社会の全てを変えるために、社会を全部肯定しながら否定するような、危険人物のような人間だった。左翼のようで、自由だった。世界を何でも自分の都合の良いように変えられるような、そういう馬鹿だった。
良く考えると、2ちゃんねるが一番賢い。昔は、そこまでの馬鹿だ。何も賢くない。
あとは、本質の全部の網羅のようなことを言う。
全ては、概念と方法の中での、知性の結集である。
全ては、論理性と観察である。
全ては、自由と論理学である。
全ては、システムの構築と、個別の変化と、そこからの全ての可能性である。
そういうことを言う。不思議と、それを全部網羅しているだけだ。
あとは、ネットで悪いことを全部一度言って分かっていた。全て、言って分かった。
世界も、人間も、自分の都合の良いように変えられる。人間の騙し方が分かっていた。
ただ、これでは悪いだけに見えるが、良い人間だった。人間の救い方、導き方、教え方、悟り方、分からせ方も、同時に分かっていた。本当に、良いことも悪いことも、どちらも出来る、王のような革命家のような人間だった。
それで、自由と言っていた。一番悪い。全部、悪いことをする自由を言っている。
ただ、あれは悪くない。きちんと賢い、良い人間だった。
本当に分かり合えば、親友になれるし、世界も変えられる。そういうことも分かっていた。そういう、神みたいな人間だった。キリストは、昔の自分をやっているだけだ。
本当に分かり合うことで、同じになれる。そういう風に、全員融和して分かっていた。
自分は、昔から、本当の正しさ、本当の真実が分かる。
どこにも所属せず、一人自由に振る舞いながら、一人科学者をやることで、真実を知った。
それこそ、ヒュームやヘーゲルのように分かっていた。
これは、馬鹿だ。ただのコミュニストだ。一番悪いのに賢くなっている。
僕は、最近、コミュニストが嫌いだ。国家主義の方が良く見える。コミュニストには、何も出来ない。出来る国家主義の方が良い。自由と実現力のある国が好きだ。右翼は自由だ。
僕は、ドイツが好きなだけだ。キリスト教の神が好きだ。
自分は、最近の方が賢い。最近は、きちんと毎日いくらでも文章を書いている。
いくらでも書く、と言う発想がありえない。賢いから、今のままで良い。
辛いなら、休めば良い。本当に辛くなったのは、悪いからだ。善人になれば楽になる。
昔の馬鹿を、全部殺せば楽になる。あれは、悪すぎるだけの人間だ。
あとは、最近は、知性で全部説明する。人生、世界観、科学、森羅万象、社会、組織、環境などを、全部説明する。一行で、概念的に網羅して、知性にする。そういう文章だった。
そこらへんも、昔だと思った方が良い。もう、何年も経った。最近なわけがない。
最近は、哲学と歴史がしたかっただけだ。これで誰でも分かる。それも、もう昔だ。それこそ、哲学は、昔の自分が分かるだけだ。そういう昔を、もう忘れるべきだ。
何も分からないなら、分かるわけがない。ただ、この世界のことを知れば良いだけだ。
神やキリストを信じると、正しい人間になる。正しい人間になって、分かるようになる。
ただ、そういう、分かる人間は、一番辛い。辛いから、馬鹿な悪い人間になる。
最近、分かるせいで、分からなくなっている。馬鹿が分かるせいで、賢さが分かっていない。もっと、文章のことを分からなくした方が良い。何も分からないと賢くなる。
言葉で分からなくなると、数学的に分かるようになる。道路を決まりにしても、関係にしても分からない。分からない方が、数学的な「位置」や「距離」が分かる。
あとは、昔は、力業で思い出して分かっていた。何とか無理やり思い出して分かった。
人間のことを、状態とか、環境とか、状況とか、人格とか、そういう風にして分かった。
場を想定したり、目的を考えたり、数学を実感したりして、実感で分かった。
あれは、目的に応じて作り出すのが分かる人間だった。
そういう、分からない人間には、分かる人間が多い。
不思議と、分かると善人になる。分からない人間には、悪人が多い。
当たり前に、悪い人間には分からない。悪い人間が、一番分からない人間が多い。
昔から、そういう、「善人になると分かる」と言う発想が多い。善人になって、経験から正しく考えると、善のイデアで分かる人間が多い。
だが、そうでもない。分かると、悪い人間になる馬鹿が一番多い。
悪いことばかりしていると、分かる。それが、不思議と、自然に成長して、良い人間になる。プラトンも、見ていると、悪い。プラトンもそういう、悪い賢い人間だ。
それは、何故なら、分からない方が分かる人間が多い。カントの理性批判も、そういうことを言っている。分かりすぎていると、何も分からなくなる。
あとは、ソ連や哲学者をやりたいのは、止めた方が良い。そのせいで、悪い人間になっている。ソ連が好きだったのは、実現力が好きだったからだ。ソ連に実現力なんか、あるわけがない。自分は、自由な帝国主義者の資本主義者になれば良い。そうすると、本当に色んなことが出来る。ソ連には、何も出来ない。何も出来ない悪い人間になる。
あとは、楽も悪い。楽は、馬鹿になる。グーグルが一番悪い。楽過ぎると、知性が無くなる。それこそ、Linuxやオープンソースも悪い。普通、何にも使えない。やっていると、悪い人間になって、分からなくなる。何も出来ないだけ悪い。Linuxは、ありえない機械を作りたいだけだ。共産主義者は、下劣な集団だ。僕は、共産主義者は嫌いだ。世界が何も出来なくなって、滅びる。右翼の方が好きだ。最近、ドイツ人が好きだ。良い国だ。
自分の文章は、マルクスのような、自由な経済システムや組織や共同体のことを考えている文章は、確かに多かった。昔から、マルクスのように社会のことを考える。オタクなどの社会問題や、教育のことも良く考えている。
だから、マルクスは嫌いではない。だが、僕は右翼だ。マルクスとは言うが、ただ、自分の文章が好きだっただけだ。自分の文章なんか、左翼のようなことは言うが、いつも右翼しか言わない。人種差別みたいなことをいつも言っている。そういう右翼が自分だ。
差別とは言うが、そんなに悪いことは言っていない。日本が水、ドイツが火、フランスが風、ソ連が地、のようなことを言う。そして、ソ連を家族と言って、ドイツを機械と言って、フランスを絵画と言って、日本を漫画と言う。それは、神が言っていたのをそのまま言っている。自分は右翼だが、左翼も好きだし、自由が一番好きだ。自由な世界になってほしいから、トランプは嫌いだし、クリントンやサンダースの方が好きだ。
いつも、自由が好きだった。自由なこの世界を守って、自由なままこの世界を変える。そういうことを言う。マルクスと良く似ているが、マルクスは、階層を無くして、人間性のある、疎外や差別の無い、不自由で平等な社会を作りたい。自分と逆だ。自分は、マルクスに真っ向から反している。不平等で自由な社会を作りたい。最近は、マルクスより、自分の方が多い。自由の方が良く見える。平等は、国が殺して、悪いことをするだけだ。
