日記に戻る | 2014年12月の日記に戻る

=2014-12-04=

導き、教え、支配することで、人に分からせること、悟らせることが出来る。

世界は、自然に変えられるだろう。そのように、昔考えていた。

信じるのが辛い。信じない方が良いかもしれない。

辛い時は、放っておくと賢くなる。それを治すのが悪い。

書かないと、引きこもりに戻る。書いていると、もっとまともな人間になる。

最近の方がまともだ。昔は、普通のことが分かっていない。

賢くなるのを治すべきでない。治すのは、本当に悪い。

書くと、賢くなる。そろそろ賢くなった。意識が高まって、ピアノなどが出来る。

治すのは悪くは無いが、止めた方が良い。

自殺したのが悪い。だが、怖くなくなって、楽になった。

場や状態の可能性、発想の実現可能性から、世界の取り得る可能性を考えていた。

人間も、同様に考えていた。

本当の理想の状態を、仮定し、どうすれば実現出来るか考えていた。

比較して、法則を分かった。色んな場合から、その正しさを知り、推論して分かった。

賢くなったから、足はどうでも良い。

人間的に考えると、全ては認識と記憶、意識と経験である。自分が知覚出来る範囲のことしか分からない。だが、裏側を知り、事実を知り、想像力と知識を知り、具体的に比較し、支配し、行動し、応用して分かることが出来る。

自由とは、共有し、変えられるようにする範囲を広げることだ。

皆が自由に出来るようにせよ。だが、それは、何も無くなる危険があるだろう。

実験することによって、普遍性と客観性を分かることが出来る。

自発的に助け合い、協力し、大切なものを皆の手で築くことが美しい。

そういう人間が賢くなる。

賢くなることを止めた人間は、馬鹿になる。そこまでおかしくなるのがおかしい。

強制せず、自発的に協力し、自然な改善される社会を築くことが、理想だ。

思いやりの心は、平等かつ自由に、相手のことを尊重することから生まれる。

相手を自由にせよ。世界は、それぞれ、支配されず、自由になるべきだ。

ものの裏には、方法と学習と言葉による理解がある。

言葉は、正しくは無いが、自分の経験を言葉にすることで、きちんと分かる。

だが、時に、言葉より感情の方が正しいことがある。

言葉は、他人から伝達されたものであり、不確かな情報源だ。確かな情報源は、自分の思考であり、感情と実験と実体験である。

ただ、言葉は、人間の使うことの出来る最高の道具だ。何でも知って、全てを把握し、正しい価値観と見方を持つことが出来る。

関与し、影響力を与え合う環境から、相対的な自由の価値観が生まれる。そこでは、受け入れ、想像力を使い、工夫し、皆の手で一つのものを構築することが出来る。また、環境を構築し、適応することが出来る。適応とは、その一部になることだ。

