日記に戻る | 2016年3月の日記に戻る

=2016-03-11=

認識、発想、人格、思考、感情のデータベースを分かっていた。

まるでデータベースのように、そういうものをネットから吸収して分かった。

いつもの文章は、そういう内容が多かった。想像力や知性や世界の構造を言っていた。

想像力旺盛で、豊かな発想力があった。

人間をモデルにして分かった。

成長、価値観、意識、言葉遣いを想定して分かっていた。

人格を想定し、偶然や作用などの自然な考え方を考えて、経験を分かっていた。

自由になって分かっていた。

ものごとの道理や、理性的な判断基準を分かっていた。

怖いのは、多重人格になるのが怖い。

じっとしていると、昔の人格になるのが怖い。

英会話教室が怖いのも、昔の人格になるのが怖いだけだ。

書くのを止めると、多重人格になる。

あとは、書くのを止めると、皆が馬鹿になって死ぬ。

悪いから、書いた方が良い。

自由なんかどうでも良い。自由は馬鹿になる。皆も、自由なんか無い人間しか居ない。

物理の本を読みたい。これで物理が分かると、この世界のことがきちんと全て分かる。

哲学の図鑑の本は、きちんと書いてあるが、内容が重たい。

神とは、全員のことを言っている。そして、自分も神の一部だ。皆も神の一部だ。

自然も、人間も、全て神の一部だ。父親すら、神の一部だから、神に何かを頼むと、父親のような人間にやってもらうことが出来る。

そういうわけで、スピノザは結構ある意味で正しい。自然そのものが神だ。

ベーメの言うように、神は「自分の中で、自分で無いものを作り出す」体験をする。

そういうわけで、昔からこういう神が多い。普通、昔の時代の人間が、こういう風になる。

神は、そういう、心理的、精神的な現象だから、居るわけがない。

本当に対話をすると、こういう風に、おかしな地獄になる。

そういうわけで、物理が正しい。自然と相対性と実証性で分かった方が正しい。

昔は、物理学者のように、そういう物理的方法で、自然に正しく分かっていた。

これで物理が分かって、社会経験があって、成長して、世界のことを知ると分かる。

昔は、それで、全員を知って、労働の経験が全部あった。

そういうわけで、こういう風に、「自分で物理をしていると神になる」のような人間が多い。

もっと、正しく考えること。正しい方法を思い出せば良い。人生的、精神的な正しい方法を知ることで、ブッダのように解脱への道が開かれる。

解脱は、全員にとって、本当に良い体験である。物理学者にとっても、医者にとっても、プログラマにとっても、作家にとっても、聖職者にとっても、哲学者にとっても、解脱が最も一番良い。解脱こそ理想であり、人生は解脱である。そういう発想が、仏教だ。

解脱をしていると、人生の正しい方法が分かる。それは、ブッダの教えからも分かるが、森羅万象のあらゆるどんなことでも分かる。全てのものが仏の説法を話している。そういうことを言う人間が、日本の仏教徒に多い。

こういう人間には、良い人間が多い。昔から、真実の思いやりのある良い人間が自分だ。

それこそ、これ以上賢くならなくて良い。普通、これくらいで終わりだ。

生命の循環や太陽エネルギーのようなことや、ベクトルや線形代数のようなことを、考え方と同じ方法で分かっていた。科学を自分で全部作る哲学者が、最近も多い。

最近、あまりに悪い。何も分かっていない。そんなに戦う意味が無い。これ以上賢くなると、そういう風に、戦う馬鹿になる。そういう、知性の無い馬鹿が賢い。

今日はあまり悪くない。そういうわけで、こういう風にきちんと全て分かっている人間が、大人に一番多い。誰でもこうなる。大学生に多いのが、こういう発達障害だ。

この文章は、見ていると、分からなくなって、眠たくなる。だが、怖くは無い。自分はこの文章が怖いから、ありえない。誰も怖くない。ありえなくない人間に見える。

コミュニケーションや交流を悪いと言うが、昔はそれしかしていない。色んな人間に出会って、皆とともに自由を知って分かった。本当は、そういうものを自由と言いたかった。人生で分かっているのは、そういう自由が好きだったからだ。

