書いて読まないのがおかしいので、書いて読むようにします。
きちんと正しく分かるように、納得して書けば、日本語になります。
成長すれば治る。子供が治って、分かるようになって、賢くなる。
認識で分かるのが悪い。認識だけで、捉えて全て分かるのを、永遠にする意味がない。
あとは、自分で全て決まる。自分が馬鹿だから、皆が馬鹿に見える。
あとは、昔の文章は、自由と思うものを、全部書いていただけです。
自由を思い出して書いていた。
世界観だった。
自由と言うよりは、むしろ、平等だった。
自由と平等みたいなことを考えれば、分かります。
共同体やベンチャー、機械を作る会社や経験、多様性や共有、認識、システムや分かり方を書いていました。
発想は、ネットに書くように、独自の発想をしていました。
品質保証、免許制、初期投資、計画経済、百科事典とレポートによる学校、新しい日本語を作っていた。
そして、自由は、むしろ革命だった。
皆に全てを教え、変え、発展させるために、自分の心理を使って、皆を操って、治していました。
書きながら精神分析をして、状態を知りながら、変えて、新しい人格を作りました。
それは、自分の過去や、前世、世界史、神を辿って、全てを記録して、脳の全てを分かりました。
また、それは、永遠だった。
永遠の三段論法(後日注記:弁証法の間違い)と判断が、心を一瞬にして、瞬時に全てを分かり、想像力が見えるようになった。
それは、治すためで、科学を作るためで、発想を知るためだった。
発想と基礎を消せば、全て治ります。
自由とは、会話と慈悲の経験だった。
自由とは、世界観と思考力による知性だった。
自由とは、狂いの中で、一番頑張ることだった。
自由とは、文章の中で、推論しながら導く、永遠を作ることだった。
このように書くと、思考と会話に分かれて、正しい日本語による思考になります。
敬語が正しい日本語でした。
ユダヤとは、何だったのか?
正しく科学的に考える人間が、自由と戦いの経験を積めば、それは自然な人間になる。
しかし、それが狂い、宗教と異世界になる中で、自分を治す神を生み出す。
それが、ユダヤだ。
ユダヤは、自ら戦って、自分の国をもっと正しい国にする。
だが、それは、滅ぼすだけだ。
ただ、そういう、神になっているだけが、ユダヤ人だ。
いつも、書くと、辛い。
しかし、書くと、もっと良い何か新しいことが分かります。
今日分かった内容は、日本語です。
もっと思ったことを分かれば良い。
こんな風にして、何か分かるわけがないよ。
ただ、辛いだけだ。
だけど、いつも、何もすることが無くなって、何かする楽に治る。
その上で、やることはいつも、文章を書くことだ。
もう、書きたくないのに、楽になると、すぐに書いてしまう。
辛いだけなのに、いつも書く。それで成り立っている。
そういう脳や感情になって、あまりに辛くなっただけだよ。
神は、そろそろもう止めるのが良いと思う。
神は、絶対に止めます。
考え方って、何だったんだろう?
平等から、考え方が分かると言う。
昔は、普遍性と想像力で、考え方を分かっていた。
積み重ねて分かった。環境や心理を積み重ねた。
変化と発想で分かった。
環境的に、孤立して、環境の変化から分かった。
そして、ネットにおける会話や文章を読んで、世界を全部分かっていた。
また、Linuxのシステムの仕組みや、Lispなどの考え方を知っていた。
考え方って、何だろう?
