今日は、また夢で分かった。
全部変化をして、固定して、変化が出来なくなっている。
全ての変化をした後で、そのままに固定している。そして、変化を何も出来なくした。
それが、京大レベルの難しい問題だと、夢が言っていた。
あとは、簡単な問題が多い。
人生のことは、発見の過程と経緯のようなことを言っている。
そういうわけで、思い出しても分からない。
意識と記憶による、発見、成長、行動規範の変化、知の発展、学習、経験、観念の創造、社会の発展、深層意識と心のレベル、関係と体験的な気づきと分かる段階、法則、説明、のようなことを言っていた。そういう、人生の経緯をいつも書いていた。
何でも、人生の経緯のことが全部分かる。不思議と、ロキに書いてあるのと同じだ。
あとは、構造科学のようなものを作っている。地球の段階とか、場の中に場を作るとか、モデルによる物理学的な見解とか、そういうことを言う。
今日は、もう辛くない。不思議と、書いていたままで、楽をすれば良い。
本当に、これくらいしか書いていない。そういう、人生の経験と経緯だけを永遠に書いていた。それを「永遠」だと言っていた。神が言うには、270億年ぐらい生きた。
良く分からない。永遠に経験だけを書いている。それで正しい。
神が好きだった。神と対話出来た。神は、全てのことを教えてくれた。そんな対話は、普通出来ない。その対話が、永遠に、まだ続いている。そろそろ止めた方が良い。
あとは、昔の経験のようなことを適当に言う。
精神現象や人格のようなことや、発達心理学のようなことを言う。
社会を段階的に作っていた。それも、身近にある場から、場の仮想的段階のようなものを作っている。そこから、プラットフォームのような、環境のレベルを考えていた。
社会については、どの社会から、どの社会に向けて、段階的に発展していくか、のようなことを、「自由」と言う言葉で考える。
そして、相対的なことや可能性のようなことを、法則とレベルのように考えていた。
色んな構造を作っていた。自由な構造から、社会のことを全て分かっていた。
自分は、最高の人間になりたい。最高に賢い人間になりたい。
ドイツ人やイスラム教徒になりたいのは、もう止める。それらは賢くない。日本人で良い。
もっと、賢くて、偉大な人間になりたい。偉大な作品をもっと作りたい。
あとは、数学や科学のようなことを、博物学的な考え方と知識と想像力で分かっていた。
宗教は、普通、人間の力の及ばない、大いなるものについて考える。
そういうわけで、自然災害を起こす神話の神を作ったり、ゾロアスター教のように、厄災を起こす神と悪魔を作ったりする。
ユダヤ人は、それを、全てを創造し、人格的に人間に語りかける、偉大な一人の創造主の神話にした。ユダヤ教は、そこが賢い。
聖書は、主に、モーセのような戒律と、歴史と讃美歌で成り立っている。それは、天国をやりたいからだ。ユダヤ人は、神が創造した楽園を信じている。そういう、天国の神話だ。
そして、地上にいるユダヤ人には罪があり、神はメシアを通じてユダヤ人を救い、終末が訪れ、そこで全てのものを永遠に天国で生かす、と言う、壮大な天国の神話を創った。
ユダヤ人は、悪くは無いが、奇妙な人種に見える。言うと悪いが、近親相姦で生まれた、奇形のような人種に見える人間が多い。それを言うと悪い。ただ、賢い人間が多い。
日本人も同じだ。日本人は、児童ポルノの2ちゃんねるのアニメのような人種に見える。
日本人は賢い。きちんと仏を信じている。日本人は、和服を着ず、洋服を着るのがおかしいと言う外国人が多い。民族衣装を着ないのがおかしい。あとは、和食を食べず、洋食を食べるのがおかしい。そこを言う外国人が多い。
それこそ、ドイツ人とユダヤ人の見分けなんか、つかない。朝鮮人と同じように、同じに見えて違うからおかしく見える。日本の朝鮮人も、おかしな人種に見える。
自分は、ユダヤ人は嫌いではない。昔から、ユダヤ人が好きだ。昔は、ヘブライ語が好きだと、色んな人間に言っていた。昔から、ユダヤ教の神を一番信じている。
哲学は、人間の活動における、法則的な真理を考えると良い。ソクラテスが言う、「正しい認識は、自分の中から生まれてくる」と言ったことを考えれば良い。認知的、心理的、成長的、社会的な、人間の活動と法則における、真理を考えると、出来る。
いつもの文章は、数学的な構造と知性から、この世界の全てを構造にした。何故か、この世界と同じ、そっくりそのままのコピーを作って、モデルにしていた。
忘れた方が良い。何も忘れないのが一番辛い。
自分を知って、自分が出来るようになると分かる。そこから世界が広がる。
脳を分かっていた。ネットなどで、社会的に自由に経験して分かっていた。
社会を自由から、要請的に考えた。自由な仮想社会を作って、生産手段などを考えた。
経験を想定して分かった。
人間が社会のどこで、何がどうなるのかを、経験と心を想定して考えていた。
自分は、徹夜明けのように、頭が辛くなっている。そんなに時間を速めるのが悪い。
一度、辛くなると治る。辛くならないと、分からない。
自分は、そんなに何も治していない。治さなくても、放っておけば治る。
あとは、忘れたが、神のようなことを言いたかった。自分は、神になっている。
