正しさとは何か?
何を持って正しく、何を持って間違いか?
出来る、とは何か?
分かる、とは何か?
自由、とは何か?
不自由、とは何か?
その知は、何を持って正しいのだろう?
そして、その世界には、何があり、どれだけの基準で、それが出来るだろう?
本当に自由にするためには、どうすればいいだろう?
論理的に考えて、どうすればその条件を実現できるだろう?
考え方としては、その世界における意味と条件を考えるべきだ。
そのものがそこで生まれるとき、どうしてそれは生まれるのだろう?
そのことがそこで起きるとき、どうしてそれは起きるのだろう?
逆に、それが恒常的に生まれるためには、どうすればいいのだろう?
あるいは、それを起こさないためには、どうすればいいのだろう?
そこにある「意味」とは、何だろう?
そこには、どれだけの意味と、現実と、事実があるのだろう?
そこでは、何を把握すれば良いのだろう?
そして、それは、何から構成されているのだろう?
世界的に見て、それは何を意味するのだろう?
実現性と可能性が全てだ。
その中で、それぞれの人間が、そのものに対する、何を実現しているのだろう?
また、それを実現するために、どれだけの人間が必要だろうか?
例えば、発明と生産は違う。そして、売買と消費は関係しているのだ。
比較して、捉えると分かる。
スクリプト言語とJavaの違いは何か?
コンパイル時の決定と、動作時の決定の違いは何か?
ジェネリックでない型と、ジェネリックな型の違いは何か?
IDEで使用する際に、何がどうなるか?
そのように考えれば良い。
何を持って自由であり、何を持って不自由だろうか?
何が善であり、何が悪であるか?
それは、誰が発明したのか?
それは、誰が生産したのか?
それは、誰が設計したのか?
それは、誰が作ったのか?
それは、なぜ動くのか?
それは、なぜ壊れるのか?
それは、どの条件で動くか?
それは、どの条件で壊れるか?
人は、なぜ幸福を感じるのか?
人は、なぜ不幸を感じるのか?
人は、なぜ感謝や感動を感じるのか?
人は、なぜ恐怖や痛みを感じるのか?
安心とは何か?
幸福とは何か?
辛さとは何か?
楽しさとは何か?
それは、何のためにあるのか?
それがあることは、何を意味しているのか?
それは、何を教えるか?
それは、何を助けるか?
それは、何を陥れるか?
それは、何と戦っているか?
勝者と敗者はどちらか?
自分は、どちらにつくか?
構成要素を把握し、自由に考える、考え方というものがある。
それは、何で出来ているか?
それは、なぜそのようになっているのか?
それは、どうすれば作れるか?
それは、どのような仕組みで動いているか?
それは、皆は何を知っていて、誰に聞けば分かるか?
それは、情報として、何を知ることが出来るか?
知れば、自由になる。
目線と環境を知ることで、人は視野が高まる。
思い出し、悟ることで、人は意識が高まる。
そして、人に教え、実現することで、人は自由を与えることが出来る。
認識と楽しさと創造性の共有は、全てを知る源泉である。
しかし、時に自由は、狂う。
ネットの自由によって、世界は馬鹿になった。
問題は、正しい世界である。
正しい世界では、人は安らぎと楽を感じることが出来る。
バランスを取ろう。
自由な世界では、正しい考え方と文章によって、全てを知る。
愛情と豊かさのある世界では、人は全て、出来る。
自由とは、世界の全員を王にすることだ。
自由とは、頂点を与えることだ。
自由とは、全員を包括し、理解する受容だ。
自由とは、楽しさと楽だ。
世界の経済モデルを自由にし、ライブラリ関数やタイムラインの共有とすることで、世界は自由で独自性のある発想で進歩する。
しかし、それは、時に間違っている。
統治をしない、戦いの世界やおかしな世界から、普通の世界を守ることが、自由だ。
全員を自由に統一しても良い。
発明は、想像力で考えながら、対象を検討し、
前提と条件から、その条件を成り立たせることを、研究することだ。
創造は、表現と発想だ。
発想は、全ての理由と、それによる結果を知ることだ。
労働は、単純作業と設計だ。
世界は、労働を楽にすることを目指すべきだ。
しかし、日本が成功したのは、製品をパクりながら、皆が働いたからだ。
一度発展するために、強制労働を行い、あとで楽となる、という理想もある。
自由な世界では、人はそれぞれが自由だ。
