この文章のテーマは、「成長」だ。成長だと思えば分かる。
自分は、もう既に分かっているから分かる。
もう全部考えて、知っている。全部経験して、学習して、成長している。
ケータイにメモすると、楽だ。
書きたいものから書けば良い。
個別性と普遍性を、哲学者のように分かった。ヘーゲルやライプニッツのように分かった。
ただ、僕はライプニッツのことを良く知らないから、何を言っているか分からない。
これで、普遍性を考えると分かる。プラトンは、全て分かっている。
不思議と、プラトンで全て分かる人間が、哲学に一番多い。
自己と思えば分かる。デカルトで、方法的懐疑と自己のことを考えると、知性がつく。
行動から知性がついた。自由から人間のことを分かった。
宇宙の真実と、本当の宇宙の姿、宇宙の起源、宇宙の目的、宇宙とは何であるか、のようなことを知りたかった。そこから、生命の起源や、生命の根源を知りたかった。
正しい考え方で考えると、分かる。そういう、「正しい考え方」を経験的に分かっていた。
反抗して分かっていた。狂っていたが、皆にも、自分に反抗させて分かっていた。
皆に自分に対して反抗させる、おかしな王だった。それがニョールドだ。
馬鹿だったが、チュールは、人間のことを反抗から全て分かっている。
人間のことを全て分かった、賢い人間だった。
理性的に経験して、数学的に構造にして分かっていた。
「数学的な経験」から人生のことを、まるでスピノザのエチカのように分かった。
新しい世界の広がりから、知性をつけた。
知性のようなことを言う、賢い文章が多かった。知性であらゆることを説明した。
分かることを良く分かって分かった。「良く分かる」と「知り尽くす」から分かった。
「かもしれない」のような言語で分かった。判断の前置詞が判断基準で分かった。
頭の中が、カントのように全部分かっていた。
感性、悟性、理性のように、カントのようなことを言う。ロックにも似ている。
成長して分かっていた。そこまで成長のことを考えていた。
感情を想定していた。感情や実感で色んな人間と同じになって分かった。
感情を信じていた。感情で考えていた。実感から宇宙や人間のことを信じて分かった。
意識と心の現象を考えた。
感性のようなものから分かった。
感受性と受容性から分かっていた。
感受性、受容、自然な影響力と魂の平安から、涅槃に至った。
ウィトゲンシュタインのように、言語分析をした。
言葉遣いと経験的な意志の伝達で分かった。
言葉をモデルにして分かった。
「何かをするものである」と言う、概念と、自分が今何を考えているか、から分かった。
全てを実現したかった。社会から技術まで、全てを実現したかった。
そのための能力と、洞察力やビジョンがあった。
経験的に、この世界を幸福にし、解決出来る、環境と心の実現が分かる人間だった。
地球は、正常だ。昔から、地球が正常でないと思うのがおかしい。
どんなにおかしくなっても、地球は正常だ。自分だけになっても、何もおかしくは無い。
おかしなことをしていると、地球から報いを受ける。因果応報だ。
考え方を分かっていた。「生き物は生きるものである」のように、概念や考え方をモデルにした。作用や反応の考え方が分かっていた。
自分は、治さなくて良い。時計を治していると、ここまで辛くなる。それが本当に辛い。
治さない方が良い。治さない方が治る。いくらか時計に適応すると、もう既に全部楽だ。
もう、治ったのが自分だ。治ったのが怖かった。
まだ、書いていた方が良い。書かないと治らない。書かないと、怖くなる。
死ぬように怖くなるから、書いた方が良い。書かないと、そのまま、死ぬ。
がんが治った。本当に、がんはこういう風になる。
人生を経験的に分かっていた。
色んな経験を想定して、人生の場面をパソコン的に分かった。
成長を全部考えていた。
環境を覚えること。環境を覚えると、きちんと日本語が分かる。
あとは、これで全員が分かる人間が多い。昔は、ネットの経験で、全員が分かっていた。人格の小部屋を作って、全員になった。そして、理性的に全部分かった。
昔は、そういう、「全員全部」が分かる人間だった。
農園に行って、今日のこれくらいが分かった。馬鹿みたいに多い。ケータイにメモしたせいで、全部書けた。今日、分かったこと全部だ。
それこそ、まだ続く。まだまだ続くのが、自分だ。
あとは、人生の経緯と段階を書いていた。「宇宙にある全ての考え方と経緯」を書いた。
そういう、「道」のようなものが分かっている。同時に、「未知」のような人間だった。
あとは、本質や応用のことを考えて、人間や心のことを把握するような、想像力があった。
そして、総称的に、「全ての人間に対して宣言する」ような、そういう文章を書いていた。
自由から、「この世界の全ての自由な構造」を作っていた。自由だけで全て分かっていた。
あとは、最近は、左脳だけで分かるようになった。右脳を全く使っていない。
だが、昔は、全てを想像力だと言っていた。Linuxのことを考えて、右脳のようなものが全部ついた。それで、まだ宇宙のことを分かっている。ただ、最近は左脳で正しく考える。
自分が一番ライプニッツに見えるが、成長を考えたせいで、ヘーゲルと同じになった。
あとは、人格がおかしくなっている。男と女になって、おかしな生き物になっている。
治らないようで、思い出せばすぐに治る。そこは、思い出せない人間が多い。
治しても、狂うだけで、これが正常だ。異常でも、正常と思った方が良い。そういう人間が本当に多い。日本人には、おかしな人間が多い。昔のロボットの方がおかしい。
あとは、理性的なことを考えた方が良い。判断基準や適応性のような、「事前に考える」ことを考えると分かる。何が何に必要で、何は計算出来て、何は人間にしか出来ないのか、のようなことを考える。昔は、そういうものを、「自由になる」ことで分かっていた。
あとは、この前忘れたことは、分析のようなことを言っている。忘れて良いことは、忘れた方が良い。思い出すべきことは、思い出す。忘れるべきことは、忘れる。
子供は、何でも覚えている代り、馬鹿だ。大人は、忘れるだけ、賢い人間が多い。
全てのことを、経験で、人間が作り出している、と思えば分かる。昔は、そういうものを、世界観で、「視点を変える」ことで分かっていた。経験論も理性論も、視点を変えれば、同じことを言っている。ある意味ではどちらかが正しくて、ある意味ではどちらも正しい。いつも、そういう風に、「何でもある意味では正しい」ことを信じて分かっていた。
そういうわけで、馬鹿の言っていることも、ある意味正しい。賢い人間も、ある意味では馬鹿だ。自分は、そういうところが分かる代り、馬鹿な人間だった。
それこそ、最近は、賢い人間が賢いのが分かる。不思議と、ネットを見ていると、自分より哲学や心理学が分かっている大学生が、本当に多い。誰もが自分より賢い。
あとは、経験なんか、普通ない。経験があったのは、忘れた方が良い。そんなに2ちゃんねるの経験がある意味が無い。最近、いつも2ちゃんねるの経験を書いているが、ただ、見てもキモイだけだ。意味が無いから、ネットなんか一切しない。馬鹿に見える。
