自由とは、相対的な影響力の中での体験の結果だ。
自由とは、創造的な会社と芸術と科学を作ることだ。
そういう風に文章を書いていた。自由な世界観を全部書いていた。
本来の自分に戻って、ありのまま、自然体になると、知性がつく。
頭を正常にするためには、書かなければ良い。
自分に厳しくすると出来る。その方が楽になる。
頑張っているとはいうが、苦しみに耐えるだけで、何もしないため、何も出来なくなった。
何も頑張っていない。頑張ってはいるが、何もしていない。
生命は、1つのアメーバから生まれた。植物も、動物も、大切な1つのピースだ。
進化するだけの生命から、階層的に進歩した。
自分は、何故か昔から全部分かっている。
具体的な関係や経験が多かった。
思考やネットでの経験が多かった。また、構造や考え方を全部作って分かった。
十戒を守る人間が賢くなる。姦淫はすべきでない。
僕は、仏教の空のような人間になった。
あるでもなく、無いでもない。賢くも、馬鹿でもない。辛くとも、楽でもない。
仏教のように考えると、こういう人間になる。
執着や未練、後悔は無い。涅槃のまま、何も変わっていない。
世界は、もう変わるべきでない。変わるのが悪いだけだ。
書いて、忘れる。覚えるべきことを忘れるようになったのが悪いが、全部忘れてしまいたいだけだ。
言葉を感情と実感で分かっていた。経験から、言葉遣いを分かった。
神は、神の栄光を、それぞれの人間によって、この世界で体現している。
がんになったのかもしれない。がんは、おそらく、遺伝子の病気だ。遺伝子を治せば治る。
あるいは、肺炎になったかもしれない。たまに、息をするのが辛いことがある。
虫歯に注意せよ。虫歯ぐらいが治らないし、後で辛い。
右翼は悪い。支配者の下に、皆が従うべきだ、と考えるのは、おかしい。
従う、という概念が悪い。
左翼は、平等だ。自由だから、左翼の方が良い。
右翼は、悪いだけだ。右翼が政権を取ると、滅びて、死ぬ。支配して全部やりたいのはおかしい。
基礎の認識を作って、人間を考えて、思考して分かった。
認識と経験から感情を考えた。
とにかく、思考は、すればするほど良い。真理を分かれば分かるほど、本当の知性がつく。
思考の方法は、認識と分析の方法になる。本質的な経験となるのが、思考だ。
思考から、行為が生まれ、関係が生まれ、認識が生まれ、自分の「在る」という概念が生まれる。
右翼の悪い点は、全部賛同して、従うだけになって、何も分からなくなる。北朝鮮やソ連がそうだ。
ただ、そういう風に言わない方が良い。左翼も左翼で、何も出来ず、批判するだけだ。
もっと良く考えれば良い。数学の表記でも考えれば良い。
メタ的に考えると、表記を増やせば良いように見える。イコールにウムラウトのようなものをつけて、イコールの種類を増やして、1+1と2を区別出来るようにすると、良いかもしれない。
もっと、良く考えれば、色んなことが分かる。それが良い。
昔は、全部出来て、誠実な、きちんと分かる、皆を愛する王のような科学者だった。
また、アメリカみたいに全部分かっていた。
科学を発想し、構造で分かりながら、精神分析し、自分と世界を治し、世界を導き、自分の前世や神を分かる、永遠の、宣言と対話の有り得ない人間が多かった。
昔は、自分の経験だけで、全てが分かっていた。人生と哲学的な考え方で、全ての科学を分かった。
希望のために戦っていた。
批判が無ければ分からない。批判はあった方が良い。
日本は、このままで良い。悪くない。そのまま、もっと停止すれば良い国になる。
左翼が支配すると、独裁になって、批判を殺すようになる。左翼も悪い。
自由な人間が良いとはいうが、有り得ない。そんなに馬鹿なことをする、自由が一番悪い。
自分がどう在るか、どう在れるか、という発想と認識を持て。
