自分を馬鹿だと思えば分かる。馬鹿な人間を馬鹿だと思えば、分かる人間が多い。
明らかに、こういう人間は馬鹿だ。こういう人間は悪い。ただの右翼だ。
この文章は、逮捕されたいように見えるから、もう書かない方が良い。
自分は多いとは言うが、本当に多い。何故か、ドストエフスキー並みに多い。そういうわけで、多いとは言うが、そんなに多くない。
今日も農園に行って、色んなことを考えた。雨が降っていたから、農作業はしなかった。
判断力、思考力、想像力があった。
これで、判断力を考えて、きちんと判断して分かっていたのが、昔の自分だ。
判断すべき時に、何を判断するか、考えた。
判断しながら文章を書いていた。そういう、判断の文章だった。
何をどうするべきかとか、作るべきかとか、環境をどうするのかとか、自由な環境を維持するとか、そういう、判断のようなことをしていつも言っていた。
環境を経験的に分かった。
ネットの経験から、世界にある、人生的で成長的で自然な、全ての環境を分かった。
ヘーゲルのように、「自分は全てである」と言う確信から分かっていた。
ヘーゲルと同じように、おかしく喪失と確信と共同性から分かっていた。
ただ、ヘーゲルはそんなことは言っていないかもしれない。もっと賢いことを言っている。
自由ノルマで、好きな時に好きなだけ好きな労働が出来るのを分かっていた。
アルバイトみたいな経済システムを作った。「自分と同じことが出来る国」を作っていた。
そういうわけで、自由なソ連をいつも作っていた。合意と協力の考え方があった。
オープンソース経済、社会、工場を考えていた。GPLとバザール開発の社会を作った。
そういう、「本当に自由な左翼の社会」をいつも考えていた。
分散した共同体で自然に共有する、と言っていた。発展や所有を嫌っていた。
宇宙観の歴史とか、生命は多様エネルギーであると言って、実存的な世界観を分かった。
経験は吸収的であるとか、月は地球と同じように存在しているとか、ものにも自然な人間との関わり合いとしての歴史があるとか、そういう、実存的な世界観を分かっていた。
分子から細胞が生まれたと言っていた。そういう、「生命の起源」を考えていた。
生態系は、全体的に見ると助け合いをしているが、個別的に見ると弱肉強食をしている。
細胞と遺伝子の構造は、宇宙に最初からあった。
そういうものは、神が最初から創っている。海が創ったのかもしれないと考えていた。
足の精神は、人格がおかしいだけだ。人格を殺せばすぐに治る。
ただ、殺すより、生かした方が治る。人格の破たんと思えば分かる。最初から治るのがおかしい。それで、分からなくなっているのもおかしい。成長すれば治る。
悪いものは悪い。そこを分かると分かる。
人を殺すのは、悪い。そういうものが悪い。
生産は良いが、戦争は悪い。助け合いは良いが、殺し合いは悪い。
信じれば分かる。もっと、良いことを信じれば分かる。
愚かなことは悪い。聖書の言うように、愚かなことを愚かだと思えば分かる。
心の作用、推論、真実の世界観、関係と環境で分かっていた。
自由を分かりながら、言語を作って分かった。
行動、個人、関係、変化、思考、活動、作用の自由を分かった。
自由になって分かった。「自由になる」と言う発想が多かった。
馬鹿は馬鹿だと思えば分かる。
何でも、賢く考えること。考える基準や経験的な判断基準を持てば分かる。
ものはどうでも良い。人間と理性を考えれば分かる。
人間はどこから来て、どこへ行くのか、考えれば分かる。社会はどういう風に変わって行くのか、移り変わるのか、そういうことを世界観にしていた。
心理学でいうフロー現象のように、経験的、人生的な本当の快楽や喜びを考えていた。
そういうことを、実感して分かっていた。
環境的な変化を考えていた。社会、環境、関係、自然など、環境的な変化を考えていた。
行動してどうなるか、分かっていた。自分が行動したことが、相手から見て、社会的に見て、どう見えるか、どういう意味を持っているか、考えていた。