あとは、何か小説を読みたいと思う。それこそ、本屋では、大賞を取った本をたくさん置いてある。だが、むしろ、ドストエフスキーが良いと思う。
ドストエフスキーは、こういう人間に好きな人間が多い。彼の作品の登場人物を見ていると、昔のように、絶望した世界が分かる。そして、人生のことが良く分かる。昔のロシアがどんな国だったのかも、良く分かる。ロシア人だから、自分に合っている。
昔は、理想の世界と、皆の考え方を分かっている。この世界の全員が、ある意味どんな考え方を持っているのか、のようなことが分かっていた。ある意味では、その考え方をしているが、ある意味では、別の考え方をしている。昔から、そういう風に人格を考える。
不思議と、人格だと思えば分かる。昔から、何故かありえないほど人格が分かる。最近のせいだ。最近こうなったせいで、昔は、人格を無限大に作って分かっていた。あらゆる人格を包括するような、そういう人格を作っていた。
そして、実験で分かっていた。実験から人格のことを分かって、宇宙の真理を仏教のように、まるで虚無主義のように分かっていた。そして、人間のことを記憶の回想で分かった。
見ていると、ブッダと良く似ている。ただ、チュールはそういう風に狂っている。意識は異様になって、普通のことを全員分、分かっている。分かれば分かるほど分からなくなる。
あとは、ある意味では、この世界の全員が正しいように見える。
昔は、そういうことを分かっていた。それこそ、皆頑張って生きている。
間違っていると、誰も言われたくない。
あとは、もっと考え方で考えれば良い。実存的に、自分が世界のどんなものを吸収しているかとか、そういうことを、経験的、仮想的に考えれば良い。
昔は、そういう、実存主義の哲学者だった。
あとは、ドストエフスキーを読んでいると、他の小説が全部つまらないぐらい、面白い。
だが、僕は読まないと思う。僕は、色んなところに気が散ってしまって、小説を読むのに向いていない。ドストエフスキーは、一番重たい、大長編小説だ。もっと短編を読んだ方が良い。どこにでも、軽くてすぐに読める、エッセイのような小説は、多い。女子高生や女子中学生は、そういう、ライトノベルを読んでいる。それで賢い人間が多い。
母親と一緒に薬屋へ行ってきた。それで、ケータイにメモした。
ケータイは、簡単な言葉で忘れないようにメモしている。一言、「環境」のように書いた。
環境を具体的に、全部分かっていた。この世界の全ての環境を知っていた。
環境だと思わない方が良い。家とか、車とか、スーパーとか、薬屋とか、そういう風に、具体的に考えると分かる。環境だと思うと、分からない。
昔は、この世界に生きている、全員の活動のことを、環境だと思って分かっていた。
自分は、自分をいじめるのが悪い。自分をいじめるせいで、知的障害になっている。
自分をいじめるせいで、この文章は、あまりに「いじめ」にしか見えない。
自分をいじめていると、こういう、悪い人間になる。
アドラーは、こういう人間のことを考えている。
いじめるのを止めると、治る。それで、きちんと覚えるようになる。
洞察力と分析力があった。ずば抜けて洞察力がある、哲学者や首相のような人間だった。
人格を増やすのが怖いだけだ。
英会話教室が怖いのは、人格が増えるのが怖い。人格を増やすと、賢くなる。
最近、人格が増えないのは、昔本当に沢山の人格を作っていたからだ。
人格の小部屋を作って、あらゆる人間の根源的で相対的な正しさを把握していた。
昔の心理学は、そういう風に、人格と環境を考えていた。
日本は、丸い民族に見える。顔も丸いし、国旗も円だ。
だが、自分は丸い人間には見えない。ソ連みたいな四角い人間に見える。
ソ連は四角くて、ドイツは三角や十字で、アメリカは星やストライプ(縞模様)に見える。
あとは、経験を現象学的に考えていた。心理学の心的現実のように、考えや理性のことを、事前に作って分かっていた。相対的な、「自分で事前に作る理性」があった。
あとは、もう、昔の自分を書くのは止めた方が良い。
総合的に分析するような、そういう知性があった。それは、オープンソースが賢かった。
2ちゃんねるで悪魔のようになることで、宇宙と人間と人生が悪魔的に分かっていた。
昔は、環境への適応と、言葉は心の中からどう生まれるか、のようなことで分かった。
経験から、どんな言葉が出て来るのか、が分かっていた。そういう人間だった。
環境を変えて、言葉を色々と聴いて分かっていた。何も分かっていない。
戦いの中で、心の声を聴くようになった。それを神だと言っているが、神なわけがない。
あとは、家の中の場所を言えば分かる。それできちんとまともに分かる。
歩き回っているのは、自分の環境を変えたいからだ。それは、頭の中ですれば良い。
見ていると、プラトンが賢い。プラトンは、イデアと想起によって、人間がどこから生まれて来たのか、のようなことが分かっている。
プラトンのことをあまり知らないが、異教の中で一番優れた人物であると、中世のアウグスティヌスが言っていた。間違っているかもしれない。違う人物だったかもしれない。
父親が、プラトンの巻の世界の名著を持っていた。読むと良いかもしれない。
哲学は、プラトンで分かる人間が多い。プラトンのように考えると、分かる。
ウィトゲンシュタインが、哲学の仕事の本質は解明することにあると言っている。
それは、むしろ、真理から事象まで、全てを解明することが哲学である、と言っている。
そういうわけで、これで哲学者だ。これも、人生のことをきちんと解明している。
あとは、哲学はもう止めた方が良い。文学か物理か、分からないが、もっとマシなことを知った方が良い。哲学の知識なんか、意味が無い。歴史は悪くないが、何か知りたい。
自分は、頂点には全く見えない。全員を書いているせいで、地球全員、生命全員に見える。だが、そうでもない。普通の一般的な人間像を解き明かしているように見える。何故か、ただの普通の人間しか書いていない。賢くないから、もっと違うものを書いた方が良い。
昔は、ウィトゲンシュタインの言うように、解明の能力があった。それは正しい。人間のことを考えた、経験論の物理学者のような人間だった。
真面目に、解明をきちんとすれば、哲学が出来る。魔法のように全ての哲学が出来る。それが、ウィトゲンシュタインの哲学だ。不思議と、そんなに言わない。全ての哲学が出来るのは、賢い学生なら、デカルトでも出来る。
もっと、解明すること。それは悪くない。
そういう言葉を知りたいなら、別に哲学者を知る必要はない。周りに居る普通の人間や、普通の本が言っていることで分かるだろう。
哲学的な解明をしたいなら、オープンソースのことを知っていると良く分かる。昔は、オープンソースとインターネットから、人間の心や、ものや社会的理性のことを、考え方で分かっていた。いつも「考え方」と言っていたが、それは「解明」と言うのが正しい。
そういうわけで、昔は、解明のようなことをしていた。文章に書く、分析のようなものにもなった。分析哲学は、解明がしたいだけだ。自分の文章が、一番、分析哲学に見える。
