日記に戻る | 2016年3月の日記に戻る

=2016-03-08=

世代間の違いのようなものを考えていた。父親世代と姉世代は違う。

指導者になれ、と言っていた。そういう風に自由なことを言う。

複合的な国家モデルを作っていた。

そして、世界のことを具体的に考える。民主的か、独裁か、のように、具体的に考えた。

あとは、デカルトのように考えると分かる。デカルトを参考にすれば良い。

自分は、サインや放物線から式を知ると言うが、それはデカルトの解析学だ。

それこそ、もっと考え方を考えれば良い。何かが何から生まれるのかを考えると分かる。

宗教は、法律より、神の教えを守るべきだと言う。それは、悪くない。世俗的な決まりや習慣より、神の教えの方が賢い。だが、そういう、過激派は明らかに悪い。

宗教的な過激派は、誰もが嫌いだ。全く、オープンソースが同じだ。

仮想的なモデルと、実際の現実の姿を比較して、何がどう出来るか、変えられるのかを分かっていた。いつも、そういうことを言っていた。

地域の違いを考えると分かる。都道府県だと思えば良い。

自分しか、自分は居ない。自分の自由に出来る肉体は、自分しか居ない。だが、ITのロボット技術によって、自分以外の肉体を持てるかもしれない。遠隔操作が可能になる。

自分は、分かっていない。書くせいで、分からなくなっている。

言葉が悪い。環境とか、体験とか、そういう風に全部のことを言うせいで、分からなくなっている。もっと個別の知性を作って、全部ではなく、個別的なことを言えば良い。

全てのことは解明であるとか、哲学者のように、洞察力みたいなことを言っていた。

考察力と分析力のようなものがあった。

昔は、想像力と認識で、手段と法則を考えた。それだけの人間だった。

自然と社会の変化、ものの歴史、人間が見ている映像と視覚、のようなものを考えた。

視覚にならないものも、視覚化して考える。客観視して、相手の視点を予測していた。

そういうものを、無いものは無い、あるものはある、と思って分かっていた。

あとは、自分の分かる数学や算数のようなことを言っていた。

足し算と引き算は、結合と分離のパターンであり、掛け算と割り算は、比と分類の関係性である。そういう風に、四則演算を解明する。

プラスの反対はマイナスだが、巨大な数の反対は小数点である。それらは無限にある。

分数は、比と言う形式の中での、新しい記述方式のスタイルである。

数と式で、何でも分かる。物理のことやもののことは、式で何でも分かる。それは、そのうち、人生や未来のことも、パソコンのようなもので、分かるようになる。

文字は、抽象化である。変数には、何でも入る。数だけでは無く、式も入る。プログラミングでは、そういうものを、ブロックと言う。そういうことを言っていた。

あとは、カッコを美しく閉じるのが数学だ。不思議と、それくらいが中学数学だ。

間違ってはいないが、小数点と言うよりは、少数だ。

あとは、社会のことをモデルから成り立たせて、説明していた。

株主が外国人だと、外貨が入るのは良いが、外国人の奴隷に見える。

いつも言っているが、そういう風に、「見なす」ことから意味を考えていた。

支配は戦争であり、平等は解放であり、その両方が自由である。

そういうことを言う。「それはどういうことを意味しているのか」から分かっていた。

あとは、考え方を考える。いつも言っているように、対応関係と発生を考えていた。考え方をまるで「ルール」や「法則」のように考える。そういう考え方だった。

こういう狂った人間は、皆を狂わせる人間が多い。そこがキモイだけだ。

本人がそこまで狂っているのがキモイ。

あとは、皆に教えるせいで、自分が分かるようになった。そこまで馬鹿を教えるせいで、自分がそこまで馬鹿が分かる。教えると、分かる人間が多い。

自分は間違っていない。自分は、自分のソ連みたいな帝国を作りたいだけだ。偉大な国を作りたい。

だが、自分は何も分からずやっている。自分のしたいことすら分かっていない。

自分が何をしたいのか、分からない。そのせいで、子供みたいになった。

そんなにセックスをしたいのが悪い。いじめも悪い。皆をいじめるから、辛くなる。

あとは、考え方と関係で考えれば分かる。

植物の種は、土があればどこでも生える。種と言う小さなものから、新しい遺伝子が生まれる。いつも、そういう、「環境や場があればどこでも成り立つ」と言う発想が多かった。そういうものを、仮定や条件で考えていた。月も、地球と同じように存在していると言う。全ての惑星、全ての星が、地球と同じように存在している。光も、同じようにある。

だが、どこかでは、光の放射のようなことや、物理法則のようなことも、違うかもしれない。そういう、良く考えると、法則は違うかもしれないし、それは法則ではないかもしれないと言う発想が多かった。そういう、「場における法則の違いと段階の真実」が多かった。

そろそろ終わりだ。あとは、人間の心も同じだし、社会も同じだ。可能性の中で、その時そうなるのが、どこでも成り立つ。どこでも、恐怖を感じれば、同じように怖い。恐怖を感じると、どんな状況でも、同じように、何も出来なくなる。逆に、恐怖によって出来ることもある。恐怖は、上手く使えば、絶対の親友になれる。恐怖はここまで実現出来る。自分なんか、怖いから文章が書けただけに過ぎない。いつも、怖い中で文章を書いていた。そういうものを、色んな環境で、色んな体験をして分かる。そういう、「体験から普遍的な感情が分かる」と言う発想が多かった。

