物理学の世界観です。技術の世界観も参照してください。
物理学と生物学の内容は、父親の話を聞きながら書いているところがあります。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/15より。
物理学は、数式そのものは賢くない。数式の「常識やルール」が多いだけに過ぎず、一見難しく見える式は非常にシンプルな意味を持っている。自然現象を記述するためには、子供のように先入観を持たず、さまざまなことに疑問を感じる理由を考えればいい。これは地動説や万有引力、相対性理論に言える。
物理学的に考えるコツは二つある。ひとつは、「何度やっても同じ結果になるように再現性を実験して証明すること」、そして「結果から原因を突き止めて仮説にすること」。これができると、物理学だけではなく、社会心理学などにも応用できる。つまり、理由が分かれば、そこから説明できる。
物理的方法を参照のこと。
各分野について詳しくは以下を参照のこと。
・力学
・電磁気学
・熱力学
・音
相対性理論や量子力学などの現代物理については現代物理の世界観を参照のこと。
さまざまな機械の仕組みは技術の世界観に移動しました。
まず、そのことがそうであったとしたら、それはどうであるかを考えなさい。
そして、実証と実験から、「正しい法則とはどういう時どのように成り立つものであるか」を知りなさい。
共通項や否定的側面から、「何が本当の原因であるか」を知りなさい。
そして、「原因とは何を意味しているか」から、そのことを応用的に、関係と正しさから「仮定と成立」の論理学にしなさい。
仮定と成立の論理学が生まれたら、今度は人々の経験を考えなさい。自分がそうなる、ということは、どういうことを意味しているか、考えなさい。
その人がなぜそれをするのか、ということを「解決方法を知らないから」という「世界の限界」から考えなさい。
また、命題を真摯に考えることで、「本当に大切なのは解決方法を知ることではなく、命題を共有することなのだ」という、ウィトゲンシュタインのようなことを知りなさい。
同時に、経験的な考え方から、世界を把握する「事前に慎重に考えられた世界モデル」を作りなさい。
心理学的なことを考えて応用することで、精神や哲学的領域についても、物理的な世界モデルの応用から、「人間の考えていること全てを分かる」ことを目指しなさい。
意識の現象学と物体や認識の捉え方を知ることで、ヒュームのような推論的で経験的な帰納法の発見を見出しなさい。
ただし、基本は作ることである。そして、「経験を捉えること」である。
そして、必要なのは考え方というよりも、作られた概念である。
それは、たとえば「作用と反応」や「時と場」や「意識の自在」や「視点と地点」のようなものだ。
そこから、この宇宙の精神のありようを解明しなさい。
精神が何かを知ることができなくても、精神がどのようにふるまい、いつどのように働くかを知ることができる。
それを知ったものは、世界中全てを把握し、解明し、支配することも出来るようになるだろう。
大切なのは、「それがそうであるなら、これもこうなるはずだ」という、蓋然性(たぶんそうであると見なすこと)である。
昔の僕は、その「蓋然性」だけを突き詰めて、世界モデルの自然な発展を全て書いていた。根拠と経緯の全てを完璧に分かっていた。だが、それはもう消え去り、なくなったものだ。
物理的に考えていると、必然的に「一つのことからたくさんのことを説明する」ようになる。哲学は、そういう人間が出来る。心を作用や環境における説明と成立であると考えれば良い。
成立的に考えることは、難しいように見えて、ただ想像力でその場にいる自分を想像すれば良い。その上でこの世界のあらゆるものの現れを一つの視点から説明することができたなら、あなたは新しい哲学者の物理学者になれる。
そう、そこに居る自分の姿を思い浮かべることができたなら、あなたは既に「関係」という言葉の持つ意味を知っている。関係を経験的に考えてほしい。体験から心を解明することができる。心の成立と、社会の説明を同時に考えることができるはずだ。「考え得る」ということが何を知っているかを知ってしまえば、あなたは何も知らずにしてすでに「可能性」という名前の「全て」を知っているだろう。