分からなくなった。
考え方って、一体、何なんだろうかな。
もう分かった。
自分の出来る国を作りたかった。
全てが分かる、変化と予測の基礎を作った。
世界の停止の中で、条件で環境と人間を積み重ねて、世界の先を行った。
世界を支配し、変え、全てを教えた。
残ったものは、発想だった。
頭の中では、基礎と考え方を分かっている。
理想は、自由なそれぞれの支配し合う平等だった。
だが、それは、安定と平等と支配の平和に変わった。
自然と法則を全て知っていた。
精神分析をしながら、世界を辿って、全てを知った。
昔は、システムと会話、特にネットの文章を読みながら、環境を多角的に考えて分かった。
仲間が多かった。キモイのは、時代が悪かった。
皆の裏にある、環境を予想して、分かった。
システムを作りたかった。Linuxとシステムの成り立ちで分かっていた。
環境と出来ると適応を積み重ねた。
最近の昔は、支配して、自分がおかしくなった。
文章を書いて、科学的な発想をしたかった。
分かるために、基礎を作って、自由と言っていた。
あとは、治したかった。
最近は、もう、書けるようになったから、全て作った。
歴史から文学まで、全て書いた。
楽になりたかった。
ナショナリズムが嫌いで、ネットの右翼が嫌いだった。
自然や共同体が好きになった。
平和と自由が好きだった。
自分が色んなことが出来て、他に教えることが出来るのが、好きだった。
最近は、むしろ、神が好きになった。
最近は、普通が好きだ。
最近は、楽が好きだ。
あとは、世界全部言って、書いていただけだ。
世界は、宇宙の真実、人生の真実、全ての真実の、総和と変動だ。
数学は、定義遊びだ。
科学は、実証と推論を、相対性の中で行う、研究という名の遊びだ。
全ては、法則と取り決めだ。
運命と人生と自然と可能性が全てだ。
構築と定義と証明と構造が全てだ。
実験と挑戦の中で、自由と体験を知ることが、人生だ。
愛とは、運命の中で自由と戯れるだけの、戯曲だ。
全ては、科学と宗教の中で、嘘と可能性を信じながら、実験と心で疑うことだ。
自由とは、皆を助けながら、皆を蹴落とし、支配しながら、支配されるだけだ。
愛とは、創造性と自由の中で、知恵と工夫を吸収しながら、己の自由を構築することだ。
ポルノと2ちゃんねるが怖いだけだ。LinuxとIBMとパソコンが怖いだけだ。
最初から漫画とゲームしかなかった。そういう、この世界の、この時代が怖い。
世界は、きちんと知ることで、発想し、実現し、作り変えることが出来る。
世界は、決まりと自由だ。
ただの決まりやシステムが取り決めだ。労働や取り組みが自由だ。
自由とは、創造することだ。
自由とは、経験と体験だ。
自由とは、大企業やベンチャーを起業し、共同体や自治体を自立させることだ。
自由とは、作り変えることだ。
世界は、発想し、インフラを整備し、初期投資し、信じることや楽しむことを作ることだ。
世界は、歴史と設計だ。
世界は、正しく考え、予測し、体験し、積み重ねることだ。
世界は、賢くなった代わり、何も変わらなくなった。
そういう世界を作った、ありえない王が、僕の昔だ。
世界は、もっと変わった方が良い。幾らでも変わって、馬鹿になると、そういう世界が、一番楽しい。
ドイツは馬鹿だ。革命の方が良い。
自由は、競争と戦争だ。
自由は、多様性と共有だ。
自由は、知恵と工夫の吸収だ。
自由は、システムの創造だ。
自由は、環境の変化だ。
自由は、参加と意見だ。
自由は、組織の合理化と共有だ。
自由は、自然な発生だ。
自由は、目的と手段だ。
連邦にするか、共同体にすることで、自主権を与えることが出来る。
だが、大きな政府も、そんなに悪くない。
皆を支配して、強くするだけ、実現力と軍事力がある。
強くして、はむかわなくすれば、平和になるだろう。
だが、民主主義にすることで、さらに自由になるだろう。
あとは、思い出して終わりだ。
存在だけを分かっていた。時の変化と、存在や環境、可能性から、色んなことを分かった。
実感や感覚で、変化を想像力で考えれば、分かる。
仕組みと、差異、同一性から分かる。
関係代名詞を使って、意味を考えることは、基礎を作れば、容易い。
他には、日本語を改良した、ぐらいがあった。
日本語を英語的な順序で使うための、工夫ぐらいがあった。
体験や世界を全部想定して分かっていた。
感覚や疑問とは、想定のことを言っている。
最近の、インターネットは、止めた方が良い。
すぐに、馬鹿になる。
知性が無くなって、賢くなる代わり、すぐにネットが消えて、何も分からない馬鹿になるだろう。