そろそろ、最後まで分かった。
悲しいのが悪い。反抗するのが悪い。悪役を演じるのが悪い。
止まると、分かる。だが、狂う。
最近の感情は、書いて作った。
昔の感情の方が良い。
昔は、良くて、賢い。
最近は、悪くて、馬鹿だ。
昔の感情になると、直ぐに分かった。
昔の文章は、システムを全部書いて、自由と法則にしている。
環境は、自由と愛の中での、創造性の共有、構築、変化だ。
組織は、多様な環境の中での、取り組みと、それによる価値の創造だ。
そして、皆を自由にしたいだけだ。
自由なシステムによって、世界は愛と希望と発見の溢れた世界になる。
自由は、組織を変え、表現を作り、理解を高める。
自由は、体験と適応だ。
あるものを全部言っていた。
時計は、宇宙の法則だ。
扇風機やアンテナは、物理による工夫の創造だ。
それで終わりだ。
賢くなったから、もう良い。
それで良い。あとは、全部同じだ。
環境は、相対的な目線と場、可能性と構造の中での、変化と継続だ。
自由とは、愛情と信頼の中で、勇気と絆を培うことだ。
優しさ、楽しさ、賢さ、正しさ、楽、が自由だ。
原則として、法則と愛が、世界を司る。
愛と情熱は、理解と勇敢な戦いに変わり、継続的な努力になる。
考えて全て分かるのも良いが、一度理解して、全てを1つ1つ分かるのも良い。
環境活動と多様性を尊重した共有が、創造性と独自のシステムの改良に変わる。
皆を信じる気持ちが、皆を高め、支配と平等によって、世界を発展させる。
システムを作るべきだ。
間違った思想と自由の無い悪には、対抗するべきだ。
平和な方が良い。
本当に、楽しいことを継続して続けるのが良い。
想像力で想定するのは、つまらない。
思考や言葉のスケッチをした方が、楽しい。
何も考えないのは、ある意味、楽だ。
何も考えず、思考のスケッチを書くのが、一番楽だ。
思い出せ。全て思い出して、継続して思い出し、書きながら思い出せ。
想像力で思い出すのは、間違っている。
自分の理解を思い出すのは、戦いの中であった。
自由とは、皆を尊重する愛と信頼の気持ちだった。
だが、同時に、自由とは、自分の暗部を見せずに、正しい戦いを作る、理解の情熱だった。
愛とは、自由の名の下に積み重ねた、全ての法則とシステムだ。
全ては、存在価値を認め、時代を変え、言葉にしながら、正しく考え、網羅することだ。
皆が好きだ。
信頼があり、反抗の無い、正しい世界が好きだ。
変化と停止は、バランス良く行うべきだ。
愛とは、自分の全てを与えると同時に、他の全てを吸収することだ。
だが、自分独りの力で、全てを分かることは、可能だ。
いつか、感情で全て分かる。
そのための努力として、無駄なものは、無い。
環境は、予測し、体験し、構造化し、関係性を考えることで分かる。
自由とは、愛と構造化の中で、理解と創造性を構築し、積み重ねることだ。
研究とは、疑いながら信じ、書きながら発想し、システムを作り、バランスを取りながらまとめることだ。
そのように、具体的な複数の言葉で法則のようなものを作っていた。
もう終わった。もうすぐに、頭が死ぬ。
世界は、この文章で無しに変われば良い。
栄えるか、滅びるかは、分からない。
この文章以外の、現実世界で変われば良い。
皆がそれぞれ、自然に変えるのが良いと思う。
そして、黙って、安心すれば良い。
永遠に同じ、ぐらいが無い。
安心して、永遠に同じで、もう良くなる。
昔の自分を、繰り返し書いていた。
まず、ゲームをしていた。
そして、ネットで議論し、客観視していた。
社会の常識を知った。
環境を変えたくなった。
モデルにして、人間を積み重ねた。
Linuxに関係して、色んな事をした。
自由を積み重ねて、参加と意見に落ち着いた。
頭の中は、もう全部書いた通りだ。
それを、全部にしただけだ。
可能性を広げて、Linux以外に、哲学や執筆へと広げていた。
あとは、世界観や考え方を全部書いていた。
経済と生態系とか、ものと光とか、そういうことを言っていた。
文章は、上から下まで、最後から最初まで、全部書く。
2ちゃんねるとLinuxを忘れて、自由から人生を全て書く。
人生にあった、皆に必要なもの、全部を書きたかった。
同時に、発見して、科学を書いていた。
少ないから全部書けた。
助言し、戦っていた。
海に行って、旅館に泊まった、遺伝子や地球が丸いのが分かった、地球儀を思いついた、とか、月の光の反射が物理だとか、京都大学を見学したとか、人生を書いていた。
あとは、この文章の通り、基礎を作ったり、自由や考え方を書いていた。
環境が分かったとか、感情の原因と結果とか、モデルやメタ的とか、言語の順番とか、考えたことを書いていた。
最近は、安心して黙れないから、永遠に喋っている。
宣言して、助言していたのが、神になって、世界の支配者となった。
世界を治したかった。希望を取り戻して、自分の支配から解放したかった。
そして、自分を治したかった。
時計の機械になって、意識がおかしくなったなどを治したかった。
あとは、適当に論理を作っていた。
場と目線とか、組織化する自由とか、自然科学とか、そういうことを言っていた。
また、知性が無かった。
知性が何もつかなかった。
そこが、絶望的だった。
おかしい点が多かった。
自分をもう一度するために、自分を馬鹿に戻している。
治る体験をするために、自分を馬鹿にして、記録して、脳を全部分かっている。
そういうものが悪い。
意識を減らし、繰り返しにして、何も出来なくなった。
そのまま、数字を信じたり、心の声や神を信じたりしていた。
そこら辺の自分は馬鹿だ。狂っている。
すぐに、治りたくなって、何をしても治らなくなった。
辛かった。そういう自分が、一番嫌いだ。
あとは、不登校になったばかりの、狂っている引きこもりが悪い。
パソコンだけになって、ネットしかしない。
何も喋らない。風呂に入らないし、時間通り寝ない。
だが、誰も見ていない。
あれは、ネットで賢くなった。
Linuxと実体験と抽象的なモデルで、分かった。
そこら辺の自分は、良い。
むしろ、悪い。あれは、世界を自由にしたと思って、狂っている。
一番悪い。昔の僕は、馬鹿だった。
そして、そのまま、状態をおかしくして、世界に革命した、馬鹿が悪魔だ。
その後に、神と話しながら、文章を書いて、世界を治す、指導者が僕だ。
それが僕に見える。
最近の、治すだけの、文章を書くが続く、作家の僕が、正しい僕だ。