生物の世界観です。
医学も参照のこと。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/15より。
生物学について言えば、タンパク質と炭水化物と脂質が主なエネルギーであり、このエネルギーに対して酸素と水を与えてじわりじわりと燃焼することで人間は生きている。タンパク質はアミノ酸が結合したものであり、消化した段階でアミノ酸に分解され、DNAによってタンパク質に再構築される。
また、生物は、生産者である植物、消費者である動物、分解者である菌類や土壌生物に分かれると考え、食物連鎖によって生態系が成り立つとする。病気になる原因は神や悪魔ではなく、病原菌が入り込むことであり、これをペニシリンで殺すことで病気は治ると、かつての野口英世などの偉人は発見した。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/09/11より。
そう、本当はわたしは科学をやりたかった。今からでも遅くはない。わたしは科学が好きなのだ。
電気の面白さとはなんだろうか。それは、電気が流れることで機械が動く、ということの面白さだろう。炎や燃焼、有機物の肉体は、もともと自然にあったものであり、それを利用しても、電気のように「機械そのものが働く」という不思議さはない。だが、電気は違う。
僕は子供のごろ、ミニ四駆が好きだった。ミニ四駆は電気で動く。電気を流すことは、機械を働かせるということだ。電気によってこの世界は成立しており、電気がこの世界そのものを動かしている。
IT技術は面白くない。プログラムコードがいくら動いても、OSと言語を使う以上のことはできない。OSと言語がいくら魅惑的であっても、その中身はブラックボックスになっている。アナログな電気機械は、自分で中身を分解して見ることができる。部品を取り替えれば、修理することも可能だ。
しかしながら、僕はむしろ、物理や工学よりも生物学が学びたい。生物というのはとても不思議なものであり、どれだけ考えてもきちんと原理を発見・理解して把握することはできない。
僕は生物を学ぶことで、「生物現象とはなんであるか」ということを知りたいのだ。
物理やプログラミングには、「自分で動くものを作ることができる」という楽しさがある。これも、面白く、興味深い領域である。だが、僕はその一歩先を見ている。すなわち、「原理を解明する」という楽しさが僕は好きである。これは神の神秘を解明するということであり、恐れ多いものである。
そして、既に解明されたものを、そのまま理解するというのも、たとえばアインシュタインの解明し、発見した理論を学ぶということも、面白いものだろう。だが、わたしは、あえて、解明されていない領域を好む。わたしがわたしの力で、新しい領域を解明してみたい。
そして、原理の解明とはなんであるか。何を解明するのか。それはわたしにとっては、「生物を創造する」ということである。わたしは生物を作り出してみたい。この世界において、植物や動物をわたしの手で作り出してみたいのだ。
ただし、生物を作り出すということは、そんなに素晴らしいものではないとわたしは思う。わたしはどちらかというと、作り出したいわけじゃない。原理を解明し、「生物とはなんだったのか」ということを知りたい。そう、わたしは「生物法則」「生物原理」というものがあるとしたらそれを解明したい。
結局、生物はなんのために生きているのか。生きるために生きているなどという詭弁は必要ない。地球に奉仕することが目的ならば、なんのために地球に奉仕しているのか。誰が生物を、なんのために作り出したのか。わたしはその問いを解明したいのだ。
もっと言えば、「生きる」ということがわたしのテーマである。なぜ、生きるのか。生きるとはどういうことか。それをわたしは「生物の原理を解明する」ことで解明したいと思う。
やるべきことは決まったから、生物学を学ぶことにする。高校の参考書にはあまり多くは書かれていないが、わたしは生物の種の名前を覚えたいわけではない。
実際、頭脳や肉体は賢くない。単に意識があり、単にタンパク質をDNAがアミノ酸を吸収して再構築しているだけにすぎない。賢いのは、「生物を作り出した宇宙の法則」である。どうして、宇宙は生物を作り出すことができたのか。これこそ、僕の知りたい唯一の疑問である。
そして、生物は地球よりも小さなものではないと僕は思う。きっと、シリウスやプロキオンの周辺にも生物はいるはずである。太陽のあるところには生物が存在すると僕は勝手に考えている。なぜなら、おそらく太陽こそ、生物を作った張本人ではないかと、僕は考えるからだ。