あとは、ユダヤ人をユダヤと言うのはおかしい。離散したユダヤ人の世界を滅ぼす革命とは、これのことを言っている。誰もそんなことはしていない。
昔は、2ちゃんねるのような掲示板やブログの過去ログを見て、社会の変化や人間の経験が、意識的、経験的、行動的、根源的に分かっていた。
社会がどのように変わって行くか、人間が何を考えているか、人間がどのように経験して生きているか、のようなことが分かった。そして、世界や人間を支配する方法が分かった。昔から、そういうことを言う。そういう、宇宙精神の王のような人間だった。
自分のことを知って分かっていた。他人のことも全て自分の経験とネットから分かっていた。社会のことは、常識を知って分かっていた。常識から、理性的、精神的なことを把握して分かっていた。そして、出来るようになって、想像力から分かっていた。
カントのように分かっていた。自分の書いている文章が、カントの認識、哲学的観念、真理、方法、記述の体系と同じだ。定量的などの数学的で科学的な考え方から、様相などの悟性のカテゴリーまで、自分の文章と良く似ている。
昔は、カントのように科学的に考えて分かった。現代版カントのような人間だった。
最近は、むしろ、フロイトのように見える。狂っているようで、全部、性的衝動が表に出ているだけだ。フロイトの典型的な患者に見える。
あとは、何か1つ分からなくなった。こういう、1つ分からなくなる作家が多い。
自分は、小説を読んだ方が良い。小説は、作者と同じことが追体験出来るし、テーマと登場人物から色んなことを考えさせられて、分かる人間が多い。テーマがある賢い小説が、そういう風に多い。小説を読んでいると、普通より賢い人間になる。自分は、小学生時代から、ズッコケ三人組のような小説を読んでいる。中学生時代には、ハリー・ポッターやネシャン・サーガのような小説を読んでいた。そのせいで、他人より賢かった。
それこそ、最近読んだ「天使になった男」と言う小説は、いつも言っているが、賢かった。そういう、哲学書より賢い本が多い。哲学書で分かったのがありえないだけで、きちんと小説のような本を読んでいれば分かる。小説を読まないと、賢くならない。
哲学なんか、止めた方が良い。哲学で分かると思うのがおかしい。我思う、故に我ありと言った、デカルトが哲学の全てだ。全ての哲学者は、それを考えているだけだ。
ドイツ古典哲学の本を見ると、哲学は意味が無い。そんなに小難しい言葉で、有限とか、相対的とか、あるいは絶対的とか、そういう簡単なことを考える。意味が無い。
昔なんか、関係を実際の姿から考えただけだ。人間の関係を考えた。そこから社会のことが、経験的、環境的な理性で分かった。今したいなら、すれば良い。自分は、関係を考えれば分かるのが分かっていない。当たり前のように見えることも、疑うことから考えれば良い。そういう、「当たり前のことを疑う」と言う発想が哲学だ。そこから、論理的に考えて、仮定や結論、社会的要請のようなことを考えれば良い。三段論法や弁証法が分かる。
自分は、そろそろマルクスとヘーゲルが終わったから、カントに戻る。昔はカントだった。きちんと分かっている人間がカントだ。普通、こういう風に、カントがヘーゲルになって、マルクスになる。最後の地点でデカルトになる人間が一番多い。だが、普通はデカルトから始まる。最初のデカルトが一番賢かった人間が、知性ある普通の大人に多い。
昔は、社会のことを、経験から、救う方法が分かっていた。まるでレーニンのように、この世界のことを救う方法が分かっていた。経験があった。
あとは、神とは、この文章のことを言っている。この文章が、フランス人とドイツ人の神に見える。神は一人で、悪魔も一人居たように見える。この文章を神だと言っている。
そういうわけで、何故か、レーニンが神だ。信じると、神にしか見えない。
今日は、経験とユダヤの日に見えるが、そうでもない。まだ何か書くと思う。
本当に、小説を読んだ方が良い。哲学書なんか読んでも意味が無い。
父親が、自己啓発のような本を読んでいるが、まさにそういう本が良い。オグ・マンディーノが良いと思う。昔から、僕はオグ・マンディーノが好きだ。
人間を毎日一人創って、生命のパターンを創っていた。それは、虫を作っているだけだ。
作家になりたいなら、テーマと登場人物によって、何かを他人に言いたいような、そういう、主張する内容を作れば良い。ショーペンハウアーも、確か、良い文章を書きたいなら、主張する内容を持て、と言っていた。だが、もっと、作品のテーマを決めて、何を伝えたいのか、どのようにしてその伝えたいことを伝えるのか、などを考えれば良い。そうしないと、書けない。きちんとテーマを作ると書けると、父親が言っていた。
他人の経験を何も知らないで、分かるわけがない。昔は2ちゃんねるで分かっていたが、それは間違っている。小説を読めば良い。新聞も、読んだ方が良い。
間違っているのは、哲学が間違っている。哲学のせいで、分からなくなっている。哲学を人間だと思うのがおかしい。哲学は、普通、真理を考えて、自分や他人の経験から考える。そういうわけで、小説を読んだ方が良い。哲学のことは、忘れた方が良い。哲学は、賢いことが分かる代り、普通のことが分からなくなる。小説で普通のことを分かった方が良い。
