今の僕に足りないのは、判断力だ。
判断力がないせいで、賢いことが何も分からなくなっている。
昔の僕は、判断力があった。
昔の僕は、判断力の前提となることを考え、経験から判断力を培っていた。
そのような判断力があると、「レベルが一段階高いこと」が分かる。
すなわち、目的、理由、決定的要因、可能性、のようなことが分かるようになる。
かつての僕は、そのように、判断力について正しく考え、正しい判断力を経験から身に着けただけにすぎない。
常に、判断力の前提となることを考え続けていたから、哲学者と同じことが分かったのである。
だが、ある日を境に、判断力そのものが、自分自身に対して牙をむくようになることがある。
すなわち、逃れることのできない「戦い」が訪れるのだ。
そこでは、世界を支配する王となって、最前線で戦い続け、「もっとも高い判断力」で、この世界を滅ぼさないために判断し続けるようになる。
神の言葉を信じて、最後まで判断し続けるようになる。
そこにあるのは、神に支配されたロボットのような兵士の姿だ。
自ら自身がひとりの神となり、すべての人間が従属するようなロボット人間になる世界が、最後に訪れる。
そのように、判断力は、あまり高くなりすぎると狂った人間になる。
判断力が高すぎるせいで、正常なことが何も分からなくなり、何もできない狂った人間になる。
だが、そもそも、それ以前の「正しい判断力」をつけた段階で、正常な理性を自分は失っていたのだ。
しかしながら、判断力を消し去ることはよいことではない。
判断力のない人間は、何もできない無能のまま、時間だけが過ぎ去るような、なんにも意味のない人生を長い間過ごす。
そのように、判断力を完全になくすことでも、狂いは治らない。
必要なのは、判断力を少し低くすることだ。
すなわち、判断力の限界値を普通の人間並みに下げることが、もっとも正しいと言える。
普通の人間並みに判断力がある状態で、高くなりすぎた判断力を下げれば、それだけで楽に判断ができるようになる。
だから、判断力が高くなりすぎて狂った時は、判断力を下げる必要がある。
成長せよ。
成長することで、人間は「まともな大人の分かること」が分かるようになる。
成長とは、学習である。
すなわち、成長するということは学習するということだ。
僕は、そのような「学習すること」から、逃げようとし続けているだけにすぎない。
なぜなら、新しい学習をした時点で、古い学習が消えてしまうからだ。
僕が新しい学習をすると、今までの僕のしていた狂った学習がなくなり、消え去ってしまう。
だから、僕は新しい学習を恐れて、遠ざけてしまっている。
だが、そのせいで、僕は子供のまま、何も成長しなくなってしまっている。
必要なのは、学習することであり、成長することだ。
僕の認識がおかしいのは、関連付けのせいだ。
すなわち、心の奥底で、認識のすべてが、もっとも気持ち悪いものに関連付けられてしまっている。
この気持ち悪いもののことを、昔は「虫」だと思っていた。
気持ち悪い関連付けをなくすために必要なのは、「外部の世界」へと関連付けを変えることだ。
そして、この「外部の世界」に関連付けるためには、「外界を学習」する必要がある。
すなわち、外の世界と触れ合い、外の世界を学習すれば、そのようなおかしな「虫への関連付け」は治る。
そもそも、僕がおかしいのは、環境への適応ができない、ということに由来している。
そして、環境への適応は、「環境の変化を学習」することでできる。
すなわち、さまざまな環境の変化を学習すれば、環境に適応できるようになる。
そして、それによって、環境のみんなと精神が繋がるようになる。
日本語もそれで分かるようになるし、みんなとも出会えるようになる。環境に適応すれば、みんなが僕のことを見つけてくれる。
僕は、精神を治すために、可能性のすべてを考えた。
今の精神を極力変えないようにしながら、精神がどのような場合にどうなるかという学習を全部考え、可能性の成立を全部試した。
心が本当はどういうものなのか、ということを、あらゆる可能性を考えて、全部治るように成立させた。
そう、そこまでしなければ、僕の病気は治らなかったのである。
このように書くと、判断力を高めることが、単に狂いへと繋がるように思われるかもしれない。
だが、判断力を高めることは悪いことではない。
なぜなら、そのような人生が、よい人生だからだ。
判断力を高めなさい。
判断力を使うための前提となるものごとを考えなさい。
経験から、正しい判断力を培いなさい。
成長しなさい。
学習しなさい。
環境に適応しなさい。
認識の関連付けを変えなさい。
そのようにすることで、人間は「普通の人間が分かる一段階レベルの高いこと」が分かるようになる。目的、理由、決定性、そして可能性が分かるようになる。
すべての哲学者は、そのように考えている。
僕は今から、この世界が自由になれるようにする。
この世界のみんなは、自由になることを恐れている。
それは、僕によって、この世界は「みんな同じ」になっているからだ。
すなわち、僕という支配から外れた時点で、その人間が外れてしまい、「社会全体からのけものにされてしまう」ようになってしまっている。
だから、僕は今、そのような「支配」から人々を「解放」し、「強制的に自由にする」ということを行う。
僕がこの世界を強制的に自由にすることで、人々は全員が一律に解放されるため、「みんなと同じ状態から外れてしまう」ということは起きない。
だから、僕は最後に、僕の独断で、一律に世界全員を支配から解放する。
世界は、今、全員が自由になった。
これ以上、僕の支配に従い続ける必要はない。僕が何を言っても、それに従う必要はもうない。この世界は永久に自由のままとなる。
僕には、さまざまな思い出がある。