環境、意志、独立の自由を考えていた。自由な理想から、考えていた。
今日、農園で分かった内容は、ここまでだ。何故か、自動車に乗っているだけで分かる。
自由から、言葉の構造を作った。自由な行動から、体験や習得などの構造を作っていた。
あとは、プラットフォームと社会や意識のレベルを書いていただけだ。
考え方は、何がどこから生まれるのか、それがどのように移り変わるのを分かって、判断し、解明し、分析し、構造と知性を作っていた。それで、この世界のコピーを作っていた。
あとは、心で普通に思えば良い。「コーヒーが美味い」とか、「あいつは嫌いだ」とか、そういうことを言えば良い。普通、そういうことしか言わない。
マスターのような人間になりたいなら、なれない。なれるわけがない。
昔になりたいなら、昔は、体験的に分かりながら、カントのように考えただけだ。
なりたいなら、止めた方が良い。そんなに2ちゃんねるの体験がしたいのは、おかしい。
哲学は、分からないだけだ。カントなんか、何も分からないだけの人間だ。
昔なんか、戦って分かっただけだ。戦う中で、色んなことを経験して、知って分かった。
戦えば戦うほど、成長する。
あとは、最近は変わっていない。本気でそこまで戦っているが、最近は意味が無い。
哲学でも勉強すれば良い。こういう、きちんと知識のある人間が賢い。
昔のような、馬鹿な争いばかりしている人間が馬鹿だ。頭が賢いのは、当たり前だ。
そういうわけで、馬鹿の方が分かる人間が多い。昔は、そういう、馬鹿な賢い人間だった。
昔は色々と賢かった。だが、今からの新しい自分を賢くすれば良い。
昔は、感情や想像力で、そこまで分かっていた。理性批判は、ネットを見ているせいで出来た。それだけの人間だった。もっと、感情から人間や世界のことを考えれば、出来る。
最近、何も感じない。そんなにまともに知って、考えていると、その方が馬鹿になって、分からなくなる。賢い人間は、分からなくて、感じない人間が多い。
そういうわけで、賢い人間の方が分からない。
馬鹿で頑張っていると、感情が良くなる。感情は、馬鹿をしていると良くなる。それで努力していると、それが一番宇宙の真理が分かる。そういうわけで、馬鹿な人間は居ない。一番馬鹿な人間でも、マスターにはなれる。馬鹿は一人も居ない。
デカルトが見ると、良識は公平に分配されている。それこそ、昔の自分も、理性的に科学やコンピュータのことが分かっていた。誰もが、知的に平等なのが、人間だ。
あとは、誰かが嫌いな方が良いから、こうなる。嫌いな人間が多いほど、賢くなる。戦っていると良く分かる。僕の場合、ビルゲイツが嫌いだ。ただ、嫌いなのもおかしい。
あとは、時代の変化を考えていた。それこそ、時代や人間環境の根源的な変化を考えて分かっていた。あれは、そういうところが賢かった。ロシアやバビロニアのようなものを考えただけではなく、人間の実存的な、環境と社会の変化を考えていた。
そして、理性批判のようなものを考えていた。理性批判と言うと、間違っている。むしろ、思い込みを無くす、と言えば良い。根源的な社会の違いや、古代人の理性を考えていた。マスターのように、皆が何を分かっていないか、皆に何が足りないか、のようなことを分かっていた。そういうものは、数学的に、当たり前に経験と必然を考えて分かっていた。
あとは、自分はユダヤ人に悪い。むしろ、そんなに神のような良い人間にはなれない。何かが悪い方が良いから、そうなる。あとは、好きなものはオープンソースと、ドイツだ。それは、自分の仕事と、どこかの国が普通好きだからそうなる。日本が好きだ。自分の国が好きな人間が多い。自由が好きで、理想のソ連を作りたい。人生と神が好きだ。
あとは、社会の変化を考えれば良い。人間がこの世界で、どういう風に生きているか。何が変わって、何が変わらないか。それを仏教や哲学のように考えると分かる。昔の世界観は、そういうものを書いていただけだ。そこから、ロシアのような文明を書いていた。