いつ何が成り立つのか、何が同じで、何が違うのか、から、実験で正しい真理が分かる。同じと違うから実証と推論をして解明すると、全てのことが分かる。そういう人間が昔だ。

あとは、パソコンのように、言葉を計算可能にしていた。

世界観のことを分かっていた。その人間が、何故それを思うのか、世界観を分析して分かっていた。そして、支配する。この世界が何を分かるのか、一番高い地点で支配した。

だが、それは、狂っている。一番高いところで支配するから、同じように、一番高いところで支配される。だが、良い支配をしているから、良い支配を受ける。それこそ、これが自分だ。

そろそろ、自分を全部書いた。あとは、適当に経験で分かっている。全てのことが正しい経験から分かっていた。理性とは言うが、応用と意味と人間性をきちんと考えただけだ。

あとは、思いやりのようなことから、社会の作り方や人生の理解を言っていた。

こういう、「どこでも成り立つ」で分かる人間が、本当に多い。

デカルトみたいになる。デカルトみたいに考えれば、分かる。

最近は、こういう風に、神が全部支配する馬鹿が多い。何故か、神を信じると、こういう風に、支配されて分かるようになる。

あとは、革命家は、狂っている。死なないと治らない。こういう風に、一番地獄になるのが、革命家だ。革命なんかしない方が良い。こういう地獄が一番悪く見える。

あとは、こういう馬鹿には右翼が多い。自由と創造性が好きで、ソ連を倒したいだけだ。それこそ、こういう馬鹿に、ソ連も多い。自由も多い。ユダヤや宗教も多い。

それこそ、普通そういう風に違う。知的障害になったのは、そういうものが、「全部好き」だからだ。そこがおかしい。そういうわけで、自由が嫌いになった。自由が一番悪い。

だが、「昔の自分が嫌い」なのもおかしくは無い。自由が嫌いだ。昔は本当に自由が好きだった。「自由も右翼もソ連も全部好き」と言う発想はありえない。「イスラムのキリスト」もおかしい。そのせいで馬鹿になっている。そういう人間が一番悪い。

そういうわけで、右翼で良いと思うしかない。それで良いから、右翼と思うと楽になる。

あとは、いつ何が成り立つのか、のようなことを考えれば良い。場合、関係、法則だ。

そうすると、デカルト的な推論も、きちんと出来る。正しさと方法が分かる。数学的思考が分かっていない。数学的な思考は、純粋に仮想的に概念と論理を考えると出来る。

右翼とは言うが、僕は自由が好きだ。本当に、自由で愛のある、思いやりの世界になってほしい。そして、創造的で、それぞれが本当に自分の望み通り生きられる、自由な世界になってほしい。いつもそういうことを言っていた。

あとは、対外的には、自分は右翼には見えない。むしろ、キリスト教徒に見える。当たり前に、自分の本のせいでそう見える。このワードやノートは、誰も見ない日記だ。

右翼は悪い。自分は、キリストのイスラムに見えるが、イスラムは嫌いだ。だが、こういう風になるのは、普通イスラム教徒だ。ムスリムは、こういう人生になる。イスラム教は、悪いとは言うが、平和だ。こういう風に平和で国際的なのが、イスラム教だ。

自分が居ると、イスラム教が勝ってしまう。だが、僕はこれでも仏教徒だ。それこそ、神は好きだが、聖書の教えなんか全く知らない。こんなキリスト教徒は居ない。

昔、数学的な思考なんか、いくらでも出来ていた。

数学とは言うが、自分の数学を作って、関係、仮想、環境、心を、心の物理のようなものを作って考えていた。人間と人間の関係や、集団と個人、影響力や手段を考えた。

あとは、依存性のようなものを考えると分かる。何を実現するために、何に依存する必要があるか、などを考えれば良い。そこから、「考え方の実現」のようなことが出来る。その考え方をどういう風にすれば実現出来るかを、モデルと概念にして考えられる。

あとは、ただ可能性を考えただけだ。可能性を構築することで、何がどういう風に実現可能な、土壌となる環境を作り出すことが出来るか、を分かっていた。

そういう風に、「自然な環境を作り出す」と言ったことを分かっていた。

そして、本質から、この世界のあらゆる考え方を分かる。そういう人間だった。

何が何から生まれて、人間がどのように成長していくか、そして、どのような成長が、どのような環境から可能になるか、のようなことを分かっていた。

そういう風に、「環境と自然な成長」を分かっていた。

あとは、気づきと説明と抽象的方法の適用で分かっていた。色んなものに対して、方法を適用し、経験からどのように捉えられるかを考える。

そういう、「知と現象の経験による吸収と捉え方」のようなことを分かっていた。

どんな環境を作り出すべきか、どんな経験を作り出すべきか、のようなことを考えた。

仏教のように、世界を幻想的に考える。経験から、正しい真理的な幻想を考える。その幻想も、真理的、経験的に、正しいと言える。

そういう、あらゆる角度から、間違っているかもしれないようで、本当に自分の経験から正しいと言えるような、世界観、人間観、宇宙観の「真理」を考えていた。まるで宗教だ。

