今日も賢いものを書くから、今日も書けば良い。
自分は、今自分が賢いのが分かっていない。
そういうわけで、今日も書けば良い。止めるのは、いつでも出来る。
社会的な発想を、色々と作っていた。
競争と国営企業の自由化、EUのような国際連合、自由ノルマ、実現力の帝国など。
社会主義のような発想が多かった。
文章は、思考を追って、「考え」のようなことを書いていた。理解と発想を書いていた。
自由から把握して、人生が自由になる。そういう、「全てを把握する自由」が多かった。
昔は、そういう風に、把握で分かっていた。
時間的な余裕と、知る手段があった。
そのおかげで、サルトルのように考える、哲学者のような自由な賢い人間になった。
自由で、社会のことを分かっていた。
自由から、社会のことを全て作っていた。社会を完全に全部の側面から考える。そういう、可能性と構造の社会の構造をいつも作っていた。
社会学者のような、自由な論理性のある、社会分析の達人だった。
社会の可能性を、あらゆる意味で、あらゆる側面から、考えていた。
昔は、資本主義の経営者と良く似たことをしていた。Linuxの会社の経営者のようだった。
あとは、社会のことを良く知っていた。それで分かっていたのが昔だ。
科学や技術のことを、プロ並みに良く知っていた。
そういう、大学生や研究者のような高校生だった。
そういうわけで、愛と情熱がある、社会主義者の自由な人間になった。
それは、悪いことではない。だが、社会主義は止めた方が良い。本当にこういう悪い人間になる。イスラム教徒も悪い。
今日は、歯医者に行ってきた。歯医者の先生と歯科衛生士の先生に、自分の本を手渡した。読んでくれると言っていた。そういうわけで、今日は色々と良かった。
もっと、経験すること。それできちんと分かる。一度経験すると、それで分かる人間が多い。経験とは言うが、世界にあるものは限られている。色んな体験をすれば良い。
ネットは要らない。ネットは本当に悪い。無くした方が良いとは言うが、そうでもない。ネットは、一応、あった方が良い。自分は昔から、ネットで分かっている。ただ、ネットには悪い人間しか居ない。ネットの自由を自由と言っている。自由は一番悪い。
人間のことを考えるなら、経験から考えれば良い。
経験と理性から、サルトルのように考える。
何を考えているか、何を考えて何をするか、何を感じているか、何が何から分かるか、環境の中で、どう関係して、どう生きているか、考えれば良い。
昔は、デカルトのような正しい理性もあった。そこから、経験と可能性を考えていた。
自分は、昔から、全て分かっている。
全部分かっているようなことを言う。不思議と、理性と経験で全て分かった。
「全てお見通し」のように、そういう風に分かっていた。
あとは、内臓が全て治った。もう、楽になった。
それこそ、マスターや可能性や未知のようなことを言う。
この宇宙のことが全て分かっていた。
意識によって植物や動物のようなことを分かる。感情で宇宙の超越した存在を知った。
いつも心理学のようなものを、ネットを見ながら自分で作る。そこから、「経験による知の創造」や、「行動のコントロール」のようなことを分かる。そういう哲学者だった。
そろそろ分からない。もう、分からなくなると思う。
男の方の名前は、ケンジと言う名前にする。ケンジとリサのカップルだ。
あとは、ネットを見ながら人間のことを考えていた。何をしていたのか良く覚えていないから、書けないが、サルトルやヒュームのように考えていた。ヘーゲルにも見える。
そういうわけで、皆も人間のことを本質的に考えれば良い。むしろ、ソクラテスに見える。サルトルも、そういう人間の人間像のことをソクラテスと言っているのだと思う。
あとは、もう何もしない。自分は、全部分かっているのに、全部嫌いになった。そういうものが、虫みたいにキモイ。こんなに分かるのはキモイ。何も出来ないせいで意味が無い。
昔の自分なんか、ただ、自分が出来て分かっていただけだ。自分が出来ることから、意味のあることと意味の無いことの違いを分かって、出来る、出来ない、の関係から分かっていた。人間のことは、その人間に自分が何を出来るか、から分かっていた。
もっと、分からなくて良いと分かる。人間とは言うが、経験と関係を分かっただけだ。自由な関係の中における、その人間との共に経験する内容で分かっていた。
全てお見通しだった。本当に、そういう、馬鹿な人間だった。
事前に考える、と思えば誰でも出来る。基礎を作って、科学的に個人と集団を考えただけだ。本当に、カントやサルトルのような人間だった。人間を、環境の前提から考えていた。
今日は、人間を分かる日になった。あとは、経験から考えれば分かる人間が多い。
自分は、ロキで分かるどころか、自分の詩集の本だけで分かるのが分かっていない。あれはあれで、何故か全部書かれている。認識の確かさも、科学を作って戦うのも、事前の基礎を作るのも、何故か、全部書かれている。自分は、分かったことを全部教えようと思って、あの本を書いた。社会科のことが書かれていないのは分かる。それは、この文章に全部詰め込んだ。皆、あの本で分かると思う。本はブラーギと言う北欧神話の名前を付けた。
