動物学の世界観です。
理科に詳しい父親の話を参考にしています。
生物種は、地球上に、これでもかというぐらいたくさんあります。なぜこんなに種類が多いのか、近代の生物学では「進化」という、「ベースとなる生き物から突然変異で別の生き物が変化した」という考え方をします。
動物学の分類として、脊椎動物などを「類」で分かるという方法があります。脊椎動物は「魚類」「両生類」「爬虫類」「鳥類」「哺乳類」などと分けられ、節足動物は「昆虫類」「軟体動物」「その他」などと分けられます。
それぞれに分類がありますが、完璧に全ての生物を分かりやすく分けられるわけではなく、たとえば翼があって飛ぶことのできる生き物は多くの場合鳥類ですが、飛ぶことのできない鳥類はたくさんいます。
生物種について詳しくなる方法は、「図鑑を見ること」です。図鑑で知識を知っておくと、変な種の動物を発見した時に、「新種であるかどうか」などの判断をすることができます。図鑑はたくさんの面白い動物が居て、見ているだけで面白いです。
また、単に全ての動物種を見られる図鑑だけではなく、地域別の図鑑のようなものもあります。僕がおすすめなのは、南アメリカの生態系です(生き物の生態系を参照のこと)。ピラニアや電気ウナギ、あるいはアナコンダやワニなどの「油断のならない生物」(「南アメリカ - Life Nature Library(ライフ/ネーチュア ライブラリー)」より)たちがたくさんいて面白いからです。南アメリカは他の地域と雰囲気や特徴も異なり、「異なる生物文化圏」を形成しています。
(放送大学「自然科学はじめの一歩 ('15)」を参考に執筆しました。)
生物種が種であると認められるには、一般的には「オスとメスが交配して子供を残すかどうか」によって決められる。
たとえば、人間は人間の間でしか子供を残すことができないため、猿や他の哺乳類とは別の種であると言える。しかしながら、黒人と白人は子を残すことができるため、同じ「ホモ・サピエンス」という種であると言える。
人種の違いは、イネなどの植物でいう「品種」の違いと言える。もちろん品種ごとに違った性質を示すこともある。
生物の種は、よく「イヌ科」とか「ネコ科」といったように分類されますが、この分類は進化論に基づいています。
生物の進化に基づいて、それぞれの「枝分かれ」をしていった先に、それぞれの種が「枝の先の葉っぱ」として分類されます。
同じ枝のグループであるとされるには、似通った形状をしていたり、同じ特徴を持っていたり、ということが根拠となって、「イヌ科」や「ネコ科」といった同じ仲間であると分類がされます。
これを「分類学」と呼びます。生物には非常に多くの種があり、この種を生物の進化に基づいて、「科」やその下にある「属」のように、生物学者が分類しているのです。
放送大学「初歩からの生物学 ('24)」では、生物種の分類について詳しいことが述べられている。
古代より一般的だったのは、運動能力があるかどうかに基づいて、動物と植物に区分する考え方。
だが、現代ではより多くの分類が、顕微鏡による微生物の発見やさまざまな分類学的な新説によってなされている(特に微生物の特徴による新しい区分や、DNA解析を含む)。
特に、動物界と植物界以外に、菌界や原生生物界を加える考え方が最近では一般的であり、さらに真正細菌界、古細菌界などを分ける考え方が提唱されている。
2024.03.20
動物には、大きく分けて、恒温動物と変温動物がある。
恒温動物は、体の中の温度を一定に保つ仕組みを持った動物のことで、哺乳類や鳥類などがこれに当たる。
変温動物は、体の中の温度が周りの環境によって変わる動物のことで、爬虫類などがこれに当たる。
恒温動物と変温動物の違いが発生した理由は、生物の進化にある。
生物は海で誕生されたと考えられている。生物が海で栄えていた頃、地上には動物はおらず、地上には植物が存在していた。
海の中で、生物は進化を遂げ、形を変えていった。最初の生物はアメーバのような単細胞生物だったが、徐々に高度になり、背骨の周りに骨と筋肉のついた脊椎動物が生まれた。魚は立派な脊椎動物であり、背骨の周りに骨と筋肉があって、俊敏に海の中を動くことができる。
