日記に戻る | 2015年3月の日記に戻る

=2015-03-02=

すぐには滅びない。

皆を治すのを止める。皆の勝手にする。

主観的かつ客観的に、分からせるのが悪いから、もう分からなくて良い。

認識の主観と客観を比較すれば分かる。

視点を考えれば良い。何から見てそうであるが、他の何かから見てそうである。

皆がどうなるか分かっていた。

ものは、目的や意思は無く、ただあるだけだ。

草は、自分が草であることを、知らない。

皆、それぞれ経験している。毎日、生きている。

皆を否定すれば分かる。

欲や執着は、無い方が良い。

葛藤や苦しみは、対象が何か定まっておらず、解決方法が分からないことから生まれる。

きちんと分かると、葛藤や苦しみは、全て消え去る。

馬鹿になると、精神が良くなる。あるいは、賢くなると精神が良くなる、とも言える。

ベーコンなどの言う4つのイドラ、思い込みと仮象の世界が分かると良く分かる。

何故そうなのか、理由の分類を、良く考えれば分かる。そういう発想が哲学に多い。

あとは、良く考えながらネットを見れば分かる。社会を少年が経験して分かっていた。

あとは、思考と説明、疑うことと同時に信じることで分かる。

ハイデガーが、ゾルゲと言っている。存在は、関心である。おかしな存在論だが、悪魔のように考えると、普通そういう風に分かる。

ネットで実験して、いつどうなるかから、本当に同じものは同じ、論理的に正しいものは正しい、法則はいつも同じ、で分かっていた。

思い込みを考えて、感情を信じて分かっていた。

あとは、推論が多かった。そういう風に、人間の精神を融和して分かっていた。

仮説を立てて、実証すれば分かる。信じすぎるのは悪い。

希望を持ったからと言って、治るわけではない。疑うことも、知性だ。

デカルトが言っているように、分からないものは排除して、疑って、推論して、検査して、部分に分けて、全部確かめれば分かる。そういう風にした方が良い。

信じてはならないものは、信じない方が良い。そうしなければ、何も分からない。

物理的な発見と実証の考え方を、いつも書いていた。その頃より、馬鹿になっている。おかしなカルトは、信じない方が良い。昔の方が賢かった。

あとは、社会の発展や、地球の歴史を書いていた。

もう、神を信じるのは止める。ここまでの馬鹿だ。もっと、普通の仏教を信じたい。

いつも、希望を信じて分かっている。そういう人間が僕だ。

社会に希望を復活させたかった。そういう発想も、もう止める。もう、何もしない。

頑張って戦った。全力で頑張って、世界を導いて、頭を使って考えていた。

皆は、もう、僕以外のものになれば良い。自由を止めた方が良い。

あとは、裏の構造から実際のところを考えていた。法則が全て分かった。

あとは、構造主義のように、構造的に社会の関係を考えていた。

想像力で、人間やもの、社会や歴史、出来事や数学的論理などの関係を考えていた。

自由な人間の関係を考えて、協力や組織の作り方などを分かっていた。

環境を知って、社会が実現出来る能力と可能性を知った。

森羅万象の変化を考えていた。国語、算数、理科、社会だ。

あとは、人生を書いていた。自分の人生にあったことを、全部書いていた。

変化を書いていた。自由から、正しさ、多様性、愛、統一、平和、民主主義、自由、平等が生まれる。それは、社会のプロセスになる。

それくらいだ。あとは、記憶と人格を良く考えていた。

もの、心、社会、人間を予測し、把握し、分析し、当てること。

そういう、予測についての考察を書いていた。それくらいの文章だった。

可能性と変化を考えていた。

体験と感情を予測し、皆との関わり合いと、人生と意識と経験から宇宙を知ること。

神は、求めれば与えてくれる。願いを宣言すれば良い。その通り、叶うからだ。

あとは、環境とプロセスを考えていた。宇宙の意識が想像力で分かっていた。

環境は変化する。意識は自在に現れる。

ヘーゲルは、キリストを信じれば出来る。

狭い門から入って、天に蓄えれば、誰でも出来る。

僕は、経済学を知らないが、最近だけではなく、昔から、社会のことには明るい。

ネットで社会を知って、オープンソースを知って、社会や日本のことを分かった。

日本のことは分かると思う。イノベーションが何なのか、ぐらいは分かる。

ただ、経済学はまるで何も知らない。あまり、自分に社会科を期待しない方が良い。何も分からないからだ。

イドラが言うように、日本を普通と思うと分からない。日本の常識では通用しない国もある。そういうところを分かったのかもしれない。ドイツは、指導者とキリスト教の国だ。どこの国でも、戦争と貧困が普通だから、平和で豊かでデモや暴動の起きない日本は、国際的に見て、ありえない。