あとは、昔は自分の実体験から、理性と知と哲学のことを分かっていた。
経験から考え方が分かる。何を発見し、何を分かり、何を確かめるかが分かる。
あれは、そういう、自分の経験から知が分かる人間だった。
そろそろ、もう無い。何故か、狂っているのが昔だ。あれはおかしい。
まるでフーコーのように、人間の頭脳と人生のことが全部分かっていた。
フーコーは「考え方を変える」と言うが、まさにそういう人間だった。
記憶と知の中で、人間の頭脳がどのような仕組みをしているか、深層意識などから、人間がいつ何を分かるのか分かっていた。
サルトルのように人間の関係を考えると言ったが、仮想的な経験のレイヤーを作って、それぞれのことを世界モデルにして分かっていた。
おそらくそういう人間だったが、自分でも分からない。ただ、一般的な方法で、環境と関係と経験などから、人間のことを考えていた。
もう終わりにする。むしろ、ニーチェに近かったようで、ブッダやキリストと似ていた。
いつも書いているように、価値観と影響力を基盤やシステムのように考えていた。
人格のようなことを拡大して、自由な全員を融和させるように、人間の経験を分かった。
原因と結果から、法則のようなことを知った。実験して分かっていた。
ネットの自然な体験から、仮定と結論や、条件と発想のようなことが、自然に分かった。
あとは、「何かを知る」のを力業で考えて分かった。皆、それぞれが、いつ何を知るのか、何を分かって何をするのか、何を感じるのかなどを、力業で分かっていた。
ネットから、数学的な体得のように分かった。
新しいことを知る中で、過去のことを思い出す。そこから、意識と想起によって、過去を思い出しながら、覚醒し、確信して分かっていた。そういう、覚醒で分かった人間だった。
あとは、人間のことは、同じ発想をして、実感して、互いに交流しながら、「実際に付き合うこと、出会うこと、話すこと」で分かっていた。
立場を吸収して、この世界の誰が何を考えていて、それはどんな理由からなのか、立場が違えばどうなるのか、それぞれはどういう風に生きられるのか、どんな可能性があるのか、などを、本当にサルトルのように考えていた。いつも、そういうことを書いていた。
もっと、経験を、具体的な実際の状況から考えれば良い。それを言いたいだけだ。実際の、インターネットと言う環境で、思考や行動がどのような発言や想いに繋がるのか。何を知って、何を言って、何が返るのか。そういうことを分かった、ネットのサルトルのような哲学者が、昔の自分だ。分かっても、ただの2ちゃんねるだが、あれは賢かった。そういう風にしていると、まるでヘーゲルやキルケゴールのように哲学のことが分かる。そういう発想が哲学者だ。現実での行動と、仮想的な思考を、実際の場面を見て考えて、それぞれの関係を知る。いつも、それを言いたかったのだと思う。
もう分かったから、分かる。あとは、資本主義の経験のようなことが、本当に多かった。スラムから経営者まで、労働を全部経験した。どんどんカルマが高くなる人間だった。
あとは、フロイトのように考える心理学が多かった。精神分析から、きちんと言葉にして、その言葉をきちんと本人が理解すれば、精神病は治る。
それこそ、フロイトやヘーゲルがそういうことを言っているが、そういう、心理学的な真理のようなことを良く分かっていた。きちんと言葉にすれば分かる。そういうことを分かる人間が一番多かった。環境や人格のことも、そういう風に、真理を発想して分かった。
いつも真理を分かっていた。カントのように分かるだけで、そういう風になる。
そういうものは、洞察力と経験と、理性的な「自分で作ること」で分かる。
明らかに、今日も賢いものを書いている。書いて正解だから、書いた方が良い。
あとは、心理学の真理だけではなく、歴史、社会、技術、物理法則などで、色んな真理を分かっていた。文章にも、そういう、真理のようなことを書いていた。
特に、学校が多い。自分の経験から、いじめやスクールカーストのような、中高生の悲惨を分かっていた。それで、アドラーのような心理学を作っていた。
そして、マルクスのように経済学のことを考えていた。
そういう文章は、一度書いて、学習したから言える。それも、もう、完成したように見える。自分は、見ていると、本当に賢くなった。世界一の大学の大学生に見える。
あとは、数学的なものも良く分かっていた。これで数学者だ。数学者のやり過ぎで、天使のような、全て分かった知性を持っていた。そういう、天使のような数学者が自分だ。
馬鹿になると、こうなる人間が多い。こういう風になると、すぐに死ぬ。本当に老人に多いのが、こういう宗教だ。宗教には、こういう、悪い老人が多い。本当に良い人間が多い。
そろそろ何も無い。もう、昔のことは忘れて良い。