いつも驚いていると分かる。だが、それは止めた方が良い。何も分かっていないだけだ。

世界は変わっていない。皆、普通の人間のままだ。

想像力をつけて、血を同じにし、精神を良くし、抗うことなく、自然に任せれば治る。

全部同じにして、認識を書けば治る。神を信じて、一体となることを止め、全てのものに1つ1つ適応して分かれば良い。

あとは、神と科学を信じて、作っていた。

物理は関係であり、数学は美しく式を作ることだ。

神は、永遠の統治者であり、全てのものを救う救世主であり、世界の全てを観察する観測者である。全てのことを、望むように起こし、教え、全員の栄光を実現する。

全ての治るを作りながら、精神を作り、神と対話し、宣言し、終わるまで永遠を耐えていた。全ての体験があった、永遠の栄光だったが、知性の無い、悪い王だった。

全てのことを分析して、永遠に知性をつけていた。治るわけがないのに、世界を治して、自分を楽にしていた。ただ、治りたかっただけだ。

そろそろ賢くなった。足が、もう全部治った。文章は、もう全部書いたはずだ。

自分は、太陽と宇宙だ。光と闇だ。天と地だ。そのように、巨大な体験をした。

あとは、精神分析で、色んな国や前世を分かっていた。仏教も、キリスト教も、全部正しい。イスラム教やヒンドゥー教さえ、宗教は同じことを言っている。

賢い人間が全部馬鹿にして、分かるわけがない。それを止めた方が良い。この世界の馬鹿が全て治る。皆も賢くなるようにすれば良い。もっと、気づかせてやれば良い。

全部、今あって、皆同じ時間を生きていて、存在は確かにあるのだと、実感すれば分かる。

自分は、今ここに居て、出来ることがあって、それをしているのだと、実感せよ。

ヘーゲルのように、自分は全ての実在であると確信すれば良いのだと思う。

それを実現するための方法と手段を、世界から見出して、実現し、意味を考える。

実現とは何なのか?実現するために、何が考えられるか?それは、何をしているのか?

ヤスパースのように現状を分析し、己の本来の姿に立ち返る。キルケゴールのように、実存的な段階を考え、サルトルのように、人間の可能性を知り、ハイデガーのように、存在と関心と気づきを考える。また、状況と意識を考える。それが、実存主義だと思う。

僕は、たまに哲学を言うが、そんなに本をあまり読んでいない。色んな入門や教科書を何冊かしか読んでいない。もっと、きちんと本を読んだ方が良い。

世界史も、読んでいない。教科書や本を見て、いくらか線を引いて、抜き出しただけだ。

経済は知らないし、文学はいつも読みたくない。情報だけ真面目に知っているようで、オタク的なことしか知っていない。何も知らないのに、分かるようになった。

会社を作る自由はあった方が良いと思う。それぞれ組織となって、支配すると、色んなことが出来る。創造的な会社が作れる。それぞれが支配者となれば良い。

数学は、言語だ。それも、英語ではなく、日本語のような言語だ。

皆、もう治らなくて良い。治すのは、悪かった。賢くなくなって、馬鹿になっただけだ。分からないのは普通で無い。普通、誰でもきちんと分かる。

治らなくて良いと、皆が賢くなる。最近は、馬鹿すぎるのが日本だ。自分のせいだ。

ただ、皆、まともになって、賢くなった。おかしなものが無くなった。それは良いと思う。

今から、おかしなものが増える。そういう退廃的な芸術で、滅びるだろう。

そのまま、増えると賢くなる。まともに分かるようになる。

全て消し去るのはおかしい。残せば賢くなる。

文章を書いて考える、社会の可能性が多かった。自由より、他の可能性を考えていた。

支配で強くするとか、国家の権限を強化して町を美しくするとか、自分が出来るようにするとか、指導者と能力とか、工場と農場を作るとか、パンと音楽アルバムを与えるとか、計画経済で必要なものを最初に作るとか、色んな社会の可能性が多かった。

あとは、正しい国や帝国、賢い国や共同体を分かっていた。

それから、コンピュータの知識が一番多かった。ネットを見て分かっていた。Linuxのシステムを研究し、プログラミング言語などを分かった。

歴史は、民俗的な文化や、戦争の高度さ、生活水準などが違う。昔のヨーロッパは、土などで作った家に、一部屋だけで暮らしていた。アフリカの原始生活とあまり変わらない。

ただ、間違っているかもしれない。都心部の街並みは美しいし、王侯貴族の宮殿は荘厳だ。そういうわけで、昔から平等にした方が良い。

スケジュールを決めて、必要なことを最初にやって、手順を見て、世界を把握して、きちんと最後まで、1つ1つやれば良い。そういうことが分かっていない。

平等は悪い。自由の方が良い。本当に豊かになった。普通、家にテレビが何台もあるのは、有り得ない。

方法と学習からものを作り出し、利用し、共有する。それは、組織と理性によって、手段から行われる。行動は、自由かつ理性的に行われるべきであり、判断力と想像力があると良い。そして、その結果としての社会は、多様で、利用可能なものを増やし、手段を与え、人が色んなことを実現しやすくすべきだ。

全ての本質は、学習、行動、自由、共生だ。

本質から本質が生まれる。行動と経験は、本質的には、意味と対象の同一化である。

認識と方法から、理性と経験が生まれる。認識は、それぞれが持つ客観的な経験であり、主観的な個性である。認識は、正しく、洞察的で、自由に、理由を知って、主観的かつ客観的に行われるべきである。