昔なんか、そういう風に、全てのことを解明しただけだ。人間や森羅万象を全て解明した。
何故か、キモイ人間が見える。そういう、物理学者のチュールは、一番賢い代り、キモイ人間だった。まともに生活しないのがおかしい。風呂に入らないし、時間通り寝ない。
あとは、ウィトゲンシュタインは、そんなことは言っていない。解明とは言っているが、事象とは言っていない。最初の一行だけ言っている。間違えると申し訳ない。
あとは、解明したいだけの文章が、本当に多かった。覚えていないが、自分は全てのことを解明したかった人間だ。そういう、方法や考え方をいつも書いていた。
ウィトゲンシュタインは、哲学の仕事のことを言いたいだけで、解明とは言っていないと思う。それこそ、明らかにそれを言うと終わりだ。自分は、解明しかしていない。それで、誰でも出来る。不思議と、こういう風に分かると、涅槃の境地が分かって、解脱のように、人生に必要なものが全部分かる。最近分かっていない。解明主義は賢い。
宇宙や人間のことを解明するための、行動論、方法論、経験論などが多かった。
そういう経験論が、本当に多かった。考え方と知性のように、そういう文章を書いていた。
今から、何か解明すれば良い。心のことを解明すると良いと思う。
昔は、「自然な体験から人間のことを解明する」と言う発想があった。それだけの人間だったが、思考のことや悟りのことなど、全てのことが正しく、包括的に分かった。
おそらく、ヤスパースやサルトルもそういうことをしている。する人間が多い。
昔は、心、環境、心理現象、物理法則、認識の法則、コンピュータなどを解明していた。
不思議と、純粋に解明だけをしているから、それで出来る。
本当に、そういうものを解明して、解決する、そういう文章が多かった。
バルドルは2ちゃんねるの神で、フレイヤは二次元アニメの神で、ヘイムダルはユダヤ教の神の神だ。それらが悪いから、それらを悪いと思った方が良い。それらが悪い。
チュールは、解明するだけの人間だった。何故か、人間の経験のことを、世界観のモデルから分かっている。テロリストも、自由な民主主義にすれば、好きなように変えられる。そういう風に分かっていた。武力では無く、自由な選挙にすれば良いと思っていた。
そういうわけで、僕は自由が好きだ。自由にすれば戦う必要はない。
だが、普通、自由は戦うだけだ。そういうものは、共同体の平等や解放と言うのが普通だ。
自由が平和だ。僕は、平和な自由が好きだ。
トランプなどの右翼のせいで、平和主義が言えない世の中になるのは、危惧している。それこそ、言論の自由には、正しい環境を守るような、本当の自由が無い。
昔から、僕は本当の自由が好きだ。そういうわけで、ただの自由なんか、完全に嫌いだ。
いつも、そういう、本当の自由と、その実現方法と経験のようなことを言っていた。
経験で、何を分かって、何を実現するべきか。それを全部言っていた。
2ちゃんねるなんか、誰もが嫌いだ。そういう、馬鹿な連帯の自由のようなものが、一番悪い。それこそ、ソ連がそういう国だから、右翼がそういう人間になる。ソ連が悪い。
それこそ、自由なんか嫌いな方が良い。明らかに、日本は平和主義の言えない、軍事大国だ。外国人が見ると、そういう国に見える。誰もが自由が嫌いだ。日本は一番おかしい。
アメリカ人は、差別が嫌いだ。出身や身分で差別するのはおかしい。だが、そうでもない。自由は人種差別になる。メキシコ人が嫌いなトランプが、何故か一番まともな人間だ。
解析していると、目的、考え方、関係、意図、価値観、自由、知の関わり合い、社会の関係からの成り立ち、論理、理想、現実、記憶、人生、体験、環境、などが分かる。
昔は、そういう、解析のような文章を書いている。いつも、解析が多かった。
解明と言うよりは、解析と言えば良い。どちらも同じだ。
あとは、解析していると、知性がつく。それも、社会的な知性や、日本語の知性がつく。
解明は、する人間が多い。赤ちゃんの時代から解明し続けている人間が多い。
おそらく、小学校のせいでそうなる。子供には、知性なんか無い人間が多い。
あとは、昔は、ネットの膨大なデータを解析していた。そのせいで分かった人間だった。
ネット漬け、2ちゃんねる漬けのような人間だった。
そのせいで、キモイぐらい分かっていない。分からなくなって分かっている。
そういうわけで、あれはアホな人間だ。何もかも馬鹿だ。そこがキモく見えるだけだ。
昔は、経緯、関係、体験を考えただけだ。それを考えれば出来る。
不思議と、これ以上、考える意味も、知る意味も無い。哲学なんか、何も出来ない。
良く分からない。もっと、普通の色んなことを考えれば良い。
それも、解明すれば良い。そういう文章が多かった。森羅万象を認識で解明していた。
そういう認識を考えている。感情も同じだ。
昔は、社会のことを意識から解明していた。何故か、それしかしていない。
もう、昔のことは忘れて良い。もう、全部分かった。
あとは、新しい人間になった方が良い。多重人格になっているが、もっと普通の多重人格にすれば良い。この2人は賢い。本当に賢い2人になった。
それこそ、戦って神を信じている、知性の無い馬鹿が多かった。何も分かっていない。自分を馬鹿にして、皆を馬鹿にする。そういうタリバンが虫に見える。もう忘れて良い。
昔の全体像とか、客観視とか、そういうものは、解明の方法を言っている。ボトムアップや議論など、社会のことを良く解明していた。それを書いていないかもしれない。
これなら、あとはアリストテレスと同じになる。ああいう風に考えると分かる。森羅万象とは言うが、人間のことも道理をついたことを言っているのがアリストテレスだ。きちんと人間や国家に対しての洞察力や考察力がある。彼を参考にすると良いだろう。
それこそ、人間は社会的動物で、国家に支配される。アリストテレスは、それを考えただけだ。それこそ、自然界に居る、他の生き物と同じに見える。見ていると、社会の中に、因果性のようなことが多い。思い込みのようなことも多い。アリストテレスやベーコンは、そういう、社会のことを良く見ている哲学者だ。不思議と、哲学者はそういう人間が多い。
あとは、解明はもう良い。解明より賢いことをしない人間が多いが、それが一番馬鹿だ。そういうわけで、馬鹿の方が分かる人間が多い。賢い人間は、こういう、何か違うことをやっている人間が多い。文章を書いているせいで、大学生や作家のように賢くなった。
あとは、社会のことでも考えれば良い。自由だけでは無く、国家や社会的契約のようなものだと思えば良い。そこから自然状態を考える。昔流行っていたのが、社会契約論だ。
あとは、自然界の生命の種が違う理由でも考えれば良い。種が違う理由が無い。多様性を保持したいように見える。神が創造したとは言うが、神は多様性を実現したかった。
良く分からない。地球が、多様性を作っているように見える。
あとは、理性と言うよりは、解明と言った方が正しい。
そういう、同じことを実感で分かっていると分かる。そういう同じ発想をすると分かる。