何故か、馬鹿な考え方をいつも書いている。植物や動物は循環すると言う。細胞には意志や精神があって、脳によって統合されているが、脳が無い植物では、そういう風にならないと言う。そういう、ありえない科学のようなものをいつも作っていた。
もう、止めれば良い。あとは、知性のようなものを作って、最後まで分かっている、認知症に既になっているのに最後まで考える、天才科学者が多かった。
ただ、自分は馬鹿では無い。本当に、普通の人間並みに回復している。いつも馬鹿だったが、何もしなければ高くなるのが知性だ。そういうわけで、何もしない方が良い。馬鹿なのにやっていると、死ぬ。死にたくないから書いているのが、この文章だ。
そういう理由で続く。止めるわけがないどころか、本当にまだ続けた方が賢い。
止めても、何もしないだけだ。ピアノや英会話なんか、最初から出来ない。そういうものは、最初から賢い人間が出来る。自分には出来ない。そういう最初の知性が、まだついていない。子供には、こういう、何も出来ない代り、可愛い子供が多い。そういう、可愛い子供になっている。自分に子供が居ないせいで、自分が自分の子供になった。
それこそ、女を作るのはもう良い。女には、こういう、子供と一緒に子供になる女が多い。
今日はスーパー・チューズデーだが、サンダースに勝って欲しい。日本に今一番多いのが、サンダース旋風だ。アメリカを社会主義にすれば、終わりだ。地球が平等に良くなる。
あとは、善悪のようなきちんとした分別があった。無いようであった。
これで、大人の常識をつけると、賢くなる。それを普通、経験と言う。
それから、自分も自分で、最初から賢い。不思議と、最初の時点ですでに分かっているから書けるのが自分だ。これくらいの人生を最後まで生きてから書いている。
それこそ、この文章は、思いつくままに書いているだけだ。出来るようで出来ない。それは、しない方が良い。これなら誰でも、善悪のきちんと分かる、賢い人間になるだろう。自分と同じことなんか、しない方が良い。きちんと賢くなるのは、昔から賢いからだ。
賢くは無い。ただ、きちんと分かっている。明らかに、オープンソースも哲学も歴史も、何も賢くない。皆、詩集の本を出版したのを賢いと言う。文章は、書けば良いと言う。それは、誰にも悪くないのが良いから、良い人間になる。引き篭もりになったのも、大して誰にも悪くは無いが、母親に悪かった。そういうわけで、昔から母親だけに悪い。最近はそれも治った。いつも母親と父親と姉などが好きで、いつも良い人間を心からやっている。
自分は、自由だからこれで良い。不思議と、自由で全部やる馬鹿が、自分しか居ない。これは、その理由で出来ないから、誰も出来ない。自由になると、何もしない馬鹿しかいない。誰も2ちゃんねるなんか、していない。
そういうわけで、自分は誰にも出来ないことをやっている。むしろ、その方が賢く見える。同じことなんか、この文章で誰でも出来るが、させない方が良い。そんなことをするより、自分がやった方が良い。その方が本当に賢いから、そうした方が良い。
明らかに、「やれ」と言っても誰もしない。そこが意味が無いのが、この文章だ。
そういうわけで、これはただの馬鹿だ。クズをしているだけだから、こういう風になる。
馬鹿に、自分が一番何もしない自由になっている。辛いから何もしない。おかしい。
あとは、トランプが勝つとは言うが、皆がサンダースを応援するせいで、サンダースが勝つように見える。見ていると、皆サンダースの方が好きだ。
トランプが勝つと、アメリカが右翼になって、ほとんどの大国が全て右翼になる。フランス、イギリス、ドイツ、日本、全部右翼だ。
ただ、サンダースが勝つと、おかしく何も出来なくなって滅びる。ノルマでは仕方ない。それこそ、それを直しているプーチンが意味が無い。何故か、プーチンのせいで今、本当に良い国になっている。そういうわけで、サンダースが勝つと、米ソの社会主義圏が出来る。それは、そんなに良いものではない。サンダースは社会民主主義(あるいは、民主社会主義。違いは良く知らない)主義者だ。それは、日本の社民党や、北朝鮮や東ドイツと同じだ。そういう、馬鹿な思想だ。富の分配と言って、政治的革命と言うのは、おかしい。
それこそ、アメリカはトランプとサンダースのせいで、完全に没落した国になる。
プーチンで栄えている間ロシアは大国復活を目指しているが、プーチンが死ねば終わりだ。
あとは、ヨーロッパは難民とギリシャが悲惨だ。ユーロの信用が無くなる。
そういうわけで、何故か日本が勝つ。中国のバブルも終わって、日本だけの勝利になる。
日本が勝てば良い。イスラム国は、良く分からないが、すぐに負けるだろう。
あとは、「確かに分かること」を信じると分かる。昔は、そういう風に分かっていた。
それで、最後まで分かる。不思議と、分かるのを信じ続けると分かる人間が多い。
もう分かったから、そういう風になる。
あとは、2ちゃんねるで分かるわけがないから、止めた方が良い。
自分は、そういうもののせいで馬鹿になっている。止めると賢くなる。