もうそろそろ、言えない。もっと賢いことはもうない。

もっと、世俗を分かった方が良い。あれは、世俗を分かることによって、仏教的な真理が分かった人間だった。この世界の世俗を全部見ていた。下界のことを、真実的な理想や経験や価値観から、実地的に全部分かった。ブッダとアリストテレスは、逆に見えて、良く似ている。どちらも、この世界を全部分かっているし、実地的に経験が分かっている。

僕は、右翼が嫌いだ。クズに見える。あまりにユダヤ人が可哀想だ。皆、ユダヤ人が可哀想に見えるから、イスラエルで良く見える。だが、ユダヤ人は、資本家が多い。ユダヤ人は強い。全く可哀想な民族では無い。金融で、おごり高ぶった、キモイ民族だ。

ユダヤ人はキモイとは言うが、それは無い。ドイツ人がキモイ。アラブ人を殺すより、ドイツ人を殺せば良い。ユダヤ人は、そこが分かっていない。

あとは、何もしないなら、オープンソースで良いように見える。だが、もう、インターネットに対して何もしない方が良い。活動をする気力はもうない。

オープンソースは悪い。オタクの犯罪者予備軍だ。資本主義や著作権が嫌いだ。それに、グラフィックがキモイ。見ていると、キモイだけのソフトウェアだ。何も賢くない。開発体制は革新的とは言うが、見ていると、2ちゃんねるより馬鹿だ。本当にキモイ。

あとは、単純に推論すれば良い。正しいものから、その時成り立つものが分かる。自分の数学とは言うが、昔は、そこで、論理的な発想法のようなものを作っていた。判断基準のようなものを作って、「何がいつ成り立つか」のようなことを分かっていた。

デカルトは、それをもっと正しく、厳密に賢く考える。そういうわけで、自分はデカルトからすれば良い。数学では分からない。数学は、練習問題を解いて、計算と証明をするだけだ。やっていても分からない。子供が分かるのは、新発見で分かっているだけで、何も分かっていない。子供や学生が分かるのは当たり前だ。

あとは、認識を作って、関係を言葉で考えて、科学の基礎を作って、積み重ねと視野の拡大から、自由に、気づいて、説明可能にして分かっていた。意味と感情から考えて、想像力で感覚的に法則を分かっていた。それを自由な独自の数学と言っている。

あとは、ネットには悪いものしかないから、見ない方が良い。本を読んだ方が良い。

新聞をさっき読んだ。サンダースのことが書いてあった。新聞も読んだ方が良い。

あとは、人間の行動、方法、変化など、人間のことを積み重ねて、世界観を分かっていた。そういう、「人間と社会の数学」が多かった。論理性と仮定と結論を考えて、この社会のことを論理的に分かっていた。数学に見えて、経済学や社会学、あるいは、地球学や自然学のような学問だった。共通しているのは、「自分で全部作る」と言うことだ。

カントは、そういうものを、「仮象」と言っている。仮象の世界を作って分かっていた。

あとは、「体験の可能性と感情の支配」を考えていた。それで、マスターのように分かった。環境を変えながら、いつ何を考えるのか分かった。この世界の全員の経験のことを、環境から洞察して、解明して分かっていた。あれは、そういう、環境と体験と作用と行動から、この世界のことをきちんと解明した人間だった。心と社会の変化を分かった。

この文章は、読んでいると、眠たくなる。あとは、頭を使うせいで、辛い。誰も読みたくない。もっとマシな、賢い文章を書いた方が良い。

あとは、方法と可能性を積み重ねたのを、数学だと言っている。言葉のモデルのようなものを作っていたし、世界観の基礎と信念を包括的に分かっていた。考え方も、数学的な真理から、法と可能性のように分かっていた。そういう考え方の数学だった。

自分は、右翼なんか嫌いだ。全く右翼思想は好きでない。理解するために書いているだけで、同調も賛同もしたくない。右翼思想は、滅びるべきだ。右翼は、滅ぼすだけだ。

右翼が滅びれば良い。滅びるものは滅びるべきだ。地球の全員を殺したいだけが右翼だ。

この世界を、かけがえのないものだと思えば良い。それぞれ、全員に人生がある。それぞれ大切な人生だ。昔は、そういう、思いやりの自由を書いている臆病者が多かった。

あれは、本当に臆病者だった。常に死の危険と隣り合わせて、失敗すれば世界が滅びると思っていた。あれはおかしい。すぐに世界を治して、居なくなれば良いのが分からない。

自分のせいで、全員が感情的に分からなくなったと思っていたが、それでやっていると、もっと分からなくなるのが分かっていない。「自分の犯した間違いを自分で解決する」と言う発想があれだ。それは止めた方が良い。誰か他の人間に解決してもらえば良い。