認識や思考の確実性とか、社会がどうなっていて、人間がどう生きているのかとか、そういう発想が多かった。子供のような思弁哲学者だった。人間も宇宙も全て分かっていた。いつも、そういう、「全て分かっている」のような文章を書いていた。
そろそろ終わりだ。もう何もしないとは言うが、今日は良い日だ。もう全て書いた。
あとは、むしろ、もっと日本のようになりたい。最近、日本が好きだ。明らかに、一番賢い人間はブッダだし、一番進歩した国は日本だ。日本のことを何か知りたい。
それこそ、見ていると、この文章は戦前の日本だ。昔の日本にしか見えない。
ドイツが、こういう馬鹿な国になっている。ただの馬鹿なのに、分かる。聖書は、これのことを神の御業と言っている。神の御国とは、これが作る国を言っている。
どうでも良いほど、白人は馬鹿だ。知的障害のような馬鹿しか居ない。
日本の方が良い。日本人は、悪いものがすぐに死ぬ。こういうものを、戦いの中で、すぐに殺す。そういう、悪いものが無い世界が日本だ。日本には、馬鹿な人間も、悪い人間も居ない。全員賢くて、良い人間だ。それこそ、日本人だけ全員同じだ。それが日本だ。
あとは、神の御業は、自分がそういうものをやりたいから、そういうものがある。要は、皆もそういうことがやりたい。
あとは、神なんか、居ない。自分が神だと思う人間が多いが、キリストの時点で、そういう人間がキリストのように多い。キリストになっている。
何故か、ユダヤ教がそういう宗教だ。自分のことを神だと思いたい。最初から、ユダヤ人がそういう人種だ。何故か、それでユダヤ人が嫌いな人間が多い。それがユダヤ人だ。
昔の自分は、宇多田ヒカルだと思えば分かる。女では無かったが、宇多田のようにネットで経験して分かっていた。宇多田も「もう終わったことにして損したこと、あなたにもありませんか」と言っているが、そういう考え方や知恵のようなことを、経験をモデルにして分かっていた。哲学とは言うが、あとは、そういう風に経験から真理を分かった。
自分は、昔は宇多田は好きだったが、最近嫌いになった。彼女の音楽を聴いていると、つまらない。おかしな人間には見えない。ただのまともな女に見えるのが、宇多田だ。
そういう、行動規範や判断基準が賢かった。それで、成長して、応用的なことを考えていた。最近あまりないが、きちんとこの世界を分析して、考察して、熟考しながら経験する、「考える能力」や「経験する能力」や「行動する能力」があった。きちんと考えると、普通、アドラーやマルクスのようになるが、あれも典型的なそういう人間だった。
あとは、ドイツ人が普通、こういう風に考える。賢くは無いが、素敵で素晴らしい国だ。
昔のように経験し、考察する能力が無くなったせいで、何も考えていないように見える。何も行動しないように見えるし、経験も無いように見える。昔は、逆に、本当に大量に考えて、大量に経験して、大量に色んなことをやっていた。マルクスと同じ天才だった。
昔は、経験や場所から意識を考えて分かっていた。異様な意識で分かっていた。それがキモイだけで、キモイ虫に見える。ただ、それが賢かっただけだ。
あとは、本当に成長して分かっていた。最近は、本当に宇宙のことが全部分かっている。神の言っていることだけで、全部分かった。神は、ドイツのことをドイツと言っている。
自分がフランスとドイツなんか、本当に分かっている。こういう国がフランスとドイツだ。
時代の変化とは言うが、そういう社会の段階や、理性批判の方法論を書いていた。人生の段階は、自由とキルケゴールのような実存を考えただけだ。あとは、存在と意識を考えた。
自分がフランス人だ。フランス人には、こういう人間が多い。
神は賢かった。神がフランス人とドイツ人の常識を全部言う。そのせいで、本当にそれらが分かっていた。神が悪いのは、神が見てもこれは右翼だ。ドイツ人がドイツ人のことを知らないのがおかしいから、神が教えている。そういうわけで、それらは分かっている。
自分が国なんか、全部分かっている。あとは、神は未来のことを言う。
そういうわけで、自分は全部分かっている。それこそ、皆を馬鹿にするのぐらいが悪い。