頭の中で、色んなことをしているのを、止めた方が良い。
そういうものは、書いてもあまり意味が無い。自分だけ止めれば良い。
そういう風に皆を治すのも、止めた方が良い。自分だけ治れば良い。同じにするのは悪い。
何故か、頭の中でドイツ人の女をやっている。昔から、そういう風に、頭の中で色んな人間をしたり、行動をしたりする。それは、自分でも良く分からないし、覚えていない。
もう、止めた方が良い。頭の中でセックスをしているせいで、辛いように見えて楽だ。
昔から、人格みたいなものを変えて分かっている。環境から全て分かった。
それで分かっているから、ありえない。そういう、昔分かっていることを、もう忘れた方が良い。これで治るわけがない。人格の破たんで苦しんでいる頭が、どうでも良い。
あとは、自分がドイツ人ではなく、ドイツがこういう馬鹿になっている。
何故か、本来のドイツに戻っているのが、こういう、馬鹿になるドイツ人だ。
メルケルは賢くない。昔は賢かったのがメルケルだ。先進国で一番賢い首相に見えた。最近は、クズになっている。何故か、ドイツは全員こういう馬鹿になった。ロシアと同じだ。
何故か、精神分析をまだやっている。そういう昔のものを、一度忘れた方が良い。その方が本当に治る。それこそ、人格の破たんで苦しんでいたのを、全く覚えていないが、楽だ。
最近(とはいってももう昔だが)は、人格の破たんが起きている。言葉にすると、それで正しい。人格が破たんして、そのまま神になった。神のせいで、忘れている。
人格の破たんを、そのままきちんと作り直しただけだ。神はそれだけをいつまでもしている。何故か、そういう発想が神だ。神が治せば治る。
昔の人格が悪かった。ネットのせいで、人格が崩壊した。あれはそういう馬鹿だ。そのせいで、意識が無くなって、知性も無くなって、何も分からなくなった。
何故か、これで治った。書いているせいで治った。死んでから、まだいつまでも書いているから、それで賢くなった。
人格の破たんを治せば治る。不思議と、すぐに治る。人格と言うか、行動規範のようなものを、きちんと作れば良い。それがそのまま人格になる。
ただ、座って、学習せず、何もしなければ良い。そうすると、きちんと良い人格になる。そんなにいつまでもしているせいで、しているだけの人格になった。
そういうわけで、これで人格心理学だ。誰もが、そこが出来ないせいで、意味が無い。
昔は、皆の世界から外れて分かっている。その理由で、馬鹿なことを全部積み重ねて分かっていた。何故か、馬鹿なことしか分かっていないようで、そこが賢かった。数学的な知性と発想から、色んなことが分かった。発言には著作権が無い、とか言うことだ。
あとは、そういうわけで、昔は賢くない。何故か、その前の中学生が賢かった。
最近は、その中学生で止まっている。何故か、止まるしかないから止まっている。
そこから、動き出して、きちんと続きを生きれば良い。そうすると、良くなる。きちんと成長して、賢くなる。最近は、止まっているせいで、本当にそこまで止まっている。
良く分からない。最初から、そういう風に止まりたかった。中学生に戻って、そこで終わりにしたかった。そういう発想が昔の人格破たんだ。
人格の崩壊から学んだことは、辛いことは、本当に辛い。そういうわけで、自由は悪い。
昔は、考えているようで、考えていない。目的や理想が分かるせいで、考えなくても分かる。科学的方法も、何も考えずに使っている。ビジョンも適当にあった。
昔は悪いから、もう止めた方が良い。あれは、最初から真面目に生きるつもりが無かった。そういう人間が居ないから、悪い。
もっと、家族のように、真面目に生きた方が良い。ああいう人間は、悪い。
あれも、馬鹿では無い。賢い人間だったようで、これの通りのおかしな人間だった。
もっと賢くなりたいなら、不思議と、昔になりたいのを止めると、賢くなる。
むしろ、昔はあれで良かった。あれで、世界に対する理想やビジョンもきちんとあったし、きちんとこの世界を良く出来る経験もあった。そういう賢い人間が昔だ。
昔は止めた方が良い。そろそろ、皆も昔を止めた方が良いだろう。この人間になった、馬鹿な人間が多い。これを考えていると、自分を「これ」と言って馬鹿にするようになる。
あとは、皆が治る。ドイツが終わって、またどこか違う国になる。フランスの後にドイツになったから、イタリアやイギリスになるかもしれない。スペインになるかもしれない。
もう終わりだ。神が去って行く。自分はもう終わった。既に分かっているから、もう楽だ。
今、ヤフーニュースでスーパー・チューズデーの報道を見た。トランプとクリントンが勝っている。自分はヤフーニュースを見ないのがおかしい。それで分かるわけがない。
あとは、自分でも文字が読めるのは、本当に日本に感謝すべきだ。これが黒人やイスラムだと、文字なんか読めるわけがない。それも、女だと、まともな教育も受けられない。すぐに死ぬ人間しか居ない。最近、僕はまた日本が好きになった。日本は良い国だ。
