生き物の生態系の世界観です。
理科に詳しい父親の話を参考にしています。
生態系を考える上で重要なことは、「木を見て森を見ずにならないように注意すること」です。
生態系における生物は、たとえば木の実を小動物が食べ、葉っぱを虫が食べ、小鳥が虫を食べ、猫が小鳥を食べるように、食物連鎖で繋がっています。
食物連鎖から生物集団を見た時、生物は「生産者」(植物)、「消費者」(動物)、「分解者」(菌類・ミミズなどの土壌生物のことで、死んだ体や有機物を無機物に分解する)に区別されます。(詳しくは放送大学「自然科学はじめの一歩 ('15)」が参考になります。)
また、森や山の生き物、川辺の生き物、サバンナの生き物、海洋の生き物などは、それぞれ違う生態系を持っています。
このように、生物はひとつの生物だけでは成り立ちません。ひとつの生物が居るならば、ほかの多くの生物がその生物のために必要となります。生物はひとりだけでは生きられないのです。
個別のものだけを考えるのではなく、それぞれの個別のもの同士の「関係性」を考えることは、どんな科学でも必要ですが、生物学においてはそのように特に重要となります。
生態系における生物は、その生きるためのエネルギーの循環の関係から、「生産者」「消費者」「分解者」に分類される。
分類 | 説明 |
---|---|
生産者 | 植物のこと。光合成によって太陽光から化学エネルギーを生産する。 真正細菌や古細菌のような一部の生物(多くが極限環境)は、アンモニアなどを用いて光合成以外で生産できる。 |
消費者 | 動物のこと。植物や動物といった別の生物を食べて化学エネルギーを消費する。 動物を捕食するものを「捕食者」と呼び、食物連鎖から「生態ピラミッド」という段階的な階層を表現できる。 |
分解者 | 菌類やミミズのような土壌生物のこと。 生物(植物など)の死骸を吸収・分解・排出し、ほかの生物(微生物など)が生きやすい環境に作り変える。 |
(放送大学「初歩からの生物学 ('24)」を参考に執筆しました。)
2024.04.13
2015-07-20より。
植物と二酸化炭素は、化学的に考えることが出来る。父親に教わった。
まず、充電式の電池を考える。電池にエネルギーが蓄えられ、ミニ四駆が使って、放電し、電池は空になる。もう一度充電するために、充電器と電気のエネルギーが必要だ。
植物も、これと同じだ。植物は、充電器と考えられる。炭水化物が、充電された状態、二酸化炭素と水が、放電された状態と考えて良い。植物の葉っぱがそれを充電可能にする。
炭水化物を食べること、燃やすことによって、エネルギーが放出され、電池は二酸化炭素と水になる。それは、葉っぱと太陽の光によって、炭水化物になる。
二酸化炭素はCO2、水はH2Oであり、炭水化物はCとHから生まれる。そうすると、光合成をした時に、Oが余る。そのため、植物が光合成をすると、酸素が生まれる。
良く分かっていないから、間違っているかもいれない。炭水化物の化学式は、ちょっと分からない。
地球が最初の時、地球には二酸化炭素と水しか無かった。植物が生まれて、初めて酸素と炭水化物が生まれた。
動物は、逆に、酸素と炭水化物から、エネルギーを生み出す。後には、空の二酸化炭素が残り、吐き出す。そのように、地球では循環が行われている。
話は関係ないが、植物を目的因で考えられるかもしれない。野菜が生まれるのは、動物のために生まれているように見える。植物にも機械的な目的があるかもしれない。
2016-07-17より。
理科が分かる父親に、植物の仕組みと葉緑素のことを教えてもらった。
エネルギーの循環は素晴らしい。葉緑素と言う工場が、太陽のエネルギーを吸収して、水(H2O)と二酸化炭素(CO2)から炭水化物(CH)を作って、それを自分の体にし、酸素(O2)を出す。この炭水化物は、酸素と結びついて、燃えてエネルギーと水と二酸化炭素を出す。それが、石炭や石油になる。
本当に、美しく出来ているのが、そういう、生物と化学的なエネルギーの循環だ。
あとは、父親が言ったことではないが、僕は、生物が地球にしか存在しないのは、太陽のエネルギーに依存しているからだと思う。人間は、光や水のことを、宇宙全体の全ての場所で同じだと思っているが、同じではないのかもしれない。同じに見えて、プレアデス星雲では、全く違う光の特性を発揮する可能性はある。
