日記に戻る | 2014年8月の日記に戻る

=2014-08-25=

それぞれの人間が、していること、出来ることを考えた。

人間は、良いことをすれば良い精神、悪いことをすれば悪い精神になる。

良い精神では、良い状態を体験し、その後に、次の精神を体験する。

悪い精神では、辛いことを体験し、良い精神に戻る。

辛い体験の中では、己が望んだ通りの死が起きる。

良い状態の間、人間は、死を体験することなく、平和な状態を体験する。

通常、良い状態では、どんどん次の状態を体験するが、死の中では、それが体験出来なくなる。

本当は、もっと、賢く分かったが、覚えていない。夢の中だった。

良いことをして、良いことを考えれば、楽になる。

習得と分析で、人は出来るようになる。知恵と経験で、人は分かるようになる。

社会を良くすれば良い。

共同体の意識と良心で、人は賢くなる。

思い出して世界観のようなことを書いていた。

表現と助け合いと組織の改革が全てだ。

発明の共有とコンピュータが全てだ。

そういうことを言って、分析していた。

伝統と新規性とか、自由と平等とか、平和とか、集積とか、色々と考えていた。

これでもう、書くのは止める。

本当にその人間の視点に立てば分かる。現実と思考をトレースして分かる。

抽象的に、自由自在に、経験的に、感情と想像力で、厳密に、人間を積み重ねて分かった。

当たり前に、科学的に考えた。

怖いだけで治る。怖いのは、悪くない。

あとは、歴史的に過去の時代を意識で分かっていた。

それぐらいだ。

科学を作っていた。

照らし合わせて分かった。

心で世界を支配した。

対話の神を信じた。

馬鹿の方が賢いから、馬鹿になる。

角度と視点を変えて、多角的に考え、視覚化すれば分かる。

永遠を生きた。

もう何もない。皆が死ぬなら、自分も死ぬだろう。

抽象的な概念と方法を考えた。

具体例が多かった。

その場所で何を考えるか、意識するか、想定して考えて分かった。

一つ一つの大切な知を、捉えて、残して分かった。

もう終わったと結論付けたり、決めつけてレッテルを貼ったりするのは、まだ早い。

認識の推論と実験をして分かった。

パソコンは、終了を遅くして、起動を早くすべきだ。