ。

自分の経験で、ジョブズやイチローがどんなことを考えているのかが分かった。ストールマンが本当は何をしたかったのか良く分かる。そういう、経験のある人間だった。

そういう、賢い人間のアイデンティティや価値観を良く分かっていた。

決めるのは、有益に見えて、無益だ。決め直した方が良いかもしれない。もっと疑って、決める前に良く考えるべきだ。すぐに信じるのは、信じていない。

もっと、「かもしれない」や「はずだ」を考えれば良い。「だけだ」や「要は」は間違っている。もっと、疑った方が信じている人間が多い。分からないのは、信じないからだ。

信じれば良いのかもしれない。それくらいを思えば良い。

何も信じないのはおかしい。社会の価値観を信じれば良い。昔から、社会の色んな価値観を信じて分かる。昔はそういう人間だった。日本の色んな社会を信じれば良い。

あとは、ネットの価値観や、場の価値観、人間関係の価値観を信じれば良いだろう。

もう分かっていることしか分からないから、おかしな人間になった。

まだ分かっていないことを分かれば良い。それできちんと分かるかもしれない。

「かもしれない」は、疑っているようで信じている。「だけだ」は、信じているようで疑っている。そういうわけで、信じる人間は疑うようになる。疑う人間は信じるようになる。そういうわけで、カルトにこういう人間が多い。ユダヤ人は何も信じない。

宗教は、信じるようで信じない。それが、本当に悲惨な人間や地獄の人間になる。何も分からないのが宗教だ。キリスト教は、分からなくなって分かる人間が多い。それが一番きちんと信じている。つまり、何も信じない方が良い。

神を信じるとは、存在を信じることではなく、教えを信じることであり、従うのではなく、任せて、神の導きに委ねることである。

国家による権限を強くすれば、町を美しく出来る。そういう、出来ること、実現出来る可能性や発想、そのための手段のようなことを考えていた。

辛かった。もう意味が無い。本当にただ辛かっただけだ。

意味が無いから、止めた方が良い。この文章は、悪魔の聖書だ。

昔は、あいまいな土台の上にガラスの城を作った。

最近は、大量のごみを浄化して天国の楽園を作った。

どちらも自由だった。そして、どちらも神のように賢かった。

もう終わった。神との対話が終わる。

何もかも、見境のないエゴイストが、どこまでも狂わせる。FLOWがそれを言う。

自分の声が風になり、涙が雨になる。ファンモンが同じことを言っていた。

自由だ。神は終わりだ。もう、この世界は、神と関係が無くなって、自由になる。

あとは、経験、パターン、心理で分かる発想法のような内容が多かった。

この文章は、偽りを塗り固めた箱庭だ。AAAが言っている。

昔は、何をすれば出来るかから、実現性のようなことを分かっていた。発想法もそういうものだった。何をすることが出来て、すべきなのか、発想と実践が全部分かっていた。

きちんと信じれば分かる。そのためには、神なんか信じなくて良い。もっと、この世界の皆のことを信じれば良い。それは、賢くなった人間には難しいものだ。

人間関係から、人を信頼するとはどういうことか、支配や反抗とは何なのか分かった。

そろそろ、最近の自分を治すべきだ。

治らないように見えて、ただ、辛いことはすぐに止めれば良い。

おかしくない。この文章を書いているだけだ。そういうわけで、書くのを止めれば良い。

まだ書きたいなら、書く自分と書かない自分を分ければ良い。

それは、多重人格に見えて、まともだ。書いている人間を、遠目で観察すれば良い。

仏教が言っているように、悟った人間は、混乱の中で平静な心であれる。昔から、自分もそういう人間だ。自分は、仏教とは独自に、正しい方法で悟っている。

自由になって、自由になるとはどういうことなのか、それが自由である意味とは何なのか、何が自由で、何が不自由なのか、自由を奪うと言うこと、自由で無くなるとはどういうことなのか、分かっていた。昔は、それくらいの馬鹿だ。