また、何か1つ分からなくなった。覚えていない。すぐに忘れてしまう。
ヘーゲルがそろそろ終わった。ヘーゲルは分かっているから、こういう風になる。
2ちゃんねるのような場で、色んなことを全部言っているせいで分かったのが、昔だ。
何か、解明のようなことを言いたかった。解明のような方法をいつも言っていた。
経験から人間や宇宙のことを解明していた。それだけの人間だった。
何か、アリストテレスのようなことを言いたかった。
あとは、この世界のことを、きちんと知れば良い。きちんと考察すると、良く分かる。何をどうすれば良いかから、色んなことを照らし合わせて考えれば良い。
関係みたいなことを考えると分かる。自分がどうして、相手がどうするか。それを事前に良く考えれば良い。客観視や精神と行動の現象学だと思えば良い。
不思議と、老化するのは、人格が死んでいる。新しい人格を増やすと、生き返る。
それから、昔は老化もしていたが、退化しすぎて赤ちゃんのようになっている。
そういう発想が悪い。こんなに退化するのがおかしい。そこがキモく見える。
あとは、心のことをきちんと解明した方が良い。それで楽になる。
心が変わらないのがおかしい。昔は、色んな場所に移り変わって、心がどのように変わるのか、から分かっていた。精神現象や経緯から、場の創造のようなことを意識で分かった。
あとは、これで2ちゃんねるとオープンソースをやっていた。それがありえないだけだ。
思い出すと、2ちゃんねるの自由のようなことを言っている。それを言いたかっただけだ。
心が変わることから、歴史と価値観が分かった。あれは、それくらいの馬鹿だった。いつどうなるか、状況を考えて、心の具体性を解明していた。「具体的な心と感情が、どう変わるか」のようなことで分かっていた。そこから、ネットを見て、歴史を分かった。
あれは、意識のことが全部解明出来ている。そのせいで、「ドイツ人になる」と言ってドイツ人になった。なれるのがおかしいが、解明出来たせいで、本当になれた。
ただ、宣言は怖い。本当にここまでドイツ人になった。おかしい。未来が分かるこっくりさんに見える。怖いから、宣言なんかしなくて良い。永遠の女になったのはありえない。
あとは、これなら誰でも昔が出来る。色んな子供時代に居た地域に行って、場の意識をいつも分かっていた。歴史とは言うが、あれは狂っている。賢い人間は、ヘーゲルのように、狂っている人間が多い。サルトルもキモイことを言う。狂っているのが分かっていない。
もう、何も無い。具体的な心、具体的な社会、具体的な環境を考えれば良い。人生と社会のことを具体的に考えないのが一番おかしい。もっと、具体的に考えれば良い。
言葉が間違っている。同じ言葉しか使わないのがおかしい。別の言葉を使えば良い。
ただ、全員になりたいのはおかしい。ロシア人になりたいなら、いつもなっている。そういう、全員になりたいのは、意味が無いから、止めた方が良い。自分だけで良い。
日本人になる意味も無い。いつまでもこういう人間で居たいだけだ。
あとは、終わるのが怖かった。体験するのが終わるのが怖かった。
もう、終わった方が良い。あとは、楽を生きれば良い。そういう、つまらない楽が楽だ。
自分の体験から、他者の体験が分かった。そこから、理想の世界や、仏の慈悲が分かった。
あれは、ブッダと良く似ている。ブッダになる人間が、こういう日本人に多い。誰でもこうなる。仏教はある意味、虚無主義だ。こういう、虚無主義になる人間が一番多い。
こんな馬鹿はいくらでも居ると言うが、戦っていたのが違う。こういう、戦う人間が居ない。タリバンのように、日本と戦っていた。それは、不思議と、良かった。本気で頑張った。それこそ、誰も殺していない。こういう戦いをすると、宇宙の真理が分かる。
そういうわけで、タリバンと言うよりは、知的障害だ。こちらはそういう人間だ。
それこそ、知性の構造や言語分析が多かった。不思議と、それを言いたかった。
地平線のようなものが見える。
あとは、戦っているのを、スターリンとか、イスラエルの王だと言っている。これは、そこがありえない。そんな賢い体験をする人間が居ない。ただの神様体験だ。
あとは、もう止めて良い。
あとは、マスターみたいに善悪と能力と経験が分かっていた。神は、それを神だと言っている。むしろ、最近も神に見える。きちんと偉大な御業をしたように見える。
あとは、古代人は賢くない。
ロシア人と言っていたが、古代のロシア人と対話したりしていた。
未来人にはならない方が良い。ドイツになって滅びるだけが未来だ。
未来は、ドイツみたいな世界になるのかもしれない。それこそ、なってほしくないから、言わない方が良い。言っても、変わらないようで、変わる。そういう地球の運命は皆で決められるとか、そういうことを言っている文章が多かった。理想のようなことを言う。
アリストテレスの社会論は、社会のことを具体的に分類して、能力的、出身的に考えた上で、社会における人間のあり方のようなことを考える。ただ、それは違うと思う。アリストテレスは、真面目に世界を見て、考えるべき前提のことを全部記述しているのだと思う。
あとは、仏教は馬鹿だ。仏教は賢くない。仏教を信じている人間は、おかしい。
これを見ていると、何もしないだけの、何も分からない人間に見える。
催眠のように昔になるのは忘れた方が良い。それが怖いだけが、自分の今の心だ。
不思議と、自殺を覚えている。そのせいで、怖いものが怖くなくなって、怖くないものが怖くなった。それは、死んだ生命がそうなる。そういうものが、死んだ霊魂の境地だ。
もう終わりだ。あとは、神のお告げを聴くのを止めた方が良い。
僕は、最近は音楽が好きだが、昔は漫画やゲームや小説も読んでいたし、パソコンも好きだった。そういうものをやっていると、賢くなる。だが、しなくて良い。賢いわけがない。
あとは、環境の中に環境を作っていた。いつもの文章は、そういう風に書いた。
本当に、これでもか、これでもか、と言うぐらい、構造を作る。
いつも、思い出すだけの、知性の無い文章しか書いていない。
思い出すのは辛い。思い出すと知性が無くなるから、止めた方が良い。
逆に、分かるのが良い。分かると知性がつく。
最近は、思い出して分かるだけだ。それで賢くなった。
手段のようなことを言うのは、皆を信頼しているからだ。そういうわけで、怖くても信頼した方が良い。最近は、そこが戦いのせいで出来なくなっている。
おかしくは無い。テレビは味方だ。何も敵で無い。音楽を聴くと、皆自分のことが好きだ。
昔は、趣味や労働のようなことを、好きなように、全部やっている。
全てのことをやって、包括的に経験から分かった。あれは、それで分かっている。
最近は、神、戦い、執筆が、永遠に続くようになった。もう分かっているからこうなる。
こういう人間は居ない。皆、昔の自分は多いと言う。
昔は、単純に、皆と同じことをして分かった。経験と学習を創造力で良く考えて、この世界の全員の体験を、世界観のように、経験的に分かった。
