僕の中で戦いが永遠に続く理由は、戦っていた方が普通だし、それが永遠に続くならば楽に出来るからだ。
僕の文章は、説明せず、思考のように、分かったことを自分だけに分かる形で単純に言っている。
説明すれば、他の人も分かる。分かるように書かないから、馬鹿になる。
まず、ユダヤのようなものを自分から殺すと、僕は楽になった。イスラムや悪魔を殺せば楽になる。
そして、人間は、最初は馬鹿から分かるしかないから、馬鹿をして、それを馬鹿と思えば分かる。
そして、客観視を単純に行いながら、決めるのは、簡単に分かるが、辛い。
それから、昔の僕は、皆を同じだと考える。同じ脳を持っているはずだと考えれば良い。
そして、根本的な原因と理由を考える。悪いものが悪い理由、社会が悪い理由、人間がそれをする理由を、根本的に考える。
そして、それを自由が無いせいだと思った。
そして、自然、感情、自由、体験から、自由に経験しなければ何も分からない、一度自由になって反省しなければ分からないと考えた。
何故なら、一度自分が自由な環境になり、情報にフルアクセス出来るようになったからだ。
そして、全て考えた。哲学的に考えて、場合と場合を抽象的に照らし合わせて把握して、原因を突き止めた。
それから、全て見て、全てして、全て読んで、全て体験した。
何でもすぐに分かるようになって、世界を知った。
それから、世界に対して戦い、全て言葉にして分かった。
永遠に分かり、永遠に戦う人間になった。
それは、人を悟らせる、分からせる文章を書く。
一番よかったのは、LinuxとWikiだ。
コンピュータの仕組みは、Gentoo LinuxとLFS、とくにCoreutilsから理解して、仕組みをWikiに書いて分かった。
何も分からないのに、考えて分かっている。
戦いは、世界との対話だった。
世界にあらゆる全てを教えながら、支配する。
なぜか、色んな事が分かった。
何故なら、分かっている過去の自分を思い出しながら、知を減らし、説明し、意味や理由を1つに決めるからであり、
同時に、沢山の分かったことを全て書いて残すからだ。
あとは、恐怖を治す、だとか、脳のおかしな部分を治す、だとか、「治すを分かる」が多かった。
書いている文章は自由と自分であり、分かっている現実の自分は世界への宣言である。
24時間戦うようになって、辛くなった。
あまりに辛く治る。
知識とは何だろうか?おそらく、自分の最初からある疑問を減らしながら、自分をさらに決めて増やすことだ。
僕が文章を書いて、自分で分からないのは、説明せず終わらせるように書いているのが悪い。
世界は、原子と重力の集まりである。
ただ、もう1つの答えとして、分かったことは、自分だけ分かればいい。皆に分かるようにする必要が無い。
地獄が多かったし、神は全部正しい。神は、あまりに自分を辛くする。全員と戦って、1人1人勝つ、をやった。
世界観を全部書いて、全て表現と説明で、文章だけで分かっている。文章の方が、現実の自分より多い。
辛いのに、本気で頑張るから、あまりに治る。ただ、死ぬほど辛い。
自分だけ全て分かるのは、一度全部考えた昔の思い出を捨てて、あったものや世界にあることを全部書くからだ。
何も出来なくなったが、賢いことが分かるようになった。
それぞれの世界にある、さまざまな科学と論理を、それぞれ違う独自の考え方で、正しく把握しながら、切り込んで分かる。
そして、開拓し続け、新しいこと、まだ分かっていないことを、1つ1つ分かって、簡単に考えて分かる。
そして、知性を減らすと同時に、判断と説明で知性をつけることで、あらゆる文章と論理を作った。
自分だけ分かるならば、何でも書けるのは当たり前だ。
既に分かっていて、全部思い出すならば、分かるのは当たり前だ。
知性は減ったし、意識も少なくなったが、それで考えて分かる。
地獄とはいうが、ただ、何もしていないだけだ。
正しい理由とは何だろう?数式による推論か、言葉による実証か、他人と自分の発想と理解か?
それは、おそらく、理解したことを全て使って、全部考えることだ。
自由とは、自然な積み重ねであり、目線であり、環境と能力であり、理解と集積である。
自分は、そろそろもう自分は分かった。
むしろ、色んな言葉を考えた方が良い。
それから、科学や大学は要らない。
それらは、消した方が良い。
馬鹿をしない方が良い。
赤ん坊は、普通馬鹿をすれば、死ぬ。
馬鹿が一番悪い。馬鹿をすると、馬鹿になる。
神とは、全て分かった自分を神と思って、宣言しながら戦い、自分と対話するだけだ。
なぜか、自分の脳との対話をしている。
人間は、見ているだけで治る。