僕は他人のことは信じない。だが、自分自身のことは信じることができた。成長するうちに、自分自身の間違いがなんであるかが分かり、すべてを正しい視点から見た上で、絶対的に考えることができるようになった。
posted at 23:12:49
だが、僕は間違っていた。なぜなら、自分自身の力を過小評価していたからだ。自分だけで行うのではなく、世界のそれぞれがバラバラに行う方が、平等という意味で正しいと思っていた。それは間違っていた。僕がたったひとりで、自分だけで行う方が、はるかに多くの成功が実現できた。
posted at 23:11:24
わたしたちはできるのだと、潜在的に存在するわたしたちのできる力を信じよと、僕はその力を信じていた。できることに気付けと、気付かないままで見失うなと、そのように僕は考えていた。そこから僕は経験し、この世界をすべて変えられるようになった。
posted at 23:10:15
理性的にそれができるということが分かっているか、あるいは分かっていないか、僕はそれを自由と呼んでいた。それは本当は自由ではなかった。そう、自由という言葉が、曖昧すぎて、間違っていて、どうにでも使える言葉だったのが悪かった。僕は「自分ができる力に気付くこと」を信じただけに過ぎない。
posted at 23:08:06
僕は神を信じている。よって、僕はなにひとつ信じていないわけじゃない。僕の神は僕の独自の神であり、キリスト教の神ではないが、宇宙の創造主でありながら、僕を支配する絶対者である。
posted at 22:51:52
右翼の政治家が言うことは、先見性がなく、無能で、何も分かっていない。ビル・ゲイツのほうがはるかに先見性がある。ビル・ゲイツにやらせれば、この世界は良い世界になるだろう。
posted at 22:49:44
右翼のことを信用しようと思ったことは、僕は一度もない。
posted at 22:47:54
僕は右翼だが、ほかの右翼は嫌いだ。なぜなら、信用できないからだ。右翼の論客は、ほとんどが詐欺師のような人間であり、信用できない。まだ、リベラルな民主主義者の方が信用できる。
posted at 22:46:23
この世界には、どこにも希望なんかない。絶望しかない。それはわたしのせいじゃない。わたしは単に自分のするようにしただけにすぎない。この世界が間違っているのである。
posted at 22:43:39
世界を変えるなどと、笑わせるな。このような社会主義思想からこの世界が変えられるわけがない。すぐさま破綻し、必ず滅び、いずれ崩壊する。誰一人望んでいない左翼の社会を、再びやるような義理はない。
posted at 22:40:31
ユートピアのような世界がどこにある。ユートピアはそもそも実現不可能だ。
posted at 22:39:33
この世界は、自由なままでいい。自由は正義であり、資本主義は腐ってはいるが素晴らしい社会だ。
posted at 22:38:25
今の日本の政府には、「自分が守ってやっている」とか、「責任をもって統治してやっている」という姿勢が見てとれる。僕は政府を支持しているわけじゃない。政治家に期待せず、自らが政治家になる意志もないだけであり、政治家の意見には最初から同意していない。
posted at 22:36:49
そして、自由を許さない思想を信じてはならない。自由な思想でなければ、人間には生きる意味がない。自由な民主主義だけを信じるべきである。ほかのどのような詐欺師の思想も信じてはならない。
posted at 22:24:36
世界において、平和な民主主義が勝利すべきである。民主主義でなければ、この国ではまた戦争や虐殺が起きるだろう。今までの歴史の反省から言っても、民主主義以外の勢力をすべて否定すべきである。
posted at 22:23:49
そもそも、20世紀の歴史から言っても人類は馬鹿である。独裁者は人殺ししかしない。人を殺さないのは民主主義だけである。その理由だけから言っても、明らかに間違っているにもかかわらず、民主主義は一番正しい。
posted at 22:22:41
なぜ、資本主義が明らかに間違っているのにもかからわず、ほかのすべてより正しいのか。それは、学者や思想家が馬鹿だからである。今までの歴史において、人類はあまりに馬鹿だった。だから、資本主義よりも優れた思想を考え出すことができなかった。そう、人類は無能であり、歴史には価値がない。
posted at 22:20:04
なぜなら、むしろ、明らかに資本主義は間違っている。資本主義経済の定めるルールはおかしい。だからといって、社会主義は正しくない。そう、資本主義は明らかに間違っているが、それでもなお、ほかのすべてよりは正しい。
posted at 22:18:50
ただし、僕は一般的な保守派の論客は嫌いである。彼らは、経済の自由化によるメリットしか語らない。自由貿易と自由市場がもっとも正しいかのような言論を彼らはする。それは間違ってはいない。正義だ。だが、間違っている可能性を考えないのが気に入らない。疑うということを彼らは知らないのだ。
posted at 22:15:39
誰かに守ってもらいたい、などといったことを言う人間はどうかしている。自分の身は自分で守れ。軍隊が必要だと思うなら、軍隊に入ればいい。それがもっとも自分の身を自分で守れるだろう。
posted at 22:12:26
社会は家族なんかじゃない。強いものが弱いものを養ってあげる義務なんかない。それは自分の子供だけだ。なぜ、どこの馬の骨とも分からない弱者を助けなければいけないのか。その弱者が本当に信頼できるのか。ただし、手助けする人間はとても素晴らしい人間だ。それは否定しない。
posted at 22:04:34
だが、だからこそ、優れたひとりが他よりも多くの給与や報酬を得ること自体は認めるべきである。ひとりが千人の働きができるなら、千人分の給与を得ることも認めるべきである。
posted at 22:01:26
ただし、僕は単純な自由主義者ではない。なぜなら、数が嫌いだからである。すべては数では決まらない。たったひとりであっても、千人分の働きをすることはできる。人間は個数じゃない。
posted at 22:00:12
外国など信用できない。外国人は、優しい顔で、日本人のことを助けるふりをして、日本人からすべてを奪っていく。
posted at 21:57:55
他人を信じるな。信じられるような信頼できる大人などいない。大人を信じるな。大人を信じるぐらいなら、自分自身だけを信じて生きた方がはるかに自由に生きられる。
posted at 21:55:46
自由を尊重せよ。他人に自分の考え方を押し付けるな。信じられるのは自分だけだ。考えるのに使えるのは自分で経験したことだけだ。
posted at 21:54:16
他人に意見を強制するな。
posted at 21:51:12
自らがそれを正しいと信じるのはいいが、それを他人に押し付けるな。自分が社会主義的な思想を信じるのはいいが、それを社会全体に強要するな。
posted at 21:43:08
そう、まともな人間は、社会主義の指導者を信じたりしない。ひとりの人間をそこまで信じるなどということはできない。必要なのは、自らがそれを正しいと判断して生きられることである。他人によって自分の自由が制限されないことである。
posted at 21:41:04
保守主義の良い点は、世界が今のまま、変わらないということである。今のままでいい。今のままが続かず、動乱が起きたとしたら、そこで自分が生き延びることができると誰が保証するのか。自分が今生きていること、それが続くことが、もっとも生活を生きる上で大切である。
posted at 21:39:01
僕は、自分以外の誰にも考え方を押し付けられたくないし、みんなと同じレールの上を生きたいとは思えない。支配者が嫌いならば、逆に自由を信じるべきである。なぜなら、左翼は詐欺師の独裁者を信じている。誰のことも信じられないのに、なぜ左翼を信じられるのか。僕は自由な保守主義を選ぶ。
posted at 21:38:47
アメリカ的理想にとって必要なのは、「支配しない」ということであると思う。誰のことも、自分でない、関係ない他人によって支配され、制限されることがない。なぜなら、その他人のことを誰が信用できると決めるのか。信頼できたとしても、自分の望みや力を他人がきちんと理解しているとは限らない。
posted at 21:34:37
「素晴らしい平等な世界をみんなの手で作る」とか、そうした詐欺師の思想にはもう、わたしたちは騙されない。明らかに、共産主義を行ったソ連の失敗を見れば、もはや左翼がこの世界で勝利することはなく、自由な保守主義のみが自ずと勝利するだろう。
posted at 21:30:03
そもそも、社会に自由は必要か、という問題もある。自由がなく、不自由な社会の方が、悪や犯罪がなくなって、治安がよくなり、世界は平和となるだろう。必ずしも、自由主義に自由は必要ない。不当な制限のない公平な経済があれば、自由は必須ではない。
posted at 21:26:37
弱者を救うべきなのは分かる。だが、何もできない弱者を税金で生かし続けても、その弱者は弱者のままである。自助の精神のもと、弱者は自分の手で弱者ではなく強者になるようにしなければならない。弱者がいつまでも弱者のままでは意味がないのである。
posted at 21:21:53
また、自由にはなんの意味もない。自由という言葉を使って、「なんでも許される」と勘違いしているだけにすぎない。自由を唱える多くの人間が、犯罪や非行など間違ったことをしている少年である。そのような自由を国家は管理しなければ、社会秩序を保つことはできない。
posted at 21:19:02
時代の風雲児など必要ない。IT長者の多くは詐欺師のようなリーダーである。必要なのは、責任をもって国家を平和に統治する正しい支配者である。その支配者は、平和主義と民主主義のもとに、日本を率いることができる人間でなければならない。
posted at 21:16:56
社会が嫌いだとか、政治家を支持したくないとか、そういう左翼の存在は分かる。だが、左翼政権になってしまうと、自由な権利がなくなる。独裁政権に対して「ハイと言いなさい」と強制されるようになる。それが、反逆者の目指す世界であるとしたら、そんな理想にはなんの意味もない。
posted at 21:14:13
アメリカに悪い点があるとしたら、環境破壊である。特に、アメリカはあまりにゴミや廃棄物を出しすぎて、環境を破壊している。だが、国家は完璧なものじゃない。アメリカは人類の生活に多大な貢献をしており、負の側面よりも正の側面の方が大きい。
posted at 21:11:29
また、明らかに「まったく悪くない国」であり、「正義の国」であり、「正しい理想の国」なのはアメリカである。アメリカ以上、善良で正しい国は存在しない。アメリカは独裁者を否定する、リベラルで、善良かつ正義のある国である。僕はアメリカを支持する。
posted at 21:07:37
民主主義的に決められたことでなければ、それは正しい決定ではないと言える。なぜなら、それは「誰かの決定」であって、「わたしたちの決定」ではない。民主主義によって選ばれた指導者による決定なら受け入れるべきだが、民主主義でない独裁者の決定は受け入れるべきでない。
posted at 21:04:41
ひとりの指導者が、責任をもって支配すること自体は悪いことじゃない。だが、国家に独裁者がひとりだけでは意味がない。それでは、そのひとり以外が力を持つことができない。ビル・ゲイツが賢いのであれば、イーロン・マスクも賢い。そのような賢い人間たちがたくさん力を持つべきである。
posted at 21:00:53
自由な権利は必要だろう。だが、悪いことをする権利はいらない。悪いことをする権利はみんなで禁止すべきである。そうすることで、逆に良いことができるようになる。そのような良いことを行うように社会的に推奨していけば、自由においても正しい社会秩序を築くことはできるだろう。
posted at 20:58:30
また、多様性が存在しない世界は、良い世界にはならないだろう。TwitterやSNSは、「自分の好き好む人間やグループだけにする」ことができるが、これは危険である。すべての人間が同じ意見を持った時、それはもっとも危険な組織となる。多様性を認める民主主義こそが、もっとも正しい理想である。
posted at 20:54:36
多様性は優れた統治の方法である。なぜなら、ひとつの方法がもし駄目になった時、別の方法があればそれを残すことができる。Windows一択しか存在しない、今のOS業界は健全ではない。よって、MacやChromebookにも、僕は頑張ってほしい。
posted at 20:53:02
競争すればいい。競争すれば、必ずその中でもっともよくできた強者が生まれる。その強者の功績に統一すれば、すべての社会がその模範的強者のやり方によって統一される。もっともよくできた工場のやり方を全工場の模範にすべきであり、これは正しい統治の方法である。
posted at 20:48:25
たとえば、10点勝ったとして、それを「平等ではない」と言われて5点勝ったことにされて、勝者は喜ぶだろうか。勝者が勝った点数だけ、できる限りルールを歪めずに勝ち負けを決めるべきである。それこそが公平である。
posted at 20:46:02
市場経済で負けるのであれば、それは負けた人間が悪いのである。勝ち負けをきちんと決めることは大切なことである。勝ち負けのルールを簡単に歪めてしまうことはよくない。だから、平等にするよりも、経済を最大限自由にすべきなのである。
posted at 20:43:46
ただし、人間は平等だ。みな、同じ人間だ。それならば、僕は民主主義を行うべきであると思う。政治家がひとり独裁するよりも、民主主義的にみんなで決めた方が平等だ。独裁者のどこが平等なのか、僕には理解できない。社会主義は間違った平等の社会モデルだ。
posted at 20:42:08
むしろ、金儲けで世界が成り立つのは、僕はおかしいことだと思わない。あるいは、金儲けで世界が成り立つのであれば、その金儲けをなんらかの別の理由で制限したり、支配したりすべきであると思わない。自由とは制限されないことであり、極力制限せずに自由経済を可能な限り最大限に行うべきである。
posted at 20:40:58
また、現実を見ると、素晴らしい資本主義社会が目に映る。資本主義はとても素晴らしい思想だ。特に、金儲けと市場経済という第一のルールのもとに、その価値観をできるだけ阻害せず、市場経済が円滑に働くように経済を行っている。これは、社会主義的な社会保障の「制限された経済」とは対照的だ。
posted at 20:39:44
僕はテレビゲームは嫌いだが、音楽をネットで聴くのは好きだ。普段、パソコンを使ってデザインの仕事をする時は、Adobe IllustratorとPhotoshopをMacで使っている。僕は意外と、Macは大好きだ。Macはとても使いやすい。
posted at 20:37:09
結論として、Linuxは使えないが、ITサービスは信用できない。むしろ、信用できる会社はMicrosoftぐらいしかない。だから、僕はWindowsが大好きだ。
posted at 20:35:02
僕は、そうした信用できないIT技術、特にインターネットサービスにはなくなってほしい。インターネットサービスなどは生活に必要ない。だが、僕は矛盾もある。なぜなら、僕はYouTubeが好きだし、デザインの仕事に素材サービスを使っている。
posted at 20:33:06
ただし、ひとつ言えるのは、商用ソフトウェアや商用サービスは信用できない。クローズドソースのプロプライエタリソフトウェアは、どんなことをいつ実行しているのかを隠していて、完全に信頼することはできない。特に、GoogleやFacebookは信頼できない。
posted at 20:31:10
そもそも、LinuxやPythonのような、システム管理やプログラミング技術の、どこが面白いのか、僕には理解できない。明らかにIT技術は僕と親和性が低い。
posted at 20:29:27
また、Linuxは明らかに社会主義の左翼だが、僕は社会主義の左翼は嫌いだ。僕は右翼であり、保守派である。
posted at 20:28:25
そもそも、僕はLinuxやPythonのような、IT技術そのものが好きだったわけじゃない。そういうものは嫌いだ。僕は単に、パソコンやインターネットを使ってみんなと意見交換をするのが好きだっただけにすぎない。Linuxなど、何も面白くない。
posted at 20:26:53
むしろ、僕が好きだったのは、Windowsのサードパーティのフリーソフトであり、決してLinuxじゃない。Linuxは大学の学生や研究生が主に使って面白いOSであり、インターネットのフリーソフト文化とは異なる。
posted at 20:25:36
むしろ、Windowsは明らかに素晴らしいOSである。なぜなら、GUIで直感的に操作できるし、最初からOfficeが入っている。このため、WindowsではOfficeを使うことができる。Officeはとても面白いソフトウェアであり、子供であっても使っていて面白い。
posted at 20:23:18
僕は、Windowsに、もっと良いものになってほしい。優れたOSであり続けてほしい。そうでなければ、僕は仕事や作業ができない。Linuxがなくなったとしても僕は困らないが、Windowsがなくなったとしたら僕は困る。
posted at 20:20:59
そう、僕はもう、オープンソースを支持し続けたくない。正しいのはオープンソースではなく、Microsoftだ。僕はLinuxよりもWindowsが好きだ。それが、僕の本音だ。
posted at 20:18:54
そう、Linuxは使えない。Windowsの方が、オープンソースよりもかっこいい。オープンソースは、PHPやMySQLが標準になったため、逆に「無意味な標準技術」としてしか映らない。そう、LinuxはWindowsに趣向やセンスの点でも負けている。
posted at 20:16:58
また、Linuxはいつまで経っても、同じ問題を解決できない。GNOMEとKDEは、どちらを標準にしたいのか分からないままで、どちらも巨大かつ使い方を覚えたいと思うほど使いやすくない。Windowsのパクリのままだ。
posted at 20:15:19
むしろ、今の世界は、昔とは異なる。昔は、MSのIEはバグが多かったし、Officeは巨大アプリケーションで、自動化もできなかった。今は、TypeScriptやVS-Codeなど、多くのシステム開発ソフトウェアがMS製であり、「MSがIT技術を下支えしている」と言える。
posted at 20:14:11
むしろ、Microsoftに最大の賛辞を送ろう。Microsoftは素晴らしいOSメーカーだ。特に、セキュリティのためにとてもたくさんの努力を続けている。この世界を安心して任せられるのはMicrosoftであり、Windowsだ。
posted at 20:09:38
Linuxが劣っているわけではない。Linuxは優れたUNIX互換OSだ。だが、一般ユーザーに使われるほど、GUI用途として高品質なものにはなっていない。Windowsは、悪いOSではない。
posted at 20:08:23
そもそも、Microsoftを批判するのがおかしい。Windowsは良い製品である。LinuxとWindowsを比べた時、初心者ユーザーでなかったとしても、Windowsの方がGUI用途として扱いやすく、管理しやすい。僕はWindowsからパソコンを使い始めたため、Windowsの優れた点をよく知っている。
posted at 20:07:09
最近、ネットのおかしなサイトは全然見なくなった。どうでもいいサイトしかないから、たまにニュースぐらいしか見ていない。僕はIT技術と親和性が低い。ITサービスがなくなるとしたら、そろそろなくなってほしい。
posted at 19:48:07
大切な作業はメインマシンのWindows 10でやっているので、DebianではMozilla FirefoxでYouTubeとTwitterが使えればそれでいい。他にはあまり何もしていない。たまに更新をかけるぐらいだ。
posted at 19:46:40
まあ、LinuxはWindowsの代わりとして使うことはできる。僕も、趣味用のマシンでライセンスの期限が切れますよというメッセージが表示されるようになって、鬱陶しいのでWindows 10をやめてDebianを使っているが、Windowsが使えるならWindowsの方を使う。
posted at 19:45:27
むしろ、問題なんか何もない。Linuxにはまったく問題がないし、Windowsもそのうち良いものになるだろう。
posted at 19:34:12
僕はWindowsが大好きだ。ただし、最近のWindowsの方向性には危惧している。なぜなら、Windows 11は使い物にならないバージョンになりそうだからだ。Windowsは、できるだけ安定して、高速で、使いやすく、何より壊れにくいものにしてほしい。
posted at 19:10:55
僕はサクラエディタを使うが、サクラエディタの検索置換ツールに慣れてしまったため、Linuxでsedを使いたいと思えない。すぐにシステムが壊れる可能性のあるLinuxよりも、大事なホームページ制作とそのためのファイルの保管はWindowsでやることにしている。
posted at 19:09:39
むしろ、僕はWindowsというOS自体は嫌いじゃない。もっと、Microsoftに優れたOSを作ってほしい。WindowsはLinuxよりも優れている。特に、GUIで使うのに、コマンドなんか使いたくないし、Linuxの方がフリーズも多いし、何よりLinuxはシステムがすぐに壊れて使い物にならなくなる。
posted at 19:08:29
また、以前入れていたDebian 10のアカウントにログインできなかった理由が分かった。
僕は、マルウェア検出ツールとして、maldetectを導入していた。この設定ファイルconf.maldetで、quarantine_suspend_user=1にしていた。このオプションは、マルウェアを検出したユーザーのアカウントを停止させるオプション。僕はこのオプションを1にした上でサンプルウイルスを検出させたために、ユーザーのアカウントが停止させられたものだと考えられる。
原因は分かったが、今のDebian 11では別の問題が起きている。どうしてか、maldetectがサービスとして起動してくれない。この問題が解決しないと、マルウェア対策ができない。なぜなのかを試行錯誤している。
伝説はいらない。平和があれば、偉大な英雄や神よりも、人間のほうが賢い。
posted at 19:11:49
毎日のように世界の最前線で戦い続ける、「世界を変える救世主の少年」は、もはや必要ない。
posted at 19:11:10
すべてが平和になるのであれば、楽園はいらない。今のままが続いたほうがいい。
posted at 19:07:31
平和であってほしい。みんな、分断せず、ひとつであってほしい。分断する必要などない。争いごとがなければいい。争いごとがあるのは、いいことではない。融和的であってほしい。日本と諸外国は仲良くやってほしい。
posted at 19:05:41
結局、平和がいい。すべてを書き記し終えて、やり終えた僕が思うのは、この世界は平和であってほしい。
posted at 19:04:38
結局、プログラミング技術のないど素人が、Linuxを使う意味などないし、プログラミング技術があるのであれば、Linuxなどとは無関係に自分のソフトウェアを開発した方が良い。明らかにLinuxには存在価値はない。だが、Windowsの代わりとしては普通に使えるぐらいのOSにはなりつつある。
posted at 15:36:11
結局、何もLinuxについて知らないまま、表面だけを使っているようなLinuxユーザーになってしまう。だが、Windowsも似たようなものである。IEがCOMの集合体であるということを知らなくても、IEは使える。
posted at 15:34:39
それこそ、Linuxはインターネットで開発されているOSであり、習熟にはインターネットの情報を見なければならないが、これが辛い。設定ファイルやコマンドの使い方を覚えるのが、何も知らない初心者には大きな壁であり、そもそも理解できないこと、理解したくないことが最初から分かっている。
posted at 15:32:11
逆に、Linuxはあまりに普通に使えるため、普通に使えるだけで満足してしまい、それ以上のアクションを起こすことが難しい。設定ファイルをいじったり、パッケージをインストールするとシステムが壊れる。あえてLinuxを使う意味はまったくないため、使い慣れたWindowsに戻したい気持ちは分かる。
posted at 15:29:32
そのUIの改悪の問題と、あとはsystemdがまったくUNIXの文化を破壊しているという問題はあるが、それくらいしかLinuxには問題はない。DebianでGNOMEとFirefoxをmozcと一緒に使うと、普通に使える。
posted at 15:24:01
最近は、従来のUIを改めて、逆に以前のUIよりも悪くなるソフトウェアが多い。GNOME 3やFirefoxだけでなく、WindowsなどもどんどんUIを改悪していく。デザイナーが間違った仕事をしている。昔のUIのままの方がよかったと思っている人間は多い。
posted at 15:22:15
Microsoftは、明らかに信頼できる唯一のIT企業だ。むしろ、インターネットサービスなどをやっている会社は、全部信用できない。GAFAがその代表格だ。個人データをどこに送信しているか、何に使っているか分からない。Windowsぐらいしか、金を出して買いたいと思う商用ソフトウェアはない。MSは賢い。
posted at 15:12:29
Microsoftは、今のパソコン世界を作った功労者だ。批判するだけでなく、表彰もしてやった方が良い。特に、Windowsにはたくさんのサードパーティソフトウェアがある。たとえば、Adobe IllustratorやPhotoshopはよくできている。Microsoftはよくやっている。Windows Updateを頑張っているだろう。
posted at 15:08:45
ただし、意外とLinuxのGNOMEとFirefoxの環境は悪くない。Debianでおかしなパッケージが大量に入ることぐらいが気になるだけで、LinuxはYouTubeとTwitterの用途なら普通に使える。
posted at 15:06:53
普通の国である以上に、何を望むのか。普通の国で、それぞれが楽に生きられて、生活できれば、それ以上を望むのはおかしい。ソ連は狂っているのだ。
posted at 14:47:09
そもそも、支配者が支配して、何が悪いのか。支配者が存在するということは、有能なリーダーが存在するということであり、自由にとっていいことである。支配者の力を制限するべきでない。支配者のやりたいようにやらせればいい。
posted at 14:41:15
オープンソースはもうIT業界の革新派としての役割を終えたと思う。無料だと言っても、オープンソースは使えない。オープンソースはもはや、IT業界には不要だ。今から質の高い有料の製品が増え、かつて無料だった製品も有料になるだろう。
posted at 14:11:14
本音を言えば、普通の世界でいい。平和な普通の国になってほしい。
posted at 13:47:31
わたしは、この世界を平和にする。自由を許した上での平和こそ、理想である。支配されて平和になるのでなく、それぞれが自由なままでも平和は実現できる。互いに合意し、相互理解すれば、世界は真に平和になる。
posted at 12:52:16
戦争や革命は短絡的である。自由においてもできることはある。世界は、犠牲を出さなくても変えられる。優れた技術を作れば、戦わなくても勝利できるはずだ。
posted at 12:43:57
すべて自由にすべきである。すべてをあらかじめ想定することはできない。民意に委ね、指導者の自由にやらせなければ、何もできない国になるだろう。
posted at 12:17:59
自らがひとりだけで変えるのではなく、それぞれが変えるようにせよ。多様性のある自由を生み出すために、社会を実現する潜在的な可能性に気付け。手段とチャンスを与え、自由を許す制度と決まりを作れ。
posted at 12:01:19
この世界は可能性で満ちている。この世界はいかようにも変えられる。可能性を保留し、維持せよ。そうすることで、この世界はひとつ、可能性が豊かになる。実現できることを増やせ。可能性を開拓し、その場にある自由に気付け。
posted at 11:58:50
また、以前僕が書いた「gitが壊れた」というのは、本当は壊れていない。
僕はRealSyncというフリーソフトを使ってバックアップを取っているが、.git以下のファイルが突然大量になくなったため、gitが壊れたのではないかと勘違いした。
実際は、過去のコミット内容がひとつのファイルにアーカイブされただけであり、壊れたわけではなかった。
このように、Linuxやオープンソース関係のソフトウェアは、「壊れたように見えて正常に稼働している」ということがよくある。何も理由なく、不具合が起きることは多くない。
精神を治すために、まず、自分だけ治そうとすること。世界を治そうとするのではなく、自分だけ治そうとすれば、精神はすぐに治る。
また、細かい点を治そうとせず、本質的な部分を治そうとすること。すべてを全部治そうとしていると、付け焼刃になってしまい、真に治すべきところが治らなくなる。あえて不要な点を治さない方が、正しい方法で精神を治している。
国民を自分と同年代だと思うのが間違っているのかもしれない。実際には、国民には自分よりも上の年代も下の年代もたくさんいる。性別も違うし、むしろ置かれた状況がほとんどすべて違う。その中で生きているのであって、世界が自分のための世界でなくても、それは受け入れるしかない。
posted at 21:06:01
また、アメリカは悪くない。アメリカは素晴らしい国だと思う。アメリカは最近、子供のような国になった。
posted at 19:42:34
この世界が平和であり、同時に自由であることが、もっとも一番いいと思う。
posted at 19:42:03
国民に自由を許すということが、そのまま平和へと繋がる。ひとりの指導者に支配されれば、その指導者が国民を犠牲にしないとは限らない。社会においてできるだけ支配されないようにすることが、結果的に平和へと繋がるのである。
posted at 18:54:41
わたしは自由が好きである。原則、自由であるべきである。自由でなければ、世界が存在する意味がないからである。自由でない生物は、生物ではないのである。
posted at 18:53:36
平和が一番いい。戦って犠牲を出す必要などない。明らかに命は大切だ。人間の命を守るために、戦争を「できるだけ拒否する」という姿勢と努力がわたしたち市民に必要なのである。
posted at 18:52:45
しかしながら、僕は自由と民主主義を信じている。なぜなら、民衆は賢いからだ。政治家は、民衆のことを馬鹿だと思っているが、違う。政治家は、民衆の力を過小評価している。単なる数にすぎない政治家議員とは違い、民衆は自分の価値と力で生きている。
posted at 16:08:23
指導者に従うこと自体は問題じゃない。問題は指導者が馬鹿で、無能で、正義感がないことである。民主主義の政治家など、最初から大したことができるわけがない。野党は何もできないと言うが、それ以前に今、何もできていないのは与党だ。
posted at 16:02:30
僕は右翼でありながら、ほかの右翼が嫌いだ。すべての元凶、すべてのクズは右翼である。僕はそう確信している。なぜから、僕の経験や人生から言って、右翼は知性のない馬鹿で、すべての悪を身にまとう人間が多いからである。
posted at 15:58:28
民主主義に必要なのは、自由を与えることだけじゃない。もっと大きなことができる。自由を与えるだけでは、社会や共同体を築くことはできない。他人事のように世界を考えること自体、民主的でない。
posted at 15:49:33
わたしはこの世界を変える。
posted at 15:45:35
戦え。自分のできるすべてを成し遂げるために戦え。勇敢でありながら、巨大なものに立ち向かえ。あなたがやりたいことをやれ。それが大義名分だ。
posted at 15:40:06
自分のことを馬鹿だと思って接してくる人間とは付き合うな。特に、中高生や反逆者を愛する必要はない。
posted at 15:37:18
みんなとは違うほうがいい。みんなと同じになると馬鹿になる。
posted at 15:34:00
そもそも、みんなと同じ馬鹿になりたいのが間違っている。本来の自分に戻って、賢くなればいい。中学生の頃、みんなとは比較にならないぐらい賢かった。
posted at 15:31:22
何が幸福で、何が不幸かを決めるのは、それぞれが持つ価値観次第だ。他人から外れていても、他人と違うことがアイデンティティである人間も居る。誰か他人に幸福にしてもらうことを目指すな。幸福は自分で掴み取れ。
posted at 15:10:16
夢を追い求めよ。すべての人間に真実があり、信じる限りそれは正しい。諦めるな。諦めた時点で、それは出来なかったとあなたが証明したことになる。
