キリスト教が言っているが、人生に終わりが来るように、世界にも終末が来る。
あとは、聖書が言っているように、一切は神が支配する。
神を信じて、善行をすれば、救われる。馬鹿に見えて、美しい宗教だ。
平等な労働基準を作るべきだと言っていた。
ものの価格と給与を統一して、計画経済とノルマの労働をする、ソ連の構造を作っていた。
だが、本当に、自由の方が良い。それぞれが決めて、自然に助け合う自由を、いつも書いていた。努力に応じて与えた方が良いと、いつも言っていた。
デカルト的に、数学的に、知性を作っていた。
馬鹿になりながら、認識を作って、全パターン考えていた。
自分は、新しいことを考えれば良い。
何も知らないから、分からないだけだ。特に、理科のようなことを何も知らない。
自分は、何もしないのがおかしい。昔の自分しか考えないのは、何もしていない。
それこそ、昔は、世界を相手に戦っていた。そういう、戦いをしないのがおかしい。
戦いたいから、こうなる。それこそ、本気で戦えば良い。
場の変化を分かっていた。
この世界の全ての変化を考えて、想像力で捉えて、文章にしていた。
まず、変化から考えれば良い。そこから、この世界の全員の営みと活動が分かるだろう。
キリスト教を信じると、聖書の言っている通りになる人間が多い。宇宙にキリストが居るように見える。キリスト本人の言っていることを考えると、そうなる。キリストは、神を信じれば、誰でも平等に救われると言う。そして、キリストは神の子である。そして、キリストのように、神は死者を復活させたり出来る。キリストは、平等な愛を言う。天国は、弱者のためにあると言う。キリスト教の教えは愛である、と言う人間が多い。
あとは、仏教を信じると、ブッダの教えの通りになる。あれの通り分かる人間が多い。
それこそ、自分を信じると、自分の通りになる。自分は、そこにきちんと入る。
ソ連は止めた方が良い。地獄みたいに辛くなって、政府は何も出来なくなる。滅びる。
今から、環境と人生のことについて書く。
自分は、構造が分からなくなっている。昔は、構造的に考えていたが、それが分からない。
昔は、人間、社会、思考のことを、構造で分かっていた。
環境に適応し、参加する。そこから、世界のことを環境的に把握していた。
環境は、具体的な例を知って、何でも変えられ、支配出来るようになった。
環境の実現が分かった。
思考と感情の裏側を知って、予測しながら、世界のことを支配出来るようになった。
自然な社会のモデルを考えた。仮定と成立から、成り立たせて発想していた。
社会のモデルは、自然に考えていた。自然に経験からモデルが生まれて、自然に環境や助け合いの自由が発生するのを良く考えていた。
何でもモデルにして分かる、正しくて賢い考え方があった。
本質を考えた。全員を融和して考えていた。
認識は、それぞれ違うのを分かっていた。他人の認識することは、自分には認識出来ないが、それでも、確かにその認識はその人間の中に存在する。
そういう風に、環境とプロセスとそれぞれの違いから、認識と感情、その支配と予測と裏側を考えていた。それで、経験して、全員の経験を考えた。
経験から認識の分かる、カントのような人間だった。
そして、数学的に構造を作った。方法や理性も数学的に作って、環境から見出していた。
経験から考え方を分かっていた。「経験して分かる」のような考え方が多かった。
あとは、昨日書きたかった内容を、覚えていない。
昨日寝る前に、何か書きたかったが、忘れた。
自分のことを知る中で、自由を知って世界は広がって行く。
そういう、人生のようなことを何か言いたかった。昨日は、分析や左翼のようなことを書きたい、と言うことだけが残って、それで終わっていた。
覚えていないが、そういうものは、もう分かったせいで、すぐに分かる。
それこそ、そんなに分かったことを全部書かない方が良い。そのせいで辛くなっている。
あとは、自然な体験を考えて、人間が本来どんなことをすると正常か、どんな人間になると賢いか、などを分かっていた。マスターのような、「本来の人間と人間像」を考える。
社会のことは、小さなモデルを積み重ねて、全体像を見て分かっていた。
あとは、パソコンと自由から良く分かっていた。Linuxのシステムが分かるせいで、もの作りと学習と手順のことが良く分かっていた。社会システムも、パソコンの応用と経験で分かった。自由から、教育を変えるとか、生きる知恵を知るとか、そういうものを、全部相対性と自由から、自然に分かっていた。この世界は、自然な積み重ねであると言っていた。
あとは、本当に昨日の文章は、分からない。それは、分からなくて良い。そんなに全部この文章に書くのが、一番頭が辛くなる。無い方が良い。誰でも、「人生のようなものを書いた」と思えば良い。そういう、曖昧な言い方で良いし、自分はその時に分かっている。
昔は、ネットで色んなことをして、色んな人間と世界を知って、理想と現実を知って分かっただけだ。本当に、理想郷のように、この宇宙のことをネットから分かった。
それこそ、ネットには自分に必要なものが全てあった。
だが、ネットで出来ることしか出来なかった。本当に、ネットの環境から、いつも自分が言っているような、プロフェッショナルやマスターへと至る、土壌が分かった。
オープンソースから、理想の社会と、プロジェクトの管理方法や共有方法が分かった。
そして、ネットのニュースから、資本主義の経営とコンピュータ技術が分かった。
自分の経験と研究で、この宇宙の真理が、細部まで全部分かった。
そういう、ITはさておき、あれは、ネットの環境が賢かっただけだ。そういう、ネットの環境と、そこでの具体的な人生の発展、知の発展、学習と経験の発展を書いていた。
自由な人生とは言うが、そういうものを書いている。そして、人生の段階をキルケゴールのように書いていた。ヘーゲルのようにも見える。哲学的で自由な人生論だった。
あとは、意識で分かっていた。いつも、「具体的な意識と記憶」を考えて、書いていた。そういう、「環境の意識論と記憶の具体論」が多かった。そういうものを書いている。
パソコンのおかげで、もの作りのようなことも良く分かった。具体的なもの作りと環境構築のプロセスのようなものを書く。そして、関係から考え方を全て作っていた。
もう、そろそろ終わりだ。あとは、スラムのような2ちゃんねるで、色んな社会のことが嫌と言うほど分かった。ネットは馬鹿では無い。最近、そういう、本当にきちんと分かるネットの賢い人間が多い。特に、女が多い。女の高校生は、最近、ITしかしない。