それから、植物を作るのは難しいが、人間の体が葉緑素と同じ機能を持つことは、ありえると思う。植物の能力を持った動物は、居てもおかしくはない。生物学の進歩の結果、遺伝子を組み替えて人間が植物になれるかもしれない。
あとは、数学は、昔から、色んなものを部品化しながら組み替え、切り替えて分かっていた。
生物学は、きちんと信じた方が良い。
分からないように見えて、きちんと分かるようになる。色んな部品の構造を信じれば良い。
僕は、細胞や生き物の仕組みのことを知りたい。特に、血液や内臓などが何をしているのかを知りたい。
生物学は、一番賢い。誰が見ても、一番賢いのは生物を創った存在だ。
植物は炭水化物やでんぷんを作って、そこから自分の体を作る。動物は、それを吸収して生きている。それらは、全部、太陽のエネルギーが元になっている。そして、水と酸素も必要だ。それを行う上で、最も良い方法が、血液と内臓による栄養分の循環なのだと思う。そういうわけで、医学をすると、分かる人間が多い。
自分は、生物は皆の力で生きているのではないかと思う。植物個体にも意識はあるが、生命全体の中で、その植物が何かの役割を持っていて、地球が全体で考えているのだと思う。進化も、そういう「全体意識」が考えて、全体の意志によって進化しているのだと思う。最初は、そういう、「普遍的生命」が1つ居て、そこから生命全体が分かれて行ったのではないかと思う。それは、おそらく、巨大な虫だったのだろう。そういう、最初の生命に戻るのが気持ち悪いから、虫が気持ち悪いのだと思う。
そういうわけで、青虫が緑なのは、最初は虫にも葉緑素があった頃の、名残りだと思う。
最初に居た青虫は、土から岩まで何でも食べていた。何かに変わるのは、それぞれの虫が、それぞれの植物や、それぞれの動物に変わった。そこから、生命は始まった。そういうわけで、人間は虫から変わって生まれた。幼虫がどれも似たような見た目をしているのは、そのせいだ。
2016-08-28より。
今、理科の専門家の父親に、生物の講義をしてもらった。
植物は、二酸化炭素を循環して酸素に変えてくれるから、普通のレベルの二酸化炭素の放出では、植物が循環して酸素と炭水化物やでんぷん(HC、水素と炭素、の繋がり方の違いを、糖と言ったりでんぷんと言ったりする。その総称を炭水化物と言う。繋がりを分離させることで、太陽のエネルギーが取り出せる。それを燃焼と言う。)に再生してくれるのに、人間は、石油を見つけてしまったせいで、何百年・何千年と言うレベルで、効率的にエネルギーを取り出せるようになってしまった。
そのせいで、温暖化が起きている。そういうわけで、石油が悪い。
あとは、生命の(主に植物の)循環の話をしてもらった。
以下は、父親が考えたことではなく、自分の考えたことだ。
生命は、細胞と言う意味においては、エネルギーの貯蓄と循環である。
生命は、生態系と言う意味では、同じものであり、「自己」がどこにあるかが違うだけで、同じ自分である。
生命は、化学的と言う意味では、「水や酸素が、形を持ったもの」だと言えるかもしれない。
生命は、遺伝と言う意味では、「存続するための多様性」だと言えるかもしれない。
ただ、それらは、生物学的ではない。宗教的・哲学的だ。
生物学的に見ると、細胞が分裂して、エネルギーを貯蓄し、それぞれが活動している、と言える。
炭水化物、HCの繋がりを分離させると、二酸化炭素や水を生じさせながら、太陽のエネルギーが取り出せる。
見事に、植物は、太陽のエネルギーの貯蓄である。
目的や手段と言う意味ではなく、植物の体である炭水化物全体が、それ自体が、エネルギーの発生をするための貯蓄であり、そのための機械的構造でもあるのである。
ある意味、木を「燃やす」と言う行為は、植物のエネルギーを「太陽へと戻す」のと同じだ。
そして、動物は、その「太陽エネルギーを取り出す」と言う活動を、体の中でしている。
それが、動くものである、動物だ。
炭水化物、HCは、CHとも書くことが多い。糖やでんぷんなどの食べられるものは、全部炭水化物のアレンジしたもの(繋ぎ方を変えたり、他の元素を取り込んだりしたもの)である。
CHから太陽エネルギーを取り出すためには、燃焼すること。
そうすると、CHの結合が分離され、エネルギーが飛び出す。
逆に、CHを作るためには、太陽の光を使って、植物が光合成をすること。
そういうわけで、ある意味、燃焼の逆の現象が、光合成なのである。