最近、何もしなくなった。不思議と、それで知性が無くなった。昔から知性が無いから、昔の時点でおかしい。全て分かっているのに何も分かっていない。そういう人間になった。
全て出来るのも、ある意味問題だ。分かっているせいで、考える知性、分かる知性が無くなる。そんなに学習しすぎると、知性が無くなる。それで狂っている人間が多い。
そういうわけで、こういう風に、人間は自然に馬鹿になる。何故か、認知症になっても、馬鹿では無いと思っている人間が多い。そうでもない。馬鹿すぎて、何も出来なくなる。
あとは、数学的な世界観のコピーをいつも作っていた。この世界、人生、自分、体験、科学のようなものの、コピーのような文章を書いていた。それで、カントの言うような、哲学的言葉、哲学的単語のようなことを言う。
あとは、これは、賢くは無い。これで賢い人間には、マルクスが良い。マルクスを知ると、こういう馬鹿と同じだ。だが、自分の場合、もう終わったせいで、言う意味が無い。
あとは、日本を国民性が高いと言って、欧米を自由であると言っていた。
欧米は、自由に王と貴族と国民と奴隷に分かれる。
日本には、悪い人間が居ない。田舎では、鍵をかけなくても、泥棒は入らない。右翼のせいで、そういう良い国になった。右翼は悪くない。権力が強いと、悪いことは出来ない。逮捕は流石にしないが、昔から、右翼の統制国家が日本だ。それで良い国民になった。
自分は、日本のために何か頑張りたい。ドイツはもう良い。日本が好きになった。
あとは、人を助けることがしたい。人を助けると、カルマが上がるような気がする。
自分は、もっと自分や世界を支配した方が良い。支配者であるべきだ。
昔は、勇気を出して文章を書いていた。戦いながら、この世界を支配していた。
まず、心のコントロールが出来るようになること。そして、自由な意志になること。
あとは、自由な場と意識の構造を作って、人生的な経緯を書いていた。
発見と解明の経緯を書く。そういう人間だったはずだ。
昔は、言葉や表現のようなものをネットで見て、自分でも言って、感情の実感で分かっていた。それこそ、実感から人生のことが分かった。
昔は、そういう、実感だと思えば出来る。確かな真実を信じ続ければ良い。
あとは、最近は、神との対話をして、宣言すれば良い。宣言の内容が違うから、自由だ。
自由は悪くは無い。いつも、自由な世界構造を全部、決まりと場から作っていた。
あとは、モデルを使って発想し、解明する、のような文章が多かった。
不思議と、いつもそういうことを言っていたのがモデルだ。
発想とプロセスを考えているだけだ。
ボトムアップも、同様に、社会を解明して分かっていた。何がどうなるのかを考えて、世界をどういう風にするべきかを書いていた。
これなら賢く見える。あとは、人生を思い出しているだけの馬鹿な文章が多かった。
真実を辿って、思考を辿って分かると言う。そういう、「解明の方法」をいつも書いていた。
認識についても、同じように、真実を発見するために認識を考える、などとしていた。
そういう認識やモデルを書いていたのが昔だ。
人格を経験で分かると言う。そこには、具体性のような含みがあった。
いつもそういう、想像力と具体性の含みのある文章を書いている。
そろそろ止めて良い。自分は、新聞と小説を読めば良い。ただ、今のところは、踊る物理学者たちを読みたい。ドストエフスキーは、いつか読みたいと思う。
あとは、人格を増やせば治る。賢くなって、楽になる。人格が増えるのが怖いだけだ。
あとは、物理学の本を読んだら、そろそろ放送大学の単位を取った方が良い。
卒業しないと、馬鹿だ。きちんと卒業した方が良い。
あとは、人生のことを経験的に考えた。経験的な発想法のようなことを知っていた。
精神の現象や仮定を考えた。いつも言っている。
もっと何か解明すれば良い。解明して解析すればすぐに分かる。哲学はそれで出来る。
いつも同じだから分からないだけだ。心と人格を変えて、可能性を考えれば良い。
人格が無いせいで、辛い。多重人格はこういう人間だ。
そういうわけで、人格を作って、賢くすれば良い。それが基本だ。
あとは、色んな悪いことは、気にしない方が良い。気にしないでいると、狂っているのが治る。狂っていると、辛い。心が怖くなる。そういうわけで、もう狂わなくて良い。
治らないのが良い。治ると、狂う。治るのと狂うのは同じだ。
おかしいことを、そのままおかしくないと受け入れていると、治る。神は、それを「普通」だと言っている。おかしくない。自分はまともな、理性と経験と良識のある、大人だ。
あとは、何も無い。あとは何も言っていない。これくらいしか本当に言っていない。
あとは、「自由」がさらに多かった。皆を信頼するだけの、ペテンのような自由だった。
あとは、この世界、人間が生きている世界、資本主義の社会のようなものを、全部の側面から表現し、説明していた。世界観の表現と、社会の実地的な実現を書いていた。
それは、例えば、世界モデルと認識のオーケストラとか、自然な助け合いの積み重ねであるとか、工場をプロセスの改善過程と関係であるとか、そういうことを言う。
そして、自然のことから社会のことまで、この世界を解明して、実現していた。
あれは、そういう人間だった。解明と思えば分かる。
人間のことは、経験、関係、分析、想像力、人生、可能性、認識、心、のようなものを、総合的かつ多角的に分析し、解明する。そこで、決まり、変化、自由、普遍性を考えた。
そういう人間だった。何でもこの世界が分かっていた。
マルクスのように、組織論や共同体論を書く。制度を経験だと言ったりしていた。
そういうわけで、国籍を共有出来る、もっと賢い形態の社会を作れと言う。
あとは、考え方や決まりから、対応される実際の社会を考えていた。そういう、決まりにおける対応関係のような文章だった。共通性と差異から、多様性と統一を考えた。
また、自然に放っておいても発展するような、そういう環境とシステムを考えていた。
あとは、言語分析でもすれば良い。思考がどのように考えるか、どんな言葉でどのようなことが分かるか、意味とは何なのか、外国語とどこが違うか、を考えたりしていた。
あとは、この世界の実存的実在のようなものを、感覚と実感で分かっていた。
想像力を使うこと。想像力は、原因と結果を考えて、予測し、社会の取り得る可能性から、社会のことを把握すると分かる。それを積み重ねると、イメージとパターンから、記憶のことが分かる。いつ何を想起するか考えることで、記憶の謎を解明出来るだろう。
思考の現象学みたいなものが多い。思考による現象学だけではなく、思考そのものも現象学的に考えられる。そういう発想がフッサールだ。デカルトも同じだ。
だが、それは無い。フッサールはそういう馬鹿な哲学者では無い。
そろそろ、そういう風に、知らないのに知ったかぶりをして書くのを止めた方が良いかもしれない。ソクラテスも無知の知だと言っている。知ったかぶりは良くない。