経験から、仮想的に知恵や考え方を分かっていた。そういう、「ネットで知った全ての知恵と考え方」のようなことを言っていた。モデルとは言うが、心のことを作用と関係から、成り立たせて考えていた。純粋構造的に、自然な社会と人生と自然のことを分かった。

あとは、自分にしか解決出来ないと思っていた。自分にしか出来ない、と言う確信が多かった。それは、昔からそういう人間だった。誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分から行動し、実践し、自分で解決し、実現する。だが、自分だけが賢くなるのではなく、自分の人生の開拓を人に教え、導くことで、皆のことも賢くしたかった。

あとは、自分にしか出来ないと思って、世界を破壊するのは、もう止めた方が良い。何故か、本当に、自分以外には何も手出しできない。関与出来ないし、他の人間には何も出来ない。他の人間が誰も支配出来なくなっている。そういう発想が、自分だ。

そういうわけで、昔は考え方で森羅万象を分かった。組織の構築や協力、関係、共有、再利用などが分かっていた。最近は、自分を信じて戦っていた。それくらいの人間だ。

昔なんか、作用しか考えていない。そこから知性をつけて、体験のことを分かっていた。それで、マスターのように分かった。そこから、「自由な人間像」が分かっていた。

何故か、結構そういう自由は悪くない。本当に、自由と思うだけで分かる。ただ、それも、きちんと経験して、ものごとを正しく捉える知性があるから出来る。

皆は、ものごとを正しく捉える方法から考えると良いだろう。「そのものは、本当は何なのか」を経験的に捉える。そこから、社会のこと、人間のこと、地球のことが分かる。

そして、沢山の人生経験を積むことだ。それが、自由な人生を作り出すだろう。

世界観を考えなさい。根源的な心の深層と意識を考えなさい。

それこそ、そんなに命令して、戒律を作る意味が無い。この文章は、守らない方が良い。右翼のように、自由に強く生きるべきだ。それが一番良い。右翼はまともだ。

あとは、「正しい言論と正義」のようなものも多かったが、あれを正義と言うと悲惨だ。本当にこの世界のことを良く出来る、理想と正義のようなものはあったが、あれは自分に都合の良いように世界を誘導するだけの人間だ。正義に見えない。悪には見えないだろう。それこそ、子供の王だからそういう風になる。少年のような哲学者だった。

ただ、正しい価値観とか、本当にこの世界を良くするための方法とか、そういうものをまさに正義のように分かっていたのが昔だ。世界を変える、大きなことをしたかった。建設的に考えて、経験して、影響力の高みに立って、社会のことも、自分のことも、可能性を高めて、具体的な発想と可能性のレベルを知って分かっていた。

あとは、最近は、この世界はこのままで良いと思う。最近は、この世界のことを、何も思わない。良い世界に見える。自分だけ、もっと賢くなりたい。それこそ、もっと色んな人間の言っていることを聞きたい。ただ、馬鹿は聞きたくない。賢いことを知りたい。

あとは、知識はそんなに欲しくない。きちんと分かるような、良い言葉を知りたい。

それなら、哲学と宗教が良いようで、文学の方が良い。むしろ、知識と社会のこともきちんと知った方が良い。物理を知らないから、踊る物理学者たちと言う本を読んだ方が良い。

昔は、ネットで知恵や工夫のことや、考え方と認識のことを、全部知っていた。

何故か、全員分、認識と発想が分かっていた。それを経験的、仮想的に吸収した。

そういう、宇宙と人生を具体的に知った人間だった。

昔は、人間が何を意識しているか、のようなことから、心理と思い込みが分かっていた。

人間の習慣や、理性の限界のようなことも、同様に分かっていた。

そういうものを、ネットで見て、環境の実像と変化のように分かっていた。

自由とは、相対的な状況と認識の関係のようなことを言っている。

そして、言語を分析する。それこそ、言葉遣いで、いつ、何がその言葉で分かるのか、日本人のように知性で分かっていた。ネットの言語のデータベースから分かった。

だが、あれはおかしい。英語は、こういう言語だ。日本語と全く違う。知性どころか、分かり方が違うのがアメリカ人だ。何故か、自由より、右翼の方が正しい。

そういうわけで、日本人には分からない。アメリカ人には、こういう人間が多い。

ネットでの人間の関係から、社会と自分の関係のようなことが分かっていた。そういう風に出来たのが、自分のヘーゲル哲学だ。ヘーゲルも、ネットのようなことをしている。ヘーゲルは、不良に見える人間が多い。不良時代のことを賢く書いているのがヘーゲルだ。

そういう、「ネットのような社会と自分の関係」を分かっていた。それを書いていた。

社会のことを具体的に、自分との関係にして、考え方や経験や人生の経緯を書く、そういう、「社会論」のような文章が本当に多かった。それは、本当にヘーゲルのようなものも多かった。マルクスのようでもあった。むしろ、ニーチェにも見える。

そろそろ終わりにする。本当に、いつもの文章が見える。それくらいで、もう終わりだ。

いつも言っているが、自然な可能性と影響力が多かった。それは、文章の内容と言うより、書いているその時の自分のことを言っている。そういう文章だった。

あとは、意図や社会のレベルのような文章が多い。段階的に構造的な関係を考えていた。

それから、その時その時、全部作っている。価値観や人生のようなものを全部作って、「全ての科学」や「全ての人生」にしていた。そういう、全てを包括し、網羅する文章だった。