そして、そういう、燃えるものを、有機物と言う。有機物は燃えて、無機物は燃えない。(だが、別の仕組みで燃えるものはあると言うらしい。僕は知らない。)
その、エネルギーを取り出す仕組みを、動物が持っている。
まず、胃腸で炭水化物を消化し、吸収する。
消化は、要は、小さくしている。まずは口でものを砕いて、胃腸の消化液でドロドロに小さくする。
そして、吸収は、血液の中にそのまま取り込んでいる。それは、腸の中の無数にある「ひだ」で行う。沢山吸収するために、ひだの周りにさらにたくさんのひだがある。最終的には、その中を通っている、血液に吸収する。吸収出来なかったものは、うんちになって体の外へと出ていく。
心臓は、血液を循環させるポンプの役割をしているが、まず、肺の方に向かう血管と肺から帰ってくる血管があり、そして、体(腸も含む)へと向かう血管と返ってくる血管がある。
肺では、腸と似ているが、呼吸して得た酸素を血管の中に吸収している。
そして、血管の中では、酸素と小さくなった炭水化物を、細胞へと送り出している。そして、細胞で、エネルギーを「じわりじわりと燃やす」ことによって、細胞はエネルギーを取り出している。この仕組みは、もっと勉強すれば分かる。
エネルギーを取り出すことで、細胞は、熱を出し、動くことが出来る。エネルギーと言うが、炭水化物が小さくなったものと、酸素が少なくなったものを、細胞がまるで木を燃やすのと同じように、エネルギーを取り出している。
そして、筋肉細胞によって、人間は体を動かすことが出来る。そのために、神経細胞がある。
そして、植物と動物は循環関係にあるが、一部、これを壊すものがある。それが、長年の貯蓄を一気に燃やし尽くす、「石油」と言う物質だ。これを人間が燃やしまくっているせいで、植物が沢山あっても循環しきれないくらい、どんどん二酸化炭素が増えている。
要は、植物が「光合成」であり、動物が「燃焼」であると思えば良い。植物を「炭水化物として、太陽エネルギーをものに形作るもの」であるとし、動物を「炭水化物から、太陽エネルギーを取り出し、細胞を動かすもの」であると言える。
植物が、動物を守りながら、動物が動くことの出来る「基礎のエネルギー源」を「貯蓄」することで作り出している。動物は、それを出来るだけ「全体にすみずみまで行き渡るように」送り出して、「じわりじわりと燃焼させている」。
生物は面白い。
不思議と、全ては人間のためにあるように見える。ただ、そうではない。人間は、生態系を壊しているだけだ。
それぞれ違うとは言うが、自己が分離されているだけで、大本は同じなように思う。
それから、良いものを食べないと、元気は出ないだろう。それに、すぐに病気になるのは当たり前だ。
神が馬鹿なのは仕方ない。神は、悪いものには容赦しないからだ。
良く分かっていないが、実が生らない木は、増えても仕方ない。桜より、桃や梅が生った方が良い。
そういうわけで、生命レベルで見ても、分け与えるものが賢い。ヒトラーは、そこが分かっていない。
僕は、ある意味、生物は生態系の一部ではないかと思います。
たくさんの生物がそこで暮らす上で、生物を考える上では、「生物集団」という考え方が欠かせません。
個の生物だけを見るのではなく、生態系全体での役割を考えることで、「木を見て森を見ず」となることを防ぐことができます。
ある意味、地球も太陽系の一部です。全ての生物は太陽の一部です。
僕は、生物が生きている、という概念は何か、もっと生物学は疑った方が良いと思います。
有機物で、自分の力で考えたり成長したりすることができ、増え、生態系の循環の中に居る、自らの力で変化する水と炭素でできた一定の構造的な物質、という意味で、生物は確かに定義できるかもしれません。
ですが、「生きている」ということの意味は、そうした構造的な考え方のみでは定義できません。もっと、現象的なものを考える必要があると思います。
たとえば、海は生きていると言えないのか。大地や、空や、空気は、生きていると言えないのか。空間や時間、あるいは人間が作り出した人工的な機械は、生きているとは言えないのか。あるいは、そこらへんにある石ころだって、生態系の一部ではないのか。
そのように考えると、「生と死」の考え方に行き当たります。何が生物を生かし、何が生物を殺すのか。死んだものは生き返らないが、生きる前には何があるのか。死んだ後には何があるのか。