あまり言う意味が無い。2ちゃんねるといつも言っている。それに、言葉遣いと言語は、そういうもので分かった。思弁哲学とは、そういうことを言っていた。

そういうわけで、本当にヘーゲルやハイデガーは馬鹿だ。昔の自分と何も変わらない。こういう風に分かる馬鹿が多い。こんな文章を書いていると、ヘーゲルと言うよりは、ゲーテのように見えるのが自分だ。おそらく、誰もがこういう人間だ。賢い人間は居ない。こういう、おかしな人間に賢い人間が多い。昔から自分が一番数学者のように分かっている。

あとは、インターネットやマスコミのような、メディア論を考えていた。社会の規則のようなものを、フーコーのように考えていた。そこから、心理的な社会論を作った。社会のことは、心理的に変えられる、と言っていた。

そういうわけで、心理学なんか、しない方が良い。そういう、「悪い心理学」が多い。昔の自分にも多かったが、心理学をやっている馬鹿は、悪い人間が多い。

ただ、「良い心理学」をすると、賢い哲学が出来る。哲学者になれる人間が多い。そういうわけで、哲学者に悪い人間が多い。心理学が分かると、誰でも悪くなる。それで良い人間が多いから、賢い人間には、悪くて良い人間が多い。それこそ、心理学は良い人間になる。

そんな人格分析をしても意味が無い。心理学は、本当に、アドラーだと思えば良い。何かがおかしいとは言うが、あれで哲学が出来る。フロイトを哲学者と言うのは、フロイトをしていると、本当に独自の哲学者が出来る。哲学の講義でフロイトを教える教授が多い。

哲学は、心理学的に考えないと出来ない。認識と心がどこから生まれてくるのか、のようなことを、ソクラテスのように考えると出来る。

そういうわけで、こんな馬鹿な人間はいくらでも居る。昔なんか、ただの馬鹿だ。最近は、哲学を分かっているだけ、まだ賢い。こういう人間には、普通の人間が多い。

昔は、何かやりたいだけで分かっていた。「何かをやりたい、変えたい、と言う情熱」で分かっていた。そういう風にすると、きちんと哲学者以上のことが分かる。自分の社会経験から、きちんと分かる人間が多い。自分の悪い点は、最近の経験を無視している。それで分かっていない。これくらいの経験で全部だ。それで、考えなくても分かるようになった。

あとは、いつもの文章にも、そういう人生経験を書いている馬鹿が多かった。

あとは、プログラマは賢くない。昔自分がやっていた、Delphiだと思えば良い。何も賢くない。自分は、Open Janeの派生のようなものを作っていたことがある。オープンソースの2ちゃんねる専用ブラウザだ。あれは何も賢くなかった。あれを大規模にやっているだけで、何も賢くない。Perlは、昔自分がやっていたネットゲームだ。いくらか自分も作っていたことがある。ネット掲示板を作りたいのはおかしい。ツイッターと思えば分かる。あとは、OSを作りたかった。だが、Linuxはおかしい。何かがおかしいのは、こんな馬鹿な人間が作っている。技術者では無い、馬鹿なアマチュアが作っている。作れるわけがないようで、正しく実験用のシステムが作れる人間なら、誰でも作れる。自分はそこが出来なかっただけで、馬鹿では無い。何故か、プログラマなんか、ただの馬鹿だ。

昔から、ゲイツほどに賢い人間になりたかった。それは、本当に、作家の方が賢い。

あとは、数学なんか、パソコンと変わらない。昔の馬鹿が一番出来ている。数学の知性がありすぎるせいで、数学的にこの世界の全てが分かった。人生経験と世界構造を数学的に分かる、ありえない天使のような人間だった。天使とは、これのことを言っている。