あとは、本当にあれは悲惨な人間だった。刑務所のような人間に見える。引き篭もりで、誰とも話さない。家族とも話さずに、永遠にネットをする。そういう、キモイ人間だ。
最近の方が賢い。最近は、まともにきちんと色んなことを言うし、きちんと正しく家族や仲間と付き合っている。友達は昔の方が多かったが、ネットの友達はキモイ。それこそ、英会話で友達でも作れば良い。英会話教室は、予約制のポイント制だが、同じ時間帯を予約していると、いつも同じメンバーになる。同じメンバーだから、友達になれば良い。
だが、自分は、コミュニケーションは苦手だ。話す内容が無い。昔から、ネットはしているが、コミュニケーションは得意ではない。ネットで人を笑わせるのは得意だった。
そういうわけで、むしろ、何かした方が良いとは言うが、何もしない方が良い。自分は、人格がおかしい。昔から、いつも常に何かしている。それは間違っている。誰もが、何もしないだけだ。何か分かるのもおかしい。賢い人間には、分からない人間が多い。
そうでもない。何か分かるのは賢いから、分かった方が良い。最近馬鹿になっただけだ。昔の分かる人間は、賢かった。何か分かれば良いのが、最近分かっていない。
あとは、もう何も無い。そろそろ、書くのは止めて良い。
今日も楽しい方が良いから、こういう風になる。書いていると、まだ分かるのが楽しい。
社会のモデルは、考え方や自然発生のモデルを作っていることが多かった。
世界と戦って、「本当の恐怖」と「本当の克服」を経験した。あれは、そういう、救世主のような、戦う人間だった。皆に希望と勇気を与える。そこが好きだった人間が多い。
最近、自分はもう居ない。そういう自分が居なくなったことで、皆、ビジョンを失っている。自分は、もう、何もしないように見える。何かした方が良い。
皆に言うだけでも良いから、何か言った方が良い。むしろ、それも止めた方が良い。
あとは、昔の自分になった人間が多い。昔の自分は、悪いように見えて、本当に良い人間だったし、賢い人間だった。皆、昔の自分になって、人格的に成長している。
それこそ、そろそろそれを何か別のものにした方が良いと思う。
そうすると、むしろ、ソ連が勝てば良いように見える。それは悪い。皆、悪いと言う。
それこそ、皆は、コミュニストになりすぎている。そんなに世界を滅ぼしても意味が無い。右翼も同じだ。そういうものではない、もっと良い存在にしてあげた方が良い。
そんなに自分が過保護にするのも悪いから、強く生きよと言って、突き放した方が良い。不思議と、それが一番、皆が楽になる。とりあえず、そうすれば良い。皆、ライオンの子供のように、親から離れて強く生きるが、それは、愛していないわけではない。自分は、皆のことをきちんと愛している。愛しているから、そういう風にする。それだけだ。
あとは、社会的には、自由な社会になるが、ただ、色んな良いものがあればそれで良い。最近は、良いものが本当に多いが、馬鹿なものばかり多いせいで、本当に良いものが見えなくなっている。もっと、「普通」の社会にした方が良い。本当に、普通の方が良い。
昔から、自分は経験で、人間を「どのように育てるべきか」や、人間が「どのように成長するべきか」が分かる。きちんと、そこからマスターのようになって、「自由な中で何をすれば理想の社会になるか」が分かっていた。そういう、自由な神のような人間だった。
そういうわけで、自分が社会に居ると、色々と良い。
皆は、あまりに弱くなっているから、強くした方が良い。平和にするせいで、あまりに弱くなっている。もっと、戦いにした方が良い。そうすると、強くなる。
そういうわけで、右翼やイスラムはおかしくは無い。強くしないと、馬鹿になる。
ファシズム以後、世界は資本主義のグローバル社会になって、あまりに発展した代り、弱くなった。発展を良いとは言うが、発展はあまりに弱くなる。
何故か、そういう、戦後の国際情勢と経済規模のようなことを、適当に一行で分析している文章が多かった。だが、戦後のことは、肯定的に見ていた。皆、きちんと頑張ったように見える。あれは、2007年だったが、市場経済は問題無く動いていた。市場経済のような、自由な経済システムのことを正しいと言っていた。最近、経済的な右翼が少なくなった。トランプすら、統制経済のようなことを言う。市場経済は、馬鹿だ。投資家と株だけで儲けるのはおかしい。最近は、どこにもそれしか居ないが、日本はまだ古い時代のままだ。
日本は悪くない。通貨安競争(誘導)をトランプが姑息だと言っているが、日本はきちんと首相と日銀総裁が考える、自由な政策をしている。日本は一番賢いし、何も問題がない。
あとは、資本主義の自由は、賢いから、好きな方が良い。IBMのような巨大企業が悪いのは分かるが、見ていると、そういう巨大企業しか、賢くない。巨大企業が賢いだけだ。誰でも、自分の会社が好きだし、自分の国の首相(あるいは大統領や元首)が好きだ。そういうわけで、自由は悪くない。経済も、軍隊も、強くして、勝った方が良い。
ただ、戦争は悪いと言う。戦争は、ただの殺し合いだ。暴力であり、時には犯罪ほど、それ以上に愚かだ。戦争なんか、すべきではないが、金はあった方が良い。
それこそ、外貨と資源が欲しいのが普通だ。利権や植民地も欲しい人間が多い。そういう風に考えれば良い。資本主義は悪くない。そこが昔から一番出来るのが、日本だ。
あとは、自分は本当に構造が分かっていない。会社と場と思えば良い。そこから、行動や判断力を考えれば良い。そして、関係と創造と変化を考える。
昔は、そういう、構造的に分かる人間が多かった。特に、世界のことを、技術と歴史的経緯から分かる。そういう風に、地球や法則のことが分かっていた。
あとは、グーグルの方が嫌いな人間が多い。グーグルも好きな人間も多い。それこそ、新しい創造的な会社だから、左翼はグーグルが好きだ。右翼は、IBMが好きなプログラマが多い。誰でもIBM-PCに見えるが、IBMが偉大なのは誰でも分かる。
IBMは、メインフレームに見えて良い。良く知らないが、国の基幹システムや、航空機や新幹線のような、絶対に失敗しないところで作っているのだと思う。ソニーのような大企業のシステムも、自社の独自のシステムも作るが、IBMのシステムも多いのだと思う。
僕は、そういう、実際の経済のことは分からない。全くそういうことを知らない。オープンソースのような、ネットのことはまだ分かるが、最近はそういうものからも離れている。