あとは、何でも可能性を考えて、この世界や人間が、別の可能性ではどうなるのかを考える。そこから、論理的に、原因と結果を分かる。何をすると、対象はどうなって、何がどうなると、対象はどう変わるのか、どう出来るのかを考える。何かをするために、何が前提として必要なのか、考える。そして、何があれば、それは期待通りに結果を出すのかを考える。昔は、そういう風に考えて、2ちゃんねるを見ているだけの、洞察力のある人間だった。あまり、2ちゃんねると言わない方が良い。賢いのに馬鹿に見える。
あとは、何がいつ分かるのかを高度に考えて、その発想や方法や法則は、いつでも正しく、いつでも常に成り立つのを分かっていた。今出来ることは、いつでも出来る。過去に出来たことは、今でもその通り復活させれば、今でも出来るはずだ。
あとは、そろそろもう何もしない。昔は、人間のことがマスターのように分かっていた。人生だけでは無く、判断基準や考える機会のようなことを、全部分かっていた。
そういうわけで、昔はきちんと分かっていて、何でも出来て、経験豊富な人間だった。
そろそろ終わりだ。あとは、宇宙のことなんか、もういつか分かった。神と理性で全部分かっている。自分は、まだこのままで良い。まだ何か分かる。
それこそ、文章を書くのを止めて、何かするはずがない。ただ、農業をすれば良い。
農業をいつも、見ているだけで、父親と一緒にあまりしていない。もっとした方が良い。
あとは、思考のプロセスとして、仮想的なモデルを作って分かっていた。
人間のことをモデルから分かる。そして、知性があったし、メタ的な考え方があった。
そろそろもうない。むしろ、もっと賢いものを他人から取り入れた方が良い。
孔子は、こういう賢い人間だ。先入観無く、色んな知性あるものを考えて、集めて分かっている。集めているだけではなく、本人も、偏見やこだわりなく、考えている。
それこそ、孔子を集めているだけとは言うが、僕は分かる。あれはきちんと考えている。自分と同じように考えていると、ネットの認識と発想を知って、心の中で融和して、それで知恵や格言を自分のことのように分かるようになる。孔子は、中国の古来からある哲学を、自分のことのように吸収して、時に批判し、時に会得して分かっている。
それこそ、孔子はきちんと考えている。自分が一番分かる。
昔から、全部自分のことのように考えているのが自分だ。自分が吸収して、同じになって、実感して分かる。それで、批判的精神があった。何でも批判して分かっていた。
自分は賢くなった。こういう風に書くと、きちんと分かる。こういう人間はそこが居ない。こんなにきちんと分かる人間が居ない。哲学なんか、普通、何も分からない。
そうでもない。自分より賢い人間は、ネットにいくらでも居る。もっと賢い哲学者、作家、プログラマ、音楽家、大学生、政治家、本当にいくらでも居る。皆の方が賢い。
そういう、皆のことを吸収すれば分かる。賢いとは言うが、考える方法を知っているだけで、そんなに賢い人間は居ない。デカルトも、賢いとは言うが、自分は凡人で、凡人との違いは方法を知っているか、知らないかであると言っている。デカルトも、賢く見えて、方法を知っているだけだ。僕ら庶民と何も変わらない。それこそ、デカルトの考え方は、普通誰でも分かる。ありえないとは言うが、ああいう風に考えるのが賢い。
あとは、啓蒙主義や、改革主義のような文章が多かった。
国家主義、社会主義、民主主義のような、思想の比較のような文章をいつも書いていた。
日本が右翼になっているのは、悪いことではない。全てのことをすることで、責任を持って全ての問題を解決する。特に、経済を発展させる。
それは悪くは無い。だが、そんなに日本が好きなのはおかしい。
僕は、右翼の日本より、外国の方が好きだ。それこそ、それを言うと悪いようで、いつも言っているようにしか見えない。ドイツの方が、良い人間が多い。
だが、それはむしろ、言いたくない。最近、日本が好きになったのが自分だ。
日本には、何故か、自分が好きな人間が多い。音楽や漫画を見ていると、「明らかに自分を書きたいだけ」なのが多い。それこそ、宇宙と存在は、心の中に存在すると、仏教が言う。
あとは、時間と心から、実存的に宇宙のことを分かっていた。
そして、人間や世界のことを実存的に分かった。この世界が、本当はどんな世界で、どんな世界になり得るのかを考える。この世界を、世界観とフィルターを変えることで、蜃気楼のような、幻想的な世界観と、人間の意識や歴史を分かっていた。
人間が生きているとはどういうことなのか、人間が集まるとはどういうことなのか、人間はどのように存在や経験を吸収しているのか、と言うような、「人間の状態とは何か」のような文章が多かった。「それはどういうことなのか」を考える。
それ以上は、「見なす」ことから分かっていた。本当に、そういう風に、この世界の全ての人間の世界観を作っていた。それをいつも書いていた。そのことの意味を考えていた。
自分のテーマは、「時間、言語、人間」だ。時間、言語、人間を、昔からいつも考えていた。そこから、経験論や実存主義や現象学のように分かっていた。
見ていると、もう、自分では無いものを分かれば良い。そんなに自分を分かる意味が無い。
昔の自分はもう分かった。あれは、純粋に解明しかしていない。
もっと、普通の文章を読めば良い。むしろ、覚えれば良い。あとは「覚える」のだけが出来ていない。それに、考えていない。昔の思弁哲学者だった自分がそこまで考えているのは分かるが、そういう昔はどうでも良い。今、考えていない。考えないと分からない。
もう何もしなくて良い。その代り、覚えて、考えた方が良い。
あとは、最近、日本語が読めない。一行しか読めなくなっている。いつもの一行を言語だと思うせいで、そこまでの馬鹿になった。だが、進歩した。昔は、言っている意味が全く分からなかった。日本語が分からないのに文章を書くせいで、ベートーヴェンに見える。
本当に、昔の自分が分かっていることを消した方が良い。そうすると、きちんと日本語で分かる。「かもしれない」や「はずだ」から、「同じ」と「違う」で分かるようになる。
昔、そういうものを既に分かっているせいで、そういうものが意味していることが分からなくなったし、そういうことを思わなくなった。疑問に思わない人間になった。
「何故」と言う疑問を大切にすること。そういう、今分かったことを覚えれば良い。
あとは、何もしないなら、もっと英語のことをすれば良い。英語が一番普通だ。
自分は、外国に行きたい。本当のドイツやアメリカがどんな国なのかを知りたい。
だが、ある意味、止めた方が良い。右翼や左翼が来ると馬鹿に見える。日本人はジャップに見えるし、シリアからの難民と同じに見える。止めた方が良いと思う。
旅行に行くのは良いが、滞在するのは長くしない方が良い。
それこそ、それなら、英語なんかする意味が無い。これで出来るわけがない。
英会話教室は、そこが意味が無い。
英会話教室で出来るのは、きちんと外国人の言っていることを、そのまま覚えて、自分でも言えば良い。それで出来る。勉強なんかするよりも、そのまま覚えた方が良い。
自分は、小説を書けば良い。何か登場人物でも考えれば良い。ストーリーは、テーマがそのままストーリーになる。泣ける小説とか、そういうテーマを考えた方が良い。
