色んな技術の世界観です。物理学の世界観や交通の世界観も参照のこと。
まだ作りかけです。機械いじりが子供のごろから好きだった父親の話を参考にしています。
僕は、昔からものを作るのが大好きです。物心のつくごろには、すでにセロテープやプラスチックのペットボトルや割り箸などを使って、人形を作ったりしていました。
幼いころはロボット戦隊ものが好きでしたが、小学生ぐらいになると、ミニ四駆を作ることが好きになりました。
テレビの影響からスーパーイライラ棒を作ったり、あるいは父親が自分の子供時代に読んでいた「子供の科学」などを読みながら、電子工作などをして幼少時代を過ごしました。
父親は家にたくさんの工具を持っていて、金づち、電動ドリル、のこぎりなどは、僕の基本的な幼少時代からのスキルでした。そうしたものは全て、父親に教えてもらいました。
とても幸福だったあの時代、今の僕よりももっとこの世界に対する疑問や好奇心が多かったと思います。また、Windowsも大好きでした。
僕は、今の日本には「作ることの喜び」が失われているように思う。
これは二つの理由がある。ひとつは、「簡単になった」という問題である。Microsoft製品やAdobe製品を使うことで、どんなものもとても簡単に作ることができるようになった。オフィスワークも、デザインも、何でも簡単にできる。これが、逆に、作ることの楽しさを失わせている。何もかも簡単に、何もしなくても作れるようになった。
もうひとつは、「難しくなった」という問題である。MicrosoftやAdobeの製品を「使う」ことが簡単にはなったが、逆に「作る」ことは難しくなった。Microsof製品やAdobe製品を自分で作るのは、不可能といってもいいくらい難しい。これはパソコンやIT業界だけでなく、たとえば自動車や飛行機のようなものも、昔ライト兄弟が作っていたように自分で作れるものではなくなった。
そうしたわけで、日本には急速に「作ることの楽しさが無くなった」という問題に陥っている。
作ることの楽しさを失った人類など、猿と同じである。今からGoogleなどに人類が負けないようにするためには、どのようにかして作ることの楽しさ、「クリエイティブ」を取り戻すことが必要である。僕は、Linuxやオープンソースに、そうした価値を求めることができるのではないかと思う。(ただし、オープンソースが悪いだけだ、と言われてしまえば終わりである。)
また、物理現象そのものを考える物理学と違って、工学では発見した物理現象を「どのように使えるか」を考えます。
何がそれをもたらしていて、それが何をもたらしているか、なぜそれがそれに使えるのか、どのように使えるのか、どんな意味で使えるのか、成り立ちやふるまいから何が言えるのか、などです。
同時に、社会についても工学的に考えられるでしょう。「何かを実現するためにどのような社会を作るべきか」を、「役に立つ社会」や「便利な社会」から考えられます。
ですが、エントロピー増加の原則により、自然に放っておくと乱雑さ(エントロピー)は常に増大し、外部から力を加えない限りエントロピーは現象しません。エントロピーを増やし続けている最大の悪魔が機械工学です。特に、インターネットの社会はカオスそのものです。誰かひとりの力で、何かを成し遂げる、ということも、科学技術やものづくりには必要になるでしょう。
また、一口に工学とか技術と言っても、実際はたくさんあります。
たとえば、木材加工や木材を使った木工、金属加工や金型・鋳造、石材などの加工、電気・電子製品、家電製品、映像・音声・AV技術、機械技術、乗り物や交通システム、工芸品やハンドメイドや陶芸、建築や土木建築、都市設計やインフラ、食品・衛生や水回り、発電やエネルギー、衣服やアクセサリー、農業やバイオテクノロジー、薬品や医療、工場などの生産システムやロボット、あるいは科学的研究や宇宙開発、果ては古典的な武器や兵器、近代軍事兵器など、とても多くの機械があり、それぞれに技術ややることが違います。
ある意味、コンピュータや電子機器・情報通信技術は、こうしたたくさんある技術のひとつに過ぎないとも言えます。決してアナログがデジタルよりも劣るわけではありません。また、時には機械的な産業技術だけではなく、研究者のように学術研究などと重なる部分もあり、「科学上の発見が応用として技術に転用される」こともあり、科学的な基礎研究が技術的な応用工学に劣るわけでもありません。
日本の技術について言えるのは、「日本の技術力は高い」ということ。
これには、大きく2つの潮流がある。まず、日立製作所のような「戦前から技術力の高かった会社」のこと。明治政府が富国強兵政策をし、昭和においては軍需産業によって技術を発展させ、「日本の技術力の基礎」を築いた人たち。それが、日立のような戦前からある会社である。