だが、そのような生物は、地上の植物という食べ物を求めて、海岸や川岸から、陸上へと進出していった。
最初に地上に進出したのは昆虫だが、それ以後、サンショウウオのような両生類が、地上へと進出していく。
ただし、困ったことがひとつあった。それは地上においては気温が変わるため、体の中の水分が干上がってしまうのである。
海の中では、海水温は一定で保たれる。魚類は変温動物だが、海の中で暮らしているため、体温は一定に維持される。だが、地上においては気温が変わってしまうため、体温を維持することができない。そして、太陽の日差しによって、体の中の水分が干上がってしまう。
そのため、地上に進出した両生類は、長い間地上にいるのではなく、普段は水の中で暮らしながら、たまに地上に出てくるといった、地上と水の中をどちらも生きるような生物の進化を遂げた。そのため、両生類と呼ばれる。
だが、それでも、地上はよい生物の生存環境であるため、爬虫類と哺乳類が進化した。
爬虫類は、体の中の温度を一定に保つ仕組みはないが、体の周りにウロコを作って皮膚を覆うことで、水分が保たれ干上がってしまうことのないようにする。そのため、体温は変わるが、水分の蒸発を防ぐことができる。体温が変わるため、変温動物と呼ばれる。
そして、革命的なのが哺乳類や鳥類のような恒温動物で、体の中の温度を一定に保つ仕組みを持ち、また体中を毛で覆うことで、大体30~40度程度の体温を保つことができるようになった。
爬虫類と哺乳類の登場により、生物は陸上で主に生活することができるようになったのである。
2024.09.14
動物は馬鹿ではありません。オランウータンの知能レベルは、人間の幼児~子供レベルだとされています。幼児レベルと言うと、結構高いです。
僕は猫を飼っていたことがありますが、猫の知能レベルは人間の子供ぐらいはあります。
そして、身体能力は動物の方が高いです。人間には考える理性がありますが、動物には高い目、鼻、耳、筋肉、牙のような能力があります。
人間は頭脳ですが、動物は体です。それこそ、人間は応用力がある代わり、何も出来ません。
2017-10-08より。
夢で見たが、鳥のように空を飛ぶためには、「神経と感覚のある軽い翼」が必要だと思う。
神経と感覚があることによって、もう少し前ならば前、後ろなら後ろ、右ならば右、左ならば左、と言うのを調節することが出来る。
そして、軽い翼で感覚的に神経伝達を行うことによって、バランスを保ち、落ちることなく飛び続けることが出来る。
僕は、それはコンピュータを使えば、きっと可能になると思う。
昆虫類は、動物のグループの中で種の種類が突出して多いことで知られています。
世界で最も変化に富んだ昆虫群は、ほとんど熱帯地域に生息している。昆虫はとても種類が多く、学名がついているものでも80万種、世界全体で少なくとも400万種はいると思われる。これに比べると、哺乳類は世界全体でわずか4300種、鳥類は8600種、両生類と爬虫類は合わせて約8900種、そして淡水魚類が約5000種である。したがって、昆虫を調べ始めると、われわれはかつて出会ったことのないような種にたえずぶつかり、驚異と発見の魅力にとりつかれてしまう。昆虫の世界ほど、多彩の生命がひしめいているところはないといえよう。
(「南アメリカ - Life Nature Library(ライフ/ネーチュア ライブラリー)」より引用。)
昆虫は身近に暮らしていて、捕まえやすく、また飼い育てることも容易なため、とても多くの研究者がいます。
新種の発見は本当は誰でもできます。多くの大陸の、人の開拓しつくされた地域では、新種が見つかることはあまりありませんが、アマゾンの奥地などに行くと、特に昆虫などではまだ見つかっていない種の生物がきっとたくさんいるはずです。
ですが、新種の発見ができても、その発見した生物が新種であることを証明しなければいけません。