自分は、ケインズぐらいが分かっていない。良く知らないが、人気投票のようなことを言っていたはずだ。全く覚えていないから、間違っているかもしれない。
あとは、その人間の立場に立って、その人間のことを分かっていた。
その人間がどんな人間なのか、空想的にきちんと経験から分かっていた。
環境を想定して、人格がどうなるのかを分かっていた。
そういう風に、真面目に人間のことを分かっていた。ネットの経験があった。
もう、治った。もうまともになる。
昔は、客観視とフィルターで分かっていた。人が何を見ていて、自分は何をその人に対して出来るのかを考えた。経験を段階的、束縛的、出生的、進歩的に考えた。どの環境から、どんな経験が生まれ、どんな認識が生まれるのかを分かっていた。
そろそろ昔が分かる。
まともな意識になって、文字が見えるのも止んで、いくらでも書けるようになる。
地域や自然の生態系のようなものが、意識と歴史的な実感で分かっていた。その場所が、どんな意識を持っていて、何がその場所を変え、作り出しているのかを考えていた。
人間のことは、行動における、基礎の経験を知って、どんな経験がどんな人格を生み出し、どんな行動を生み出すのか、どんな環境を作り出すのかを分かっていた。
そういう風に、「何が何を生み出すのか」が分かっていた。
あとは、考え方がどこから生まれるのか、のようなことを分かった。心、文化、環境、国家のような考え方を、段階的に範囲を広げ、逆に狭めることで分かった。近づいたり、離れたりしながら、そういう考え方の段階と発生を分かった。どんな考え方からどんな考え方が生まれるのか、のようなことを分かっていた。
社会については、誰が何を生み出しているのか、決定し、束縛し、自由を奪っているのかを分かっていた。最終的には、社会から離脱するのが自由だとしても、その中で、社会に対してどんな影響力を持てるかを考えた。
あとは、普通の人間が分かっている、経験的で観念的な認識を、全部分かっていた。普通の人間が考えていることを、全員分、分かっていた。
そろそろ賢くなった。むしろ、昔は本当におかしい。
もっと、想像力で把握し、感情で把握し、意味を考えて成り立たせると思えば良い。
色んなことを数学的で経験的に分かっていた。道理と理性のことが分かっていた。
あとは、経緯を分かるとか、人間性を分かるとか、場を分かるとか、抽象的に予測して考え方を分かるとか、そういう風に、もっと具体的に分かっていた。
体験とは、宇宙の根源的な体験のことを言っている。
行動と学習から、知性がついた。
何でも現象学にして、説明出来た。そういう、現象学のモデルが多かった。
自分はもう治った。賢くなった。
昔は、この宇宙のことを意識で分かっていた。その意識のことを書いていた。
精神には深層がある。深い記憶の中で、何か、思い出したくないことがある。それは、きちんと分かると思い出せる。何かの恐怖や原因のせいで、思い出せなくなっている。そこを治すと、すぐに治る。人間はそういう、分かりたくないことを分からないだけの存在だ。
あとは、法則性や因果性を、現実の認識の中で考えれば良い。
あれを見れば、あれを思う。そういうことをロボットのように考えていただけだ。
自分は治った。外国の人間に見える。何かがヨーロッパだ。トルコやギリシャに見える。
あとは、相対的にきちんと把握すれば、自分の意識の一部として、吸収出来る。
自分は賢くない。自分は、ただ狂っていただけだ。皆の方が賢い。
何故か、本当に治った。治ったから、もう楽だ。これで、時計も治るだろう。
そんなに文字が書きたいのがおかしい。文字が見えるのも治る。
あとは、言語や記憶を、実際に使う場面を想定して、言語力や記憶力を分かっていた。
言語力的に成長する。そういう発想が多かった。
全てに勝てる人間だった。全てに勝って分かっていた。
心を物理にした。それで、フィルターのように分かっていた。
また、1つ分からなくなった。
モデルで分かるとか、深層心理とか、そういうことを何か言いたかった。
そろそろ本当に賢くなった。今日はもう深夜だ。寝た方が良い。
現実の分析から知性がつく。そういうことを言いたかったような気がする。
今日は、眠れない。
神が終わって、対話を止めて、世界が滅びて、足が治る。
実験して分かっていた。社会を変えるあらゆる手段を試した。
感情で、何が正しいのかを考えた。現象と人間の中で、何が正しいか、何が間違っているか分かった。どうすればどうなるのか、から、モデルを作って、認識を比較して考えた。
認識とは、それをどう出来るか、どうなるか、どのように作れるか、などである。認識と認識が関係して、正しい解明をする。そういう発想が、認識のプロセスと現象学だ。
社会的束縛の中で、いつ何が自由なのかとか、社会の中で、何を人間の一部として、何を変えられるのか、とか、そういう制限と束縛の中で、何が自由なのか、どんな制度が決められるのか、自由な変化と実現の可能性から、そして経験から考えていた。
意志と意志が伝達する中に、意図というものがある。意図がどのように伝わるか考えた。
忘れたのは、世界観を言いたかっただけだ。世界を人間が変えられる、未来は自由であると言っていた。それを言いたかっただけだ。
あとは、見ていると、全員は変えられる。その人の立場になって、その人に教えることが出来る。そして、全員は正しい。その人も、その人なりに正しいことをしている。その人から見た世界では、その人は正しいことをしている。
あとは、世界観のようなものを考えれば良い。
具体的に考えれば良い。具体的な環境や体験を考えれば分かる。何が自然で、何が有限なのかが分かる。世界は有限だ。不思議と、その、世界は有限だ、を言いたかった。
その人が、何を頑張って、何を得られうるのか、のようなことを分かっていた。最大限頑張って、その人がそれをどれだけ出来るのか、他のどんなものに影響し、波及するのか、のようなことを分かった。そういう、社会的行動と経験を、限界から構造にした。
あとは、条件的に人間の行動を考えて、その時その人がそれから何を得るかを考えていた。
その人が何故それをするのかを考えた。それは、環境的、因果性的、経験的なものだ。それは、認識的で、感情的で、理性的でもある。また、それがどのように他へと影響するのか、波及するのか、のようなことを考えていた。
その人の人生が、その環境、その意識下で、どう変わり得るか、自分がそこに居たら、どう出来るかを考えた。2ちゃんねるのような場で、自分が世界をどのように変えられるのか、考えていた。出来るだけ変えるのを控えるために、活動しなかったこともあった。
あとは、人生の経緯のようなものを考えれば良い。
把握し、自然を知り、可能性とプロセスを考え、革命し、開発し、自由から知と発見を知り、運命を知り、事前な考え方を知り、愛を知り、創造性と想像力を知った。
それこそ、そこから、全てのことを把握して、俯瞰的に高い立場から見て分かっていた。
そして、全てを経験し、コミュニケーションと議論の弁論術から、自然に変えられる、この社会の可能性と発生と形成と生成を分かっていた。
