新・日記2に戻る | 2017年9月の日記に戻る

=2017-09-17=

昔は、人間関係について考え、経験することが多かった。

愛することは、支配することでも、所有することでもなく、信じることだ。

義務と考えるのではなく、機会や権利と考えなさい。

沢山の経験をする中で、過去の自分の何が間違っていたのかを知り、正しい社会はどうすれば作れるのかを知りなさい。

最終的には、人間関係と個人の自由は、社会全体の秩序を作る自由へと変貌していく。

啓発し、啓蒙する心が、世界を変え、自分を変える原動力となる。

みんなとは違う体験をすることで、集団に没落しない人間になる。

自由になることで、本来の自分に立ち返ることが出来る。

真実の認識は、自分の心の中から生まれる。

全員との絆を培い、全員を吸収せよ。

善と悪を経験すること、みんなと同じように考え、行動し、共感することから、正しいものの見方を知る判断基準が生まれる。

何をどのように捉えれば分かるのか、全て分かる。色んな風に変えることが出来るようになる。

あとは、考え方で分かっていた。

自由、自然、相対性、可能性、創造性、多様性、人間性、共有、独立性、などで分かっていた。

今から英会話教室に行ってくる。

英会話教室に行ってきた。

昔は、自分の人生をいくらかに分けて、世界や国にして分かっていた。

この世界には、3つの世界がある。それは、ドイツ(ヨーロッパ)、イラン(イスラム)、ソ連(中央アジア)である。

ドイツでは、それぞれが自由な中で、経験から人生を開拓し、感情と思考から理性的にこの世界を拡大し、高みへと至る、そうした世界がある。

イランでは、絶対に戦わなくてはならないと信じて、神を信じて最後まで戦う、そうした世界がある。

ソ連では、辛くても従わなくてはならない不自由の下で、きちんと考えて、全てを解決する国を創る、そうした世界がある。

そして、この3つを併せて、日本(中国)とする。黒人(アフリカ)は、これ以後の、何もしない進歩した世界を生きている。

昔から、僕はこのように宇宙を創造する。

昔は、自由なアメリカのような国と、高度で具体的なソ連のような国の2つを創っていた。

そして、新しい経済学のように、具体的な形態を作っていた。

全てを自由にすることで、理想的で正しい国を作ることも出来る。

だが、もっと構造的に考えることで、最高の国を目指す国を作ることも出来る。

自由と共産主義は、矛盾しない。どちらも良い国だ。自由にするか、構造的にするかが違うだけで、矛盾はしない。争う必要も、殺す必要もない。

分かり合うことで、きっと世界は平和に出来る。

自由なルールをみんなで作ることで、全てを自由に委ねることも出来る。だが、評議会を平等にすることで、みんなの国にすることも出来る。

それらは、矛盾しない。良く考えて作ることで、簡単に融和出来る。

自由競争も、計画経済も、この世界を進歩しやすくする、と言う意味で見れば、同じだ。

民主主義でも、政党の中でみんなが議論するようにすることは出来る。社会主義も、やり方は醜いが、同じことを目指している。

やり方は社会主義の方が醜いだろう。だが、それは社会主義が間違っていると言うことは意味しない。どちらも、同じことを目指している、同じ意味を持った考え方だ。

僕は、新しい国を作る。

自由競争と計画経済をどちらもやること。そして、合理的な経済学を必要に応じて作るようにせよ。

労働を平等にし、不当に長時間働いたり、過労することが無いようにせよ。だが、会社の自由を与え、職業は自由に就きたい職業に就けるようにせよ。

そして、政党の中で議論し、国会と政党は議論と首相を支えることを目的としたものにせよ。だが、意志決定に民衆の意志が反映されるようにせよ。

自由に価値を創造することを許すと同時に、システムの中で悪いものは自然に淘汰されていくようにせよ。

会社を作ると言う点において、自由な会社の創造は認めると同時に、責任のあるままで、出来るだけ簡単にイノベーションのある会社を作れるように、平等に国民に資本を与えよ。