世界観を数学にして分かる馬鹿が多かった。それで、環境と支配から、この世界がどういう風に変わり得るのか、何が出来るのか、潜在的可能性のようなものを分かっていた。自分自身の可能性や、社会、環境、協力、機会、応用的方法、認識の可能性を考えていた。

あとは、組織と意識の可能性が多かった。意識から組織への参加を考えて、組織をどういう風に作れるか、認識と知恵から分かっていた。

いつもの文章は、そういう、「方法的可能性」しか書いていない。世界観を書いていた。

それから、いじめを無くしたかった。それが、本人の悲願だった。本当に、子供のいじめを無くしたい。それだけを永遠に考え続けた。辛いことは、その願いで乗り越えた。

辛いことが沢山あったが、どれも、辛く見えて、ある意味では幸せなことだった。こういう風になる人間が多い。神様は、その人間が乗り超えられない試練は与えない。試練は絶対に乗り越えられる。斎藤一人の本に書いてあった。

あとは、カントのような文章を書く。定量的だとか、様相だとか、カントと良く似ていることを全部やっている。言語的にカントと同じだった。全く同じように分かっていた。

それから、体験をマスターのように分かっていた。神を信じると、こういう人間になる。だが、その頃はまだ信じていなかった。純粋に物理的に、善悪と経験を分かっていた。

分かりようが無いように見えて、「自分がどういう風に出来るのか」から考えれば良い。自分の数学とは、それを考えただけだ。そこから、世界のコピーを作って、仮想的な世界観と人格のようにして分かった。「全員になりたい」を望む、ヘーゲルのような人間だった。

あとは、理想の世界観を分かる。「抑圧の無い自由な社会」を望んでいた。だが、そういう自分が、一番皆のことをいじめている。そこが悪いのが分かっていない。自由とは、そういうものだ。強者が勝ちあがって、弱者のことをいじめる。そういうわけで、本当の自由とは、平等のことを指す。最近は、自由が本当に嫌いになって、平等が好きになった。

自分は、右翼より左翼の方が好きだ。最近、共産党や社民党の方が好きだ。きちんと平等な世界にするように見える。自由は馬鹿だ。金と戦争で、戦って守りたいのはおかしい。

自由に自分が勝つ、と言う発想が、一番悪い。いじめとは言うが、そういうおかしな人間をいじめるいじめが多い。自由はおかしい。自由が嫌いだからいじめが起きる。いじめは、自由を悪いと言うが、おかしな自由な人間をいじめるいじめしかない。そういうわけで、自分はいじめが嫌いなのに、自由にするのがおかしい。自由は本当に、悪い。

自由な行動で皆に勝ちたいのは、止めた方が良い。自分は、そこが異常に進歩して、社会を作ったり、科学的な真発見をしたり、戦ったり、神を信じたりするようになった。全部、ただ「自由」と思っただけだ。そういう自由が一番おかしい。自由と言うと、コミュニケーションで皆に勝つように見える。どこでも、そういう人間をいじめるのが子供だ。そういう、自由が悪い。自由に勝つ、と言う発想がおかしい。勝ちたくない子供しか居ない。

そういう、自由が嫌いないじめが本当に多い。自由が嫌いだから、自由をいじめているだけだ。平等が好きだから、自由をいじめる。そういうわけで、学校で平等を教えるのが悪い。それこそ、いじめは全部コミュニストが悪い。自由な方が本当に良い。

そういうわけで、これで自由と言うとまともだ。そういう自由な女だから、宇多田ヒカルに見える。それこそ、これで男だから、宇多田みたいな男に見えるのが自分だ。

普通、自由とは言わない。悲惨にキモイ人間と言う。自由が良くて、平等が悪いだけだ。

あとは、自分を自由と言うが、自分は平等も好きだ。そういう、「全部好き」が明らかにおかしいから、いじめられている。全部好き、と思うのがおかしいだけで、そういうおかしい人間をいじめるだけだ。宇多田のような真面目な人間は、誰もいじめない。