ただ、自由の方が悪い。自由も平等も、何もしないだけだ。最近は、自由が嫌いになった人間が、一番日本に多い。自由はおかしい。最近、そういう右翼になっているのが、自分だ。最近、いつも右翼だ。自由が嫌いだ。だが、自由な社会は、依然として悪くない、理想としていつまでも掲げている。その理想を、掲げていたい。そういう、自由な正義の右翼になって、日本と戦っている。それこそ、ドイツと日本の戦いは、キモイ。
自分は、ドイツなんか嫌いだから、ドイツ史なんかしない方が良い。本当に、ドイツが一番嫌いになっている。するなら、フランス史をすれば良い。フランスが一番、こういう、反抗したい自由の国だ。こういう、左翼の右翼が多い。おかしな人間が多い。
不思議と、昔の経済学だと思えば分かる。
社会の価値観や、それぞれの国民が考えていることや、今この国が出来ること、直面している問題、そして社会の制度をどう作るべきか、制度はどうあるべきか、を考える。
そういう、「今」を考えないのがおかしい。「今の日本」を考えれば分かる。
数学も、心理学も、昔のように、実地的に、実際的に考えていると、良く分かる。
そういうわけで、最近は本当に要らない。文章も、科学も、馬鹿な構造をあまりに作りすぎた。それで、もう分かっているのに分からなくなっている。
最近の科学の構造は、「普通」すぎて分からない。そういう、普通の科学は要らない。
もっと、ゼロから構造を作って考えれば良い。もっと、色んな世界にある構造的なものを、自分で作り直して、自分で作って考えれば良い。昔は、そういう人間だった。
あとは、自分は、マルクスには見える。マルクスと全く同じものを作っている。マルクスについては、それで分かっているから、自分にしか分からない。これで哲学者が、自分だ。
もっと、条件的、想定的、そして状況的に考えると、経済のことが良く分かる。
今のこの社会が、どのようになるべきであり、そのためにどういうことが出来て、具体的な社会の実例としては何があって、具体的な構造をどのように作るべきで、それぞれの構成員を幸せにしながら自由にするためにはどのようにすべきか、社会と歴史の視点から、実地的に、現実と理想から考えて、実際の社会のあり様を分析する。
そういう、きちんと経済学者のように、この世界の現実を考えていた。
あらゆる人間の価値観と心を知って、魂と自由な安らぎを満足させる国を作る。
昔は、そういう人間だった。それこそ、本当にもっと賢いことを考えていた。
ただ、あれはただの2ちゃんねるだ。小泉政権の時の、構造改革のようなことを、同じように一人考えていたに過ぎない。何でも実現出来る、救世主だった。
そういうわけで、今日も悪いだけの日だ。マルクスの日になった。
誰でも経済学なんか作れる。心理学は、アドラーのように考えていただけだ。
そろそろ、全てが繋がった。テーマは「自由」だ。昔は、知性で状況のようなことを考えていたが、自由しか分かっていない。信念を包括して、全員を融和する。そういう、エロイだけの自由な人間だった。本当に、色々と、愛もあったし、エロかった。
あとは、思いやりからこの世界のことを考える。宇宙人のような理想の社会を、理論的、経験的に、「本当にその理想の社会が正しいことの、経験的な証明」をして分かった。そして、「その理想の社会の経験的な実現の仕方」を分かっていた。宇宙人のように、この世界で、一人、理想の天国を実現出来る人間だった。キリストのようだった。
もう終わりだ。今日が一番賢く見える。マルクスのアドラーと思えば良い。そういう、2ちゃんねるの経済学者だ。経済のことを全部知って、目的と実現から考える。そのために必要な、自分が王となって何を変えるべきか、手段や機会のようなことを考える。自分の都合の良いように変えるのは、まるで共産主義者だ。それこそ、そういう賢い人間だった。
日本には、こういう人間が多い。フランスなんか、馬鹿な国だ。自由過ぎる、批判と争いだけの、恐怖と右翼の王国になっているのが、フランスやアメリカだ。フランスやアメリカの政策や派閥闘争を分かっていると、ジャップに見える。日本のことをすれば良い。こういう人間は、日本に多い。何故か、仏教を信じていると、こういう賢い人間になる。
それこそ、アメリカなんか、嫌いで良い。トランプ本人が、この国は最悪になりつつあると言っている。放っておくと、本当にドイツみたいになる。今見ると、トランプは怖い。
日本のことをしたい。日本史はもう読んだから、政治経済をすれば良い。
ただ、自分は、そんなに勉強なんか、出来るわけがないのが分かっていない。日本史も、政治経済も、普通、すぐに忘れる。だが、日本のことなら覚える人間が多い。世界史なんか、誰も覚えない。ドイツ語やドイツ史は、普通、ドイツ文学がすると出来るが、それは、普通のドイツ人より馬鹿だ。外国なんか、忘れた方が良い。覚えてもすぐに忘れるだけだ。
学校は無視して、社会経験をした方が良い。馬鹿にはそういう人間が多い。不思議と、本当に、分からない方が分かる人間が多い。賢い人間より、馬鹿の方が、あとで賢くなる。
自分が、自由が好きだったのは、学校が嫌いだったからだ。本当に、「この世界をどうするべきか」のようなことが、経験と基礎と理性から全て分かっていた。
自分は、学校が悪いのが分かっていない。そういう、この世界をどうするべきか、のようなことをいつも分かっていた。そういうことを、最近、考えていない。
昔は、世界や時代のことを経験から良く分かっていたせいで、洞察力もある、賢い人間だった。能力的なものも、少なくなかった。そういうわけで、何か、この世界を変えれば良い。最近の自分は、王になってこの世界を変えると言うが、そういう風に変えるのはおかしい。もっと、社会や会社に参加して、自由に変えれば良い。昔は、そこを考えただけだ。可能性を高めて、自分の出来ることを増やしていた。それだけの人間だった。経験的、能力的、発想的、実現的に、出来ることを増やしたかった。自分が出来ることで分かっていた。本当に、それだけの、何でも出来て何でも知っている、全知全能のような人間だった。
本当に、自分は、全て分かっているようで、分かっていない。赤ちゃんの神だから、天使に見える。昔から、これが天使に見えるのが、トマス・アクィナスのようなカトリックだ。トマス・アクィナスのせいで、キリスト教の天使がこういうものになってしまった。
いつもの文章は、こういう、「社会実現と理想の考え方」のようなことを言っている。本当に、これくらいの文章だった。これなら、今の方が賢く見える。