自由の賢い点は、競争と、身を切る改革だ。そういう風にすると、賢く全体が良くなる。ただ、それぞれが馬鹿になって、辛いだけだ。
ただ、自由が良いと思う。悪いことはしない。民主主義になって、平和な自由になる。僕がそれを言うのは、おかしくないと思う。
普通、全体主義は悪い。個人と会社の自由ぐらい、あった方が良い。競争が悪いのは、やや全体主義よりの自由だからだ。そういう、国家の自由、組織の自由が悪い。個人主義が一番賢いのが、フランスなどのヨーロッパの自由だ。ただ、明らかに競争が自由だから、市場に任せて全体主義よりの自由を取るアメリカの、競争と二大政党の自由が、一番自由だ。
自由は、戦うだけだ。多様性や、それぞれの給与や労働の自由は、何も分からなくなって、それぞれの性悪説の自由になる。いっそ、自由を無くして、平等にして、皆で考え、皆で公平に決めた方が、本当の自由になる。そういう、平和な全体主義の平等が、社会主義だ。悪くないだろう。
社会主義にも、自由な点はある。社会主義は、普通、社会所有、計画経済、平等分配だが、理論上は、労働の量や質に応じて、公平に分配することになっている。マルクスは、自由だ。
ただ、社会主義は失敗した。もう一度同じ失敗は、繰り返すべきではない。民主主義の左翼なんか、居る意味が無い。民主党政権は、公約の達成など、何も出来なかった。
ヨーロッパでは、北欧やドイツなどで、最近、福祉よりの、社会民主主義の思想が流行っている。福祉や教育を重視し、税金を多く取る。それに、スイスなどでは、永世中立によって、軍隊の無い国家を作っている。
だが、ヨーロッパは帝国主義だ。イギリスやフランスでは、昔から、今でも、植民地を作って、他の後進国を奴隷にして儲ける。帝国主義は、悪い。持てる国で、強いから、負けるわけがない。最強に強かった。
今では、EUとして、ヨーロッパ統合をやっている。ヨーロッパ合衆国と言うと聞こえはいいが、アメリカに対抗したいだけだ。
最近は、冷戦をまだやっている。ロシアは変わっていない。独裁者の巨大権力国家のままだ。自由や民主主義とはいうが、ウクライナを認めず、大統領選挙でも、継続して権力を手に入れるために操り人形の大統領を入れたりしている。
ただ、世界状況なんか書いてもつまらない。最近は、イスラムや中国など、アジアが強い。
フランスやドイツなどのヨーロッパでは、個人主義の能力主義をやっている。それぞれに個性と能力があり、それぞれが伸びる。だが、他からの手助けは無い。支援はあるが、自分で頑張る必要がある。そういう思想を持った、良い国だ。
フランスなどは、キリスト教芸術などが美しい。平等ではないが、それぞれを経験の自由にして、出来るだけ行動や関係を自由にする。だが、神を信じている。善の価値観を信じている。
昔、そういう発想が多かった。子供だったからだ。そして、社会主義も悪くないことを知った。
社会主義は賢い。それぞれのことを本当に考えて、きちんと解決し、必要なものを与えて、手段を配備し、生きる手助けをする。幸福で、平等で、公平で、平和な社会を作る。皆のために全体の社会がある。皆で社会的に協力する。フランスの逆の発想をしているのが、ロシアだ。
アメリカは、そういう発想が無い。ただ、自由にすると、普通、国が賢くなる。国を強くして、強い国が市民の自由を保障する。本当に、それぞれが自由なこと、自由を尊重すること、自らに由来する、という意味での自由を考えるところが、哲学的に賢い。
日本は、民主主義とはいうが、自民党の一強多弱だ。最初から自民党が勝つことが分かっている。役所が上から全部決めて、全部同じにする。法治国家だが、善の価値観のようなものは無い。だが、独自の日本の価値観である、仁義と大和の魂が、島としての日本を、平和で、治安が良い国にしている。