似たような生物が、その種の科目においても、他の科目においても存在しないこと、その発見した種が「種である」と言えるほどの独立性を持っていなければ(たとえば犬の犬種のような同じ「イヌ」の分類にあるものでは駄目)、新種を登録することはできません。自分で証明した後で、学会でも証明されなければなりません。
新種の発見が出来ても、命名権があるだけで、特に良いことは何もありません。有名人のような名前を付けることはできませんが、命名権を他の人に売っても許されるため、トランプ大統領に命名権を売ることはできます。
簡単なように書きましたが、新種の発見は個人で行うことは難しいです。新種の発見者は、マニアックな昆虫採集家のように、昆虫の種類を何でも知っていて、それが新種であることが分かる人であることが多く、命名についても普通は普通の名前がつきます。そうではない素人が見つけても、それが新種であるか分からないまま、「珍しい種類」であることだけを思って、新種の発見・証明までには至らないことが多いでしょう。
おそらく、虫は悲惨な生物である。明らかに、幼虫は気持ちの悪い昔の人生をやっているからである。
それが、成虫になると面白いことになる。こちらの賢くて強い人生をやっているからである。
この人生は無限ではない。限りがある。だから、生物にも限りがある。
人間は自由な生物である。よって、人間は虫のように生きることがない。
おそらく、神はどこかの惑星で、生物を創造した。そこには、植物や動物だけではなく、ありとあらゆる面白い生物たちが居た。
それが、ブタから人にインフルエンザが感染するように、地球にやってきて、ウイルスたちは自分たちの力で発展していった。
そう、それが植物と動物の始まりである。きちんと正しく考えると、それが正しい。
進化はしているが、細部の細かい部分が変わって、とても多くの生物が増えただけである。
僕も、今まで、さまざまな生き物を飼ってきました。
たとえば、カブトムシ、メダカ、金魚、それから犬や猫などを飼ったことがあります。子供時代には、グッピーや、カメを飼ったこともあります。
生き物を飼うということはとても面白いものです。特に僕は猫が好きですが、猫は本当に可愛い素晴らしい生き物です。
生き物を飼うことをあなたにもおすすめします。ためらう必要はありません。家族が増えたと思えば良いのです。
虫がどうして気持ち悪い時代が長いのか、僕は良く分かりません。
人間のように、虫も成虫の体で産まれれば良いように思います。
ですが、おそらく、成虫の体で産まれると、虫は賢くならないのです。気持ちの悪い時代に賢くなることで、何かを試し、何かを改良し続けているのだと思います。
虫が幼虫として何かを食べ続けるのは、一生懸命体を賢くしているのです。その結果、強い成虫のアゲハチョウになるのでしょう。
また、よく勘違いしがちなこととして、「人間は社会的に生きるが、動物は個別に生きる」というのがあります。
ですが、これは正しくありません。なぜなら、家族単位、群れ単位で行動する動物はたくさんいるからです。
たとえば、サバンナのライオンは家族で狩りを行います。子ライオンが小さいうちは母ライオンが狩りを行い、仕留めた獲物の肉を子供に与えます。また父ライオンはその子たちが危険にならないように遠くから守ります。
あるいは、草食動物のヌーは、身を守るために群れを形成して集団で移動します。
それから、人間が食べられないものも、動物なら食べられることがあります。牛や馬は草を食べ、猿は葉っぱを食べます。
また、家族や群れだけではなく、動物には「縄張り」というものがあります。自分の土地を持っていて、別の集団がその中に入ると警告し、時には喧嘩をします。
ほかにも、リーダーを脅かすかもしれない危険な存在はリーダー自ら排除します。
そのように、この地球という星の上で、社会を形成しているのは人類だけではありません。人間がサバンナで、ライオンの群れに囲まれて、勝てるわけがありません。銃や兵器が無い時代は、本当に動物の方が人間よりも強かったのです。
また、特に熊や犬など大型の動物に言えることとして、「匂いで個体を識別する」というのがあります。