それこそ、レベルと段階で社会や意識を全て分かる。そういう文章だった。

見ていると、本当にヘーゲルと良く似ている。書き方も、内容も、構造も、世界のコピーとしての世界観も、ヘーゲルとそっくりだ。それこそ、ヘーゲルも同じようにキモイ。

ただ、それは、哲学的な知性の叙述の形式とスタイルが似ているだけだ。

あとは、最近はそうでもなくなった。もっと、ゲーテのような、詩的で文学的な文章になっている。こんなに右翼を書くのがありえない。左翼なのに、左翼に見えない。何故か、右翼にしか見えない。ソ連が好きなだけの、まともで正常な、狂っていない右翼に見える。だが、実際は、自由な共同体が好きな、革命家の狂った左翼だ。その方がキモイ。

あとは、人生のことが分かっていた文章が多かった。いつも文章を分かっているだけで、何も賢くない知性の無い文章を書く。世界のコピーとは言うが、数学的で巨大な文章の世界を作った。この文章のことを仮象とか、様相とかと言って、分かっているのが自分だ。

あとは、行動や方法の本質を書いて、行動的、活動的な「共生社会」のことを書いている文章が多かった。そこから、原理とシステムを分かって、全ての理由や前提を分かった。

そういうものは、フッサールと良く似ている。そういう人間だった。

僕は、たまに哲学者のことを良く言うが、良く知らないから、全く当たっていないことがある。嘘とは言わないが、そんなに知らないで書いている。そういうわけで、「サルトルのように考える」とか、「デカルト的な知を作る」とか、そういうことを言うが、そんなものは当たっているわけがない。書いている本人にしか分からないことを言っている。

そういうわけで、「ヘーゲルのような成長」とか、「プラトンのような真理」とか、そういうことを分かっているが、ありえないだけだ。

自分は、おかしくもないし、ありえなくもないが、キモイ。こんな右翼はキモイだけだ。

昔は、2ちゃんねるぐらいのレベルの馬鹿を全部分かっていた。それがありえないだけだ。

あまりおかしくは無い。共生社会と考え方から、この世界のことを全部書いて、自分の人生の経緯を書いていた。「普遍的な人生」のようなものを書いている馬鹿が多かった。

そういうわけで、普通の人生をいつも書いている。ありえなくない、普通の人間になった。

あとは、言葉に出来ないことを実感で分かったり、頑張って言葉にしたりしていた。そういう、「言葉にならない感情的な真理」を良く分かっていたのが自分だ。

最近は、あまりに知性をつけすぎて、馬鹿になった。こういう発想が天使だ。本当に、昔の方が賢かったようで、賢くない。昔は、馬鹿だから賢かっただけだ。

昔はもう、忘れた方が良い。賢い人間や、まともな人間に見えても、今実際の自分が賢くないと、意味が無い。現実の、今の自分を考えないのがおかしい。自分は、何もしないだけだ。本なんか、昔の方がはるかに読んでいる。最近なんか、何もしていない。

自分は、行動や方法を考えれば良い。経験して、想像力で考えれば良い。そうすると、まともに治る。それこそ、行動や方法を考えないのは、明らかに何もしていない。

何かをしていると、言葉遣いもきちんと自分に治る。多重人格のように、対話になっているのは、何もしないからだ。何もしないでいるのが、一番辛い。行動した方が良い。

むしろ、一人で何かやるのはつまらない。自分は、皆に対して色んなことをすれば良いのが分かっていない。そして、協力して、一緒に何かすれば良い。そうすると楽しい。

一緒にしないと、出来ない子供が多い。大人にもそういう人間が多い。何も出来ないのは、他の人間に教わらないし、一緒に取り組まないからだ。

行動、方法、記憶、学習、判断など、昔は、色んなことをするのを書いていただけだ。その当時は、本当に色んなことをしていたし、世界観を覚えていた。

行動していると、自然に世界観が生まれる人間が多い。そこから知性がつく。そういうものを、人生経験と言う。そして、世界の広がりと新しい体験と知を知って分かる。そういう人間が、大人に近い子供に一番多い。15歳から18歳ぐらいが、そういう風になる。