具体例から、法則を見出した。
運命を信じて、戦っていた。本当に、愛の戦いをした。誰も憎まず、全ての人間を良いと言いたかった。だが、それは、テロのような、テレビを倒すだけで、誰も殺さない、何も悪くない、支配と導きと体験を全部するだけの、そのための戦いだった。
神を信じなさい。神とは、ユダヤ教の神であり、スターリンと対話するキリストだ。
もう終わりにするとは言うが、まだまだ終わらない。
あとは、全てのことを神が教えた。全てのことが、未知を潰す対話によって分かった。
神は、知性が無くなる。何も分からなくなって、耐えるだけになる。
あとは、もう無い。そろそろ何も無い。可能性みたいなことが好きだった。都市開発のようなことを考えて、この世界の町並みや学校の授業などを変えたかった。
いじめには見えない。いじめるだけの2ちゃんねるのせいで、地獄になった。
あとは、もう何もしない。最近は、文章を書きながら、哲学で昔を分かり直している。
人格を作れば良い。戦いの中で作った人格が馬鹿だから怖いだけだ。
意図を変えれば良い。心の中で、意図を思って、影響力でこの世界を変えている。その意図を変えれば、すぐに分かる。頭の中では、その意図を自動で変えながら、全部試して、全部言って分かっている。そういう風に、意図を試して分かっている。
もう、この世界を変えなくて良いし、実験もしなくて良い。人格は、増やせば賢くなる。
昔は、ネットで影響力を行使しながら、意図を伝えて分かっていた。心の伝達を分かった。
そろそろ止めて良い。今日は楽しかったし、あまり辛くなかった。
治ったのは、時計になったからだ。その時計を、そろそろ止めた方が良い。もう、狂っているのが治ったから、時計も止める。もう、昔に戻る。
昔は、引き篭もりになっても、普通の人間と何も変わらないと思って、「自由になる」ことから実体験で分かっていた。本当に実体験から理性的に環境などのことを分かった。
自由になりたかった。全ての環境は、離れて見て、一度引き篭もりになって、自由に考えて、自由になれば分かることをした。その中に居る時のことは、外に出ると良く分かる。活動から反省して、謙虚に心構えを持って、一人、引き篭もりになって賢くなった。そういう風に成長して分かっていた。一人だけで賢くなった。
それは、ネットの世界を全部知って、オープンソースのことを知って分かった。本当に、一人で賢い大人になった。全部の人生経験と成長体験があった。ネットで議論した。
ネットで議論したおかげで、国会のようなものが分かった。国会を信じていた。
一人何でも出来るようになって、オープンソースに取り組んだ。自分にも出来ることが有ると思って、Wikiを書いていたが、Wikiには編集を勝手に私物化するような、悪いことばかりしていた。この場を借りて謝罪したい。申し訳なかった。
あとは、それこそ、オープンソースとコンピュータのことは、超詳しかった。
あとは、人生のことを全部分かっていた。社会のことを知りながら、人生を考えて、経験と自然な体験と、自然な出立から、あらゆる全員の人生経験を全部分かっていた。
あとは、分析が得意だった。人間の環境のことを分析して、記憶と習得を分かっていた。
それこそ、場のようなことを空想することが多かった。ヨーロッパなどを空想した。
あとは、何も無い。階層構造的に、知性と決まりから、文章を書いていた。
相手のことを想定して、何でも教え、そのために何を知る必要があるか、全部の前提のようなことを書く。それを読むだけで、本当に分かるような、絶対知のような文章だった。
あとは、哲学的な理解のことを書いていた。カントのような言葉で分かっていた。
もう、終わりにする。そろそろ、自分はロボットになっている。神のロボットだ。
神を殺すしかない。だが、それはまだ早い。そういう、すぐに分かった時に止めてしまうのを止めた方が良い。分かっても続けた方が良い。実験なんか、まだしていた方が良い。
あとは、言語的に分かっている馬鹿が多かった。人間の分かることは、使っている言語に左右されると思っていた。それは、日本語だけだ。英語は、まともだ。
人間の活動を関係から、全ての側面と自然な法則から考える。法則でない法則もある。
一度言葉にすれば、あとは言わなくても分かる。それを言いたかった。
可能性を考えていた。可能性を書いていただけだ。
潜在的な可能性から、組織のようなものを作る。
ものは、材料と方法から生まれる。
そういう、考え方のようなことをいつも書いていた。
もっと、そういう風に、考え方を関係から分かれば良い。
人間には、判断力、理性、方法、経験、知識、感情、行動がある。
そういうものは、アリストテレスが分類している。仏教にも多い。
そういう、人間の特性のようなことをいつも書いていた。
昔は、正しく考えて分かっていた。理性的に理解していた。
考え方から色んなものが生まれるのを書いていた。そういう、考え方の関係を書く。
モデルとモデルを組み合わせて、部品と部品を組み立てるように、考え方を書いていた。
今日は眠れない。何故か、今日はそんなに辛くない。時計が治ったのだと思う。
あとは、世界のコピーのような、数学的で自由な、場と決まりと関係の構造を作っていた。
あとは、普通、誰でも同じになる。アリストテレスと全く同じになる人間が多い。自分も昔はそういう人間だった。誰でも同じように分かる。良く考えれば良い。
そういう、「考えるポイント」のようなことが分かっていない。昔はそこが分かっていた。
本質を考えるために、前提から、何がどうなるのか、生成されるのかを考える。
人間のことや心のことは、具体的に考えると分かる。
社会は、発展したり、滅びたり、民主的になったり、独裁になったりする。心は、嬉しかったり、悲しかったり、愛したり、憎んだり、不安になったり、安心したりする。
そういう風に具体的に考える。それ以上は、分析して、解明する。そうすれば分かる。
心や社会の成り立ちを考えて、具体的なものとの関係や対応を探る。
民主的になるために、何が考えられるか。
独裁になることによる、メリットとデメリットは何か。
心が安心するために、どんな環境を実現出来るか。
そういうものを、もっと分析して、解明して考える。何が前提として、そこに必要か。それは、どのように考えられるのか。それは、どういうことを示しているのか。それは、具体的に、どういう風に出来るのか。それは、法則的、真理的に、どういう状態に置かれていて、そこでは、どんな真理が言えるのか。
そういうものを、ソクラテスが「正しい認識は心の中から生まれる」と言っているように、真理的に考える。何がそこで言えるのか。それは、どんな経験から、何を根拠に言えるのか。そこでは、どんなことが正しいのか。そこから見て、どんなことが分かるのか。
そういうことを考えれば良い。真理は、プラトンやアリストテレスにも繋がって来る。イデアと言ったり、社会のことを具体的に分析したりする。あとは、自由から考えれば良い。全てのことを、可能性の中で自由に生まれる、誰かが何かを作用する、と考えれば良い。