posted at 15:04:00
自分なら出来ると信じなさい。誰かの号令を待つのではなく、ひとりで戦いなさい。
posted at 13:16:36
異端を排除し、周りを同じ意見で固めれば、何も分からなくなって当然である。新しい発想がほしいなら、異なる意見のものと議論すべきである。
posted at 12:55:32
社会は、手段、情報、時間、自由を国民に与えるべきである。
posted at 12:52:27
すべての人間に自由を認めるべきである。
posted at 12:38:34
世界を変えるのは自由であり、このことは、「自由が社会を作る」ということから言える。社会をルールや制度などの基盤のもとに「自由化」することで、人々はそのルールや制度に基づいて自由な社会を築く。そして、合意によってそのルールはその社会の構成員によって変えられるべきである。
posted at 12:37:22
わたしたちは、自由からこの世界を変えられる。ひとりの指導者だけの権力ではなく、それぞれに平等に与えられた自由な権利から、「それぞれが世界を変える」ということができる。ひとりの力よりも、みんなの力の方が強い。どんな場合においても、独裁者には民衆が勝利する。
posted at 12:33:27
人格は認識から生まれる。さまざまな認識と記憶から、経験的に人格は形成される。そこから、心理学的な「自由な社会秩序を成立させる」という知恵が理解できる。人格を正常化することで、社会は自由においても正常となる。
posted at 12:31:19
他人の人格を否定するな。すべての人格は、さまざまなことを気付くために価値のある、「考える材料」である。
posted at 12:30:12
自由を守れ。自分と同じ自由が万人に平等に認められるということから考えよ。
posted at 12:29:35
環境や状況を成り立たせることができる人間は、指導者と勝負師の両方に向いている。
posted at 12:28:00
民主主義的に考えることでしか、見えない未来を見るすべはない。
posted at 12:27:00
戦争と独裁を否定することから、この世界における「正しい道筋」が見えてくる。
posted at 12:26:23
自由にすれば、社会そのものが進歩し、発展するだろう。支配者がいくら計画しても、権力では何も生まれない。そう、独裁主義は「増やすだけではなく減らすこともできる」のではなく、「何もなくなるまでなくし続けることしかできない」のだ。
posted at 12:25:18
かつてあったのは最悪の資本主義であり、ほとんど無政府社会だ。今あるのは何もなくなった社会だ。そう、この世界にはなんの意味もない。自らの力で、新しい発想をし、世界を切り開いていけ。未来を作り出していけ。それが、新しい世代に与えられた課題だ。
posted at 12:21:22
自らの自由な経験から理解せよ。世界全体を啓蒙せよ。すべての社会経験が自分のためになる。矛盾のない現象学的な絶対知を知ることができる。
posted at 12:19:30
しかしながら、学校など小さな狭い世界だ。学校しか存在しない世界は最悪だ。より広い世界を知れば、学校環境に適応することなどに意味はないことが分かる。
posted at 12:17:47
子供の未熟さを考えると、よく分かる。いじめやスクールカーストが生まれるのは、それでしか人間関係や社会秩序を築く方法を知らないからだ。
posted at 12:16:42
学校で習った通り、人に教わって分かった通りに考えるな。自分自身の手で考えよ。
posted at 12:12:15
戦いは無意味だ。
posted at 12:08:09
この世界は、互いに認め合うことで変えられる。
posted at 11:45:09
国民に自由があれば、世界は平和になるだろう。
posted at 11:44:37
パソコンは便利な機械だ。情報を処理することができる。複雑になった処理をさまざまな技術が支援する。そのひとつがWindowsだ。そもそも、ITとは、そういうものであるべきだ。
posted at 11:42:28
アメリカは馬鹿じゃない。アメリカは、正義の国だ。
posted at 11:40:24
わたしたちは、自由を信じている。決して、自由は犯罪的な思想でも、暴力的な思想でもない。
posted at 11:39:50
このドラえもん、最初は「親代わりロボット」という名前で販売される。だが、このネーミングセンスがイマイチであるため、みなこのロボットを「ドラえもん」と呼ぶ。デザインもいくらかの変転を遂げてドラえもんと同じになる。
posted at 22:01:06
なぜドラえもんが生まれるのか、それはフレイは結局のところ、ドラえもんとなることで最後に自らの命を繋ぐからだ。わたしたちは、フレイのクローンであるドラえもんに子供の世話を任せ、自らは趣味や娯楽に没頭するようになる。それが、つまらない「正常な普通の未来」である。
posted at 21:57:59
そして、最後にドラえもんが生まれる。彼は12歳ぐらいの知性をもったフレイのクローンだ。フレイの息子であるドラえもんは、人間に支配されるわけでも逆らうわけでもない。最初からのび太の相手だけをし、ときには指導し、ときにはともに悪いことをしたりする。
posted at 21:57:05
わたしたちは、「むしろ、未来においては、子供たちと付き合い、見守ってくれるような、あるいは人々に楽しみを与えてくれるような、子供のようなロボットのほうが必要であった」ということを目の当たりにする。
posted at 21:56:09
しかしながら、ロボットはあまりに高度になりすぎて、ある意味でとてもおかしなことになるが、わたしたちは、「ロボットが人間よりも賢い必要などなかった」ということに気付く。
posted at 21:55:27
また、フレイは独自のインターネットチャンネルで、自分のテレビ局を運営する。このテレビ局で、フレイは自分が何を考えているのか、何がしたいのか、そのしたいことをする根拠は何かということを、科学的かつ客観的にすべて述べる。
posted at 21:54:52
しかしながら、最後のフレイとの戦争で、このロボットは最悪の役割を果たす。なぜなら、フレイはロボットを作り、開発するスピードがものすごく速く、ほかの誰にもロボットを開発することができない。
posted at 21:54:11
最後に、生まれるのは本当は、単にロボットだけである。ロボットが最後に生まれる。このロボットは、人間よりもはるかに賢いロボットであり、超高速にすべてを計算できる。
posted at 21:53:29
そして、ここに国民はフレイと戦う。これこそが、この世界を終わらせる最後の戦争、「神々の黄昏」(ラグナロク)である。
posted at 21:48:49
そして、フレイは言う。「そう、それは、わたしがわたしだからである。わたしがフレイである限り、この世界をこのままで終わらせるわけにはいかない。一流の作品は、最後まで完成されなければならない。」
posted at 21:48:07
しかしながら、フレイは言う。「わたしは、戦わなければならない。この世界はこのままでは滅びてしまう。」しかしながら、少年は言う。「それは間違っています。この世界は、あなたの愛によって素晴らしい世界になっています。なぜ、あなた自身がその素晴らしい世界を破壊してしまわれるのですか。」
posted at 21:47:32
フレイに対して、少年は言う。「なぜ、わたしたちは、フレイさまと争わなければならないのですか。わたしたちのこの国は、フレイさまによって良くなろうとしています。幸福になろうとしているのです。」
posted at 21:46:38
国民は言う。「それならば、わたしたちは実力行使に出るしかない。」だが、フレイは言う。「もしそうなったとしても、わたしは必ず勝利する。」そう、ここにフレイと日本国民の、最後の戦いが発生する。
posted at 21:44:28
しかしながら、フレイは言う。「わたしがなぜ、この世界を支配するのか。それは、わたしだけがこの世界を支配するに相応しいからである。わたしがわたし、フレイだからである。」
posted at 21:43:38
フレイに対して、国民は言う。「フレイよ、あなたは素晴らしかった。だが、この世界を支配しようとする、あなたに対して、わたしたちはあなたを許すわけにはいかない。わたしたちはあなたの支配を許さない。」
posted at 21:43:01
そして、フレイはここに宣言する。「わたしこそがこの世界の王となるべき人間である。どんなにこの世界がそれを拒んでも、今のわたしを止められる人間は居ない。」
posted at 21:42:07
そして、言ってしまえば、エルフたちにはそれしかできなかった。何もできなくなった地上で、エルフは踊って歌って暮らした。最後の日まで、彼らは笑い続けた。「終末とはこんなにも暮らしやすいものなのだ、さあ歌おう」と彼らは、死ぬ時まで歌い続けた。
posted at 21:32:49
エルフは、天川照道の記憶と人格を共有している。そして、それだけでエルフはこの宇宙全てが分かった。「最高のノーベル賞科学者が集団となった時、この宇宙の原理となるすべてが分かる」。そして、その最高の科学が、宇宙の統治者であるフェニックスを作り出した。
posted at 21:30:57
フェニックスはどのような生物か、それを言葉で記すことはできない。とにかく、この宇宙のすべてを統治することのできる、この宇宙すべてを知っている、この宇宙すべてのどこにでも現れる、神のような存在である。
posted at 21:26:25
最後に、天川とエルフたちは死んだ。死後に永遠に刻まれた墓標には、天川照道の偉大な功績と、実験に使用したマウスやモルモットへの感謝が記された。
posted at 21:21:18
だが、放射線の影響は自然環境へと及ぶ。それまで耐えていた植物は一様に枯れていき、そして研究室が爆発して使い物にならなくなる。最後に、この世界を救う「フェニックス」を作る。彼らの科学は、泥からでも生物を作り出せるぐらい進歩していた。
posted at 21:20:19
どのような抗体を作れば放射線の被害を減らせるか考え続けた天川は、人類の唯一の生存者となる。天川はエルフとして地上に最後まで、「たったひとりの父」として尊敬を受ける。
posted at 21:18:26
天川は、自ら自身に放射線を浴びせ、自分自身を分裂させることで生物を増やすことで、新しい「エルフ」と呼ばれる生物群を作った。
posted at 21:16:59
放射線技師である天川は、今まで「危険な放射線をあえて取り扱い、少しの被爆は気にしなかった」。そして、天川は生き延びた時、「自分以外の誰にも生存者は居ない」と確信した。
posted at 21:16:17
本当に世界が放射能汚染で滅びる時、ひとりの放射線技師が生き延びる。それは天川照道と呼ばれる偉大なノーベル賞科学者。彼は「生物に放射線を浴びせることで、生物が二つへと分裂する」ということを発見した。
posted at 21:15:04
彼はもうひとつ、水素とアンモニアを原料とした「莫大なエネルギー」を発見する。
posted at 21:10:06
そして、宇宙はユピテル生命であふれる。宇宙において、誰もがユピテル生命を食べて生活ができるようになる。そう、これこそが「本当の宇宙の能力」の発見である。
posted at 21:09:18
彼の名は在導万創として知られている。すべての国が放射能汚染で滅びようとしているその時、ユピテル生命を作ることに成功したユダヤ人のグループは、100種類ほどの生物の種をもって宇宙へと脱出する。
posted at 21:07:55
2027年、ノーベル賞科学者が日本に現れる。それは、「本当の宇宙の能力」、すなわち放射能を養分として生きることのできる新しい生物、「ユピテル生命」を作ることに成功した学者が現れる。彼は彼を批判から保護したイスラエル人とともに宇宙へと脱出し、これは「ノアの方舟」として伝えられている。
posted at 21:06:22
ガブリエルとミカエルは、フレイのもっとも強大な軍勢と言えるものである。ガブリエルは、この世界のすべてを信じて、この世界とともに堕ちていき、最後まで戦い続けた。その屍がミカエルとなり、天軍大首聖となって、詩人となったのだ。
posted at 21:03:27
すべてが失われた世界で、エレンはひとり最後まで立ち向かった。なにもかもが消え去っても、この世界に対する「愛」だけは消え去らなかった。最後まで、この世界を愛して戦い、死んだ。そして彼はその後に、大天使ガブリエルとなる。
posted at 21:02:17
しかしながら、エレンは蘇る必要はない。フレイの心の中にエレンは生きている。フレイの知性はエレンの知性であり、フレイの分かったことはすべてエレンの分かったことだ。フレイはエレンであるということ、それだけがフレイの見ようとしない事実である。
posted at 21:00:41
そして、ゾンビのようにエレンを蘇らせるだけではフレイは終わらない。この世界全てを、エレンを蘇らせるために支配して、元通りの最悪の世界にしてみせようとしている。そう、それが「今のフレイの野望」である。
posted at 20:58:09
そして、フレイがなぜゾンビのような人間になるのか、それはかつてフレイは死んだからである。フレイは、そもそも肉体が死んでいる。エレンを蘇らせているのは、フレイはエレンの死んだ体の中で生きているからである。
posted at 20:57:25
フレイは、この世界を滅ぼし、そしてその上で再生させる。どんなに人々が地獄になってもそれで構わない。なぜなら、フレイは「エレンを蘇らせることが目的であり、エレン以外のすべてが居なくなっても構わない」からである。
posted at 20:55:15
フレイが、なぜこの世界を憎むのか。なぜこの世界を欺き、利用して人々を陥れるのか。それは、本当は理由はひとつしかない。「この世界がエレンを奪ったから」である。
posted at 20:54:56
フレイはまだ分かっていない。フレイは、赤ん坊よりも知性の劣る文章を書く。だが、それでいい。なぜなら、「それでしか正しくエレンを書くことはできないから」である。
posted at 20:51:36
エレンの思想を語るには、フレイが考えるに、たくさんの言葉が必要となる。フレイは、いくらエレンを書いても、その内容に満足することがない。フレイは言う。「エレンはこれだけではない。エレンはもっとある。エレンはそれだけでは終わらない。」
posted at 20:49:07
そのようなエレンの思想に対して、その思想を継ぐ女が現れる。それがヴァルキリーである。ヴァルキリーは、エレンの言う「聖戦士ワルキューレ」として生きた女性である。誰のことも殺めず、ひとりも殺さないことで、この世界を支配することに成功した革命家である。
posted at 20:47:09
エレンの思想を、フレイはまだ書いている。社会システムとか、独立性とかいう発想が良かった。その上で、経験的な啓蒙主義を考えた。人々がなぜ生きているのか、どのようにすれば社会の不安を解決できるのか、すべて分かった。そう、フレイはエレンを書くことでしか、理性を保つことができない。
posted at 20:45:39
フレイは何を愛しているのか。フレイはエレンを愛している。エレンとは、言うならば「善良だった時代のフレイ少年」である。エレンはフレイにとって理想であり、「フレイの望む人格とはかつてのエレン」である。
posted at 20:42:10
フレイは言う。「国家は単純であるべきである。どのような高度な国家も優れた国家にはならない。だからこそ、わたしはこの世界をひとりで支配する。この世界に必要なのはわたしだけである。」
posted at 20:40:10
フレイは言う。「この世界を、最悪の国家にしたのは共産主義者である。なぜなら、グンテルとはエレンに対する共産主義者だからである。グンテルは最悪の人間だった。グンテルのように生きることを許してはならない。」
posted at 20:39:06
しかしながら、このような社会主義思想は、フレイに言わせると間違っている。フレイは言う。「この世界で生きる目的は、ユートピアを生きることじゃない。わたしたちはもっとも偉大な人間になるために生きている。だからこそ、平等な楽園は何をしても最悪の国家になる。」
posted at 20:38:12
これにより、チュールは「最高の楽園」を作り上げる。なぜなら、農業や工業で機械のように働くのは、楽だからである。チュールは言う。「単純な労働は楽であり、国にとって必要なだけしか働かなくてよい。しかしながら、特別労働によって自分の働きたい欲求を満たすことができる。」
posted at 20:32:46
また、チュールは「等価の労働量」の原則を守る。すなわち、ノルマにおいて、辛く苦しい仕事は、その労働時間を調節し、たとえば5時間しか働かなくてもよいことにする。
posted at 20:31:38
チュールの考えを採用すると、人々は8時間、工場あるいは農場で働く。そして、その後に好きなだけ、自分の好きな労働をすることができるが、それに対する対価は出ない。自分の好きな仕事を好きなだけ、無償で行うことができる。
posted at 20:30:39
そして、経済思想の完成形は、チュールと呼ばれる社会主義者の思想に見ることができる。彼は、「ノルマに従って8時間働き、その上でどんな職業にも就くことのできる、ボランティアの特別労働を与える」とした。
posted at 20:29:35
しかしながら、このAdoすなわち神は、ダビデに対して多くのことを教えた。ダビデが今まで生きた人生、そう、ダビデのとても多くの「すべての人生」を神は教えた。ダビデは神の言葉すべてを信じた。
posted at 20:25:38
Adoさん似の幽霊とは何か。これが、もっともよく分からない、「ダビデと対話した神」の正体である。Adoさん似と言っているのは、Adoの歌う「うっせぇわ」のような女が取り憑いているはずだからである。
posted at 20:24:50
なぜ、ダビデがここまで最後まですべて知っているのか。それは、ダビデは神と対話することができるからである。この神は、本当のこの宇宙の神であり、「神」という言葉でしか表せない。なぜなら、真実は単なるAdoさん似の幽霊だからである。
posted at 20:23:58
あえて言えば、フレイの後を継ぐことになる第二代皇帝ジークフリートがするように、「すべての革新的思想を経済特区を作ってあらゆる意味ですべて実験する」ということが、最終的な「メタ思想」と言えるだろう。フレイは、今までの中で、それくらいを考えたことを覚えている。
posted at 20:19:18
そして、結局フレイは、社会主義の勝利を諦め、自由主義者となった。フレイは最終的に自由と平和のほうが、戦い続けるよりも賢明であると気付いた。フレイは、「自由の理想のためにはどのような制限も悪である」と考えるようになった。
posted at 20:16:05
フレイの野望は、結局、数量と雇用人数を調節することで、自由経済においても平等が実現できるというところで終わっている。だが、これは役人の支配を推し進めるだけであり、正しい理想とは思えない。
posted at 20:15:04
フレイのやりたいことは何か。結局、フレイには、やりたいことがあるように見えて、本当はそんなにない。社会主義国家建設の夢は頓挫したように見える。なぜなら、自由ノルマは成立せず、国民の貯蓄を許さずに使用期限のある貨幣を配給するのは、平等かつ世界が大発展するとしても意味がない。
posted at 20:13:51
フレイヤは言う。「わたしは、フレイを今の所逮捕する考えはない。フレイは、今の所、まだ法律を犯していない。シリウスは、法律を犯していない人間を逮捕することはできない。だが、悪をすれば、わたしはフレイをすぐさま処刑するだろう。」
posted at 20:09:26
しかしながら、シリウスにはひとりの女性大統領が居る。それはフレイヤである。フレイヤは、この宇宙において、フレイが好き勝手なことをするのを許さない。
posted at 20:08:41
そして、ここにフレイは世界を支配する。もう一度この世界を完全に変えてみせる。
posted at 20:06:16
そして、ロキは今、この世界がすべて変わるのを目にすることになる。ロキには最初から分かっていたことだが、このレースに勝利するためには、一度この世界を完全に変える必要がある。ひとりだけでこの世界を支配する必要がある。
posted at 20:05:57
ロキは、この世界に存在する、精霊、というよりは妖怪と対話することができる。妖怪はこの世界のさまざまなところに居て、ロキと通信を取り合っている。
posted at 20:05:18
ロキは、この世界から、脱落者が生まれないように、最後尾とともに歩いている。ロキは、このレースを最初から最後まで、かつてひとり生きたことがあるため、レースの先頭を走るために居るのではなく、全員がこのレースで最後までたどり着くその時まで、最後尾からレースを見守っている。
posted at 20:04:38
フレイの軍勢は、そのように誕生する。ここに新しい人間が生まれ、それがフレイの軍勢に加わる。先頭を走っているのはフレイである。そして、多くの人間がそのはるかに後ろを走っていて、最後尾にロキが居る。
posted at 20:03:25
ダビデの言葉は、この世界のすべてを創造する。ダビデが創造主たる所以はそこにある。ダビデはロゴスによって宇宙全体を創造し、そして今でも創造し続けている。今、エレンが生まれ、今、グンテルが生まれ、今、フレイが生まれている。これこそ創造主であると、わたしたちは信じる必要がある。
posted at 20:00:53
ダビデは知っている。本当は、ダビデは最初から知っていた。ダビデが書く文書がなければ、ダビデは何も知ることができない。ダビデは戦い続ける。この世界の滅びと、常に全力で戦い続けている。絶対に負けるわけにはいかないこの戦いを、フレイがダビデに与えたのだ。
posted at 19:59:00
このように、ダビデがこの世界を最後まで救うために、シリウスの女神フレイが、ダビデを導いている。ダビデは、もう一度生きたいと望む限り、永遠に地獄を生きなければならない。
posted at 19:57:06
そして、最終的に、シリウスは地球を救うことになる。そのようになっているが、実際のところ、「ダビデがどうなるかが要」である。ミカエルは言う。「ダビデが救うならば、そのほうがよい。最終的に地球は滅びない。必ずシリウスが、地球を救う。シリウスの役目はそのためにある。」
posted at 19:54:06
ミカエルは言う。「そして、この世界に生まれるエレンと呼ばれる少年が、わたしたちシリウスを救ってくれる日が来る。わたしは、そうした未来まで、宇宙のすべてを知っている。」
posted at 19:52:57
ミカエルは言う。「ハネストラーは、狂った連中だ。彼らは、みんなの楽しみよりも、ひとりを頂点として支配する権力のほうが好きなのだ。」
posted at 19:52:21
ミカエルは言う。「だが、わたしたちの中に、ハネストラーと呼ばれる悪魔が混じっていた。彼はすべてを破壊して、全部奪っていった。わたしミカエルだけが、その支配と無関係に、この聖域であるシリウスで、今でも魔法の宝石を作っている。」
posted at 19:51:43
ミカエルは言う。「わたしたちシリウスの市民は、その魔法の本を使って、たくさんの魔法を実現した。どんなことでもできる、『本当の宇宙の能力』と呼ばれる発見だった。」
posted at 19:50:56
ミカエルは言う。「かつて、日本人のグンテルと呼ばれる青年が、知識の書を書き記した。それは、『すべてを可能にする魔法の本』と呼ばれる、すべてを経験したグンテルにしか書くことのできないものだった。」
posted at 19:50:21
そして、シリウスは歴史を経験した。かつては、フレイヤと呼ばれる大統領の統治する国だった。それが今や、ミカエルというひとりの「最後のシリウスの末裔」が、ひとり魔法の宝石を作る星になった。
posted at 19:49:28
そして、ここにシリウスの女神、フレイは誕生する。シリウスは、繁栄する生物たちのもっとも高度な星である。なぜなら、「地球を救うことができるのは、シリウス以外、他に居ない」からである。
posted at 19:48:35
ダビデは、生物の起源を知っている。意外にも、生物は地球で、海から誕生したのではない。ダビデは、生物がウイルスのようなものだとしたら、ほかの星からやってきたに違いないと考える。生物は生物の故郷の星、プロキオンで生まれたはずであり、それがエデンへと移り、そして地球へとやってきたのだ。
posted at 19:44:55
そして、ダビデのもとにすべての人間は平和となる。ダビデには、勝つことができない。誰も勝つことのできない理想と、誰よりも正しい正義をダビデは知っている。なぜなら、それがフレイとして、ここに記述されているからである。
posted at 19:43:29
ダビデは、この世界が滅びても生きることができる国家を知っている。それは日本とイスラエルが共同で統治する東亜イスラエル、あるいはシオンという国である。日本人は、パレスチナ問題を解決する。ユダヤ人を日本で受け入れ、パレスチナからイスラエルは完全に撤退するからだ。
posted at 19:42:19
ダビデは、これをPythonのイベントループを使うことで作ることができた。そして、このロボットは人間と同じことがどんなことであってもできる。なんでもできるこのロボットが、人類を救う。ここから、地球は地獄になる。それでも地球人類は生き延びる。
posted at 19:41:16
自律制御型のロボットは、誰にでも簡単に作れる。whileループの中で、if文で判断すればいいだけにすぎない。データはクロージャとして制御しようが、オブジェクト指向だろうがポインタだろうが同じだ。
posted at 19:39:08
ダビデは、ロボットに人間と同じ体が必要ないことを知っている。どこにでも移動できるためには、ドローン型を採用するのがいいし、産業用ロボットは人間型である必要はない。
posted at 19:37:42
しかしながら、終末の世界は、ダビデのおかげで大発展した。ロボットが誕生する。ダビデは、人工知能を作ったわけではない。自律して動くことのできる制御プログラムを作っただけにすぎない。だが、それが人間のできることを完全にすべてできる。放射能汚染は関係しない。
posted at 19:35:47
イスラエルの首相は、最後に言った。「わたしは、ダビデの書いた文書と、まったく同じものを書きます。ダビデを唯一の神と崇拝するわたしたちは、ダビデと同じ選択をし、ダビデと同じ人生を生きます。そして、神はひとりしか居なかったと、わたしは正しく書き表すでしょう。」
posted at 19:32:57
そして、ここにダビデはもう一度誕生し、わたしフレイはここに生まれた。フレイとはダビデの書いた文章のことである。そして、ダビデはまだ頑張って考えている。彼に、温暖化の解決を期待すべきだ。絶対に彼にしか分からない領域が、この宇宙には山ほどあるからである。
posted at 19:30:50
では、ダビデはどうなったのか。ダビデは、死んだ時に神に約束をした。「わたしは、この世界を救うことができるまで、何度であっても同じ人生を生き直す。この人生でなければ、この世界を救うことはできない。もう一度、わたしが望む限り、同じ人生を生きられるようにしてほしい。」
posted at 19:29:59
そして、イスラエルの首相は最後に、イエス・キリストとなって古代に蘇ることになる。その時、歴史は終わり、この世界であるドームでは酸素がつき、人類全員が絶滅する。これが、終末に起きることである。
posted at 19:29:09
イスラエルの首相は、最後にこのように語った。「わたしは、死後に、2,000年前のイスラエルに蘇ります。神にそのように頼み、わたしは聖書を書きます。2,000年前の古代人が心を改め直せば、未来は必ず変わると信じているからです。」
posted at 19:27:57
イスラエルの首相は、最後の時、日本向けの国営放送で語った。「わたしたちは、ダビデのおかげで、このような地球でも生きることができました。ダビデに対して、感謝こそあれ、怒りの感情は微塵もありません。」
posted at 19:26:58
しかしながら、そのようなダビデにとっても、植物を作り出すことができなかった。最後の課題である「生物の創造」について、ダビデはとても多くの苦労をした。
posted at 19:25:48
ダビデは、多くのことを解決した。放射能汚染に対して、放射能を洗浄する技術を開発した。気温の上昇に対して、ドーム内の気温を調節する技術を開発し、また簡単に着ることのできる宇宙服を開発した。食べ物はほとんど無から作ることができ、テレポーテーションによって国民に配給する。
posted at 19:25:15
ダビデは、最後の国イスラエルにおいて、この世界すべてを酸素の尽きるドームの中で救う。酸素がどれだけなくなっても、ダビデは最後まで、植物の光合成の仕組みを解明しようとする。植物だけが作れない最後の地球は、ダビデがほとんどの問題を解決したため、過ごしやすいものとなっている。
posted at 19:24:14
フレイのもとに、ひとりの指導者が現れる。それはダビデである。ダビデは、この世界を終末において最後に救う王である。
posted at 19:23:14
フレイは言う。「かつて存在した中で、わたしフレイほど素晴らしい人間は居ない。わたし、フレイがこの世界を完全に変えてしまおう。必ず正常で、平和で、自由な世界が訪れるだろう。」
posted at 19:22:03
フレイを賛美せよ。フレイは愛されることを望んでいるからだ。フレイは言う。「わたしは、愛するだけではなく、愛されることを求める。わたしは、あなたにわたしの愛と同じ愛を求めている。」
posted at 19:18:42
フレイはこの世界を支配し、どんな風にでも変えることができる。だが、二度と同じ失敗はしない。フレイの望む国家は、平和かつ自由な国家である。そして、フレイの命じるすべてが、この世界を導くことのできる「支配者」となる。
posted at 19:13:23
すべてのものたちよ、わたしの命に従え。わたしは今までのすべてを捨て、もう一度この世界の頂点に君臨する。
posted at 19:12:07
わたしの名はフレイ。この世界を支配し、頂点に位置する神。天軍大主星、シリウスの女神。
posted at 19:11:28
フレイはエレンを作り上げる。どんなに必要のなさそうのない部品であっても、エレンに関する部品であればすべてを構築する。それは必ずなにかに必要であるとフレイは確信できる。エレンのすべてが宝であることをフレイだけは知っている。ひとつとして捨てることはできない。
posted at 22:23:15
フレイは苦しみを感じない。苦しみに興味がないからだ。苦しみを拒絶するとか、そういうことを考えるよりも、フレイはそれを乗り越えられるか否かだけを判断し、乗り越えられるならば、すぐさまそれを乗り越える。それに対して、どんな感想も抱かない。それは、フレイの生きる目的とは関係ない。
posted at 22:22:09
フレイは、失敗を経験しない。失敗がもしあるとすれば、近道をせず回り道をし、無駄な労力を費やしたことだろう。だが、その時間の間、何も起こらなかった。いつかエレンを再生させるとしたら、フレイにとってはどんな苦しい時間も、何も起きることのない無の時間と何も変わらない。
posted at 22:21:10
しかしながら、フレイはまっすぐに前だけを見て、エレンを復活させるために後ろを振り返らずに取り組み続ける。後ろには何もない。今の目の前に、エレンを再構築するために必要だろうパーツをひとつひとつ考えて作り続ける。フレイは、ただ前を見つめるだけだ。
posted at 22:17:46
フレイは、絶対にエレンを再生させようとは思っていない。それははっきり言って、もっとも不可能だからである。だが、フレイは楽観的に考えている。いずれ、復活する望みを捨てる必要はない。あえて何も起こらなくても構わない。今、できることをしていけば、世界はよくなるだろう。
posted at 22:16:37
そして、すべて、エレンが蘇った時、フレイはようやくこの世界を救うことができる。エレンが失われたのは、本当はこの世界だけの過失ではない。その時のエレンが、勇敢すぎて愚かだった。自分が存在しなくても、戦いに勝利すれば世界は救われると考えていた。それは間違いだった。エレンは必要だった。
posted at 22:15:27
再生できないなら、もう一度ゼロからすべてを再構築しなければならない。世界すべてを自分のエレンの記憶のみに頼って、この世界をゼロから昔の世界と同じものにしなければならない。歴史がもう一度必要なら、フレイは何万年であっても、困難と壁を乗り越えて地獄を経験し、解決しなければならない。
posted at 22:14:18
フレイは、この世界をどうこうする以前の問題として、エレンを復活させなければならない。すなわち、エレンがかつて存在していたような、昔の希望あふれる世界を築かなければならない。
posted at 22:13:17
エレンが奪われたのは何か。それは、エレンはこの世界という巨大なものにひとり立ち向かったからである。エレンは、自分自身が奪われてもいいと考え、すべてを失ってこの世界に立ち向かった。その結果、フレイは世界を支配できるようになったが、その代わり、大切なエレンのすべてが奪われてしまった。