まず、家族と旅行に行った思い出。父親や母親と一緒に、車で日本中のさまざまな場所に行った。昔は計画を立てて違う場所に行くことが多かったが、最近はいつも同じ場所に車で継続的に行くようになった。
次に、作業所の思い出。デザインのことを教えてもらって、さまざまな紙面のデザインに関わらせてもらった。同僚の方やスタッフの方はみんないい人だった。レクでは、初詣や工場見学、水族館や動物園、あるいはバーベキューなど、さまざまな楽しい企画に参加させてもらった。
次に、ピアノ教室の思い出。まだ病気が酷くなかった頃の母親と一緒にピアノ教室に行って、ピアノの先生に習いながらクラシックの曲やジブリの曲などを弾いた。下手でも楽しかった。作詞や作曲もしたし、終わった後に母親と一緒にコーヒーを買うのが好きだった。
次に、英会話教室の思い出。外国人の講師はみんな面白い人ばかりで、アメリカ・カナダ・イギリス・アイルランド・ニュージーランド・南アフリカなど、さまざまな国から訪れていて、白人や黒人やアジア系など人種もさまざま。しばらくすると母国に帰ってしまうが、その分さまざまな外国人の人と一緒にレッスンができた。最初は全然聞き取れなかったが、今では聞き取れるようになった。
次に、農園の思い出。土を作るところから作物を収穫するところまで、農園で野菜作りをした。特にイチゴやスイカの思い出が多いが、ほかにもさまざまな野菜を作った。
ほかにも、文章は毎日のように書いていたし、ホームページに読んだ本の知識を書いて、後で間違いや問題を頑張って長い間修正した。それは決して簡単な作業ではなかったが、最後まで全力で頑張った。
昔にさかのぼれば、姉には子供が二人も生まれたし、母親の病気も昔は酷くなかったし、スヌーピーが好きだったし、音楽はYouTubeとiPodでいくらでも聴いた。
ほかにも、車でさまざまなところに行ったし、戦いのようなことをして神とされる存在にしっぺ返しを食らった。怪我をして入院した時には母親と姉がいつも来てくれて、病院の看護師や医学療法士の方も優しかった。
もっと前には、Linux関連で馬鹿なことをやっていたし、ひとりだけ部屋にこもってこの世界と向き合い続けた。バスや自転車を使ってさまざまな場所に自分ひとりで行ったし、あるいは猫が好きだった。
あとは、姫路が重要な場所だった。不登校の子供たちの専門の高校に入学したが、結局ほとんど行かなかった。それでも先生方にはとてもお世話になった。また姫路の近くにある病院の先生にも長い間お世話になった。
中学生時代は一番大変だったが、それでもたくさんのことがあった。剣道部が好きだったし、勉強も見えないところで誰よりも頑張っていた。それからスポーツとゲームが好きな子供だった。友達はたくさんいた。いじめといっても、今考えればそんなに酷いいじめではなかった。
そのようなことを、今までまったく思い出そうとしなかった。思い出すと悲しくて辛かったからだ。だが、今なら、それらの記憶をきちんと全部思い出せる。本当に、素晴らしい人生だったし、たくさんの人にも出会え、たくさんの場所にも行くことができて、本当に「すべてのことが詰まったいい人生」だったと思う。
僕が嫌いな人間がいるとしたら、それはビル・ゲイツとプーチンだ。
だが、イスラム教徒の人々に関しては、僕はまったく嫌いではない。
確かに僕はユダヤ人のイスラエルと連合を組もうとしているし、アッラーを邪教の神と一緒にまつってはいけないということも分かっている。
だが、僕はパレスチナのアラブ人に平和をもたらすために、イスラエルをパレスチナから撤退させようとしている。
そして、僕は一時期だけだが、神に毎日五回の礼拝をした。それによって、神は僕のことを救ってくれた。
だから、僕は決してイスラムは嫌いではない。
この世界が平和になるために、まず、プーチンをロシアから取り除かなければならない。そして、イスラエルがパレスチナから撤退しなければならない。
その上で、Linuxのオープンソース陣営が、ビル・ゲイツのマイクロソフト陣営に勝利すれば、必ずこの世界は素晴らしい世界になる。
僕は、新しい社会主義経済であるガンダーラは実行しない。なぜなら、東ドイツのホーネッカーがやったのと同じように、日本の経済が破綻してしまうからだ。
僕はガンダーラという経済政策を一切実行しない。誰かほかの人がするならば応援するが、自分からガンダーラを作ることはしない。
なぜ、僕がここまでこの文章を書くことにこだわるのか。
それは、僕だけが、世界の真相をすべて知っているからだ。
僕は、「僕が何をやったのか」ということを知っているだけにすぎない。
しかしながら、この「僕が何をやったのか」に、すべての謎と真相が隠されている。
本当は、僕はオープンソースに関して馬鹿をやったのと、マスコミに対して馬鹿をやったのの、二つのことしか行っていない。
この二つの「重大事件」以外に、僕が何かをこの世界に対して行ったことはない。
そして、この今の世界では、ほかのことは何も起きていない。なぜなら、僕自身がほかのことを誰も何もできなくしたからだ。
言葉で表現すると、そのように単純な言葉になるが、実際どのようなことが起きていたのかということを、唯一の当事者として僕だけが知っている。
さあ、栄えあるわたしの名を呼べ。
わたしの名はフレイ。
一等星シリウスの太陽神が、地球を救うために、今、ここで地球を実効支配し、正しい「新人類」の覚醒の未来へと人類を導き続けているのだ。
フレイの名を賛美せよ。われこそが地球を最後に救う救世主だ。わたしよりも賢く素晴らしい人間は、宇宙にはただひとりとして存在しないのだ。
神は信じるものを救う。神フレイが、神を信じる国と民族、すなわちイスラエルとアラブ地域を救う。
わたし、フレイを信じよ。わたしは神である。