日本では今日が火曜日だが、時差があるからか、ヤフーニュースではスーパー・チューズデーはあまり取り上げていない。まだ大勢が見えていないのだと思う。
あとは、知性をつければ治る。知性だ、知性だ、と思えば良い。精神は、知性をつければ治る。最近は、知性をつけているだけだ。考えて判断して、知性をつけるのが辛い。知性は、瞑想して、悟ればつく。昔は、そういう、「知性」と言う発想が多かった。
何故か、本当に手の精神が治った。さっき、内臓も治った。いよいよ、足を治す。
知性は、同時に経験であり、知り尽くし、考え方を知ることだ。それを言いたかった。
あとは、資本主義を理解して、ネットで社会を知る。今日は、それを書きたかった。
あとは、ものを意識と感情で分かっていた。ネットの人間活動から分かった。
知性が無くなっているだけだから、知性をつければ治る。そういう、自分を考えれば良い。
そういうわけで、自分の場合を考えれば良い。
自分の場合、そんなに知性があるのがおかしい。不思議と、書く知性が多いせいで、書くだけで分かるようになった。そういう、「書く」と言う発想がおかしい。
あとは、引き篭もりで、学校に行かないのがおかしい。
それから、あまりに昔のことを忘れている。それも、最近のことを忘れているから、思い出した方が良い。それが一番知性がつく。
それこそ、青春時代はもう良い。今の自分を生きた方が良い。
立ち歩いているのは、おかしいからだ。不思議と、自分を2人に分けるのがおかしい。
時計を治すと、時が止まってしまう。そういう風に、時計は正常な時計になっている。
それは、なっていると思えばなる。信じないから馬鹿になる。なっていないのを信じれば良い。何もかも、不都合なことや不安なことを信じるのが悪い。楽観的なことや好都合なことを信じれば良い。そういう、信じるものは、神が見て、救われる。
不思議と、自分のことをそこまで分かっていると、分かるものが多い。それは、信じる人間になる。きちんとカントのような、賢い人間になる。だが、それは悪い。昔の自分だから、何かが悪い。そういう発想が、自分の人生だ。
昔は、人格や記憶を考えて、自由、因果性、法則、のようなことを分かっていた。
何をどう考えてどうなるか、良く分かっていた。
そこから、人生のことを狂って分かっていた。あれは、そういうところがおかしい。
人格がそのまま神になっているから、消した方が良い。
昔は、独立と影響力を考えて、自由な共感と一体感から分かっていた。
そういう発想が多かった。そういう発想を、何かすれば良い。ネットではつまらない。
もっと、皆と関わった方が良い。そろそろ終わった。
精神が良くなる。精神は、こういう風に、知性をつけながら戦っていると、治る。
宣言すると変わるが、宣言はしない方が良い。取り消せないから辛い。
治ると分かる人間が多い。人間は、治さないと、何も分からない。
最近も、おかしなロボットの人格を、そのまま治している。最初にした発想が悪い。機械のような知性では、知性になっていない。もっと自然から感じたり、瞑想したり、そういう、人間的なことをした方が良い。昔は、そういうことを神のメッセージだと思っていた。
あとは、数学的に知性を作って、意味を見出して分かっていた。
昔から、意味を見出して、見なして分かる。客観的な事実と実験から、それをそれであると、見なして分かっていた。本質を見抜いて、たまにキリストのようにたとえ話から分かったり、神の愛や仏の慈悲から生命の偉大さを分かったり、レーニンのように「日本で今何をするべきか」のようなことが分かる。そういう、「意味を見出す」とか「見なす」とかいうことを、「客観的事実と主観的想起」の中で考える人間だった。
昔は、洞察力があった。客観的な事実から、洞察し、説明し、たとえる知性があった。数学的な知性と方法から、世界観を作って分かっていた。宇宙現象を客観視する力があった。
昔は、客観的事実と実験から、実証のように、心や現象のことが分かっていた。
経験的に、何が何であると見なせるかを分かっていた。
そういう、物理学者のような人間だった。
それこそ、仮説を立ててモデルにするのが得意だった。
いつも、そういう、科学的方法のような文章を書いていた。それくらいが多かった。
あとは、全員全部分かっている。自分が一番全員のことが分かっている。
自分は、共産主義の王にふさわしい。それこそ、何も生産していない。こういう、無産階級の王を理想だと言っている。自分が一番人民のことが分かる。
だが、共産主義は、キモイ。富を分配して、人類全員を兄弟と言うが、その富がどこから来るのか良く分からない。金持ちから奪うように見える。それは、泥棒の平等だ。
それこそ、右翼は「財源がどこにあるのか」と良く口にする。それは、左翼がそれだけが分かっていないからだ。右翼も馬鹿だ。右翼は、充分な努力をせず、すぐに庶民から増税して、大企業に良い国にする。それでは、政府は何もしていないだけだ。