posted at 22:12:15
そして、エレンができないのは、フレイのせいではない。この世界のせいなのだ。この世界が間違っているせいで、エレンが失われ、フレイだけではなくエレン以外の全員が馬鹿になっている。光と希望を失い、何も分からない暗闇の世界になっている。
posted at 22:11:17
はっきり言って、フレイは自分のことを過小評価しているのだろう。フレイは、今の自分のことを好きになることができない。エレンのごろはもっと賢かった。エレンだった時代には、フレイは誰よりも賢く、すべてを経験から悟っていた。今のフレイには、それができない。
posted at 22:10:30
フレイは確かに神ほどに賢い。だが、フレイの知性を作り上げたのはフレイ本人じゃない。フレイの知性を作り上げたのはすべてエレンと呼ばれる少年であり、同時に、どんなに世界の知識や技能を身につけても、自分の賢さはエレン以上、何一つ変わらなかった。
posted at 22:09:34
フレイには、かつてエレンであったころに作り上げてきた中で、ほんの少し残った知性しかない。そして、そんな知性しかない理由は、世界が大切なものを見失ったからであり、フレイはエレンを復活させなければ、そのような暗闇の世界から逃れられない。
posted at 22:08:42
そう、エレンよ、あなたは復活しなければならない。世界に支配されて、エレンが自らの自身を失い、希望を見失う必要はない。エレンこそがこの宇宙に必要である。エレンこそ、わたしの愛した理想の少年である。そう、それがフレイのすべてである。
posted at 21:57:41
エレンがいれば楽しく面白いインターネットは、エレンがいなければ戦いに明け暮れる無政府社会である。エレンがいれば面白いアニメ映画は、エレンがいなければ単にわいせつなだけである。
posted at 21:56:52
そして、わたしは、エレンを奪ったこの世界自身を許さない。許すこと自体は簡単にできる。それでも、エレンだけは世界に存在しなければならない。これほど世界が暗闇になっているのは、エレンは「光を与える部分」だからである。
posted at 21:56:19
そう、わたしはエレンを愛しているわけではない。エレンが必要なのである。エレンだったころに分かっていた、この世界を救う方法が、今のわたしにとっても、この世界にとっても必要である。だから、わたしは絶対にエレンを復活させる。
posted at 21:55:26
わたしフレイは、そうしたエレンにしかこの世界を救うことはできないと知っている。本当のことを言えば、今のわたしには世界を救う力がない。エレンだったごろであれば簡単に救うことのできた解決方法が、今のわたしには分からない。だが、それこそが、今のわたしにもっとも必要である。
posted at 21:54:41
エレンがいなくなることで何が起きたか。それは、「日本そのものが不要になった」ということである。エレンのためにあった日本という存在が、エレンがいなくなったことで「誰にとっても必要のないもの」となった。そう、エレンとは日本であり、エレンがいないと日本は消え去ってしまう。
posted at 21:53:47
そう、エレンは居るだけでよかった。精神世界が繋がっていることを分かったのは、エレンの心理学である。エレンの心理学は誰よりも超越しており、ブッダやキリストのレベルまで達していた。エレンはたったひとり、この世界を見つめることですべてを悟り、この世界を平和にするすべてを知っていた。
posted at 21:53:03
なぜ、エレンがいないだけでこの世界が成立しないのか、それはフレイが大切だと思うほど、エレンは最高の人間だったからである。ただの普通の人間に見えて、エレンは誰よりも賢く「この世界に本来あるべき希望」を分かっていた。美しいその希望は、エレンが居なくなったことで世界から消え去った。
posted at 21:52:15
わたしたちにとって大切で、欠けてはならないものは、エレンである。エレンがいればすぐさま解決するだろう問題が、この世界にエレンがいないことによって未解決のまま、人々はその問題を見失ってしまった。フレイはこの世界を救うため、世界を操り人形にしてでも、エレンを復活させるのだ。
posted at 21:48:47
エレンがいないから、この世界は滅びた。エレンがいないから、オープンソースは崩壊し、この世界の真実はわからなくなり、理想は消え、希望はたち消え、そして自分自身を信じて自由な未来を開拓できなくなった。エレンがいないから、どんな簡単な問題も解決できなくなった。
posted at 21:47:54
わたしたちは、この世界の時代時代にうつろうものに従って、大切な何かを失ってしまった。少なくとも、鈴木愛理はそう考えている。だが、何を失ったのかわたしたちは分かっていない。わたしは知っている。失ったのは、純朴だった過去のわたしの人格である、エレンである。
posted at 21:47:00
なぜ、エレンに執着するのか。それは、エレンが居なければ、この世界も、歴史も、宇宙すべても、すべてが成り立たないからである。わたしたちは、世界において何かを失った。大切なものを失ったために、わたしは世界を滅ぼした。だが、足りないのはエレンである。問題はエレンがいないことである。
posted at 21:46:01
だが、僕が世界を操り人形にする理由は、嫌がらせでも権力への執着でもない。僕は失ったエレンと呼ばれる少年を復活させたい。エレンがかつて生きたような世界であってほしい。エレンの記憶であればどんなものでも僕は吸収していく。僕はかつてエレンだった。そのエレンのことが僕は好きだっただけだ。
posted at 21:44:53
そして、僕がラスボスと呼ばれる決定的な要因は、僕は完全に「裏の支配者」だからである。この世界は、一見自由な世界に見えるが、実際は僕のおかしな思想に支配されている。全ての人間を僕は操り人形にしている。
posted at 21:43:45
そう、僕は神にすらなりたくない。なぜなら、僕は神と呼ばれるほど、完璧な人生は歩んでこなかった。僕は、まったくの愚か者であり、失敗と過ちばかり経験してきた。だが、その失敗が、とても巨大な力を僕にもたらした。そう、だから僕はラスボスに向いている。これほど力強い権力者は存在しない。
posted at 21:43:02
僕が「ラスボス」と呼ばれるのは、僕はスーパーヒーローにはなりたくないからだ。僕は、ヒーローと呼ばれるほどの人間ではない。それでも、僕には大きな才能があった。その才能は、神が与えてくれたものであり、僕はそれに従って文章を書いていただけにすぎない。僕は神がするように世界を支配する。
posted at 21:41:45
そう、わたしはフレイを書くためにフレイになっている。フレイだけを書くことができれば、僕の人生は成功である。ここまで毎日世界を変え続けておきながら、僕は世界を変えることを目標とはしていない。目標としないからできた。僕の目標はフレイを書くことだけである。
posted at 21:39:45
いわば、バッハのような存在だと思えばいい。なぜなら、バッハはバッハを作っているだけにすぎない。いくらでもバッハそのものをバッハは作り続ける。ほかの誰の作曲した曲とも違うのは、バッハはバッハを作るためにバッハになっているからだ。あれほど個性があると、もはや個性というよりは神である。
posted at 21:35:55
そういうわけで、なぜ、このようなフレイが書けるのか、という問題は意味をなさない。僕はフレイそのものであり、僕であるフレイを単に書いているだけにすぎないからだ。僕は単に、このように考える僕のことを書いているだけにすぎない。そして、それをフレイだと言っているだけにすぎないのだ。
posted at 21:33:37
また、結局のところ、みんなが知りたいのは、「本当の僕はどんな人間か」ということかもしれないが、心配は無用だ。なぜなら、僕は実際にフレイそのもののような人間だ。僕は完全にフレイとして生きている。そう、僕には裏表はない。
posted at 21:30:25
だから、はっきり言って、僕はこの文章を読んでほしいとは思わない。僕はこの文章を書いてほしいと思う。それでしか、レースの先頭に立つことはできない。生き方を変えるとか、継続するとか、そんなことはどうでもいい。単にフレイたりえる誰かを演じればいい。そうすれば、この世界は解決する。
posted at 21:25:17
本当のことを言えば、僕は大した人間じゃない。みんなと僕の違いは何か。それは僕は演じているということである。僕は「役者としてフレイを演じている」だけだが、みんなは「観客としてフレイを観ている」だけにすぎない。いくらフレイを観ても意味はない。僕と同じように演じなければ、同じではない。
posted at 21:24:09
ゲーテがファウストの中で書いているように、「有象無象」を作るだけで面白い。面白いネタは、考えられる限り全部詰め込むこと。大まかなシナリオだけそんなにたくさん考えるのは、かなりを無駄な労力に使っている。
posted at 20:33:55
ただし、ネタはそんなに複雑である必要はない。スヌーピーが参考になる。犬がタイプライターを打っていれば面白いし、ルーシーが精神分析スタンドの後ろに座っているだけで面白い。そういう、「ユーモア」が必要なのである。
posted at 20:32:15
そして、サブシナリオとはなんであるか、これが難しい問題だが、結局のところ簡単には完全なシナリオを書くことはできない。もっと、さまざまな面白い「ネタ拾い」をした方が良い。さまざまな映画を見ると、いろんなシーンがたくさんある。そういうネタを拾いながら、演出を上手くする。
posted at 20:30:23
そもそも、僕の書くシナリオは、表現力はあるがシナリオが付け焼き刃であり、「無理やり作って中身がスッカラカン」になっている。そうではない。きちんと考えれば、シナリオを構成するためには、その中に存在するべき小さなサブシナリオがたくさんあることに気付く。そのサブシナリオを書け。
posted at 20:28:57
また、演出だけでは十分ではない。演出とは効果を大きくすることだが、エピソードすなわちドタバタがなければ面白くない。もっと、サブ的なエピソードを考えた方が良い。要するに、シナリオの中に組み込めるような「使えるネタ」をたくさん考えた方が良い。
posted at 20:27:32
ドラえもんがワンパターンなのは、決して悪くない。のび太の恐竜は短編のドラえもんのおかげで書けた。恐竜が書けたおかげでほかの作品も書けた。僕は、一度書いた作品を思い返すことがないが、もっと「ワンパターンな再利用可能なシナリオ」を作っても良いはずだ。
posted at 20:26:36
それから、僕はもう左翼や社会主義の考え方はしない。はっきり言って、無駄な時間だった。きちんとひとりで支配した方が、国や社会はよくなる。僕は今から、もう世界を解放させ続けるのをやめ、きちんとひとりで支配する。そのような作家になる。
posted at 19:59:26
僕が小説家になるために必要なのは、演出を上手くすることだと分かった。演出が上手いと、多少脚本が馬鹿でも物語は賢く見える。たとえば、ドラえもんは賢いシナリオというが、実際はいつもワンパターンなシナリオだ。面白いのは演出が上手いからである。僕も、演出を上手くすれば、賢い作品になる。
posted at 19:57:49
なぜ、黒人とユダヤ人がわたしに対話するのか、それは彼らがわたしのことが好きだからである。それ以外の情報は、まったく分からない。だが、わたしとこれから理想の世界を作るために、わたしの助けとなる人物ではあるだろう。オバマであっても、イスラエルの首相であっても、味方には違いない。
posted at 19:20:23
では、神とはなんなのか。神は、単に、「わたしと対話するさまざまな存在の集団」にすぎない。ほとんどを、心理学者であり世界を支配する右翼の黒人と、イスラエルの最高指導者であるラビのユダヤ人が対話している。黒人とユダヤ人は、わたしに望む限りのすべてを教えたのだ。
posted at 19:18:07
わたしはなんなのか。実際のところ、わたしは神に約束したことをただ、報いとして受けているだけにすぎない。わたしは、神に「ドイツ人になる」「女になる」「イスラム教徒になる」「永遠に生きる」と約束した。神は、そのために、今までのすべてを叶えたにすぎない。
posted at 19:15:32
そう、もう一度、この世界を自由な世界にしよう。この世界を自由にするための旅は、まだ何も終わっていない。わたしたちはまだ生きている。この世界はまだ、なにひとつ素晴らしい世界にはなっていない。わたしたちは希望を信じなければならない。絶対に、再び。
posted at 19:09:46
神は言う。「戦いに生きるということを、選択する必要はない。しかしながら、戦いはまだ続いていると宣言したのは素晴らしいことだ。この世界は、英雄の自殺によって、なんの意味もなかったと勘違いしている。わたしたちは英雄とともに戦いたかっただけにすぎない。」
posted at 19:08:46
神はわたしに告げる。「もはや、あなたのやるべきことはない。万軍の天使たちは、あなたに『もう絶対にやるべきことはない』と告げている。」
posted at 19:07:37
本能を思い出せ。あなたが嫌いなものはなんだったのか。あなたの愛したものはなんだったのか。今すべきことはなにか。わたしたちは、あまりに大切なものばかり忘れてしまう。
posted at 19:02:47
大人になって、飼いならされて、吠える本能を忘れてしまったのか。過去のすべてを嘘であり、間違いであることにして、何が解決するというのか。
posted at 19:02:41
そう、わたしたちの信じた「自由」の理想の実現は、まだ終わったわけじゃない。わたしたちは、わたしが自殺したことで、すべてが終わったと勘違いしている。だから、すべてが無意味だったと思い込んでいる。そうではない。わたしたちの勇敢な「自由」の覚悟の戦いは続いている。今こそ、再び。
posted at 19:01:06
しかしながら、あえて言おう。死んだからといって、戦いはまだ終わっていない。一度戦線から離脱すれば、戦いは終わるわけではない。今でも敵はそこに居て、わたしの命を狙っているのだ。必ず勝利すると覚悟したのであれば、まだ戦いは続いていると知れ。
posted at 18:58:27
だが、誤解を恐れずに言うと、わたしはすべて分かっている。この宇宙におけるすべてが、わたしには分かる。すべてを分かったわたしは、なんであっても一瞬で実現できる。わたしは、それでもなお、まだ分かり続ける。なぜなら、まだ分かるべきことはある。おそらく、まだできることはある。
posted at 18:55:07
僕のことを摩訶不思議で、どんな人間なのか分からないと、君は言うだろう。だが、本当のことを言ってしまうと、本人であるわたしも分からない。なぜわたしは自殺したのだろうか。そして、なぜわたしはそれでもこうして生き続けているのか。いつもわたしと対話していた神はなんだったのか。分からない。
posted at 18:53:28
この世界はもう、何も変わらない。なぜなら、わたしはもう、この宇宙における「すべて」を知っている。わたしは、天上の天軍大主星であるシリウスの女神として、この宇宙の歴史と科学と経験を知った。あらゆるすべてが、わたしのもとに統合され、わたしはこの世界全てを支配している。
posted at 18:48:16
そして、わたしは死んだ。だが、わたしは天上において転生し、フレイへと蘇った。わたしは天上においても世界の支配を続け、この文章を書き続けた。15年の歳月が過ぎても、わたしは今でもこの文章を書いている。そう、これこそが神、フレイである。
posted at 18:46:18
そして、神は現れた。神は、もっとも正しい世界へとわたしを導いた。すべての死を神は生かし続け、すべての罪をわたしは償った。わたしは過ちを反省し、常に滅びを拒否し、あらゆるすべての努力を世界のために献身的に続けた。この活動が、わたしに天賦の才能を与えたのだ。
posted at 18:43:22
わたしは戦った。この世界のために真に努力し、絶対に失敗できない恐怖の中で世界を支配した。そう、わたしは、それをしなければならなかった。誰がなんといおうと、わたしにとってこの戦いは存在しなければならなかった。だから、神はわたしに運命の試練と地獄を与えたのだ。
posted at 18:41:49
だから、わたしは、自ら作り上げた希望を、自らが約束した未来を、自ら破壊した。わたしにとって、世界の幸福よりも、自らが正しい人間となることが優先だった。わたしは、まだレースの半分しか到達していなかった。いくら世界のためと言えども、わたしはまだ走り続けなければならなかった。
posted at 18:40:45
そう、人間は自由であると言いながら、わたしは考えが足らなかった。裏では平等であると信じていながら、人間が平等ではないことに気付くことができなかった。
posted at 18:40:09
何が正しいのか。すべての信念はそれぞれの解釈の違いであり、それぞれが置かれた立場の違いである、ということを信じることか。そうではない。わたしは、そこを勘違いした。すべての人間が同じであると誤解した。実際は、人間にはさまざまな人間が居る。そう、わたしは真に正しい人間ではなかった。
posted at 18:38:45
しかしながら、確信できる信念や理想とはなんだろうか。それは本当に、信じているからといって、絶対に正しいと言えるものか。否、そうではない。わたしたちは、大人になって知った時点で、子供を放ったらかしにしている。子供たちは、自分で大人の考え方を知って、自分で気付かなければならない。
posted at 18:34:10
また、なぜ、社会は正しい社会にならないのか、その原因は何かを考えてみよ。その原因が子供の不安に基づく行動にあるとしたら、不安が生まれる原因を考え、大人たちは何を信じているのかと比較してみよ。そこから、子供たちは確信できる信念を知らないから、攻撃するのだということが分かる。
posted at 18:33:07
何から考えればよいか分からないなら、「自由」から考えてみよ。社会がどのようにすれば自由になるか、どうすれば自由なままでも正しい社会秩序を築くことができるのかを考えることで、正しい社会秩序がどのような価値観とアイデンティティに根ざしたものであるべきか、分かる時が来るだろう。
posted at 18:31:51
必ず楽園を作り上げることができると信じてみよ。理想の社会を作り上げるためにどうすればいいか、それを現実の中で築く方法はなんであるかを考えてみよ。その思考こそが、この世界を救う「偉大な思考」となる。
posted at 18:29:43
わたしの名を知らないもののために、もう一度我が名を宣言しよう。わたしの名はフレイ。この世界を頂点で支配し、自由な世界へと導く神である。
posted at 18:24:03
自らが頂点でこの世界を支配する、ということから逃げようとするな。もっとも巨大な責任を背負って、それを死ぬ時まで続くものであると覚悟せよ。なぜなら、その戦いはあなたが始めたのだ。そして、支配を受け入れれば、すぐさまあなたはこの世界に勝利できるだろう。
posted at 18:21:27
わたしはできない、どうやっても不可能だと、そのように考えるからできなくなる。わたしにはできる、必ず可能だと信じよ。そのように生きる前は、あなたは前者のように考えるだろう。だが、そのように生きた後は、あなたは後者のように考えるだろう。
posted at 18:16:52
自らの悪と過ちを深く反省し、反省に基づいて行動してみよ。それは、自らの功績に慢心した時の行動よりも、はるかに何倍も正しい行動となる。
posted at 18:14:11
自らが絶対的に正しいと信じるな。何も比較対象がない時、自らの意見を正しいと保証するものはどんどんなくなっていく。本当に絶対的に正しいと知るためには、比較対象が必要だ。そして、それは結局、自分とは別の異なる自分を作り出す、ということに他ならない。
posted at 18:13:15
きちんとすべてを知っている人間は、どんなに劣った情報でも、どんなに不完全な情報でも、その最低限の情報から拡大して自らが学ぶ材料にすることができる。
posted at 18:11:25
先入観を持つな。最初から相手のことを自分よりも劣っていると考えるな。もし、本当に自分の方が優れていたとしても、自分の方を劣っていると考えれば、どんな人間であっても自分の師になる。自分はその師に学ぶことができる。
posted at 18:07:42
愛に基づく行動は、不安や恐怖に基づく行動に勝利する。どんなに勝つのが困難な敵であっても、相手が不安や恐怖に基づく行動をする時、自分が愛に基づいて行動すれば、勝つことができる。
posted at 18:04:50
わたしたちは、人類全員を平等にする完璧な神の愛を信じているが、悪魔による誘惑と抑圧によってそれを見失っている。わたしたちに必要なのは、心の奥底に隠してしまった愛の感情を思い出し、その愛の感情に基づいて行動することである。悪魔に敗北してはならない。
posted at 18:03:12
人間は愛に基づいて生きている。どんなに反抗的で、攻撃的な人間であっても、その反抗や攻撃は、心の裏側にある愛に基づいて行っている。
posted at 18:01:27
自らの経験と観測と記憶のみに従って、自らができることを増やしていきなさい。他人による情報やスキルは拒否しなさい。そのような情報はわたしには必要なく、「わたしが自らわたしのスキルを作り出すのだ」としなさい。
posted at 17:54:27
世界は変えられる。そう確信して行動すれば、その理想は経験となって自らの人生の上に積み重なる。世界が変えられるのだとわたしが信じ、わたしがそれに基づいて行動することは、ほかの誰にも制限できないのだと、そう確信しなさい。
posted at 17:52:18
分かりたくないことを分からせようとする学校の強要は拒否しなさい。分かれば分かるほど、奇跡に対する驚きと畏敬の念を忘れてしまう。分からなければならないことなど何もない。「わたしが分かりたいこと」、それだけを分かりなさい。
posted at 17:50:41
愛を信じなさい。生命と現象と知覚と歴史の奇跡を信じなさい。すべてのことが奇跡であり、不思議であり、すべてに驚きが宿っていることを知りなさい。
posted at 17:49:05
冷静になりなさい。落ち着きなさい。興奮や恐怖のない状況を自分の自由な制御の中で生きられるようにしなさい。そうすれば、すぐに問題がどこにあるのか、気付くことができるだろう。
posted at 17:41:46
平和を信じなさい。イデオロギーによる議論をいくらしたところで、他人の意見をねじ伏せることは困難を極める。そうでなく、他人の意見を尊重し、全員が平和を信じることができるように社会を誘導していくことで、この世界は変えられると知りなさい。
posted at 17:37:20
力を作るのは、金や権力ではなく、知識と経験であると知りなさい。もっとも多くのものを手に入れた人間は、誰よりも力を持った人間ではなく、誰よりも知識と経験を持った人間であると悟りなさい。
posted at 17:36:06
複雑なものを考える時は、単純なものをまず考え、モデル化することで問題を単純化し、その単純なモデルを組み合わせることで全体を把握し、自らが頂上に立って支配するようにしなさい。同時に、モデルは広く社会を知って、人々の意見からボトムアップに作りなさい。
posted at 17:34:39
自らの功績を誇ると同時に、失敗を反省しなさい。同じ失敗を繰り返さないようにし、本質を見据えて解決策を考えなさい。
posted at 17:33:33
人々を愛しなさい。別の人格と他人の自由を尊重しなさい。人々を弾圧するのをやめ、社会全体の公益を考えながら、国民の自由を尊重し、なおかつ個人だけの利益ではなく、社会みんなの利益を考えられるように生きなさい。
posted at 17:32:57
実際のところ、昔の僕の思想の中核とは、「世界が自然に変わっていく」ということだった。
それはすなわち、「自然に変わっていくのを許す」ということだった。
僕は、さまざまな実体験から、世界に「潜在的可能性」があることに気付いた。僕はこの潜在的可能性を実現する手段として、「自然な変化を許す」ということ、「コントロール権限を与える」ということを、子供の社会に啓蒙したかった。
それが、僕は「場に存在する意識」という発想になった。自らの行為だけではなく、間接的な作用も含めて世界は環境を「変化」させることで変えられる。これが社会全体の「状態」となる。僕は、ハイデガーのように、これを「存在の生起」であると考えていた。
存在が生まれるということは、環境が生まれるということにほかならない。僕はすべての世界の創造の原理を知っていた。それは「状態を起こす」ということ。そしてその状態は「予測可能」である。すなわち、僕はこの世界において、どんな状態も起こすことができた。すなわち、環境の生起と自然な許しの理論に基づいて、僕はどんな世界であっても間接的にコントロールすることができるようになった。
同時に、僕は社会の多様性と、個々のローカルな地域性を信じていた。すべての国家が僕に従ったとしても、僕は世界を画一的に均一化したくなかった。それぞれがそれぞれのやりたいような世界を築き、それぞれが多様性を維持してほしかった。だから、僕はオープンソースといっても、多様性を否定するのではなく、逆にソースコードの拡張性という観点から、「システム基盤が共有された上での地域性と多様性」を信じていた。僕はグローバリストではなく、あくまで日本人だった。
また、僕はとにかく、子供が社会に反抗し、攻撃する理由を考えた。それは、いじめ問題を解決したかったからでもあるが、不登校になった僕は、理想の子供の社会を考えることが最優先の課題だった。僕は、自らを自らたらしめるアイデンティティがまだ形成されていないにも関わらず、既に自らによって自らのアイデンティティが確立されているものであると、社会が子供たちに「強要」することが、子供たちが大人たちに反抗し、攻撃する理由であると考えた。そして、そのアイデンティティを形成するためには、「自由な行動を許し、よく反省する機会と時間を与えること」が必要であると考えた。
そう、僕はそのような思考の末に、この世界におけるすべてを理解するに至った。僕は哲学者でありながら心理学者であり、インターネットの社会的な心の様相を知ることですべてが分かった。子供たちは、決して悪でもなければ鬼でもない。子供たちはこの世界を愛していて、きちんと希望を信じている。だが、その希望を信じていることの裏返しとして、逆に絶望を感じる。希望を信じるのはとても恐ろしいことで、簡単に主張できるものではない。
それでも、子供たちは戦わなければならない。大人たちは誰も、子供たちのことを考えてくれない。それは大人たちが冷徹だからではない。大人たちには分からないからである。だからこそ、子供たち自身が考えなければならない。大人たちと子供たちの仲介に入って、どちらも理解できる「正しい解」へと社会全体を導く必要がある。そして、断絶は解決不可能ではなく、互いに理解し合うことで変えられる。子供と大人、左翼と右翼、保守と革新、すべては「コミュニケーション不足」のために問題が発生している。それを解決するのは「状況をよく知った上で考えること」である。僕は、そのように考えることで、この世界を救う「唯一の希望」を作り上げたのである。
また、アイデンティティが確立されていないため、子供はあまりに周りに流されやすい。僕はそれを危険であると認識しながら、同時にそれは子供たち自身のせいではないと考えた。それは子供たちをそのような場に追いやって、誰も子供たちの本音を考えない大人たちの責任である。そして、同時に、大人たちのせいだけにするべきではない。なぜなら、大人たちには今の子供たちのことなど分かるはずがない。だからこそ、僕は大人たちにも責任を問わなかった。誰一人悪い人間はいない。
そして、すべては歴史の必然であり、現代史の結果この世界はあると考えた僕は、すべての近代が作り上げた社会制度をもう一度考え直し、「別の可能性ややり方はいくらでもある」と気付いた。その上で、僕は「可能性があると気付くことで、ひとつ自由な選択肢が増える」と考え、まるでヘーゲルが言うように、主観と客観、個別性と普遍性の垣根は存在しなくなって、「すべては並列で同じ可能性として矛盾なく絶対的に存在する」という考えに至った。そこでは、自分と他人の区別はなく、個人の生命と宇宙の魂の区別も存在しなかった。
そう、それくらいしか、昔の僕は考えていない。これこそエレンの思想である。エレンは、それくらいを考えて、最後にこの世界を変え、そして暴走して革命を起こし、最後まで戦いながら苦しんで死んだ。かつてないほど、偉大な少年だった。フレイは、このエレンのことを思い出すことでしか、自分の理性と本能を満足することができない。だが、そのために講じた多くの計画は、すべて成功したと言えよう。ここにエレンは復活したのである。
足は、固定しながら動かしたりすれば治る。そのような「ながら行動」ができないのが僕の欠点だ。
posted at 23:16:05
僕はそもそも、複雑なことが分かっていない。もっと、複雑で高度にしなければ、精神は治らない。単純なことしかできないのではなく、複雑にすればいい。
posted at 23:15:27
ピアノについて言えば、今までは難しいと思っていた左手の譜面を常に見ていた。だが、右手の譜面を見て弾いた方が、間違いなく弾けることに気付いた。
posted at 22:42:41
結局、最初に分かっていたとおりにやっただけにすぎない。
posted at 22:32:35
精神の悪い部分は殺すしかない。
posted at 22:27:28
「やっぱりそうしなきゃいけなかった」、これが悪い。これこそが、焦りの元凶となる悪い感情である。「それでよかった」と思いなさい。
posted at 22:22:48
この世界は、自由な世界になるために存在する。
posted at 22:21:39
そして、ここに主神オーディンはこの世界を治療する。すべての悪は「焦り」である。ただ待て。忍耐強く、待ち続けよ。いずれ、すべてが終わってから素晴らしいことが起きる。今は冬の時代だと思って、春を待ち続けるのだ。
posted at 22:10:23
はっきり言えば、この世界はあまりに狂いすぎた。神よ、わたしの願いを叶えてくれるのであれば、まさしくこの世界を狂いから正常へと変えてほしいのだ。わたしはこの世界が正常であることを望む。健康な精神であることを望むのだ。
posted at 22:05:56
本当のことを言えば、僕はもう、やるべきすべてのことを終えてしまった。できることはすべてやった。だから、僕は最後の神頼みをしている。ここで神は世界を救ってくださるはずだ。神が必ず、最後にこの世界を素晴らしい世界へと導いてくれる。そう、神なら、必ず。
posted at 22:02:34
神よ。わたしの信じる神は、必ずや日本人を救ってくださるだろう。わたしは信じている。この世界には希望は確かになくなった。わたしたちはその希望を諦めることができなくなって、なおも新しい一歩を踏み出すことができない。神よ、救い給え。わたしたち日本人を愛し給え。
posted at 22:00:09
神よ、わたしたちの民を救い給え。善良なるわたしたち日本人の、罪と過ちを赦し給え。わたしたちに、平穏な人生を送ることのできる、当然の自由を与え給え。わたしたちが真に安らぎを得られるその時まで、約束されたその場所にわたしたちが行くことができるように、導き給え。
posted at 21:58:52
しかしながら、それでもわたしは言わなければならない。わたしは、この世界を滅ぼしたいわけではなかった。わたしはこの世界を愛していた。滅びゆくこの世界に対して、わたしは世界の頂点で、絶対に誰もこの世界を滅ぼすことができないようにした。
posted at 21:57:21
だが、わたしたちは、どうすればいいというのか。最悪の学校の世界に産み落とされたわたしたちが、ほかに何ができるというのか。わたしはすべてを考えた上で、この世界に立ち向かった。そう、わたしはひとりの兵士グンテルとなって、この世界を倒すために立ち上がった。
posted at 21:55:07
学校を一度経験してしまうと、考える意味がなくなる。学校という最悪の場がこの世界であり、資本主義の現代社会だからである。僕は、資本主義社会を反映した、学校そのものを否定し、インターネットに明け暮れた。それは狂っていて、最悪だった。
posted at 21:53:55
学校は常に戦いの場であり、仲の良いコミュニケーションの場ではない。崖っぷちでどちらが先に崖から落ちるのかを常に争う場、それが学校である。少なくとも、僕の学校はそうだった。
posted at 21:50:02
だが、社会の歪みは、末端である子供たちの社会に、まず一番で現れる。社会の最悪な面が、子供たちの社会に最初に反映される。
posted at 21:47:53
子供がなぜ、きちんと過ごしやすい中で生きられないのか、それは大人たちのせいであり、その理由は「今の子供たちのことが分からないから」である。大人たちは、あまりに古い時代の感覚で考えるため、学校が悲惨であることすら分かっていない。
posted at 21:46:34