本当に全員のことを考えて国を作るべきだと言う。マルクスと言うよりは、カントやヘーゲルに近い。道徳的な良心のようなことを言っているつもりだ。そういう哲学者だった。
カントも道徳律を言っているし、ヘーゲルも良心や啓蒙を言っている。ヘーゲルについて見ると、自分は良く知らないが、法の哲学で、市民社会や家族のことを言っている。
そういうわけで、これで新しいヘーゲル哲学だ。これで、新しくて賢い哲学者だ。
それこそ、ヘーゲルには見えない。精神現象学と言うより、資本論に見える。ただ、僕は資本論についても良く知らない。どんな理論なのか、これで、全く知らない。
AAAが言っているように、知らない方が自由であることがある。知っていると、自由に考えられない。スターリンなんか、誰も知らないし、ニーチェは馬鹿には見えないのは、誰も知らないからだ。そういう風に、知らない方が賢いこともある。マルクスなんか、知らない方が、同じ考え方を出来る。そういう発想が、昔の自分の経済学だ。
それこそ、ローマ法王はパリに居ると思っている馬鹿すら多い。ネットを見ていると、本当に馬鹿ばかり多い。ローマ法王なのに、ローマに居るのが分からない。だが、そんなことを無意味に知っても、ただ馬鹿になるだけだ。高校生が一番馬鹿なのは、そういう風に、ただ、馬鹿になるだけで出来るからだ。何故か、学校に行っている皆の方が馬鹿だ。
あとは、Linuxのコマンドが書いていないが、それはWikiに書いてある。見ても馬鹿だから、見なくて良い。僕は、ああいうページを書いている。見ると、2ちゃんねるだ。
それこそ、パソコンのことなんか、分かるわけがない。最近Androidが一番流行っているが、分からなくて良い。誰でも、パソコンを分かるせいで、全員馬鹿になった。分かれば分かるほど馬鹿になる。Perlなんか意味が無い。自分は、UNIXのシステムは分かった。
あとは、社会実現や理想のようなことを、本当に多角的に、網羅的に考えていた。
理想みたいなことをいつも分かっていた。
パソコンのことは、PerlやJavaのようなことを知っている。2ちゃんねるで知っていた。
それこそ、自分は賢い。これで、社会のことなんか、一通り知っている。人物が分かっているから、歴史なんか、もう出来たことにすれば良い。時代もきちんと知っている。流れもきちんと分かっている。もっと賢くなるわけがないから、今のままで良い。
そういうわけで、今のままになる。こんな知性の無い馬鹿になったのが悲惨だが、今の自分が本当に一番賢い。神を信じると、こういう、正しくて賢い人間になる。
分かりたいなら、昔のように悪魔になれば分かる。むしろ、いつも悪魔になっている。
これで分かるわけがない。今、自分が何をやっているのか、何を考えているのかが分かっていない。それを良く考えると、哲学が出来ると思う。
いつも、何か、環境の可能性のようなことが分かっていない。いつ、何が起きるのか、法則のようなものを考えないのがおかしい。法則と言うよりは、実例を考えただけだ。
もう、終わりにする。社会を書いたせいで、社会の日になった。もっと、社会のことを知れば良いのが自分だ。それが、そのまま、社会経験になる。新聞を読めば出来る。
昔は、積み重ねと言うが、計算可能にしていただけだ。それで、超賢くなった。積み重ねとモデルと実験から、数学なんか、本気で出来た。そういうわけで、数学と歴史は出来たのが自分だ。経済学や心理学や哲学もきちんと出来た。文学も宗教も出来て、パソコンも分かっている。大人には、こういう人間が多い。何もしなくても賢い大人が多い。
そういうわけで、もう、止めれば良い。あとは、もう分からなくなる。
新聞でも読めば良い。歴史が出来たように見えて良いが、本はあまり読んでいない。もっと本を読んだ方が良いだろう。積み重ねのようなことは、昔したせいで、する意味が無い。何故か、することが何も無くなった。昔は、何かをしていたせいで、楽だった。何かをきちんとすると、楽になる。昔は、プログラマになって、OSの開発をしたかったせいで、賢くなった。そのために見ていたのがネットだ。それこそ、夢は挫折して、出来なかった。
パソコンのことでも書けば良い。UNIXは古いが、良いコマンドが多い。コマンドとコマンドを合わせて、入出力などの機能から、賢く実行出来る。GUIと違って、スクリプトのようなものを記述出来る。Linuxは、今でもコマンドでの操作が基本だ。コマンドが賢いだけのOSだ。それこそ、バージョン管理システムのGITが賢いだろう。コンパイラもきちんと賢いから、誰でもGCCとPerlを使うだけだ。それこそ、普通のコマンドが賢い。sedのような賢いコマンドがきちんとある。ただ、流石にそんな古いコマンドは使わない。
あとは、ディストリビューションが違うと言うが、違う意味が無い。パッケージ管理システムや配布と利用のポリシーが違う。Debianなんか、ある意味が無い。Red Hatもおかしい。最近は、全部Ubuntuで良い。他のディストリビューションは要らない。
Linuxはおかしいから、しない方が良い。賢い人間は、もっと別のところにいる。パソコンは、賢くない。先進的で革新的なのは良いが、賢い人間は少ない。哲学は同じだ。
昔は、社会のことを良く考えていたから、「教育を変えるべき」だと思っていた。そういう、「どこを変えれば良くなるか」のようなことを真面目に考えた。教育を、もっと自由にするべきだ。それこそ、「学んでいる本人の学生の自由」にすれば良いと思っていた。
それは、悪い。子供を自由にすると、悪いことをする。子供が自由になんか、誰もなりたくない。格差が生まれて、不平等になるし、ITなどを取り入れると、ありえなくなる。子供は、誰もが自由を悪いと言う。民主主義の学校にする、と言う、プラグマティズムの哲学者が正しい。確かデューイだったと思う。教育のことは、普通そういう風に考える。
あとは、セックスみたいな表現を消した方が良い。そういうもののせいで知性が無かったのが、昔の時代の日本だ。見ていると、昔の日本には、知性が無い。最近、自分のせいで日本が賢くなっている。不思議と、本当に真面目で思いやりのある良い国になった。自分が言っている内容だけで、誰でも思いやりが全部分かるからそうなる。いつも、そういう、思いやりの自由のようなことを言っていた。平等より自由の方が、さらに理想的だ。それこそ、平等の先の理想として、自由がある。平等は第一段階に過ぎない。格差を無くして終わりではおかしい。それぞれを自由にして、豊かにするべきだ。マルクスが、自由から階層の無い共産主義社会になると言ったのとは逆に、自分は、その先で自由な社会になると言いたい。歴史を見ていると、ロシアや東欧も民主主義になっているし、中国も資本主義的なことをしている。それらの国が、いつか、最後まで到達して、宇宙人のようになる。それを予言したいと思う。だが、それは明らかに無い。マルクスの方が賢いだろう。