そのように考えていくと、生物というものは「死ぬ」のが当たり前です。死ねば終わりです。ですが、倫理や道徳すら、無いと言えるのか。神による絶対的な教えで、人を殺してはいけない、という教えが、なぜ正しいのか。生物学と矛盾しないのか。社会において、ただ奴隷を生かしたい、あるいは自分が生き延びたいから、人を殺さないというルールを作ったという、それだけの倫理観で良いのか。
なぜ人を殺さないのか、ということを考えていくと、そうした「生物学と宗教の矛盾」が見えてきます。生物がものであれば、殺してもあまり意味はありません。ですが、命を大切にする宗教の教えでは、決して他人を殺してはいけません。永遠の地獄に落とされます。なぜ、人間はそのようなことを考え、また作ったのか。そうしたところに、「生きているという概念は何か」という答えがあるかもしれません。
僕が思うに、生物は人間のまだ分かっていない物理法則で動いている。どのように生物が発生し、動き、形成され、生きているのかという、人間のまだ知らない物理法則がある。
僕は、そうした人間のまだ分かっていない生物を成り立たせる物理法則を解明する。
鍵は、血液の循環、そして酵素と免疫にある。血液中で、どのようにエネルギーを運ぶのか、栄養をどのようにエネルギーに変えるのか、そしてばい菌や異物をどのように排除し、生物の体の恒常性を保つのか、というところに、生物を成り立たせる「宇宙に本来存在している物理法則」の秘密がある。
また、生物種ごとに異なる「遺伝子の違い」と、全ての生物に共通する「細胞の構造」、そしてものを吸収しエネルギーに変える「代謝」と、要らないものや老廃物を外に送り出す「排出」、そして遺伝子を短いスパンで変える作用である「生殖」と、古来の遺伝子が少しずつ変わっていく遺伝子を長いスパンで変える作用である「進化」を調査する必要がある。
地球上の生物が原始生物からどのように現在の生物種に代わっていったのかという「進化の歴史」も考える必要がある。そもそも、何を意図して生物は生まれたのか、「生物の目的」は「進化」を考えた先あるいは元にある。
地球の生物を、「植物と動物の勢力争い」であるとするなら、僕は植物の方が普遍的だと思う。植物がエネルギーを生産する「生産者」であるとするなら、動物は「消費と運搬の手段」に過ぎない。生物が人間と家電製品であるとすれば、植物が人間であり、動物は家電製品である。動物の本能や心を作り出したのは、植物の作用ではないかと僕は思う。
僕は、既存の生物学を学ぶだけではなく、インターネットと不登校の経験から心や社会環境の成り立ちと振る舞いと現象学を解明していたころのように、自分で独自の生物学を作る。これによって、生物学は解明され、最近の歌手が歌っているような「未来では僕らは知っている」という、そうした「全ての生物構造の解明」を行える。
必ず、何らかの「生物を発生・形成させる法則」がこの宇宙にはあるはずである。そう、宇宙人はそうした法則を知っていたから、どこかの惑星で生物を作り出した。それが、何らかの運搬経路で、地球にもたらされたのである。
そして、未来において、人類はその法則を解明し、生物を自由に作ることができるようになる。ありえない生物がたくさん生まれ、結果地球は栄えると同時に、そのうち破綻して滅亡する。これぞ、「神々の黄昏」である。
生態系について言えることとして、「多様性があるから強い」ということが言えます。
どれかの生物がもし全滅しても、他の生物が生きられる環境であれば、他の生物は存続することができます。
これはたとえば、恐竜の絶滅のようなことに言えることです。恐竜という種は、古代の地球上に確かに存在しました。人間よりはるか長く、1億6000万年もの間存続しましたが、結果的に絶滅しました。
どのようにして恐竜が絶滅したかは諸説あり、隕石がぶつかって地球環境が変わった、などといった説明がされます。三畳紀、ジュラ紀、白亜紀などの時代にかけて生存していました。
つまり、いくら強く突出した力を持っていても、生物は環境が変わってしまえば、その環境に適応できなくなった生物は絶滅するのです。
そう、多様性とは、「環境への適応」に他なりません。人類も同じです。環境を破壊し、全員が馬鹿になってしまえば、人類は存在価値を失い、すぐに絶滅するのです。
しかしながら、人類は絶滅する必要はありません。ここから、自動車や石油燃料の利用をやめればいいのです。やめなければならないことは、誰もが知りました。そして、馬鹿になっているのはパソコンの技術のせいです。IT技術全てを滅ぼすしか、馬鹿が治る方法はありません。必要なのは、新しいまともな思想です。共産主義では、人々は団結できないでしょう。