もっと科学的に考えること。皆も科学的に考えて欲しい。因果性が、本当はどういうものなのか、真実の視点で、実際の姿を見ながら、本当のところを考える。そのために、作用と反応から、体験することが出来る。理性的な状態と状況を考えられる。
人間が、いつどのようにすべきか、問題にどう対処すべきか、のようなことをいつも考えていた。事前に考えて、何でも出来るように、判断基準を作った。
いつも、そういうことを言っている。それを自由と言って、人生の段階にしていた。
あとは、マスターのように感情が分かっていた。何故か、全部分かっていたのが昔だ。
本当に、何でも全部分かっている。全部、必然的な答えに落ち着いて、何でも方法と具体的な変化のパターンを分かっていた。何をすれば、どう出来るのか、分かっていた。
そういう風に、「どう出来るか」から全てのことを分かる。
もっと賢い方が良い。不思議と、パソコンは賢いから、パソコンをやると出来る。
ヤフーを見るとは言ったが、怖いから見たくない。ネットは怖い。やっていると、こういう人間になる。自由な右翼の左翼になって、タリバンのような馬鹿になる。それが今のネットだ。ネットなんか、怖いだけで、見ない方が良い。
もっと、人生の理想のようなことを言えば良い。昔は、そういうことを言う。マイナーな分野をやるべきだと言っていた。メジャーな分野は、あとからやるべきだ。そういう、何も分かっていないようで、経験的に分かっている人生の真理や理想を言っていた。
世界観とは言うが、変化を洞察しただけだ。世界が変わるのは、それこそ、地球が変わるのと同じだ。地球は、いつまでも、ほとんど変わらない。世界も、変わったようで、変わっていない。そういう風に(と言っても、これでは優れた例にはなっていないが)、説明をして、意味を考えて、「見なして考える」ような、そういう文章が多かった。昔から、僕は見なすのが得意だ。実験して意味を考えていたのは、ただ、今の自分の未来と知の可能性を考えて、新しい世界を知って、必然的に考えていただけだ。自分の人生は必然的だ。
「見なす」とは言うが、社会を自然に見なすとか、人間を敵と見なすか味方を見なすかとか、人間の法則を世界モデルで考えるとか、社会を説明と自由からモデルにするとか、そういう発想が多かった。そういうものを、普通、「意味」と言う。
意味は、言語的な知性と何も変わらないし、数学的に考えても良いだろう。
あとは、むしろ、右翼の方が良い。平等にすると、奴隷みたいになって、全員貧しくなる。それが一番悪い。池上彰も悪平等だと言っていた。平等はほとんど悪に等しい。
あとは、この人生は必然的だ。必然的にこういう人生になる。いつもそれを分かっていた。
何もおかしくは無い。ネットを見ていると、こういう風になる。文章を書いていると、本当に最近になる。こちらになって狂っている馬鹿が、作家に多い。それでしか治らない。
作家は、そういう、誰でも出来るようで、誰ひとり出来ない職業だ。
あとは、昔から何にでもなれる構造のようなものを作っている。世界観のメタモデルのような構造をいつも作っていた。何にでもなれるせいで、キモく見える。そういう風に、知性のあるものは、キモイ。変化がキモイから、そういう風になる。
あとは、むしろ、終わりだ。真面目に何か分かれば分かる。最近、何も真面目に分かっていない。昔は、生産的な人間だった。真面目に考えて、建設的に社会の道理を作っていた。
もう分からない。そうでもない。ただ、知性をつければ良い。それも、判断では無く、他の知性を作る。何だって知性だ。そういう、「何だって知性」と言う発想が、普通多い。
良く考えると、何でも知性になる。それが人間だ。知性とは言うが、愛とも言える。
愛すると、知性がつく。昔は、そういう風に、意識と引き篭もり的経験で、マスターのように分かっていた。経験は、可能性の発揮である。そういうことを書いていた。
あとは、同じ本質を考えたり、実現手段を考えたり、議論で勝つ方法を考えたり、新しい機械と技術の発想を考えたりする。何でも、同じように動くように作ってしまえば、それで製品になる。そういう、パクリ国家の日本のように、手段から本質を考えていた。
それこそ、目的が同じで、同じように動くなら、手段と目的からそれを頭の中で作れる。そういう発想をしていた。オープンソースのように、そういうことを考えていた。
もっと、オープンソースのようにこの世界を労働可能に出来ないか、と考えていたが、それは明らかに古い。グーグルのように、もう世界は変わっている。
そろそろ止める。今日は、きちんと良い日だった。
あとは、定義と公理主義のような、数学的、スピノザ的な文章を、自由から書いていた。
スピノザで無いのは、神ではなく、自由だった。
学校の勉強なんか、出来なくて良い。社会的な成功も、したいとは思わない。ただ、この文章をいつまでも書いていたい。今日は楽だから、もう全部治ったはずだ。
明日も書けば良い。何故か、明日も書かないのが一番悪い。