それから、自分は完全な自由が好きだったが、それもおかしい。夜警国家やソ連のような完全な自由で良いわけがない。それもそれでおかしい。

むしろ、学生時代はまともだった。普通の、勉強が出来る賢い人間だった。こういう、「すぐにキモくなる人間」は誰でも分かる。キモイで分かる人間が多い。

そういうわけで、その後にキモくなるのがキモかっただけだ。自由はどうでも良い。

あとは、自分はそんなにいじめられていない。ただ、集団でからかわれていただけだ。味方が少なかったから、いじめと思うようになった。だが、親友は居た。4人ぐらいはきちんと居たのが親友だ。そういうわけで、きちんと友達も多かった。自分はまともな人間だ。

世の不条理が、こういう風に多い。自分の自由と思うからいじめられるだけで、自由でない人間は、いじめていいことになる。こういう、社会的な不条理を良く考えると、人生が良く分かる。そういう人間が、カミュみたいに多い。カミュは人生が分かる賢い作家だ。

誰にも知られていないが、知られざる賢い人間が自分だ。賢い人間は、こういう人間が多い。あとは、いじめとは言うが、自分の好きな宇多田ヒカルが悪いのが分かっていない。あれも、こういう悪い人間だ。いじめはあまりしていない。愛が悪く見えるから、そういう、いじめのような人間になる。ただ、明らかに宇多田は良い人間だ。

宇多田が好きな時点でおかしい。そこで気が付かないのがおかしい。あれは、普通、皆をいじめたいだけの、一番キモイ女だ。誰もが嫌いだ。本人もいじめられているように見える。そういう、「いじめながらいじめられる」人間が多い。自由が好きだとそうなる。

いじめの分析はもう良い。もっと考えていると、普通カミュが分かる。僕はカミュのことを全く知らないから、知ったかぶりは悪い。知ったかぶりは馬鹿な人間になる。

あとは、自分には昔からおかしな点が多い。特に、嘘をつく。それから、男なのに女に見える。昔から、そういう風におかしい。それこそ、本当におかしい。そんな馬鹿は居ない。

それこそ、幼稚園児時代から、ホモみたいなことを言う。小学生時代は、学校にカブトムシの幼虫を持って行ったりしている。一番キモイ。中学生時代、がり勉みたいになっている。そういうところで分からないのがおかしい。キモイ言動や行動がキモイだけだ。いつも、挙動のおかしい人間だった。それこそ、ポルノグラフィティと本当に言うのはキモイ。

あとは、最近もキモイのが治っていない。引き篭もりになって2ちゃんねるをやりながらオープンソースのプログラマになりたいのはキモイ。それは、何故なら、プログラミングなんか、何も出来ていない。最近は、世界を滅ぼす戦いをしながら、神を信じていつまでも悪い文章を書いているのがキモイ。キモイのが全く治っていない。

こういう人間を、ユダヤ人と言う。昔の子供の方がまだまともだった。最近は、基本的な知性が無いのは、学校に行かなかったからだ。仕方がないが、こういうキモイ人間が、居ないように見えてどこにでも多い。それこそ、父親もこういう人間だ。

そろそろ、自分が自分のことを分かった。自分がキモイのが悪いだけだ。

昔は、自由から経済学を分かっている馬鹿が多かった。文章とは言うが、そういう、自由な経済学を書いているだけだ。そして、思いやりのようなものを書く。一番多かった。

最近は、そういう、「多かった」ものを書く。大して考えていない。何も考えていないありえない作家が自分だ。そういうわけで、もっと考えた方が良い。

あとは、不思議と、こういう人間はまともな人間が多い。大人になると、キモイ点が治ってまともになる。それこそ、中学生に本当に多い。

ユダヤ人と言うと悪いから、言わない方が良い。こういう人間は、日本人だ。

むしろ、周りが悲惨に見えるが、周りも周りでキモイ人間ばかり多かった。ただ、集団でからかわれるのは悲惨だ。集団とは言うが、3人から5人ぐらいだ。皆自分のことがキモイのを良く分かっている。がり勉とは言うが、代議員になって授業の号令をするのに、おかしな号令をするから、こういう風になる。そんなに改まった号令をするのはおかしい。