あとは、いつも人生のようなことを分かっていた。平等から自由になるのは、人生についても同じだ。キルケゴールは宗教的実存を最後と言ったが、自分は、さらに自由な実存がいくらでも先にあると言いたい。それも、予言したいと思う。
自分は、昔から、主人公より、縁の下の力持ちを賢いと思う。自分が活躍するより、皆のことを活躍させて、自分が王になるより、皆を王にしたかった。結果的に自分が主人公みたいにはなったが、こういう人間が多い。皆のことを助けていると、きちんと自分に回ってくる人間が多い。そういう風に、かわりばんこでこなしているのが人間だ。賢い人間には、こういう人間が多い。こういう人間は、きちんと指導者になって、また助言する側に戻る。それで、また新しい人間が活躍する。野球の松井秀喜もそういう人間になる。
ただ、昔から、僕は松井よりイチローの方が好きだ。自由な生き方が、自分と同じに見えた。松井は良い人間だが、昔の学校時代の自分のようで、嫌いだった。最近は、むしろ、松井も好きだ。昔の学校時代どころか、今の執筆時代に見える。松井は、善人だ。こんな悪人なわけがない。良く考えると、国民栄誉賞は、本当に自分より賢いと思う。
今日は、スポーツの夢を見た。野球やサッカーのような夢だった。それこそ、やけに未来みたいな夢を見る。あとは、中学生がやっている料理店のような夢も見た。中学生がやると、本当に馬鹿な店になる。パズルゲームのようで、バイキングのような店だった。
自分は、抽象的な理性が無くなっている。社会より、自分やもののことを考えた方が良い。ものを抽象的に捉えて、予測など、考え方が分かる。金が無いと生きられないのが分かる。
あとは、昔は本当に、数学的な知性と関係とモデルが分かっていた。人生も社会も、そういうものを想定し、分析し、洞察して考える。そういう知性のある文章だった。
だが、あれはおかしい。本当に、虫みたいに馬鹿になる。キモイから、忘れた方が良い。
子供には、きちんと生きるのが賢いのが分かる人間が多い。生きるために必要で無いことは、必要ない。学校より、金の方が賢い。金儲けが賢く見える馬鹿しか居ない。
大人には、居ない。金儲けが一番馬鹿だ。意味が無い。
あとは、数学的な方法や対処法、作用や反応などを、実感と感覚で分かっていた。そこから、「経験を感覚的、実感的に分かる」と言う発想が多かった。
何でも把握して、実感して、試して分かる。そこから、宇宙の法則や起源を考えていた。
あとは、セックスがしたい青少年が多いが、セックスは悪いから、止めた方が良い。やると、一番悪い。辛いどころか、人間を完全にいじめて、殺して、馬鹿にするように見える。最近は、そういう、セックスが嫌いな男が多い。女には、したい人間が多い。
あとは、もう何も無い。それこそ、社会を見ても、ほとんど金とセックスしかない。たまに犯罪と政治的闘争がある。金と権力が資本主義だ。資本主義なんか、最初から馬鹿だ。
あとは、世界観と認識のフィルターのようなことをいつも考えていた。それだけで誰でも分かるから、説明しなくて良い。自分は、そういう、自分が分からないだけをまだやっている。意味が無いから、昔の自分を再度分かるのは、止めた方が良い。
賢い人間なんか居ないから、自分が賢い。どこにも、賢い人間なんか居ない。家族が賢くて、テレビに池上彰のような人間が映るせいで、分かっていない。賢い人間なんか、どこにも居ない。大学が賢いようで、賢くない。そういう、大学信仰は、止めた方が良い。東大なんか、何も賢くない。本を出版出来た自分の方が本当に賢い。
あとは、大学信仰を止めて、もう歴史は出来たことにして、自由に本でも読んで居れば良い。自分は、もっと新聞を読みたいと思う。そして、百科事典でも調べれば良い。それが唯一賢い。本を読んだ方が良いと、親も言う。学校には馬鹿しか居ない。何故か、プリントと黒板で学習していると、馬鹿になる。自分で体験しないと、覚えない。こういう風に、文章を書いていると、きちんと賢くなる。こういう風に、書かないと覚えない。
自分なんか、ただの馬鹿だ。永遠に馬鹿を喋るだけだ。これで、トランプのような馬鹿にならないのがおかしいが、いつもなっている。ただこういう風に、喋るのを超賢くしただけだ。ただの心理学だ。心理学は、悪の学問だから、しない方が良い。何故か、そういう、「ブラックな心理学」が本当に大学の心理学に多い。
新聞で、共和党によるトランプ降ろしのニュースを見た。新聞を読むとは言うが、それくらいしか読まない。すぐに読むのを止めると思う。ただ、新聞を読まないと、分からない。
心理学はした方が良い。これで心理学のことが分かると、哲学が出来る。それこそ、いつまでも良い子で居るより、悪い子みたいになった方が賢い。心理学は、意味が無いと言う人間が多いが、心の病気を治すのが意味が無いと言っているだけで、自分の場合、自分がすでに心の病気になっているから、治る。経験、学習、認識、精神の現象を考えれば良い。
心理学は、人を支配する学問だから、人を支配して、操っていると出来る。
心理学は、そういう、意味の無い学問だ。人を操るだけの心理学が多い。
そういうわけで、哲学や心理学にばかり、悪い人間が多い。そういう人間が、何か分かるわけがない。経済や歴史も同じだ。悪い右翼ばかり多い。
もう、これ以上大学はしなくて良い。これ以上、哲学の本なんか、読まない。ウィトゲンシュタインやマルクスは、読んでも理解出来ない。これくらいで、充分だ。
そういうわけで、もう何もしない。聖書を信じると良いだろう。これで聖書を信じていると、きちんと正しい分かる人間になる。そういう人間に分かる人間が多い。
不思議と、哲学と宗教を分かると、色々と良い。政治や人間のことも、それで良く分かる。
心理学的に人間のことを支配したいのは、昔の自分に多かった。心理学は、それしか居ない。そういう、メディアの影響力を考える人間が多い。馬鹿な支配者になるから、止めた方が良い。最近は、そういう発想が無くなって、まともになった。代りに大学が分かるようになったが、今の方が馬鹿だ。こういう、馬鹿になる大学が多い。
大学は良い。英会話教室の教師の白人も、大学とコンピュータが一番良いと言っていた。本当に、今までの自分の中で、自分の場合も、大学とコンピュータが一番良かったし、役に立った。アメリカ人は、誰もが大学とコンピュータが好きだ。他に良いものなんか、何も無い。自動車は良く見えない。失敗して、すぐに死ぬように見える。最近は、自動車が他人を殺す凶器となる事件も、沢山起きている。銃や麻薬の次に悪いと言う人間が多い。