もうひとつは、SONYのような「戦後の何もない荒廃した世界で、アメリカのオリジナル製品をコピーして改良した会社」のこと。彼らは、SONYや松下などの家電製品から、トヨタのような自動車産業まで、日本が外国から材料を輸入して、それを自国で組み立て生産する、という「大量生産における貿易差額主義」を行った。
結果、日本は技術大国となった。日立が作ったハードディスクをSONYが使う。そうした「それぞれの日本企業の役割による違いと分業化」が、日本の独自の「ガラパゴス的な文化」を相まって、「世界に名だたる日本ブランド」となったのである。
だが、日立にも、SONYにも、今のIT技術に対応するのはとても難しい。日本には、そもそもオリジナルの独創的なサービスやアイディアを出す、ということができない。そう、GAFAがやっているような「世界を引っ張っていくオリジナルのイノベーション」が、日本にはできないのである。
後日注記:実際には僕は何も知らずに書いているため、ほかにもさまざまな潮流があったと思う。
僕は、デジタルなコンピュータを内蔵した機械は、途端にブラックボックスになると言えると思います。
ブラックボックスとは、「中の仕組みが分からなくなる」ということです。
昔のアナログな機械というのは、壊れるのを承知で分解すれば、中の仕組みを見ることができました。分解した後で、部品を取り換えてもう一度組み立てれば、修理することもできました。
ですが、今のコンピュータ搭載型のデジタルな機械は、ブラックボックスです。内部の仕組みを知ることができないのです。
僕は、これは産業革命以来の大変な問題だと思います。それは、機械を購入しても、生産者と同じ「所有権」を消費者が得られない、ということだからです。
僕は、オープンソースとフリーソフトウェアに期待しています。いつものように機械の仕組みを自分で見て改造することができるような、そんな「自由な社会」が来てほしいと思っています。
後日注記:そもそも、ソフトウェアとは「機械がどのように動くかを自分で変えられる」というのが面白かったのです。今のブラックボックスなコンピュータはその完全な逆を行っています。本当に正しいコンピュータはオープンソースであるべきなのです。
工学とは、日常にある機械の作り方を分かるだけではなく、原理的・根源的な基礎工学のようなものを考えられる。
これには、電磁磁石、レンズ、顕微鏡、モーター、歯車、基板、電線、電波や赤外線、あるいは金属加工や組み立て、部品の構築や金属やプラスチックなどを固めて作ることなどが挙げられる。
このような原理的な工学を知っておけば、応用的な工学も考えられる。
ちなみに、モーターは内部にコイルの電磁石のついたピンとその周りの磁石があり、電流と磁力の力を応用して、電磁石と磁石の間で発生させた力で内部のピンを回転させ、ピンについたギア(歯車)を回転させるが、こうした小さな部品の仕組みを知りたいのであれば、ミニ四駆を組み立てたり改造したりするのがおすすめ。
僕の父親は、幼い頃から、機械を直すのが得意でした。
祖母などから聞いた話によると、壊れた機械を二台もらってきて、分解して部品を取り換えるなどして動くように直して、ひとつをもらった元の人に返し、もうひとつを自分のものにする、ということをしていたそうです。
そのため、昭和のテレビが高級品だった時代に、父の家にはテレビが二台ありました。
また、父親はアマチュア無線が好きで、僕がインターネットでやっていたのと同じようなことを、既に地球の多くの場所を繋ぐアマチュア無線で行っていました。
それから、祖父(父親の父親)は呉服屋を営んでいました。そのため、祖父や祖母は当時としてはいい着物を着ていたのが写真で残っています。祖父は早くして亡くなったため、祖母が頑張って父やその兄弟を育てました。
後日注記:機械を直すコツは、壊れた部品を取り替えることです。ネジを回して機械を分解し、どこが壊れているかを突き止めて、その部品を取り替えれば直ります。ですが、逆に「どこが壊れているかを突き止める」ことが難しいと言えます。
2024.05.13
2024.09.28編集
工場を参照のこと。
電話を参照のこと。
テレビを参照のこと。
時計を参照のこと。
カメラを参照のこと。
電波を参照のこと。
電球を参照のこと。
磁気テープを参照のこと。
交通を参照のこと。
道具・技法を参照のこと。
その他の機械の仕組みについては、技術の世界観一覧を参照のこと。
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