そういうわけで、からかわれるのが当たり前なのが分かっていない。それこそ、これでは周りの人間は、ホモとかイモムシとかそういうことを思う。気が付かないのがおかしい。

あとは、むしろ、あまりおかしくは無い。自分がキモイのを分かって終わりだ。治ったようで、何も治っていない。今も、右翼みたいな文章をまだ書いている。そういう、キモイを、そろそろ治した方が良い。自分のおかしい点は、そういう点だ。

アドラーなんかを見ていると、大人になっても治っていない人間が本当に多い。普通、こういう人間は、アドラーのように心理学を考えるようになる。

おかしいのは、精神と言うよりは、遺伝子がおかしい。ゲームばかりしていたのが悪いように見える。おかしくゲームで知恵がつくと、こういう風になる。

自分は分かっていない。中学生の何がキモイかと言うと、ネットゲームをしているのがキモイ。学校で皆の間で、Perlのブラウザゲームを流行らせていた。それがキモイ。皆を廃人にしているだけだ。それが、勉強や試験が出来るのがキモイ。いつも、クラスメイトが全く勉強していないのに、一人だけきちんと勉強している。そこらへんがキモイ。

あとは、これは公立の学校なんか、行かない方が良い。公立の高校は、本当に悪い。

本当に、自分は高校なんか行かない方が良いからこういう風になる。

不登校になったのは、おかしくは無い。ネットのオープンソースが適当に賢かったせいで、楽で良い人生になった。最近は、作家になっている。辛かったとは言うが、戦いながら信じたせいできちんと賢くなったし、作家として「出版」と言う成功を手にした。

