日記に戻る | 2014年12月の日記に戻る

=2014-12-16=

カントのように、矛盾し、相反する2つの命題の証明や、科学的な考え方で分かっていた。

フーコーが言うように、今まで考えたことと違うことを考えて、違う考え方をすれば分かる。昔は、そういう風に分かっていた。

そんなに賢く考えずに、実験し、体験すれば分かる。

ライプニッツやパスカルは、無かったように見える。推論をしたり、神を信じたりすることは多かった。

良い人間になりたい。本当に、きちんとした良い人間は、真剣に考えれば分かる。

もっと、皆のことを知りたい。皆は馬鹿に見えて、世界や知識が分かる人間が多い。

EUが良いと思う。皆で平和的に一緒になって、大きくて強い連合になるのが良い。

民主主義は、良い時も悪い時もある。民主政で良い時になるか、王国政で良い時になるかを、状況を見て判断する必要がある。

平和とは、信じることだ。信じる人間は、きちんと分かる。信じる人間に良い人間が多い。

だが、疑うことは悪くない。疑わなければ、分からない。

何を信じて、何を疑うか。それを考えなければならない。

自分と言う存在を信じること。自分の色んな面と視点を信じることだ。

独りでやると、出来るとはいうが、危険だ。独りだけで決められると、色んな良いことも悪いことも含めて、全部やるようになる。賢いように見えて、悲惨な滅びた国になる。

もっと、普通のことを考えれば良い。

原子とは何か?宇宙とは何か?生命とは何か?言語と人間はどのように関係するか?人間は何を作り、何を生み出すのか?文明はどこから来て、どこへと向かうのか?

そのように考えれば良いようで、あまり意味が無い。

皆の道から外れて、自分の幻想を見るのは良いが、それは妄想に過ぎない。

もっと、皆とともに、同じ時間を過ごすべきだ。

きちんと世界を良く見て考えれば分かる。フーコーのように、現代社会は、権力による規律や訓練の支配と誘導が多い。そこを考えると良く分かる。

だが、そういう風に考えるのは良くない。それでは、狂った人間になる。

ものを良く見ていると、ヘーゲルのように、知の属性や、人間の作り出すことの出来る習得的で概念的なものと、自然の属性である、それ以上分割出来ない真理的なことがある。

ただ、そんな風に考えていると、本当の宇宙と自然な認識が見えなくなってくる。あまり、狂わない方が良い。

自由が良かった時代は、発展が多かっただけで、本来は王国の方が自然なのが人間だ。

ナポレオンとフランス革命によって、身分制度は平等な民主主義になった。そのように考えることも出来る。現代は、民主主義の時代だ。

哲学や、歴史はもう良い。忘れた方が良い。もう、全て出来た。そろそろ、他のことをすれば良い。ルネサンスぐらいを考えていないが、芸術家が出てくるだけだ。

知を考えれば分かる。哲学をするより、自分で知識と想像力を考えた方が早い。

生物や、物理には、論証や説明による知識と、直感や感覚による知識がある。ロックが似たようなことを言っていた。

あとは、学習や習得、経験的な認識と感覚を考えることが出来る。これも、ロックが同じことを賢く言っている。

ただ、そういう哲学では、分からないものだ。

自分の体験から、世界にある状況やもの、世界観を理解出来る。芸術や文化は、自分で同じことを考えることで、実感で理解出来る。

もっと、色んな人間の視点に立って考えれば良い。

ファシズムは悪い。一番悪い発想をしている。指導者につく、指導者になる、と言う発想が悪い。賢い真面目な人間が、そういうものになりやすい。

昔の文章は、どんどん違うことを考えて、全部分かっていた。

方法には、単純なやり方、複合的な手順、全体を統括するプロセス、組織の協力がある。

発想には、単純な思いつき、経験的な悟り、構造的な論証、そして直観がある。

僕は、セックスはしたくない。やっていると、辛い。誰ともしたくない。

価値観とは、個々人の主観的なものであり、真に客観的になった時、単純な個性は無くなって、融和し、一つになる一体の体験が起きる。

人間は、戦う生き物だ。社会における関係を見出しながら、世界と戦うことで、強くなり、賢くなる。戦わなければ、分からない。

だが、戦争は良くない。世界を滅ぼすことになる。皆の命を捨ててまで、大義をなす意味が無い。そんなものは、大義と本当に呼べるのか?それは、分からない。

ピアノには、作曲家だけではなく、楽器の発明者などがある。また、買ったピアノには、作った人間が居る。そのように、事実からさらに分かることが出来る。

その上で、俯瞰的に世界を見れば、数学のように、体得して知を分かることが出来る。

自由が好きだった。自由とは、それぞれが自由に出来ることだ。

自由に考えることで、世界を知り、客観的に捉え、それぞれの人間を許し、高め、世界を正しく理解することが出来る。

自由は悪い。世界を悪くしている。もっと、良い世界になった方が良い。

ただ、皆が本来同じであると考えると、分かることが多い。思いやりや助け合いから分かる。平等の方が良い。

説明や知の仮象の世界を分かると良く分かる。人間の、「在る」という状態が分かる。

僕は、あまり普通のことを知らない。何か知りたいと思う。出来たら、教えて欲しいといつも思っているが、僕の理解力は子供レベルだ。

哲学は主観と客観の学問だが、もっと主観的に、良いことを信じた方が分かる。人は、絶対に客観的にはなれない。主観的に信じた方が分かる。

もう、止まっているのが治って、世界が治る。

働いた方が良いとはいうが、それは難しい。技術でも養えば良い。

所有や支配、達成への欲を捨てて、皆を受け入れて、分かり合うために理解すること。自分の理解を伸ばすことから、他人のことを知り、色んな点を実体験で知りながら、視野を広げること。それで、生きる知恵や考え方が分かる。

順序立てて考えて、本当の問題を考えれば分かる。それをすれば良い。

仮象の世界、特に説明や事実、人間や学問の世界を考えれば分かる。昔は、良く考えた。

あとは、社会との関係を喪失から結び直して分かっていた。

実体験で分かった。

最近、自分も馬鹿になって、世界も馬鹿になった。何故か、有り得なくなっている。

昭和に戻っているように見えて、そういうことは無い。おかしな国になっている。

最近は、悪く見えて、有り得なくなっているだけ、悪くない。

僕も、戦ったり、治したり、支配したり、神や宇宙人と対話したり、スターリンのようになったりなど、有り得ない体験を最近していた。

自分は、馬鹿だ。古代人に戻りたいのはおかしい。中世にこういう馬鹿が多い。

自分の体験で分かりたいから、このようになる。神は、人生の目的を、体験することだと言う。自分を創造というのは、サルトルが言っている。