馬鹿が賢いわけがない。
馬鹿が賢いことをやっていると、馬鹿になる。
馬鹿は馬鹿で良い。
想像力をつければ良い。
想像力をつければ、すぐに出来るようになって、賢くなる。
昔は、想像力で出来るようになっただけだ。
最近は、想像力で世界の出来ると自由を考えただけだ。
そして、想像力をつければ、証明や予測も出来て、数学も出来る。
昔は、想像力で出来るを積み重ねた。
最近、想像力が無いのは、最近は、言葉にするだけで分かったからだ。
想像力で思い出し、予想すれば良い。それで、賢くなる。
同じと違うを考えれば分かる。
特性や条件を考えて、意味を積み重ねれば、僕の昔のようになる。
そして、思い出して、認識を捉えて考えれば、最近の昔のようになる。
経験や感情、「皆同じ」から考えることも出来る。
また、組織の実現性として、教育を自由にするとか、出来ることを発想して考えても良い。
最近は、幾らでも増やして、幾らでも減らしただけだ。
書けば、違う人間になる。皆、書かない人間は、同じだ。
問題の解決方法でも考えれば分かる。
具体的な違いを考えれば分かる。
色んなパターン、色んな現象、色んな感情、色んな環境、色んな表現を分かれば良い。
人間や世界が分かる。
細かな差異に注目すれば、賢くなる。
だが、それくらいでもう終わりだ。
やることがない。もっと違うことを、想像力でやれば良い。
方法と経緯、つまり、歴史と作り方でも分かれば、分かる。
あとは、原理や分類、考え方でも分かれば良い。
構造と関係がある。
正しいもの、望みを叶えるもの、可能性の豊かなものが、賢い。
あとは、世界にあるものを、普通に考えれば分かる。
社会は、基盤を変え、必要なところを最低限変えるのも良い。
だが、全て作って、自分だけで全てにするのも良い。
科学は、予測可能なものを作るのも良い。
だが、当たり前のことを全部書いて、説明から分かるのも良い。
最近の昔は、狂っていたのが多かった。
文章を書くのがおかしい。
問題は、皆を敵だと思っている。
皆が味方なのが分かっていない。
自分の支配や戦いによって、復讐されると思っていた。
ただ、馬鹿を幾らでも作ったのが良かった。
それで、出来るようになった。
だが、あれは馬鹿だ。
文章を書いて、馬鹿になるから、何も分からない右翼になった。
ただ、おかしな点が多い。
教える意味がないほど、自分を教える。
自分にならなければ、皆が自分の意味が分からないと思っている。
あとは、おかしい。
記録しても、誰も自分なんか分からない。
世界を、もうすでに滅びたと思っている。
皆の中に皆が居るのが終わって、皆もう居なくなったと思っていた。
ただ、狂っているのは、忘れてしまえば終わりだ。
日本も、色んな音楽も、怖いのが治って、最近好きになった。
狂っているのに分かっているから、分かるだけ、狂う。
何も分からなくなった。馬鹿だから狂っている。
想像力は、あった方が良いが、無い方が良い。
宣言や命令は、神の言葉に変わった。
神が自分をこらしめるようになった。
忘れながら、神と戦っていた。
自分は、王になっていた。
王をやりたいがために、狂っているのだろう。
狂ったものや、狂うのが、怖くなった。
歩き回るのや、恐怖を治したかった。
終わるまで、永遠に待って、休まるまで、永遠に何もしなかった。
事故をすると治った。ただ、一度死んだだけで、治る。
精神を治したくなった。
精神を治せば、治るかもしれない。
想像力がつくと、おそらく思い出せる。
ただ、ソ連やナチが一番悪いだけで、こうなる。
あとは、いつも段階を書いていた。
想像力から、原因と結果になる。どうすればどうなるか。
そして、それが、手段と目的になる。どうすればどう出来るか。
それが、モデルとなって、環境となった。
いかにして、その環境を作り出すか。
それが、個人と集団となり、モデルとなり、社会全体に広がった。
また、認識や感情を分かった。
それで、終わりだ。あとは、沢山の色んな構造と段階を作っただけだ。
人生が終わって、全部分かった。
あとは、終わらないのに終わる文章を書く。
終わるのを目指して、途中で終わって、最後までは書かない。
それを、四行の詩のように、世界への意見として、書いていただけだ。
ただの普通の方が良い。
ただの普通の思うことを言って、世界に有る普通のことを網羅すれば良い。
それで、普通が分かった。
最近は、出版した普通の本の経験と、雑多な普通のことを書いてある随筆のこの文章で、普通が分かった。
本当のことを言うと、最近は、意味がない。
英語に通っているが、自分の英語の日本語が出来たために、あまり本当の英語を覚える意味がない。
また、ピアノは、もうすでに出来る。それ以上する意味も無い。
それに、僕のような文系が、高校数学をやる意味がない。
それから、受験は出来ない。農作業は、たまに行くと面白いが、あまり意味がない。
自由とは、経験、発想、環境、構造だ。
そのように多かった。
もうそろそろ、文章は書かない方が良いかもしれない。
こんな文章を書いても、意味がないだけだ。
昔は、変化可能な世界を信じて、積み重ねていただけだ。
経験から分かった。
自分が何か出来ると思っていた。
最近は、自分の書いたツリー構造の文章を信じて、話していただけだ。
神は、自分の書いた文章で、自分だ。
神など、どこにもいない。
皆、大らかな気持ちを持って、皆を味方だと思えば良い。
それから、何も分からないなら、見たものになれば良い。