ただ、自分は外国なんか、何も分からない。最近の日本についても、良く分かっていない。安倍は、馬鹿に見える。アベノミクスが何なのか、僕は実は、あまり分かっていない。

裏の構造から本質を掴んで、洞察出来る人間だった。

世界観が変わる体験を、いつも分かっていた。

最近、ネットやテレビを見ない。本もあまり読んでいない。それは、この文章を書いていると、それで分かるからだ。

最近は、社会のことなんか何も分かっていない。自分の考え方を書くだけだ。

世俗に興味は無い。ファッションや恋愛なんか、しない。それはそれで、どうかと思う。

ただ、音楽は聴いている。FLOWが、はりさけそうな思いは、時にとてつもない力になると言っているが、その通りだ。それが、僕の希望だ。

あとは、実体験、Linuxのシステム、科学と教育を作り直すこと、などから分かっていた。

Linuxは要らない。引きこもりの遊びだ。

最近、ゲームはしていない。嫌いになった。昔は、一日中ゲームをして、あるゲームを全部クリアして、ネットゲームでも上位に入るほどの、ゲームオタクだった。

最近は、パソコンも嫌いだ。昔詳しかったと言っても、プログラミング言語ぐらいを知っているだけで、スタックとキューすら分かっていない。あんな馬鹿にOSが作れるわけがないが、それが夢だった。