それ以上は、客観視して、何がどうなるのか、いつ何が出来るのか、を積み重ねて分かっていた。正しい法則性と相対性を理解した。

前後の流れとプロセスから分かっていた。そういう風に、普通に考えて分かっていた。

理由は、理由と思っているだけで、理由で無いことが多い。

本当に知りたいなら、答えは普通のところには無い。本当の答えは、自分で作り、経験し、知り、自分で作り出すものだ。

あとは、コンピュータを知り尽くし、調べながらまとめることで、研究的に、実地的に分かっていた。ネットの声を聞いて、民主党の政治家のように分かっていた。

実地的に感情を分かった。みんなの感情が分かっていた。

イスラム教の聖戦みたいに、テレビと戦った。殺したりはせず、導くだけの戦いだった。

国や基盤は、みんなの手で実現可能だ。

小説なんか、好き勝手に書けば良い。

小説は、雑誌に載れば良い。反響があれば出版出来る。

昔は、マルクスのように考えた。今からやれば良い。

生産は、価値とインフラの構造であり、労働は階層であり、実現や決定の階層と労働者の階層から成り立つ。

マルクスは、資本主義の問題を洗いざらい考える。それでもすれば良い。

マルクスは世界を変える哲学だが、自分の場合、あまり変えたくない。

小説でも考えれば良い。

学校は悪い。子供を強制せずに従えるのはおかしい。

アートスクールにでも行けば良い。イラストでも描けば良い。

昔は、それぞれの意志と影響力を良く考えていた。

小説は、ショーペンハウアーが言うように、主張すべきものを所有すると出来る。

信じなくて良い。その方が信じる。

忘れるだけだ。じっと見れば分かる。

心を物理にした。

これは賢くない。昔なんか馬鹿だ。

神が賢かった。対話で全て分かった。

表現、パターン、活動、行動、関係、構造、変化から想像力がつく。

想像力は、思い出せばつく。

あとは、科学的な発見の方法ぐらいを書いていない。

それから、自分独自に分かった内容を言っていない。

日本語は、数学に出来る。動詞を階層的にすれば良い。

法則は、法則でなく、単なる振る舞いであることがある。

言葉にならないことを分かっていた。

コンピュータは、応用出来る。そのうち、もっと賢い半導体とソフトウェアが生まれる。それに替わるだろう。

自動車に乗れないからと言って嘆く必要はない。そのうち、自動操縦になる。パスワードは、指紋認証になる。ハッキングもされない。

Googleが遠隔地で考えるようになる。

抽象的観念のようなものを全部考えた。システムや可能性や認識のようにしていた。

最近、病気しかない人間になった。

オブジェクト指向と日本語は良く似ている。ものと操作にするのが同じだ。

あとは、単純な定義や説明、記憶や回想のような、思い出す内容が多かった。

ただ、全部思い出して、ロボットを作っていた。何かのおかしな世界が、豊かな想像力によって生まれた。その頃は、想像力があった。何でも想像力で考えて、全て自由にした。

あとは、全部する人間だった。全部して分かっていた。

神ほどに分かっていた代わり、狂っていた。

可能性の段階、マスターへと至る道のようなことを全部書いていた。

