日記に戻る | 2013年11月の日記に戻る

=2013-11-04=

僕は、信じるように書く。信じると、分かる。

僕は、精神分析を止める。

精神分析を止めると、昔の自分が分かる。

昔の僕は、自由なまま世界を変えるという理想があった。

昔の僕は、自由な経験で、人を悟らせていた。

環境から発想し、望むだろうことを叶える。

状態と時代を信じて分かっていた。

昔の僕は、社会の改善方法、解決策、実現可能性を考えた。

昔の僕は、コンピュータやシステム、地域や社会の多様性を信じていた。

昔の僕は、習得や原因と結果、構造の本質を考えた。

そして、最近の僕は、それを思い出して、文章にしていた。

そろそろ、もうすべて書いた。もう、終わりにする。

やることがないから、まだ書いている。

昔の僕は、世界に論理を適用して分かっていた。

昔の僕は、価値観とアイデンティティ、独自性を信じていた。

昔の僕は、可能性と共有を信じていた。

昔の僕は、色んな体験をしながら、ネットを見ていた。

昔の僕は、経験と理性を積み重ねて、モデルと構造を信じていた。

最近の僕は、正しく考えて、書いて発想していた。

最近の僕は、世界を導いて、科学を作っていた。

最近の僕は、世界観を、本質や抽象化などの言葉で、全て分かって、書いていた。

社会の改善方法とは、参加と意見、環境への適応だ。

発想とは、実現するために必要な全ての前提を理解し、適用し、実現することだ。

科学とは、当たり前のことから発想し、説明し、気づくことだ。

支配とは、世界を導いて、分からせ、信じることで変えることだ。

振り返って、思い出して、照らし合わせて、環境から考えることで、発想が豊かになる。

そして、実現出来る発想をする。

構造を書いて、自由を成り立たせ、色んな事が出来る自由な国を作ることが出来る。

昔の僕は、言葉による証明と、方法の積み重ねで、理解して分かった。

最近の僕は、文章を書くだけだが、科学を作ったり、戦ったり、神を信じたりする。

この文章は、主観過ぎるのに、客観過ぎる。

もっと、自分の視点を、自分の言葉で、きちんと見た方が良い。

そろそろ、もう足の精神が治って、楽になった。

対話は、意味をきちんと言わず、打ち消すだけを言っている。

対話は、全てを一行にし、最後と最初を同じにし、永遠に繰り返す。

考え方は、地球と人間の歴史から分かれば分かる。

地球と人間は、戦いと愛から生まれた。

生命は遺伝子と進化から生まれ、地球として水と海から生まれた。

人間は、秩序を持ち、認識と考え方を持ち、国を作り、ものを分配した。

世界は、人間の認識と考え方の共存だ。

宇宙は、エネルギーと法則による秩序と、全ての存在だ。

そのまま、人生を思い出して、色んなことを書いていた。

存在は、愛と正しさの中で、己の自由を探し、勝利するまで永遠に戦う。

愛とは、永遠の中で、自らを超えるために、自らの理想をさらに高めることだ。

人間は、自由と平等と愛の中で、存在と共存を知る。

その上で、システムと可能性、努力と達成を作り出す。

そのままで、世界を作り、秩序を作り、必要なものを与え、教え、助ける。

また、愛と真実の中で、発想し、発見し、実現する。

システムとは、存在を高めるための方法と可能性だ。

共有とは、それぞれの世界をそれぞれの理想に保ちながら、分け合うことだ。

多様性とは、自由な中で、方法を与え、自然に世界を作り、システムを作ることだ。

方法とは、実現するための全ての前提と考え方と理由だ。

環境とは、記憶と人格と認識における、全ての基盤だ。

拡張とシステムは、プラットフォームとして、世界の全てを支配しながら、皆の手でルールを決め、自由に機能を向上する。

愛とは、人を助けながら、人に教え、許し、本当の望みを叶えることだ。

参加と意見は、人に記憶と認識による拡張を与え、全てをより多く、大きくする。

神は、永遠の試練から、全ての解放まで、あらゆる全ての体験と理解を与える。

全ては、運命と愛だ。

全ては、記憶と進歩だ。

全ては、正しさと発見だ。

全ては、信じることと疑うことだ。

それくらいで、いつもの文章は終わりだ。

あとは、いくらか考え方を書いて、オープンソースのような知恵を書いていた。

機械は、手順と原理による、発想と機能の実現だ。

意見と発想と方法の集積と共有によって、合理的かつ無限に情報が発展する。

宇宙は、光とものと法則であり、愛と方法である。

考え方は、手順の実現と積み重ねだ。

社会とは、生産の手段とシステムと実現を成り立たせながら、自由にし、自然にし、平等にし、平和にし、まともにすることだ。

支配は、トップダウンとボトムアップであり、自由と平等であり、独立と一体だ。

秩序を作るために、警察と軍隊と官僚が必要だ。

生きるために、農業と工業が必要だ。

皆の国にするために、憲法と法律が必要だ。

あとは、正しい国にするために、金か、理論か、宗教か、支配者が必要だ。

また、支配と判断を行うために、王か、内閣か、国会か、大臣が必要だ。

そして、国民のために、景気、雇用、社会保障、福祉が必要だ。

出来るだけ、国民主権の国にするべきだ。そのために、金と選挙が必要だ。

それくらいで、終わりだ。あとは、書いていない。

独立と共有ぐらいを知性で考えていた。

自由な世界では、独立と影響力と自然な変化によって、社会が発展する。

そこでは、共有と所有、多様性と統一によって、世界が進歩する。

また、自由な競争と標準化、組織による決定と民衆の自由によって、世界が決まる。

決定の中で、それぞれが立場と取り組みを持ち、時間と空間と環境を共有する。

世界は、自由であると同時に、平和であるために、自由を制限することも出来る。

それは、支配者が行うべきだ。

あとは、そのまま、共同体や地方自治、組織の自由化や、監視社会などを考えていた。