熊や犬は、一見しただけでは人間にはそれぞれの違いを区別し辛いですが、彼らは匂いで個体を識別しているのです。
また、単に個体を識別するだけではありません。彼らは木の幹や枝に体をこすりつけたり、おしっこをかけるなどして、「ここに居る先客の熊は自分だ。同じ熊とは争いたくない」という、一種の自己主張と社会形成を行っているのです。
匂いは、全ての食べ物と生き物に存在していますが、彼らは匂いで個体を識別し、獲物や食べ物を見つけ、そして社会形成やコミュニケーションまで行っているのです。
また、村社会を作って、王が君臨し、他の全てを従えるのは、動物も同じです。猿などはそうした「偉いものに従う社会」を作ります。他にも、野生のヌーなどは強いライオンなどから身を守るために集団で移動します。
ある意味、動物の方がひとりだけでも生きられますし、鳥などは空を飛んで地図がなくても目的地にたどり着きます。あるいは、海の中で生きている魚などは、完全な共産主義社会で、何もしなくてもプランクトンだけを食べて生きられます。虫は強い生命力を持ちながら、どんなに住みづらい環境でも綺麗で住みやすい環境に変えてくれます。人間が「生態系のピラミッド」の頂点である、などというのは思い込みにすぎません。ピラミッドの一番下であるはずの植物などは、他の全ての生物の生存を支えています。
言ってしまえば、Linuxカーネルはそうした植物であり、使えるアプリケーションは動物であり、人間などプログラムの中の、データを便利に加工する知能を持った、人工知能のマクロのようなプログラムに過ぎません。マクロなんかなくても、地球の生物はやっていけるでしょう。もう10万年もすれば、地球の生物は温暖化した地球でも、楽に生きられるように適応し、進化するかもしれません。あるいは、地球が寒冷化するまで我慢することになるでしょう。
後日注記:簡単に言えば、動物は匂いをつけることで「自分のもの」(所有物)であったり「縄張り」(住居や領土)であったりを主張する。人間と何も変わらない。
2024.09.15編集
また、人間の勘違いとして、「動物は他の動物を殺し、どう猛で残虐である」ということがありますが、実際のところ、温厚な動物もたくさんいます。
たとえば、草食動物の馬や牛などは、草や稲わらを食べるため、人間に対して攻撃をしません。厳密にいえば威嚇をしたり噛んだり蹴ったりすることはありますが、人間を食べるわけではありません。
人間にとって危険なのは、ライオンやオオカミのような肉食の動物です。ヘビなどは毒もあるため特に危険です。
また、虫などは触った時にかぶれたりすることはありますが、トンボや蝶などは特に攻撃もしません(青虫などが野菜につくため害はあります)。海上に住む魚なども多くが平和的な動物です。
また、植物などは人間にとってとても馴染みやすい生物です。それは、野菜として食べることができるからです。特に、田んぼや畑を作ることで、とても大量に食料が手に入ることになりました。人間が他の動物と違うのは、農耕を行った、という点があります。土地を争ったりすることはありますが、特に中世のヨーロッパなどは農業技術が発達し(中世農業革命)、人口が飛躍的に増えました。日本でも、コメを作ることで人間は生き延びてきました。移動手段や農業開発のための動物として、馬や牛などの温厚な動物との付き合いも始まりました。犬や猫なども家畜や食料を守る上で大きな働きをしました。
僕が、太陽や星を書くせいで、僕は星や宇宙にしか興味がなく、この世界には星よりも面白いものはないのだと、人々は思われるでしょう。
ですが、太陽や星よりも面白いものがあります。
それは虫です。
特に、青虫がメタモルフォーゼして、サナギから羽化して蝶になるという事実よりも、この宇宙において興味深いものはありません。
何かしらの、植物とよく似た遺伝子を使っているのかもしれませんが、それにしても、虫は人間よりもはるかに宇宙のすべてを分かっているとしか言いようがありません。
このような宇宙の神秘こそ、まさに「研究すべきこと」であると言えます。