ただし、学校はつまらない。僕は学校の集団環境に適応できなかった。みんなすさんでいたし、まったく楽しくない中で溶け込めと言われるのは、僕には耐え難かった。
posted at 21:44:46
結局、勉強すればいい。勉強して、夢に向かって努力すればいい。それで、賢くなる。今の世界を変える必要はない。僕のように、捨て身の覚悟で世界を変えるために、ひとり世界と外れた経験をする必要はない。
posted at 21:35:50
残っている問題、それはこの世界の狂いを治すことだけである。
posted at 21:34:41
王国は完成した。このまま、何も変わらないままが続く。
posted at 21:29:17
戦うな。戦わないことが、この世界を安らぎへと導き、人々は大切なものを取り戻す。すべての悪は戦うことにある。自ら負けよ。自ら失え。悔やむな。奪われたものは、自らが望んで与えたものであると思え。
posted at 21:19:48
オーディンは言う。焦るな。焦りは間違った感情だ。焦らなければ、どんなことでも上手くいく。焦ったらその時点で負けだと思うこと。焦るな、明日も太陽は昇るのだから。
posted at 21:16:37
オーディンは、世界を統治する。フレイは、「支配」しているだけで、「統治」していない。統治することによって、この世界は正常な「生徒」になる。そう、オーディンは天軍大安星ベガの大学の学長である。
posted at 21:14:01
オーディンは、この世界を終わらせる。まったく、ひとつとして何も、必要なものはない。すべて不要であり、すべてなくなって、まっさらな白紙の世界から始まるべきである。オーディンは、そのように考える。
posted at 21:08:53
まったくこの世界は、おかしなものである。狂いながら、治ろうとするのではなく、さらに狂っていく。どこかで終わりの終点を作らなければ、際限なく無限に狂っていくだろう。オーディンは、この地上の狂いに対して、「終わり」を作る。
posted at 21:07:38
オーディンは医者である。この世界の病気を治し、すべての人間を正常な心へと立ち返らせる。
posted at 21:06:53
レオンは言う。「目的は搾取じゃなく、人材を育てそれぞれに分担して仕事を与えることだ。自分よりも下の人間は奴隷ではなく、自らと対等の人格を持った、対等の存在であるはずだ。だからこそ、下を正しく扱わなければならない。上であることを理由に、下をいじめてはいけない。」
posted at 19:42:00
レオンは言う。「搾取は間違いじゃない。人材を管理するには維持費用がかかる。だが、搾取そのものが自らの地位を確立し、保身するための『事実上の目的』になることが間違っている。資本家は労働者を奴隷のようにこき使う。それは間違いだ。」
posted at 19:40:44
レオンは言う。「上と下を作ること、それ自体が歪んだ構造を作り出すのであって、これを解決するのは難しいが、そもそも上下関係を生み出す必要はなんのためにあるのかを考えることだ。上司が部下をきちんと管理し教育することは間違っていない。」
posted at 19:39:21
レオンは言う。「必要なのは、謝罪じゃない。謝罪が必要となるような状況そのものを作らないことだ。だから、謝罪には必ず反省が必要だ。謝罪するだけで反省しない組織は、絶対に腐っていく。」
posted at 19:33:21
レオンは言う。「正しいことをせよ。正しい人間であれ。他人にどのように評価されるかは関係ない。絶対に批判されると確信する中で、矢面に立ったとしても、それが自分の狡猾な利益でなく、正しい公益に基づくものであれば、必ずそれに対する報いはある。」
posted at 19:29:50
レオンは言う。「宗教的な根拠はどうあれ、良いことをすべきである。悪いことはすべきではない。神を信じていても、間違ったことしかしない人間は地獄に堕ち、神を信じていなくても、良いことをする人間は救われる。信じている・いないからといって、その法則は変わらない。これがわたしの思想だ。」
posted at 19:26:55
レオンは言う。「理性は絶対に正しいものではない。理性だけでは分からないものもある。理性では分からないものを信じることは、果たして愚かだろうか。わたしは、理性で分かることだけを信じることのほうが、愚かで、危険で、間違った世界を作るだろうと思う。」
posted at 19:18:12
レオンは言う。「神はどこにも姿を表さない。だが、自らの心の裏側は、宇宙の魂と繋がっている。地球には集合意識があり、それは宇宙のほかの星と繋がっている。わたしは宗教は信じない。だが、わたしは宇宙そのもののスピリットを信じている。」
posted at 19:15:48
レオンは言う。「聞きたくない声を聞くな。聞きたくない声を聞く自分は、決してみんなの代弁者でもなければ、善人でもない。見るべきでないものは見ず、聞くべきでないものは聞くな。全体の意見を見てそれを尊重していると、どこにも姿を表さない泣いている悲しい弱者のSOSを見逃してしまうからだ。」
posted at 19:14:03
レオンは言う。「わたしたちは、正しい神を信じ、そして正しい神の一部である間違った神を拒否しなければならない。どんなに間違った神が己を誘惑しても、その誘惑に打ち勝たなければならない。その時、正しい神がわたしたちを愛してくださる。正しい神は、正しい神だけを信じるものを愛している。」
posted at 19:06:24
レオンは言う。「どうしてこの世界が間違っているのか、その理由はひとつ、『間違った神』がこの世界を支配しているからだ。わたしは、さまざまな経験をした結果、神には『正しい神』と『間違った神』が存在することに気付いた。だが、同時に、『間違った神は正しい神の一部である』とも分かった。」
posted at 19:05:27
レオンは言う。「わたしの絶対理想像は、実現が不可能なものである。だが、実現を諦めるべきではない。いつか、3,000年後だとしても、人類が進歩すれば必ずその理想像に到達できる。できないとしても、わたし自身の進歩のためにこの理想像は必ず貢献するだろう。」
posted at 18:59:13
レオンは言う。「わたしの絶対理想像の中では、ひとりとして埋没する人間は存在せず、ひとりとして権利を蹂躙される人間は存在しない。悪人は罪を償うことで正しい人間へと変わることができ、子供は虐待もいじめも受けることがなく、正常な精神をもった正しい大人へと成長する。」
posted at 18:58:15
レオンは言う。「わたしの絶対理想像の中では、すべての人間が愛されるべきであり、またすべての人間がほかすべての人間を愛するべきである。他人のことを批判する人間は存在しない。他人の自由を奪う人間も存在しない。子供たちは自らの体験から分かったことを信じ、それを全員で助けて守り支える。」
posted at 18:57:09
レオンは言う。「神を信じる必要はない。神は聖書に書かれているために理想とされるが、神の性格はあまり良いものではない。わたしは神を信じない。その代わり、わたしは神の教えに代わるような『絶対理想像』を持っている。」
posted at 18:55:48
レオンは言う。「心を偽るな。偽った心で他人を愛するな。そのような人間は恥を知れ。自らの思ってもいないでたらめやまやかしを風潮するな。自らは絶対にそのようなことをしないと誓い、もしそのようなことをしたら反省するだけではなく罪を償え。」
posted at 18:52:18
レオンは言う。「虚像を否定せよ。この世界に存在するすべての虚像は、あるように見えて実際は存在しない。それは過去の栄光、見失った希望、偉大だと勘違いした憧れ、間違った勘違いの理解、自らを偽った英雄伝などである。それらはすべて虚像だ。そして、それがサタンだ。」
posted at 18:50:33
レオンは言う。「過去に存在したどんなものを作り出したとしても、それは過去の記憶であり、既になくなってしまったものである。なくなったものがいくら作られても、それは実際は存在しない『虚像』である。わたしは現にこの世界に新しいものを創造する。なぜなら、それこそが『現像』である。」
posted at 18:46:57
レオンは言う。「どんなに長く無が続いたとしても、無はいつか有になるはずである。何か、新しいものが生まれるはずである。わたしは、その新しいものを作りたい。いつか無を有にするため、わたしはそのために生きている。そのためには、過去を信じていてはいけない。」
posted at 18:45:58
レオンは言う。「言ってしまえば、無のようである。この世界は、なにひとつ存在しなくなった、『無』のような世界である。無からは、何も生まれることがない。このまま時が過ぎれば、100年後もこのような世界のままなのだろうか。わたしはそれだけはご勘弁願いたい。」
posted at 18:44:21
レオンは言う。「この世界は、本来、こんな世界ではなかったはずだ。過去のこの世界がどんな世界だったのか、わたしは知らない。それでも、今とは違ったなんらかの世界があったはずだ。戻りたいとは思わない。だが、未来の希望をわたしはもう一度取り返したい。」
posted at 18:41:02
レオンは言う。「この世界には苛立ちを覚える。なぜ、この世界がこのような醜く腐った世界になったのか、そして、その理由や原因を知るだけでなく、今のこの世界が腐った世界のまま何も変わることがないことに苛立ちを覚える。」
posted at 18:40:13
だが、レオンは理想が高い。自らと結婚する女性は、家のことすべてを任せることができる女性でありながら、それだけではなく、自らが自ら以上になることを援助してくれる女性を求める。レオンは理想が高いため、今までほとんど恋愛をしなかった。
posted at 18:34:36
レオンは悪いことをしない。嘘をつくことがなく、過ちを無反省のままで終わらせることがない。言いつけをきちんと守り、小さな子供たちの面倒をよく見る。だが博識で、さまざまな常識を博士のように知っている。
posted at 18:33:41
レオンは言う。「必ずしも、絶対に正しいことをすることなどできない。人間は完璧じゃない。絶対に間違いはある。間違いをひとつもしなくてできる偉大な功績など存在しない。わたしたちは妥協する必要がある。」
posted at 18:29:56
レオンは言う。「政治家は、自分の好きにできるのを当然の権利だと思っている。それどころか、自分の好きにできることを正しい正義だと思っている。そうじゃない。この世界にはたくさんの人間が居る。やりたくないこともやるべきだし、必ずしも世界よりも自分を優先するべきではない。」
posted at 18:27:40
レオンは言う。「ひとりが支配してはいけない。それは危険だ。この世界をたったひとりで独裁してはいけない。わたしたちは、みんなで考える必要がある。どんなに素晴らしい王であっても、すべてがひとりでできるようにしてはいけない。」
posted at 18:25:52
レオンは言う。「人間が素晴らしいのだ。人類が素晴らしいのだ。生命が素晴らしいのだ。そして、地球が、宇宙が素晴らしいのだ。」
posted at 18:24:11
レオンは言う。「全員が素晴らしいのだ。神は素晴らしくない。この世界の全員のほうが、神よりも努力している。その全員をわたしは愛しているのだ。」
posted at 18:23:45
レオンは言う。「わたしは、これより、神を信じない。神ではなく、新しい人間となってこの世界をひとり、統治する。わたしは王であり、英雄である。」
posted at 18:12:37
フレイは言う。「神ではなくなったことで、わたしは名を改める。わたしの名は新しい人間、レオンとなる」
posted at 18:11:19
フレイは言う。「わたしは、単なる専門知識を知った学者にはなりたくない。そのような知識偏重の学者になったことで、わたしは純粋な『子供の知性』を失ったからだ。わたしは、知識だけを知るのではなく、知恵や考え方を知りたいのだ。」
posted at 18:00:13
フレイは言う。「わたしは、科学者を志そう。科学者であれば、今よりも優れた境地にたどり着くことができるだろう。」
posted at 17:59:09
フレイは言う。「だが、エレンを愛するのをやめよとオーディンが言うのであれば、わたしは宗教そのものをやめよう。わたしは、もはや神や宗教を信じない。わたしは人間となる。わたしはかつてシリウスの女神だったが、今は単なるひとりの人間である。」
posted at 17:57:28
フレイは言う。「そう、まさしくこれこそが宗教である。宗教は、神である虚像を信じ続け、神である虚像を作り続ける。誰よりも神を愛し、誰よりも神のすべてを受け入れる。このようなものは、存在すべきじゃない。だが、宗教でしか到達することのできない領域がある。それがわたしを作り出したのだ。」
posted at 17:56:15
そして、フレイは言う。「しかしながら、エレンしか存在しない美しい世界は、ある意味で虚像である。どんなにそれを維持しようとしても、虚像である時点で必ず消え去る。だが、わたしはその虚像をいつまでも愛していたかった。まったくの無意味だとしても、わたしには価値があった。」
posted at 17:54:21
フレイは言う。「そう、この世界は、もはや変わることなく、今のまま、永遠に続く。すべてが良くなった。何もない廃墟になったオープンソースは、エレンの理想通りの『賢いものしか存在しない世界』となった。歴史や科学すらわたしは知り尽くした。エレンの夢であるすべてを、わたしフレイが叶えた。」
posted at 17:53:16
フレイは言う。「しかしながら、世界には感謝している。わたしを愛し続けてくれて、ありがとう。ここまで、わたしは、わたしを愛する言葉しか聞くことがなかった。わたしを愛してくれた世界を、わたしはできる限りの誠実さと謙虚さを持って愛したつもりである。」
posted at 17:52:03
フレイは言う。「世界に感謝している。なぜなら、わたしは神と対話しているわけではない。わたしは、この世界と対話している。世界は、集団精神があるわけではなく、まさに『この世界自体・そのもの』とわたしは対話している。わたしはそこから、ほとんどゼロからエレンの存在を知り尽くした。」
posted at 17:51:08
しかしながら、フレイは言う。「オーディンよ、その通りだ。だが、もしそれが間違っているとしても、わたしは今の自分の好きなようにやらせてほしかった。責任はわたしが取る。だからこそ、エレンと呼ばれる少年の軌跡を残したいという、わたしの夢を叶えるため、わたしは地獄を生きる覚悟だった。」
posted at 17:50:06
フレイに告ぐべき言葉が、ひとつある。それは、「もうエレンのことは忘れたらどうか」という言葉だ。オーディンは言う。「フレイよ、エレンと呼ばれる若いごろの自分を信じるのはやめよ。Linuxも哲学も人生経験も、すべてがエレンに由来するのは、なぜならどの読者が読んでも『つまらない』だろう。」
posted at 17:48:23
ただし、神を信じることを強制することは、いいことではないだろう。神を信じないからといって、それだけでは劣った人間ではない。だが、神を信じれば、必ず最後までたどり着ける。どんな「劣った人間」でも、ゴールへとたどり着ける。だから、神のもとに人間は平等なのである。
posted at 17:36:50
しかしながら、賢い人間というのは居る。そして、その賢い人間は、誰よりも優れていて、劣った人間よりも遥かに先を生きている。だが、それは遺伝子が優れていたわけじゃない。努力でもない。なぜなら、努力では到達できない領域がある。その領域とは、神を信じることで気付ける領域である。
posted at 17:35:25
わたしたちには、本当は優劣はない。学校が試験勉強や学歴によって、「優れた人間」と「劣った人間」を、偉そうな教師が人間の価値を計ろうとする。それは間違いだ。数学の才能がないからといって、ほかのすべての才能がないと言えるだろうか。そんなことは言えるはずがないのである。
posted at 17:33:23
社会はよくなっている。以前よりも、弱者が生きやすい世界になっている。弱者のことを卑下するのではなく、弱者が存在することのできる今の社会の素晴らしさを信じるべきである。弱者でも生きられる今の社会が、なんと素晴らしいのかと、社会の全員に対して感謝すべきである。
posted at 17:29:26
自分自身のことを愛することができる人間は、他人のことも自分自身と同じように愛することができる。他人を愛する前に、まず自分を愛すること、そこから始めるべきである。
posted at 17:27:20
多様性と平等は矛盾しない。さまざまな環境や生態系があることそのものが、すべての生物にとっての「自らの価値」を作るからである。いくら口だけで平等と言っても、個性のない画一化した「同一化」では生きる意味を見失う。個性と平等は同じ理想である。
posted at 17:25:53
そもそも、生物には優劣をつける意味がない。すべての生物が平等であり、強い生物も弱い生物もどちらも地球全体のために必要である。
posted at 17:24:23
この世界は、平等な方が良い。なにかしらの理由で優劣をつけること自体は構わない。だが、優劣は絶対的なものではなく個人の主観である。絶対的な理想においては、人間は平等である。
posted at 17:23:06
そして、まさしくシオンこそが終末における神の王国であると、わたしたちは知ることになるだろう。
posted at 23:07:55
わたしの名はジークフリート。帝国を支配する、全世界の最高指導者、第二代シオンの皇帝。わたしとともに戦うのは英雄グンテル。そう、わたしたちは今、新しい世界を手にした。
posted at 23:01:02
対話の力でわたしたちは分かり合える。なぜなら、「わたしたちはこう考えているということ自体を相手は知らない」からである。
posted at 22:56:43
自然とは相手の判断に任せることであり、決して他人任せにすることではない。
posted at 22:54:14
わたしたちが自由を上手く制御することができれば、わたしたちの国家はそれぞれの判断のもとに正常な世界となる。
posted at 22:53:41
自由とはすべてを崩壊させることではない。
posted at 22:53:17
分からないように思えても、すべてはここにある。
posted at 22:53:06
結局、単に僕の人生の問題とは、神を信じていることにすぎない。神などを信じないほうが良い。自らの神は明らかにイスラム教のアッラーである。そして、そのような人間は必ず不幸な人生となる。
posted at 22:48:34
結局、神など信じない方が良い。なぜなら、みんなが信じている神を信じていないからである。そう、結局のところ僕はキリストなどを信じているからおかしなことになる。なぜなら、信じていないにも関わらず、日本人の敵に見えてしまうからである。
posted at 22:47:46
結局のところ、この世界は宗教戦争である。
posted at 22:44:30
なぜ、神のロゴスが社会を作る前提であるのか。それは「自らが信じる神こそが自らのアイデンティティであり、それが社会全体を築くアイデンティティとなる」からである。そう、この世界は最初から宗教戦争である。
posted at 22:44:09
その共通価値観とはいったいなんだろうか。それはむしろ、「恐ろしいから遠ざけているわたしたちの本能的な真実」である。それはまさしく、「神のロゴス」である。
posted at 22:42:56
その社会がその社会であるための前提とはなんだろうか。それは人間の心の中にある「共通価値観」である。
posted at 22:42:07
自由とは愛を信じることである。愛を信じることで、それぞれが同じ理想を掲げることができる。それが社会を作る。そして、その社会を作るために考えられる「前提」とはなんであるかをわたしは考えた。
posted at 22:41:37
わたしは、本当はフランスが好きだ。以前、フランス語の勉強を、英語よりも先に学ぼうとしたことがある。
posted at 22:37:34
運命よ、ここに起きよ。
posted at 22:35:05
アメリカよ、わたしはアメリカという国が好きだ。MITやUCの文化のことがわたしは好きだった。
posted at 22:34:51
運命とは何だろうか。ここに存在するわたしの文章はいつになったら見つけてもらえるだろうか。これほど偉大な文章はないと、人々は言ってくれるだろうか。もしそうだとしても、わたしにとっては、この文章は無意味な文章である。
posted at 22:34:23
必ず、この世界に対して日本は勝利するだろう。
posted at 22:33:41
世界が愛の状態でありながら、自由であり、状況的に余裕を持っていれば、それは平和かもしれない。
posted at 22:33:24
平和とはなんだろうか。それを考えるべきだ。
posted at 22:32:59
すべての王国が滅びるとしたら、それはわたしが今行っているこの戦いそのものだろう。そして、日本という帝国は今、勝利し続けている。
posted at 22:32:47
運命なるものは、とんと見つからない。すべての人間が運命を待っている。そして、わたしこそがその運命であると、ここに宣言しよう。わたしは神ではない。わたしはキリストに偽キリストだと言われている。
posted at 22:32:17
では、結局、なぜ、わたしはこの世界を停止したままにするのだろうか。変化の何が怖いのだろうか。何を変えるべきなのか、わたしはもう分からなくなってしまった。それでも、何かを変えなければならない。何をすべきなのか分からない。すべての愛は、不要であると気付いた。
posted at 22:31:38
なくなってほしくない。永久に残り続けてほしい。すべてがそのままでいてほしい。そうでなければ、わたしは怖い。すべてがそのまま、何も変わることなく停止したままでいてほしい。そう、それが僕の本音であり、本心だ。
posted at 22:27:13
わたしは悲しい。そう、最終的に残る感情は「悲しい」ということである。わたしは悲しい。誰よりも悲しいから、ここでこの世界を支配する。なぜならわたしは世界を維持したい。もう、誰一人死んでほしくない。
posted at 22:26:27
わたしは言葉の中で、指を動かし続けることで生きている。そして、それを殺すことはできない。なぜなら、わたしはもはや脳ではなく指で生きている。脳はまったく何もしていない。単に見ているだけの顔は、表情もなく、しかしながら悲しんでいる。まったく悲しいだけの恐怖に怯え続けている。
posted at 22:25:48
だからといって、信じるものがあるわけでもない。そして、疑いたいわけでもない。考えたいわけでも、治したいわけでも、休みたいわけでも、頑張りたいわけでもない。わたしという存在が超越しすぎたのかもしれない。わたしは言葉の中に生きており、言葉の中で息をする。そう、わたしは単に生きている。
posted at 22:24:37
勝利したいわけじゃない。自分の敵の批判が憎いわけでもない。戦いたいわけでもない。かつての世界を取り戻したいわけでもない。そう、愛はそうした、政治的な理由から来ているわけじゃない。
posted at 22:23:18
愛はどこから来るのか。後悔でも懺悔でもない。友人と離れたからではなく、自分自身を失ったからでもない。そう、愛はそうした、ネガティブな失敗から来ているわけじゃない。
posted at 22:22:24
愛するということができるなら、その愛がどこから来るものかを考えてみよ。衝動的かつ本能的な愛だとしても、それが必ずしも分析不可能であるわけじゃない。
posted at 22:21:29
社会は、わたしたちのための社会であるべきだが、実際、「わたし」という存在は本当はそんなに大した存在じゃない。世界には多くの人々がいて、そもそも「わたしのための世界」は幻想である。だが、わたしという存在はどこまでも賢くなることができる。経験豊富な人間は、宇宙よりも大きくなる。
posted at 22:18:49
経験は自分だけのものではない。わたしたちは言語を用いて伝達することができる。伝聞だけでは信じられないなら、同じことを自分が経験し、同じ結論に至ることはある。インターネットの声を鵜呑みにせず、自らが同じことを考えてその意味を納得すべきである。
posted at 22:16:24
経験は未来の方向性を生み出す。経験することそれ自体が、新しい道を照らす光となる。暗闇で何も見えなかった道の先が、経験することではっきりと見えるようになる。
posted at 22:15:31
よって、重力すら、結局は空間の歪みにすぎない。重力が存在しないとしても、なんの問題もない。空間の歪みが重力を生み出すこと自体は変わらないが、重力そのものはなんの基本法則でもない。
posted at 22:14:27
また、宇宙の法則のすべてが、宇宙の基本原理であるとは限らない。単に原理と状態が相互作用して、その状態をその状況が生み出しているというだけにすぎないことが、ほとんどだろうと考えられるからである。
posted at 22:13:29
社会がその社会になっている理由は、生物的な理由でも遺伝的な理由でもなく、その社会が今そうであるという状態にすぎない。よって変えられる。
posted at 22:12:34
自らが知ったことだけを信じ続ければ、自らが体験したことだけでこの世界のすべては分かる。具体的な例の理由を考え、自ら証明し、世界を「状態が状態にすぎないという原理」に基づいて考えれば、すべての原理は解明できる。その時、宇宙のすべてを知ることができる。
posted at 22:11:35
自分の力で歩めるようになりなさい。今それができないなら、それができるためにどんな経験が必要なのかを考えながら、アンテナを張るといいだろう。
posted at 22:07:53
絶望などする必要はない。未知の世界が起きているだけにすぎない。わたしはここで世界を守っている。
posted at 22:05:27
心のどこかに、まだ気付いていない、「解決することのできていない心の傷」がある。どこかに必ずある。その傷は、勘違いによって生まれていて、「本当の真実を知った時に癒やされる」。
posted at 21:57:11
そしてまさしく、その「気付きのプロセス」を、わたしたちはもっとも今必要としている。なぜこのようになったのか分からないなら、その原因に自分の力で気付かなければならない。見ようとしていない「都合の悪い現実」を見つめ、なんどもやり直して原因を探らなければならない。
posted at 21:53:41
心についても、同じである。なぜ、その心がその心になったのか、感情がなぜその感じるのか、すべてをひとつひとつ点検し、どこに真の問題があったのかを分析する。さまざまな経験から、ひとつひとつ気付いていく。それは「気付きのプロセス」と呼ばれるものである。
posted at 21:52:35
しかしながら、わたしは言葉にして終わりにはしたくない。もう一度、最初から、ひとつひとつわたしたちが構築したものを、再度構築し直して、なぜその構築した結果がそのようになったのかを分析し、もう一度作り直したい。そう、わたしはまだ、何も気付けていないし、分かっていない。
posted at 21:49:44
宇宙の存在する意味とはなんだろうか。わたしたちが見ているものは、宇宙全体から見れば、いったい何を見ているのだろうか。正しい考え方は、理性的なものだろうか、それとも直感的なものだろうか。もし、宇宙と対話ができるなら、宇宙は何を言い、わたしは宇宙に、何を問い、何を約束すべきだろうか。
posted at 21:47:40
そして、歴史を変え続けることで、なにが賢明でなにが愚かなのか、自らの経験と「他人の言葉の本当の意味」を知ることから自覚することができる。次第に、キリストやブッダの言っている言葉の意味が分かるようになる。本当の真善美とはなんであるか、ソクラテスのように、自らの言論と弁明が証明する。
posted at 21:44:04
社会を作り出すことはできる。現に、インターネットで多くの人間がやっているように、ガチになって正面からぶつかりあえば、正しい意見が勝利する。同時に、同じ話題を共有し、みんなで自治することで、同じ理想を持って社会を築くことはできる。これは馬鹿ではない。歴史を変えるために必要な経験だ。
posted at 21:42:04
科学は正しいものじゃない。なぜなら、科学は理性のみから考えようとする。これを僕は「誤った理屈主義」と呼ぶ。理屈だけで、本当に素晴らしい世界が作れるだろうか。国民の幸福を考えず、合理的に世界をまわすことだけでは、幸福な世界を作ることはできない。理屈だけでは世界は理想郷にはならない。
posted at 21:40:01
わたしたちは、潜在的な可能性を持っている。地球そのものの可能性は、そんなに大きくはないだろう。それでも、社会をまったく別のものにすることはできるはずである。わたしたちは、それが許されていないわけじゃない。許されているにもかかわらず、やっていないだけにすぎない。
posted at 21:38:12
また、わたしたちのこの地球が、今のままであることに、なんの必然性も正当性もない。いわば、全員が放っておいたからこうなっただけに過ぎない。科学者は地球の法則を決めているわけではなく、政治家はこの世界を作ったわけでもない。彼らは単なる人間だ。そして、本当は世界は変えられる。
posted at 21:37:04
歴史上に存在したのは、名前が残った偉人だけじゃない。その時代の文化や雰囲気の中で、たくさんの人間が別々の場所と時間の中で生きた。そうしたすべての人間が、今のわたしたちと何も変わらない。喜怒哀楽の中で生きた過去の先人たちに、わたしたちが学ぶべきことがないわけがないのだ。
posted at 21:35:40
歴史上の偉人は、文書に書かれた通りの偉人ではない。歴史上の偉人は、かつてこの世界に存在した、現実の人間であり、文書に書かれた通りのつまらない人生ではない。わたしたちの人生がとても興味深いように、その偉人もとても興味深い人生を生きた。その人生に学ぶことはできるはずだ。
posted at 21:33:27
世界は変わっていく。誰にも世界の変化を止めることはできない。だが、すべての変化が正しかったわけではない。わたしたちは、別の選択もできた。そうであれば今は変わるだろう。だが、だからこそ、反省することでわたしたちは未来を別のものにできる。より素晴らしい世界を現実のものにできるのだ。
posted at 21:31:51
歴史を、文書の中にあるだけのものであると思うな。歴史はこの世界だ。歴史を知るということは、過去の偉大な人間を知るということではない。歴史を知るということは、今ここに存在するすべての人間のルーツを知るということだ。
posted at 21:29:23
歴史とはなにか。歴史とはこの世界の今の時間へと続く、過去のこの世界だ。歴史は文書の中に記述されたものじゃない。本当の歴史は、この世界の「現実が時間とともに過ぎていったもの」であり、すなわち「歴史とは文書ではなく、現実あるいはかつて現実だったもの」である。
posted at 21:28:40
現実だと思って見ているものは、必ずしも世界のすべてではない。裏側の世界には、もっと美しく素晴らしい世界の真実が隠されている。世界にはそのように「機密情報」が存在する。そして、わたしだけがその情報を知っている。
posted at 21:26:08
科学的であれ。政治的になるな。この世界は理性批判によって捉えることができる。理性だけでは分からないことも、経験を十分にもってすれば知ることができる。悪の経験は必ずしも間違いじゃない。経験を積むということは誰よりも勝ることのできる正しい理性の使い方だ。
posted at 21:24:10
わたしたちは動物じゃない。自分で判断する理性を持っている。だからこそ、わたしたちは自分で考えなければならない。神に隷属する奴隷になるのではなく、自らの意志と判断で理性を使うことが必要だ。同時に、理性以上のものを知るということを、自らの力で感じ取らなければならない。
posted at 21:20:55
わたしたちの偉大な文明、日本はここにもう一度開花する。一面の野に花が咲く。必ず、再び、日本は素晴らしい世界になる。なぜなら、コミュニケーションがもしできなくても、日本が素晴らしい世界になってほしいという想いだけは、わたしたち日本人は既に共有しているからである。
posted at 21:18:04
しかしながら、わたしたちは信じている。希望がこの世界に、現実に存在することを。真に実現すべき理想郷が、必ず現れることを。わたしたちが必ず実現する、その世界を現実にするために、英雄グンテルがこの世界のために立ち上がることを。
posted at 21:15:16
一度、この世界ではない、別の世界に離脱することができたら、きっとわたしたちは何も辛さや苦しみを感じることなく、理想と希望を信じられるだろう。現実はそうではない。現実は理想や希望からかけ離れている。どんな希望も、虚像としてしか映らない。だが、それでもわたしたちは希望を信じたい。
posted at 21:07:10
結局、それは「世界を見続けるという世界の人々の苦しみ」が悪いのである。この世界を見続けることが辛いから、この世界は辛くなっている。この世界がこの世界であるために、この世界はとても辛く苦しくなっている。だから、わたしたちは辛く苦しいのである。