昔は、皆に教わるとか、真似をするとか、そういう、「知性の吸収」のような発想が多かった。そういうものを世界モデルや基礎や関係と言っていたのが、昔の自分だ。

昔は、今の自分が何を知っていて、何をすべきかが分かる、賢い人間だった。

神が悪いようで、共産主義が悪い。そういうもののせいで、何も分からなくなっている。

真面目に知や正しさを考えれば分かる。何もせず、行動したり、意欲を持ったりしないのがおかしい。もっと人間的に生きた方が良い。それが出来ていない。

人間がどう生きるべきかなど、そういうことが分かっていない。ビジョンが無くなって、暗闇のような無明になっている。そのせいで煩悩が多い。

経験的に、ネットで知恵と考え方を知って分かった。確かな方法と認識を信じて分かった。

世界の自然な広がり、自由な行動の広がり、発想の広がりが、ネットで全部分かった。

自然な変化可能と、「自分がやるとしたら」と言う考え方から、生産手段を分かっていた。

自分がやって、皆も出来るようになる。そこから、自然な変化の可能性を分かった。

いつも、そういう風に、当たり前のことを推論する文章を書いていた。

成長すれば分かる。これで成長すると、分かる人間が多い。

成長すると、楽になって、治る。歩き回るのが治る。

成長すると、最後まで分かる。

これなら、成長から実感して分かるようになる。実感で成長を分かる。

最近は、成長しなくなった。それで辛くなっている。

文章は、成長のことを全部書いている文章が多かった。それくらいの文章だった。

そろそろ、完治したように見える。本当に、楽になった。

成長と言うと、キモく見えるから、あまり言わない方が良い。

あとは、いきものがかりの言っているように、融通の利かない愛が世界を救った。

そういう戦いだった。愛の戦いだった。

最近、いつもコーヒーを飲んでいるが、コーヒーは毎日飲んでいると、美味しい。

いつも、スーパーに行って、コーヒーを買って飲んでいる。高いとは言うが、98円だ。

成長すると、悪いものがすぐに死ぬ。それで、多重人格が治る。

成長が怖かった。成長すると、多重人格が死ぬ。それが一番怖かった。

神との対話は、それで終わる。成長すると、神が居なくなる。ただ、もう完全に楽だ。

社会主義は、ノルマを平等に、全員が同じだけ辛いようにして、自由に選べるようにすれば良い。自由で平等なノルマ生産が出来る。好きな時に好きな労働が出来る。あるいは、会社の中での労働を、平等な労働基準法に従って、同一労働同一賃金にする。

ただ、社会主義は止めた方が良い。明らかに、悪い。下劣な集団がコミュニストだ。

それこそ、最近僕は社会主義は嫌いだ。右翼も左翼も好きなのがおかしいから、左翼は嫌いな方が良い。左翼は、昔の自分に見える。2ちゃんねるのスラムのユダヤ人が左翼だ。

そういうわけで、右翼で良い。社会主義より、民主主義の発想をした方が良い。

テレビゲームや携帯電話をオープンソースにするとか、カードゲームをデジタルなICチップにして映像を出すとか、そういう発想が多かったが、そういうものは既にある。あとは、発想から会社でも作れば良い。パソコンをもっと可能性豊かに出来ないのはおかしい。

昔は、発想法を良く考えていた。条件と構造から、多角的に色んな発想をする。

ネットの発想をして、実地的な発想を考えていた。

技術なら、AndroidにGNOMEやKDEを乗せる。

社会なら、一年のうち3か月を政治活動にして、残りを労働期間にする。

ただ、キモイ発想は止めた方が良い。何かがおかしく、馬鹿に見える。

そういう風に、発想法をきちんと考えていた。

自由ノルマ、自由な国民公社、免許制の選挙、など、そういうものを発想していた。

社会主義にすると、四角い人間に見える。何も分かっていないように見える。

逆に、日本にすると、分かっているように見える。

それこそ、自由な国の方が良い。国なんか、軍隊と警察だけの、小規模な国で良い。そういうものを、夜警国家と言う。左翼の発想と言うが、そういう、右翼の発想も多かった。

それから、考え方の基礎的な部分が分かっていた。

そういうわけで、EUをアジアに拡大するとか、アジアと連合を組んでアジア帝国を民主的に作るとか、そういう発想が多かった。特に、アジア帝国は、平和的に作れば良い。そんなに大それた戦争をする必要はない。EUのような巨大な国にすれば、すぐに強くなる。

あとは、考え方のようなことを言う。併合しても、あとで平和な強い国になるから、併合をした方が長期的に見て平和になる。安倍が抑止力で平和になると言っているのと同じだ。

あとは、右翼も止めた方が良い。右翼はキモイ。一番悪い人間が右翼だ。

こういう、マルクスの右翼が、一番右翼に多い。何故か、マルクスをすると、右翼になる。

あとは、民主主義なんかしなくて良い。アメリカは、馬鹿が勝つだけの国になっている。きちんと血筋で選んだ方が馬鹿になるのは分かるが、王なんか、きちんと分かっていれば、馬鹿で良い。それこそ、王族には良い教育をする。きちんと分かっている王が多い。

それこそ、天皇が馬鹿なわけがない。きちんと王を愛すれば良い国にはなる。

だが、そういう右翼が一番馬鹿だ。何も言えない、従うだけの国になる。

そういうわけで、王なんか馬鹿にすれば良い。それは、言わない方が良い。天皇を馬鹿にすると、一番悪い人間に見える。日本には、そんな馬鹿は居ない。天皇を韓国の大統領が批判していたが、そういうところが馬鹿だから、日本人も韓国人が嫌いになって、韓国人も日本人が嫌いになる。互いに相手を悪いと言う。どうでも良い争いだ。