白人の悪い点は、白人を賢いと思って、黒人やアジア人を平等にしないところだ。最近、そういう傾向は改善されたが、最近は、IT企業の製品が複雑で良く壊れるなど、新しい問題がある。また、イスラムと戦っている。自由と自由が戦うのは、おかしい。何も残らない戦いになる。また、核兵器の問題もある。原発や大気汚染など、問題は多い。だが、アメリカのおかげで、自由な良い世界になった。
昔は、この例でいうと、フランスのような人間だった。経験や行動を自由にすべきだと思っていた。
思考を分析したり、受け入れることや批判することを善だと思っていた。
最近は、そういう発想が馬鹿に見える。
間の時代では、統制して戦っていた。あまりに永遠に戦うが、楽に導いて支配するのが、ドイツに見える。最近の神は、いつも、昔をフランスと言って、間をドイツと言って、今を普通と言っていた。
神は、ドイツ、ロシア、アメリカが、繰り返すと言っていた。
いつも、芸術や数学、社会を良く分かっていた。自分の発想から科学や文化を理解することが多かった。いつも言っているが、解決と発見が多かった。経験と構造で分かっていた。
知性をつけること。いつも同じテーマである、知性、という発想に戻るのが、自分だ。
ドイツは、支配して戦うだけの、右翼だ。ファシズムの反省から、自由な民主主義の国になって、連邦国家になった。キリスト教の政党と社会民主主義の政党が勝っている。そういう、中世のままを感じさせる帝国だが、技術と製品は新しい。
ただ、コメントにあったように、そろそろ、そういう、民族を一括りにするのは、止めた方が良い。個性が嫌いなわけじゃない。自分がおかしすぎて、皆に個性が無く見えるだけだ。
昔は、悪いだけだ。心を導いて、環境を導いて分かっていた。全部分かっていたが、悪かった。ネットで、色んな悪い発言をし、皆を馬鹿にして分かっていた。ただ、全部分かっていた。世界のことや、文化のことが、経験と発想で、自由に分かっていた。
影響力の風上に立って、最も効果的な影響力を行使した。だが、悪かった。自分の思うように行かず、いつまでもネットで編集を繰り返していた。
視点と記憶、それぞれが何をしていて、何を考えていて、何を分かり得るか、関係や経験から考えていた。それで、哲学的に考えていただけだ。
人生や世界観を考えていた。学校や社会の環境などを考えていた。その上で、何をどう出来るか、社会の可能性を考えていた。そういう発想が、ヘーゲルのように分かる方法だ。
あとは、社会を見て分かっていた。前提や発想が多かった。想像力から、知識と経験を吸収し、原因と結果から学習や可能性を考えていた。認識を推測して考えていた。
実現出来る発想から、社会が変えられることを知った。ものや科学、工学を作り変え、社会の変革から、理想の社会とその実現方法、自由な理想と正しさを考えた。
あとは、思い込みや法則を経験と理性によって考えていた。発想を吸収していた。
全て、社会から変えられるのではなく、自分から社会にアプローチするように、などといった発想が多かった。主体的に考えると良い。
姦淫してはならないのは、結婚したり、子供が生まれたりしないだけで、自分の自由に人生を生きられるからだ。その方が、偉大なことが出来る。本当に出来る人間が多い。
あとは、昔は、社会のことが分かっていた。皆で議論する、支配する、皆で決める、独裁者が決める、古代復興、啓蒙、抑圧など、ネットの環境で、社会のことを分かった。
自由にすることで、自然に価値観が生まれる。
自然とは、それぞれがすることだ。改善が積み重なって、自然に発展する。
分かるまで考えて分かっている。
全部試して、考えて分かっている。
社会の分かることを全部書いていた。
皆で議論するの他に、環境を変えるとか、意見を共有するとか、書いていた。