状態と状況から、可能性の原理と本質を考えなさい。あなたは、自由な人生を生きることで、道を作ることが出来る。社会の中に埋没することに悩んでいるなら、自分で道を作る人にならなければならない。そこから、ヘーゲルのような「真の哲学」が始まるからだ。
必要なのは、「そうかもしれない」と考えること。そして、「そうするためには何が必要か」を考えながら、「それが出来る(前提条件を満たす)ならそれは出来る(実現出来る)」という風に考えることだ。僕は、それを「要請的に可能性の実像を考える」という言葉にしたい。
そこから、経験的に世界モデルを作って、認識と応用的な仮想世界の可能性を考えてほしい。また、ものごとの見え方とは意識である、ということに気付いて欲しい。そして、自分の手で人生を開拓し、成長し、自分の得た経験から、この世界の変化の可能性を知ってほしいと思う。
意図と本質を考えることから、この世界の精神性を考えてほしい。みんなが同じ立場に居て、自分と同じように悩み苦しんでいる、ということから、仏の慈悲の精神も分かってくるだろう。全ては自分であり、自分の所為である。
後日注記:まさに可能性は全てである。この文章全てを考えられない人間は、可能性だけを突き詰めて考えれば良い。
物理学者は数式を駆使してこの世界の全てを整然と理解する。だが、僕が思うに、法則を解明しようとしている人々は、全員物理学者である。
法則を解明するためには、「方法」と「理性」を使う。方法とは、たとえば観察とか、実験とか、そういう「物理的行為」であって、理性とは、仮説や仮定を立てるとか、同じものから法則性のパターンを見つけ出すとか、未知の現象を「たぶんこうではないか」と説明して捉えていくとか、そういう「物理的思考法」である。
僕が思うに、物理をやるコツは、「~しかない」と考えることである。この宇宙には、物質しかない。空間しかない。法則しかない。力しかない。存在するものしかない。そして、世界を捉えるための方法としては、作用しかない。考え方の適用しかない。人々から生まれる考え方しかない。事実しかない。事実から言えることしかない。事実から言えることは、その場その場で違うものと、いつも同じであるものがある。
全ての物理は、「既に起きている現象がなぜそのように起きるのか」を解明することであり、そこから、「理解した上で行うことが出来る」という「自由」が生まれる。物理や科学は、「可能性」や「自由にできる」という意味で、本質的に自由である。よって、自由を悪いと考えているうちは、本当の物理学者にはなれない。
後日注記:そして、精神のふるまいや自我の成長を物理的に解明し法則を導き出す人間は、全員心理学者である。社会において人々がどのような考え方の下に生活し、なぜ人々が社会を築くのか、またそこではどのような営みと可能性が行われるのかを物理的に考える人間は、全員社会学者である。
そして、特に言えることとして、テレビやインターネットは、物理的な世界ではないということである。物理的な世界ではないために、法則も理性も全く存在しない。この非物理的な世界は、宗教と同じように、科学的に考えることのできない「嘘」の世界である。この嘘の世界を排除した時に、世界は見えてくる。逆に、嘘の世界に入り浸っていると、真実は見えてこず、知性は無くなってしまう。
決して、嘘の世界が馬鹿だと言うわけではない。たとえば、心理学的な心や、文学などについても、同じように「物理的には捉えられない嘘の世界」であると言うことができる。また、経済学や工学は現実の世界だが、本当に完全に現実の世界だろうか?自分の信じている主義主張が正しいと洗脳されている政治家や社会主義の人民には、自由に考える力はないし、工学はバーチャルリアリティのような非現実的な世界も作り出すことができる。
だが、この宇宙のこの世界のことを、「なぜこうなるのか」や「どうしてこうなっているのか」と問い、そこから理性的に考えて「同じものは同じである」とか、「常に一定のものは同じように振る舞う」と考えることはできる。そこから、逆に、「リアリティ」という名前の「哲学」が考えられる。この世界は意識の現象が起きていて、絶対的理性が覚醒していくプロセスを歴史と捉えられる。それを哲学と言うことはできるが、まだそれも本当のリアリティからは遠い。