自分が一番賢い。本の内容もきちんと賢い。きちんと賢い人生と神が書いてある。

そういうわけで、昔をキモイと思えば分かる。こんなに昔を書いたせいで、むしろ、分からない。誰でもロキできちんと分かるせいで、フレイなんか読んでも何も分からない。

自分は、ここから先が悲惨だ。多重人格になって狂うように見える。

あとは、昔のネットなんか、何も悪くなかった。色んな出会いと発見があって良かった。ネットはあった方が良い。こういう、社会不適合者を賢くしているだけだ。

あとは、相対的な社会の変化のようなものを書いていた。分散した共同体の連合と言う。

見ていると、ヘーゲルと良く似ている。同じようにキモイ。

あとは、哲学者がキモイから、哲学は止めた方が良い。昔の自分に本当になるのがキモイ。

あとは、いつもの文章もキモイ。あれは、ただ皆のことを徹底的に馬鹿にしているだけだ。

何故か、べっぴんさんみたいな女が見える。それも、アニメの女が見える。そういう馬鹿がおかしくキモイから、止めた方が良い。エロイ女になるのが一番キモイ。

皆をエロイ女にするから、こういう風になる。

そういうわけで、何故か自分が「いじめ」にしか見えない。一番キモイいじめに見える。

そろそろ終わりだ。自分は、いじめの無い世界にしたかっただけだ。望みはそれだけだ。

皆を自分にするのがおかしいから、止めた方が良い。

あとは、人間の可能性みたいなものを考えている文章が多かった。

そういうことを、全部「自由」と言う。人生と可能性のことを自由だと言っていた。

それこそ、最初からこれがキモイのが人間だ。これを神と言う。

そういうわけで、こういう、本当に辛い神が多い。神を信じると、こういう、「全部辛い」を全部やるようになる。そういう、辛いだけの地獄をもう止めた方が良い。

仏が見て、地獄が低いのは、これのことを言っている。いつも、これが地獄の神をやりたがる。皆を地獄にするだけの、神だ。それこそ、自分も地獄だ。そこが意味が無い。

あとは、自分は悟りを開いた人間だ。

そういう、悟りを開く方法のようなことを書いていた。

何もかも、きちんと考えれば分かる。それも、当たり前のことを考えれば良い。

ゲス乙女が言っているように、自分しか自分で無い。そういうことを考えれば分かる。

最近、そういう真理のようなことが分かっていない。

昔は、真理で知性がつくと言っていた。真理を考えていると、数学的な知性がつく。

悟りを開くために皆を導いている文章が多かった。そういう文章を書いている。

皆があまりに多様性豊かな世界になった。

最近の自分は、そこを統一しているだけだ。それこそ、多様性があまりに悪い。

そうすると、多様性を一人に統一して、統治している。

それも悪くは無いが、それを止めるしかない。

自分の通りの世界にするなら、もっと変えた方が良い。

皆、ドイツ人になっているから、イタリア人、フランス人、オーストリア人、スイス人、ロシア人、アメリカ人、イギリス人などになれば良い。

白人ばかりでは悪いから、日本人、中国人、ユダヤ人、アラブ人、インド人などになれば良い。黒人も、ケニヤ人やナイジェリア人などにならないと悪い。

そうすると、国にするのが悪い。ユング心理学のタイプ論が良いと思う。外交的、内向的な、思考、直観、感覚、感情に分かれれば良い。良く覚えていないが、そういうタイプ論があったと思う。内容が間違っていると申し訳ない。