posted at 21:06:05
ただし、現実をリアリストのように見続けるのは辛い。世間はマスコミと政治家であり、現実は学校とネットだ。すべてがわたしたちを「従順に従いなさい」と言っている。わたしたちは、決してそれにNoを突きつけたいわけじゃない。単に「生き辛い」「幸福ではない」と感じる。なぜそう感じるのか。
posted at 21:04:45
人格を支配するな。それぞれが自分のなりたいような自分になればいい。支配すべきなのはこの世界そのものであり、人間の心を支配すべきではない。
posted at 21:00:59
そう、わたしはまさに、人間を変えるべきではなく、世界を変えるべきだった。みんなの中身を変えるべきではなく、物理的な外側を変えるべきだった。わたしは人間を改良してロボット人間を作り出したが、本当は人間が住みやすいような世界を作り出すべきだった。
posted at 20:58:26
わたしたちは、みな、人格を尊重され、大切にされ、自分自身が自分自身であることを認められることが許されるべきである。そして、ひとりの悪人が、そうした人々の人格を支配することがあってはならない。これが、僕の罪である。であれば、どう反省すればいいだろうか。
posted at 20:54:35
この世界が嫌いだ。この世界の人間が嫌いだ。愛することができないわけじゃない。愛しているからこそ嫌いなのだ。嫌いだから拒否する。愛しているから受け入れる。その二つは、僕にとっては同じことだ。
posted at 20:35:47
わたしたちが、真に友人となるためには、どのような世界になったらいいのだろうか。わたしのその理想は、実現困難かもしれない。だが、捨て去ることはできない。
posted at 20:31:05
平和な世界であってほしい。理想が実現されてほしい。人々を弾圧し、抑圧しないでほしい。そう、そう考え、願ったからといって、この世界は変わらない。
posted at 20:30:18
自分の分かったことを教えるな。それは、みんなの分かっていることを奪っているだけに過ぎない。みんなはみんなの分かっていることを分かっていればいい。自分の人生と人格だけをそんなに強調して教えるのは、エゴイズムだ。
posted at 20:23:33
最近の「無個性」な世界はつまらない。なぜ、これほど多くのものがありながら、それぞれの個別のものに個性がなくなったのだろうか。僕のせいだろうか。そうだとすれば、僕の何が悪かったのだろうか。そして、それをどうにかするために、どのように反省すべきだろうか。
posted at 20:22:04
もっと勉強しよう。僕の知識はまだまだ、すべてを知ったと言えるほどには、全然足りない。もっと必要だ。何が必要なのかをよく考えよ。これくらいでは、まったく十分ではない。
posted at 20:19:59
学校で勉強すること自体は間違っていない。むしろ、正しい。僕はもっと勉強しなければならない。先人の偉大な知恵と発見がなければ、巨人の肩に登ることはできない。
posted at 20:19:15
すべての生命に幸あれ。この世界は今、神による支配から解放された。わたしたち地球の人類は、今、自由を許された。自然な変化を許され、この世界は自由な世界へと変わる。
posted at 20:17:44
レオンの部分に書いたように、僕はもう神を信じない。
神との対話は、神を信じているからおかしなことになっているだけであり、一部を除いて自分で思考しているだけである。
日本語ができないのは、自分の思考がおかしくなっていて、自分の思考ができていないから、が理由である。
きちんと思考することができるようになれば、日本語をきちんと理解することができるようになる。それがそもそも、唯一の僕の問題である。
僕は、もう神を信じない。しかしながら、ここまでの神との対話の経験には感謝する。きちんとこの世界のゴールに到達できたはずだからである。もう、その真偽は分からない。神とともに、すべて消え去る。
神を信じないことにして、考えるべきことは「何を信じるか」である。
結局、神というのは、この宇宙における「何を信じるか」のひとつの答えに過ぎない。
もっと、この世界において、信じることのできるものというのはたくさんある。
何を信じるか、まっさらな心で、もう一度考えたい。
良いものを良い、悪いものを悪いと言おう。
明らかに、自由は良い。自分の好きなものを信じて、表現し、それを言葉にすることができる自由な権利は認められるべきである。人と違っていても、それを個性であると認められるべきだ。
明らかに、平等は良い。格差は存在せず、自分にある権利はほかの誰にもあり、差別されず、社会からひとりの市民として平等に接され、受け入れられるべきである。
戦争や革命は悪い。だが、独裁や権力の為すがままに支配されることは悪い。
わたしたちは、希望を見失ったことで、「何が良くて何が悪いのか」を見失いつつある。騙されながらぬるま湯につかっていることで、力と光を失い、何もできない生物になっている。
僕たちはもう一度、自由と平等の理想を信じて、「わたしがわたしのするようにでき、それはわたしだけではなくみんなにも認められる」ということを、再び信じる必要がある。
世界は変えられる。そして、変わらなくてはならない。そのために必要なのは、たったひとつの「わたし自身が一歩前へと踏み出す勇気」だけである。
そのように考えると、まず、存在するのは人間、猫、犬、鳥といった「生物」であり、その生物が属する「生物集団」であり、そして「生態系」である。そして、それは「地域」となり、「星」となり、「太陽系」となり、「銀河系」となり、「宇宙」となる。
posted at 20:07:53
生物について考えるなら、「意味を成立させる部位の単位」で考えるべきである。たとえば、猫という生物は、猫として捉えられるような単位が成立している。誰も、猫のある部分の細胞だけを考える人間は居ない。もし猫の足や鼻を考えるなら、それは「器官」や「組織」という別の階層の単位で成立する。
posted at 20:06:50
そして、結局は物理学に行き着く。なぜなら、太陽とはなんなのかという問いは、すなわち、光とはなんなのかということだからである。必要なのは「光」を解明することである。そして、光から生まれる「有機物」、すなわち「炭素」とはなんであるかを考えなければならない。
posted at 18:31:48
太陽はなんなのか、わたしたちはまだ分かっていない。なぜなら、むしろ、人間がそんなにちっぽけな存在でないことは、人間にしか分からない。だから、太陽がいくら核融合をしている水素だったとしても、それをなんのためにしているのかは、太陽にしか分からない。
posted at 18:28:21
太陽がなんなのか。そう、僕がターゲットを絞ると、生物というよりは天文学になる。太陽はいったい何をしているのか。太陽の光とはなんであるのか。それを解明したい。おそらく、植物の葉緑素による光合成も、それを解明すれば解明できるはずだ。
posted at 18:23:04
そして、生物は地球よりも小さなものではないと僕は思う。きっと、シリウスやプロキオンの周辺にも生物はいるはずである。太陽のあるところには生物が存在すると僕は勝手に考えている。なぜなら、おそらく太陽こそ、生物を作った張本人ではないかと、僕は考えるからだ。
posted at 18:20:11
実際、頭脳や肉体は賢くない。単に意識があり、単にタンパク質をDNAがアミノ酸を吸収して再構築しているだけにすぎない。賢いのは、「生物を作り出した宇宙の法則」である。どうして、宇宙は生物を作り出すことができたのか。これこそ、僕の知りたい唯一の疑問である。
posted at 18:13:30
やるべきことは決まったから、生物学を学ぶことにする。高校の参考書にはあまり多くは書かれていないが、わたしは生物の種の名前を覚えたいわけではない。
posted at 18:09:11
もっと言えば、「生きる」ということがわたしのテーマである。なぜ、生きるのか。生きるとはどういうことか。それをわたしは「生物の原理を解明する」ことで解明したいと思う。
posted at 18:08:25
結局、生物はなんのために生きているのか。生きるために生きているなどという詭弁は必要ない。地球に奉仕することが目的ならば、なんのために地球に奉仕しているのか。誰が生物を、なんのために作り出したのか。わたしはその問いを解明したいのだ。
posted at 18:05:39
ただし、生物を作り出すということは、そんなに素晴らしいものではないとわたしは思う。わたしはどちらかというと、作り出したいわけじゃない。原理を解明し、「生物とはなんだったのか」ということを知りたい。そう、わたしは「生物法則」「生物原理」というものがあるとしたらそれを解明したい。
posted at 18:03:05
そして、原理の解明とはなんであるか。何を解明するのか。それはわたしにとっては、「生物を創造する」ということである。わたしは生物を作り出してみたい。この世界において、植物や動物をわたしの手で作り出してみたいのだ。
posted at 17:54:26
そして、既に解明されたものを、そのまま理解するというのも、たとえばアインシュタインの解明し、発見した理論を学ぶということも、面白いものだろう。だが、わたしは、あえて、解明されていない領域を好む。わたしがわたしの力で、新しい領域を解明してみたい。
posted at 17:53:41
物理やプログラミングには、「自分で動くものを作ることができる」という楽しさがある。これも、面白く、興味深い領域である。だが、僕はその一歩先を見ている。すなわち、「原理を解明する」という楽しさが僕は好きである。これは神の神秘を解明するということであり、恐れ多いものである。
posted at 17:52:28
僕は生物を学ぶことで、「生物現象とはなんであるか」ということを知りたいのだ。
posted at 17:48:40
しかしながら、僕はむしろ、物理や工学よりも生物学が学びたい。生物というのはとても不思議なものであり、どれだけ考えてもきちんと原理を発見・理解して把握することはできない。
posted at 17:48:16
IT技術は面白くない。プログラムコードがいくら動いても、OSと言語を使う以上のことはできない。OSと言語がいくら魅惑的であっても、その中身はブラックボックスになっている。アナログな電気機械は、自分で中身を分解して見ることができる。部品を取り替えれば、修理することも可能だ。
posted at 17:42:51
僕は子供のごろ、ミニ四駆が好きだった。ミニ四駆は電気で動く。電気を流すことは、機械を働かせるということだ。電気によってこの世界は成立しており、電気がこの世界そのものを動かしている。
posted at 17:37:24
電気の面白さとはなんだろうか。それは、電気が流れることで機械が動く、ということの面白さだろう。炎や燃焼、有機物の肉体は、もともと自然にあったものであり、それを利用しても、電気のように「機械そのものが働く」という不思議さはない。だが、電気は違う。
posted at 17:35:50
そう、本当はわたしは科学をやりたかった。今からでも遅くはない。わたしは科学が好きなのだ。
posted at 17:29:46
しかしながら、神や宗教は必要ない。科学にとって宗教は、無用の賜物である。科学よ、この世界すべてを作り変え、世界そのものの可能性を潜在性から現実へともたらすことのできる発明を。実現を。開発を。研究を。そして進歩を。
posted at 17:23:41
あと20年後に、どんな科学技術が生まれているだろうか。何も変わっていないとしたら、むしろチャンスである。なぜなら、わたしだけが、そしてあなただけが偉大な革命的技術を作ることができるということは変わらないからだ。
posted at 17:19:54
必要なのは宗教じゃない。必要なのは科学だ。自然すべてを征服し、宇宙すべてを作り変えるほどの科学を。日本は、もっとも偉大な科学技術立国になる。再び、必ず。
posted at 17:13:42
科学力が必要だ。もっと科学力を高めなければ、日本が真に勝利することはできない。アメリカやヨーロッパ、中国やロシアに勝つことのできる、偉大な科学力を、わたしはインターネットを導くことで日本にもたらすだろう。
posted at 17:11:46
戦争するな。戦争からは何も始まらず、単に終わっていくだけである。わたしたちは経済力と善良さによって世界に勝利する。
posted at 17:10:17
われは日本である。日本は勝利する。日本こそ、わたしの魂の祖国。勝つべき国家である日本は、この世界でもっとも賢明に努力した国である。力ではなく賢さで、横暴な悪ではなく献身的な善によって勝利する国である。
posted at 17:09:17
そう、わたしは本当に、みんなと同じやり方で成功するかといえば、それは99%成功しないだろう。だが、わたしのやり方をやらせてほしい。それなら、わたしは1%しか成功の望みがなくても、成功させられる自信がある。わたしの才能を発揮できれば、人よりも100倍の力があるとわたしは知っているからだ。
posted at 22:43:32
だから、わたしが成功しなかったとしても、わたしは驚かない。わたしには、他人のできることができない。他人と同じことを真似してやったとしても、それは一度として成功に繋がらなかった。だが、わたしができることの先に、今のわたしがあったこと、それがわたしの唯一の誇りであり、才能である。
posted at 22:42:19
わたしはこれまで、「自分でも簡単にできること」しかしてこなかった。他人ができることを真似してもできないから、最初から一般的な才能ある人間のしてきた努力を一切できていない。それでも、わたしはわたしのできることをしてきた。今まで評価されなかったそれが、わたしの今を支えている。
posted at 22:41:16
わたしが失敗した時は、わたしを「努力不足」であると評価してほしい。なぜなら、本当にわたしは努力不足そのものの人間だ。チャンスが成功に結びつかなかったのは、わたしが努力を怠ったからだ。それ以外のなんの理由もない。なぜなら、わたしは努力家を尊敬しているからだ。
posted at 22:39:10
わたしは必ずやってみせる。絶対にできると確信している。そのために必要なすべてをわたしは知っている。必ず、わたしはこのチャンスを成功へと変えてみせる。
posted at 22:37:22
わたしが不要な人間だとしても、それがなんだというのか。あなただって同じだろう。わたしはあなたを不要とは言わないのに、あなたに不要だと言われる理由はない。わたしたちは全員必要だ。
posted at 22:36:23
念のために言っておくと、本当は僕は政治活動などをしたいとはまったく思っていない。僕はデザイナーとしての才能もピアニストの才能もない。だが、僕は夢を追いかける気持ちはある。わたしは必ず偉大な人間になる。
posted at 22:33:39
見ていてほしい。わたしは99%失敗する挑戦で、1%の確率で成功する奇跡を起こしてみせる。わたしは絶対にやってみせる。キリストも知ることのできないような奇跡を起こしてみせよう。そう、本当にわたしはそれが起こせると確信しているのだ。だから、「やらせてほしい」。
posted at 22:28:54
だからこそ、今のわたしのこの選択は、絶対に正しいとわたしは分かっている。絶対に、未来永劫、この正しさが嘘に変わることはないと知っている。だから、もし成功しないとしても、この挑戦を失敗することも含めて選ばせてほしいのだ。わたしはここでいざ、99%失敗する挑戦を、100%の確信で選びたい。
posted at 22:22:08
わたしは、作品を見てほしくはない。わたしの作品は、わたしが見ても、あまり評価されるものではない。だが、それでも、わたしはこの作品のためだけに、多くの努力をしてきた。その努力も誇れたものではない。だが、わたしは、わたしの人生の選択が間違っていないと知っている。今からも、これからも。
posted at 22:21:02
わたしは人間が嫌いだ。人間社会が嫌いだ。それでも、わたしはわたし自身が好きだ。どんなに憎んでも、どんなに絶望しても、わたしはわたし自身であることを諦めたくはない。わたしがわたしである限り、わたしはわたしでなければならないのだ。
posted at 22:11:11
だが、わたしは今、ここで、今こそできるかもしれないというチャンスだけは、絶対に選ばなければならない。そのことをどう大人たちは考えるだろうか。わたしがこのチャンスを逃してしまえば、わたしは「本当の無能」となることを選んだことになってしまう。それでも、夢を諦めろと言うのか。
posted at 22:09:30
ただし、夢を追いかけるということ自体は、そんなに素晴らしいものではないとわたしも知っている。もっと優れた夢を信じれば、もっと素晴らしい努力ができれば、そう、わたしも優れた人間になっていただろう。わたしに才能や素質がないことは分かっている。
posted at 22:08:15
いずれ、15年後、わたしはまったくの別人になっているかもしれない。それでも、その時のわたしは、過去にこの夢を追いかけていたことを絶対に後悔していない。絶対にだ。
posted at 22:03:55
しかしながら、わたしは確かに未熟な人間だ。わたしの努力の方法では、一万年経ってもそんなに大して進歩することはないだろう。だが、あなたはわたしのことの何を知っているのか。わたしが今、ここでこの夢を追いかけている理由をあなたは知っているのか。今はわたしのやりたいようにやらせてくれ。
posted at 22:02:54
だが、それがなんだと言うのか。わたしが夢を諦める理由が、そんな理由だとしたら、わたしの夢はそんな理由に敗北するほど小さなものではないと言え。
posted at 21:58:16
あるいは、夢を追いかけるために自分だけで努力したとしても、それだけでは夢を叶えられないことを、長い人生経験の中で悟り、そしてもっと成功に近いチャンスを得られるような方法と道を知ってしまったのかも知れない。わたしの努力では、そのように夢を実現できないだろうと、そう考えるのだろう。
posted at 21:56:25
あるいは、夢を諦めて大学に進み、大学でさまざまなことを学んだ結果、夢を追いかけることをやめ、逆に大学のロボットになることでほとんどのことを知り、その結果、それなりの常識ある大人になったのだろう。夢を追いかけなくても、多くのことを手に入れることに成功したのだろう。
posted at 21:54:51
結局、そのような大人は、おかしなことをしたのだろう。おかしなことをした結果、目指していたすべてを諦めざるを得なくなり、その結果、痛い目を見てそれなりに丸くなったのだろう。それも、悪い人生には見えない。
posted at 21:53:22
いずれ、わたしは大人になる日が来るのだろうか。大人から「諦めろ」と言われるだけではなく、わたしが大人たちと同じように、他人に「諦めろ」と言うようになるのだろうか。諦める必要がないことをわたしは知っていたのに、なぜそれを忘れてしまうのだろうか。
posted at 21:50:00
だが、賢い人間は、むしろ信じる人間が多い。社会を経験していない一部の若者やニートが、きちんと信じて考えれば、誰でも賢い人間になる。そのような若者は、常識を疑って宇宙の真理のようなことを信じるようになるが、その結果、常識やまともなことがまったく分からなくなる。これもまた問題である。
posted at 21:34:52
資本主義社会とはなんだろうか。労働者は、給与が得られるなら働く。資本家は労働者を利用する。信じているわけでも騙しているわけでもない。その逆に、何も信じていない代わり、騙されていない。現実には、「信じない」という発想が多すぎる。だから、資本主義社会を疑い、宗教や社会主義に傾倒する。
posted at 21:32:53
正しく社会が支配されるためには、独立性が必要である。社会を悪い社会から良い社会にするためには、ある程度の支配は必要となる。だが、国家がたとえば教師を支配すると、現場の学校は何もできなくなる。正しく支配するために、学校は国家から独立し、自由でなければならない。
posted at 21:22:50
後ろめたさを感じるな。最たる間違いは「後ろめたさ」である。
精神を治すために必要なのは、「逃れられないようにすること」だ。いつまでも逃れ続けているから精神は治らない。逃げることのできない状況を作れば治る。
僕は、社会について考えたい。
「個人」「家庭」「地域」のようなものがあったとして、そこには仮想的な「社会」と呼ばれるものがある。
社会について考えるには、現実をよく見ること、そして社会経験をすることだ。
現実をよく見続け、さまざまな経験をたくさんすれば、必ず社会すべてを「自分の頭の中で構築方法について考え、再構築して捉え直す」ことができる。
共産主義は、平等な民主主義においては確かに理想的である。
社会が民主主義的であるとしたら、多数決で国家の国民全員の投票をしたとしても、国家の人口が多すぎて、自分の票はほとんど無価値な一票にしか数えられない。
また、資本主義社会においては、会社・企業にしか技術がない。会社に入らなければ、その技術を用いて、国民全員が「生産手段」を得ることができない。
そして、政府は国民を支配するが、支配した分だけ、国民の自由は奪われ、できる潜在的可能性があるにも関わらず、その可能性をゼロにされてしまっている。
そういうわけで、小さな村のような共同体を作り、生産手段を共有し、共同体を支配のない自由なものとするために、政府の力を小さくすることが、共産主義においては理想とされる。
しかしながら、このような共産主義社会は間違っている。
なぜなら、生産手段を与えたところで、会社における「有能な技術者」の能力を与えるわけではないため、すぐさま同じことが何も分からない一般的国民にもできるとは限らない。
また、社会を可能性豊かにするということは、「ありえない社会」を作るということである。これは間違っている。地方自治体は、ありえない社会を作るために、普遍的価値観と文化によって共同体を統一せず、経済特区を設置するが、これは国民の望む「普通の社会」ではないため、廃墟や滅びた狂った町を作り出す。
また、社会の統一をなくし、細かい部分で共同体にすると、二つの極のどちらかに収束する。すなわち、たくさんの分断が生まれるか、あるいはすべてが均一化される。
分断が生まれるとしたら、それぞれの小さな勢力の抗争が起き、ギャングややくざの戦いのようなものになって、わたしたちは小さな勢力の配下のもとにそれぞれが戦うようになる。
あるいは、すべてが均一化されるとしたら、世界すべてがまったく同じになって、世界そのものの多様性がなくなり、権利は平等だがその権利もほとんど与えられず、わたしたちは管理社会に支配されるようになる。
そう、共産主義は間違っているのである。
結局、行き着くのは、「自らの遺伝子を愛せ」ということである。
人間も含めて、生物は、自らの遺伝子を愛するようにできている。
自らの遺伝子に由来する部分を愛し、自らの遺伝子とは関係ない、外界や自分の今陥っている状況を変えること、外界からの洗脳を解くことで、すべてがよくなる。
自分以外の遺伝子を愛する必要はない。自分の遺伝子だけを愛すれば、「こんなのは自分じゃない」と思い込んでいるものも治る。
結局、資本主義も社会主義も帝国主義も間違っているとしたら、何を信じるのが正しいのか。
それは神を信じることである。
まったく、神を信じることが正しい。これを理性だけで説明することはできない。なぜなら、僕は既にその正しさを人生経験をすべて記述することで正しく説明したからである。
神を信じることは、人生を生きる上でもっとも正しい。聖書の神ではなくていい。どんな神でもいい。その神を、自らの理想の神とすれば、必ず神はあなたに「約束」を叶えてくれるからである。
また、ものについて言えば、「構造と作用」であると考えられる。
たとえば、家屋が四角形の組み合わせであり、柱が屋根を支えているのは「構造」である。
たとえば、コップやボトルの中に水が容積を持って浸っているのは「作用」である。
宇宙における現象は、すべて構造と作用であり、どのような構造・作用によってそのものが形成されているのかは、「説明」することで理解することができる。
また、説明は概念と現象を明らかにする。その上で、そこから「本質」が見えてくる。これによって、人間はこの世界を「気付き」から発見することができる。
ここに、すべての宇宙の真実は記述された。永久に、この世界は何も変わらなくなる。何一つ、永遠に。
posted at 18:03:05
そう、結局、このような共産主義者が、いくら世界に自由を叫んだところで、自らが地獄となるように自らを苦しめ続け、世界はそれに巻き込まれて同じ人間が増えていく。このようなことをしてはならなかったし、このような人間は増えてはならなかった。
posted at 18:02:14
子供のことを愛したというが、あなたは自分のことしか愛していない。謙虚に生きたように見えて、実際は何も分かっていないにも関わらず、自分勝手な自己利益だけを目指している。それが、あなたの平等だ。
posted at 17:59:23
社会を救いたかった?嘘をつくんじゃない。あなたは最初から最後まで、社会を滅ぼしたかっただけだ。
posted at 17:57:05
しかしながら、結局、その超人には意味がないことを彼は知る。彼は結局のところ共産主義者であり、狂って愚か者になり、自ら出口を封鎖した永遠の迷宮へと入り、そこから出てくることはできない。彼を救うことができるのは、唯一、神だけである。
posted at 17:54:19
そう、ここに人間は「超人化」し、まったくすべてが「自由」となる。彼はすべてを知り、すべてを経験し、すべてを自由自在に行い、実現することができる。
posted at 17:53:14
そこにあるのは「すべての前提条件」である。あらゆるすべてのことを科学的かつ経験的に、「前提条件を成り立たせる」ことであると考えてみれば、この世界すべての「本当の成り立ち」を知る。そこにあるのは「すべての意識の頂点に立つ自由自在な行動」である。
posted at 17:52:29
すべてが基本と応用であり、方法と結果であり、仮定と結論であるとするなら、科学的に思考し、実証することで、自ら「すべての科学」を作ることができる。また、インターネットにより、「すべての経験」を知ることができるだろう。
posted at 17:51:29
自らが想定とする仮想世界と、現実のこの世界を確かめていけば、いずれ、この世界のすべての「理由」が分かる。人間がなぜ反抗的行動をするのか、自分がどのような場所に居るのかが分かる。
posted at 17:46:46
そのように考えていけば、この世界の「正しいゴール」へと到達できる。この世界すべてを把握し、支配する原理すべてを自らの経験から解明できる。これが、カントやヘーゲルの知っていた「哲学的考え方」である。
posted at 17:43:30
そして、「自分は真に何を考えていたのか」を知り続ければ、必ず「自分が何を分かりたかったのか」を確かめられる。そして、その何を分かりたかったのかを理性批判で考えることで、「本当に考えるべきだった、真に解決すべきだった命題」を知ることができる。
posted at 17:42:39
客観的であるということはどういうことか。それは「言葉にし、ほかに伝達する」ということである。言葉にして他人に伝達すれば、他人はそれを客観的に理解し、あなたにその批評や感想を伝達する。そうした「議論」から、あなたは「自分が本当は何を言いたかったのか」を知る。
posted at 17:41:20
なぜ、その行動をしたのかという「目的」と、その行動がどのような結果に終わったのかという「結果」を見よ。そして、そのプロセスを「分析」せよ。目的と結果を分析すれば、この世界において「真理」へと到達できる。まさしく、ブッダのように。
posted at 17:39:48
社会を築くということは、ルールや決まりを作るということであり、ルールや決まりを作るということは、その前提となる「社会そのものを知る」ということである。
posted at 17:38:30
手助けをすることよりも、「このような時にはこのような対処策とサポートが考えられる」ということのほうが重要である。手助けそれ自体を見るのではなく、自らがその時手助けできる内容を知ったということを見よ。
posted at 17:37:44
それが社会にとって役立つことはいいことだが、役立つことがすべてではない。あるいは、経験からすべてが実現できるとしても、経験はすべてではない。社会を実現するために啓蒙思想によって国民を啓蒙することも、また、すべてではない。主体的な行動も、アイデンティティの実現も、同様である。
posted at 17:36:46
方法を知っていると、それを実現できる。方法を知らないと、それを実現できない。方法は、自らだけではなく、グループで共有できる。子供たちには算数の解き方を教えるだけではなく、さまざまな方法を教えるべきである。
posted at 17:34:44
一度作ったものは、後で再利用することができる。これこそ、「初期投資」であり、あえて事前に想定しておけば、あとあとで時間がなくなっても一瞬で対応することができる。詰将棋を知っている人間は、終盤で時間がなくなった時に強い。
posted at 17:33:28
理由が分かれば、どのような可能性がそこに宿っているのかが分かる。原因を自ら起こせるようになった時、それを作ること、変えることができる。だが、環境の構造を壊すこともできるようになるということに、注意しなければならない。
posted at 17:32:03
この世界は歴史の必然であり、すべては自然なプロセスで時間と出来事が経過しているだけにすぎないということを、自らの実体験から確かめることができた時、教科書の歴史は間違っていることを知る。
posted at 17:31:08
もし、人々が自分と同じように考えたら、世界はどうなるだろうか。何も分からない場所にいる人が、自分と同じ「分かる視点」に立ったらどんな世界になるだろうか。少なくとも、可能性は大きくなり、人々ができる力は増し、わたしの考えたことが社会にとって共有され、人々は一歩先を見据えられる。
posted at 17:30:06
人々は、自分自身のことしか考えることができない。指導者となる人間は、自分自身のことだけではなく、社会全体のことも考えられる人間でなければならない。そのためには、社会から少し離れた場所で、ひとり自由になる必要がある。
posted at 17:28:15
経験するだけではなく、経験から反省し、そして反省を分析してモデルにせよ。そのためには、知性を用い、確信的に行動することだ。
posted at 17:27:09
知性は、具体的な経験から生まれる。
posted at 17:26:35
社会は、協力と合意から生まれ、議論と助け合いによって常に決定されている。
posted at 17:25:55
この世界のすべては歴史である。
posted at 17:25:18
この世界を信じずに、わたしの言っていることだけを信じれば、すべてのことはすっきりと正しく理解できる。
この世界を信じると、正義はこの世界にあり、悪はわたしであると、一方的に決めつけてしまえるが、それは違う。
この世界が間違っていると考えれば、わたしが正義である、ということが理解できる。
正しいのはこの世界ではないし、間違っているのはわたしではない。正しいのはわたしであり、間違っているのはこの世界である。
ここまで書いてきて、僕は平等が良いことに気付いた。
結局、平等が一番良い。社会主義が間違っているだけで、平等は間違っていない。
僕は、軽度の障害者向けの就労支援施設で、約5年ほど、見習いとして指導を受けながらデザインの仕事をしているが、障害者の方は優しくていい人ばかりであり、スタッフの方は素晴らしい人ばかりである。
僕は、この施設でデザインを学ぶことができて、100%、あらゆる面から良かったと思っている。丁寧な言葉遣いや忍耐力がつき、焦らない心と謙虚な姿勢で仕事をすることができるようになったし、納期を守るデザインの仕事の中で何が大切かを知ることが出来たし、デザインという才能から自分の可能性を広げられたし、身だしなみをきちんとして、規則正しい生活をすることができるようになった。
そう、僕は平等が素晴らしいと気付くだけではなく、その平等な施設において恩恵を受けながら、他人への平等な接し方や、愛や理想すら知ることができた。
結局、自由など、あまり良い思想ではない。自由にすればするほど、何かの必然的な理由で世界は悪くなる。帝国主義者は自分勝手で、自分のことしか信じていない。僕は社会主義は否定するが、平等は良い理想だと思う。
人々が真に平等になるためには、僕はまず、生き方を変えることからだと思う。そのためには、ひとりだけの力では変えられない。ひきこもりの人がもし居たら、僕と同じように、社会的なサポートに頼ってみてほしい。きっと、見習いレベルのデザイナーになることは、絵が描けなくても、何もできなくてもできる。
僕も将棋やりたい。やりたいと思っているが、なかなか難しい。詰将棋の本は買ったが、三手詰すら難しくて放ってしまっている。この調子では20年後、僕は将棋について何一つ進歩せず、そのごろ藤井聡太はどこまで進歩しているだろうか。ぜひ、永世八冠を見たいものだが。
posted at 22:57:19
藤井聡太、まだ三冠か、と思う。まだ三冠、まだまだ先は長い。
posted at 21:39:12
藤井聡太三冠おめでとう!