認識は、知れば知るほど深まるが、きちんと思い出さなければ分からない。正しい認識は、実体の中に潜む、裏の法則のそのまた裏の法則であり、言葉遣いや言語、想像力や論理力、表現力と関係している。そこに、本質と法則性があるだろう。

視点は、ものを見るための見方の構築と吸収である。視点は考え方であり、場は存在である。視点と場は、世界を観測という本質から掴むことが出来る。また、世界観と構造を構築することが出来る。そこから、発想法を作り出すことが出来る。

そして、全ては、経験と記憶である。理性的かつ、現実的に、先天的なものと経験的なものを考えることが出来る。古い事実と関係して、新しい事実が存在する。

そして、全ては、世界観と人生である。それは、それぞれの見ている本当の人生の姿と、人の見る観測的な人生の関係であり、その融和が世界観である。

行動には結果が有り、全ての結果には原因がある。また、体験から感情を知る。感情は、理性と組み合わせて、経験を考えることで、宇宙の意識と本質を知ることが出来る。

そういう風に書いていたことが多かった。体験や理性、心や経験、行動や認識、学習、応用、共有、組織、視点や見方などを考えていた。

普通、平等というと、社会所有や平等分配のことに見える。そうでもない。人権や人間的な尊厳の平等、という平等もある。社会主義は、所有も平等にするが、そういう、権利の平等を目指している。

むしろ、格差は無い方が良いし、雇用や労働は平等の方が良いし、全ての必要なものを全員に与え、手段を与えるのは、理想だ。社会主義には、良い点が多い。

だが、悪い点も多い。ソ連は独裁と強制収容所の国になった。秘密警察が皆を逮捕する。一番怖いから、社会主義になるのは怖い。

自由は、豊かだ。金で、全てのものが全員にある。必要なものだけではなく、全てのもの、という可能性がある。ただ、機会があるだけで、本当に全てのものはない。また、国会は、役所を従え、選挙することで、全てのことが実現出来る。自由は、哲学的に賢い。