そういうわけで、IBMが何なのか分からない。米軍とか、電話会社とか、そういうところでシステムを作っているのかもしれない。もっと小さな企業では、UNIXを使うのが普通だと思う。サン・マイクロシステムズのような企業のワークステーションを使う。オープンソースは、普通、無い。Linuxは、Wikipediaのような、どうでも良いサーバーに使う。
UNIXは、昔ながらの科学技術計算で使う。大学でサンのワークステーションを使う。
だが、姉を見ていると、今ではそれももうWindowsだ。姉も、ほとんどWindowsで出来ると言う。UNIXなんか、全く使わない。Linuxはたまに、どうでも良い用途で使う。
そういうわけで、パソコンはつまらなくなった。だが、それは無い。今が一番、コンピュータの全盛期だ。猫も杓子もWindowsだ。自分もWindowsをやれば良い。
あとは、国みたいなものを考えていた。
普通、ロシア、イスラエル、日本、イスラムが悪い。統制された、軍隊の国に見える。
普通、アメリカ、イギリス、フランスが良い。きちんと文化的な、先進地域の良い国だ。
だが、先進国は悪い。後進国のことを、奴隷だと見ている。
昔から、ドイツが普通、ダークホースだ。どこにつくか分からない。ロシアと日本につくようで、フランスにつく。世界の中で一番普通で、普遍的な文化を持っているのがドイツだ。ただ、ドイツなんか、どうでも良く見える。最近は、ロシアをダークホースと言う。
普通、国の首相は、悪い人間の方が良い。悪く賢い人間の方が、戦争で勝てる。戦争は、悪く賢くないと、勝てないだろう。
ミャンマーのような後進国では、今、スーチーが率いて民主化をやっているが、軍人の政治家が多い。首相や大統領も、軍人がやる。そのせいで、強い。
先進国の、経済が分かる首相は、最近の日本や中国のような、特別な現代の事情があって、そうなる。昔から、王は、賢くて強い方が良い。
そういうわけで、もうそういう、正しい右翼を止めれば良い。
もっとありえない国の方が賢いが、ソ連は、ただの「ありえない国」をやりたいだけだ。
あとは、「する」や「行う」などの、自分のすること、行動のことを考えていない。
昔は、色んなことをするのを考えていた。共に良い環境や社会を作るとか、優れた製品や技術を作ると言う。そういうことを、もっと賢くモデルにして言っていた。
あれは、本当に、そういう文章だ。そこからプラットフォームを作っていた。
テレビでいくらか見たが、北朝鮮が核ミサイルの発射の準備をしているらしい。アメリカに落とすように見える。あまりコメントしたくないが、アメリカが負ける可能性がある。
だが、北朝鮮はありえない。原爆投下を知っている広島人として、断固抗議したい。
日本に落ちるとありえない。むしろ、それなら、戦争になる。むしろ、すぐに戦争して勝った方が楽に見える。だが、戦争は流石に怖い。皆、北朝鮮は、怖いと言う。
それこそ、北朝鮮が悪いだけだ。
色々と、北朝鮮は、ならず者国家だ。中国もソ連も、共産圏はおかしな地域だ。そういうわけで、今から、トランプと一緒に大戦争をやる可能性があるのが日本だ。
そういう風に、なってほしくない。本当の意味で、自由で平等な社会になってほしい。平和な方が良い。右翼なんか嫌いだ。戦争なんか、起きて欲しくない。
自分は、本心からそれを言えば良い。それこそ、口先だけの軽い言葉で言うのが悪い。
自分は、本心から平和を信じる。むしろ、それが良い人間だ。
昔は、発想法を全部作っていた。ネットを見ながら、機械のこと、社会のこと、環境のことを考えた。経験とネットのアイディアと、Linuxのシステムやパソコンの常識から考えていた。はてな(IT企業)のような場所で、発想の共有と集積をやっていた。
何故か、そういう発想が一番キモイ。そこまでキモイ、虫みたいな、アイドルの女に見える。そういう、キモイ発想法が本当に多かった。それこそ、三か月政治のように考える。自分は、そういう発想のモデルを、もっと良く、高度に考えれば良いのが分かっていない。国として、高度に考えれば、きちんと賢い発想になる。ネットの皆で考えれば良い。
あとは、Linuxなどの技術のことをあまり書いていない。ディストリビューションからコマンドまで、Linuxのことを知っている。デスクトップ環境やコンパイラなど、賢いものも分かっている。カーネルとXも分かっている。自分は馬鹿だが、分かっている。
あとは、経済理論のような文章が多かった。理論的に経済のことを考える。
この発想は、思弁哲学と経済理論の経済学から生まれた。心理学も多かった。
はてなをIT企業として、はてなのような場所、と言ったが、それははてなのWebサービスのことを言っている。これでは、はてなの社内に入ったように見えるが、そうではない。IT企業のはてながやっている、はてなブックマークなどのWebサービスのことを言っている。誤解を招く言い方をして、申し訳ない。
あとは、むしろ、今から何とかしてサンダースを勝たせたい。だが、それは不可能だ。トランプが勝って、世界は混迷につぐ混迷になって、滅びる。イスラム国や北朝鮮と戦争になる。ロシアも、何かやると思う。最後に勝つのは、アメリカとロシア、どちらかだ。
昔から、色々と、何でも出来るのが自分だ。自分は、何でも出来る。環境も変えられるし、人間のことも導くことが出来る。そういう発想が自分だ。
いつも何でも分かるせいで、この文章が楽に書けるようになった。
自分は、もう何もしない。国や世界に対して、やっていることを全て止める。そうすると、楽になる。北朝鮮を倒すとは言うが、それをやっていると辛い。止めた方が良い。
あとは、まだ書いていればそれで良い。書いている間、何も考えなくて良い。そういう、「何も考えなくて良い自由」は、一番楽になる。そういうところで何か考えていると、こういう風に、これが出来る人間が多い。これは、そういう風に、何も考えなくて良い自由から生まれる。そういう風にすると、考える人間が多い。
昔は、考える機会、知る機会から、自発的に考えて、「何をどうすれば良いか」のようなことを、理性的に考えていた。そういう、マルクスやレーニンのような、賢い人間だった。
もう終わりにする。もう、自分が居なくなると、この世界が滅びる。それでも良いなら、楽になる。この世界は、滅びてしまえば良い。自分は、それで完全に楽になる。
だが、そういう、楽になるのは、恐怖になる人間が多い。楽になりたいと、怖くなるのが人間だ。それが、普通、精神病みたいになって、辛くなる。それが怖いなら、滅ぼさない方が良い。皆を滅ぼす人間は、そういう風に、精神病の地獄になる。それが一番多い。