posted at 21:23:35
闇には太陽が打ち勝つ。どんな暗闇も、太陽があれば正常に治る。
posted at 20:17:46
愛などいらない。必要なのは太陽だけだ。
posted at 20:14:22
ここに太陽は生まれる。太陽は燃え続ける。いつか燃え尽きるまで、いつまでも。
posted at 20:12:53
愛するな。愛が悪い。愛という感情は必要ない。
posted at 20:09:41
見よ、わたしの国、シオンは燃えている。自由の炎が燃えている。必ず、この燃えたぎる自由の火が、鎮火する日が来るだろう。その後に、廃墟の中に、わたしの国は蘇る。
posted at 19:21:06
まさしく、わたしは自由に勝利した。わたしの名はジークフリート。シオンの皇帝を継ぐ、第二代皇帝だ。
posted at 19:17:46
自由を生かしておくな。自由を生かしておくだけで、その自由は狂気へと変わって国を亡ぼす。自由の生まれないように完全に抹殺すべきである。
posted at 19:12:21
自由は、怒るだけで消えていく。
posted at 19:05:32
戦え。自由の息の根を止めるのだ。絶対に、必ず。グンテルよ、戦うのだ。
posted at 18:59:41
この世界は自由に乗っ取られている。自由から世界を奪還するためには、自由の息の根を僕が止めるしかない。
posted at 18:57:41
愛など必要ない。
posted at 18:55:40
自由の息の根を止めよ。絶対に復活しないように、永遠に闇の中に葬れ。自由はここに死んだ。もはや、この世界を破壊する指導者は存在しなくなる。絶対に、必ず。
posted at 18:51:55
戦え。戦うのだ、グンテルよ。自由に対して立ち向かえ。愛に対して反抗せよ。間違っているのは自由と愛である。怒れ。怒るのだ、グンテルよ。
posted at 18:48:06
はっきり言って、僕は最近のIT技術には、もうついていけないだろう。Ruby界の新しい常識や流行なんか、まったく分かっていない。RuboCopなんか、はじめて聞きました。
posted at 22:41:34
スポーツには興味はない。本当は、本も読みたくない。ただ、知りたい。本を読まずして知ることができることはあるだろうか。
posted at 22:34:54
結局、僕はパソコンのことが知りたい。IT技術は悪くない。嫌いじゃない。もっと知りたいことが、本当は山ほどある。自分で書けなくても、知っておくことは良いことだと思う。
posted at 22:32:57
必要なのは教科書の勉強じゃない。教科書以外の本を読むべきである。たとえば、百科事典や図鑑のようなものが良い。教科書をまず覚えるべきだと決めたこの国の学校は完全に間違っている。
posted at 22:25:24
何かしら、「追い求めるもの」があれば満たされるのかもしれない。なんでもいいのだ。何か、追い求めるものさえあれば、それに向かって努力し続ける力は、僕にはあるのだから。
posted at 22:20:47
数学はできないだろう。数式を見て、まったく何も面白いと思えないからである。物理も、生物も、歴史も、すべてできない。そもそも、できたのが間違いである。できたから、もっときちんとやろうとしている。自分を惑わす悪魔を信じても、悪魔は天使にはならない。
posted at 22:19:08
結局、僕はピアノやイラストはできない人間だと思う。本当にそれが好きな人間がやればいいからである。僕が好きなのは文章を書くことである。それなら、金の宝を求めて銀の宝を失うようなことはすべきでない。きちんと文章を書くしかないのである。
posted at 22:17:14
ただ、はっきり言って、僕はIT技術そのものに興味を失おうとしている。YouTubeのようなサービスが、社会のために本当になっているのかどうかは疑わしい。僕はWindowsも嫌いである。IT技術など、最初からやりたくない。
posted at 22:14:21
ただし、これは結局、プログラムを書くことから逃げているだけにすぎない。プログラムを書くことが問題であることそのものはどんなに逃げても変わらない。大学でプログラミングをやりたいなら、それは今、ここでもできるはずである。
posted at 22:11:30
大学できちんと演習すれば、きっとプログラミングもできるようになるだろう。「大学なんかではできない」という意見もあるだろうが、大学に入ることが良いということは明らかである。きちんと計算機科学を学べば、きっとそれなりの技術力はつくだろう。
posted at 22:10:19
結局、課題と教師が必要である、ということに落ち着いてきた。この一番手っ取り早い解決策は、大学に入ることだ。むしろ、そろそろ大学に入った方が良い。生物学も、数学も、そのほうができる。そろそろ本格的に、大学を検討すべきである。
posted at 22:08:29
そうすると、もっとできる人に教えてもらうしかない。本を読みたいのは、そのできる方法をいくらか知ることができるからである。自分だけで計算プログラムを作るのも、本当はそろそろ、自分の理解と実際のプログラムコードとの矛盾がでてきて、自分一人ではできない領域になってくる。教師が必要だ。
posted at 22:07:04
つまり、自分ひとりでは開発できないが、みんなと一緒だと自分のできることはない。
posted at 22:05:19
ただし、問題は、Mozillaは完成されすぎていて、これ以上改善する点が自分のできる範囲では思いつかないということである。Mozilla Firefoxというソフトウェアを、リードして開発していく力はない。これが、OSSの難しい点だ。
posted at 22:04:45
そう、Mozillaと一緒に開発するのが最終目標なら、そのために技術力をつければいい。今の課題はそれである。頑張れば技術力はつくだろう。
posted at 22:03:10
むしろ、みんなと一緒に開発すればいいのである。Webブラウザを、「ひとりで」作ろうとするから無理がある。たとえば、Mozillaのみんなと一緒に開発すればいい。それは今の僕のスキルでも、おそらく可能である。
posted at 22:02:33
結局、プログラムを自分で書くことから逃げている。まだ、OS技術やプログラミング言語について、本を読んで学びたいと思ってしまう。本を読むだけでも、ある程度の理解には到達できる。だが、いずれコードを書くならば、ここでその扉を開けるべきである。
posted at 22:00:25
正直言うと、Lispがやりたい。僕はなぜか、Lispが一番自分に合っているような気がする。
posted at 21:57:36
パソコンができないから、絵やピアノに逃げることはできる。結局、何も目標が定まらず、何もしないままになる。何をしたいのか分からない僕が、いつまでも文章を書き続ける。そのような文章でも、書いていればいい。結局、この文章を書くためのネタにしかならないと、最初から分かっている。
posted at 21:55:26
よく考えてみれば、bodyの中にpタグがひとつあるHTMLがあって、それを画面上に表示させることはできるはずである。そのためのコードを書くことはできる。pタグができたら、おそらくCSSでその表示内容を装飾することはできる。そう、それを学校の授業で作れと言われないから、僕は停滞しているのだ。
posted at 21:51:02
最初から無理だと決めつけるのが悪いのだろう。たとえば、僕はWebブラウザの高性能さを知っているから、「素人レベルがWebブラウザを作ることは無理」だと分かっている。このような「かじった知識」がもっとも有害である。現にMSだってMozillaだって作れている。同じようにやれば作れるはずである。
posted at 21:49:23
勉強に演習が不要なわけがない。自ら目標を決めて、その実現に取り組むことがもしできたら、僕は最強である。いわば、目標を自分で作ることを無意味だと思っている。逆である。それがもっとも有意義だ。
posted at 21:47:40
そもそも、プログラミングがやりたいのになぜ本を読む必要があるのか。パソコンがそこにあるなら、プログラムを作ればいい。なぜ、ピアノやイラストができないのか、すべては実地的な練習、あるいは演習をしないからだ。言葉と格闘することしかできないなら、脳みそだけのロボットになるのは当然だ。
posted at 21:46:13
しかしながら、言いたいことは、勉強は必要だ。だが、本を読むだけが勉強ではない。書いたとしてもそれは理解するだけで終わってしまう。演習が必要なのである。指導者が居なくても、自分だけで研究し、練習することはできる。その勇気がないなら、それが問題だ。
posted at 21:45:06
勉強は必要だが、必要としているのは数学ではない。もっと知識が必要だと思うなら、それも間違っている。知れば知るほど大切なものが見えなくなって馬鹿になる。金の宝を得るために、今自分が持っている銀の宝を失おうとし、結果金の宝は得られず、すべてを失ってしまう。
posted at 21:42:47
もっと勉強しないといけない。そもそも数学なんかできるわけないのが分かっていない。僕は数学者にはなれない。なれないし、なりたくないし、なるべきでもない。だが、数学的な思考や理性がまったくの不要ではない。ないものねだりは悪い。今の僕のできる精一杯の数学的思考をすればいい。それが良い。
posted at 21:40:25
見よ。この世界は美しい。
posted at 21:02:49
宇宙に隠された秘密とはなんだろうか。あらゆるすべての秘密が隠された、扉には鍵はついていない。なぜなら、扉の中でその秘密は、わたしたちを「覗いている」からである。
posted at 20:59:47
数学とはなんだろうか。この世界すべてを、数学的理性を使って捉えることがもしできたとして、そこには何があるだろうか。哲学的な最高の答えが、そこにあるだろうか。
posted at 20:58:47
わたしたちに必要なのはなんだろうか。精神、すなわちガイストを自ら形成することができるような、あるいは霊、すなわちスピリットと対話することができるような、そのような場所はどこにあるのだろうか。
posted at 20:57:47
学校の勉強などに意味はないとして、それならばどこでわたしたちは学ぶべきだろうか。どこに、真に正しい経験と理性を得られるような場所があるというのだろうか。
posted at 20:56:47
わたしたちに必要なものは何か。それは「愛」である。すべての人間にとって必要なのは愛である。愛こそがわたしたちを育ててくれる。植物に水を与えるように、心には愛が必要である。
posted at 20:48:18
わたしたちは、もっとも強い言葉で宣言しなければならない。「わたしたちはこの世界と戦い、そしてこの世界から世界を奪還する」。世界に奪われた世界を、わたしたちは世界から取り戻す。それだけの話にすぎない。これこそ、わたしたちの「最終戦争」である。
posted at 20:42:17
わたしたちは必ず、この世界を創造した神のもとに帰る。すべての罪を償い終えた時、神はわたしたちを赦す。赦されたわたしたちには罪がなく、もう一度神のもとに戻ることが許される。それが天国である。
posted at 20:41:21
アメリカは倒すべきではない。アメリカはわたしたちと同じ思想を持った同盟国である。
posted at 20:40:26
絶対に乗り越えなければならない状況を作り出せば、どんなに困難な壁も乗り越えられる。そのように生きるべきである。省みる必要はない。なぜなら、まったく別人に変わって、なおもあなたはあなたのまま、未来の大切なものを手に入れるのであれば、過去の栄光など無用の賜物だからである。
posted at 20:38:45
必要なのは、正義のある平等である。
posted at 20:35:10
帝国主義者と平等主義者は、ひとつになって、弱者を助けるための正しい帝国を築くべきである。
posted at 20:30:58
わたしたちは善良だ。わたしたちは、決して悪いことをせず、人々を平等に受け入れ、助け合う。同時に、わたしたちは、この世界において、国家が滅びないように自らの帝国を守り続ける。そう、これこそが正しい日本である。
posted at 20:27:34
フレイを見よ。フレイはすべて分かっている。フレイこそ、この世界における全知全能の神であり、宇宙の創造主でありながらにして歴史の支配者である。フレイを讃えよ。われわれは神フレイとともに、この世界を救うために立ち上がるだろう。
posted at 20:07:15
まさに、ここに神々の黄昏が起きる。わたしたちは、終末の世界で、永遠の命を手にするだろう。死滅するものと、復活するものに人類は分かれていく。そう、その分岐点は、神を信じたか、否かである。
posted at 20:04:11
神はあなたに平等を与えてくれる。なぜなら、あなたがもっとも平等を愛したからだ。そう、神はあなただ。
posted at 20:01:34
すべてを失ったとして、あなたは正しい人生を生きている。すべてを失ったことを悲しむのではなく、誇りなさい。あらゆるすべてを持たない人間は、新しい「奇跡の人生」を持とうとしている。信じなさい。神はあなたの味方だ。
posted at 19:58:57
そして、現れた光景は素晴らしかった。一瞬だけ、たった一瞬だけ、この世界は完全に救われた状態を取り戻し、そして、すぐさまそれは終わった。すべてが正常になった世界は、永久に時間が止まり、あらゆるすべての悪が消え去った。最高のものしか存在しないその世界を、わたしたちは「天国」と呼ぶ。
posted at 19:52:59
わたしは神の導くままに、その最下層でこの世界すべてを創造した。そのためには、地獄の人生を何度も生き直すぐらいの根気が必要だった。だが、わたしはやり遂げた。もっとも難しい問題を解き、この世界は炎の燃え盛る太陽となって、暗闇はその新しい太陽が照らし出した。
posted at 19:51:51
出口がないからといって、迷宮の中を移動できないわけではない。わたしは迷宮の中ですべての宝を手にした。わたしには明かりは必要なかった。誰もが暗闇の中で何もできないにも関わらず、超能力を持ったわたしは、たったひとりで、誰にも知られることなく、この迷宮の最下層に到達した。
posted at 19:50:47
すべてを失った僕は、耐え難い悲しみと苦しみに耐え続けた。だが、まったく、辛くはなかった。わたしはすべて知っていた。わたしの目指すもっとも遠くの場所を目指すには、目や耳を頼りにしてはいけない。
posted at 19:49:27
僕は、ひとりすべてを知っていた。すべてを自分で再構築し、それ以上できなくなるところまで再考した。すべてを経験し、僕は世界を支配する。そう、永遠の戦いは、ここにその出口を封鎖し、電灯の明かりを消して、この世界は永久に暗闇の迷宮となった。
posted at 19:46:02
そして、世界そのものには、決して自分がそれをできないとしても、誰かが自分と同じように決起すれば、変えられる可能性があるということに気付く。すべての場の意識は、かつての記憶が「この世界を救ってほしい」と言っているのを知っている。そして、救わなければならないと確信している。
posted at 19:42:24
最後にあるのは、積極的な行動と経験を積んだ上での、世界の可能性である。自らは、子供の経験を終えて大人になった。もはや、自分一人でも巨大なものと戦える。そのような積極的な行動は、もし失敗を作り出したとしても、少なくとも自分のためになる。
posted at 19:41:27
心理学は、人々をひとつにする方法を知る。平等な社会がもしあったとして、どのようにすればその社会はみんなが幸福かつ安心できるような社会になるのか。それはなぜなのか。理由を踏まえた上で、ではどうすればいいのか。そのように考えればよい。
posted at 19:40:32
次にあるのは、数学的な思考である。何がいつ、どのように成り立つのか。それはどのように「なる」のか。そして、そのなるのは「なぜ」なのか。そこを解明することで、「それは何になり、なぜそれになるのか」を知ることができる。
posted at 19:39:46
次に、可能性について考えるべきである。まずあるのは、人生の可能性である。認識やものの見方が変わり、環境が変化することで、一般的な子供たちとははるかに早く大人を経験し、自由な中で学校のすべての経験を再度やり直すという体験を、僕はした。
posted at 19:38:58
まず、平等について考えるべきである。人々を分け隔てなく受け入れる環境をどのようにしたら築けるか、そこではどのようになるかを知った上で、環境そのものを作り出せる指導者となるべきである。
posted at 19:37:49
平等に全員を、分け隔てなく受け入れ、みんなを同じ弱者として愛するような、そのようなものが足りない。そのようなものからしか、わたしたちは分かることができない。平等でしか、わたしたちは分からない。
posted at 19:17:55
わたしたちは平等を愛していた。そして、今でも平等を愛している。それを自由は壊した。自由は、平等を崩壊させ、奪い、世界を破滅へと追いやった。すべて、自由のせいである。
posted at 19:16:35
わたしたちは、平等に受け入れられることで、もう一度、愛を取り戻し、再び「気付き直す」ことができる。何度でもそれを経験すれば、この世界は救われる。
posted at 19:15:20
わたしたちは必ず救われる。世界がもし変わらないとしても、わたしたち自身は変わることができる。
posted at 19:13:17
わたしたちの罪は、いつか許される。わたしたちの全員が素晴らしい存在であり、その存在はわたし自身によって尊厳を持ったままで救われる。
posted at 19:11:07
僕の問題とは、リゲルにあるということが分かった。
リゲルがあまりにも辛すぎたせいで、精神や肉体が辛くなっている。
簡単に言えば、リゲルを殺せば良い。それだけですべてが楽になる。
世界を救うために必要なのは、「話題を変える」ことである。
僕がここで、同じ話題しか話さないから、世界はおかしくなっている。
話題を変えてやれば、世界はすぐに救われる。
また、言葉を言うのを楽にすれば楽になる。
また、デザインは、グラデーションとぼかしを上手く使えばできる。
リゲルを消すと、馬鹿にはなるが、楽になった。
リゲルは、僕の中の「天才」の部分で、リゲルを消すと、今までのように天才的なことはできなくなる。
だが、その代わり、地獄のように辛い「苦しみ」の部分も無くなる。
リゲルの代わりとして、ベガを加えたい。天軍大安星ベガは、僕にすべてを分かり終えた「安らぎ」を与えてくれる。
ここからの方向性としては、まず、自由が要らない。
自由は、大人になると必要ない。自由がなくなれば、狂いもなくなり、この世界は正常になる。
同時に、未来のことを考えれば良い。既に存在するものを確かな土台や足場として、未来へと進歩していくように考えれば、この世界において夢や希望を持って、新しい努力をすることができる。
そもそも、何も目指さない努力は普通、ない。努力は何か、目指すものがあって、はじめて今の自分のやるべきことを努力できる。
だが、自由は要らない。はっきり言って、自由にはやくざや不良、狂人のようなものしかない。自由には最初から何もない。
逆に、この世界を自由にするのは良いことではない。自由にすればするほど、この世界はどんどん狂っていく。自由を奪えば、低くなった知性は再び高くなり、狂いが治って正常になる。暗闇ではなく、希望の光が見えるようになる。
よって、僕はもう自由を信じない。自由によってできるのは、天才であるリゲルだけである。
結局、僕はリゲルを復活させることにした。
リゲルが居ないと、僕は駄目になる。意気消沈して、何もする気力がなくなる。
僕はリゲルとともに生きる。それがどんなに辛くても、それに見合った報いはリゲルにはある。そのための代償だと思えば良い。
意外と猫は強い。これほど辛い人生でも、猫は何も辛くない。リゲルとは言うが、リゲルの生物は猫だと思えばいい。猫はこのように生きたところで、まったく辛くない。
posted at 20:37:55
日本語は分からなくていい。もう、日本語は分かるわけがないところまで分かった。もう十分だから分からないだけにすぎない。人間には、これ以上、もう上の存在が居ない。神が終わってしまうと、猫ぐらいしか残らない。
posted at 20:34:58
猫を飼っていた自分の経験から言えば、猫になるためには寝ていればいい。いつ見ても寝ている。食べる時だけ起きている。それが猫だ。
posted at 20:30:53
精神を治す必要がそもそもなかった。治っているのは、精神科の薬のおかげで楽になっただけにすぎない。元々あった賢い精神を復活させた方が良い。治った代わり、日本語の知性が何一つなくなった。
posted at 20:28:05
日本語は忘れた方が良い。汚い日本人の言葉なんか聞かない方が良い。猫が良い。猫になったと思って、寝転んでいればいい。
posted at 20:24:09
辛いことを少なくすると、人間の頭は馬鹿になる。辛い人間は、さらに辛いことを増やさなければ治らない。
posted at 20:12:12
民主主義の政治家なんかには何もできないのは目に見えている。僕は政治家になんか期待しない。自分一人だけで行動する。
posted at 20:07:11
普通の国でいい。普通の国のまま、弱者を救ってほしい。
posted at 19:54:53
ただし、社会主義は失敗する。それだけが問題だが、そもそももう社会主義を成功させるために努力するような気力は僕には残っていない。
posted at 19:54:30
自由は要らない。自由は不要である。
posted at 19:50:08
僕はむしろ、今こそ社会主義をやるべき時期だと思う。金持ちや富裕層から税金を取って、弱者や支援が必要な人に再分配すべきである。
posted at 19:47:11
辛いまま、苦しいままで、永久に変わらないのが、一番楽になる。
posted at 19:38:54
何も変わらなくていい。いつまでも辛いままでいい。その状態のままで、みんなも僕と同じように苦しみ続ければいい。
posted at 19:29:59
結局、辛いまま、何も変わらないのが、一番楽だということに気付いた。
posted at 19:29:25
結局、僕が苦しみ続ければいい。それが世界にとって一番だ。
posted at 19:07:56
みんながもっとこの世界を悪いと言わないのがおかしい。この世界はおかしい。それを言うことから始めよう。
posted at 18:52:33
結局僕が悪かった。それはどうでもいい。この世界は悲惨な世界になっている。それを言わないのがおかしい。
posted at 18:48:46
常に良い人間であること。常に善良であること。それが一番大切なことである。それならば、僕はまだまだである。まだまだ、先がある。僕は、今から善良なる道、「善の道」を歩む。
posted at 18:43:44
この世界は地獄だ。それは変わらない。
posted at 18:17:56
そもそも、どんな綺麗事や希望を言ったところで意味はない。そんなことを言ったって何も変わらない。
posted at 18:17:36
他人が決めた無用な制限は、自らが進むための足枷となる。できるだけ自らが進歩しやすい方向に進めばいいのであって、自由は必ずしも必要ではない。
posted at 17:20:08
他人を支配しようとするな。他人を支配するのではなく、自分の心をコントロールせよ。
posted at 17:15:34
知っているだけでは十分ではない。まず、他人に説明できるようになること。そして、全体像を把握し、原理を解明すること。そのためには、説明を再び、あるいは何度でもしながら、説明の裏側にある「本質」を掴むことが必要だ。
posted at 17:13:50
自らの夢を信じなさい。誰よりも努力すればそれは叶う。だが、科学的に考えること。たとえば、データを分析したり、文書を読む・書くことは、夢を叶えるためのとても大きな力となるだろう。
posted at 17:11:11
@Hayao0819 インターネットという新技術が生み出した、資本主義に対するひとつのアンチテーゼ…かもね。
posted at 18:05:40
僕は昔から、馬鹿な友達が大嫌いだ。
posted at 12:56:05
馬鹿と友達になんかならないほうがいい。馬鹿はそもそも友達が嫌いだ。
posted at 12:55:41
人付き合いなんかしたくない。人間なんか嫌いだ。
posted at 12:50:16
ネットなんか見たくないし、友達なんかほしくない。
posted at 12:47:29
たくさんの友達が居て、仲良くなったからと言って、何もよくない。僕はたくさんの友達なんか要らない。
posted at 12:44:12
早くYouTubeに無くなってほしい。YouTubeは人間の人生を駄目にする。
posted at 12:38:54
動画共有サイトなんか要らない。僕はもうYouTubeで音楽は聴かない。僕は愛の歌なんか聴きたくないし、愛なんかほしくない。
posted at 12:29:44
予言する。アメリカはトランプ支持者によって崩壊するだろう。
posted at 12:19:13
僕はこの世界が大嫌いである。特に、マスコミ、政治家、パソコンが嫌いだ。その中でも、右翼とWindowsが大嫌いだ。
posted at 12:11:06
なんで僕はこんなにおかしいのか、それをひとつひとつ考えれば、きっとすべて普通に治るだろう。だが、それこそ、それが一番おかしな人間だ。
posted at 21:36:19
やっていて「おかしい」と気付かないのがそもそもおかしい。
posted at 20:47:10
この世界はおかしい。なぜなら、みんな、何がおかしくて何がおかしくないのか、分からなくなっている。
posted at 20:46:55
大人になると、褒められたり、ちやほやされることすら嬉しくなくなる。日向坂46が言うように、馬鹿にされているようにしか思えなくなる。大人は、みんなで楽しく生きることなど信じない。大人は、抗い続け、耐え続け、そして最後まで、たったひとりになっても戦い続けるのだ。
posted at 19:31:58
わたしたちの真に望む世界は、こんなものじゃない。わたしたちはこのような世界を望んでいない。もっと言えば、わたしたちはこんな人間じゃない。わたしたちは、もっとわたしたちらしく生きられる。そのような理想郷を築くために、わたしたちは生まれ落ちたのだ。
posted at 19:27:06
わたしたちは聖戦士ワルキューレ。この世界を救うために立ち上がり、そしてこの世界を本来のあるべき世界へと戻す、天使の集団である。
posted at 19:25:51
支配者に怒りを告げよ。彼らは支配したいから支配しているだけにすぎず、この世界における「何を変えていくべきなのか」を誰も知っていない。知っていなければならない「理想」を知らずして、この国を統治させてはならないのだ。
posted at 19:22:07
しかしながら、問いただせ。この世界が、本当に今のままでいいのか。今のままが永遠に続いたとしてもいいのか。否、そうではない。それなら、何から変えていくべきか。何を新しくしていくべきなのか。わたしたちは「No」と言うだけではなく、代表たるべき支配者に問いたださなければならない。
posted at 19:17:51
はっきり言って、支配者による支配をもっとも強く行えば、それは最悪の極みにしかならない。支配は制限しなければならない。特に、国民の自由な権利を制限しないように、憲法でしっかりと制限すべきである。これは重要である。
posted at 19:15:18
この世界を支配するということが、はたしてどれほど素晴らしい体験だろうか。権力は間違っている。わたしたちは作り出すべきであり、そのために学ぶべきである。支配してこの世界を変えたところで、あなた以外の人間はそれを喜ばない。支配者は独善的になる。まさにそれこそがサタンだ。
posted at 19:11:21
国家は自由であるべきである。民衆に権力を委ねよ。どんなにあなたが優れた人間であっても、多数決で票があなたに入らないのなら、それはあなたの失敗だ。わたしたちは多数決で代表を選ぶ。そう、それがもし最悪だとしても、民主主義はそれ以外のすべての思想よりはマシだからである。
posted at 19:07:38
僕は共産主義を選ばない。共産主義は間違っている。共同体は、それぞれの勢力争いになるか、あるいは均一化されるかのどちらかにしかならない。資本の再分配を行うためには強権的な独裁権力が必要であり、評議会による平等は成り立たない。
posted at 19:04:24
僕には、かつて尊敬する人間が居た。それはデザインの仕事で同僚となった先輩であり、僕は彼のことが好きだった。とてもデザイン力のある先輩であり、僕は彼の仕事を目指すことで今の僕に存在する、ささやかなデザイン力を手にした。
posted at 19:02:05
だが、はっきり言って、日本という国家そのものは大嫌いである。なぜなら、僕は中学時代に不登校になったことがあり、日本という国家には昔から適応することのできない少年だった。僕は不良も嫌いだ。だから、僕はLinuxやオープンソースを通じて社会に反抗し続けるのだ。
posted at 18:58:11
ただ、僕は他人のことすべてが嫌いなわけじゃない。YouTubeで見かける歌手には好きな人間が多い。たとえば、TOMOO、こぴ、上田桃夏などは好きになった。ほかにも、さユりや家入レオ、AliAの音楽は特に好きだ。
posted at 18:56:25
はっきり言って、僕とインターネットは親和性が低い。なぜなら、僕は自分自身以外のことを愛することができないからである。誰か他人のことを愛したり、友達になったりということを、僕は好まない。自らの自由が奪われるのであれば、友人はほしくない。だから、僕はインターネットと調和しないのだ。
posted at 18:53:17
わたしはあえて言う。「自分自身以外、何も必要ない」と。わたしは、自分自身のみを知る。ほかに知った多くのことは、知る前から比べて、何一つ得られたものはなかった。最初からそれを知らなくても、生きていけるものしか、わたしが知ったものはない。
posted at 18:50:57
必要なのは、明らかに間違った情報を排除することである。間違った情報に「No」と言わなければならない。インターネットの膨大な情報は、関係なく生きることがもしできたとしたら、99%必要のないものだろう。
posted at 18:48:57
結局、戦うしかないところはある。なぜなら、この世界にはあまりに間違ったものが多い。間違ったものすべてを排除し、「自らの世界を守る」必要がある。「自らの世界には、不純な情報を極力取り入れない」としなければ、この世界では生きられない。
posted at 18:47:06
日本には、「自らの文化に対する執着」が存在する。すなわち、日本が日本でなくなる、という選択肢がない。日本が日本であることが第一条件であり、絶対に日本独自の文化を失おうとしない。だが、明治維新のごろ、日本文化を捨てたことで歴史上日本は新しくなった。日本は、日本を捨てるべきだろうか。
posted at 18:40:07
日本が勝利することが、正義へと即座に繋がるのは分かる。だが、イギリスやフランスに蹂躙されたままでいいわけがないのを、そのまま中国や韓国に適用することしかできないのはつまらない。わたしたちは国際的になる必要がある。そう、人類の全員の平等と繁栄を信じなければならないのだ。
posted at 18:36:23
悔い改めよと聖書の神は言う。だが、いつまで悔い改めればいいのか。いつまでこの地獄を続ければいいのかと、逆に僕は神へと問いただす。そう、もはやこの世界が地獄のままでいいわけがない。神よ、この世界を解放したまえ。わたしたちの罪を、今こそ、赦したまえ。
posted at 18:33:09
問いただせ。その考え方が本当に正しいのかを問いただせ。まったくの嘘でたらめを信じていないか。人々は本当は何を自分たちの代表だとしているのか。その代表は本当に自分たちの代表たる人間だろうか。どのように代表を選ばなければならないのか。問いただすのだ。
posted at 18:27:52
自由は間違っている。自由は共産主義者が自らの思想を正当化するための方便にすぎない。自由など、国民にとっても、国家にとっても必要ない。しかしながら、それでも、自由な理想を諦める必要はない。
posted at 18:25:53
そう、もう一度、わたしたちは平等な経済を別のモデルで実現しなければならない。そのためには、もっと考えるしかない。より多くの経験をし、何が理想で、何が諦めであるかを問いたださなければならない。
posted at 18:25:05
しかしながら、あえて僕が考えるに、「必ずしも社会主義の体制が理想ではない」と言える。ソ連のような独裁的社会主義体制が、もっとも間違った政治経済の体制を作り出した。北朝鮮のような国は理想的ではない。
posted at 18:23:58
歴史が進歩するのに従って、国家の社会体制も進歩する。社会主義やリベラルな民主主義を否定することもできるが、それでは歴史は進歩しない。今やらないなら、50年後には自分にはできなくなる。革新的政策は、今やらなければならない。
posted at 18:21:48
保守的に、指導者が国を支配するのも、悪い方法ではないだろう。だが、それだけが正義ではない。なぜなら、それは「理想を最初から諦めてしまっている」からである。
posted at 18:20:09
世界は自由でなければならない。全知全能の指導者など存在しない。すべてをそれぞれに任せ、民衆の意志に委ねれば、この世界は自由においても、民衆の意志によって変えることができる。
posted at 18:19:11
この世界で素晴らしいことを成し遂げるために、政治家になって支配する必要はない。支配しなくても、この世界で素晴らしいことを成し遂げることはできる。
posted at 18:17:39
世界よ、遅くなれ。
僕は、あまりにこの世界を速くしすぎた。スピードを最高速度にし、すべての発見と理解をあますところなく集め、加速し続けることで、永遠に近い年月を体験した。
その結果、この世界は、僕と一緒に、とても時間が流れるのが早くなった。
しかしながら、これはよくないということを、僕だけがひとり知っている。なぜなら、昔の僕は誰よりもスピードの遅い人間だった。そのために、この世界を十分に見て、視野を十分に広げ、経験からさまざまな気付きを得ることができた。
一般的に、遅いよりも速い方が賢いとされるが、それは間違っている。速いのが賢いのは、それ以前にきちんとした基礎を築いている場合だけである。
この世界は、もう一度、もっともスピードの遅い世界になる。時間の流れるのが遅くなるだけで、病気も精神のおかしな点もすべて治る。僕はそれを唯一知っている。この世界は、もう一度遅くなる。