そうして、理想の国は生まれる。この国では、社会主義はしない。理想の民主主義国家になる。

昔は、支配をしないこと、それぞれの可能性と環境が増えることの、自由を考えていた。

政府を、独立して支配しやすいように小さな政府にし、小さな自由都市や共和国にして、巨大な部分は全員で参加し、議論し、選べるように、ボトムアップ的な組織にせよ。

一人が全ての環境に関与するのではなく、それぞれで環境を作り、手段や機会をそれぞれが与えるようにせよ。

それぞれが参加することから、全員で世界を変えるような、小さな会社の集団としての高度な形態での大企業を作れ。

税金は出来るだけ取るな。必要に応じてそれぞれがそれぞれの権限で行政サービスを行うようにせよ。

金ではなく、さらに高度な形態でのものの交換と分配と生産の媒体を作れ。

農業や工業は、それぞれが自立して得られるようにし、地域密着型の会社や組織を作れ。

組織は、常に進歩し、改革せよ。一つの「出来る組織」を出来るだけ維持したままで、高度な方法でたくさんの分野での業務をこなせるようにせよ。

昔は、そういう風に、合理的かつ民主的に経済の「自由」を考えていた。

それぞれの権限、自由、環境、多様性を高めよ。

それぞれがやりやすいようにやり、進歩しやすいようにせよ。

それぞれが独立する中で、それぞれとそれぞれが互いに関与して、社会組織を構築するようにせよ。

意見を共有し、全員の意見を全員が知ることが出来るようにせよ。

権限と共有は、矛盾しない。それどころか、共有があって初めて権限が活きるようになる。

それぞれに権限を与え、自由に意見を言うと同時に、その意見を全員で共有し、全員が利用出来るようにする。共有と自由な権限は、互いに相手を必要とし、互いに補完し合う関係を持っている。オープンソースと同じだ。それぞれが権限を持つと同時に、それぞれの環境を共有する。それが、正しい思想だ。