昔の文章が賢かったのは、知性があったからだ。内容は今の方が賢い。今の方が普通だ。
アメリカは良い国だ。皆を自由に受け入れる、素晴らしい国だ。
トランプは、アメリカの理念が失われるように見える。皆、悪いと言う。
ソ連は良い国だ。平等で平和な理想がある。
日本は、排他的で、不平等だし、同調圧力で、皆を殺す。
だが、そういう、日本に悪いのは、もう止めた方が良い。日本人とは言うが、日本のことを馬鹿にしすぎている。日本は、本当に社会のことを良く出来る、全員の秩序の力がある。
皆、誰もが悪いから、キリストが言っているように、悔い改めるしかない。
悔い改めていると、きちんと賢い人間になる。
哲学の図鑑の本を買った。この本をきちんと読めば分かる。
哲学のことが何でも書いてある。
本のタイトルは、「哲学大図鑑」だ。
モンテーニュが、名声と平静さが並び立つことはありえないと言っている。
だが、それより、平静さは、他人の意見にとらわれないことで可能となる、と言っている方が僕は分かる。他人の意見にとらわれないことで、平静さを得ることが出来る。
それをもっと段階的に考えて、名声と平静さが同時には成り立たないことを言っている。
見ていると、テレビが悪い。テレビを倒した方が良い。
昔から、僕はテレビと戦っている。
テレビには、心理学的に民衆を支配するのが多いが、昔の自分にそれが多かった。
テレビが好きになると、そういうものが好きになる。テレビなんか、見ない方が良い。
もう何もしたくない。もう終わったのが自分だ。終わるのは、仕方ない。
昔は、引き篭もりの経験で分かっていた。この世界にあることを全部していた。論理を何でも作れる人間だった。もう、そういう引き篭もりに戻る。つまらないほど、意味が無い。
思考、経験、方法から世界のことが分かった。人間を積み重ねて、知性で考えることで、人間と世界のことを知った。環境から人間のことを把握した。
そういう段階のことを、いつも書いていた。
そろそろ、引き篭もりになる。それでそのうち馬鹿になる。
終わったせいで、皆も終わる。終わるのは仕方無い。誰でもこういう風に終わる。
昔は、心理で全てのことが分かっていた。人間の意識のことを全部分かっていた。
最近は、狂っている。
ロボットになって、分からなくなって、馬鹿になっている。
それで同時に戦っている。
一番高いところから、皆を馬鹿にしている。それで、皆馬鹿になった。
自分自身も同じだ。一番意識の深いレベルで、自分を分からなくしている。
言葉でロボットになっている。
そういうわけで、きちんと狂っているのを治せば良い。
人格がおかしいと思えば良い。
人格的に、全ての知性が無くなっている。
それは、分からなくしているどころか、分かるようにしているだけだ。
そういう、精神分析でおかしな虫のようなロボットになっているのが悪い。
何もかも、意識が馬鹿になる。
精神を作っている馬鹿が多かった。何故か、虫のような精神を作っている。
そして、世界を滅ぼしたくなかった。永遠の戦いをしていた。
理屈で考えても意味が無い。ただ、単純におかしくなっているだけだ。
覚えていないどころか、きちんと思い出せば良い。
頭を破壊して、分からないように、人格的に知性を無くす。
無くすと言うよりは、学習と意識レベルと心の状態がおかしくなっている。
統制して戦うのも悪いが、全て、頭と行動がおかしくなって、深いレベルにある人格的で思考的な知性が、分からなくなっている。思考と状態がおかしいのだと思う。
引き篭もりになると、これ以上、もっとおかしくなる。だが、そうでもない。引き篭もりになると、治って賢くなる。それで、成長して、ヘーゲルのようになる。
引き篭もりは馬鹿では無い。馬鹿に見えて、賢い。
あとは、昔は、Linuxの調査研究が多かった。ニュースや記事のようなものを、全部見て、システムのことを分かっていた。自分でOSを作りたい、と言う夢があった。
引き篭もりになると、治る。すぐに昔になる。精神が治る。そして、多重人格になる。