日記に戻る | 2015年3月の日記に戻る

=2015-03-20=

日本史と経済学をしたい。それで、きちんと社会のことが分かって、全て分かる。

日本は、長い鎖国から、文明開化して、ファシズムが戦って、民主主義の改善主義になって、技術力とパクリで経済成長した。

日本は賢い国だ。色々と、昔の自分のように賢い。

ドイツは止めた方が良い。全てが違うし、最近の自分のように馬鹿になる。それに、もう出来た。自分のドイツを創っただけだ。

自分は、いつも、すぐにしたいのが間違っている。時間をおいて、ゆっくりすれば良い。

日本には賢い仏教という宗教があるし、平和で豊かだ。経済は強いし、悪い人間が居ない。色々と、普通の良い物や面白い物が多い。

偉人などの賢い人間は少ない。だが、国民の知的レベルは高いと思う。

白人は、芸術や科学などの文化レベルが高い。

フランスというよりは、世界の文学をすれば良い。世界史や各国史は、その後にすれば良い。

哲学は、もう終わりだ。哲学は止めた方が良い。最近、哲学のせいで、きちんと昔分かっていたことが分からなくなった。ありえなくはない。もう過去は忘れて良い。

未来を見た方が良い。失ったものは多くても、それで得たものが多い。

自分は、日本史、経済学、文学をする。哲学はもうしない。

ヨーロッパをそんなにしたいのは、あまりおかしくない。世界史を動かしてきたのは、ヨーロッパだ。ただ、それは、ドイツやフランスにしない方が良い。あとで、もっと好きな国をすれば良い。

昔は、社会のことを知って、良く考えて、経験して分かっただけだ。

時と場合のことを良く考えていた。

昔は分からなくて良い。そのせいで、何もしなくなった。過去は忘れた方が良い。

ドイツのせいで、辛い機械になった。哲学のせいで、普通のことが分からなくなった。

あまりに悪いから、ドイツや哲学はしない方が良い。今の自分が見て、意味が無い。

白人は悪い。白人を止めると、楽になる。白人はつまらないだけだ。

良く考えると、学校のクラスメイトが悪い。

学校に行かなくなって、引きこもりになって、喪失した体験が悲しい。

喪失して分かるのが辛いだけだ。

そろそろ治った。死んで、楽になった。

社会悪を考えると良く分かる。

悪を否定するものが善だ。つまり、善と言うものは無い。

アウグスティヌスという中世の哲学者が、悪の起源について考えていた。

昔は、良く考えた。全て考えた。

最近は、神とともに、全てを失い、作る体験をした。戦っていた。

最近が昔をしているように見えるが、昔が最近をしているだけだ。

昔は、分からないことを分かっていたが、最近は、分かることを分かっている。どちらも大切だ。

基礎も、応用も、どちらもあるべきだ。

最近、歴史と哲学をやっている。悪くない。きちんと知識もあった方が良い。自分は、神のように全てだ。

経済は、自分で作ったから、しなくて良い。オープンソースは、賢く分かる人間になった。ドイツ史はしない。戦争に見えるし、自分のドイツを作った。

そろそろ、何も出来ない。死ぬように見えて、治る。心が楽になる。

人間が人間になる過程、人間的に生きる条件、などを分かっていた。サルトルやマルクスのようだが、自分独自の哲学だった。世界観をハイデガーのように分かる。

そういう、哲学者を排除して、純粋に考えれば分かる。

カントなんか要らない。純粋理性できちんと分かる。

生きることの大切さや、尊厳と人格の平等が分かっていた。

現実から法則を見出し、全てを実現する。そのように、体験から分かっていた。

実体験から正しさや事実を分析して、カントのように分かっていた。カントは知らなかった。真面目に考えれば、誰でもそうなる。色んなことをして分かっていた。

カントは、最近きちんと知った。経験的な認識が、空間や時間などの前提条件を持っていることや、矛盾する2つの命題の証明などが多い。

最近、ヘーゲルはさらっと読んだ。歴史を相対的に考えることで、自己が絶対理性へと目覚めるプロセスである、とした。

カントやヘーゲルは、分かると、考える方法やプロセスが良く分かる。

デカルトは、理性とはいうが、色々と理性的でないのと、我思う、故に我ありとした。スピノザは、世界自体を神として、全てを神の属性や様態ということにした。

あとは、ルネサンスの科学者は、実験や観察などの経験的方法を重視する。バロックは、片方では天を、片方では現実の苦しみを、というように、いびつな世界観をする。啓蒙主義は、理性が世界を変え、導くとする。ロマン主義は、実現不可能な夢を追い求める。そのように、ヨーロッパの時代を分かった。

そういうことは、ソフィーの世界に、全て書いてある。

自分は、エピクロス派が好きだ。神は恐れなくて良い、死は、死んだときはすでにもう居ない、善はたやすく得られる、恐怖はたやすく耐えられえる、とした。この四種の薬によって、怖いものは無くなる。

僕は、経験論だけ、同じように良く分かる。知覚から経験が生まれる、観念と印象は単純観念と複合観念がある、など。本当に頭の中を全部掃除すると、ロックやヒュームのようになる。ソフィーには書いていなかったが、僕はベーコンのイドラ論が好きだ。

そろそろ、哲学はもう良い。普通のことが分からなくなる。忘れた方が良い。

僕は、個人的に、トマス・アクィナスが好きだ。理性でも、信仰でも、ある程度聖書は分かる。だが、最後まで進むためには、理性では限界がある。信仰も必要だ。

僕は、これを、自分の人生と同じだと思っている。アリストテレスだけでは、昔までしか進めない。キリストを信じることで、きちんと最後まで分かる。

聖書の教えは、イエスによる経験論とも言える。そのように、理性と信仰は、矛盾せず、助け合うものだ。

あとは、数学的に意味を考え、予測すると分かる。

デカルトは、考え方がおかしいから馬鹿に見えるだけで、本当は賢い人間だ。

学校に行った方が良い。普通、数学と日本史で分かる。数学的な考え方と知性で分かる人間が多い。

コンピュータは、応用的なことが分かる。あとは、物理できちんと分かる。

ものは、特性、法則、方法、関係、実現、手段、応用、理由、分析、実体、現象、変化、説明、可能性、実証だ。

決まりは、人間の手で変えられる。

正しいことは、いつでも、どこでも正しい。

あとは、同じと違うで分かる。裏に構造がある。関係も多い。