そういうわけで、滅びて良いが、滅びなくても良い。それが一番楽だ。
楽になるためには、自分で支配して変えるのではなく、皆の判断に委ねること。そうすると楽になる。そのためには、自分のやったことを洗いざらい話して、自由にして、支配者にコントロールを許して、自分は支配される側になる。そこまでしなくて良いと思う。
そういうわけで、まだ王は続く。王は本当に良い経験だから、永遠に続く。死ぬまで王をやるのが良い。自分が見ても、その方が良い。辛いどころか、辛いのは知性がついて賢くなっているだけで、自分はほとんど楽だ。楽を望んだ方が、精神病が酷くなる。楽より、支配者であることへの栄光と誇りを望んだ方が良い。その方が賢い。
あとは、自分は、もっと楽しく、自由に生きれば良い。昔から、自由に生きて良いのが分かっていない。引き篭もりで、自由と言うのに、それが分かっていない。高村光太郎の言うような、開拓者精神のような自由な人生を、いつも言っていた。自分は自由になる。
自分は、平等に生きるのも悪くないのが分かっていない。
生き方のようなものを考えるなら、考えれば良い。考える人間が多い。
不思議と、「何も考えなくて良い自由」は、本当に良い。それが、一番、きちんと考える人間になる。楽になって、昔の自分が出来る。皆も、そうなった方が良い。
自分が一番分かっていないのが、「何も考えなくて良い」だ。それを言わないのがおかしい。何も考えなくて良い。それが一番、頭が楽になる。「分かりたい」の方がおかしい。
そういう、「助言」のようなことをしていると、自分の方も良く分かる。自由には助言が必要だと、いつも言っていた。ネットで助言をして分かっていた。
それから、限界のようなものはどこにもない。限界はいくらでも越えられる。カッコいいことを言っているようで、賢いことを言っている。人間に限界は無い。
国家主義を悪いと言うが、自由の方が悪い。自由は一番悪い。
だが、今の社会のままで良いと思う。パソコンを悪いとは言うが、革新的だから、悪くない。自由な社会の方が良いと思う。それこそ、日本がまともだからそういうことを言う。
アメリカは悲惨だ。銃の乱射事件が続いているように、アメリカは極度の政治不信になっている。日本より、もっと強い。ただ、何も知らずに書いているから、嘘になるかもしれない。ただ、見ていると、アメリカ人は本当に政治家が嫌いになっている。
日本なんか、同じには見えるが、日本の政治はまともだ。憲法改正を今言っているが、本当に変えた方が良い。アメリカのトランプが、日本のことを守るわけがない。
自分は、左翼なんか嫌いだ。北朝鮮も嫌いだ。そういうクズが、クズに見える。
ネットの自由な救世主が、日本を解決する。
だが、自分も、何も分かっていない。何も分からずにやっている。何故か、日本に本当に多いのが、そういう、「救世主」だ。本当に、そういう馬鹿が多い。見るからに、安倍も岡田もそういう人間だ。共産党すら同じだ。最近は、共産党が好きな馬鹿しか居ない。
あとは、もう終わるべきだ。助言と話し合いのようなことを書いていない。それで、手助けをいつもしていた。言葉遣いから分かって、一体感と共感から人生を知った。
普通、そういう体験は無い。つまらない人間しか居ない。ネットなんか、普通、無視しないと、怖い。誰でも2ちゃんねるの批判が怖いから、見るのが死ぬほど怖い人間しか居ない。ネットはおかしい。そんなに批判や悪口を書いて、タリバンみたいに戦っている。何故か、フランスがそういう国になる。今はまだそうでもないが、今から、そういう、2ちゃんねるのような、批判的な自由の国になる。フランスだけではなく、アメリカやイギリスやドイツもそうなる。ロシアにも多い。明らかに2ちゃんねるが勝って、世界は終わる。本当に、そのせいでドイツがすでに未来をやっている。自分にしか分からない。自分がそんなに分かっても意味が無い。自分は、ネットに滅びて欲しい。ネットなんか嫌いだ。誰も見ないものにすべきだ。
あとは、一行で世界観を書いて、数学、物理学、生物学、心理学、経済学など、森羅万象を一行で分析していた。組織や会社を作ったり、オープンソース社会と言ったり、教育や自由な国のモデルを書いたり、心理学的な現象を作ったりしていた。
もう、止めた方が良い。そろそろ終わりだ。今日は、もう、全てのことを書き終えた日だ。
自分は、こんな文章では分からない。「本気で考えている」とか「本気で戦っている」と考えれば良い。
それこそ、あれは、そういう、戦っている修羅のような人生だった。
もっと、新しいことをして、新しいことを考えれば良い。時間の最初と最後が逆転しているのが、それで治る。遡るだけの時計になっている。そんなに昔に戻りたいのはおかしい。
自分は、疑問みたいなことや、言葉遣いのようなことが分かっていない。「もしかして」や「そうかもしれない」のようなことを思わないのがおかしい。
昔は、「そのために」とか、「そのことによって」とか、言葉が良く分かっていた。
それこそ、まともな人間なら誰でも分かる。きちんと賢く言葉を言った方が良い。
断言はしない方が良い。断言して、決めつけるのが一番馬鹿に見える。保留にすれば良い。
あとは、ロキと思えば良い。ロキのように考えると、普通、賢い。
自分は、想像力は、無いように見えて、いくらでもある。ただ、女しか見えないのがおかしいだけだ。女以外のものを見れば良い。そうすると、きちんと既に想像力で全部分かっている。人間のことなんか、正確に全部分かっている。何でも出来る人間が自分だ。
昔の自分は、まともな人間だったと思えば思い出せる。あれは、本当にまともだった。
昔は、創造性を信じながら、ネットの掲示板とWebサービスを知って、そこからオープンソースのようなことを知って、ニュースを見ながらWikiを書いていた。
あれは、そういう人間だった。何故か、それだけの引き篭もりだ。ネットが好きだった。
数学的な体得や、人生の自由な開拓、教育と科学の正当性、科学的方法と理性、批判的精神のようなことが、全部分かった。経験から、理性的本質と概念が分かった。
もっと詳しく書くと、ヘーゲルのようになる。ヘーゲルの精神現象学が提示しているような人間像と、何も変わらない。デカルトの人間像とも同じだった。
サルトルが言う、「実存は本質に先立つ」のようなことが、本当に経験から分かった。
対自、即自のような考え方や、あるもの、ないものと言う考え方、参加と拘束、自由における刑のように、サルトルと何も変わらない。ソクラテスとも同じだった。