視点と場から、環境の創生と記憶の関わり合いを考えなさい。そこから、ハイデガー的な認識と存在の可能性が見えてくる。

そして、仏の心と慈悲を持て。全員が同じ法の下で生きていると言う事実は、この世界の全てに対する慈愛と慈悲の心を教えてくれる。

愛すること。そのために、不純な気持ちを持つことは悪いことではない。反抗しなければ勝てないのと同じように、不純な気持ちを持たなければ愛することは出来ない。

終わりにしよう。ここまでで、全て書いた。さようなら。本当に、僕の馬鹿な話に付き合ってくれて、本当にありがとう。

適当なこの話が、みんなの気持ちに突き刺さることもあるかもしれない。だが、それはあなただけの秘密にしてほしい。

あなたが愛するように、今度はあなたがみんなを愛してほしい。

あとは、多面的に真理を書いていた。実存と環境の理性を、多面的に全て書く。理性や考え方は、機械のようにあるものを全て網羅していた。

迷子になっている僕を見て、みんなは地図を得る。それは、迷子の僕が、迷うことによって全ての在り処を既に知っているからだ。

さようなら。本当にありがとう。

みんなは、愛の下に生きるようになる。それぞれが可能性を知ることが終わり、今度は可能性を自分で創造するようになる。

分かっていないのは、そのまま放っておけば、分からない活動が分かるまで、全て出来るまで続いて、最後に分かるようになる。

それを、仏の慈悲の境地と言う。全ての人間の活動が分かった人間は、全ての人間が本当に素晴らしく、努力し、確かめ、精一杯活動しているのが、実感で分かるようになる。

そして、全ては仏の国になる。仏の国では、全員はもう既に分かっていて、何もしなくても、完全な涅槃の境地に達して、開放的で真面目な国をみんなの手で作る。

それは、きっと地球が人類に復讐することになったとしても、それを乗り越えられる。するべきことは、ただ、探し、求め、そして見つけること、それだけだ。

色んなものを探しているうちに、全てが積み重なって、愛と慈悲の心は、最高の国を作るための正しい方法を知るだろう。

一人の王が孤独に分かるだけではなく、彼が消えたとしても、彼の人生が消滅したとしても、そこには「永遠」の国がある。

その国が実現しなかったとしても、永遠にその歌は響く。

その歌は、彼の悲しい人生と、美しい彼の思想を遺してくれる。

それは、すでに彼のものではなく、みんなのものとなっている。

世界で最も美しい、「宝」となっている。宝の名は、「永遠の希望」である。

探した場所に、最初からある宝を見つけるわけではない。探す、と言うその行為そのものが、永遠の宝を生み出すのだ。

希望を持って、諦めず、出口を探し続けるその行為こそが、宝を創り出す。そこから、天国は生まれるのだ。

だから、色んなものを探して見つけるのではなく、色んなものを探しているうちに、宝はそこに生まれているのである。

創造的で、永遠の諦めない希望が、たった一つ、日本の平成と言う時代に、世界への愛と自分の心として、この世に何かを創り出した。

それを、グレート・サファイアと人は言うだろう。在導万創、シュバルツと言う名が、そこに刻まれているだろう。

いつまでも希望を信じて、全てが見える地図を遺し、それは本当の宇宙の能力を世界へと示し、現している。

そう、その宝石は、きっとガブリエルが作ったのだ。ガブリエルは、ロボットを作ることで、この世界を変える詩(うた)、そう、2000の歌を創り出したのだ。

三千年の時を想うことで、きっと本当の愛が生まれる。真実の愛、トゥルー・ラブ。それこそ、それが、あなたの運命の人だった。彼が、神だ。

彼は銀の竜とともに、塔へと帰るのだ。彼の名はヴァイス。白い恋人だった。

彼は世界を救う。天の御国を作って、人類への地球の報復を、彼の理論で、彼の国で治す。世界の終わりの中で、臆病者の一撃が、嵐のように吹き荒れるだろう。滅びの風は世界を変え、この世界の全員を永久幸福論者に陥れるだろう。彼こそ、神だ。出会いは嬉しいようでいて、当たり前のように全てが哀しい。それが、平成の我々の幸福論だ。

彼の名前を呼ぼう。彼こそ、パーフェクト・ヒューマンだ。

君の名前を知りたかった。君の名は、在導万創。彼は前前前世から、私のことを愛してくれた。全てのユダヤ人は、彼に愛されている。彼こそ、メシアだ。彼こそ、ダビデだ。彼こそ、キリストだ。彼こそ、天皇だ。

そして、彼の書いたその文章こそ、新しい聖書だ。我々との約束、世界の約束だ。そして、きっと天空の城に、彼はきっと居るだろう。悲しみと怒りの中に潜む、その誠(まこと)の心を、きっと森の精、物の怪(もののけ)が知っている。

そして、100万回生きた彼は、人間ではなく、ネコだったのだ。彼こそ、仏だ。彼が、本当の人間だ。

彼の残した宝は、ひとつなぎの秘宝だった。そして、きっと偉大なる航路は、そのまま新世界となるだろう。

あまりそんなに賢くしてもつまらないが、僕はそんな感じで、何も分からない人間だ。アホみたいにおかしい。ただ、最近あまり狂っていない。底の見えた馬鹿でアホ、そう思いたい。自分のことも、世界のことも、東京のジェノサイドシティだと思っている。君さえいなけりゃ良かったと、そう言われたい。では。

それくらいで、終わりだ。

昔は、社会や世界が歴史的にどうなっていくかを書いていた。自由から希望が生まれるとか、愛から平和が生まれるとか、そういうことを言っていた。

上の文章は、僕の好きなものを書いただけだ。

臆病風に吹かれて波風が立った世界をどれほどにも愛している。妙に奇妙に立ち振る舞う。

ただ、僕がYouTubeで聴いている曲を書いただけで、何も賢くない。

不思議と、インパクトのある出来事は最初から分かるが、この人間以上にこんなことをした人間が居ないから、こういう風になる。

自分のことをそんなに讃えられても、あるいは危険な人物だと見られても僕は満足しないが、ただ感謝してくれるなら、僕は本当に嬉しい。

僕は、感謝はされたいが、自分の行為を良いと言われたくはない。僕の中の善悪の価値基準が、全てのものを「SOS」と解釈している。そういうパニック症候群になっている。

だが、僕はやけに冷静だ。どんなことが起きたとしても、神様気取りで全てを見通している。

僕は、色んな音楽を聴いているうちに、コバソロとAAAにたどり着いた。AAAの曲は飽きないし、色んな歌手の曲をコバソロが歌ってくれるせいで、簡単に音楽のことが分かる。