ネットは好きだった。最近、怖いから見たくない。それくらいから、馬鹿になった。

環境から自由になって、思い出して、色んな人間の視点に立って、色んな人間になって分かった。

ネットで、本当に色んな人間を見て、色んなことをして分かっていた。

ゲームをすると、ゲームの自分になる。コンピュータをすると、コンピュータになる。神や哲学、大学も同じだ。

そろそろ、もう終わりだ。全部書いた。あとは、あまり何もしていない。

ゲームは最近嫌いだ。楽しくない。賢い人間は、ゲームなんかしない。しない方が良い。

ピアノや剣道が多かった。習い事で賢かった。テスト対策をしていた。

嫌われていたのは、勉強が出来るのに馬鹿で、クラスにネットゲームを広めたりしていたからだ。そういう、キモイ人間だった。

あとは、昔は、理性に先立つ経験をして分かっていた。

当たり前のことを良く考えると分かる。自分でやって、変えられるようになった。

最近は、世界の構造を全部書いていた。

もうそろそろ分かる。昔は、賢くない。

あとは、状態などを信じていた。色んな状態になって、宇宙の全部の存在が分かった。

世界を見ているだけで、歴史のようなことが分かった。

きちんと考えれば分かる。それは、元の自分が賢いからだ。そういう、サルトルのような人間だった。

ネットで馬鹿になった。ネットが嫌いだ。

この世界に何も無く見える。そういう自分が、バークリのように神を信じていた。

全部嫌いなのはおかしい。家族は、いつも、家族に楽しくするだけの、本当に良い家族になっている。そういう日本が好きな方が良い。

ただ、テレビが悪い。つまらないことしかしていない。何もしないだけで、この文章を書くようになったが、それも悪い。辛いだけを永遠に繰り返す意味が無い。

そういう普通のことをあまり言っていない。自由やパソコンが一番嫌いだ。昔はそういうものが好きだった。おかしくない。昔の方が遥かに賢かった。

今の自分なんか、右翼の左翼だ。そういう発想は、昔嫌いだった。

エヴァンゲリオンの歌が言うように、思い出を裏切るだけだ。

あまり意味が無い。僕は、自由とコンピュータと哲学と歴史とキリスト教が好きだ。

好きな国は、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、イスラム、中国、インドだ。

そのように意味が無い。そろそろ、書くことも無い。

昔は自分が嫌いだったが、最近は自分が好きだ。そういうところが普通になった。

ただ、おかしくはなった。時間とパソコンの失敗を気にするし、漢字を間違っていないのに直したくなる。そろそろ、そういうところを直した方が良い。

あまり、気にしなければ良い。そんなに執着しなければ良い。文章にあまり価値は無い。あまり意味の無いことをやっている。

昔は、人一倍頑張って分かっていた。

道元の言うように、一心不乱にやることから、宇宙の真理が分かる。

最近は、頑張りすぎた。革命や神まで、戦いを全部頑張った。

無いようで、そういう頑張るが多かった。ネットで経験した。それが出来ると分かる。

自然な体験から社会を知って、倫理性と共同性に目覚めた。

宇宙の全てを経験した。

最近は、戦いから何もしなくなって、精神障害のように怖い。何もかも、馬鹿になった。

世界の裏側を知れば知るほどわかる。数学と自由な考え方を作れば作るほど分かる。そういう、世界を知る人間だった。

知れば知るほど分かる。本当に科学を分かっていた。皆の延長線上、未来の希望を分かっていた。

世界観と考え方と決まりで、人間を全部分かっていた。全員分かった。

精神をおかしくして、分析して、当てて分かっていた。

自己表現せよ。自分の表現は、自分の生きる目的だ。

神は、この世界を、既に知っていることを体験する世界だと言う。そのように分かった。

環境と人間関係、ネットでの出会いから、自然に分かった。また、自然な体験、自然な考え方で分かっていた。

ネットでは、議論、決まり、Wiki、経緯、などを分かっていた。1人王になっていた。

そろそろ、もう全て分かった。概念の経験的なピースを集めるのは、もう終わった。

全部分かって、書いて分かった。

英語は、これで出来た。日本語がそのまま英語になった。

欲しいものも、やりたいことも無い。ただ、休みたい。頭を使いたくない。

最近、信じて治った。頭を使い、歩き回る、疲れるだけの地獄が多かった。

自由とは、反省することだ。

自由とは、科学を知り、社会を知り、共同性を知り、可能性を知り、変化を知り、分類を知り、段階を知ることだ。

平和は、自由、解放、統一、平等、独立、一体、所有、共有の形態の変化だ。

それぞれのことを本当に許し、正しい情報を共有せよ。

本当に世界の変わる、プラットフォーム的な、基盤と拡張の関係を築き、世界に与えよ。

平和とは、成長と可能性と変化だ。

分かるように分かれ。そうなるように生きていけ。

全ては、音楽とゲームから、パソコンと革命を知り、神と王を知ることだ。

全ては、信じることと愛と想像力だ。

全ては、反省し、謙虚に向き合い、その人格を尊重し、その文化を尊重することだ。

全ては、思い込みや先入観と向き合い、可能性と潜在性と習慣を考えることだ。

自由とは、そういう、全てのことを知るための、自由な道程だ。

深層心理を分かっていた。

する側、される側、を分かっていた。

未来をどうすべきか、どのように出来るか、何をするべきか、など、未来学者のように、社会のことを建設的に積み上げて、日本の未来を分かっていた。

最近は、自分が王になって、宣言で世界を良くする。

世界は、もう、昔でなくなって、最近になるべきだが、もうそれは終わったはずだ。

世界をどうすべきか、いつも分かって、戦いながら宣言していた。今でもしている。

精神を部分の関係とする、機能別心理学が多かった。

そろそろ、あとは、まともに考えれば分かる。対象それ自体ではなく、他のものとの関係や特性、意味や成り立ちを考えれば良い。

心が何なのか考えるために、人間、社会、言語、学習などとの関係を考える。

あとは、物理的な実験と仮説から分かる。不思議と、それで科学を作って、全て分かる。

人間の社会を、構造を作って、全部書いていた。

施設から店、町から国、システムからものの構造や関係など、全て創っていた。

全ては、構造と関係と可能性だ。

全ては、脳と構築と文字だ。

全ては、施設と場と計画だ。

全ては、構造と手段とシステムの共有だ。

そのように、人間の世界を全部書いていた。今考えると、書けない。その時は、宇宙の全て、人間の全てが、全部分かっていた。

それだけを書いていたようで、あとは、人生のことを書いている。

最後まで人生が分かってから、文章を書いていた。

能力による昇進や選挙による大統領の当選など、共同体的な社会を分かっていた。

それで自由と言っていた。自由な社会を全て考えていた。

生命は、体の構造と行動や習慣だ。そのように、単純な構造を全て書いていた。

賢く見えて、何も賢くない。知性の無い赤ん坊のような、革命家の科学者だった。

あとは、考え方のようなことを言っていた。

自分の知らないことだけで、自分は出来ている。中島みゆきが言っている。

生命は、食べることで生きられる。即ち、殺すことでしか生きられない。

細胞は、色んなものになる。原子は、万能のレゴだ。

人間は、環境に支配される代わり、環境を自由に変えることが出来る。

社会や教育、コンピュータなども同じだ。

支配されず、支配するようにしなければならない。

人間は、協力することで、組織を作り、支配によって出来る。

だが、平等によって、解放されることもある。

人間は、全てを知ることは出来ない。語り得ないものは、沈黙するしかない。