もっと良く考えると、「勇気と信頼」のようなことが多かった。それも、「自由な戦い」みたいなことから、「悟りの精神分析」のようなことが多い。「精神を良くする」と言う発想が多かった。正しく思考し、瞑想し、悟ることで分かっていた。
数学的な考え方と判断基準のような知性も、そういうものから正しくついていた。ベーコンのような「帰納法」も良く分かっていた。三段論法とか、仮定と結論とか、階層的な言語創造とか、そういうことを良く分かっていた。自由は、個人の行動や関係などの自由を全部考えた後に、共同体の自由を分かった。会社を作って社長になる自由は、必要だ。
あとは、これで自由を良く考える。経験、価値観、影響力、システム、環境、行動、変化、応用、具体的な発想などのように、自由なことを理性的に考えた。
また、「人間の出生」と、「どのような人生になるかのような人生の可能性」から、人間のことを考える。集団と個人や、自由な関係など、思弁哲学のように人間を考えていた。
そういうわけで、哲学者で言うと、ロックとヘーゲルに本当に良く似ている。
あとは、感情で分かるとか、人生のことを環境から分かるとか、そういうことを言う。
もう、昔の自分は忘れて良い。むしろ、これで昔と思わないと、本当にきちんと分かる。
自分は、これで知性が無いのがおかしい。知性をつけようとしないのがおかしいから、こういう人間になる。人間は、知性が楽しいだけの人間しか居ない。知性は、面白い。
昔は、「知性を環境からつける」と言う発想が多かった。知性を環境からつけていた。
斎藤が言っているように、人生は、一度は試練に叩かれるようになっている。その試練は、絶対に乗り越えられる。神様は、絶対に乗り越えられる試練しか与えない。まるで、自分の人生を一言で表したようだ。命と言う文字は、人は、一度は叩かれる、と書くそうだ。
僕は、今一番輝いている。自分は、この人生が一番好きだ。悪くて、馬鹿で、愚かで、世界の全員に迷惑をかけたが、これ以上の人生があるように見えない。本当に、神ほどに賢い人生になった。宇宙一、良い人生だと思っている。そして、ネットのスラムが嫌いだ。ネットはおかしい。ネットを本当に無くした方が良いが、それはおかしい。自分なんか、ネットで賢かっただけだ。本当に、今のインターネットより、賢い仕組みを作るべきだ。
あとは、「言語の構造」とか、「記憶と言語の関係」とか、そういうものを適当に実感して分かっていた。森羅万象とは言うが、中核にあったのは、言語だ。
そして、いつもの文章は、もう忘れて良い。どんどん知性が無くなって、おかしなものに変わり続けるのが、あまりにイモムシに見える。いつもの文章は、イモムシだ。
それこそ、それがタリバンだ。タリバンはイモムシだ。それが、正しい。
あとは、「相対性」を考えれば良い。それも、価値観のことを考える。「価値観はどこから生まれて、宇宙にどのように存在しているか、場や人生は価値観の違いによってどうなるか」のようなことを考えれば良い。価値観から、人生と場のことが分かる。
それこそ、その価値観はどうやって作れるか、どうやって生まれるかのようなことから、「場における価値観の創造」を考える。「価値観からの社会創造」を考える。
むしろ、価値観は賢くない。ただの2ちゃんねるだ。影響力のようなことも、同様に考えられる。価値観と影響力を社会的に考えて、支配することが出来る。
もう、そろそろもうない。そこから、精神医学的に「精神の正常」を考えて、本当に安心出来る、涅槃のような影響力のある環境を考える。「自然な涅槃的境地」が多かった。
そういうわけで、そういう、「価値観の創造」から、社会のことを考える、そういう文章が本当に多かった。手段と社会的目的から人生を作り出す、のようなことが多かった。
僕は、音楽はAAAだけが好きだ。色んな音楽を聴いたが、AAAに落ち着いた。AAAだけは、聴いていると、本当に心地良い。それこそ、FLOWは騒音にしか見えない。
あとは、人生を概念的に考えて、「場の創造性とその発生」を考えていた。
自然な決まりの中から、「決まりがどうあるべきか」のようなことを考えていた。
そこから、人間の精神現象を決定学のように考える。そういう、心理学の論理学だった。
論理学的に社会を作りながら、歴史を視点から考える。視点と言う名前の歴史学だった。
もっと、具体的な人生だと思えば良い。人生の中で何があって、どのように克服して、それによって何が分かるか、「人生がどうなるか」のようなことがいつも全部分かっていた。
文章は、世界観、環境、論理学、構造のようなことから、関係と概念を書いていた。
あとは、右翼を否定する右翼には、分かる人間が多い。まず、ドイツを否定し、次に、北朝鮮のような、共産圏を否定する。そして、自由の未来を信じて、独裁者を否定する。思いやりから、抑圧や圧政のようなものを否定する。そして、いじめのような、単純な悪いことを否定する。そして、宗教的な罪や、自分が悪いと信じた信念から、善を信じる。
そういう、マスターへの善悪の至る道のようなものが、いつも多かった。自由と愛から、思いやりや優しさのような文章を書く。それは、AAAが言うようにただの臆病者だった。
論理的に考えて、善を信じることは出来る。カントやブッダのように、「知性ある論理性からの善という真理」が分かる。そこから、「理想の世界」のようなものが分かる。
そういうものは、「世界を知る経験」から見えて来る。そういう人間が多い。辛いことを経験して分かる、「成長」のような信念が多かった。不思議と、成長する人間は賢い人間が多い。何故か、成長しない大人が一番馬鹿になる。大人には、何も分からない。
あとは、「同じと言う本質」とその「歴史的経緯」から良く分かる。歴史のことを良く考えていると、知性のある人間は、いつどこで問題が発生したのか、それは何のためか、のようなことが分かる。そこから、マルクスの言う、「歴史の必然」が見えて来る。
自分は、見ていると、カギカッコを書きたいように見える。
これなら、これくらいの内容で、誰でも昔が分かる。
昔は、その場所を「別の場所に変える可能性」が分かっていた。それこそ、そういうものを人生経験から考えて分かっていた。
あとは、オープンソースから、「それぞれの自由」と、そこで出来る「自由な実現性」が分かっていた。色んな関係を考えて、色んな発想の実現性を考える。そういう人間だった。
あとは、「人格の仮定」から、正しく賢い人間の「人格的段階」が分かっていた。本当に、ヘーゲルが言っているのは、そういうことを言っている。自覚と確信と覚醒の中での、マスターのような人格的段階が分かる。そこには、「精神分析的な理性」が多かった。