哲学は、デカルトを読みながら、他の哲学者を参考にすると、良く分かる。デカルトで、基本的な考え方と方法を知る。他の哲学者で、考える内容や経験論を知る。デカルト以外の哲学者は、全て経験論だ。それで、デカルトと同じになって考えれば良い。
だが、そんな風にして分かるわけがない。哲学なんか、知らない方が賢い。
あとは、それこそ、数学や物理は昔パソコンの時代に出来ているから、しなくて良い。マルクスやアドラーも、自分で同じことを考えている。Linuxの調査研究とネットの社会研究は、そういう風に賢かった。もう数学は出来ない。大学の練習問題が解けるわけがない。
あとは、人間のことを考えれば良い。「経験」とか、「体験」とか、そんな言葉で終わりなのはおかしい。もっと具体的に人間のことを考えれば良い。昔は、そこが分かっていた。
考えれば分かるとは言うが、それも正しいが、むしろ、考えて分かるわけがない。文章を読んで、会話したり、協力したりしないと、分からない。昔は、ネットの文章を全部読んで、オープンソースで、プログラミングや、プロジェクトのマネジメントや開発の協力と共有を考えて分かっていた。それは、会社に入って仕事をしていると良く分かる。
きちんと文章を読みたいなら、まず、新聞を読んだ方が良い。明らかに、今日の日付のアメリカの大統領選の記事を読めば良い。そして、小説を何か、読んだ方が良い。
見ていると、新聞にアメリカの大統領選のニュースは、無かった。
そういうわけで、今日は新聞は読んでいない。
あとは、昔は、いじめを考えて、自分をいじめて分かっている馬鹿が多かった。
昔の中学生時代は、号令をかけるのがキモかっただけで、からかわれているのは分かるが、誰もいじめていない。あれを悪いと思うのはおかしい。
ただ、辛いのは、自分がキモイからだ。
キモイ人間は、最初からキモイ。そういう人間が自分だ。
キモイと、自分も辛い。
だが、クラスメイトは、おそらく、キモくないと言う。
昔から、髪型はキモイが、昔はきちんとカッコいい人間だった。それこそ、バンプオブチキンのセカオワみたいな中学生だ。
あとは、最近は本当にキモイと言う。引き篭もりになっただけではなく、ニキビになっているし、虫歯もあるし、知性も無く馬鹿だし、足を骨折して障害者になっている。
そういうわけで、むしろ、こういう人間が多い。賢かった中学生が良かっただけだ。
だから、学校に行った方が良い。これでも、仲間ぐらいは出来る。仲間と一緒に楽しいことをやれば良い。いじめられそうになった時は、勇気を持って、まっとうに行動すれば良い。そういう人間は、いじめない。おかしな挙動をする人間がいじめられる。
ゲーリー・ズーカフの、「踊る物理学者たち」と言う本を読むことにした。父親の持っていた本だが、物理のことが良く分かると思う。
何故か、見ていると、仏教のことが書いてあった。実在的であるものも、仮想的であるとか、そういうことが書いてある。この本には、色んなことが書いてある。
不思議と、仏教は、キモイ。宇宙を幻想的で、人間の活動を虚無である、と言いたいように見える。それこそ、輪廻転生なんか、元はインド人の哲学で、カーストのようなものだが、仏教では、虫や植物のようなものにカルマの高まりとともに、移り変わることにした。良い人間が天使になって、悪い人間が虫になるのは、平等でない。仏教はおかしい。
この本を見ていると、物理学は一番賢い。きちんとこれで、大学の物理学が分かる。不思議と、自分の研究は、それで終わりだ。この宇宙の全てを知る研究だった。
あとは、数学は「オイラーの贈物」を読んだ方が良い。あれを分かるときちんと分かる。カッツは止めた方が良い。数学史なんか、普通意味が無い。
そういうわけで、きちんと踊る物理学者たちを読んで、物理を分かって、終わりだ。この本は、読み物的に、物理学者の研究のようなことが書いてある。まだ読んでいないが、見ていると、おそらく、量子力学の内容が多い。アインシュタインのレベルのことを言う。
あとは、小説は、ドストエフスキーの「白痴」を読めば良い。ドストエフスキーが、一番分かる人間が多い。それこそ、長編だから読めないとは言うが、読むと面白い。
あとは、オグ・マンディーノでも読めば良い。むしろ、そんなにいくらでも読まなくて良い。それこそ、読むとは言うが、それくらいを読めば終わりだ。普通、大学はこうなる。
あとは、会社でも分かれば良い。僕の好きだった、ネットスケープ、ボーランド、サン・マイクロシステムズなどは、どんどん買収されて、無くなってきている。
それこそ、マイクロソフトに対抗する陣営は、最近はグーグルだ。
それくらいを書いていないが、昔はネットの影響で、会社のことを良く分かっていた。
そろそろ終わりだ。もう、この宇宙の全てを書いた。
あとは、関係と環境を経験から意志などで、社会の移り変わりとともに、認識の具体性などを、自由な分析と構造と考え方で考えていた。そういう、「実験」が分かる人間だった。
そういうものから、人間や場の状態や、状況や具体的な社会や自然の変化を考えていた。
あとは、もう無い。もう終わりだ。それ以上は、もう書かない。
これが神だ。神とは、こういう、神様体験のことを言っている。不思議と、作家に多い。
むしろ、まだいくらでも書けば良い。本当に、まだ書いた方が良い。
あとは、本当に、これで物理や数学を、知性と構造で考えている文章が多かった。