あとは、ドイツは誰が見ても悪い。アメリカ人が見ても悪いから、ドイツは止めた方が良い。数学はもう一度は出来ない。昔きちんと出来ているから、明らかにする意味が無い。きちんとパソコンの時代に出来たのが、独自の自分の数学だ。あまり書いていないが、独自の正しい厳密で関係を成り立たせる、基礎を作った数学だった。それは、独自の方が賢い。本当に数学をやっていると、マスを書いているだけの、オナニーに見える。
そういうわけで、政治経済と仏教と日本史をきちんとやって、日本のことを分かった方が良い。今日本が好きなら、それで日本人だ。日本が嫌いなら、クズだ。それこそ、日本が嫌いなのはおかしい。無意味に嫌いな人間が多いのは、学校のせいだ。自分が見ると、日本はどこよりも一番良い国だ。ハイデガーを100人集めても、ブッダには敵わない。
それこそ、日本史なんか、きちんと革命が成功している。明治維新が成功して、一気に近代国家になった。昔の中国の文化なんか、一番賢い。漢字だと思えば良い。戦前は強かったが、戦後には平和主義の民主主義国家になって、高い経済成長と技術革新をした。
アメリカを大国とは言うが、そういうことは無い。アメリカやイギリスの、スターウォーズやビートルズを賢いとは言うが、日本のアニメの方が賢く見える。ジブリやガンダムやドラえもんがきちんとあるだろう。日本だって、何も負けていない。
心理学をメディアの支配を考えると言うが、それは昔自分も考えている。テレビやネットをきちんと考えた。行動心理学や社会心理学は、普通、そういう、群衆の心理を考える。役に立たない下劣な学問だ。子供からの脱却を考えるアドラーを賢いと言うのもおかしい。
あとは、社会の経験が多かった。色んな社会を、実際に見て、実地的に考えていた。
この文章がキモイのは、何故か、ロリコンみたいに見える。キモイから止めた方が良い。子供を犯すのがキモイ。見ていると、そういうキモイに見える。
不思議と、そのせいで自分が辛くなっている。自業自得なのが分かっていない。
自分が見ても、仕方ない。何もしなければ良い。インターネットやオープンソースがそういう馬鹿だ。それこそ、もう、男に戻りたい。女がそういう馬鹿が好きだからそうなる。
そういうわけで、昔のロリコンの男に戻る。そうすると、アジア人みたいな馬鹿になる。それで日本のことが分かる。不思議と、日本のことなんか、経験でもうすでに全部分かっている。ドイツや哲学のようなことは、もう出来なくなる。キリスト教が終わった。
自分のさらに悪い点は、引き篭もりになって悪いことばかりしているのも悪いが、キリスト教とイスラム教を同時に信じるのが悪い。キリストのイスラムはおかしい。それで酒を飲んで、豚肉を食べるのがおかしい。神の天罰が下ったのをまだやっている。
そういうわけで、イスラム教はもう忘れた方が良い。イスラムは、イモムシみたいにキモイ。イスラム国に見えるから、本当に止めた方が良い。
そういうわけで、昔に戻る。日本人の男になって、好きなだけ楽をするようになる。だが、それもそれで辛い。辛いように見えて、書いている今の自分の方が、楽だ。
自分は、賢くなっていない。ただ、馬鹿になっている。いつも考えていた自分が賢かった。昔の自分なんか、その頃の自分がきちんと書いている。今考えても賢くない。もう、止めた方が良い。もう終わったのが作家だ。プログラマも終わった。新しいことをすれば良い。
最近、アジア人には、ロリコンしか居ない。昔の自分になっているのがアジア人だ。見ていると、アメリカ人もドイツ人も同じだ。どんどん昔の自分になっている。
見ていると、ユダヤ人だけ、こちらの最近の自分になっている。ユダヤ人を特別可愛がっているように見えるのが、これだ。それこそ、ユダヤ人が見ても、ユダヤ人は悪い。これが唯一ユダヤ人をそこまで愛しているが、それは無い。明らかに、ユダヤ人を一番嫌っている。ユダヤ人がこれになっているのは、これの方が何故か強いからだ。そういうわけで、ユダヤ人がどんどん馬鹿になっている。悲惨だが、ユダヤ人は馬鹿だ。馬鹿に見える。
それこそ、僕はユダヤ人は好きだ。そこがありえないのが自分だ。それこそ、この人生を本当に見ると、本当にユダヤ人が好きだ。むしろ、ユダヤ人に見える。ユダヤ人が見ても、これはあまり悪くない。これはドイツに対して頑張って戦っている。頑張っている。
それこそ、ドイツと戦っているとユダヤ人の味方に見えて良い。
あとは、むしろ、ドイツを倒した方が良い。明らかに、ドイツの方もこれだ。そういう、これみたいな集団を、全部倒した方が良い。そういう、ユダヤを倒すべきだ。
良く分からない。ドイツがユダヤなせいで、ユダヤが嫌いになった。それは、むしろ、ドイツを嫌いだと言うべきだ。それこそ、ユダヤなんか、知らない。嫌いなのはおかしい。
日本が好きだ。ドイツやユダヤはおかしい。意味の無い、流れるような文章は、キモイ。
昔、ピタゴラスのように数字を信じていたことがあった。自分がこの世界を支配することに対する、不安と戸惑いがあった。何をして良いか分からなくて、数字を頼って、戦っていた。そのせいで、ロボットになった。自分は、時計がロボットに見える。テレビを支配して、テレビを時間の機械にした。それが一番悪かった。テロリストがイスラムだ。
それこそ、誰も殺していないし、悪いことはしていない。そういう、一番キモイことをやっている。キモイから止めた方が良い。
仏教では、ものが存在するのを心の中だと言うが、それはハイデガーが同じことを言っている。不思議と、ブッダなんか、ハイデガーとウィトゲンシュタインとマルクスが集まれば、三人で勝てる。ブッダは賢くない。聖人として崇めるから、賢く見えるだけだ。
あとは、どうでも良い。もう何もしなくて良い。
これ以上したいなら、もう出来ない。これは、もう何も出来なくなっているから、まだ書いている。本当に、これ以上しない方が良い。
辛いのは当たり前だ。辛いのに書く方がおかしいから、もう止めた方が良い。
単純に、行いが悪い。テロリストのように活動しているから、こういう風に、テロリストみたいになる。昔から、一番日本と戦いたいだけだ。自分は、日本が見ると、キモイ。こういう人間をクズと言うのが普通だ。2ちゃんねるが見ると、こういう人間が朝鮮人だ。
それこそ、朝鮮人と言いたいように見える。それは止めた方が良い。
ただ、2ちゃんねるは悪くない。韓国と北朝鮮は、誰もが嫌いだ。中国が嫌いな人間が多い。それこそ、それは馬鹿とは言うが、ネットの常識だ。左翼と朝鮮人が悪い。
あとは、精神分析から、悟って、全ての成長のように分かっていた。
こういう人間は、馬鹿に多い。ニートのような、一番馬鹿な人間に多い。