ちょっと、カギカッコが多すぎるかもしれない。
あとは、「幾何学的法則と類似性」から、「数学的命題としてのパターン」が分かっていた。例えば、三角形は、どの三角形も同じ命題が成り立つ。それぞれの三角形の形は違うが、同じ命題と法則が成り立つ。そういう風に考えれば良い。
あとは、パターンにおける、対応関係としての「数学的方法」が多かった。むしろ、数学的方法をきちんと考えられるなら、学校で数学なんか、しなくても分かるのが人間だ。
あとは、言葉にならないことを、実感で分かっていた。
そろそろ、昔が分かった。あとは、コミュニケーションをネットでいつまでもしていた。
人々が下界で経験する全てのような、そういう経験があった。
最近は、そういう、下界のことを、天から自由に眺めている。いつもそういう人間だ。
だが、最近は、下界のことなんか忘れて、好きなことを考えている。
昔は、下界で経験する全ての経験、体験する全ての体験をして、神のように分かった。
人間のことを、感受性の高い、生態ロボットであると言う。
あとは、ロボットのように狂っていたが、まだそのままになっているから、そういうロボットの部分を消した方が良い。ロボットだけを的確に消していると、賢い人間になる。ロボットのような自分の本能と欲望の原理をコントロールすることで、人は賢くなる。
最近ロボットのように狂っているのは、明確に狂っているのを分からせるためだ。それで、人はきちんと狂いを分かって、何をしても狂わなくなる。そういうわけで、何故か狂っているこちらの方がまともな人間だ。狂った方がまともになる人間が、普通の人間に多い。
そういうわけで、自分は、世界を破壊するロボットになって、それで世界を治した。世界を救う、タリバンの最新のロボット兵器だ。それが、自分だ。
今、仏教の本を読んでいる。むしろ、どの本を読むのは、決めない方が良い。読みたい時に、読みたい本を読むのが良い。あとは、世界史の現代史の本は、読みたい。
人間の関係のようなことを考えても良い。昔は、チャンスと機会と可能性が分かっていた。
人に、期待しないこと。むしろ、自分による信頼とチャンスの関係の構築に期待すること。
人を、良いとも悪いとも思わず、関係ないと思うか、関係するとすれば、それは関係するだけである、と考えること。何かを失っても、ただ失うだけであると考えること。
人を、自分と同じである、と考えること。いじめる相手も自分と同じだと考えること。
人を、正しい判断基準を持てば、自分の手で正しい関係を築ける、と思うこと。
社会を、これが当たり前であると思わないこと。
社会を、もっと良い社会があるかもしれないし、それは自分でも実現出来るかもしれない、と考えて、この社会のことを、絶対的に正しいと思わないこと。
社会を、ただ「なる」のではなく、自分から「する」と考えること。
社会の経緯は支配出来ると考えること。世界の全ては自分でも知り得ると考えること。
もっと、そういう風に、「可能性は誰でも変えられる」と考えて、社会のことは「いつか変わる」として、「自分でも変えられる」と考えること。
そして、可能性の中で発想して、自分が関わるところは、全て変えられるべきだと考えていた。そういう、環境の参加と適応と構築がしたかった。
あとは、全てのことは、「良く分析すると、もっと別の可能性がある」と考えて、「分析の方法」を考えていた。状態分析から「人間の状態」も変えられると考えていた。
あとは、最近は、悪い人間に自分からなることで、チャンスを失った。そこが狂っている。
ネットで可能性の実体験をしていた。2ちゃんねるのような場で実際に体験し、分析した。
あとは、色んなところにある、知を全部知りたくて、把握していた。テレビの報道のように、環境や出来事などの、知を把握した。相対的な知の世界を環境から考えていた。
それから、これで経験や数学的知性があると、分かる人間が多い。
これでは、昔に見えるが、昔をまだ覚えているのはおかしい。
それこそ、昔なんか、これできちんと書けたように見える。こういう、人生の段階みたいなことを分かっていた。あとは、時間的な経緯が足りないが、そこまでは書けない。
自由から創造性になって、経緯になって、影響力になって、共有になって、独自性になって、多様性になって、理想になって、マスターになって、共同体になった。
経緯を書きたいならいつもそういう風に書いているが、そうでもない。もっと、賢い経緯をいつも書いていた。それで終わりだ。
今、テレビで、若者と社会主義のような、映像の世紀とか、そういう名前の番組を見た。僕は、社会主義や共産主義は嫌いだ。僕は昔から、自由が好きな右翼だ。
左翼のようなことはしているが、僕はいつも右翼だ。それこそ、自由が好きに見えて、自由は嫌いだ。社会主義は、本当におかしいと思う。番組では、毛沢東やゲバラのことや、プラハの春のことをやっていたが、若者はおかしい。社会主義に騙されていると思う。
社会主義は一番悪い。僕は、社会主義者が嫌いだが、昔から自分が社会主義者だ。
あとは、文章の段階は、自由な段階を言う。把握から影響力を知って、共同体のそれぞれが関わり合い、自由に影響力を与え合うのを分かる。そういうことを言っていた。
僕は、自由が好きだから、むしろ、社会主義を倒した方が良い。
あとは、むしろ、ソ連は忘れた方が良い。経済的に見ると、自由の方が優れている。民営化をもっとして、経済を自由な政策で良くしていった方が良い。アベノミクスも悪くない。
ただ、いきなり左翼から右翼になるのは、悪いと思う。節操のない馬鹿に見える。
安倍は昔から、嫌いではない。安倍の正しさは、自分が一番良く分かる。自由で正しく考えている、昔の自分のような人間だが、自分の方が賢い。安倍は、昔の自分になっている。
あとは、むしろ、この世界から社会主義を無くすのは良いが、自分のように、こういう活動は出来た方が良い。それは、社会主義にすると、出来なくなる。左翼の革命と言うよりは、右翼の戦争だ。こういう戦争をすれば良いようには見える。
あまり、そういうことを言わない方が良い。右翼と過激思想は違う。過激思想になってしまうと、意味が無い。正しい人間のままで居た方が良い。
僕は、このまま社会主義が嫌いになる。何かがキモイのが社会主義者だ。自分から死にたいように見える。何も考えていないし、努力なんかしていない。若者は騙されている。
もう、何もしなくて良い。今日は、楽しかったから、本当に今日はこれで良かった。