僕が思うに、そのうち、放射能汚染の地域でも生きられるような生物が生まれます。あるいは、宇宙空間でも生物は生きられるようになります。そうした放射線や過度に熱い・寒い温度にも耐えられるように、人間の皮膚が進歩するのです。そうした生物が生まれることで、インターネットの影響も無くなっていくでしょう。もしそうならなければ、人類は絶滅する時代がやってくるでしょう。巨大ドームを作るという発想もありますが、その中に何人の人間が暮らせるのかは疑問です。
後日注記:自動車や化石燃料を使わない世界政府のソ連はすぐに実現します。必ず僕たちの世代が勝利します。僕たちがやります。
僕は、昔、Linuxやオープンソースあるいはコンピュータやインターネット全般から、「システムの共有」という発想をしていた。
これは、異なるシステムでコアのシステムを共有することで、自由な発展を共有から生み出す、という「環境に根差した地域と社会の発展」を意味している。
そして、その同様の意味において、人間や生き物の体の仕組みというのは上手くできている。これほど複雑で高度なシステムが、「別の生物を食べること」だけで成り立っていて、それだけで生物が成長し進化するという、「自分の力で進歩していく仕組み」が備わっているからである。
要するに、生き物は食べていればそれで良い。それだけで、これほど複雑で高度なシステムが、維持・発展していく。そう、それがおそらく、地球の生物の第一の目的である。
もう一つの目的があるとしたら、それは地球全体の秩序である。
ここでは、植物と動物の繁栄が意味を形作る。
植物と動物が相互にエネルギーを交換することで、どんな「中核システムが破損」しても、生物全体は存続していく。
おそらく、環境への適応という生物の目的はそこに意味がある。
どれかの生物が、必ず生き延びて、生き延びた生物の種が増えていく。
それによって、生物集団は必ず将来の地球において存続するのである。
それが優れた生物であろうと、劣った生物であろうと、環境に適応できなくなった生物が死に絶え、別の生物が生きていく、このシステムを考えた存在は天才である。
多様性や独自性だけではない、「システムの未来への対応」と「それぞれの個体の維持と発展の仕組み」が、ここにあるのである。
また、優れた種の生物だからといって、自分だけが勝利するのではなく、遺伝によって「自分の特徴」を受け継がせていく、というのが面白い。
この考え方は、ひとつの完璧な生物よりも、「たくさんの遺伝情報を持つマルチ・タレント」が増えていく、という発想である。
一人の強大なものは、生物のたくさんの集団に、「特徴」として受け継がれていく。
南アメリカには、特徴的な猿が何種類か居る。ホエザルは吠える猿で、とてもうるさい。オマキザルは非常に賢い猿で、チンパンジー並みに利口である。クモザルはしっぽを上手く操る猿で、しっぽは第五の手であると言え、クモのようであるためにこの名がある。
また、南アメリカはかつては隔絶された大陸だったが、200万~300万年前に北アメリカと繋がった。多くの生き物は北から南に移動し、これにマーゲイやジャンガルディ、ジャガー、タテガミオオカミなどが含まれる。だが、これに反して、オポッサムだけは南から北へと移住し、その繁栄力を誇っている。
ナマケモノは、非常にのろい生き物。この「のろさ」はあまりに奇妙であり、とてもおかしな生物であるため、興味深い。また、アリクイやアルマジロは南アメリカの貧歯類であり、アリクイはまったく歯を持たない。また、アルマジロは「甲を持つ現存する唯一の哺乳類」という点で非常に特徴的である。また南アメリカのコウモリは広く南アメリカに繁栄している。
グアナコ、ビクーニャ、ラマ、アルパカなどは同じ仲間で、グアナコとビクーニャが野生種で、ラマとアルパカはグアナコから作り出された。ラマは移動のため、アルパカは毛を取るために飼育する。
南アメリカの鳥は、ほかのどの大陸よりも特殊で、世界一の種類の豊富さを誇る。
爬虫類と両生類については、南アメリカではヘビ、カメ、ワニなどが特徴的。このうち、ヘビはアナコンダなどの巨大なヘビだけではなく、クサリヘビ科(マムシ亜科)などは特に危険である。カメはあまり人気がないとされるが、南アメリカのカメは極めて特徴的である。ワニはクロコダイル類とカイマン類が居て、もっとも大きいのはオリノコ川の名前を冠するオリノコワニ。