太陽がなんなのか。そう、僕がターゲットを絞ると、生物というよりは天文学になる。太陽はいったい何をしているのか。太陽の光とはなんであるのか。それを解明したい。おそらく、植物の葉緑素による光合成も、それを解明すれば解明できるはずだ。
太陽はなんなのか、わたしたちはまだ分かっていない。なぜなら、むしろ、人間がそんなにちっぽけな存在でないことは、人間にしか分からない。だから、太陽がいくら核融合をしている水素だったとしても、それをなんのためにしているのかは、太陽にしか分からない。
そして、結局は物理学に行き着く。なぜなら、太陽とはなんなのかという問いは、すなわち、光とはなんなのかということだからである。必要なのは「光」を解明することである。そして、光から生まれる「有機物」、すなわち「炭素」とはなんであるかを考えなければならない。
生物について考えるなら、「意味を成立させる部位の単位」で考えるべきである。たとえば、猫という生物は、猫として捉えられるような単位が成立している。誰も、猫のある部分の細胞だけを考える人間は居ない。もし猫の足や鼻を考えるなら、それは「器官」や「組織」という別の階層の単位で成立する。
そのように考えると、まず、存在するのは人間、猫、犬、鳥といった「生物」であり、その生物が属する「生物集団」であり、そして「生態系」である。そして、それは「地域」となり、「星」となり、「太陽系」となり、「銀河系」となり、「宇宙」となる。
僕が考えるに、人間よりもほかの生物が馬鹿で劣っているという論理や考え方は、完全に間違っています。
確かに、人間には優れた知性があります。ですが、その優れた知性を、本当に意味のあることに使っている人類が、はたしてどれほど居るでしょうか。
学校の教育で学ぶ数学や歴史の知識は、多くが無意味な遊びを努力しているだけであり、子供であるために本人は分からないとしても、せっかくの生まれ持った個性と純粋さのある知性を失い、学んだほうが学ばないよりも多くのことが分からなくなるのが、中学高校の学校教育です。
その結果、大学で無意味な勉強をし、会社で先人たちの遺した発明品を無駄に改良しますが、ほとんどの発明品が成熟した現代社会においては、発明品の改良によって社会が進歩することはなく、単に金儲けになるだけにすぎず、世界はどれだけ無駄な改良品を作っても変わることはありません。
それに比べて、動物たちはどうでしょうか。無意味な勉強や遊びをすることなく、真剣にサバイバルの中で生きています。死と隣り合わせの現実の中で、遊びやおふざけはそもそもできません。動物たちの生きているサバイバルは、リセットの効くようなテレビゲームの世界ではありません。いつ死ぬか分からない中で、自らの生きる「力」だけを頼りに生きているのです。
それに比べて、人間は気楽です。なぜなら、自分で食料を得なくても、誰かが社会において勝手に与えてくれるものだと勘違いしており、その社会のサポートに頼り切って依存し、それだけではなく、その社会の求める「理想の国民像」になれるように努力し、自由と可能性を失ってはじめて楽を得て、その上で一生、何も努力することもなく死んでいくのです。
結局のところ、人類とは、「何もしなくても生きられるという麻薬のために、無意味なことしかできなくなった生物」であり、ほかの生物は「まともに自分の力で生きている、強く正しい生物」であると言えます。
マイクロソフト創業者であり慈善事業家のビル・ゲイツが、「次なるパンデミックが来る」と警告していますが(ソース:ビル・ゲイツの警告「コロナに続きまた別のパンデミックくる」(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース)、このままいくとそうなるでしょう。「人類の歴史とは感染症の歴史である」と言われている通り、次のパンデミックがやってきます。これが、もっとも的確に的中する「予測」です。
ある意味、人間の心には、自分よりもなんらかの意味で劣った存在を自分の都合のいいように解釈して、「自分よりも劣った存在だ」と考える癖がありますが、それでは、自分よりもはるかに優れた、評価されることのない天才の才能を見誤ってしまいます。自分よりもなんらかの点で優れた存在は、みな優れた存在なのだと考えるべきなのです。ですから、「人間よりもほかの生物が馬鹿だという論理は間違い」なのです。
理科に詳しい父親の話を参考にしています。
生物は、「生きるもの」である。
この地球という星において、生きている生物は、生きるために「食べる」必要がある。ひとつの生物が生きるためには、たくさんの別の生物を犠牲にしなければならない。生物は別の生物によって食べられる。その別の生物は、また別の生物によって食べられる。これを「食物連鎖」と呼ぶ。