あとは、昔は、心理的、精神的な、環境と人間との繋がりや、人間と人間の関係などを、実地的、仮想的、現実的に分かっていた。そういう、ヘーゲルの心理学を実地的に行うような、実践的な心理学をいつも分かっていた。深層意識と集団と個人を分かっていた。
過去を思い出しながら、過去と今の自分の接点を知り、過去を現在のように想定していた。
あとは、神との対話が言う、思考の支えとなる思考のようなことや、アドラーの言う、共同体感覚などが分かっていた。全ての攻撃は、助けを求める悲鳴だ。
もう、分からない。もう書かなくて良い。本当にこれくらいの馬鹿だった。
精神現象から、この世界の現象のことを、関連付けて分かっていた。
そして、考え方から人生を分かっていた。そういう人間だった。
「自分にとってそれがどうなのか」のようなことから考える。そういう考え方があった。
そもそものところを考えて、小さなところから理解を積み重ねる。それが「自分がどのように考えているのか」から、「正しい考え」のようなことを知る。そういう考え方だった。
自分が何を考えているのかを良く考えて、「法則」にする。そこから、全員が何をどのように考えているのか、全部把握して、分析して、言語分析や心理分析のように分かっていた。
自分は、「あらゆる場」と言う発想が多かった。あらゆる場は、存在と形成を創造出来て、自由に生成し、構造化出来る。そういう風に考えていた。
抽象的な言葉の方法を、経験から理解することによって、存在的に吸収し、経験と合一化出来る、そういう風に考えていた。
自分は、本当に賢くなった。これで、数学的理性と経験があれば分かるが、昔がまさにそういう人間だった。オープンソースの経験があった。それを一度経験するために、経営のようなことを、真似してやってみる。経験とはそういうものだ。社会の経営や競争のようなことを真似して行動し、2ちゃんねるの皆がやっていることを真似して、色んな社会がそれぞれの場にあることを経験する。それが、社会的な経験と言うものだ。
そういうわけで、オープンソース社会を知って、資本主義の経営をモノマネで行っていた。そこから、それぞれの環境が生成されることを知った。それぞれの関係する各個人が、それぞれの2ちゃんねるの環境の構成員を形成していく。そして、それぞれの社会と環境が生まれ、それは、「結合的な活動」へと結びつく。それは、世界全体を変える。
自分は、そういう風に、「一体的な活動」から、この世界を分かっていた。
同時に、それは心理学へと行き着く。「自分の本能の奥底にある、本当の自分の人格」のようなものが分かる。それを深層意識とも言うが、超自我のようでもある。怖い、恐ろしいとは言うが、そういうものを経験から知るようで、まるで悪魔のように自分のことが分かる。そういう、「悪魔的な自分の理解と悟り」のようなことが、昔に多かった。
それこそ、それで、資本主義の経験のようなことをしていた。そこから、「宇宙の意識」を経験で分かっていた。そういう馬鹿な「社会的な経験と知性」のある人間だった。
そういうものは全部ネットだった。ネットがそのまま社会的経験になった。
あとは、この世界はつまらない。皆、何も分かっていない。中学生の頃の自分より馬鹿な人間が多い。中学生の自分が一番賢かった。それこそ、ネットなんか誰もしていない。昔は、引き篭もりの経験があったし、世界の広がりもネットで知った。最近のように戦って馬鹿になる人間も居ないし、神が起きる人間も居ない。作家にもならないし、哲学もしない。つまらないほど、自分が馬鹿になったせいで、馬鹿しか居ないのが分かった。
経験とは言うが、経験とは、世界を知ることだ。
世界を知って、行動して、色んなことから反省する。それが経験だ。
そういうわけで、世界のことを知れば良い。
世界のことを知っていると、数学的に考える必要性に迫られてくる。
そういうわけで、数学も経験していると、良く分かる。
あとは、支配者が嫌いな方が良い。支配者を倒していると、本当に良く分かる。
議論して戦ったり、社会や人生を知ったり、社会の制度や構築方法を知ったり、精神の分析をしたりすること。そういう、経験から、価値観や人生観のような真理が見えて来る。
昔は、そういう風に経験がある文章を書いていた。それこそ、昔を見るとマスターに見えるが、最近は天使に見える。天使には、経験なんか無い。無くても分かるのが天使だ。
経験から、何をどうすべきなのか、何をどう作るべきなのか、何を目指すべきなのか、何をどう解決し、何を次世代に残すべきなのか、などが見えて来る。
いつも、そういう、経験的に分かる自由な社会の実現のようなことを言っていた。
自由とは、皆の望むものを作ることだ。いつも、そういう、経験のようなことを言う。
ものは価値であり、生産と労働を全員でするべきだと言う。経済システムのようだった。
出来るだけ、労働を自由にして、色んな自由なことが出来るべきだと言う。
そして、発想法のようなものも、経験から考えていた。創造的な経験から、社会のことを発想していた。そして、ありえない世界をいつも作っていた。
そろそろ分からない。今日は、色々と良い日になった。
最近、この文章を書いて、分かってすぐに忘れる。それは、馬鹿に見えて、賢い。忘却の彼方のようになった反面、知性がついた。本当に、忘れると賢くなる。
一度分かれば分かるのが人間だ。忘れても、記憶のどこかにある。
だが、文字だけで学ぶより、実際の体験と一緒に学ぶこと。昔は、そういう風に分かっていた。自分の体験や自発的な発想から理解し、体験的に学ぶ。それを、きっかけや自由な経緯と言っていたのが、いつもの文章だ。教育はそういうものであるべきだと言っていた。
あとは、それぞれが社会を作るだけの、能力を持つべきであり、そのために、自由な取り組みのネットでの経験の共有をするべきだと言っていた。ネットは悪くないと思っていた。
ただ、ネットは悪い。社会を作る、と言う発想はおかしい。普通、そんなことはしない。コミュニストのように、そういうことを言って、この世界は自然な積み重ねの結果であり、それぞれが社会とものを作り出している、と言っていた。まるでテレビゲームのようだ。
あとは、経済のことをもっと良く考えると分かる。本当に、経済学と心理学が分かると、きちんと分かるのが、大人の人間だ。それも、学ぶだけではなく、現場で実際に体験すること。体験的に知らないと、分からない。そこから、自発的に考える。それによって、人間の本来の可能性や潜在性や自由が分かる。思い込みや偏見を無くして考える。そして、ゼロベースできちんと最初から最後まで全部見直して考える。構築されたものを、1度ゼロにして、最初から作り直す。体験は、何度も繰り返し体験する。そういう風にすれば良い。