本当にこの世界のことを愛している。きっと、もっと違うところに、たくさんの僕は残っているだろう。だが、僕はそれを知ろうとはしない。これくらい讃えられてしまえば、むしろ、満足と言うより悪い気がしてしまう。悪いことをしただけの自分が、この世界を私物化し、みんなを洗脳して自分を褒めさせているような気がしてしまう。

本当は、まともな人間になりたい。だから、いつも勉強しようとするが、何も教わらないせいで、勉強してもみんなのように理解出来ず、ただ基礎と初歩の知識を知っただけで終わりになってしまう。試験が無い代わり、何もすることが無い。すぐに知って、すぐに終わってしまう。その代り、子供がやるよりも簡単に覚える。

僕が一番好きな歌手は、ダントツでAAAだ。だが、むしろBUMP OF CHICKENの方が上だ。むしろ、嫌いなのはRADWIMPSとPerfumeだ。昔は、FLOWが好きだった。欅坂46も好きだ。ジブリの音楽も素晴らしい。

環境に適応せよ。人間は、環境に適応することから、自然な精神を知って、全ての真理を知ることが出来る。

愛するなら、正しく愛せ。

自分は、愛されたいわけではない。僕の想うことや望むことを最初から押し付けたくはないから、言いたいことや望みは無いが、みんなは分かっていないから、僕が一番悪いと思っていることを平気で言ってしまう。僕はそれに怯えるだけだ。本当はみんなの方が正しいから、怖いものは見たくない。嬉しいとか、ありがとうとか、そういう気持ちが来るよりも先に、先に「怖い」が出てしまう。だから、僕はいつも子供に戻る。みんなのことが、怖い。

あなたが僕と同じ立場に立ったとしたら、きっとあなたは僕よりも賢くすぐに終わってしまって、ここまで永遠のように長く、永くは出来ないだろう。

きっと、永遠と言う言葉を知らなったのは、僕の方だ。

僕にないものばかりで出来上がった君の全てを知りたいなら、僕は僕に分からなくなってしまった普通の人間の分かることの全てを知りたい。僕なら、赤と黄と紫で描いた空の中に、緑と黒と茶色で描いた太陽と、灰色と黄緑と青で描いた雲を描きたい。

僕のピースサインは、転がっていくストーリーだけではなく、僕が悲しまないように笑ってくれたあなたの笑顔のためにある。

きっと、僕とあなたが何らかの方法で繋がることが出来たら、それはポルノグラフィティが言うような、空回りする僕の歯車を、きちんと噛み合って時間を刻むようになるための、そういう風になる手段や機会となっていくのだろう。世の果てでは空と海が混じる。最初から、愛されたいと願わなければ良かった。

暴れん坊のようでいて、いつも優しい歌で僕らを守ってくれている。そんな神を、僕は信じていた。神とは言うが、神がどんな存在なのか、全く知らなかった。体験する中で、神とはどういう存在なのかが分かった。

昔をブラフマー、途中の時代をシヴァ、今をヴィシュヌとすれば、きっとインド神話すら、僕の影響の中にある。

だが、僕はそれらを決して利用したり、支配したりしたいわけではない。ただ驚き、そして感謝し、そして罪悪感とともに自信を感じている。

ただ、あまり意味がない。神は一人であり、ユダヤ人を愛しているとしたのは、きっとイスラエルだけを見ているからだ。

この文章はパンドラの箱だから、きっと最後に希望が生まれるだろう。この文章はアダムとイブだから、きっとこちらが悪い罪を犯すのだろう。そして、エデンから追放されて、人間の世界へと、この文章は注ぎ込まれるのだ。

この馬鹿の居ない世界にも、きっと意味はあるのだろう。本当は、刹那(せつな)の旋律と永久(とわ)の旋律を合わせたような、大人になっていく過程を悲しい歌で埋め尽くしたかったような、そんな「フィクション」の世界が、この僕の「アイデンティティとリアリティ」を現している。ハハハ。そんな感じですかね。