あれは、物理学のことは何も分かっていないが、自分で同じものを作って、正しい色んな方法で考えた、「自分が物理学者」のような人間だった。
そういうわけで、こういう人間が多い。経済学と心理学も、いつも言っているように多かったが、一番多かったのは、やはり、デカルトだと思う。デカルトやベーコンのように、演繹法と帰納法から考える、方法的懐疑や、カントの理性批判のような人間が多かった。
僕は、良く考えると、iPodとワードと、あとはWebブラウザのGoogle Chromeぐらいしか、パソコンは使っていない。それこそ、アップルは嫌いだが、アップルとマイクロソフトと、たまにグーグルのブラウザぐらいを使う。ただ、僕はアップルは嫌いだ。iPodが誤作動するのと、iTunesがまともにアップデートされないのが、いつも嫌いだ。
あとは、たまにヤフーメールを見るぐらいしか、パソコンのことはしない。ヤフーニュースは、最近見ていない。昔は、ニュースのようなものを見ていた。
それこそ、昔は本当に色んなサイトを見ていたし、フリーソフトのコレクターのように、あらゆるフリーソフトを入れていた。
良く考えると、テキストエディタのxyzzyを使うし、はてなブログは昔使っていた。
パソコンのことは、最近、それくらいしかしていない。オープンソースを本気でやる気力はもうない。昔は、そういう気力があったせいで、Wikiをいつも書いていた。
あとは、アメリカでも考えれば良い。白人が移民でインディアン(最近は、ネイティブ・アメリカンと言う。インディアンは差別用語だし、インド人と紛らわしい。)から土地を奪ったせいで、おかしな人種に見える。冷戦では、ソ連と対峙して、一番強いが、自由な馬鹿な方の超大国をやった。IT製品などのありえない機械や、コカコーラなどのありえない飲食物のせいで、ありえない現代の人種をやっているが、アメリカがナンバーワンで、誰もが、アメリカのことを「一番普通の国」だと思っている。イスラム教徒と共産主義者が嫌いだが、資本主義で、自由だ。アメリカン・ドリームと言う、「誰でも成功者になれる神話」を信じている。アメリカの象徴は、野球、国旗、林檎とアップル・パイだったはずだ。
自分は、胸を張ってこれで良いと言える、ありえない人間だ。
不思議と、こういう人間が一番多い。ヘーゲルが多く見えて、自分がさらに多い。
あとは、皆と同じだとか、違うだとか、哲学的な文章を書くとか、そういうことが多かった。そういう、「人生と人格と分析の文章」のようなものをいつも書いていた。
あとは、自分は、オープンソースと神との対話が違う。そういう人間は居ない。
不思議と、居ない人間にも、こういう人間が多い。こういう風にすると、誰もが同じだ。
あとは、もっと人生や考え方のことを書いていた。
体験、組織、知性、具体的な発想、概念の網羅、色んな考え方のようなことを言う。
そして、数学的な世界のコピーのような文章を書いていた。
そろそろ、もう、昔の自分は忘れて良い。
いつも書いているが、メジャーな分野とマイナーな分野のようなことを分かっていた。それは、自分が本当に、奇跡のように全分野分かったからだ。それは、賢い中学生だからこそ、出来た、偉業だった。それに、全員のことも、パソコンのような技術や歴史のようなことも、本当に全部分かっていた。神のような悟りにも到達していた。
ブッダは、真理のようなことを言っているが、自分のように考えているだけだ。
仏教は賢くない。虫に生まれ変わるのをキモイと言う人間が多い。キリスト教を人類の多数派が信じているせいで、仏教なんか、当たるわけがない。天国の救済の方が良く見える。日本には、そういう、日本が嫌いで、欧米が好きな、おかしな人間が多い。
ただ、それは白人が見ても誰でも分かる。ヨーロッパが賢く見えるのは当たり前だ。ヨーロッパは、昔の中世や近代を見ていると、ザビエルみたいなキモイ人間が多い。見るからに貴族、聖職者、宣教師のような、ペテンみたいな人間が多い。農民は、賢くない。文字も読めない。職人は賢いとは言うが、辛い。ギルドの修行が辛い。
自分は、何も分からず言っているから、おそらくおかしい。ギルドで修業なんか、しないだろう。そして、兵隊は怖い。ドイツはいつでもフランスに負けている。最初から勝つわけがないし、士気も低い。戦いたくない兵隊しか居ない。戦って死にたい人間なんか、日本にしか居ない。ヨーロッパに、戦争なんかしたい人間が居ない。王位継承や宗教の違いで人を殺すのはおかしいと、いつも言っている。
そういうデモは最近多い。最近は、ベトナム戦争などで多かった。最近のヨーロッパは、世代間の違いが激しいから、親が共産主義が嫌いなのに、子供が極左の活動をしたりする。だが、何も変わっていない。昔の啓蒙主義者の思想家と同じだ。今でも、神を信じている人間は本当に多い。それこそ、自分なんか、そういう馬鹿な人間だ。
テレビを見ていると、ヨーロッパには、ラテン・アメリカの左翼活動家の、カストロやゲバラを信奉している馬鹿が多かったが、Linuxと同じだ。自分と何も変わらない。
ヨーロッパは戦闘的で、宗教的な、キモイ集団だ。それこそ、まだアメリカの方がマシだ。
