日記に戻る | 2013年11月の日記に戻る

=2013-11-22=

カントの言う道徳律と経験による認識は、まともな人間になるための条件だと思う。

普通、そういう人間だ。

また、視点を変えれば、ものの見方は変わってくる。

ヘーゲルは、弁証法と知の体得を言いたいようだが、僕も、それは沢山書いた。

それから、知性あるところを全て考えると分かる。

ヘーゲルの言う、主観、客観、絶対の精神は、自分にも多かった。

良く覚えていないが、体得と環境と経験から分かっていた。

分かったことは、忘れた方が分かる。分かってしまえば、忘れた方が良い。

昔は、何でも歴史と思っていた。歴史と構造を知れば、何でも分かると思っていた。

それから、時代や環境を意識や想像力で分かっていた。

環境と世界観の原因と結果から、変化や支配が出来るようになっていた。

あとは、抽象的に手段と方法の「出来る」を積み重ねていた。

モデルになった。

そのまま、正しく支配して、平等にし、解放し、おかしな対話が起きた。

全ては、意味のあることだった。間違いは、何一つ無かった。

「何でも出来る」とはいうが、立場や手段を吸収していただけだ。

図書館や大学を、自分の手で作りたかった。巨大な地球儀を作りたかった。

想像力で考えなさい。変化と理由を考えなさい。それで出来るようになる。

言葉で考えなさい。名前をつけて、構造にして考えなさい。それで全て分かる。

忘れなさい。思い出しなさい。それで、賢くなる。

世界モデルと方法は、人間の側にある。

正しく文章を書いて推論した。定義と証明の説明が多かった。

生まれ変わって赤ちゃんになっている。

血液に老廃物やストレスが溜まっている。

文字が読めるようになった。

だが、楽しいことが何もない。

文章を書く書かないと戦いながら、意味の無い生活をしている。

たまに怖くて辛い。食欲も無くて、食べるのも辛い。

ツリー構造の文章で、すべてのパターンを作った。

人間、生命、国、世界、神、科学、地球を作った。

神と対話し、国家モデルを作り、可能性の自由を書き、支配して戦い、世界と自己を治した。

人間は、信じれば分かる。

色んなことをしたようで、何もせずに分かった。

全ての文章を書いた。

人間は、死ぬと時や見ているものが止まる。だが、そのままで思う。

そのまま、他のものに変わる。ものは光であり、光は考える。

全ては、次元と歴史だ。時と空間だ。

全ては、対象と主体だ。

全ては、色んなものの視点に立って、意識で考えることだ。

僕は、もう全て分かった。満足したから、もう死んでも良い。

光の可能性と能力は大きくて、光は何でも出来る。

人間は、能力を制限して生まれる。思い出して、自己を知る。それが人間だ。

光は、人間の魂を救済する。

光は、本当に自由に望みを叶える。光は、自由で、平等だ。

正しいことは、その正しいという意味においてのみ、正しい。

信念は、本当にその人のためになるもので無いと、その人は不幸になる。

愛とは、正しく考えた、本当の真実だ。

本当の価値は助けであり、本当の勝利は克服だ。

死ぬと分かる人間が多い。光になると分かる。

宣言しても良いことは無いが、望みが叶う。

だが、最近は、もう何も叶わなくなった。これ以上変わらない。叶う意味がない。

環境は、意識と適応であり、想像力と言葉だ。

ものは、原子と観測だ。

時間や歴史は、人間の中にある。

世界に意味なんか、最初から無いのかもしれない。自分も、世界も、ただ悪かっただけだ。

力は、間違いではないが、つまらない信念だ。

自分が変わるのが怖いだけで、やる気がしない。

気力が続かない。波もある。死にたいとも思う。

だが、最近、馬鹿な代わり、元気だ。最近、やる気がある。

価値を判断して、文章を書くのが多い。

そんなに自分を責めても意味がない。自分は悪くない。

誰も何も悪くない。善悪の考え方が違うだけだ。

悪いものは悪い。そう思うのも自由だ。

だが、自由は悪い。

身の回りにあるものは、関係と背景知識があり、特徴と価値がある。

自由は、正しい目的だが、平等は、最高の目的だ。

ハイデッガーは、存在と人間を関係しているものとして、世界と世界の関わり合いを言いたいような気がする。

ただ、世界観や環境、意識と言う言葉で、僕も同じことを言いたかった。

環境と環境の関係性、世界観と世界観の関係性で、世界と世界の関係と吸収が分かる。

テレビと家庭、職場と学校、交通や店などは、世界と世界が関係している。

足は、腐っている。生き返れば、治る。

ヤスパースは一番良く分かる。

超越や包括者の声を聞きながら、状況と自分の立場を知り、本来の自己に立ち返るのが、昔僕もそうだった。

子供は、自分の置かれている立場を知らなければ、分からない。

自己を反省することも必要だ。生きていくためには、懸命に真剣に考える必要がある。