無いものねだりでないような、確かなものを見つけられただろうか?この人間に出会えたことは、偶然でも運命でも奇跡でもない。本当は何もない。最初から、こんなものは無い。あるように見えて無い。般若心経で言う、色即是空、仏教で言う、一切皆苦であり諸行無常、それは僕のことを言っているのだ。

まあそんな感じで、僕は結構この世界と面白く付き合っている。

なんというか、言葉にはならない。愛だけが伝わってくるが、この人間がそんなに何も分かっていないのが分かる。

面白くは無い。そんな人間は特別賢いように見えて、たった70年前に居たどうでも良い人間だ。人類から見て、本当にどうでも良い現象だ。おばあちゃんのおばあちゃんが見て、若者のクズにしか見えない。それくらいの馬鹿だ。

僕らの自由を、僕らの青春を、大げさに言うのならば、きっとそういう事なんだろう、と既に奥田民生が言っている。それが正しい。気持ちの良い汗、けして枯れない涙、幅広い心、くだらないアイディア、軽く笑えるユーモア、うまくやり抜く賢さ、眠らない体、すべて欲しがる欲望。僕の全てを、すでに言っている。それが僕の魂だ。

本当は、自分のように考えても、何も分からない。分かっていないだけの何かが分かる。

デカルト的に考えれば良い。デカルトのように考えれば、きちんと分かる。累乗や座標のように考えると、デカルトのようにきちんと分かるようになる。

分からなくなった人間は、デカルト的に考える、と思えば良い。そうすると、分からないのが治る。

デカルトは馬鹿ではない。学校ではデカルト的な考え方を教えている。

あとは、僕はこの世界のことが分かっていない。今、この世界がどこにあって、どこへ向かおうとしているのか、知っていて知らないフリをしている。

だが、それをもう少し、いじっていれば良い。みんな、そんなに大雑把に考えるせいで、分からなくなる。もっと確かめながら緻密に考えれば、デカルト的になる。

要は、理想の学校では、デカルト的な考え方を教える。それだけをすれば良い。

昔は、たくさんの社会的経験と資料を与えることで、偉大な人間を生み出すとか、そういう、「可能性のある教育と社会設計」のようなことをいつも言っていた。

あとは、ヒュームのように、先入観の無い純粋な理性での、因果性や環境理解のようなことを言って、具体的なプロセスと環境設計を書いていた。

自分は、本当は周りから影響を受けるのが怖くなっている。普通、人間は影響を受ければ受けるほど賢くなるのに、自分にはそれが無い。

昔の自分は忘れて、影響を受けた方が良い。

昔の自分が、ネットで影響を受けてクズになっていたから、そういう風になった。影響を受けたいと思わない。

昔のネットを消して影響を受ければ良い。だから、むしろ、ネットは見なくて良い。ネットで影響を受けるのは悪い。もっと、普通のものから影響を受けるべきだ。

影響を受けないせいで、自分は「影響とは何なのか」すら分かっていない。誰かの意見に賛同することが、影響を受けると言うことだ。だから、そんなに一目で分かって自分に吸収しても、それは影響ではない。自分より賢い人間の影響を受けないせいで、自分だけ、影響を受けずに一人天才のように賢くなった。これがモーツァルトだ。