漫画家である手塚治虫は、医学博士でありながら昆虫が好きで、虫を絵に描くことから漫画家の人生が始まりました。
手塚治虫は、漫画家になる際に、自分の名前に「虫」を追加し、「自らは虫なのだ」ということを宣言したのです。
手塚治虫が漫画家になった理由が、僕はよく分かります。この世界においてもっとも興味深いものは虫であり、自らの知っていることをみんなに面白く伝えるもっともよい方法は作家になることです。
そう、手塚治虫は、虫を絵に描くだけでなく、自らがそのような絵に描かれるような虫になろうと思ったのです。
2023.06.05
この世界の人々は、空を飛ぶ鳥に憧れ、「どのようにしたら翼を使ってあのように飛べるのだろうか」と夢とロマンを感じます。
ですが、本当に優れた生物は、僕は魚だと思います。
どうして、手も足もないあのような体で、魚は水の中をスイスイと泳げるのでしょうか。とても不思議です。
たぶん、ヒレを使って水の中に振動の波を作って泳いでいるのだと思いますが、あんなになんにもない体で、どうして水の中をスイスイと泳げるのか、とても不思議だと思います。
ヘビが何もない体で地上をスイスイと動くのも不思議ですが、動物界でもっとも不思議な生き物は僕は魚だと思います。
2024.01.05
田舎の知識として、猿の知識は高いです。
確かにカラスなども知能が高いですが、猿の知能は次元が違います。
たとえば、カラスなどは、生ごみの入っているゴミ袋をくちばしで開けますが、それは「やってみたらできた」という学習にすぎません。
猿の学習は、もっと能動的です。常に人間の生活を観察し、自ら積極的に学習してきます。
たとえば、勝手口が閉まっていたとしても、猿は勝手口を開けて入ってきます。それは猿が日頃から人間の生活を観察しており、「こうすれば扉は開けられる」ということを学習しているからです。
また、ゴミ袋を見て、「どのような色のゴミ袋にはどのようなゴミが入っているか」ということを猿は知っており、手当たり次第にゴミ袋を開けるのではなく、真っ先に生ごみの袋だけを開けます。
そのように、猿の知能はほかの動物よりも高いです。もちろん、カラスや鹿、熊やイノシシやタヌキなどにも注意は必要ですが、猿は別次元です。
2024.06.02
人間とほかの生物の違いは、「数を数えるかどうか」だと僕は思います。
簡単に言えば、人間は数を数えるが、ほかの生物は数を数えないということです。
人間には、数を数える知性がありますが、たとえばカラスや熊のようなほかの生物にはそれがありません。
「数を数えることができる」ということが、人間のほかの生物に対する、圧倒的な優位性です。
逆に、人間を生きていたとしても、数を数えずに生きようとしたら、ほかの生物たちと何も変わらなくなってしまいます。
そう、数を数えなければ、人間は動物的にただ生きるだけになってしまうのです。
人間の理性を取り戻したいのであれば、数を数えることです。数を数える知性こそ、人間の持つ「最大の優位性」であると言えるでしょう。
逆に言えば、生物は数を数えることができないだけで、人類と何も変わりません。動物も植物も、それぞれができる限りの中で、本能に従って生きています。この本能は、決して人類よりも劣ったものではなく、きちんと自分の餌を本能的に探して食べる、ということをしています。社会のさまざまなルールを覚えなくても、自分の遺伝子の力で生きることができるというのは、人類にとっては羨ましいことではないでしょうか。人類のように常に賢い常識のある大人を頑張らなくても、たとえば猫や犬などは食べることを考えるだけで楽に生きています。そう、猫や犬は人間よりも生きるための力が強く、強い生物としては人類よりも優れていると言えると思います。
また、「人類には考える知性がある」と思うのは間違いです。なぜなら、カラスや熊であっても、同様の知性はあります。ライオンやハイエナなどはそれぞれのやり方で「狩りをする知性」があり、決して知性は低くありません。