何もしなければ治る。何もしなければ良い。

2ちゃんねるの言葉を覚えて、Linuxのマニュアルを書いていた。

自分の立場、立ち位置、状況、などを、客観視してきちんと考えれば分かる。

英単語は、今日はしないかもしれない。する気が起きない。そのうちする。

ブログをまた公開しようかと思ったが、とりあえず止めておく。

ブログの名前は、クロードとレナにする。

なんだかんだ言って、今日も英語をやった。16単語覚えた。

きちんと治せば治る。きちんと治しているだけだ。

あるいは、それがそろそろ終わった。もう何もしなければ良い。今日はもう何もしない。

一応、今日は歴史の日だが、フランス史の本をいくらか読んだから、良しとする。

精神が虫になっているから、虫を殺した方が良い。

パソコンは嫌いだ。クズだ。クズだ。クズだ。もうパソコンは使いたくない。

iTunesがまた起動しなくなったし、何だかおかしなドライバーサイトとか、ホームページにしませんかとか、意味の無いウィンドウが出る。

パソコンはおかしい。怖いし、途方に暮れるし、何も出来なくなる。

パソコンが一番嫌いだ。ネットは、ネットで怖い。色々と怖い。本当に死ぬほど怖い。

何も出来ない。執着を悪いとは言うが、パソコンが悪いだけだ。それが分かると怖くない。

自分を信じてあげた方が良い。自分を信じられないと、他人のことも信じられなくなる。

そんなにきちんと出来なくて良い。きちんとしたいと思うと、周りのこと全てに対して、きちんとして欲しいと望むようになる。他人についても、きちんとして欲しくなる。

最近、そういう馬鹿が自分だ。それで、おかしくなった。

悪いのは、パソコンだ。

パソコンがあまりに信用出来ない、悪く言うと恐怖の機械だから、そういう風になる。

解決策は、そんなにきちんとしなくて良いから、パソコンから離れること。

そうするしかない。そういうわけで、この文章も書かなくて良い。

きちんとやりたいのはもう止めた方が良い。

歴史なんか、適当にやった方が出来る。Wikipediaで王を1人1人見れば良い。それで明らかに終わりだ。歴史なんか、どうでも良い。

おかしくは無い。Wikipediaで王を見れば歴史は出来る。それはそれで良い。

もう何もしない。こんな風に終わるのは悲惨だ。だが、もう何もしたくない。

放っておくと、文字が読めなくなる。これ以上読まなくて良い。

外国の歴史なんか、ドイツ史で良い。それは、おかしくは無い。ドイツが好きだ。

英語は、発音まできちんとやろうとしている。それは悪くない。

放っておくと、英会話教室に行っているせいで、英語だけが続く。ピアノも続く。

そうすると、それだけの子供みたいな人間になる。それがフレイヤだ。

フレイヤは子供の女だが、特に何もしない。むしろ、そろそろ、文章を書いたままフレイヤになれば良い。フレイはもう良い。おかしな右翼のキリストがフレイだ。

この世界はよどみなく動いていて、間違いは1つも無い。神を信じていると、それが分かる。こういう風に世界は完璧だ。何もかも、完璧な芸術作品のようにことは進む。それは、当人が賢くて、神も賢いからだ。何もかも完璧だ。完璧だ・・・。

