分からなくして、信じなくして、それにならなくする。
それで楽だ。
人生を思い出して、一行一行、自由という言葉で書いていた。
自由とは、強く生きることだ。
自由とは、希望を信じて、戦うことだ。
自由とは、色んな人と関わり合うことだ。
自由とは、思考し、予測し、抽象的かつ具体的に考えることだ。
自由とは、想像力と意志と記憶だ。
詰め込まない方が良い。単純に、言って分かるだけだ。
人生を考えていた。楽か、自由か、賢さを選ぶのが、人生だ。
自由とは、自分の力で経験することだ。
それ以上、もう書かないと、楽になる。
簡単に出来ることが出来ない。考えるのを止めて、頭が元に戻れば良い。
視覚化で時間と空間を見通し、善悪を分かれば良い。
自由に行動し、積極的に知を知り、自分を変え、自分の可能性を高め、経験し、認識し、社会の可能性を知り、心理的な世界を記憶と感情から知る。
そのような、自由な行動や意識の段階を書いていた。
想定、経験、行動、感情、記憶、世界観、想像力、実証、方法から、実感で世界と人間を理解出来る。
特に、想定と経験から実感出来る。工夫と方法で、全てが可能になる。
国の独立性と実現性を考えていた。
当たり前に、国は大きい方が強いが、日本は賢いから小さくても勝てる。EUのようにすれば良い。
危険な綱渡りをするより、綱を降りた方が賢い。その方が出来る。
僕は、数年前から、父親と一緒に農業をしている。英語やピアノは、隔週でしている。文章も毎日書いている。それに、昔はパソコンやLinuxをしていたが、最近は哲学や世界史のようなものも勉強しているし、たまに経済なども考えている。何もしていないわけではない。
だが、本当のところを見ると、何もしていない。毎日、すぐに分かって、何もせず、ただ苦しみの中で悲しく耐えているだけだ。
最近、マイクロソフトが本当に悪くなっている。そのうち、適当にGoogleが勝つと思う。
人間の絆と世界観から、行動力、判断力、思考力、認識力が養われる。ネットは、そういう風に賢い。
全ては、想像力と経験だ。
Debianの問題点は、パッケージを再配布しているが、良いソフトウェアを配っているように見えない。馬鹿なソフトウェアを配っているように見える。誰も使わないから、分からない。基本的なソフトは、最近揃ったが、明らかにWindowsの方が優れている。当たり前だ。
ただ、Bashに代わるzshなど、オタク的に賢いソフトウェアが多い。Linuxは賢い。
デスクトップは、ブラウザにすれば良いように見える。見た目が良くなるかもしれない。
Linuxは使えない。最近は知らないが、昔から、何一つまともに動かないし、設定も難しい。
Linuxが好きな人間は、有り得ない。おかしな人間に見える。
Debianのパッケージは、Debian風にカスタマイズされている。賢いようで、そこが悪いのがLinuxだ。
つまらないから、Windowsを使うしかない。要は、Linuxが本当に劣っている。
Windowsは、全部マイクロソフトの技術しかないのがおかしい。そういうところがパソコンは悪い。
究極の選択には見えない。どちらも悪いだけだ。
IT機器のせいで世界がおかしくなった。それは、仕方ない。何も出来ないし、変えられない。
おかしくはなっていない。最近、皆、単純に賢くなっただけだ。
下がりながら分かるのが多かった。書き直さず、書き加える。
パソコンは怖い。いつ間違えるか分からない。不安と恐怖の機械だ。
ネットは見たくない。ツイッターなんか、全く見る価値が無い。
アメリカが悪いと思う。最近、パソコンしかしていない。IBMが悪いように見える。
だが、そう短絡的に結び付けるのは良くない。
関連付けのゲームや、ころころ変わる言葉の考え方が多かった。判断と支配で世界を治していた。