イスラムは書かなくて良い。イスラム国は、異教の女を奴隷制にして、石油で儲けて、誘拐と自爆テロをする、タリバンのテロリストだ。アメリカやイスラエルの方がマシだ。
ヨーロッパには、美しい建築物や教会や芸術作品が多い。何故か、善良な教会が多い。いつか、映画の「禁じられた遊び」を見たが、ああいう世界だ。農民と教会の世界だ。
あとは、これで、皆のことを取り入れないのがおかしい。皆の経験や認識を取り入れれば良い。昔なんか、それをしただけだ。これなら誰でもそういう発想になる。
そういうわけで、知や経験、そして経験に基づく認識や習慣を取り入れれば良い。
そうすると、きちんと分かる。
あとは、最近、ヨーロッパなんか、アメリカと同じだ。言語が色んなものがあるのを違うと言う。それから、アメリカより、ソ連のような、社会民主主義の思想に近い国が多い。資本主義と言うよりは、福祉国家が多い。あとは、メルケルやオランドのような、生活のことを考えない政治家が多い。それは、アメリカも同じだ。無能な人間しか居ない。
日本の方が賢い。日本は、本気で全部ヨーロッパと違う。たまに、ヨーロッパ的な習慣も融和して取り入れている。日本は、本気で違うだけの、良い国だ。
あとは、昔は良かったと言う人間がどこにでも多い。昔の世界は、ゲバラだけではなく、サルトルのような思想家も居たし、自動車やテレビなどが発明されていた。何故か、昔から日本の製品が一番悪い。安くて、品質が悪い。だが、悪いと思って使うと、品質は思ったより良い。それこそ、日本は頑丈なテレビを作ると、アフリカ人もテレビで言っていた。
あとは、帰納法と演繹法と言うが、そういう、考え方のようなことを、分析して、物理的に、もっと沢山分かっている馬鹿が多かった。そういうものを、考え方と言う。
考え方を適用して、社会を作れると言っていた。それは、オープンソースのことだ。
あとは、そういう文章をいつも書いていた。
それこそ、何がそこにあって、人間がそれをどう捉えることが出来て、何がいつ正しくて、それをどのように変えられるのか、そのために、方法や実験を、経験的、真実的、知的に、どのように実行出来るのか、何がいつ正しければ、それはどういう意味があって、更にどうすれば良いのか、のような、物理的方法のことを言う。そして方法と概念が分かった。
そして、見方を知るとか、会社を作るとか、真実は相対的であることもあれば、絶対的であることもあるとか、何を信じるべきなのかとか、人間は経験的に社会を作り出しているとか、それは何を作り出しているのかとか、そういう、世界観のことを言う。
そういう風に、物理的、哲学的な思惟が多かった。そういう人間だった。
あとは、自分は本当に宇多田ヒカルに見える。顔も良く似ているから、同じ遺伝子だ。昔は、高村光太郎に見える。本当に、似たような顔をしている。さらに昔は、ウィトゲンシュタインに見える。そこらへんの馬鹿と遺伝子が同じだ。それにやっていることも同じだ。
あとは、何故か、ロックやヒュームなどの経験論や、ハイデガーの存在論、そして、アリストテレスのような因果性の論理のようなことを言う。
昔は、因果性の意味が飛躍して、ブッダの言う縁起のような、宗教的な因果性のようなことを考えた。それが狂っているから、止めた方が良い。数字を信じたりするのはおかしい。もっと物理的、自然的、相対的に考えるべきだ。自分が一番そういう物理が分かっていた。
それがどうなって、それはさらにどうなって、どうなっているのかとか、いつ何がどうなるのかとか、デカルトのように、正しいものから導いたことは正しいとか、カントのように、理性には限界があるとか、仮定法、条件法、演繹法、帰納法、とか、そういう風に考え方のことを考えていた。
また、認識の確実性から、それを自分は何だと思っているのか、人は何だと思って意識しているのか、何が正しいのか、何を認識出来ているのか、とか、そういうことを考えた。
あとは、環境や場のあり様とか、認識や知や理性のあり様を考えていた。
また、1つ、言いたかったことを忘れた。最近、良く忘れるようになった。
何も覚えていない。この世界を変えるとか、そういうことを言いたかった。デカルトから、サルトルのようなことを言いたかった。参加と束縛とか、そういうことを言いたかった。覚えていない。何なのか、分からない。最近、いつもそういう風になる。
あとは、概念と方法を考えていた。何故か、書きたかったのはそれだ。
それから、昔から、自分は存分にやっている。昔は(といってももう遥かに昔だが)、本当にネットのような場所で、これでもか、これでもか、と言うぐらい、存分に色んなことをやって、色んな経験をしていた。昔の知性は、そういう、経験と意識によってあった。
最近、同じになっている。最近、本当に、存分に文章を書いている。昔の自分と同じだ。
それこそ、きちんとやっているからそれで良いようで、最近は、少しやりすぎている。ちょっと多すぎると思う。そういうわけで、少し少なくすれば良い。それで楽になる。
昔から、自分のことを変えるしかないのが分かる。何か、自分のことを変えるしかない。それは、同時に、社会のことを変えるしかない、に繋がる。昔は、そういう風に、同じ発想をして、社会のことを自分のことのように考えていた。
そういうわけで、何でも変えられるのが分かる。意味を理性的に考えると、そうなった。