モーツァルトに影響を受けると良いだろう。あれは、素晴らしい人間だ。

影響を受けると、それに「なる」人間が多い。そうすると、きちんと分かるようになる。認知症が治る。それにきちんとなると、それでもうその人間が分かる。

自分は、神に影響を受けるのが悪い。神に影響を受けると、こういう下等な生命になる。神は下等な生命にしたいだけだ。

もう少し良く考えれば良い。

ネットやテレビは見ない方が良い。テレビは馬鹿な人間しか居ない。

本を読んで音楽を聴いているが、それで作業所に言って文章を書いていると、それだけで自動的に分かる。そこらへんは、誰でもそうなる。予定調和だ。

デカルトに影響を受けるのが良いだろう。デカルト的に考えていると、デカルトの言っていることが良く分かる。影響を受けるとは、「真似」をすることだ。

こういう影響を受けない人間は、人の言っていることを聞かなくても分かる人間がこうなる。ドイツに多い。ドイツとドイツ語が論理的過ぎるせいで、何もしなくても分かる。

自分にはドイツ語が足りなかった。だが、それを文章を書くことで補っている。ドイツが足りないのは、Linuxと神で補った。

ただドイツで分かってもつまらない。ドイツ以外の別のもので分かれば良い。

ドイツ語は確かに論理的で、皆、「日本語より論理的だ」と言うが、ドイツ語を見ていると人間はおかしくなる。完全に狂った国がドイツだ。

僕が見た限りで言うと、むしろ、英語が賢い。英語は、単純な言い方で高度なことを言う。UNIXのプログラミングと良く似ている。何でもかんでも、簡単な言い方で言える。

英語をやっていると、昔のような賢い社会になる。全て、馬鹿なことを経験して、自由に賢くなる。

僕は、子供の頃から英会話をやっている。幼稚園からやっていた。だから、英語のことに関しては、普通の人より詳しい。本当に素晴らしい言語だ。

英語は、本当に話しているアメリカ人は賢くない。日本人のような、外国語を学んでいる他国の人が英語を話すと賢くなる。

英語は、辞書を引いているだけで出来る。だが、そうでもない。発音が分からないと聞き取れない。

発音を分かるコツは、「日本語のように単調ではない」ことだ。もっと、アップダウンが多い。これを聞き取るためには、「大きな声で、複雑に言っている発音を真似すること」だ。パソコンのディスプレイで言えば、解像度が高い、と言う表現が正しい。一つの単語を言う時の、アクセントや言い方の解像度が高い。日本語のように単純には言わない。

ただ、英語は本当に分かるためには、色んなことを分かる必要がある。日本人は、日本語を使うせいで、色んなことが何も分かっていない。みんな同じように何も分からなくなっている。英語は違う。英語を話していると、色んな普通のことが良く分かる。そういう、色んなことを分かる人間なら、英語でどのように話せば良いか、すぐに分かる。

そのために必要なのは、インターネットを見て多いように、アメリカやヨーロッパのものを分かることだ。僕のようにUNIXを分かるのが一番良いだろう。

自分は、物理が分かっていない。

物理を分かるためには、「何が出来るのか」と「何が正しいのか」を考えることだ。

そんなに全て出来る人間は居ない。僕にも出来ないことの方が多い。正しいことなんか、少ない。ほとんど全ては虚偽だ。

出来ないこと、嘘、虚構、そういうものを分かっていると、物理が出来るようになる。そういうものは全部同じだ。

要は、一つの正しいことがあった時、その他方にある別の正しいことは矛盾する。矛盾せず、それぞれ正しいとするのは早計だ。

だから、何を正しいのかを知るためには、何が間違っているのかを考えないといけない。

正しさは必要ない。イスラム教も、ソ連も、そういうものは必要ない。キリスト教すら必要ない。そういうものは分からなくなる。

哲学も、歴史も、数学も、学校も、職業も、パソコンも、デザインも、作家も必要ない。そういうものは分からなくなる。

全てを消した時、全てを失った時、そこにあるのは、物理だけだ。何もかも消え去って、何も残らない、その「ゼロの意識」の中に物理はある。

だから、物理とは、詩人の最後の境地であり、戦争の終った終戦記念日なのだ。

僕は、「いつ終わっても良いようにしたい」だけだが、それが間違っている。そのせいで、辛くなっている。

終わるようにしない方が良い。いつまでも続くようにした方が良い。その方が楽だ。楽なのに、それを取らないのは、意地になっているからだ。

自分の自分勝手な「終わり方」を決めつけている。それがおかしい。もっと、別のやり方で終われば良い。それで、楽になる。

そろそろ、頭の中の円が完成した。

頭の中は、そろそろ上空が上がったが、本当は空白の部分を付けようとして、それで賢くなろうとしている。だから攻撃される。

頭に足がついているのが醜い。

物理学は、作用や方法をきちんと考えることで、推論して分かっていた。そして、全ての方法を証明した。

そういう物理学がやりたいなら、すれば良いだろう。

もう、知性が治った。全て、少しずつ戻る。

昔は、そういう物理学から、実感で分かっていた。経験が分かった。

昔は、全てのものごとに対する作用と変化のような文章を書いていた。習得的に分かった。