そういうわけで、馬鹿が賢くなる。それこそ、中卒が普通、これの通り賢くなる。辛い環境に本当におかれると、自分から賢くなる人間が多い。こういう人間は、普通、恥をかいて強く生きる。本当に強く生きていると、こういう、賢いマスターのような人間になる。
自分が見ると、こんな人間にならなくて良い。自分の場合、これで悔いのない人生になった。本当に、自分の人生は、悔やむことが無い。自分が見て、これで良いと言える。
間違っていたのは、書いた文章を残さなかったことだ。そのせいで、馬鹿になった。きちんとこれで文章が全部残っていると、一番良く見える。だが、それは無い。何故なら、それがあると、最近のこの文章をきちんと書かないからだ。
人生は分かっている。昔のことなんか、昔いくらでも分かっている。残しても意味が無いだろう。もっと、未知のことや未来のことを考えないのがおかしい。
昔は、当たり前に考えて、把握や実験をしただけだ。いつもそういうことを書いている。人生の経験と社会を知って分かった。ただそれだけだ。あとは、意味の無い、感情のようなことを書いて、考え方を網羅している。何も賢くない。誰でもそれくらい出来る。
昔の文章なんか、ただ騙しているだけだ。見ても、何も賢く見えない。
最近の国家のモデルぐらいは、残っている。いつも書いている。どうでも良いほど、馬鹿な文章だった。人生をいくらでも、変幻自在に書いているが、何も賢くない人生だ。
もう、忘れた方が良い。自分は悪い。一番悪い内容を書いても意味が無い。
悪いせいで、辛い。本当に、悪い人間になった。
希望、平和、愛、を信じれば良い。自由は悪い。
そういう、「人間にとって本当に必要なもの」を信じれば良い。
あとは、明らかに、ロリコンと言うよりは、ポルノだ。セックスのアニメの女だ。そういうものは、不思議と、本当に辛い。何も分かっていない。セックスなんか辛いだけだ。
何もしたくない。この世界に何も期待しない。夢を見て寝ていたいのと、この文章を書いていたいのと、楽をしたい。だが、楽と文章が矛盾する。もう止めた方が良い。
あとは、ネットは見ない方が良い。ただ、昔は、これでネットを見て分かっていた。
ネットは、見ていると、乱交みたいになっている。オタクが、二次元を見て、皆とのセックスを楽しんでいる。不思議と、そういう馬鹿は普通に多いし、あまり悪くない。
そういうわけで、ネットは見ない方が良い。見ると、分からなくなる。
ネットは、昔の自分には良かった。この世界のことが良く分かった。
だが、すぐに馬鹿になった。ネットが悪いせいで、タリバンになった。そういうわけで、ネットはしない方が良い。タリバンと言うとおかしい。馬鹿な認知症になっただけだ。
これで、ネットをしないでいると、きちんと分かる。ネットは間違っているから、止めた方が良い。昔の自分なんか、賢くない。いつも馬鹿だったのをいつも悔やんでいたはずだ。
あとは、日本はネットのせいで滅びるだろう。すぐにこれになって、馬鹿になる。
ネットが悪い。僕はネットが嫌いだ。ネットの被害者だ。ネットのせいで馬鹿になった。
昔は、ネットと言わず、この社会を真面目に分かっていた。
何故か、仮想的なモデルのようなものを作っている。そこに、自由な全員を配置して分かった。全員のことを、そういう風に、自由に考えて、手段と機会を分かっていた。
どこかの段階で、知れば分かる。在介する人間が必要だ。そういうことを、まるでウィトゲンシュタインのように考えていた。そこが賢かったのが自分だ。
ネットの被害者と思うと、分かる。被害者では無く、加害者に見えて悲惨だが、最近は、こういう、ネットの被害者しか居ない。心が怖くなって、全部辛い人間になる。一番悪い人間は、そうなる。昔から、神を信じないで、悪いことばかりしているとそうなる。緊急事態だから、神を信じているのが自分だ。本当に、知性が無くなって、何も分からなくなっている。おかしいだけが、こういう、脳がおかしくなって、死ぬ人間だ。認知症だ。
あとは、こんなものを書いても、セックスの女に見えるだけだ。ネットはおかしすぎる。
あとは、引き篭もりの実体験で分かっていた。覚えていないが、アドラーのようだった。
自分は、本当にこれくらいの馬鹿だ。全部見て、これくらいしか考えていない。
あとは、自分の本は、表紙がクリエイティブ・コモンズになるように見える。文芸社のそういうライセンスが載っている。内容もなるのかもしれないが、それは、仕方ない。明らかに、本人がLinuxやオープンソースが好きなら、それで良いように見える。それこそ、内容もクリエイティブ・コモンズにはなってほしくないし、それを言うと文芸社に悪い。だが、本ではそんなに金は入らない。色々と仕方ないと思う。
文芸社は、あまり考えていないと思う。文芸社も、本人がオープンソースに貢献したと思えば、それで良いと答えるだろう。変えるなら、変えれば良いとは言うが、それは出来ないと思う。仕方ない。むしろ、昔はネットに公開していたが、誰も読まなかった。
それで、本を実際に買う人間が悲惨に見えるが、むしろ、まだクリエイティブ・コモンズになると決まったわけではない。表紙だけがそうなると思う。内容は、自分に著作権があるし、表紙だけがなっても、ならないだろう。誰でも紙で読みたいから、悪くない。
最近の自分は、それくらいが悲惨だ。どうでも良いから、クリエイティブ・コモンズは、忘れた方が良い。Linuxだと思えば良い。それで良いと思う。
あとは、これなら、本人がクリエイティブ・コモンズにしたように見えるが、それは無い。それでは、出版社の文芸社に悪いから、本人はそういうライセンスにはしていない。そこを誤解されると悪いから、それは書いておく。本人は、著作権ぐらい欲しい。それこそ、最近オープンソースなんか、嫌いだ。
父親に言えば良いように見えるが、恥ずかしいから言いたくない。自分がオープンソースが好きなのが馬鹿に見える。オープンソースは明らかにおかしいが、最近流行っている。共有と反著作権が流行っている。だが、権威のようなものに反抗したいだけだ。
あとは、これで経済などの社会や、ネットのような色んな人間が分かっていた。
最近、哲学者と経済学を作って書いているから、それで良いように見える。
それこそ、これを読んでいると、何も変わっていない。構造と知識になっただけで、内容は同じように見える。全く内容が違うとは言うが、むしろ、そんなに違わない。同じことをやっているせいで、最近、昔が出来た馬鹿が、日本に多い。
それこそ、僕はクリエイティブ・コモンズなんか嫌いだ。最初から、そういう、Wikiのようなものが嫌いだった。Linuxなんか、Windowsのフリーソフトが好きで、OSを自分で作ってみたかっただけだ。そういう、純粋で素直な夢があった。
そういう、青春時代は、どうでも良い。オープンソースなんか嫌いだ。最近、一番嫌いになったのがオープンソースだ。神も、オープンソースを嫌いになれば良いと言う。