必要なものだから、皆のものにする。それが社会主義だと思う。だが、意味が無い。

もっと、自由な中で理想を実現出来ないか?ネットで意見を共有したり出来る。

それは良いが、自由なんか悪いだけだ。ツイッターが一番馬鹿だから、悪い。

人生は、一度馬鹿になる。そういう人間が多い。英語も、ピアノも、全部、馬鹿の方が出来る。馬鹿は、何も分からなくなって、馬鹿な逆を繰り返すようになる。

それが、普通、キリスト教になる。そういう人間が多い。

あとは、作用と意味、人間とものと視点の関係を考えれば分かる。

組織は、分裂と融和だ。ボトムアップとトップダウンだ。そういう風に考える。

最近、書いている内容や、行動が違うのが分かっていない。

そんなに経験的に分かるのがおかしい。理性的に考えれば良い。

昔を思い出すのはもう良い。もっと、新しいことを考えて、やれば良い。

書く以外何もしないのはおかしい。色んなことをやれば良いのに、出来ない。

出来なくなった。馬鹿になったから仕方ない。賢くなったから、そろそろ出来ると思う。

感情を1つ1つ試して、照らし合わせて分かっていた。

全て復活する。もう治らないから、治さない方が良い。

ソ連は、強制ノルマを課して、過当な労働をさせ、労働しないものを強制収容所に入れる、おかしな悪い国だ。

決まりや、ものを作るなど、目に見えないものを考えて、書いていた。

守る、教える、与える、手助けする、作る、改善する、参加する、などの、普通のことを考えれば分かる。それで、多角的に考えれば良い。

システムと経験から、実感で全て分かった。

人間社会の意味を考えた。応用、場、都市、生命などから、意味を考えていた。

人間社会の理想と倫理を考えていた。

自動車が楽なのは、自分を無視出来るからだ。

決まりを作り、守り、世界を平和にし、豊かにし、行動し、学習し、ものを作れ。

平和と環境を守れ。

自由にしながら、最低限のものは全員に与えること。

教え、戦い、守って生きること。

重要なのは、人を信じて、愛すること、決まりと善悪の価値観を守ることだ。

国家には、政府中枢機関、立法・司法・行政機関、特に、内政と外交と経済の機関、そして、それぞれが生きて、納得する、会社や経済やものの手段が必要だ。

最近は、インターネットのようなものもある。

そして、外部から守る軍隊や、子供に教える教育、そして、農業や工業が必要だ。

所有の形として、金や社会所有、共有やマイスター、国家による計画などが考えられる。

生産と労働の形として、自由競争とノルマが考えられる。

思想として、正しい国にするか、可能性や共同性のある国にするか、などがある。

金は、需要と供給の関係で、需要が多いと高くなり、供給が多いと安くなる。

インフレとデフレなどがある。インフレは、金の量が増えて、金の価値が下がって、物価が高くなる。デフレは、逆だ。インフレの例は多いが、デフレの例は少ない。日本は、デフレ・スパイラルによって、経済が停滞した。

経済は、利益の好循環によって良くなる。消費と給与が高まり続けることで、景気が良くなり、国民全体の豊かさが高まる。資本主義の経済学は、そういう風に考える。

あとは、社会の改善策などを考えていた。

政治家を免許制にするとか、学校の試験を百科事典のレポートにする、とかを考えた。

あるいは、一貫校にすれば良いと言っていたが、クラスや時間割は自由にすれば良いと言っていた。そういう自由が悪い。

思い込みを排除して、気づくのが良い。気づくと、馬鹿が治る。

賢くなると、怖くない。もう治らない。賢くなれば良い。

昔は、右脳を使って、会話や能力、経験、想像力、感情を分かっていた。

パターンと可能性が分かった。

経験から来る感情で分かっていた。

頭が辛い。動き回る。治らない。治らなくて良い。その方が楽だ。

昔は、具体例が多かった。最近、具体的に考えていないなと思う。

恐怖と愛を良く分かると分かる。色んな社会や関係の具体例から分かれば良い。人間や、人生のことが良く分かる。思い込みや驚きも重要だ。

FLOWは、やらなかったか、やれなかったか、と言っているが、それは悪い。やりたくても、出来ないこともある。やれるからと言って、やらなければならないわけではない。

考え方を作れば分かる。

全ては、思考と抽象性、記憶と精神だ。

全ては、現実と理性、ものと記号だ。

全ては、耳、口、目、手を使って考えることだ。

もっと考えれば良い。

感覚には、五感だけではなく、感情や感覚、魂や宇宙の意識も考えられる。

仏教の空や色のように考えることも出来る。

社会は、都市的な自由か、分散的な平等に向かって集積・拡散される。

生命は、精神を高め、記憶や知覚を高め、魂と心を高め、生命活動を維持する。

抑圧や解放は、歴史と価値観の問題だ。正しい価値観を教え、共有すれば直る。

そういう、社会の変化、目的への収束、のようなことを言っていた。

自由な共同体は、社会システムになる。そのように、自由な変化を書いていた。

昔の僕は、皆を分かっていた。皆を色んな風に出来る人間だった。

平和や発展のような社会システムの変化が多かった。時代や戦争も多かったかもしれない。

社会所有は悪いが、自由な国家所有によって、町を美しくしたり、所有を全部支配したり出来る。何でも出来る自由な帝国になるだろう。

国会が国家所有を支配することで、大統領は何でも実現出来る。民主主義にして、コンピュータや音楽アルバムを与えれば良いだろう。意味が無いが。

国会が全部所有を決めるから、貧しいものにも全部ある、豊かな国になる。

ただ、それを目指していたのがソ連だ。破綻して、何も無くなって、何も出来なくなるから、止めた方が良い。廃墟の世界に、独裁者の絵があるようになる。一番悪い。

皆のもの、と言う発想は、西側では悪だが、ソ連では善だ。普通、良い。

だが、普通、独裁や汚職は悪だ。それでも、独裁で平等になる例は、どの時代も多い。

全部分からせる有り得ない文章が多かった。

世界や国を全部分かりたいのは良いが、ソ連やドイツは止めた方が良い。イスラムも悪い。

アメリカは分かっていないようで、これくらいのドイツで分かる。いつも書いている。

もっと、日本や資本主義における国際を分かった方が良い。

エボラ出血熱が悲惨だ。イスラム国が悪い。そういうものを、アメリカや西側諸国、あるいは国連や、日本のような視点で考えれば分かる。

民主主義は、自民党が大勝するだろう。皆、安倍の政策が賢く見える。だが、雇用が改善したとはいうが、非正規だ。ペテンに見える。安倍は、軽々しく重大なことを約束するから、信用出来ない。ただ、僕も僕で悪い。社会主義のドイツなんか、キモイだけだ。