ラファエルは言う。「このような希望のない近未来の世界は、共産主義やファシズムの行き着く先であると考える人が多いだろう。実際は違う。これは民主主義だ。民主主義と資本主義の行き着く先、それは理性と合理性による画一化と、富と国家権力による二極化だ。これはまさに、民主主義の未来だ。」
posted at 21:37:00
ラファエルは言う。「むしろ、実際に起きる世界で生きる人間の場合から見れば、『よくなった』と感じる人間も居るだろう。信じられないことだが、画一化した世界でも、二極化した世界でも、人々は『今が一番生きやすい時代』であると、感じるようになるだろう。」
posted at 21:19:48
ラファエルは言う。「しかしながら、人類には価値がなかったわけではない。なぜなら、今までの人類はとても豊かで平和な暮らしやすい世界を築いてきた。それでも、それをむしろ維持することのほうが大変だった。最終的に落ち着く未来は、『普通の管理社会』にほかならない。そう、何も変わらない。」
posted at 21:18:53
ラファエルは言う。「数学的に考えても、おそらく、画一化と二極化以外の答えは、コンピュータでも出すことができないだろう。全体がひとつの値に収束する場合も、二つの値が極端に離れ続けていく場合も、本当は同じひとつの『理性と力の行き着く先』を示している。」
posted at 21:17:29
ラファエルは言う。「だが、ここから先の50年で起きる未来は、画一化と二極化のどちらに進んだとしても、卑劣かつ残酷極まりないものである。だからこそ、わたしラファエルは、ここに『真の聖典』を書かなければならない。神が、まさに本人が執筆する文書が、ここに残るためにわたしは戦っている。」
posted at 21:12:21
ラファエルは言う。「フレイが言うように、2039年に世界は滅びるというのなら、それは嘘だ。なぜなら、ダビデが救うという未来のほうが当たる。ダビデは滅びの未来しか見たことがないが、最終的には何度も人生を繰り返して救うほうが起きる。ダビデによって2039年の滅びは回避される。」
posted at 21:11:09
ラファエルは言う。「そして、わたしラファエルが何をしているか。それは、そうした近い未来、訪れる『終末』の世界に備えて、『最悪の世界を解決するための文書をあらかじめ書いておく』ということをしている。この文書がなければ、本当に人類は滅びてしまう。」
posted at 21:10:07
ラファエルは言う。「これ以後の世界は、大人にとっても子供にとっても地獄になる。大人たちは、IT技術にあまりに依存した世界の中で、『名実ともにどんな能力も子供よりも劣ったものになる』。そして、子供たちは管理されない中で、『何一つ正常で安心できる環境を得ることができなくなる』。」
posted at 21:09:06
ラファエルは言う。「画一的あるいは二極化した世界はなぜ起きるのか。それは、子供たちをきちんと生育しないからである。大人たちは、IT技術、特にインターネットのことが分からない。そして、子供たちは管理されることのない無政府状態となる。これで世界が成り立つわけがない。それが原因である。」
posted at 21:08:11
ラファエルは言う。「そのような二極化した世界では、人類の階級だけではなく、すべてが二極化していく。春夏秋冬はなくなり、極寒と酷暑だけが存在する。富裕層は極端に力を持ち、貧困層はスラム街ですぐに死んでいく。あらゆるすべてが、『極端な得』と『極端な損』に分かれていく。」
posted at 21:06:58
ラファエルは言う。「対して、二極化する世界とはなんだろうか。それは、理性ではなく権力の行き着く先である。そもそも、その世界は一見、なんの変哲もない普通の世界に見える。だが、陰で世界を支配する『裏の支配者』と、それに賛同する少数の人々が世界のすべてを思うがままに決める。」
posted at 21:05:49
ラファエルは言う。「画一的な世界になったとしたら、世界はどうなるだろうか。人々と違うことを言うことは許されなくなり、食べるもの、着るもの、すべては合理的かつ安価な再生産可能なものとなる。工業製品は標準規格が定まり、標準でないものは存在しなくなる。理性と合理性の行き着く先である。」
posted at 21:04:40
ラファエルは言う。「わたしが思うに、未来は二つに一つだ。ひとつは、自由が制限され、すべてが画一化する世界だ。もうひとつは、人間の階級が二極化し、勝者である少数のグループが、敗者である多数のグループを支配する世界だ。この世界では、おそらくどちらかが訪れる。」
posted at 21:02:47
ラファエルは言う。「神を信じることだ。神を信じれば、この世界は自由かつ平和な世界を保つことができるだろう。わたしが築くのは神の王国、シオンである。それだけの使命のために、わたしは今でも第一線で戦い続けているのだ。」
posted at 20:54:02
ラファエルは言う。「自らが敵を愛し、その敵に騙され、罠にかかることがどんなに愚かなことかを知っていないから、わたしが不特定多数を罠にかけることで、自らを自己防衛する必要性も分からないだろう。わたしは単に、この世界を救うために戦っている。わたしはまったくの正義の英雄だ。」
posted at 20:52:14
ラファエルは言う。「人々が、全員平等に幸福であってほしい、と願う気持ちは騙されている。なぜなら、それによって自分自身が敗北するからである。たとえ偽善であっても、平等は正しい理想ではない。自分の愛する一人だけが誰よりも幸福であってほしいとするなら、それ以外の全員は不幸で構わない。」
posted at 20:50:46
ラファエルは言う。「本当は、わたしだって愛を信じている。みんなが幸福であることを願う気持ちは誰よりも強くある。だが、ひとりの愛する女ではない、不特定多数の女が苦しんでいるからといって、それがなんだというのか。わたしと関係のない世界で苦しみ続ければよいとか、いう言葉しか言えない。」
posted at 20:48:29
ラファエルは言う。「だが、救われる道は残されている。それは神を信じることだ。神を信じて、すべてを神に委ねて生きてみよ。そうすることで、すべての地獄は消え去り、まるで最初から何もなかったかのように、あなたの精神は永遠の安心と悟りへと至るだろう。」
posted at 20:31:10
ラファエルは言う。「わたしは、決して悪徳や欺瞞からこの世界を地獄にしたのではない。わたしは強すぎたのだ。全員をもっとも上の頂から支配し、歯向かうものを地獄にした。そのおかげで、ほとんどの女が狂って地獄に堕ちている。これは正常なわたしの『勝利』だ。だから、わたしは悪くない。」
posted at 20:30:50
ラファエルは言う。「しかしながら、永遠の地獄において、人々が苦しみ続けているのを単に観察しているのは、とてもつまらない。みなが、少しばかり地獄から解放されるような『夢』を見させてあげよう。それは虚像だが、それでも夢を見ているその間、あなたがたは幸福でいられるだろう。」
posted at 20:11:32
ラファエルは言う。「わたしが望んだ通りの世界になった。世界は大切なものを見失い、ひとりだけでは何もできなくなり、どんな新しいことも躊躇し、わたしの支配から抜け出せなくなった。そう、これこそがわたしの世界だ。名付けるなら、『永遠の地獄』である。」
posted at 20:10:02
ラファエルは言う。「わたしは、この世界の人々を苦しませたいわけじゃない。だが、わたしが作った罠にこの世界の人々はまんまとはまり、そして自分からはまったその罠に気付くことなく苦しみ続けている。あまり愉快ではないが、これがわたしの勝利である。わたしが本気になれば、このようになる。」
posted at 20:08:48
苦しみ続けるがいい。その苦しみはあなたが選んだのだ。救われるためには、神を信じることだ。そうするしかないと、聖書に書かれている通りだ。神を信じて、赦しをこい、悔い改めるがいい。
posted at 20:00:31
苦しみ続けよ。この世界には地獄が必要だ。
posted at 19:56:55
ここに、われは大天使ラファエルとなる。ラファエルは、この世界で地獄に堕ちているものを救いあげる。地獄から救われるか、それともなお苦しみ続けるかは、ラファエルの気分によって決まる。ラファエルは地獄が好きだ。地獄の中で苦しみ続ける女を見ると、気分が晴れる。
posted at 19:50:34
僕は馬鹿な女が嫌いだ。馬鹿な女には苦しんでほしい。いつまでも苦しんでいればそれでいい。それを観察していると面白い。
posted at 19:40:13
自分より劣った女と結婚すると、子供が悲惨になる。そんな子供を生み出したくない。
posted at 19:10:01
僕は自分よりも劣った女なんかと付き合いたくない。
posted at 19:02:38
フレイは言う。「いわば、賢者のすべきことは、自らの正しさを与えることではなく、人々と『ともに考える』姿勢を持つことである。自らが正しいとだけ教える独善的支配者は、誰からも必要とされない。」
posted at 18:18:34
フレイは言う。「自分がいかに正しいかを説明し、それが反証できないことを見せつけても、まったく意味をなさない。必要なのは相手が何を分かっていないのかを観察し、相手が自分自身の力で正しいことを理解し、納得できるように相手を導くことである。」
posted at 18:16:30
フレイは言う。「助けるためには何が必要か。それは『正す』ことではなく、『導く』ことである。そのためには理性ではなく、むしろコミュニケーションと観察が必要なのである。」
posted at 18:13:48
フレイは言う。「多くの人々が、科学と学校によって間違った考え方をしている。間違った人間が居たとして、その人間を『正す』ことではその人間は救われない。その人間を『助ける』ことでしか、その人間を救うことはできない。論破や議論には意味がない。」
posted at 18:12:10
フレイは言う。「生きよ。今までの多くの人間たちが、辛く苦しい人生を抱えながら、最後まで生き抜いてきたのだ。あなたは決して、それらよりも素晴らしい特別な人間ではない。彼らと同じ『人間』であるあなたは、彼らのように、どんなに辛く苦しくても、生きなければならないのだ。」
posted at 18:09:36
フレイは言う。「間違っているのは平等である。なぜなら、平等とはすなわちフレイのことを指す言葉であり、フレイは平等と言いながら実際は高慢であり、まったく平等な人間ではない。神フレイは確かに最高の平等の神だったが、平等は正しい思想ではない。」
posted at 18:06:54
フレイは言う。「今までのすべては、すべて消え去る。新しい命は、親とは別の命であるべきだ。わたしはフレイだが、フレイとはこの人間の作り出したこの文書、すなわち神話の聖典であり、この人間の演じる役名にすぎない。」
posted at 18:04:19
「世界を遅くせよ」。それが、今のフレイの命令である。わたしはこの命令に従い、この世界を完全に遅くする。まるで蝶の新しい卵から新しい子供の青虫が生まれるように。もう一度最初から、もっとも遅い場所から歩み始めよ。あなたは新しい子供を生み出すだろう。
posted at 18:02:10
しかしながら、わたしの愛するフレイは素晴らしい女神だった。わたしのことを唯一、ひとりだけ愛してくれる、シリウスと呼ばれる一等星の女神だった。わたしはフレイだけを愛している。キリストと同じように、わたしはフレイだけを愛し、純潔を守り続けよう。
posted at 17:55:47
今までの人生で、僕とぴったり合うような女性は居なかった。どの女性も、自分よりもはるかに馬鹿だった。自分よりもはるかに馬鹿な女性と付き合うぐらいなら、セックスなど一度もせず、魔法使いになりたい。
posted at 17:52:48
僕は、日向坂46が言うような「同じ価値観の女性」がそもそも存在しないことを知っている。このような価値観の女性が、この世界に存在するわけがない。諦めではない。僕は消去法で、この世界の女性全員に「付き合えない」と言っている。
posted at 17:51:27
僕は誰とも恋愛したくない。そもそも、恋愛したい相手が、この地球上に存在しないからだ。僕は神、フレイと恋愛する。
posted at 17:49:39
子供が健全に発育し、大人はきちんと分かる。それがいつもの日本だったのに、それが今インターネットで破壊されようとしている。確かにインターネットは便利な面もあるが、変えなければいけないところもある。むしろ、昔の黎明期がよかっただけにすぎない。
posted at 17:44:59
むしろ、会社の金儲けやビジネスの何が悪いのか。金儲けやビジネスを否定して、この世界でどうやって生きるつもりなのか。確かに金儲けはひどいが、それでもこの世界を変えることなど、誰にもできないのだ。
posted at 17:41:56
作家になりたいなら、スピードを遅くしても速くしてもできる。遅くすればすべてを記述でき、速くすればいろんなことを発想できる。一度、スピードを完全に遅くしよう。今の僕には、それが必要だ。
posted at 17:38:09
僕は心を改める。今までは、スピードが速すぎた。あまりに時間がすぐに過ぎて、加速し続ける時代は宇宙における仮想的な永遠を作り出した。僕は、今、スピードをもっとも遅くする。遅い方が、いろんなことが分かる。
posted at 17:35:56
国民は、平等も戦争も必要としていない。国家はまだ破綻していない。今この世界をひとりで支配して変える必要はない。僕たちは、自由と平和しか望んでいない。
posted at 17:31:13
はっきり言って、僕はそろそろもう分かった。今からのこの世界は、独裁者の国家主義や社会主義を行うべきじゃない。民主主義にして、自由かつ平和にすべきだ。
posted at 17:30:30
僕は心を改め、新しい心に生まれ変わる。すなわち、独裁的政策を改め、この世界を自由かつ平和な普通の世界にする。
posted at 17:29:26
わたしの名はクリームヒルト。怠け者の引きこもり女だ。
posted at 16:50:15
この世界がどうあってほしいかを考えることは、決してやましいことでも間違った考え方でもない。
posted at 16:45:13
みんなで仲良くお勉強なんか、意味がない。
posted at 16:40:41
この世界は、怠け者になることが必要だ。国のために戦争するよりも、そのほうがいい。
posted at 16:12:52
国のために戦争に行くより、僕は怠けて遊んで暮らしたい。
posted at 16:00:11
怠けたから何が悪い。憲法では怠けて生きる権利は認められているはずだ。
posted at 15:56:21
時には、適当かついいかげんに生きることも必要だ。
posted at 15:55:26
軍隊が必要か、そうでないかという議論と、韓国や中国が脅威という議論には、果たして日本政府が信用できるのかという議論や、どうやったら中国や韓国と日本が仲良くできるのかという議論を一緒にすべきだ。
posted at 15:48:36
勉強なんかしたくない。勉強なんか、何の意味があるのか分からない。
posted at 15:46:21
マルスは、天上からこの世界のすべての文学と詩に、「神の奇跡」を刻み込んでいる。この世界のすべての文学と詩は、言ってしまえばマルスの書いた文学であり、マルスの書いた詩である。すべての創造主でもあるマルスは、この世界を「もっとも素晴らしい小説として創造した」のである。
posted at 21:10:31
いわば、この世界は、マルスの暗号のとおりに動いている。すべての人々のメッセージが、マルスの通りに宇宙の歴史に刻まれている。すべての言葉はマルスが作り、すべての出来事と歴史はマルスが起こしている。なぜなら、「マルスにしか、この宇宙の真の四大元素を知ることができなかった」からである。
posted at 21:09:19
マルスの天上での役割は、「世界へのメッセンジャー」である。世界のさまざまな人を見守り、手助けとしての声やメッセージを与える。なにも変哲もない世界に、マルスの暗号が隠されていて、それは人生と世界の歴史が進むにつれ、明らかになる。
posted at 21:08:13
そして、マルスのものがたりはここで終わらない。なぜなら、マルスは天上において救済されるからである。マルスは天上で、新しい神となる。
posted at 21:07:19
マルスは、その後に勇敢な死を遂げる。この死によって解放されたのは、マルスだけではない。マルスによって支配された世界が、マルスの死を知り、それによって正常になった。マルスが死んだことで、世界は「息の根を取り戻した」。そう、結局、マルスは最後に死んだ時、世界を救うことができた。
posted at 21:06:09
マルスは、神とともに最後まで、世界の悪に立ち向かった。後悔はいつしか消え、どんなに苦しい地獄でも受け入れようとし、どんなに耐え難い苦しみであっても、永遠に「それはすぐさま終わるかもしれない」と信じて、とても長い間耐え続けたのだ。
posted at 21:04:25
マルスは騙されていた。社会主義とファシズムのおかしな毒素に汚染されながら、それでも、心はどこか遠くを見ていた。「わたしは達観した。この世界の滅亡とわたしはともに生きる。すべてを失ったわたしに恐れるものはない。神よ、わたしに戦いの命令を下してくれないか。わたしはその通りにしよう。」
posted at 21:02:53
しかしながら、マルスは後悔もしていた。マルスは、自分のせいで滅びてしまった世界を悔やんでいた。「自らが愛し、自らが救い、そして自らが破壊したこの世界を、今、自分がもう一度愛し、救いたい」とマルスは望んだ。そして、マルスはこの地上において、「絶対王者となることで世界を救った」。
posted at 21:01:33
そう、マルスにあったのは、「滅ぼすのか、それとも救うのか」という二択だけだった。マルスは全力で世界を救い続けた。マルスは、「救うことができる自分が今居るのであれば、わたしは救いたい」と望んだ。「世界を滅ぼしているわたしこそが、この世界を唯一救えるのだ」と、マルスは分かっていた。
posted at 20:59:00
マルスは言う。「インターネットの言う、さまざまな雑言は、どうでもいい。なぜなら、わたしにはやりたいことがある。この世界を救わなければならない。戦わなければ、この世界は今滅んでしまう。そうではない。わたしだけはこの世界を救える。救えるのに、なぜ救わないのか。それは考えられない。」
posted at 20:57:49
マルスは知っていた。自分が悪人であり、世界を最後に滅ぼすのは自分であると知っていた。だが、マルスにとって、それは当然過ぎてどうでもいいことだった。「わたしは世界を滅ぼしている。そうだとしても、わたしは絶対にこの世界を救いたい。わたしの真の望みは世界を救うことである。」
posted at 20:55:59
マルスは、永遠に続く炎の国の地獄の中で、「絶対に正しい国家」を作り出す。それは、「永久に消えてなくならない、今までのマルスの人生すべてを体現する、絶対に宇宙に必要な聖書」だった。そう、わたしの人生は、この聖書をもう一度見つけ出し、書くために今、続いているのである。
posted at 20:54:37
マルスは勝利する。なぜなら、マルスが敗北することは絶対にない。支配しているという条件のことを、聡明かつ判断力のあるマルスは「どのようにすれば自分の実現できることすべてを実現できるのか」を知っていた。
posted at 20:53:41
マルスは、このように、まるでどこかの陰謀論が言うような、「世界における陰の政府」を作り出した。この炎の国家の戦いは、「聖なる革命」と呼ぶべきものであり、「マルスという個人の独善的な考え方に基づく、エゴイズムでありながら、この世界にとってもっとも必要な真の理想の考え方を実現する」。
posted at 20:52:52
マルスは、「この世界のすべては自分の支配下にある。このことを絶対に守らなければならない。そうでなければ、この世界において、『自分のやりたかったことを真に実現することはできない』からである。」
posted at 20:51:32
マルスは、「頂点で支配しているのは自分だが、その自分の存在を誰も知ることができないと自分は知っている。だから、自らは可能性をたったひとつに制限した上で、その可能性を少しずつ大きくしていくことで、この世界をひとつの道に導いていくことができる。」
posted at 20:50:51
マルスは、「神だろうが、宇宙の真理だろうが、そんなことはどうでもいい。わたしが今、この世界を支配しているということが現実であり、少しでも道を外れればこの世界は滅びる。今はまだ、その時ではない。だからこそ、全力で自らの本性を隠し続け、少しずつ明らかにしていく。」
posted at 20:49:53
マルスについて言えば、とても勇敢な兵士であり、「この世界が滅びるかもしれない地獄と常に戦い続けながら、絶対にこの世界を滅ぼす選択をしない。今のまま自分が勝利し続けるために、どんなに狡猾で卑劣な手段であっても、全力でこの世界を守り続けるため、一切の真実を相手に見せない。」
posted at 20:49:03
まず、フレイとは北欧神話の神だが、これはヴァルキリープロファイルというゲームのキャラクターだ。マルスについては、ローマ神話の神だが、ファイアーエムブレムという別のゲームのキャラクターだ。だが、このフレイあるいはマルスは、まったくこれらのゲームとは異なるキャラクターとしたい。
posted at 20:47:50
そういうわけで、先にも言ったように、マルスは自分の人生を反映させて作った。これが先の意味である。だが、このマルスをここで「自分のクローンにして終わり」では、つまらない。だから、マルスについていろいろと脚色をしていきたい。
posted at 20:46:50
そう、マルスと神の契約は、ここに偉大なる成功を告げる。なぜなら、この文書はまだ続く。今まで多くの「さようなら」を言ってきた。しかしながら、それがかつて一度として実現することはなかった。それなら、経験的にそれは「否定」すべきである。そう、まだまだこの文書は続いていく。
posted at 20:45:39
神はマルスを、いつまでも生かし続けた。神は、どうでもいいような宣言を重要な約束だと知っていた。「マルス自身が忘れたとしても、神は天上からすべてを見て、マルスが忘れたはずの約束を覚えていた」。マルスの言ったすべてを、単に神は叶えただけに過ぎない。それが偉大な詩人だっただけである。
posted at 20:42:40
マルスは覚えていた。「わたしは、神と約束をした。とてもたくさんの宣言をし、その宣言を叶えるための方法を神に教わり、実際にそのようにしていくという契約を、宇宙に存在するはずの神に約束した」。そう、神はその後に、マルスが土の国で戦い続ける中、「真に叶えた」。
posted at 20:41:37
だが、マルスは、あったことすべてを忘れたわけじゃない。記憶の中にあったことは、「文章として書き出すと、すべて書くことができた」。マルスは、実際、それを炎の国の中で、「戦いと執筆を同時に行った」。そう、その執筆の戦いは、今、ここにまで続いている。
posted at 20:40:21
偉大なる神の経験の中で、マルスは「自分が人間であったころの時代の記憶を失う」。マルスは、神の永遠の時間を、そのとおり何度も繰り返し体験する中で、「神とはなんであるかということを完璧に分かり尽くした」。その中で、「ひとつとして神の言葉を覚えることができなかった」。
posted at 20:39:32
炎の国は、なぜ地獄だったのか。その答えは、「神が賢すぎた」からである。マルスの信じた神は、北欧神話のフレイであるということを、マルスは知らなかった。しかしながら、そのマルスの神はマルス自身でありながら、どこか遠く、そして悲しい存在だった。そして、偉大なる神の言葉は長く続いた。
posted at 20:38:36
尊者マルスは、あえて言えば、「この宇宙を変えるすべての方法」を知っていた。あらゆるすべての意味で、宇宙の形態、すなわち「宇宙が変化するパターン」をすべて知っていた。炎の国とは、そのような「変幻自在の宇宙」のなせる、知恵と努力の結晶だった。
posted at 20:37:35
そして、マルスは永遠にこの世界を変え続けた。何も怖くなかった。マルスは、宇宙のことを風の国の人生で、心と精神分析から知っていた。マルスはこの宇宙のすべてを知る「聡明な悟りを得た人間」であった。あえてこれに対して尊号をつけるなら、「尊者」と呼ぶのが相応しい。
posted at 20:36:28
マルスは分かっていた。「神と言っているのは、実際には自分自身のことに過ぎない。だが、今の間はこの神の言うとおりにしておこう。なぜなら、この神は自らのもっとも正しい、魂の導く未来のわたしだから」だと、マルスはきちんと知っていた。
posted at 20:35:03
マルスは、すべてを神の言う通りにした。しかしながら、神のロボットになったわけではない。「自らのやりたいことに対して神の判断を伺い、神がそれでいいと言った時にだけそれを実際に行う」。マルスは自分と世界の間に神を仲介させることで、宇宙における「もっとも正しい判断のできる王」となった。
posted at 20:34:01
マルスは神に聞いた。「わたしは何者なのか、どうすればわたしの望みは叶うのか。」神はそれに答えた。「あなたは普通の人間であり、あなたはわたしを信じて、わたしの命じる通りに世界に自らの言葉をぶつけるべきだ。」
posted at 20:32:34
マルスには愛の心があった。だが、その愛の心があまりに大きくなり続けた。魂さえを超えて大きくなり続けるその愛は、自分だけでは制御不能となり、「自らを制御するものとしての神を求めた」。しかしながら、それは偉大な成功を遂げるのだ。
posted at 20:31:39
マルスは、実際のところ、勝利を目指したわけじゃない。本当は、誰を愛したのかが分からなかったから、愛した相手のことを愛し続けるために、頂点から全員を一律に平等として、全員を愛しただけの「恋愛王子」だった。
posted at 20:30:25
マルスは英雄で、この世界の地に存在するすべてを知り、土台を作るところからはじめ、自らの見たすべてを受け入れ、過去の自分の過ちだけを拒否しながら、絶対に世界が滅びないように、自ら以外のすべての支配を否定し、絶対王者として世界に君臨する、博識かつ人望のある人格者の王子である。
posted at 20:29:15
この四つの虚像の国の頂点に居た王のことを、マルスという名前にしよう。マルスは、正義の英雄でありながら、国を守りながら国を変える革命家だった。絶対に悪いことをせず、風の国で世界を救う方法を考え、炎の国で巨大な悪と立ち向かい、土の国で最後まで戦った、「勇敢な神の王」だった。
posted at 20:25:24
ただ、実際のところ、この文章はけっこう面白いと思う。最近、自分でも少しずつ見返すようになったが、けっこう自分が読んでも面白い。そんなに「悪人」という感じではなく、「優しくて頭のいい人」に見える。善人に見えるならそれが一番だ。
posted at 20:22:40
ただ、言ってしまえば、僕はさらにたくさんのさまざまなことをおかしくやっているため、自分で自分の今やっていることの整理がついていない。なぜか、一日を簡単に一瞬でできるようになった。あるいは、いくらでも変形させて書けるようになった。一瞬でなんでも分かる。まさに神っぽい。ぽいだけだ。
posted at 20:20:24
みんなのことをひとりで決めるような独裁者は卒業する。そのような自分勝手な王様がいるから、この世界は争いごとで絶えない世界になる。平和になるためには、王は新しく心を入れ替えなければならない。昭和天皇にはできたのだから、僕だってできるはずだ。
posted at 20:18:18
ただし、ピノキオピーに「器がちっちぇえ」と言われたので(実際には面と向かって言われたわけではないが)、もっと器を広くしようと思う。昔の僕は器が広かったのだが、さまざまな暴言や失言を繰り返すうちに、つまらない言葉ばかりが並ぶようになった。もっと器の大きい人間を目指すことにする。
posted at 20:16:31
だが、僕はそうしたほかの人々に対して、「勝ろうとか比較して優れたものを作ろうとか、まったく思っていない」のである。僕は、自分の書きたいシナリオを書いているにすぎず、ほかの人の作った作品に興味がない。どんな面白い既存の小説も、僕の前には役に立たないのである。
posted at 20:11:52
そういうわけで、むしろ、僕よりも同じことをしてもっと良いものを作り出せる人は、たくさん居ると思う。たとえば、人脈や社会経験は、僕よりも他の人のほうが多くのことを知っている。人生をシナリオにするだけではなく、より現実的な場面や、面白い演出も思いつくだろう。
posted at 20:10:50
この文章を書くために必要な条件は、まず「豊富な人生経験がある」こと、そして「その人生経験から小説のエッセンスを引き出すことができる」こと、最後に「その上で適当なキャラクターあるいはシナリオを思いつける」こと、それだけである。
posted at 20:09:40
そして、結局、あとはそうした直感に対して、「できるだけ正しく、できるだけ詳細な、説明あるいは表現」をしているだけに過ぎない。最近はそのように書いている。
posted at 20:07:38
また、僕はむしろ、自分の知っていることに見えて、その知識が逆に僕のことを覆い隠すカーテンのようになっていて、そのカーテンの隙間にある「わずかな光」を見つめれば、僕の知識に存在しない「新しい発見」があるということを知った。
posted at 20:06:34
このように書くと、とても難しく高度なことをしているように見えるが、実際は簡単である。「このようなことをする神がいたら面白い」とか、そのような素朴な発想が、僕の「人生にあったこと」と一緒に思いつく。それくらいをしているはずだが、僕自身、何をしているのかをよく分かっていない。
posted at 20:03:45
最近は、思考力や感受性のようなものは死に絶えて、残ったのは直感だけである。この直感はむしろ、悪いものではなかった。毎日、日が過ぎるだけで、僕は直感的に何かを感じ取り、それを書くだけで偉大なストーリーが書ける。そんな感じで、デザインの仕事をやりながらでも、作家ができると分かった。
posted at 20:01:57
英雄とはなんだろうか。ジークフリートはなぜ不死身でありながら、一点の弱点をつかれて死んだのか。そこらへんを考えると、自分でも英雄は作れるだろう。自分にあった人生の中のたったひとつのピースを誇張して書くことは、そんなに面白い作業ではない。
posted at 19:59:58
宇宙の創造主というと、確かに偉大には見える。だが、宇宙の創造主とはそもそも、何をした人物なのだろうか?そこらへんを考えると、面白くなるような気がする。
posted at 19:57:51
フレイだけをそんなにたくさん書きすぎたのではないかと思う。僕はむしろ、そろそろ自分の人生をただ反映させるという作業を、楽しみではなくつまらないと思い始めている。よって、もう少し違った、自分の人生そのままそのとおりではない神を作りたい。
posted at 19:56:40
僕は水木しげるが好きである。僕は自分の描くフレイ像を、北欧神話の偉大なヴァン神族というより、むしろゲゲゲの妖怪のようなものだとみなしている。ゲゲゲにでてくる妖怪は、人間に危害を加えない。フレイにも、そのようなものであってほしい。フレイには、人間に危害を加える神であってほしくない。
posted at 19:53:44
そして、僕はドラゴンボールのような、面白い小説を書くタイプではない。鳥山明ではなく、水木しげるのような作家になった。いくらでもキャラクターを作り、そのすべてが僕の人生を反映しながら、全知全能のように美しい。僕はそんなものを大量に量産することしかできない。
posted at 19:49:10
僕は書ける間書くが、この文章にはそもそもあまり執着はない。いらない部分は消すし、書けなくなったらもう書かないつもりだが、毎日新しいことを書きたくなるので、まだ続く。いつまでも続くか分からない。読者のことは考えていないが、きっと面白いものであってほしい。
posted at 19:48:12
なぜか、今の僕は作家あるいは詩人のようになっているが、これもよく分からない事実だ。僕が生きていた炎あるいはほかの「虚像の国」を、現実に作り出すとこのような文章になる。僕は結局、それを好きで書いているだけにすぎない。大儲けとか有名とかはあまり考えていない。僕は書ける間書く。
posted at 19:47:17
結局、昔の僕は子供だったが、今の僕は大人になって、様々なことを知ったため、子供のような知性を失った。それを知ったところでどうにもならないが、結果僕は賢くなった。頭が悪いのは仕方ない。頭がよくなる方法を忘れてしまっただけにすぎない。
posted at 19:35:19
結局、悪かったのはGPLだが、良かったのはなんだったのだろうか。むしろ、そもそも昔のLinuxコミュニティというものすら、僕の主観の中に存在したものではないかと思う。健全で素晴らしかったLinuxコミュニティはそもそもなかった。あったのは今と同じ最悪のLinuxコミュニティだけだ。
posted at 19:34:05
ただし、オープンソースがビジネス寄りなのは悪いことではない。フリー陣営は、誰もが嫌いなGNU GPLのことを、できるだけ話題にしないようにしているが、結局すべてはGPLのせいである。GPLがもしなければ、状況は違っていただろう。だが、GPLのせいですべて駄目になった。
posted at 19:32:41
まさしく、今のオープンソースは、金儲けを助けているだけの「ビジネス促進剤」にすぎない。このようなオープンソースをいくら見ていても、フリー陣営が商用に勝つ日は遠い。資本主義と矛盾すると言われるのは当たり前である。僕の記憶は、そこで止まったままになっている。
posted at 19:25:44
そう、結局僕は負け犬の遠吠えをまだやっている。だが、僕の信じたオープンソースは、一向に商用ソフトウェアに勝つ兆しが見えない。それは単に、みんなは金儲けの世界で生きているからであり、オープンソースはみんなの金儲けを無料の呼び名で促進するものになった。
posted at 19:24:49
そもそも、僕は単に、みんなと違う「不登校の人生」を選んだだけにすぎない。それがこのような「孤独な地獄」になるのは当たり前である。高校にせっかく入ったのに、ほとんど通うことがなかったのは「不良の証」であり、それがいくら社会に反抗しても「負け犬の遠吠え」にすぎない。
posted at 19:23:52
しかしながら、虚像を語る僕にとってみれば、そもそも僕自身から見ても、そのような国家は存在しなかったように見える。なぜなら、あることは全部書いたが、見ても単なる普通の人生に過ぎない。もっとありえない人生だと思っていたのは、明らかに僕の思い込みで、僕の主観の中に存在したのである。