生物が食べる目的は、大きく分けて二つである。ひとつは、生物の体そのものを形作るため。これはたとえば、工場で機械を作るのに相当する。この栄養素はタンパク質である。もうひとつは、生物の体が動くためのエネルギーとなるため。これは、発電所で電気を作り、家庭のコンセントから電流を流すのに相当する。この栄養素は炭水化物や脂質である。
食物連鎖の最初に存在するのは、植物である。植物は、太陽の光と水、そして二酸化炭素すなわち空気中の炭素を吸収することで、炭水化物やタンパク質をはじめとする有機物の栄養素を作る。この時、植物を「生産者」と呼ぶ。この植物を、虫や動物などの「消費者」が食べる。
食物連鎖の一番下に居るのは植物であり、一番上に居るのは人間である。
植物は、「化学的エネルギーの貯蔵庫」であると考えられる。そのエネルギーの元になっているのは太陽の光と炭素である。この太陽の光エネルギーと、炭素による有機物によって、すべての生物は生きることができる。このエネルギーを燃焼させて取り出すために、酸素と水が必要となる。この酸素も、植物が放出するものである。
光と水と二酸化炭素から、酸素と炭水化物を作り出す植物の作用を光合成、あるいは炭酸同化作用と呼び、葉の中の葉緑素が行っている。
動物や植物の体は、すべて細胞によって成り立っている。細胞は細胞から生まれ、細胞からしか生まれない。細胞には、常に水分と酸素、そして有機物の栄養素が送られるようになっている。動物であれば、血液によってこうした栄養素が運ばれ、細胞は少しずつ燃焼を行う「代謝」によって細胞活動をしている。細胞は、分裂することで成長し、分裂した細胞が同じ大きさの細胞に成長し、同じ体を保っている。
遺伝子とは、生物がその生物になることを決める設計図である。カエルの子であるオタマジャクシは、成長すると必ずカエルになる。ナマズの子に見えるからといって、ナマズになることは絶対にない。
生物が吸収したタンパク質は、一度アミノ酸に分解される。そして、細胞の構築の際、遺伝子情報であるDNAに基づいてアミノ酸が必要なタンパク質に再構築される。そのようにして、手や足などの動物の体は形成される。細胞が分裂し、受精卵や卵から雛や胎児の体が形成される際に、細胞は一般的な細胞から具体的な細胞へと「分化」して成長する。
生物は、種によって増え、新しい子供が生まれる。生物は永遠に生きられるわけではなく、寿命を終えると死んでいくが、死ぬ前に種によって子供を残すことができた生物は、子供を生きながらえさせることができる。生物は必ず種から生まれ、これが成長し、死ぬ代わりに種から子が生まれていく。
生物は、海から生まれたと考えられている。生物は遺伝子のように決まった生物になるだけではなく、長い年月の中で突然変異を繰り返して環境に適応し、進化すると考えられている。たとえば、ナメクジは自分の弱い体を守ることができないが、もし敵が多い場所に居るとしたら、自らを守るための殻のようなものを作るかもしれない。ナメクジはその環境に適応してカタツムリへと進化したと考えられる。
そのような進化のプロセスの中で、このような「とても複雑かつ高度な生物による生態系」が生まれたのは奇跡としか言いようがなく、生物学者は「不思議」と言うしかない。まだまだ、生物がどのように発生したかということには未知の領域が多い。必ずしも、地球から発生したとは言えないかもしれない。もし生物がウイルスのようなものであるとしたら、他の惑星から生物がやってきたと考えても、おかしくはないだろう。
僕は、生物の基本的な概念とは、「代謝」「アミノ酸」「DNA」だと思います。
生物の細胞が酸素や栄養分を元に化学反応を起こして活動することを「代謝」と呼びます。胃や腸のような消化器官は、栄養分を吸収するために、化学反応を助ける触媒である「酵素」や、連鎖的な化学反応の経路である「代謝経路」を使います。
生物の体は主にタンパク質で形成されています。タンパク質は20種類のアミノ酸でできています。タンパク質を食料として吸収する場合、消化器官と酵素によって一度アミノ酸に分解されてから、DNAに基づいてもう一度アミノ酸がタンパク質に再形成されます。
DNAは、それぞれの個体の体の形質を決める情報で、真核生物ではすべての細胞の核に含まれています。また、生物種それ自体の種類もDNAによって決まります。心臓のような内臓も、筋肉のような組織も、目や耳のような感覚器官も、細胞の形質はすべてDNAによって決まっており、体のすべてが「設計図」として全細胞の中に存在します。
そう、すなわち、生物の体は「代謝」「アミノ酸」「DNA」の三本柱で生きているのです。
2024.07.30