昔は、愛の真理が多かった。恐怖を克服して、正しく諦めて、執着を無くして、「そのままで肯定し、そのままで否定する」ことが多かった。そういう、ブッダのような考え方は、不思議と、賢く見えて、キモイ。本当に、そういう風にすると分かるが、何かがおかしい。
経験から意味や価値を見出すと良く分かる。「経験的な意味の発見と反省」から、きちんと神のように分かる。そういう人間が大人だ。
あとは、自分の人生で知ったことしか、自分には存在しない。何かで分かるとは言うが、人生にあったものしか、自分の今には無い。そして、そういうものが多いと賢くなる。
今、ニュースでスーパー・チューズデーをやっている。何故か、あまり見られていない。最近、テレビをあまり見なくなった。夜のニュースだけを唯一見ている。
スーパー・チューズデーは、執筆と時間が重なったせいで、あまり見られなかった。
昔は、説明して、見なすだけの馬鹿だ。あれは賢くない。本当に、2ちゃんねるみたいに悪い。応用とは言う。オープンソースが賢かった。ただ、何も賢くない。
独立とは、右翼のことを言っているように見えて、そこは真面目に考えていた。
もう止めた方が良い。あとは、おかしな人生のことを書いていた。そこが、最近、分かったまま謎になっている。昔がどんな人生だったのか、自分で分かっていない。本当に偉大な人生だったのを覚えている。それこそ、キモイ人生と思うせいで、馬鹿になった。
昔は、偉大な人生だと思えば良い。もっと偉大な点が沢山あった。環境とそれを変えるための手段を考えて、社会的に取り得る可能性を考えて、何でも変えられるようにしていた。それ以上、可能性を想定して、何でも自分の力で実現出来た。そして、精神分析で悟りながら、人間の方も変えられる。導き手になれる。まるで天使のような人間だった。
あとは、もう何も無い。物語でも作れば良いが、それは賢くない。
あとは、ネットのような場で、皆がそれを何だと言っているか、から分かっていた。
猫がキモイなら、猫はキモく見える。そういう風に、意識と感情を超えて分かっていた。
そういうところがおかしいのがあれだ。神のように、精神を超越して分かっている。
本当に自分の経験だけで、ブッダのように悟った。あれは、独創的な発想はあったが、全て必然的に、なるべくしてなって分かる人間だった。
あとは、人間が何になるのか、全部分かっていた。どんなきっかけで考え、なって行き、それを何から知り、作り出すことを学び、経験し、世界を変えるようになる。
そういう、「人間の段階的で具体的な悟りの経緯」から、「なる」ことを分かっていた。
人間が具体的に、人生の中で何になっていくのか。そこが分かる、ブッダのような人間だった。あれは、本当にこの世界の仏と同じように分かる人間だった。
それから、悲しさや辛さを分かち合うことで、本当にこの世界と、社会や人生のことが良く分かった。パソコンの技術によって、ありえない世界が分かった。
最近、こういう人間が多い。日本人も、ドイツ人と変わらない。本来の日本に戻っている。
もう分からない。もっと、詩のような文章を書きたい。
愛とは、人間を無から生み出す光であり、信頼と勇気と絆の源泉である。
自由とは、それをそのままの知性で捉えて、そのままに変えられることである。
理性とは、抽象的に、何かと何かの関係を考えることである。構造やモデルとも言える。
詩では無いが、そういう風に文章をいつも書いていた。人間のことが分かっていた。
自分は、仏教の四諦のように考えないのがおかしい。詳しく覚えていないが、苦しみの状態やそれを解決する方法を考える。昔から、人間の「状態」を考えて、それを変える「方法」を考える。昔から、そういうものを、状態、方法、法則、原因、などと言っていた。
仏教が一番正しい。そういう風に考えると、キルケゴールのように、意識から人生の未知のことが分かるようになる。ヘーゲルのように、合一と融和が分かる。
ただ、それら哲学者は、そんなことは言っていない。自分で作っただけだ。キルケゴールは、絶望と言いたかっただけだし、ヘーゲルは弁証法と絶対知を言っているだけだ。
キルケゴールのように、絶望から考えると良く分かる。絶望していると、人生が良い方向へと変わる。絶望は、しない人間が多いが、辛いなら、絶望した方が良い。
自分は絶望的に、この文章の呪縛と地獄から、抜け出すことが出来ない。ただ、最後まで諦めなければ、抜け出せなくても、この文章が書ける。
あまり意味が無い。あとは、セックスのような愛と、ネットにおける絆が多かった。明らかに、ポルノグラフィティはそういう馬鹿だ。キモイとは言うが、キモくは無い。セックスなんか、誰でもしたい。あまりおかしくない。自分を蔑まなくて良い。
もっと、いじめの無い世界にしたいなら、愛が悪い。愛が悪いから、女が悪い。
いじめの原因は、悪い女だから、何をしても解決出来ない。女の言うことを良いと思うのが悪い。日本の中高生のいじめの現状は、絶望的だ。本当に悲惨に見える。
あとは、詩のような文章でも書けば良い。
来るや、来るや、遠い日に思えた、楽園の鐘の音が来るや。
書けない。あまり、そんなことを書く意味が無い。