その自由をなるべく維持したまま、1つ1つの生産世界を実現しても良い。
安心と安全、賢さと自由のある世界が理想だ。
賢さは、知識と世界観だ。
賢さは、記憶と学習だ。
世界は、1つ1つ見ていくと、生きるために必要なものと、楽を出来るもの、出来ないことを可能にするもの、娯楽が存在する。
小説は、夢と冒険だ。夢を書きなさい。
音楽は、楽しさであり、絵画は、美しさだ。
バッハが一番美しい。
認識を考えて、理解を積み重ねることで、全てが分かる。
世界を良く見ても良いが、自分を治すのも良い。
良く考えなさい。
精神は、学習し、良く分かるだけだ。
世界は、組織とシステムと手段だ。
世界は、生産と消費だ。
具体的な分かると出来る、分かって出来るを考えた。
実現とは、手段だ。
手段とは、論理的な前提だ。
あらゆるプロセスを共有し、道具と材料を与えることで、全てが実現できる。
パソコンでは、材料や道具が必要ないため、ネットで簡単に共有できる。
世界を変えるためには、ビジョンのある首相を皆で選ばなければならない。
そのためには、演説と投票が必要だ。
世界は金だ。金があれば、会社の買収など、何でも出来る。
試験は難しいが、やることは単純だ。覚えて、分かれば良い。
仕組みを知り、可能性を考えて、設計と実装を行うのが、開発だ。
子供のように、何かを体で覚えて出来ることは多い。
言葉にすれば良く分かる。
方法と世界観と論理は、積み重ねて、まともにあるものの意味を考えれば分かる。
経験は、自由から生まれる。
会社や教育、パソコンから自由になるべきだ。
単純な発想を積み重ねれば分かる。
検索と編集、共有がネットだ。
人間は、キモくていいと分かる。
外国など、海外旅行以上分からない。日本と日本語の方が良い。
基礎が出来れば、応用が出来る。
積み重ねると同時に、掘り下げること、覚えると同時に、世界を考えることだ。
基礎を自分で作ってしまえばいい。
論理を作って、想像力と感情で考え、世界を把握すれば良い。
愛情を求めるならば、自分から愛することだ。
解放とは、愛や自由を否定することだ。
間違った愛や自由が、一番悪い。
教育や金を否定することも出来る。
戦いや議論を否定することも出来る。
その上で、知や考え方を適当に色んな事から知れば良い。
知を否定しても良い。
認識を覚えて、文章を読み、知を思い出しながら、その世界の常識を知れば出来る。
思い出して振り返るのも良いが、自分でやって覚え、人と会話して覚えることだ。
そして、覚えて、経験的に世界を考えれば、世界の隅から隅まで分かる。
実体験は、自由と不自由の間で、全てを悟る。
プログラミングは、しかし難しい。
知性と思考力と発想を表現する力が無ければ、出来ない。
考え方と発想法、記憶と知識が全てだ。
想像力が知の全てであり、認識と言葉が思考の全てだ。
自由とは、愛情を知ることだ。
愛は、海だ。
記憶は、世界だ。
精神は、判断だ。
理性は、意識だ。
全てを出来るようにする考え方とは、能力と環境の変化と改善だ。
その上で、治癒と継続を頑張る力で、あらゆる全てを超えられる。
文字による表現と、コミュニケーションによる協力は、人間を成長させる。
人間は、何かを受け入れると同時に、何かを拒絶する生き物だ。
関連付けと判断によって、正しい知を幾らでも作ることが出来る。
人を支配し、戦うことは、己を滅ぼす。
滅びた人間は、全てを忘れ、新しい自分を作り直すことで治る。
自由とは、言葉と記憶と想像力だ。
Microsoftの賢い点は、家で何でも出来るようになった。
普通、オープンソースは、責任を持たないが、責任だけで儲かっているのが、Red Hatだ。
自分が死ねば治る。
説明すれば分かる。名前だけしか分かっていないものは、きちんと考えれば分かる。
例えば、ふとんは布だ。どんな布かというと、寝るときに使う、寒さを防ぐための布だ。
自分ばかり分かっても意味がない。自分以外を分かったほうが良い。
そうすると、知って考えなければ、分からない。
例えば、ペットボトルは、飲料などの液体を入れるための容器だ。
例えば、GCCは、GNUの作ったコンパイラだ。
そのように説明して分かれば良い。
恐怖の原因は、2ちゃんねるだ。
2ちゃんねるを殺せば、全て治る。
2ちゃんねるが怖いだけで、怖い。
EmacsをWebアプリで動かす、Emacs-webを開発したい。
JavaやPHPで作れるだろうか?