生物と物理について言えることとして、「生物と物理は繋がっている」あるいは「生物は物理をベースに作られている」というのがあります。
たとえば、光は電磁波という「波」、音は音波という「波」によって伝わります。
この波を、生物は「映像・音声」に変換して、目や耳に伝わり、あるいは自分から口を使って話すことで、「物理現象を生物の中に伝番させ知覚させる」ことができます。
また、手足は力学的な作用を可能とします。手はものを動かしたり、掴んだり、操作することができ、脚は自分を移動させます。
また、生物の中でも人間は、ものを作って使う「工学・技術的な作用」をもたらすことができます。ここでも、物理が必要です。人間以外の動物は、鼻や牙が発達しており、他の生物を食べます。
食道や胃腸では、有機物を「分解して小さくした上で吸収する」ことができます。ここには物理現象で言えば酵素などの「化学反応」が見られます。肺では酸素を吸収して二酸化炭素を放出します。吸収した栄養分は心臓と血管によって体中に運搬されて、「生きるエネルギーとして燃焼」され、不要な老廃物は腎臓によってろ過されます。肝臓は体中の多くのことをやる「何でも屋」です。
脳は、子供から大人になるにしたがって「自我」を形成しながら、「感情と記憶」を作り出し、電気信号によって神経を感覚的に操作します。また、動物には「自己意識」が存在し、「自分は自分である」と認識し、他人との社会を築き、方法や理屈を理解します。
また、人間や陸上の動物だけではなく、植物や魚などは、光合成やえら呼吸など、他の生物にはない「自然環境への適応」という側面があります。光合成は太陽の光を使って水と二酸化炭素を吸収して酸素を放出し、動物が食べることができ、全ての生き物の体を形成する、栄養分である「炭水化物」(CH)にします。魚は自由自在に海の中を泳ぎます。また、虫は変態することで大きく姿を変えます。鳥や多くの虫は空を飛びます。そして、「生態系のピラミッド」を形成し、弱いものは肉となり、強いものは食べる、という弱肉強食の世界を作っています。
生物の体はそれぞれ違い、たくさんの種があります。同じ種が別の遺伝子を吸収して、環境に適応できる生物が生き延びて増えていきます。生物は突然変異から進化すると考えられていますが、キリスト教保守派などには進化論に反対する考え方の人も多く、科学的にも生物種の種類がなぜこんなにたくさんあるのか、本当のところはまだまだ分かりません。
このように、生物の体の仕組みは、物理世界と大きく繋がっています。生物は「物理世界の総合スタジオ」だと言えます。また、生物の体の仕組みは、まだまだ分かっていないことがとても多く、たとえば光合成を実現する機器を人間が作ることはまだできません。
僕は、最も面白い学問は、生物、地学、心理学、英語ではないかと思います。
これらに共通しているのは、「基礎ではなく応用的な要素が多い」ということです。
数学や物理学は、基礎的な研究要素が強く、またやっていても何の役に立つのか分かりづらい、基礎研究が役に立つことは分かっていてもそれを自分で行っていないため実感が少ない、などの理由で、つまらないのです。
また、歴史は過去のはるかに過ぎ去った時代の、大きな出来事や人物を考えるだけで、はるかに昔のことをやっていて、実際の生活や庶民の暮らしのことを学ぶことが少ないため、つまらないのです。
政治経済についても、自分の身の回りの社会についてのことを学ぶことは少なく、身近なことではない政治や経済社会の話で、「自分には関係ない」と思って勉強しない子供たちが多いのです。
これらに比べて、生物学や地学は、基礎もありますが、応用的な要素が多く、生き物の体の大雑把な仕組みや構造、あるいは生物の名前、岩石の名前やダイナミックな地上の地質の動きなどの話があり、「自分で勉強して知識を学んでいる」という実感が得やすく、身の回りの生物や地質のことの話であるため面白いのです。
また、特に面白い学問は心理学です。人間の子供の「自ら気付いて賢くなっていく過程」を学ぶ発達心理学や教育学は、下手な小説を読むよりも面白い、哲学的な学問です。また、アドラーのようなライフスタイル分析や、心の病気については、自分に当てはまることもたくさんあり、とても面白い知識と体験の勉強ができます。
また、英語は最初のうちはつまらないかもしれませんが、きちんと英会話教室などで話せるようになると、外国人とコミュニケーションを行うのはとても面白いです。
そんなわけで、「つまらない学問しかない」と思っている人がもしいれば、これらの学問がおすすめできます。他にも、応用的な分野としては、情報科学や工学技術、美術や音楽や文学を面白いと言う人は多いです。何もすることがないからと言って、物理を学ぶのは僕はおすすめしません。基礎的すぎて、数式も理解できず、大嫌いになる可能性の方が大きいからです。
