日記に戻る | 2015年3月の日記に戻る

=2015-03-01=

書きたくないとは言ったが、まだ書きたくなる。

カントのように、認識と人格を考えていた。

独立して、世界を見て分かっていた。

あとは、経緯を考えて分かった。思考で分かっていた。

自殺が悪い。殺して治すのは悪い。そろそろ、もう終わった。脳が死んだ。

記憶を考えていた。ハイデガーのように分かった。

この世界を全部言う。習得、経験、構築、適応、変化、共存だと言っていた。

人間は、実存である。

芸術は心であり、視点であり、可能性であり、美しさである。

自分の置かれた状況を理解し、皆の状況を知ることから、哲学は始まる。

フランス人に、こういう人間が多い。フランスと実存主義哲学をやれば良い。

創造性が好きだった。体験しながら、知恵と工夫を吸収して、因果性を分かっていた。

あとは、ただの全てを言う。

世界は、社会構造と基盤、人生と愛と想像力と努力だ。

人生は、会話、手段、娯楽、分析、理性だ。

そのようなことを言う。そろそろ、もう地上に蓄えるのは止める。天に蓄えれば、日本語が分かる。それで大学をすれば良い。

自由とは、コミュニケーションと革新性だ。そういうことを言っていた。

あとは、考え方、組織、協力、可能性と言って、仮想人格を作っていた。

疲れると楽になる。疲れがたまっているだけだ。

自由と言う言葉で、自由な部分を考えていた。

製造過程や方法、特性、原動力、手段と応用、施設、科学や教育などを考えていた。

世界のことが全て分かっていた。

分からない方が分かる。おかしなトリックを消した方が良い。

ああも出来る、こうも出来るから、決定を積み重ねて、全て決めて分かった。

可能性を全部考えていた。応用や発明、制度や手段などを考えていた。