ある意味、物理よりも、ただの平凡な生活や、写実的な絵画芸術の方がよりリアルなのかもしれない。物理は宇宙の起源を数式で考えるが、ビッグバンが起きることを証明できても、それが本当に起きているところを見た人は居ない。
後日注記:インターネットの仮想世界では、嘘であるか正しいかはどうでもよく、自分がどのように考え人々がどのように反応するかだけが重要となってしまう。そのような世界には法則もなければ可能性も未来も無い。
2018-06-02に関連する内容があります。
物体は、空間の状態である。状態であるため、存在するのは空間だけであり、物体は存在しない。
原子は、回転する空間の構成要素である。また、光は、波立つ空間の動きの状態である。
エネルギーは存在しない。エネルギーは、物体が動き、それぞれに関与する中で、人間が物体の変化に対して見出した、人間の観測方法に過ぎない。
物体は空間の状態であるため、空間の状態を変化させることで、無から物体を作り出し、生み出すことが出来る。
最終的には、あるのはありのままの「宇宙空間」だけである。宇宙空間は、三次元ではない。空間は座標を持った三次元空間ではない。空間は完璧な神の創造物であり、五次元以上の「同じ点で直角で繋がった広がり」による「宇宙精神」を持っている。
三次元以上とは何か。それは、回転方法の変化である。座標の原点Oの回転をどのように行うのか、そこから、三次元以上の空間を捉えられる。
後日注記:あくまで僕個人の仮説であり、正しいと実証されたわけではない。
2017-09-17、2017-11-15、2018-03-08、2019-05-03、2020-04-22に関連する内容があります。
僕が思うに、精神病を患ったり知性がなくなった人間にとっておすすめなのは、数学やパソコンよりも、小学校の理科や子供の物理です。
そうした人間たちに共通しているのは、パソコンです。パソコンの仮想現実を知る結果、現実世界が分からなくなっているのです。
現実世界を知る、とっておきが、そうした「子供でも分かる物理」です。
物理を学ぶことで、狂った人間にとって必ず良いことがあります。逆に、数学はやめておいた方が良いです。そうした人間は、数学のせいで馬鹿になっているからです。
科学者の方からは怒られるかもしれませんが、最初から物理なんてもので、宇宙のすべてが分かるわけがありません。
そもそも、物理学は、英語では「Physics」と言いますが、これは「現実の」とか「物体的事実」という意味合いがあり、精神に対する肉体についてもよく使われる言葉です。アメリカでは、体育の授業のことを「Physical Education」と言います。スポーツ用語でも、「フィジカル」は肉体のことであり、「メンタル」は精神のことです。
そう、科学者は、太陽を本当に単なる水素だと思っているわけではなく、「太陽の物体的な側面を見ると、太陽は水素である」という、物理学的に「ものとして考える」という前提条件があるということを、「Physics」という言葉に込めているのです。
日本人は、「物理」という言葉で考えるために、物質の理は全部物理で分かると勘違いしています。ですが、英語のネイティブから見るとそれは間違いです。英語の「Physics」という言葉の通り、物理学では宇宙の物体的な側面しか見ていません。フィジカルだけを鍛えてもメンタルを鍛えなければスポーツでは勝てないのと同じで、物理だけではなく心や精神世界のことも考えなければ宇宙のことは分からないのです。
僕は、太陽は単なる水素ではないと思います。僕が考える「太陽神」とは、知性や心を持った太陽のことです。太陽神の考え方から言って、太陽には人間を超越した、しかしながら人間と同様の心と知性を持っています。その太陽神のことを知らなければ宇宙は分かりません。そして、太陽神についての神話である、日本神話すなわち神道こそ、日本人が全員信じるべき、この世界でもっとも正しい神話なのです。
2023.06.08