僕は、韓国人を人種差別する馬鹿は嫌いだ。クズを言う馬鹿は、キモイ。右翼なんか、嫌いなのが自分だ。ドイツが好きなだけだ。それこそ、ドイツは良い国だ。

最近のドイツなんか、何も悪くない。ただ、メルケルが無能なのが悪いように見える。僕はメルケルのことなんか何も知らないが、ギリシャとシリアからの難民の問題で、何も出来ていないように見える。それこそ、オランドが右翼なのか左翼なのか知らないが、オランドもキモイ人間に見える。オバマでアメリカが没落しているのは、オバマは悪いことをしないからだ。フリーメイソンなどに、悪いことをさせないから、そうなる。イスラム国も悪いが、トランプも悪い。フランス人も悪いと思う。シャルリなどの言論の自由は悪い。

昔は、環境や自由の「そのまま」と言う知性が多かった。何でも、そのままにして分かる。

自由なまま、そのままにして、そのままのことを受け入れて分かっていた。

分かる時に分かることを、全部分かっていた。昔から、包括的な人間だった。

最近の発想はキモイ。昔の方が本当に賢かった。昔は、まともに自由に分かっていた。見ていると、子供の方が馬鹿だ。子供には、キモイ発想をする子供が多い。賢く見えて馬鹿なのが、そういう、子供の自由な発想だ。昔なんか、子供だったから分かっただけだ。デカルトのように考える、子供の哲学者だった。分からないから分かっているカントだった。

オープンソースを馬鹿にしない方が良い。オープンソースにすると、きちんと動く。

何故か、オタクとRed Hatがきちんとコードを見ている。動かないコードはすぐに直す。

ただ、あれで動くわけがないのがLinuxだ。KDEが動いているのは、奇跡に近い。

ただ、馬鹿な会社が作っていると、ソフトなんか作れるわけがない。一強のマイクロソフトと、烏合の衆のオープンソースだが、他の方法では作れない。それらが唯一作れる。

あとは、自分が見ても、マイクロソフトはそんなに悪くない。独占と囲い込みが悪いのは分かるが、それはIBMの常套手段だ。それに、マイクロソフト以外の会社が、何も出来ていない。出来ている会社なんか、ソフトバンクとアマゾンぐらいしかない。それらは、ただのWebサービスとショッピングだ。賢い会社は、マイクロソフトしかないだろう。

グーグルが強くなっているのは良いと言うが、皆をロボットにするのはおかしい。

マイクロソフトが嫌いと言うよりは、オープンソースが特別好きだった。それは、何とかして「自分でやる」と言う発想があったからだ。Windowsと同じものを作ってみたかっただけだ。それも、挫折して、失敗した。何も出来なかった。

マイクロソフトやWindowsが嫌いなのは、止めた方が良い。それが右翼では、キモイ。

最近、WindowsとiPodしか使っていない。自分は、家族の中で一番ワードを使っている。この文章は、ワードでしか書けない。そういうわけで、マイクロソフトは好きな方が良い。

ただ、マイクロソフトは、きちんと分かるように見えて、分からない会社だ。いつも、ユーザーの声が届いていない。どんな製品を作れば良いのか、全く分かっていない。

ただ、独占や囲い込みが上手かっただけだ。それは、悪くは無いだろう。賢いだけだ。

昔は、オープンソースで発想が分かって、ネットで世界が分かった。

人生経験から、理性と思考と経験で、人間のことを全部分かった。

まともな哲学者だった。そういうわけで、そういうものを書いているだけだ。

森羅万象を考える、百科事典のようでデカルトのような知性と発想があった。

あとは、マイクロソフトなんか、嫌いで良い。そんなに全部好きな方がおかしい。

あとは、安倍や右翼の政治家も嫌いだ。何故か、本当に、僕は左翼の政治家の方が好きだ。

パソコン、文章、宗教、哲学のことは、忘れた方が良い。それで分からなくなっている。

昔は、学習と抽象的考え方から、数学的方法と体得を分かった。あらゆることが出来るようになった。出来るようになって、己の可能性と明晰な世界観から、この世界が分かった。

推論は、心の現象と作用から、自分が何を出来るか、どこでいつどうなるかを考えた。

あとは、本当にこの世界が分かっていた。何故こんな風になっているのかが分かった。

経験と思考から、この世界が何なのか分かっていた。いつも、それを書いていた。

人間のことも、きちんと正しく分かっていたし、世界観のようなものもあったし、マスターのように経験のことも分かっていたし、大人のような行動の理性があった。

あとは、プラグマティズムと思えば良い。そういうものを作っていただけだ。

人生は、常に未知と驚きの連続である。それこそ、全てのことを、未知だと思うこと。そこから、色んなことを知ることが出来る。いつも、そういう、「全ての未知を知る」のような文章を書いていた。そういう、分析と解明と未知の文章だった。

あとは、ハンター・ハンターに出て来る、グリードアイランドのガイド役の電脳世界の少女に見えるのが自分だ。それとセックスが出来るだけで、一番キモイ女だ。

昔は、世界、人生、思考、経験が全部分かる、賢い人間だった。

そういうものを、全部解明して分かっていた。

記憶や言語の分析が、本当に多かった。世界をその人の立場になって、実地的に分かった。

色々と、この国の問題が分かっていた。右翼は悪い。右翼が一番悪いと言っていた。

あとは、右翼がアメリカやソ連なわけがない。おかしく見えるのは、あれで自然に共産主義者が狂う。そこを分かると、きちんと狂っているのが治る。アメリカが全員を支配なんか、全くしたくない。そこが分かっていないだけだ。