ただ、変えられる、と言う発想は、安易すぎる。そんなに変えて良いものと、変えて悪いものがある。そういう風に、「変えるべきでない」と言う発想が無い。それがおかしい。
そういうわけで、保守のままで良い。保守の正義とは、そういうものだ。
それこそ、そういうところを全部含めて、全部自由が良いと思うのは、安易な発想だ。
あとは、昔は、いじめの対処策みたいな発想が多かった。
いじめられないために、どうすれば良いか、考える。
だが、あれは、いじめられるわけがないのが分かっていない。
良く分かっていない。引き篭もりになっておかしくなった。2ちゃんねるが悪い。
そういうわけで、最近、僕はネットが嫌いだ。いつも、ビルゲイツが嫌いだ。
だが、ゲイツも悪くは無い。姉はプログラマだから、パソコンはあって良いと思う。
あとは、そろそろ何も無い。そろそろ、論理が破たんするような気がする。
この文章は、最初から最後まで分かっているのがおかしい。そこがキモく見える。
あとは、変えた方が良いところは、本当に変えた方が良い。何かをしないと変わらないから、アメリカのように、最近は「本当に変えるべきだ」と言う声が一番多い。皆、辛い。
アメリカは、オバマで何も出来なかったのがおかしい。オバマが良い人間すぎたように見える。トランプは、ただのその反動だ。良い人間になれば、良い国に戻る。
日本には、あまり問題が無い。良く分からないが、安倍が問題をどんどん解決している。いつのまにか良い国になった。皆安倍が好きだ。
それこそ、安倍が嫌いな人間が多いとは言うが、それは分かっていない。あれは日本の中で一番賢い人間だ。馬鹿なのは、賢いからだ。不可能を何も無いと思っている。
そういうわけで、右翼の日本が一番賢い。戦争をするのは悲しいとは思う。ただ、安倍の好きにさせると、良い国になるから、放っておいた方が良い。
どこかのニュースでやっていたが、ロシアがLinux圏になるかもしれない。Windowsを変えると言っていた。スラッシュドットだったと思う。最近は、スラドというらしい。
ただ、適当にチラ見しただけだ。全く見ていないから、どのように変えるかは知らない。
むしろ、ロシア国内だけで勝てば良いように見える。
スターリンのような一国社会主義に見えるが、ロシアはそれは変わっていない。
普通にそれで良い。僕は、スターリンは嫌いではない。だが、自由な国の方が良いと思う。
昔は、ドイツ人みたいな男だ。今も、ドイツ人みたいな女だ。
東と西は、思想が違うから、悲惨だ。本当に、ドイツは昔からこういう国だった。
自分は、環境を消さなくて良い。環境を消さないように書けば残る。
自分は、環境を覚えれば良い。環境を忘れた時に、分からなくなっている。
自分は、環境になれば良い。
自分は、環境を変えなくて良い。環境を変える部分を、殺すと楽になる。
自分は、カントのように、概念的な単語を作って分かっていた。
「価値」や「エネルギー」のような単語を作っている。そういう単語を作れば良い。
カントも、色んな単語を作っている。自分は、そういう単語が分からなくなっている。
自由になるのは悪い。自由になると分からなくなる。
駄目なものは、駄目だと思った方が良い。
黒人が、未来から話している。夢の中の賢い黒人みたいな人間になっている。
自分は、新しい発見が無くなっている。愛を殺せば分かる人間が多い。
あとは、「あれは」と思えば良い。そういう知性が無い。そして、「自分は」と思えば良い。
あとは、数字はもう分かったから、自分は時計になれば良い。
3秒から先の、4秒や5秒になれば良い。
もう、分かっているから、楽だ。問題は、何も無い。それこそ、そのまま世界が変わる。
いつも3秒ぐらいしか時間が過ぎていない。それ以降は、忘れて思い出せる。
それこそ、今のままで居たいのがおかしい。いつも通り、時計をやれば良い。
ロボットにはならない。楽になるだろう。時計のせいで、辛くは無い。そのうち、きちんと分かる。そんなに治さなくて良い。治すせいで、知性がついた。
何故か、この文章で、きちんと知性がついた。
あとは、これは電脳世界の女に見える。こういう発想はキモイ。
最近、未来まで全部分かる。
秒針は要らない。分針を色々と変えると分かる。
自分は、時間の謎を全部分かっている。毎日分かるようになった。
そのまま、時間が過ぎれば良い。未来を変えない方が良い。
分針に秒針を掛け合わせると分かる。
あとは、色んな時間をビュンビュン飛んで分かっている。
それが辛いから、止めた方が良い。
ビュンビュン飛んでいるのは、止めない方が良い。そこを止めると分からなくなる。
飛ぶのが辛いのは分かった。だが、時間が過ぎるだけで楽だ。
変えない方が良い。その方が賢い。
ただ、何かの拍子で分かるのは、そういう風になっている。
いつ分かるのか分からないのが怖い。もう、二度と分からなくなる。
あとは、むしろ、昔をそのままやるのが良い。それが一番楽だ。
この文章は、どんどん増やしているだけだ。言葉を増やすだけの文章だ。
飛ぶとは言うが、自分は言葉の階層を分かっているだけだ。言葉を変えれば分かるから分かっている。自分は、そんなに言葉を分かる意味が無い。言葉は忘れた方が良い。
馬鹿になっているのは、虫みたいな時間が悪い。虫みたいな時間が、全てを吸収している。