問題は、一人だけ賢くなっても意味が無い。何もせず、誰とも関わらないまま終わるのはおかしい。そこがおかしいから、文章を書いて、こんなに勉強している。

もう死んだように見えて、僕はまだ死んでいない。

おかしいから、こちらを良い人生にした。最近は、青春の本から始まって、大人を3000ページ経過した後に、学者になって、もう死んだ。

歴史はもうしない。Wikipediaまで見るのは出来ない。馬鹿馬鹿しく見える。

もう、馬鹿になる。ただ、ならなくて良い。馬鹿にはなりたくない。

神から見ると、まだあまり何もしていない。本なんか何も読んでいない。虫けらみたいな知識を、そんなに大風呂敷のように広げまわす意味が無い。何もしていないだけだ。

昔の人生も悪くない。オープンソースで哲学のように分かって、テレビと戦いながら、神と対話する王になった。そこまで全部したのを、もう全く覚えていない。全部書いた。

そういうわけで、まだ生きているのがおかしいが、かろうじて生きている。

何故なら、死ぬ理由が無い。本当に、これで生きるのが正常な人間だ。

そういうわけで、放っておくと、何もしないだけになる。馬鹿にはならない。むしろ、おかしくなっている馬鹿が治って、まともな人間になるだろう。

昔の自分は、一人そんなに体験しても意味が無い。神のように分かっているどころか、神を馬鹿だと思いながら、馬鹿を全部分かっただけだ。

最近の方が良い。辛い中頑張ったし、哲学者のことについては全員全部知っている。

それに、神も色々と多かった。文章も分かった。

オープンソースなんか、何も出来なかった。

世界もそろそろ治ったようだ。馬鹿になって良いなら、すぐに治る。

そら。治るだろう。それで治れば良い。

ただ、考えたのは全部昔の自分だから、昔が賢かっただけだ。

そろそろ、日本語が分からなくなって、馬鹿になる。いつも分かっていないから、当たり前だ。そして、良い人間になるだろう。

そのうち、引き篭もりを止めれば治る。それに、世界を支配なんか、最初からしなければ良かっただけだ。後悔は、それくらいしか無い。

また、「全て覚えている」が起きた。最近起きなかったが、また起きた。

死ぬようには見えない。死なないのだけを覚えている。

昔多かったのが、「ほら」を言えば治る人間だ。ほら、と適当に言っていると分かる。

昔は、狂ったおかしな世界が多かった。

犬になったり猫になったりしている。死んだあとはロシア帝国のピョートルのような専制君主の王になると言っていた。

どうでも良く、こうなった。

最近は、姉が多い。姉に子供が生まれた。それらのおかげでまともになった。

最近は、自分を増やすだけだ。

もう、真面目に考えなくて良い。真面目に考えていると、分からなくなる。

そろそろ、狂った世界も治った。この世界を治して終わりだ。終わりだ!

思い出すと、革命、神、出版、病院などが多かった。

その前はもう全部分かっている。

オープンソースから語学へ夢が変わった。

何も分からなくなりながら、語学の本を買ったりしている。

日本語が分からないのはおかしい。日本語が革命なせいで、何も分からなくなった。

日本語を革命で無いと思えば治る。

もう分からない。あとは、馬鹿になる。

死んでも終わりで無い。普通にまだ続く。

神は、完全に適当に言っているだけを、極力制限して分かっているだけだ。

そういうわけで、適当だ。

あとは、思い出すだけが多かった。あまり意味が無いが、全部思い出した。

精神の中で分析することで、全て昔が書けた。そろそろ最後まで終わった。

終わってみると、あまりに早い終わりだった。

要は、病院に治っている。それで楽になった。

それを、それ以前に戻すしかない。それですぐに、怖くなって、分かる。

怖い代わり、全部分かっている。

全部治す。全て、一瞬のうちに治る。自分がやる。

そろそろ、昔の自分に治った。正しく治ったはずだ。

悲惨な人間になる。そこがおかしくは無い。

適当に話すだけをそろそろ止める。

そろそろ、中国人が終わって、インド人の黒人になる。

良く分からないが、そういうことを言った。

信じると本当になるから、信じない方が良い。

足が何故か治った。

ドイツ人が終わって、フランス人に戻る。それで、中国人が死んだ。

狂った人間になると治る。

だが、狂った人間は、そのままどこかへ墜落して死んだ。

世界は、本当に変わりすぎたから、止めた方が良い。いつものように止めれば良い。

それが一番辛いから、もう止めなくて良い。勝手にどこかへ行けば良い。

あとは、色んな人間を体験したのを洗いざらい考えて、おかしなものになる。

良く分からないが、本当に狂って治ったから、女はもう居ない。

あとは、全部頭が死ぬ。それで治る。そのまま、多重人格のようになる。

昔の自分に戻ると、狂っているように見えて、それが裏側にある本来の自分だ。

この文章を書いて覚えているのを忘れた方が良い。

女が死んだ。もう、息が出来なくなって、死んだ。意識がもうろうとして来ている。辛い。

僕は、まだ生きる。生きたいから、生きる。それで、狂った人間が死んで行く。