人間にあるのは「道具の使い方を覚える力」であり、決して知性そのものがほかの生物には欠けているわけではありません。道具は単なるものだけではなく、住まいとなる住居や乗り物などについても言えます。ですが、巣を作るような生物は、鳥や虫などほかの生物にも存在します。なので、道具をほかの生物が決して使わないわけでもありません。特に、クモの巣を張るクモなどは、人間にはできない特別な巣作り(罠を仕掛けて餌を捕まえるための巣)ができます。
なので、人間が、知性や能力の面でほかよりも優れているとするのは間違いです。
人間にもし、そのような特別な力が何かあるとしたら、人間はどのような環境であっても適応できるということが言えます。多くの生物は、自分が生きられるような特殊な環境ややり方でしか生きられず、自由な可能性が制限されています。人間の場合、そのような環境の自由度が高く、どのような環境であっても適応できます。
ですが、人間の場合、むしろサバイバル的な要素がなく、「人間があつらえた出来合いの環境でしか生きられない」という欠点があります。すなわち、人間はみんながたくさんのものを用意してくれて、常に社会が生存手段を与えてくれるような環境でしか生きられません。犬や猫ならば今すぐにどこかの離島に捨てられてもなんとか生きられるでしょうが、人間ならば生きられないでしょう。そのような意味においても、人間は決して賢い生物ではありません。
2023.09.09
人間とほかの生物には、ほかにも異なる点があります。
特に、「言語を話すこと」が重要だと思います。
人間は、日本語やドイツ語のような言語を話すことができます。このため、誰かが分かったことや考えたことを、ほかの誰かと共有できます。
古代においては、そのように、メッセージやコミュニケーションの手段だった言語ですが、時代が進歩するにしたがって、記録のための文字が生まれ、「誰かの考えたことを後世に残す手段」になりました。
人間のほかの動物には、そのような、個体と個体がコミュニケーションする手段がありません。
人間に、個体と個体がコミュニケーションする力があるということは、互いにある一定の条件で合意することができるということであり、これが「社会」あるいは「経済」を作り出しました。
そう、人間が「社会的な動物」であると言われるのは、人間には言語を使ったコミュニケーションする力があり、それが社会を形成することができるからです。
ですが、一部の生物を見ていると、人間以外にも未熟ながらそのような社会を形成したりコミュニケーションしたりする力を持った生物はいます。
たとえば、アリやハチは虫でありながら巣を作り、役割分担をします。巣を作る鳥は雛を育てます。あるいは、一部の群集で生きる鳥や魚などは、誰が命令しているのかは分かりませんが、全体で一緒の動き方をしたりします。そのような特殊な生物でなくても、シマウマやヌーのような草食動物の群れは群れとなって行動します。また、ライオンのような肉食動物は家族で狩りをします。
なので、ほかの生物すべてが個体主義的なわけでは決してなく、家族や群れで生活する生物はたくさんいます。そのような「人間に近い生物も多い」というところが、生物を学ぶ上で興味深い点ではないかと思います。
正直なところを言うと、人間を「社会的な生物」といい、ほかの生物を「非社会的な生物」というのは、僕は間違いだとも思います。なぜなら、ほかの生物は森林や草原や海や川のように、自然環境すなわち「生態系」の中で生きていますが、人間はそうではなく、人間の作り出した人工的な人類文明の中で生きています。生態系の中で、魚が虫を食べ、鳥が魚を食べ、鳥の卵を蛇が食べるような社会のほうが、はるかに社会的であるとは言えませんか。そのように、人類だけが優れた社会的生物だと断じるのは、僕は間違っていると思います。
そして、人類もまた食物連鎖の中で生きているため、逆に人類を「生態系から自由になった生物」であるとも言えません。人類がもし社会的な生物だとしても、人類はまったく自由のない生物です。ほかの生物と人類は何も変わらないと僕は思います。
2023.09.09
古生物・原始生物も参照のこと。
海洋や海と川についてのいろいろを参照のこと。
Wikipedia
鳥