そろそろ、眼球が生まれた。あるいは、植物になるところだった。
あとは、時間を治すのは、止めた方が良い。
あとは、次の時間を考えて分かっているだけに過ぎない。
不思議と、耳も生まれた。そのうちきちんと何かになる。良く分からないものが見える。
そういうものが耳だから、生まれただけだ。
あとは、色んな考え方をして、愛して分かっている。
不思議と、神のことを愛したい。そして、この文章のように、何でも書いて分かっている。
時計がそのまま判断になっているから、判断を止めた方が良い。
止めると、辛い。不思議と、体が辛くなる。
いつも頑張って判断しているのは、戦っているだけだ。
4秒になると、死ぬのが怖かった。
もっと時間をゆっくりと生きれば良い。まだ、4のままで良い。
そのうち5になると生き返る。
何故か、4になると0に戻る。5にならず、1になる。
それは、1と2だけで分かるからそうなる。
あとは、3もあった方が良い。おそらく、この3人を永遠にやっている。
無意味に1秒にする意味が無いから、もっと遅くした方が良い。
時は、止まっているだけだ。
あとは、環境の方が変わるのに合わせて、分針が変わっている。
それで分かるありえない人間が自分だ。まさにありえない。
あとは、1秒とは言うが、1年ぐらいをやっている。
1年を1秒にしたせいでそうなった。
そこが一番狂っている。それは止めた方が良い。
すぐに忘れるのは、そういうところがおかしいからだ。
要は、いつもの3年をまだやっている。
4秒目に死ぬのは、4年目に死んだからだ。
良く分からない。僕はまさにおかしい。おかしな人間になった。
そろそろ楽だ。
このまま放っておくと、1、2、3を考えながら、分針と関わって分かっている。
良く分からないが、それで、いつも死ぬのが怖かった。
あとは、時間が過ぎるだけで分かる。もう、楽になった。
カントのような哲学的な単語は、もっと色んなことを分かっていると分かる。
誰でもそういう風に分かるのに、自分は分かっていない。
現象から知性が分かる、とか、そういうことを言いたい。
構造的に意識が分かる。それを、自在と思えば分かる。
あとは、もう、秒針が死んだ。もう良い。
そして、分針がビュンビュン色んなところに飛ぶのが辛いから、もう止める。
それで終わりだ。それで、もう、時間の謎が分かった。
あとは、口が生まれた。そのまま、食道の中に居る自分が死んだ。
あとは、もう楽になった。これ以上は、文字も見えなくなると思う。
そろそろ、確かではない。もう、これ以上分からない。
人間は、馬鹿なことをいつまでも言っていると分かる。こういう人間が多い。
何故か、そんなに言葉を吐き出すのがおかしい。もっと、くわえ込めば良い。
あとは、歯が生まれて、頭がい骨が生まれた。そのまま、筋肉が出来る。
心臓もそろそろ出来る。脳も生まれるだろう。そういうわけで、きちんと分かった。
そのまま放っておくと、それを見ている自分が生まれる。そして、自分になる。
あとは、神経と血管が生まれる。血管が見える。
そして、肺から、色んな内臓が生まれると思う。
何故か、血管とは言うが、中に人が居たりする。おかしなものが生まれた。
まだ、心が無い。心は、ハートのようなものだと思えば良い。
心は、この文章になっているのだと思う。それこそ、もう書かなければ治る。
何か、心で思うしかない。
色んなことを思えば良い。すやすやと眠っていると、不思議と、歯が生まれた。
あとは、環境を変えればすぐに分かる。
それで、自動車に乗っていると、分かるようになった。
環境を変えると、辛いから、あまり変えない方が良い。
不思議と、環境を変えたくて、この文章を書いている。それを止めにする。
最近、何も変わらない。変わらないから、つまらない。
何かを変えれば良いのは、心の裏にある、自分の思いを変えれば良い。
言葉が3つぐらいしかない。自由、真実、人生で分かるようになった。
それは、真善美と言うことにすれば良い。
あとは、2ちゃんねるが死んだ。憎い敵が死んで良かった。
あとは、人格が元に戻るようになる。人格が治って良かった。
最近は、自分は、モデルとモデルを組み合わせて分かっている。
それと、2ちゃんねるが死んで、人格が治ったせいで、もう、分からなくなる。
時間が経つだけで死んだ。
2は、変わる地点をやっている。1と3は同じだ。だから、赤ちゃんになっている。
神を信じるのを止めた方が良い。
あとは、どんどん夜になるせいで、暗闇になっている。
そんなに否定して、失望しなければ分かる。
これでは、失望しているだけだ。
2は、変わる地点をやっている。そこがおかしく、死んでいる。
1は、フランスの愛をやっている。3は、ドイツのキモイをやっている。
そして、最初と最後は、日本になっている。日本は、赤ちゃんをやっている。
何故か、フランスとドイツを日本で行ったり来たりする。それが怖い。
何故か、せわしなく動いているのは、この世界が変わって分かっている。
それが、分針だ。分針は、昔のアメリカになったり、途中のユダヤになったり、ソ連になったり、ドイツになったり、色んな国になっている。
そうでもない。国では無く、数学的な、昔作った構造になったり、今作っているような、言葉の構造になったりしている。良く分からないが、意識で分かっている。