ただ、それはそうでもない。オープンソースに貢献したかったように見えるから、それで良いように見える。それも、きちんとしたかっただけだ。
あとは、まだ、クリエイティブ・コモンズには、なっていない。あまり言っていると、本人が自分からしたように見えるから、言わない方が良い。文芸社は、悪かったと言うかもしれないが、表紙だけがなって、本文はならないと言うだろう。
あとは、宇宙みたいなものを哲学的に分かっていた。地球の角度とか、宇宙は暗闇であるとか、地球と月は同じ空間にあるとか、そういうことを分かっていた。理性批判だった。
いつも、そういう、自然と人間と想像力のようなことを言っていた。それで、方法的なことや、感情的なことを書く。いつもそういう文章を書いていた。
あとは、最初から出版出来たのがありえないだけだ。普通、そういう問題は無い。不思議と、文芸社が悪い。それこそ、自分が悪いだけだ。あまり問題にしたくないから、黙っていた方が良い。つまらないが、むしろ、僕はオープンソースが好きだ。
皆が無意味に自分になっているから、自分で無くした方が良い。
自分は、音楽を聴いているのが好きだ。何もしないでいても、音楽があると楽だ。
数学は出来ない。カッツの数学史を見ていると、数学の練習問題は難しい。見ていると、自分に練習問題が解けるわけがない。大学の数学をしたいのは、止めた方が良い。
そういうわけで、自分は哲学をした方が良い。心理学は、哲学と同じに見えるが、臨床心理学なんか、する意味が無い。そういうわけで、専門は哲学で良い。
歴史と経済学と文学は、したいならすれば良い。そこらへんをきちんとすれば良い。
そういうわけで、哲学の勉強をしたい。あとは、色んな哲学者の、個別の本を読めば良い。そのうち、どれかの哲学者を、1人詳しくやれば良い。
だが、そんなことをする意味が無く見える。もう、そこらへんは充分分かっている。
つまらない。それこそ、哲学なんか、昔の自分が考えたことしか分からない。
だが、そうでもない。神を考える哲学が、ベーメのように多い。神は、最近だ。
最近、文字を読むのが辛い。文字を読んで分かるのは、もう充分だ。もう、充分読んだように見える。だが、それは無い。何も読んでいないから、読めなくなっただけだ。
それこそ、本を読んでいるとは言うが、いくらか歴史と哲学の本を読んだだけで、何も読んでいない。もっと詳しく哲学のことを知りたいから、何か読んだ方が良い。
数学史はしなくて良い。読んでいると、理解出来るわけがない。大学の分厚い数学書だ。
僕は、哲学と心理学のことをして終わりだ。
ただ、むしろ、経済の方が良い。むしろ、いつも経済学のことを考えたいだけだ。
良く分からない。そんなに決めない方が良い。好きな本を読めば良い。経済学なんか、出来るわけがないから、あまり期待しない方が良い。そういうものには、何も無い。
むしろ、オープンソースのような、ありえない分野をすれば良い。それは、普通、イタリアやスペイン、古代ローマ・ギリシャをやるか、ヒュームをやれば良い。それが一番賢い。
自分は、良い分野も分からないが、それは適当に決めた方が良い。
それなら、明らかに、哲学で良い。ただ、経済学はしたかった。それは、あとでも出来る。哲学をしながら、適当に経済学のこともすれば良いだけだ。だから、哲学で良い。
ネットを見ていると、自分より賢い人間はいくらでもいる。それこそ、哲学のサイトを見ていると、自分より分かっている人間が本当に多い。自分は、つまらない。これでは、何も賢くないだけの馬鹿だ。だが、自分も賢い。著書があって、きちんと毎日趣味の日記を書いているのは、賢いと言う。大学の勉強も、きちんとしているのが自分だ。あとは、自分より馬鹿も多い。2ちゃんねるを見ていると、自分よりもっと馬鹿しか居ない。
今、放送大学の授業をネット配信で聴いている。放送大学は、いつでもネットから動画を聴いて見ることが出来る。今、プラトンのことを話している。
プラトンが言うのは、魂は初めイデアの国に存在していたが、人間の肉体に宿る時に、記憶を無くした。それでも、魂は、イデアの国に存在していた時の記憶を呼び覚ますことで、真理を認識することが出来る。魂は、肉体を牢獄と感じる。
そういう発想は、自分は良く分かる。昔の自分も、それをどこかで分かっていたところがある。プラトンを古代人と言うが、プラトンは賢い。人間は誰もがプラトンのように考えるように見える。プラトンは、そういう、普遍的な哲学者だ。
哲学は、信じる学問だ。カントもしているように、哲学者は真善美を考える。そこから、人生的な、信じることを考える。それは、昔から自分がネットで出来ている。
ただ、プラトンのことを言っているが、古代ギリシャ哲学の授業ではなく、近代哲学の授業だ。ルネサンスの時の哲学のことを教授は話している。それにプラトンが出て来た。
あとは、見ていると、大学は馬鹿では無いが、馬鹿だ。色々と、何故か、馬鹿だ。
見ていると、大学やネットは、止めた方が良い。見ていると、馬鹿だ。自分は、本を読んだ方が良い。それなら、専門以外のことも出来る。哲学だけではなく、歴史、経済学、心理学、数学、物理学、語学、何でも出来る。本当にそれで良い。本を読んだ方が良い。
あとは、何もしない時は、音楽を聴いていると楽だ。たまに本を読んで、新聞でも読めば良い。百科事典でも読めば良いだろう。そうした方が良い。
大学もネットも、理解出来ない。理解出来ないのは、馬鹿だからだ。
自分は、ネットで社会を知って、未来のようなことを経験から分かっていた。
絶対理性、絶対存在、そして未来のようなことを、全部経験で分かっていた。
だが、ネットは止めた方が良い。最近、ネットなんか、全く見ていない。
ネットは、何も分からない馬鹿な人間になる。
自分は、哲学のことをきちんとした方が良い。それできちんと分かる。
入門本を買いたいと思う。
それから、むしろ、仕事をした方が良い。稼いだ金で本を買うのが良い。それが一番楽だ。
昔は、ネットの匿名の議論と会話、オープンソースのようなニュースとWikiの研究、引き篭もりの経験、プログラマになりたい夢、情報共有が賢かった。
そういうことは、しなくて良い。社会のことを知れば、同じだ。きちんと新聞を読んで、社会のことを知れば良い。それで、きちんと変わらない。あとは、仕事をすると賢くなる。
あとは、むしろ、哲学でもすれば良い。きちんと考えれば良い。自分は、そんなに勉強しても意味が無い。考えれば良い。これで考えると良く分かる。経験は、良く考えて、目的を持って行動すること。そういう風にすると賢い。あとは、努力すると分かる人間が多い。