民主党が勝った方が良いとはいうが、公約は守れない。社民党ともつるむのに、維新や次世代ともつるむのはおかしい。共産党が勝つしかないのに、意味が無い。政党なんか、多い意味が無くなっている。独裁で良いと言えなくもないが、自民党は独裁したいだけだ。

ただ、今の日本は悪くない。分からないとはいうが、賢くなっている。最近、まともに、楽だ。学校や職場は辛いこともあるが、昔の貧乏な世界よりはるかに豊かになった。

日本は良い国だ。本当に良い国だと思う。ただ、その平和な良い国を守った方が良い。

あとは、自由な体験的な世界観と、思いやりが多かった。

自由とは、創造し、活動し、共生し、適応することだ。

自由とは、思いやりと人格の尊重だ。

自由とは、愛し、信じ、考え、疑い、感じ、思考し、関心を持つことだ。

全ては、自由と愛だ。自由とは、発展だ。

その上で、色んなものを説明し、成り立たせる。意味が無いから、それは書かない。

影響力のある相対的な世界の中で、それぞれが関係し、独立し、関与し、変化せよ。

全ては、歴史の中の時間的、空間的な記憶だ。

守るとは言ったが、変化する方が良い。今、日本がおかしいのは、裏の意識の中で、皆が止まっていて、止まるしか出来ないからだ。変化するようになると、精神が良くなって、すぐに賢く治る。変化した方が、世界は良くなる。

安倍は、悪くない。支持者が多いなら、独裁者のように全部しても悪くない。だが、支持者なんか、居ないように見える。本当に安倍の支持者が居るのが有り得ない。広島だからかもしれない。

民主党が馬鹿なだけなのかもしれない。民主党と自民党を比較して、民主党は何も出来なかった、自民党はきちんとやっている、と言う風に見えるのかもしれない。自民党なんか、何もきちんとやっていないだろう。

神や色んなものと対話した。昔は、もっと賢く対話して、導いていた。

何でも出来るようにすれば、自然にものは生まれる。自発的に努力する。だが、それは、間違っていると思う。何も無くなるだけが、強権的な政治家だ。

環境を賢くすれば、生まれるように見えたが、それは無い。全く何も生まれない。

神が死んだ。

神は、全部見るものを見て、先に分かっているものやパターンを変えて、神の言葉を仰いでいるだけだ。

自分に向かって言うのがおかしい。それで、心臓が死んだ。

それはものだ、を言って、ものだ、が分かるのが普通だが、そんなに分からなくて良い。

念じると治る。言葉は普通に言えば良い。

それぞれがどうすれば出来るのか、自由な理性で考えていた。

可能性や機会、手段や許可、関係や協力を考えていた。

どうすれば変化可能になるか?

どうすれば実現出来るか?

どうすれば見方を変えられるか?

そのように、全てを普遍的に考えて書いていた。

人間は、誰でもこうなる。

言葉の知性は、消すと言葉が分かる。

いつものように、世界は馬鹿になれば良くなる。

ポルノグラフィティの言うように、自分が自分なのが分かっていない。自分を見つけてやるべきだ。

宇多田ヒカルの言うように、最後の間違い、最初の良い日にしたい。

考えてすぐにしなければ良い。張り詰めた緊張感は要らない。覚える意味がない。

きちんとこなすのは、辛い。

コブクロの言う、寂寞の思いや、生きている証は、昔多かった。

何分間かそのままでいれば治る。

虫みたいなキモイを殺すのは、面白い。

確かなものと確かでないものの区別がつけば分かる。