自分の書いた「ニュース - 2021-06-第三週」2021/06/19より。
僕は、生物とは、生まれて死ぬまでの短期的な胞子活動だと思います。
ひとつひとつの胞子が、増えたり減ったりしながら、生まれて死ぬまで活動し、他の胞子を吸収したり複数に分裂したりする、極めて短期的な胞子活動、それが生物です。
そして、この生物には、欠陥があります。それは、動物は酸素を必要とする、ということです。この条件から、地球の他の惑星に移動することが極めて困難です。生物はまったく、完璧なものではありません。
医学(1.体の仕組み)を参照のこと。
遺伝子・DNAを参照のこと。
2017-09-03より。
生物学は、色んなことが分かる良い学問だ。例えば、
・特定の生物種のこと
・生物種の分類や種類のこと(図鑑など)
・生物種の姿かたちと名前のこと(絵を描いたり出来る)
・生物や人間の体の構造のこと
・生物の環境(山、海、川、サバンナなど)のこと
・生物の起源や地球の進歩のこと(古生物、進化、地質学など)
・農業や酪農のこと
・食べ物や栄養素のこと
・病気やウイルス、医薬品のこと
・有機物や有機化学(石油や炭や炭素など)のこと
などが分かる。
普通、生物と言わず、化学と言う。僕は、数学、物理、生物、化学のことをやりたい。だが、やりたいだけでは出来ないものだ。
自分は、物理はやっていないが、方法論としての実証物理学のようなものは分かっている。
物理は、エネルギー、原理、そして移動の学問だ。全ての「動き」とその結果の「解明」を考える。それが、物理学だ。
あとは、工学が抜けている。最近の機械は何でもIT化する傾向にあるが、工学はハードウェアだと思えば良い。パソコンも、ソフトウェアだけでは成り立たない。ハードウェアも必要だ。逆に、ソフトウェアは工学と言うよりは、操作だ。高度なプログラミングをすることで、ハードウェアの実現性を高めるが、そもそもプログラムは機械ではなく、数学だ。そこが、最近、みんなIT化のせいで分からなくなっている。ITではない工学も、今から先、ハードウェアとしてますます必要になってくるはずだ。
2017-09-03より。
学校の生物の教科書と言うのは、科学者の視点で構造や現象を説明しているから、科学者が言っていると思わないと、言っていることの意味や目的が分からない。
もう少し、分かりやすくて面白い生物の教科書を書いてほしいと思う。
生物学の問題は、「教えている内容が一面的すぎる」ことです。
一面的な考え方でしか分からなくなって、世界が狭くなり、普通の人間が分かるような多面的なことが分からなくなってしまいます。
ですが、その問題は解決出来ます。赤ん坊は、一面的なものの見方から、徐々に多面的なものの見方を学んでいきますが、最初は一面的で良いので、普通のことを決めつけながら分かっていくこと、その後に多面的なものの見方を身につけていくことで、一面的な生物学の見方は解決出来ます。
それから、大学は「分かる馬鹿」を押し付けているところがあります。それだけで分かるせいで、みんなを馬鹿にしている、と言う側面があります。それを解決するためには、出来るだけ人々の言っていることを聞くことです。
2018-03-10より。
生物は脳が小さいから馬鹿なように見えるが、僕の経験から言って脳は小さい方が集中力がある。恐竜は馬鹿ではない。
生物学を勉強したい。デザイナーである以上、動物や草花の絵は描けた方が良いし、自分の病気も治したい。ホームページのコンテンツにもなるし、大学も卒業できる。そして、もう全部分かる。作家の世界も、秘境が分かると物語に出来る。
放送大学の生物学を勉強したい。あとは、猫や馬と付き合ったことがあるし、野菜も作っている。生物学しか、この世界に存在しないのではないかと思う。心理学は狂うだけだ。
生物学にも色んな分野があるが、僕は動植物についての生物学がやりたい。ただ、解剖生理学についても詳しくなりたい。そして、医学や精神について、治療のこともやりたいと思う。
かの有名な手塚治虫も、医学博士だが、子供のころは昆虫の絵を描くのが好きで、自分の名前に虫とつけたほどだ。おそらく、だから漫画が描けるのだ。
昔、僕は猫を勝っていたことがある。もう死んだが、高校にあまり行かなかった僕は、猫だけが唯一の友達だった。今でも僕のパソコンの壁紙はその猫の写真にしてある。また、僕の今行っている作業所では馬を飼っているし、畑では野菜を作っている。生物学の勉強には絶好の環境だ。
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