南アメリカの魚は、多くがナマズ科、カラシン科、シクリッド科に属しているが、この中でもデンキウナギ科は非常に珍しい。ほかにも、ピラルク、巨大ナマズ、カンディル、ピラニアなどが「油断のならない生物」として特徴的である。
また、生物の中でもっとも多くの種と変化を誇る昆虫は、ほとんどが熱帯地域に生息している。
南アメリカの生物について詳しくは以下の書籍が参考になります(以上はこの書籍を参考に執筆しました)。
2022.12.06
生物学には、3つの分野がある。すなわち、「分類」「生態」「仕組み」だ。
分類とは、生物種の名前と種類と姿かたちを覚えるということであり、自然に存在する多くの生き物たちの名前を覚えるということだ。
生態とは、生物種と生物種の関係性を覚えるということであり、それぞれの地球の地域の場所や種別において、どのような生物たちの「生物生態系」があるか、ということを知ることだ。
仕組みとは、生物の体の仕組みを覚えるということであり、細胞や遺伝子、タンパク質の生成などの分子生物学、そして組織や内臓や体つきのようなことを覚え、生物の生きる仕組みを知るということだ。
そのような中で、どのようにすれば生物の勉強ができるか。
それは、どのような場所にどのような生物たちがいるか、ということを知ることだと思う。
たとえば、川のような水辺の生き物を見れば、まず、タガメやゲンゴロウ、ヤゴ(トンボの幼虫)、ホタル、水の中に住むミミズなどの虫たちがいて、それらを食べる魚や水鳥などが生きている。
あるいは、田んぼのような流れのない水辺には、カエルの子供であるオタマジャクシなどがいる。
ほかにも、海のような海水の水辺(海辺)には、ヒトデやフナムシやシャコやカニ、さまざまな貝、フジツボ、磯に住む海藻や牡蠣などの生物などが多くいて、イソギンチャクなどが魚を捕らえて食べる。
そのように、生物学を学ぶ上で重要なのは「生物たちの生息する場所を絞って考える」ということではないかと思う。
(生物に詳しい父親の話を参考にしています。)
2024.01.18
放送大学「初歩からの生物学 ('24)」では、さまざまな多様な環境における生物種の特徴について、いろいろと書かれている。
まず、生物の暮らす場所の大きな違いとして、水の中の生物と、地上における生物、あるいは地中における生物では、それぞれ異なる特徴を持つ。水中では鰓(えら)呼吸が一般的だが、地上では肺呼吸が一般的である。水中の生物は、体の中の毒素をアンモニアとして排泄するが、地上の生物は尿素や尿酸に変換して排泄する。
また、気候についても生物環境は大きく変わる。ベルクマンの法則では、恒温動物の場合、寒い地域のほうが大型で、暖かい地域のほうが小型であると知られている。アレンの法則では、暖かいほうが体の突起物が大きく、寒いほうが小さいとされる。ただしこれは恒温動物の場合のみであり、変温動物では異なる。植物の場合、暖かい地域では常緑樹(常緑広葉樹)、やや寒い地域では落葉樹(落葉広葉樹)、さらに寒い地域では針葉樹(常緑針葉樹)が広く生息する。
気候以外であっても、地形においても生物の特徴は変わる。山の標高や水の流れの強さなども関係する。
また、同じ環境で、優生となる種を決定づけるのは、生物種の競争以外に、高ストレスな環境(生物が普通は生育するのに適さない環境)や、撹乱の環境(いつでも常に生物が生育できる環境ではなく、なんらかの破壊的作用によって時に生物が生育するのに適さない環境になること)でも、特にそのような環境のみに適応した生物のように、優生となる生物の特徴は変わってくる。
このほかにも、さまざまな環境的要因から、生物種は異なる条件の環境では異なる特徴を示す。もし環境的条件が同じであっても、生育するためのアプローチの違い、すなわち「生活様式」からも生物の特徴は変わってくる。水中においても、泳ぐ魚だけではなく、漂うだけの生物(クラゲやプランクトンなど)、海底の生物などで異なる特徴がみられる。またどのような生物を食べるのか、といった点からも異なる特徴を示す。
詳しくは、放送大学「初歩からの生物学 ('24)」に詳細が書かれているので、参考にされてほしい。
2024.03.20-21
地球、気象、地震、海洋に、地球全体のこと、特に気象、プレート、そして海洋などのことを載せています。
海と川についてのいろいろも参照のこと。