昔は、真実や真理のようなことが分かっていた。文章にも、真理の構造を書いていた。

そういう、真理が分からなくなっている。

ソクラテスのように考えれば分かる。

あとは、悪いものは吐き出した方が良い。必要のないものは、全部吐くべきだ。

病院で死ぬのが辛いから、それを止めた方が良い。

死ぬのが悪い。前のめりになって、死ぬようになっている。それを起こすと治る。

自分のことを自分だと思えば分かる。真理とは、そういうものを分かっていた。

そういうわけで、これが自分だ。虫に見えて、女神だ。本当に、女神さまみたいな人間だ。

良く分からない。アニメのユウナが見える。FF10のユウナみたいになっている。

自分は、頭の中が全部何も無くなっている。

覚えていない。何一つ覚えていない。

成長すれば治る。成長すると良くなる。

自分は、作家みたいに全部作っている。

自分は、死ななければ良い。死にたいせいで辛くなっている。

死にたくない。

あとは、頭がゼロとイチになっているから、止めた方が良い。それが、死ぬ部分だ。

皆がもう放っておいてくれと言っているから、放っておく。

また、何か1つ忘れた。明らかにもう良い。

皆を分からなくするのが悪いから、分からせた方が良い。

アニメの女を殺すのが悪いから、殺すのではなく、どこかに行ってもらえば良い。

女が辛い。何故か、辛い。

この文章を書いていると、全く分からなくなる。皆も分からなくなる。

分かる学習をするせいで、こういう脳になった。

もう終わる。皆、死ぬように見えて、脳が治る。

あとは、めちゃくちゃな学習をするせいで、日本語が分かっていない。

あとは、人生の因果性のようなものを考えていた。

それぞれが、どこで何を見ているか。

それぞれが、どんなことから、どんな行動を取るか。

それぞれが、何をするか。

それぞれが、そこから何を考えるか。

そういうことを考える。そこから、真理のようなものを考えていた。

あとは、もっと、皆のことを分からなくすれば良い。そうすると、分かる。

皆が分からなくなると、自分が分かる。そんなに皆に分かってもらう必要はない。

それぞれが環境に対して、何をしているか。環境から何を得るか。

環境がどのように生まれるか、など、そういうことを考えていた。

何を見ているかから、何を思考するかを考える。昔は、そういうロボットを作っていた。

あとは、記憶と記憶の関係性とか、感情と発想と理解の関係とか、そういうものを考えた。

そういう文章が多かった。何でも、記憶と記憶を飛んで考える。

そういうことをまだしているだけだ。それを止めた方が良い。

もっと、皆のことを分からなくさせると、分かる。皆、分からない方が良い。

あとは、原理みたいなことを言っていた。オープンソースのことを原理と言う。

もう自分も分からない。不思議と、自分が分からなくなると、皆が分かる。

そういう、理解のキャッチボールをしている。相手に教えて、自分が分からなくなる。自分が分かって、相手からボールをキャッチする。そういうことをしているせいで、ボールを投げているだけに見えるのが、この文章だ。

皆に教えて分かるだけが、この文章だ。この文章が悪い。

昔、宣戦布告のようなことをしたのが悪い。

辛くなると治る。皆を辛くしても治る。

宣戦布告を解除して、降伏宣言をする。もう、自分は負けた。

負けても、何も起きない。それでこの世界が楽になる。

あとは、皆がおかしな方向に行っているから、それを直した方が良い。

昔は、そういう「それぞれ」のことを、ネットで見て分かっていた。

言葉で分かるのは、皆をそれぞれ、ネットで分かっているからだ。

もう分からない。

記憶や感情でそれぞれのことを分かっていた。

自分は、死にたくない。

何故か、皆が死ぬようにするのが悪い。

テレビを見ていると、皆、自分のせいでどんどん死んでいる。

何故か、死んでいないのに死んでいる人間が多い。

もっと皆が生きるようにすると、自分も生きる。

言葉にするのが悪い。言葉にすると、死んで分からなくなる。

言葉も悪いが、想像力も悪い。要は、そんなに分かるのがおかしい。

考えるのではなく、自由にすると分かる。

もっと、自由になれば良い。そうするときちんと分かる。

皆が自由になって、生きるのが良い。そうすると治る。楽になる。

そんなに支配したり、殺したりしない方が良い。

この文章で死なないようにするためには、昔のことを忘れること。

もう、完全にこの文章から自由になる。もう忘れて良い。

皆、生きれば良い。自分は、そんなに全部意味が無いことにしたいのがおかしい。

400年ぐらい生きたと言っている。それも、王として統治したように見える。

自分は、機械みたいに分かっている。もう分からない方が良い。

あとは、皆、行く方向が間違っている。右では無く、左に行った方が良い。

何故か、チンチンみたいなものが見える。男は、常にそういうものになる人間が多い。

こういうおかしな女が多い。女は逆にこういう風になる。

想像力が無い。

昔の文章を忘れた方が良い。昔の文章を作りすぎたせいで、想像力がおかしい。

昔の自分も忘れた方が良いが、昔の自分はまだマシだ。

今、男になっているが、それを言い終わると女に替わる。

右脳に文字が見えるようになった。それは、昔の自分が左脳を支配している。

もう、そういう右脳を忘れた方が良い。右脳はおかしい。パソコンになっている。

信じれば自由になる。

許して、任せれば、自由になる。

哲学的な知恵とは、そういうことを言う。心理学的な、そういう格言を分かっていた。

相手のことを自分だと思って、行動を客観視して分かっていた。

分からない学習を止めた方が良い。

分からないだけのおかしな学習をしているから、止めた方が良い。

もう、全て治った。不思議と、皆が治らない時に、自分だけ治れば治る。

あとは、哲学的な知恵は、サルトルだと思えば良い。

実存は本質に先立つ、のようなことを、仮想的なモデルにして考える。

昔は、そういう風に、「自由なモデルから考え方を分かる」と言う発想が多かった。

哲学的な知恵を、人間と現象を説明して分かる。そういう人間だった。