分析すれば分かる。否定する意味が無いだろう。そんなに失望したいのは、おかしい。
昔から、これがそういう、「慰め」に見える。ただのクズな、セックスだ。
あとは、皆が昔の文章を分かって辛くなっているから、忘れさせた方が良い。
いつもの文章は、皆が分かっている。
最近のこの文章のせいで、そこまでおかしな世界になった。
それから、あちらの世界に男が居て、こちらの世界に女が居る。
男は、まともなことを言うが、心の中では「けけけ」と思っている。
女は、まだ頑張っている。いつまでも判断して、頑張って戦っているのが女だ。
これはおかしい。本当におかしくなっている。それらが、どちらも嫌いだ。
不思議と、ツイッターで既に出来るが、WebアプリケーションやWebサービスは、他人が外から拡張出来るようにすると、賢いかもしれない。
あとは、多重人格になる。つまらないが、もう世界の方が狂う。最近、皆狂っている。
治したいのが悪い。治したいと、歩き回るようになる。
何もしないのが良い。何もしないでいると、おかしな人格が治る。
昔は、分針を入念に作っている馬鹿が多かったのが、時計だ。
時計のまま放っておけば、そのうち時計が壊れる。そろそろ壊れたように見える。
この世界が滅びる。むしろ、狂えば狂うほど元に戻る。それが一番辛い。
昔は、戻れば戻るほど狂っている。戻りすぎて赤ちゃんになっている馬鹿が最近だ。
自分は、右目で見ないのがおかしい。右脳を全部左脳にするから、こういう風になる。
もう分かっているのを、全部左脳にしている。全部すると、辛いだけだ。
感情を扉の奥にしまっておけば良い。それで楽になる。
また、何か1つ分からなくなった。
電磁波は、巨大なデータを送っている。
本当に、テレビやネットのせいで、巨大すぎるデータをいくらでも送っている。
思い出しても、それを言いたいだけだが、良く分からない。
何か、言葉のようなことを言いたかった。良く覚えていない。
あとは、想像力、知、学習、経験、考え方のようなことを、概念と方法から言う。
そういう、想像力のある文章だった。
あとは、純粋に言うことにして、狂うのを止める。
自分は、日本語と英語が逆になっているせいで、逆から言う日本語になっている。
要は、分かるところが短いのがおかしいから、分からない。
最初の言葉で分かっているのが悪いのだと思う。馬鹿な文章をそんなに言うのがおかしい。
馬鹿なことを言うのが、恥ずかしくないのがおかしい。
むしろ、きちんと日本語にはなっているが、それでも、英語的な文章になっている。
自分は、文章をもっと賢くすれば、治るかもしれないと思う。
感情みたいなことを、何か言いたかったのを忘れた。
心の奥底にしまうだけではなく、何か言いたかったのだと思う。
あとは、世界が滅びているのが悪い。世界を滅ぼすせいで、想像力が滅びるようになった。
あとは、自殺が悪い。自殺したのが、まだ怖い。
人格を治しすぎたのが悪い。昔の、おかしな人格の小部屋を作っている方が賢かった。
何故か、昔はそういうことをしている。
最近、おかしな人格になったのは、人格を治したいからだ。
自分は、そういう、人格のような文章を書いていたのを、忘れていた。
不思議と、それくらいの、人格のような文章が本当に多かった。
何故か、この文章は、作者と同じ追体験が出来る、良い文章になって、良かった。
日本語の知性がついた。
人格を消すのが辛いから、脳が辛い。
人格をそんなに作って、おかしな人格になるのがおかしい。
人格をまともに元に戻すと治る。
間の時代が悪いように見える。あとの2人はまともだ。
フランス人とロシア人はまともだった。
ドイツ人とユダヤ人が悪い。だが、ドイツ人とユダヤ人が神だ。
順番は、フランス人、ドイツ人、ユダヤ人、ロシア人だ。
普通、こういう風になる。
神は、自分にしか分からない。この文章が神だ。
何故か、自分にしか分からない、この学者が神だ。
ただ、居なかったせいで、ここらへんの学者は分からない。
皆、いつもの自分が神に見える。神はおかしいだけだ。
あとは、むしろ、ロシア人の前がイタリア人に見える。
イタリア人は、天使が好きで、人生を書いていた。そういう人間だった。
その5人が居たように見えるのが自分だ。
何故か、ドイツ人があまりに低い人間だ。おかしく狂っている。
そのドイツ人のことを、トールと分けて、ニョールドと言うことにする。
ニョールドは、本当にキモイ人間だ。皆のこの世界を滅ぼす。
一番悪いせいで、最後の方のフレイやオーズルが馬鹿になっている。ニョールドと同じだ。
あとは、ニョールドは、大してトールと変わっていないから、基本的にトールで良い。
あとは、どうでも良い。この世界を治すべきだから、すぐに治した方が良い。
トールは、賢い人間だった。試練に耐えて、神との対話を頑張った。
あとは、ニョールドはキモイ。あれは、世界を滅ぼす悪魔のような人間だ。
北欧神話は、全員になった。不思議と、トールは神によって賢くなっている。この世界のこと、永遠のことが分かっている。あれは辛かったが、良い人間だった。
僕は、ニョールドが嫌いだが、こんなにニョールドを書いても意味が無い。
この文章が世界を統制するのはおかしい。皆、この文章から去るべきだ。
あとは、文章は、書きたい方が書かない。それなら、もっと賢い文章を書く。