あとは、失敗を恐れないこと。失敗を恐れても、何も良いことは無い。失うとは言うが、神を信じる以上のことは出来ない。失ったとしても、それで得るものもあると思えば良い。
ケンジとリサの会話でも書けば良い。
ケンジは、「人の言うことを聞いているより、自分の自由な人生を生きたい」と言った。
リサは、「それは勝手だけど、迷惑のかからないようにして」と言った。
ケンジは、「それなら、僕は、一人世界のことを知り尽くして、英雄になる」と言った。
会話はつまらない。書かなくて良い。ただ、この会話で分かるように、自分はそういう自由な人間だった。迷惑のかからないように、世界のことを自由に知った、英雄だった。
自由な人生の中から、この世界を変えられるのを知った。
愛と不安から、正しい人間の本来の生活スタイルを知った。
行動をコントロールしながら、正しい理性と知性の使い方を知った。
何でも実現出来るようになった。人間から環境まで、全てを変えられる人間だった。
自分は、そういう、「昔の自分を賢いと思う呪縛と思い込み」を捨てた方が良い。
あれは、賢くない。心理的に人間を支配して、見なしているだけの、クズだ。
学習と原始人の心理学のように、人間を実験体にして分かる。社会のことは、心理で支配する。まさに右翼だ。昔は、忘れた方が良い。
自分は、本当に自由な人生を生きた。他人に言われてするのではなく、自分から行動して、自分で考えた。自分が実現するために、手段と機会を考えていた。
それこそ、昔はもう良い。催眠療法のようにして、昔の自分と同化するのは、止めた方が良い。おかしい。昔の自分は賢くない。昔から、全く賢くなかったのが、自分で分かる。
そろそろ終わりにする。良く分からないが、偉い人間と戦うだとか、キモイ左翼みたいな人間が多かったが、それは明らかに悪い。自分は、馬鹿過ぎる。
自分は、悪い。皆をそこまで弱い人間にして、害悪的な感情にする。それは、害虫みたいにキモイ。そんなに馬鹿だから、ロシアと戦っている。馬鹿な人間だった。
昔は、宗教的な因果性を作っていた。おかしく狂っている。だが、あれはおかしくない。その前の、ヒュームのように考える哲学者の方が悲惨だ。分かっているようで分かっていないのが哲学者だ。こういう風にすると、宗教家の方がまともな人間になる。政治家は、馬鹿に見えて、賢い人間になる。
もっと賢くなりたい。むしろ、日本人をしばらくして、その後で黒人になれば良い。
もう何もしないとは言うが、むしろ、しなくて良い。しなければまともな人格になるし、知性もその方がつく。そういうわけで、何もしない方が良い。
テレビを見ていると、クリントンの主張がサンダースの主張を取り入れて、似通ったものになってきていると言う。大学生を支援するとか、そこらへんが同じになっている。
それなら、アメリカは平等になるかもしれない。
クリントンがサンダースと同じになると、そういうところが良い。
むしろ、アメリカも、統一するより、それぞれ勝手にやれば良いように見える。自由な共同体にするか、州を独立国にするかして、それぞれが勝手に、こちらはトランプ、こちらはサンダース、こちらはクリントン、のように、共同体の政治をすれば良い。
民主主義はつまらない。そういう発想を共産主義とは言うが、共同体は民主的だ。
昔は、キモイ中高生だと思えば良い。そのせいで、賢かった。論理的に全て分かった。
最近は、賢い大学生になっている。
何か言いたかったことがあったが、忘れた。最近、忘れることが多い。そう言う時も、きちんと考えれば分かる。最近はそれしかしていないが、忘れることは忘れた方が良い。
大人は賢くない。大人の方が馬鹿なのが、分かる人間が多い。皆、大人は誰もが子供が好きだ。子供には、賢い人間が多い。子供の方が子供が嫌い、しかいない。大人は馬鹿だ。
あとは、言語的、記憶的、分析的に分かっていた。
自分は、色々と分かっていない。ウィトゲンシュタインは、言語分析をするのが普通だ。
テレビや英会話教室が怖いのは、人格が変わって、治るのが怖い。
未知のことを知るのが怖くなっている。人格に無いから怖いだけだ。
もう、怖くない。テレビはもう怖くなくなる。本当に人格がおかしくなると、テレビが怖くなる。そういう人間が、こういう病気に多い。
あとは、明日はピアノがある。作曲が楽しいから楽しみだ。
自分は、そんなに自分を肯定して、信じるのが悪い。自分を否定して、疑えば楽になる。
昔は、認知行動療法のように、自分を治して、執着を無くして仏教のように分かっていた。
精神のレベルと変化の可能性を分かっていた。
全員の人格を、自分のように、融和して分かっていた。
人格の分裂は、知性がつくと、治る。
そろそろ自分も治る。あとは、黙って、何もせず、人格を治して、知性をつければ良い。
昔は、手助けをして、影響力を行使して、自分のカルマを高めていた。
環境を変えて分かっていた。基盤を変えていた。デカルトのように編集していた。
ただ、あれは悪いだけだ。皆、分からなくなった。そこを何とかした方が良い。