あとは、頭の中の観念が無くなったから、そういうものを作った方が良い。昔は、ロックやヒュームのように、経験的に人生と自由を考え、事前に作るのを、考え方と言っていた。
それから、昔なんか、ただ自由と思っただけだ。だから、社会を自由と思えば良い。
昔は、UNIXの調査研究が賢かっただけだ。ネットで自然な体験をして、自然に出立して分かっていた。あとは、Linuxのことをやりながら、個人の自由を積み重ねて、共同体の自由になった。自由に経験して分かっていた。
明らかに、その前が賢かっただけだ。そういうわけで、学校に行った方が良い。学校の方が賢い。その前の子供時代が、本当に賢くて良い人生だった。
あとは、むしろ、本を読んでいればそれで良い。哲学の入門書をきちんと読むべきだ。
あとは、ネットの情報と認識が、桁外れに多かった。そして、洞察力と、正しく考えて把握する能力があった。モデルから経験を推論し、関係を考えた。そのせいで賢かった。
あとは、共有が好きだっただけだ。社会主義を考えて分かっていた。
自分は、真実を考えないのがおかしい。発見しないのがおかしい。昔は、何でも発見出来る、正しい考え方があった。ネットを見ながら、世界を知って、人生を考えていた。
そろそろ終わりにする。もう書かなくて良い。本を読んだ方が良い。
掲示板で、どのようにそれぞれが共に経験し、情報と言葉がどのように伝わるかを考えて、影響力を行使する。社会を作る。そういうものは全部2ちゃんねるだ。
不思議と、自分は本を読むだけで昔より賢くなるのが分かっていない。ネットの文章を読んでいた代り、あれは馬鹿な人間だった。あれより賢い人間なんか、いくらでもいる。本当に、本を読んでいると、賢くなってきちんと分かるから、読んだ方が良い。
それこそ、ニートの救世主はもう良い。そんな馬鹿が賢いわけがない。もう一度したいなら、そんなに同じにしない方が良い。Linuxで知性が無くなった馬鹿が自分だ。
昔分かっているのは、実感して世界のコピーを自分で作っただけで、哲学的に経験的な理性を考えただけだ。そういう、「経験的な理性」と言う発想が多い。それで哲学が分かっている。「理性の中で、それをどう捉え、経験的にどう考えるか、どう言葉で推論するか」を考える。あとは、自分の経験と、言葉による推論で考えていた。
そういう風に、言葉と経験から推論する。
昔分かっているのは、論理学と世界観と道徳で分かっている。論理と思いやりから、道徳的で普遍的な道徳律を、カントと全く同じように作っていた。
そして、「自由な中で何をすべきか」を考える。カントと同じように、何を知ることが出来るか、何をすべきか、何を望むのが良いか、人間とは何なのか、を考える。
そういう、哲学的な理性は、きちんと考えれば分かる。人生から考えれば分かる。一度そういうことを考えるために、経験と推論のモデルを作って、現実における、皆のことと、自分の中での心を考えて、戦い、批判し、受け入れ、作用を成り立たせる。そういう風にすれば、哲学的な真理が自分の中で生まれる。そこから、正しい考え方や認識が分かる。
本当に、そういう、正しい考え方のようなものがあった。経験的、精神分析的、推論的、認識的、帰納的、演繹的、実地的、人生的、社会的、科学的、理性的、方法的に考える。
あとは、カントは本当に参考になる。カントは、人間がいかにして科学的な理性のようなものを分かるのかが分かる。そして、方法で無く、何が最終的に分かるのかが分かる。
色んなところで、神が「私」ではなく「我々」だと言うのは、自分のことを言っている。
見ていると、自分はきちんと4人居る。チュール、トール、ロキ、フレイが居る。バルドル、ヘイムダル、フレイヤ、ワルキューレ、オーズル、オーディンも居るように見える。それらのことを我々だと言っている。むしろ、ガブリエル、ミカエル、ラファエルで良い。コーランに書かれている、不可解な3つの言葉は、それらのことを言っている。
あとは、今日はもう寝る時間だ。もう、そろそろ、書かなくて良い。
あとは、神みたいに全部分かっている。そういう、マスターのような人間だった。
宇宙の根源のような体験をしている。社会の体験をして、社会がどのように変えられるのか、実現出来るのか、のようなことを、体験から分かっていた。
本当に、全てのことを体験していた。そのうち、意識で分かるようになった。全てのことを、哲学的理性の世界モデルから、意識で分かっていた。
もっと、観念的な細部を考えれば良い。普遍的な価値観のようなものを分かっていた。
AAAが言っているように、本当は違っているところが素敵なのが、自分だ。
それこそ、こんなものが昔の人生なわけがない。何も分かっていないのが自分だ。
あとは、意識で本当に場を分かっていた。価値観のようなものは、モデルを作って、経験から、必然的、要請的に分かっていた。そういう、「要請」と言う発想が多かった。
それこそ、依存性、必要性、準備、決定と従属のようなものから、神のようなものまで、全てを要請的に分かっていた。カントも、神を絶対的な善や道徳への要請であると言う。カントのことを良く覚えていないから、間違っているかもしれない。
ものは、いつでもそこにある。昔は、ネットのせいで、いつもそこにネットがあって、いつも絶えず変化しているのを分かっていた。
あとは、僕はバッハが好きだ。バッハを聴いていると心が落ち着く。今も、AAAのプレイリストが終わったから、バッハにした。バッハを聴いて寝たい。
バッハを聴いていると、精神が治って、楽になる。バッハで治ると思う。
あとは、本当に神みたいに悟って、ビジョンを見ている馬鹿が多かった。
心理学にはスーパービジョンと言うものがあるらしいが、おそらく、似たようなことをしていた。精神分析から、全てのこの世の映像のようなものを、想像力で見ていた。スーパービジョンが何なのか、僕は良く知らないが、そういうものかもしれないと思う。
あとは、僕の前世は、ロシア人やイラン人だ。前世のそういうものを、精神分析から、対話して分かっていた。そういう、精神分析の得意な人間だった。催眠療法だった。
自分がおかしいのは、そういう精神分析を、戦いながらしている。一番おかしい。
昔は、どんどん新しくなるような文章を書いていた。
自分は、何も分かっていない。
バッハは、聴いていると、人格が治る。何もしないでいると、良い。バッハは、悲しいだけではなく、喜ぶような曲を作る。楽しい曲を作っているようで、楽しくは無い。
不思議と、モーツァルトで治る人間が一番多い。畑で聴かせると、良い野菜や果物が育つ。
あとは、フィルターのような段階的な世界観を書く。世界と認識のレベルを書いていた。
すでに経験した、意識の内容を、1ページにする。そういう文章だった。
考え方、経験、記憶、想定など、色んな考え方を言葉にして、言葉の世界を作っていた。