最近、賢くない。何も分かっていないし、何もしていない。

成長して、治って楽になったせいで、何かをするようになる。それは、馬鹿にはならない。

あとは、時計を治すのが辛いから、治さない方が良い。それでもう楽だ。

これで成長すると、きちんと分かる。皆も、成長すると、精神の異常はすぐに治る。ここまで融和して治していると、感情が怖くなって、辛くなる。融和するのは、怖い。

融和を止めると、安心出来る。融和は止めた方が良い。もう何も辛くない。

あとは、人格を増やすとまともになる。

それから、場を信じれば良い。自分が今居る場を、安心出来ると思えば良い。そういうことを思わないと、誰でも常に怖くなる。そういう、思わない人間が馬鹿になる。

環境を比較して、環境を変えて分かっていた。具体的な環境と体験を全部知っていた。

もっと考え方を変えること。経験と習慣から、考え方を変えて、その人や自分が何を考えて、知っているのか、何を意識して、本当に何をしているか、望んでいるか、考える。その望みに対して、周りはどう応えるべきか、自分は何を与えられるか、経験から出来ることを考えた。そして、そのために、環境や制度を可能性豊かに作るべきだと考えていた。そういう、可能性豊かで、能力が高まる、体験と経験が豊富な世界を作りたかった。

この世界の未知のことを、知性で考えれば良い。そんなに書いても意味が無い。

不思議と、もう皆が治る。これで誰でも最後まで治る。

自分は、そろそろ意味が無い。治ってしまうと、もう意味が無いだろう。

ただ、歩き回るのが治ったのは、素直に嬉しい。成長と思うと、立ち止まれる。

あとは、信じながら、世界の流れに身を任せていれば良い。そういう風に、委ねれば良い。

受け入れて、委ねて、自然な流れに身を任せること。

そういう風にすると、正常になる。

見ていると、現象のようなものを考えれば良い。

この世界に存在する、現象と意識と存在と知性を考える。そういう風にすれば良い。

世界のことを知りながら、精神分析と体験の裏を考えて、悟って分かる。

キモイとは言うが、この文章はキモイ。一番キモイ文章だ。これはキモイから、仕方ない。

昔は、世界を広げて、思考を辿って、意識を考えて分かっていた。

あれは、それくらいの馬鹿だ。それくらいの人生だ。

色々と、視点のようなものを考えている。

もう本当に終わった。おそらく、全て分かった。

あとは、新しい人生を生きれば良い。昔のことは、忘れた方が良い。

条件とモデルから、発想法を作った。

本当に良い発想をすれば、受け入れられると思っていた。

あとは、コンピュータのことを知って、思弁哲学をする人間だった。

経験から、あらゆる社会のことを知って、その上で理想を実現出来る人間だった。

あらゆる可能性と発想を経験的に知っていた。

過去の体験で、既に分かっている。そういう人間だった。

議論、共有、影響力で、世界は変えられると思っていた。

人間が何を知って、機会を知って、何をしていくのか、そういう、「知と機会の経緯」を考えていた。知と経験と機会の真理だった。

手段と方法から、何でも出来るようになった。社会を作る経験と能力があった。

意識を考えること。意識だけを考えると良い。ヘーゲルのように意識を考える。

大切なものを守り、本当に自由を信じること。

今、踊る物理学者たちを読んでいる。最初の1ページを読んだ。

あとは、経験を考えれば良い。純粋な意味での経験を考える。経験の依存性、関係性、純粋性、経験的な思想の発揮、経験的な想起、のように考える。

全く知らないが、西田幾多郎と言う日本の哲学者が、純粋経験と言っている。

もっと、何がいつ、どんな経験から、どんな風に知的、心的な現象がもたらされるか、考える。その経験は、誰とし、何をし、どのようにするかを考える。そういう風に考えれば分かる。経験を信じて、その経験によって確かにそれが分かるのを信じて分かる。また、他者との経験を考えて、その経験が誰と共有しているのか、必然的などんな現象を起こすのか、考える。昔は、そういう風に、時に悪魔的に、時に神のように経験を考えていた。

あとは、ハイデガーのように、時間と存在から、存在的な経験のあり様を考える。

経験は、存在であると言える。経験とは存在であり、存在とは経験である。

何かをして、その結果どうなるか、から、試して実験して分かった。反応で分かっていた。

組織を考えていた。組織の構築のような考え方を言う。

経験を、本当に考えていた。本当に、こういう風に経験を考えて、書いていた。

この世界は、移り変わる。それを良く分かっていた。

成長すれば、治る。

恐怖があるのは、成長しないからだ。

あとは、何か言いたかったのを忘れた。

何故治らないのか、どう治るのか、のようなことを言っていた。

あとは、理性的なことを、構造的に分かっていた。行動から環境まで、知性のある段階のようなものを、自由と言う言葉で書いていた。習得、活動、構築などを考えていた。