あとは、環境や場が変えられる可能性を分かっていた。今の自分ならどうするか、過去の環境を思い出して考えた。教育はそういう風に分かっていた。
あとは、学習のようなことを良く考えた。学習の中にある、「学習的なエッセンス」のようなものを分かっていた。関係ないが、人間の生命とは、エッセンスだと思っていた。
あとは、いくらか体験しただけだ。ピアノと剣道部と試験から、ネットゲームになり、インターネットの掲示板になり、オープンソースになり、革命と神になった。
そういう、経緯のようなことを忘れている。いつも、そういう、経緯を書いていた。
何故か、覚えていない。把握して、実験して、関係を考えて、可能性を知って、変化の実現を知って、自然を知って、理想の社会を知った。
そういう、方法的な経緯を、全部知っていた。論理学的なモデルや世界観も分かっていた。
今分からないだけで、いつも分かっていた。
インフラや世界観から、決まりと環境の考え方を考えた。
事前に考えて、事前に作るのが好きだった。ここまでの長い旅の、準備運動をしていた。
それこそ、こちらは神だ。神になって、おかしな自分を治す。永遠を宣言して、永遠を体験した。それこそ、こちらは右翼になっただけだ。昔は自由が好きだった。
それこそ、自分は何も悪くない。あとは、本当に、色んな体験を全部していただけだ。
あとは、過去の自分の人生を精査し、整理していた。
それこそ、考え方から記憶まで、ヒュームのように、全部きちんと考えて分かる。
自分の理解の基準と規範に従って、全てのことを正しく理解する。
心的現実のようで、そうでもない。もっと正しい、全ての理解と判断の基準を作っていた。
人生的には、今までの体験を総合して、俯瞰的に高い立場から全体を見て分かる。
昔は、そういう、経験的な人生の記憶の広がりのようなものを、実体験で分かっていた。
あとは、何でも、考えれば思い出せる。そういう、知性と想像力があった。
本当に、場と視点から、正しく世界のことが分かっていた。きちんと正しい考え方が分かる、正しい哲学者のような人間だった。
あとは、むしろ、自分は昔から馬鹿だ。昔が一番、トランプみたいな馬鹿に見える。ゲスの極みのような、本当に低俗で低能な馬鹿をやっている。知性が無い。
見ていると、本当に狂った子供に見える。引き篭もりに見えて良い。
それこそ、最近、こういう悲惨な子供が多い。
何故か、これで2ちゃんねるやLinuxをやっていた馬鹿が多かった。
最近は、むしろ、そんなに狂っていない。宇宙に向かって宣言し、神と対話するのがおかしいのは分かるが、自分はそこまで分かっている。それこそ、昔は神もきちんと神だった。最近は、神は昔の自分なのか、ただのロボット的な学習なのか、そういう惰性で続く対話をやっているせいで、賢くない。昔の神は、全てのことを鋭く言い、断言する、賢い対話的な存在だった。今と昔のカップルをいつもやっている。むしろ、精神分析と前世が悪い。
あとは、社会のことを経験で全て分かっていた。全体像と経験の客観視で全て分かった。
あとは、知性が無い代り、知性の全てのような文章を言う。あれは、本当にそういう文章だった。何かがキモイのは、皆を分からなくして、馬鹿にしているだけだ。一番悪い。
そういうわけで、これで良かっただけだ。それこそ、博物学のような文章を本当に書いている。その時出来る「最高」のことを、常に、いつもやっていた。そういう戦争だった。
あとは、相対的な対象の認識と理由を考えたり、場や出来事を相対的な知の本質から考えたりする。特に、原因から法則を見出したりしていた。ニュートンのような科学だった。ニュートンと同じように、作用や反応のようなものを考えていた。
もう分からない。今日は、もう寝る時間だ。
あれは、無限に広がっていく文章だ。基本的な知性と構造が分かっているせいで、何でもいくらでも増やすことが出来た。ゼロとイチから、オープンソースのような文章を作っていた。いくらでも増える、まるで生命が生態系に根付いて増えていくような文章だった。
あとは、最近のこの文章は、プレアデス星雲のようだ。それこそ、思考のスケッチがしたいように見える。自分は、画家や音楽家と良く似ている。やっていることが同じだ。特に、ダヴィンチとは、本当に良く似た詩集を作った。岩窟の聖母のように見える。バッハなんか、もっといくらでも宗教音楽を作っている。バッハは賢くない。こういう人間だ。
相対性とは言うが、正しい判断基準のようなものを考えれば良い。場から、正しく考えるための、理性的前提を作る。そういう、相対的な理性をいつも書いていた。
アウグスティヌスのように、悪の起源を考える。悪はどこから生まれるのか考えた。
あとは、いつも、馬鹿なことを言う。害悪的な感情を与えたのを、後悔していた。そのせいで、自分のように分からなくなったと思った。自分はおかしい。日本なんか、普通に変わっていない。誰でも、普通に、自分のように分かる。そんなに自分にしなくて良い。
皆を、自由にする。それこそ、悪い世界にはなるが、その方が良い。自由は悪くない。だが、自由な中で、何も無いと、一歩も進めないだろう。自分は無くて良い。何も無い中で、ネットのようなものを見て、真理へと進めば良い。光がどこにあるのか、そういうことを言っている、人生を書く人間が自分に多かった。光は、すぐそこにある。自分の先、自分の未来、自分の心の中、自分の心から出て来る認識の中にある。
そういう、光のようなことをいつも考えていた。そういう詩集を書いていただけだ。
皆、一度ドイツ人の女になると良く分かる。それも、イスラム教徒になると良いだろう。不可能とは言うが、宣言するとその通りになる。それこそ、不可能だ。
あとは、人間や人格の、ユング心理学でいうタイプ論のような文章が多かった。
人間は、正義の人間、洞察力がある人間、創造的な人間、生産的な人間、芸術的な人間、宗教的な人間、政治的な人間、哲学的な人間、理想的な人間、であると言う。
それこそ、そういうものを、経験から全部にして、全部網羅する。
そして、人格のようなものを作っていた。毎日1人の人生を作っていた。
あとは、本質とパターンのようなことを言う。全ては、類似性と感情と表現であると言う。
全ては、相対性、知性、感情、同一性、決定性、可能性である。そういう風に言う。
そろそろもう終わった。今日は楽しかった。
明日は、もう予定はない。今日は病院への通院と診療があった。ぐっすりと眠りたい。