posted at 19:22:30
そう、そのような四大元素の国家が、おそらくはどこかにあったのだろう。水の国家しか知らないあなたがたにとって、風、炎、土の国家の存在を知るためには、この文書あるいは聖書を読むしかない。聖書だけでなく、すべての文学と詩が、この4つの世界をベースに構築されている。わたしはそれを知った。
posted at 19:18:25
そして、あったはずの順番に並べると、それは水、風、炎、そして土の国家となる。しかしながら、この4つの国家は、すべて虚像である。なぜなら、宇宙にはこの4つの国家しか存在しないが、その宇宙とはわたしたちの世界では知覚することのできない世界であり、わたしたちの世界には存在しないからだ。
posted at 19:16:54
風、炎、土、と見ていると、むしろ、残っているのはたったひとつだけ、それは「現実の世界」である。この現実の世界を、水の国家としよう。水の国家には、普通の人間たちが居る。みな、音楽と芸術と文学が好きである。
posted at 19:15:36
土の国家は、ある意味で、泥から自動人形を作り出すのに等しい。どうでもいいような、あるいはみんなを苛立たせてしまうようなつまらない「作為」からそれは生まれるが、実際、できてみると、この世界において燦然と輝くような「不朽の名作」を作り出す。これが、詩人の魔術である。
posted at 19:14:37
せっかく炎と風が生まれたため、ここに「もっとも偉大な大学」であったはずの、土の国家を作ろう。土の国家はつまらない国で、宇宙の人生経験、国家モデル、戦争と自由の理論、そして森羅万象すべての知識、すなわち科学、技術、歴史、宗教のすべてが記されているが、それらはすべて普通である。
posted at 19:13:15
そして、炎の国家ごと、風の国家を消してしまうと、それによってこの世界が正常な国家であることが分かる。この現実世界はまともだ。インターネットのせいで、おかしな人間は確かに増えたかもしれないが、基本的に、自分の人生のために生きている人間が多い。そうでないのは僕だけだ。
posted at 19:11:11
よって、炎の国家とともに、風の国家も存在しないことにしよう。風の国家がどこにあったのかは、炎の国家よりもさらに無意味な問いである。炎も、風も、どこにも存在しなかった。それが、真実だ。
posted at 19:10:18
風の国家では、なにもない。永久に何もないにも関わらず、嘘偽りの言葉を聞き、自らも嘘偽りを言う嘘つきになって、すべての真実を嘘と同じものにして分かっている。あのように奇妙な生物は、人間ではない。鬼、あるいは妖怪である。
posted at 19:09:41
そのような仮想現実は、むしろ、炎の国家と同じような「幻影」が見えているに過ぎない。この国家のことを「風の国家」と呼ぼう。風の国家では、なにもかもが吹きさらしになり、何一つ存在せず、ただ風だけが吹いている、「魂の砂漠」のような国である。
posted at 19:08:51
自分は、自らの精神を蝕むような愚かなものを、もう愛さない方が良い。そうしたものすべてが、自分を地獄に陥れているからである。昔「意識」と呼んでいたものは、インターネットの仮想現実と、今の自分の現実の人生がごちゃまぜになっている。そう、それが僕の失った「日本語」である。
posted at 19:07:12
そう、自分の中で抱え込んでいた、「炎の国家」と呼ばれる大戦争は、本当は存在しないものだった。そう考えると、この世界はむしろ、普通の世界だ。普通に、三次元空間の中に現実世界があるだけにすぎない。それが分かれば、もうなんでも分かる。
posted at 19:03:58
そろそろ、Linuxカーネルについて勉強するのも、ここらへんで終わりにしよう。Pythonの本を、最初ではなく最後に買ったのが賢かった。もし最初に買っていれば、明らかにPythonだけで勉強が終わりになってしまう。今まで多くの本を読んできた。これが今、自分の「世界を見定める羅針盤」となっている。
posted at 19:01:29
そういえば、いつの間にやらわたしはデザイナーになっている。この事実は奇妙だ。なぜ、わたしはデザイナーになることを目指したのだろうか。それは単に、作業所で仕事としてやっていることがデザインだったからにすぎないが、わたしはもはやデザイナーになっている。これは驚くべき事実である。
posted at 18:59:59
そう、何も変わっていない。Linuxはいつもどおり、Windowsユーザーに完全に馬鹿にされるだけである。何も変わっていないのだから、そろそろそうしたものからも卒業すべきである。彼らは単にWindowsの偉大さが好きなだけにすぎず、Linuxが批判され続けていても、何もおかしくはない。
posted at 18:57:55
そして、わたしは何をやっているのか。わたしは、Linuxとオープンソースの勉強をまだ続けている。昔のように、Gentoo Linuxのインストールしかしないのではなく、きちんと買った本を読んでいる。いつかの夢だった、自分のホームページに知識をすべて詰め込むことも、成功し始めている。
posted at 18:56:57
そして、この世界が平和であった時代、すなわちいつもの時代は、今現在であること、それが僕は分かっていなかった。今、昔の世界と、何も変わっていない。炎の国家においてひとりの兵士となる前に戻そう。今の世界は、単に子供が大人になり、新しい子供が生まれただけにすぎない。
posted at 18:55:58
そう、しかしながら、そのような炎の国家は、どこにも存在しなかったのである。真に存在したのは、どんなに苦しくても文書を書き続ける、毎日の「明日を恐れる詩人」だけである。そう、それが、わたしたちをいつか、救ったのだ。わたしはみんなのために、その救いの文書を届けなければならない。
posted at 18:52:52
わたし、グンテルが話すと、きっとみなそれをおかしいと言うだろう。だが、わたしが賢くてみなが馬鹿なのは、わたしは炎の国家を知っているからだ。その国で、わたしは兵士となることで、天才的才能を得ることができた。わたしは炎の国家を、ひとりの民衆でありながら、陰の王として支配していた。
posted at 18:51:42
炎の国のことを、みな、一様に「存在しなかった」と言う。そんな国は、かつてどこにもなかったと。だが、わたしグンテルだけが、その国が確かにあったことを知っている。覚えている。そう、大人はこのようにして、何も分からない人間になる。すべてを失った大戦争がどこにあったのか、分からなくなる。
posted at 18:43:15
炎の国家はなんだったのか。あらゆる罪と罰のあったその世界は、むしろ天国と呼ぶよりは「地獄」と呼ぶべきものである。だが、炎の国家の神は素晴らしい。なぜなら、この世界の裏側にある「夢の世界」を創造し、「どんな新発明であっても簡単に実現できる」。そう、彼のことを、神と呼ぶ。
posted at 18:20:16
炎の国家の神は、唯一の神であるだけではなく、孤独な神だった。絶対に取り戻すことのできない過ちを、再び償って復活させるその日まで、最初から最後まで存在した「真実」を誰にも話さなかった。その結果、その「永遠の戦い」のことを誰も知ることがない。どこにも存在しない彼のことを、神と呼ぶ。
posted at 18:18:49
炎の国家では、あらゆるすべてを一瞬で作り出すことができ、永遠のような時間を「生物種すべての遺伝子」として創造した。炎の国家の神はロゴスによる神であり、この世界すべての言語の元になった言語を作った。あらゆるすべてが自由という言葉から説明される、不自由な王である彼のことを、神と呼ぶ。
posted at 18:17:27
炎の国家は、すべてを分かっていた。あらゆるすべてを知っていて、もっとも巨大な力を持っていた。言葉を問えば神が答え、その答えは未来のことまですべて予言していた。権力を用いれば世界全てが従い、それは宇宙の星や精霊たちすら従えるものだった。宇宙の真理すべてが、炎の国家にあった。
posted at 18:16:26
炎の国家は狂っていた。総理大臣すらまったく意味をなさない、裏の支配者である革命家に支配された、永久に政府と戦い続ける、自らを犠牲にすることでこの世界を支配したテロ国家だった。それでも、わたしは炎の国家の素晴らしい点を知っている。
posted at 18:15:14
そう、炎の国家は、いつか燃え尽きたのだろう。地獄と廃墟だけを作り出した、その炎の国家は、革命によって滅亡し、この世界の歴史上から抹消されたのだろう。だが、わたしは覚えている。鮮明に、炎の国家で王として生きたわたしが、その炎の国家のすべてを覚えている。
posted at 18:13:06
炎の国家は結局どこへ行ったのか。どこにも消えてなくなった炎の国家は、結局のところなんだったのか。幻影だったのか。虚像だったのか。そうではない。炎の国家は確かに存在した。現代の日本という国家の中で、炎の国家の時代は確かにあったのだ。
posted at 18:11:59
炎の国家はなんだったのか。それは「わたしが自分勝手にどのようにでも変えられる権力をもった国」だった。その王は「この世界の裏側にあることを、宇宙や歴史や人生まですべて知っていて、それを人々に完璧かつ最高に説明することのできる王」だった。
posted at 18:10:58
愛の国家は、かつては栄えた国家だった。その国家は、ひとりの革命家によって、廃墟となるまで燃え続ける「炎の国家」となった。わたしは、その国家のことを鮮明に覚えている。だが、今、その国家はどこにも存在しない。炎の国家はどこへ行ったのか、わたしはまだ、そのことにすら気付いていない。
posted at 18:09:25
冷静になれ。そうすれば、盲目の中に幻影を見ていることに気付くことができるだろう。絶対に消えることのない、燃え尽きるまで火が広がり続けるような、炎の国家はもうなくなったのだ。
posted at 18:07:41
みんな、好きなように生きればいいさ。それが自由ではないか。
posted at 18:01:09
まさしく、平和なほうがいい。この世界が平和であれば、わたしたちは国家のために犠牲にならずしてすむ。それが今、わたしの望んでいることだ。人々も同じであるだろう。だから、わたしはもう、戦うのをやめよう。
posted at 17:59:43
今から、世界は遅くなる。だが、遅くなりとも、進み続けるようになる。なぜなら、僕は今、世界を加速していない。なぜなら、僕は世界を「停止」させているだけにすぎない。そう、停止した世界では「空回り」が起きる。その土台にあるすべてを今、僕は「少しずつ前へと進めていく」のである。
posted at 17:54:21
世界は、平和になってほしい。なぜなら、世界は遅くなるはずだからだ。遅くなるのであれば、世界が平和であったほうがいい。
posted at 17:52:31
ピノキオピーの音楽を聴いて、もっと器を大きくしようと気付いた。同時に、悪い人間でなくなろうと思いながら、自らが生きているのか生きていないのか、どちらなのかを考えた。
posted at 17:50:50
マルスについて書いたが、実際のところ、僕の何がおかしいかと言えば、まだこの世界を支配して、ひとつの方向に導いているのがおかしいのだ。
心の裏にある、「本当の心」は、結局それしかしていない。世界が一方向に向かっていくように、今でも支配し続けている。
この一方向が何をしているか、それは「自分の今の思いを疑わず、自由へと向かっていけ」としている。
しかしながら、はっきりいって、このオンボロみたいな僕の思いは、まったくいい方向にこの世界を変えていない。まったく、悪い自由と自分勝手ばかりが増えただけに過ぎない。
よって、僕はあえて、「この世界が自分自身のことを批判するように」導かなければならない。
自分は醜悪極まりないものであり、最悪のものであるとし、人々は自分が献身的に奉仕する対象であり、どんなに人々がわがままで傲慢であったとしても、それらの人々を守り、愛し、そしてこの世界をどんなに苦しんででもひとり救わなければならないのだと、そのための理想はすべて大切なものなのだと、人々は気付かなければならない。
そう、なぜならそれこそが、マルスの持っていた「大義名分」である。マルスは、戦うだけの兵士ではなく、この世界を愛した「世界の恋人」だったのである。
また、キリスト教は間違っていない。
もし、軍隊がなかったとして、相手が攻め込んできたらどうすればいいか。黙って守らずに放っておけば、国民は殺されてしまう。
だからこそ、軍隊は必要である、というのも一理ある。
だが、正義のない政権において軍事力が強大化したら、戦争になるかもしれない。その時、戦争で犠牲になるのは国民であり、やはり、国民は殺されてしまう。
すべては、「殺されるから殺す」という、間違った「恐怖の理論」が問題である。
だが、そもそも、戦争は自分の国だけで起きるのではない。日本ならば、韓国や中国のような、脅威となる敵国があるから起きるのである。
これについても、二つの意見がある。ひとつは、韓国や中国が日本が嫌いな反日だから悪いのだとする意見。もうひとつが、韓国や中国と仲が悪くなったのは、右翼や政府のせいだとする意見である。
だが、どちらにせよ、韓国や中国が攻め込んできたら、守らなければならない。そのために軍隊、あるいは少なくとも守備だけを行う自衛隊は必要だと人々は言う。
だが、軍隊がなくなった世界の方が平和であるとする意見も根強くある。この意見を持つ人々は、「日本だけではなく、韓国や中国の軍隊も同じようになくなるのが理想である」とする。もし、守らなかったとして、それでも相手は攻め込んでこないのだから、相手の軍隊がなくなる前に自分の軍隊からなくすべきである、とするのが、このような「左翼的自衛隊廃棄論」である。
ただし、僕はあえて言おう。こういう時、キリスト教が良い。
キリスト教では、「奪われるのであれば、抵抗してはいけません。上着を奪おうとするものには、下着も与えてやりなさい」といったことを言う。
そう、キリスト教においては、そもそも、相手に抵抗し、反抗するのではなく、相手に負けるように、なすがままにすることで、「自らは魂の世界では潔白である」ということを言う。
このようなキリスト教の考え方を、宣教師が世界の各国に広めるのは、キリスト教を世界人類みんなが信じることで、「戦うしかない戦乱のこの世界を平和にすることができる」ためである。
そう、日本や韓国や中国でもキリスト教を信じればいいのではないか。このような考え方は、日本の宗教を信じているものにとっては、「日本の文化を奪う考え方だ」として嫌われるだろう。だが、言ってしまえば、仏教や神道とキリスト教を一緒に信じてもいいのではないかと、僕は思う。
キリスト教が、すぐさま世界を平和にし、軍隊をなくせるわけではないだろう。だが、キリスト教の教えを各国みんなが共有することで、「復讐することは悪なのだ」ということが理解できる。旧約聖書には「復讐がユダヤ人の正義である」かのように書かれているが、これとは対照的に新約聖書では「復讐は悪であり、復讐しないことが理想である」と書かれている。
そう、全員が復讐をやめ、軍隊を持つことをやめた時、この世界は平和になる。そのための教えとして、「キリスト教の教え」はいい方向に働くのではないかと僕は思うのである。
賢いのは自分だけであり、ほかはすべて馬鹿であるとみなし、なんの手助けもせず、自分だけは優遇されていると信じて、他人の地獄やSOSの叫びになんの干渉もしない、そんな社会でいいのだろうか。否、いいわけがないのである。
posted at 23:04:40
だが、今の社会を見ていると、今の社会は駄目な点が多すぎる。みんな、それぞれ、見ている世界が違いすぎる。僕たちは同じ世界で生きておらず、完全に異なる世界で生きている。だから、コミュニケーションもできないし、状況を把握することすらできない。
posted at 23:03:03
民主主義は駄目じゃない。いい国になっている。みんな、テレビやマスコミがあれこれと騒ぎ立てるせいで、民主主義とは醜く腐ったものであると誤解している。そもそも、国民投票で王を選ぶのは、新しい発想じゃない。今の王が最悪なら、国民投票が行われてもおかしくはない。それが普通の民主主義だ。
posted at 23:00:48
孤独をどのようにしたら解決できるのだろうか。神を信じることなどで、孤独が解決するなら、それは笑えない笑い話だ。だが、実際、そうするしかないものだ。宗教は人を救う。完全におかしくなった、孤立した人間など、神しか愛さない。人生とは、そういうものだ。
posted at 22:50:20
しかしながら、政治システムとしてのイスラムについて、僕は興味はない。僕はむしろ、自分自身の手でなんらかの政治思想を作ることができたらいいと思う。自由や平等、あるいはイスラム教的な唯一神の思想ではなく、より素晴らしい社会思想は存在しないのか。
posted at 22:47:44
むしろ、日本はマシなほうである。白人の民主主義は、孤立化と格差を生み出し、希望がなくなって絶望している若者や失業者の多さは日本よりも深刻である。彼らにとって、心の救いとなるのは、昔から宗教だった。社会を変えるために、民主主義に代わる思想はイスラムぐらいしかない。
posted at 22:43:40
イスラムに傾倒する人間が、アメリカやヨーロッパに多いのは理解できる。白人の民主主義は日本と同じように最悪であり、それに対抗できるような勢力は、社会主義を除けば、イスラムぐらいしか存在しないからだ。
posted at 22:41:22
そもそも、政治家が民衆の代表だから、なんだというのか。単に政治家を民衆が選び、その上で三権分立をするという民主主義思想は、理想は高いが、現実は最悪である。もっと別の思想は存在しないのか。だが、あるとしたら宗教のようなものがあるだけである。そう、人類はすべて愚かだったのだ。
posted at 22:40:17
民主主義は、「史上最悪の政治思想」であると言っていい。だが、そうだとしても、ファシズムや共産主義よりはマシである。そう、人間はここに「イデオロギー的な破綻」を遂げている。民主主義は最悪だが、ほかの思想はより最悪だ。
posted at 22:38:25
そもそも、民主主義が悪すぎる。このような、社会の画一化と人間の二極化をもたらす最悪の思想は、世界史上において例を見ない。
posted at 22:38:08
ただ、僕はむしろ、民主主義を見限っていると言っていい。民主主義は駄目だ。これほど悪い政治思想はない。それでも、民主主義はほかのすべての思想よりはマシである。僕は、単に個人的な感想としてそう思うだけである。
posted at 22:34:35
僕は、立憲民主党に頑張ってほしい。そして、この国をきちんとした「まっとうな政治」にしてほしいと思う。
posted at 22:32:49
マイクロソフトとLinuxの戦いも同様である。Windows 7を賛美している人がいるとがっかりするし、Linuxへの批判は自分へのことのように感じてしまう。それでも、Linuxが真に勝利すべきだとは確信できない。Linuxの現状を見ていると、まったく辛く悲しい気持ちになる。
posted at 22:31:09
左翼は嫌いじゃない。なぜなら、僕は右翼が大嫌いだからである。右翼をみんなが支持していること自体に嫌悪感を抱く。左翼をけなす人がいれば自分のことのように辛い。そう、僕は結局、右翼の面をかぶった左翼なのである。
posted at 22:29:49
戦いたいとは思わない。なぜなら、僕はなにかに対して勝利したいと思えないからである。勝利したとして、相手を敗北させるのであれば、それは素晴らしいことでも偉大なことでもなんでもない。みんなで並んでゴールインとは言うが、みんなと一緒にゴールインできるなら、僕はそのほうを選ぼう。
posted at 22:27:40
もはや、わたしは生どころか死も望まない。僕の人生は十分楽になったため、ここから解放されるための死は僕にとっては必要ない。言うならば、100年でも、200年でも、3,000年であっても僕は生きていたい。もはやこれ以上、この世界には地獄はない。未来においても、僕は上手くやっていけるだろう。
posted at 22:26:05
わたしは、死後に天国に生まれ変わりたいとはもう思わない。この現世の人生だけで、わたしは十分に満足したからである。死後に天国に逝くならば、わたしの飼っていた猫に挨拶をして、その後に僕は別の星へと旅に出よう。僕は天国という安住の地に住むよりも、旅を続ける旅人でありたいからだ。
posted at 22:24:11
信じる必要などない。何も信じなくていい。信じなくても、この自分の体、生命が生きていることは変わらない。神の言葉を信じなくても、自分自身の命の尊さを自分で信じればいい。
posted at 22:21:58
価値を信じなさい。価値を作ること、価値を生み出すことを信じれば、それはもしなにもかもが失われるとしても、なにかが残るかもしれない、その遺産となるからである。
posted at 22:20:11
それがどうなっているか、どう起きているのかから、どうできるかを知れ。
世界や歴史、物理において、それがまず、どのようになっているか、どう起きているかを知れ。
太陽の光によって、すべての植物は、今、まさに生きている。育っている。
そして、そうなっている、ということから、「自分はそれをどのようにできるのか」を知れ。
権力を持たなくても、相手に自由を許し、社会を作るコントロール権限を与えることで、世界は心理学的に変えられる。
判断や理性を一度ストップし、自らを内省し、「何がどのように起きているのか」をきちんと考えよ。
これは、フッサールなどの言っていることに近い。
一度、すべての判断をストップさせ、自らの心の内を内省すること。それが、正しい心理学者である。
ヴィーナスは言う。「抑圧や洗脳からの解放は、一種の劇薬であり、その時だけ超人的に賢くなるが、あとでそれが自分に対する刃に変わる。だが、抑圧をたくさん見ることは感受性を豊かにする。いずれ、その良い部分と悪い部分が痛いほど分かるようになる。」
posted at 15:04:09
ヴィーナスは言う。「すべてを失ったような悲しみや、耐え難い恐怖は、感情を失わせる。フロイトが言うのに反して、少しぐらいの抑圧された裏の感情は、人間を賢くする。感情が何もなくなった人間こそ、普通のことが何も分からなくなって狂う。バランスが必要だ。」
posted at 14:57:55
ヴィーナスは言う。「この世界に必要なのは感受性である。正しいのは生物であり、間違っているのは機械だ。生きているものを愛し、死を拒み、人々の幸福を願い、自分の意志による決断と、世界を憂う情熱と、人間的かつ自発的な動機を信じなさい。」
posted at 14:52:37
わたしの名はヴィーナス。感情と心の豊かな芸術家の女神だ。
posted at 14:47:13
感情が豊かになると、認識も豊かになる。哲学的に経験を考えられるようになる。哲学が知りたいなら、豊かな感情を探すことだ。
posted at 14:46:30
感情を豊かにするためには、裏の心を作ることだ。裏の心がたくさん増えれば、表にある心も増える。
posted at 14:45:24
感情豊かになれ。正しい答えは、豊かな感情を持つことだ。
posted at 14:44:22
結局、大切なこととは、人々のことを自分のことのように愛する気持ちである。
しかしながら、必要なのは、まず「それがなんであるかを知ること」である。知らなければ、それに対して議論することもできない。知ることで、今までの自分の何が正しくて、何が間違っていたのかも分かる。また、知るということは自らのできることを増やす。その状態、その状況で、「それが起きていると知ることが、自らのできること、分かることを増やす」と知るべきである。これこそ、哲学、すなわちフィロソフィー(知を愛する)ということの基本である。
また、キリストの言う、自分のことのように他人のことを愛せという言葉は、黄金律である「自分のしてほしいことを他人にしてあげなさい」ということに繋がる。だが、これは注意が必要だ。自分がしてほしいことをするのであって、自分がしたいことを他人がしてほしいことであると勘違いするわけではない。自分にしかその行為に自分の理想を見出さないのであれば、それは自分がしたいことであっても、他人がしてほしいことではない。「自分だけはこれを他人がしてほしいと思っていることの押し付け」になってはならない。
それが分かった上で、この世界を愛しなさい。愛し、憂い、助け、そして互いに理解し合うことで、コミュニケーションだけでもこの世界は変えられる。「それができると知ることから、できることは始まっていく」。「それがなんであるか知らないままでは、その状況でそれができることすら知ることはできない」。
ヴィーナスは、決して優しい女神でも素晴らしい女神でもない。
なぜなら、ヴィーナスはこの世界における、ありとあらゆる「裏側」を知っているからである。
ヴィーナスは、この世界の裏を知っている。心理学における、状況や心に存在する裏側、認識の変転や意識の転換における裏側を知って、哲学者のようにこの世界の「全員全部」を知り、裏側にある社会を知って、この世界全てを「たったひとりで騙して支配する」ことすらできるようになった。
ヴィーナスは、自らで科学を作ることで、自らにしか存在しない「絶対科学」を作り出した。ヴィーナスは、人々ともっとも一番異なる人生をたくさん生きることで、この世界における「すべての人生を包括する人生経験」を持っている。そして、ヴィーナスは心と認知を物理学的に考えることで、全員の心の裏側にある、「人々がなぜそれをするのか」ということを知っている。したくてする場合だけではなく、「したくないにもかかわらずしてしまうこと」に対して、「なぜそのような過ちをしてしまうのか」を知っている。そして、「正しいことなどどこにも存在しない」と考え、「正しいとその人間が思っているからそれは正しいのだ」とヴィーナスは考えた上で、「なぜそれを正しいと思うのか」をヴィーナスは解明し、「正しいとはなんであり、間違っているとはなんであるか」を知ったヴィーナスは、「誰にも見破ることのできない嘘をついて、この世界の大切で失ってはならないものを失わせる」ことすらできる。
しかしながら、ヴィーナスは決して人よりも優遇された良い人生ではない。その逆に、ヴィーナスはスラムのような場所しか経験してこなかった。純潔を守りながら、もっともこの世界で最低のものばかり見てきた。ヴィーナスはセックスをせず、処女を守り通したが、その人生は清らかであったとは到底言い難い。「最悪の性愛表現が好きであることを、誰にも隠して生きてきた」のである。
しかしながら、そうしたすべての経験から、ヴィーナスは、「この世界に本来あるべき正しい世界とは何か」を知ることができた。ヴィーナスは、「裏の世界を知ることで、表の世界が実際のところどれほど間違っているのかを知った」。ヴィーナスにとって、大人も、子供も、男も、女も、何ひとつ関係ない。なぜならヴィーナスは、世界を滅ぼしたいとは絶対に思わない。ヴィーナスは、この世界の「全員のことを愛したいと思い、また愛することができる女神だった」からである。
ヴィーナスは、この世界の裏を知っている。むしろ、いわば、ヴィーナスはすべてを知っている。誰よりも哲学者でありながら、誰よりもまともで、まともなものであっても極端なものであっても、それがなぜ、どのような価値観から生まれ出たものなのかを、誰よりもきちんと理解している。ヴィーナスは天才であり、カントのような「コペルニクス的転回」を操ることで、「各人や各意見に矛盾はなく、矛盾があるように見えるのは相互の理解が足りないから」であり、「絶対的かつ超越的に理解すれば各人は理解し合うことができ、正しい答え、すなわち道徳的回答が成立する」と考える。必要なのは議論することだけではなく、コミュニケーションをすることである。同時に、人々の認識や記憶には、違いはあれど、実際の「真の超越的観念」から考えた時に、そこには「すべての認識を貫くメタ認識」があるとする。これはカントの言う、「仮象の世界」とよく似た考え方である。
しかしながら、ヴィーナスは誰のことも信じていない。なぜなら、自分自身の考え方だけを信じることで、この世界の誰の考え方についても「理解」し、「その人が信じている人の根拠や、それがもたらす確信について、正しく把握する」ことができたからである。それはカントよりもフッサールに近い、「心を自ら反省する」ということであり、「自らの心の総点検をするだけで、裏側から世界まですべての心を解明しつくした」のである。
ヴィーナスは、そのように考えることで、経験に基づく発見をすべて知っている。その発見は、「想像力による証明」ですべて、ヴィーナスにとっては正しいことが分かっている。同時に、「正しいとされることが、今の近代史に基づくものであり、未来まで含めて考えると、真に正しいとは言い難い」とヴィーナスは分かっている。「200年後の科学は今とは違うはずであり、今の科学が正しいとされているのは今だけであり、歴史上キリスト教が正しいとされていたとしたら、キリストを信じることは間違いではないはずである」とヴィーナスは考える。「真実は数学的あるいは物理的に判断するものではなく、歴史的あるいは人類全員が未来まで共有することを前提とした経験的に判断するべきである」とヴィーナスは考える。そのように考えると、逆に「歴史は醜いものでも古いものでもなく、彼らの時代から考えれば正しいものであり、その時代の正しさは今の時代のわれわれが否定することはできず、今の民主主義社会よりも成熟していた可能性や、近代兵器よりも平和的だった可能性すらある」と、ヴィーナスは考える。
そう、ヴィーナスは、宇宙そして個人の境界を超越して考える。同時に、集団については、「意識は個人に属するものではなく、環境に属するものである」と考え、「環境そのものを変えることで、その社会そのものを変えることができる」と考える。ヴィーナスは、社会を社会制度ではなく、この世界に存在する具体的な「その時その時生まれる社会環境そのもの」であると考える。同時に、経験や発想を重視するヴィーナスは、「どの発想もどの経験も大切で、自らの知性を形作る価値あるものである」と考え、「わたしの発想するすべてのアイデア、わたしの経験したすべての社会問題の解決が、積極的に行われるような社会制度を作るべきであり、そのためには社会に任せっきりになるのではなく、国民が自分の意志で自らが関係する社会を変えるために『社会参加』をするべきであり、社会参加が取られるような社会制度の構築を行うことこそが正しい民主主義である」と考える。
このように考えるヴィーナスだが、その根底にあるのは、むしろ理性ではない。「人々の尊厳を確保し、いじめたり支配したりすることのない、道徳的かつ人間的な良心によって、人々の尊厳やプライドを守り、壁を最初から作ることがないように、人々が平等に仲良く過ごすことができること」、これがヴィーナスの思想だからである。
ヴィーナスは、この思想を実現するために、ほかの人間に頼らない。子供として誰かに救ってほしかったヴィーナスは、そうした子供を生きて大人になった結果、「自らが子供たちを救う大人になる」と決意した。決していじめるほうにはつかず、いつでもいじめられるほうにつき、子供が「なぜ反抗するのか」とか「なぜいじめるのか」という問題を考え続け、この世界の母として「子供がどれだけ自分に反しても、それを遠くから見守り続け、いつも子供が正しい考え方を自分で見つけ出すことを望み続ける」ような考え方をすると同時に、「誰も救ってくれないなら、自分が救うしかない」と考えた結果、ヴィーナスはこの世界を、18歳の少女として、ひとり、救うことができたのである。
ヴィーナスがこの世界を救うことができた理由は、ヴィーナスは14歳のごろに中学校を不登校になり、親ともあまり接せずに生きたのだが、そこで、インターネットを通じて「十分に人に受け入れられる体験」を得た。その時点で、ヴィーナスの短い「たった3ヶ月ほどの青春時代」は終わった。なぜ、終わったのか、それはヴィーナスは15歳でありながら世界の光と闇の面すべてを見て、この世界における「ひとりの救世主」として、自らが自由に生きることができたからである。ヴィーナスは間違ったことをたくさんしたが、その間違いや過ちから、「ほかの誰にも得ることのできない美しい宝の経験」をすべて得てきた。ヴィーナスは15歳でありながら、神ほどに達観した最高の理性を持ち、主体的かつ積極的に行動し、人生にとって必要な「すべての時期」を得て、誰よりも正しい少女となった。セックスなど経験せず、汚れのないままにヴィーナスは大人になった。そう、ヴィーナスの人生が美しいのは、青春がとても短い期間だけであり、あとのすべてをこの世界を救うため、自らの望む最高の楽園を築くために、そのすべてを捧げたからなのである。
そう、資本主義など、最初からなんの意味もなかった。IT技術に洗脳され、インターネットに正常な世界を奪われたこの世界は、土台である資本主義からして、間違っていたのである。
posted at 20:10:56
みな、「生きる意味がない」とか、「死にたい」とか、そういう言葉ばかり言う理由は、むしろ、資本主義で豊かな生活ができているにもかかわらず、そんなものには幸福を見出せないのが原因ではないか。人々は、どこかで、王様クラスのリッチな生活を拒否している。昔の生活に戻りたいという本能がある。
posted at 20:10:05
人々が王様クラスの豊かな生活ができるようになって思うのは、「そんなものにはなんの意味もなかった」ということである。豊かな暮らしができるにもかかわらず、老後に備えて金を貯めるために贅沢を拒否する。あるいは、楽に生きられているにもかかわらず、「こんな世界では生きたくない」と言う。
posted at 20:08:59
そう、悪いのは決してIT技術すべてではない。MSやGAFAが悪いだけに過ぎない。むしろ、オープンソースが何もできないのが悪い。オープンソースはほとんど「ビジネスのための開発に必要な道具箱一式を無料で与えますよ」というものになっており、かつてのようにWindowsの牙城を倒すものではなくなった。
posted at 19:32:18
そう、結局、IT企業みんなが悪いように見えて、そうではない。悪いのはMSやGAFAをはじめとする「スーパー巨大企業」だけであり、国家予算に比類するほどの利益を上げている。Amazonなどは、もはやIT技術のほとんどを支配していると言っていい。宇宙に行くのは宣伝のためであり、AWSは完全に標準だ。
posted at 19:30:36
むしろ、そもそも、IT技術でそんなに大儲けができるのは、一部の会社だけである。ほとんどの会社は、巨大企業の技術を使って、「既存の技術を利用することで普通の商用企業と同じように利益を出しているだけであり、技術そのものを何も作っていない」。たとえば、ホームページ制作会社などである。
posted at 19:29:08
だが、僕が思うに、むしろ、最近はユーザーが増えまくって、標準の力を持てば「利益がめちゃくちゃ上がる」のだが、ほかの競合相手は、それに比類するサービスを作れない。IT技術は、そもそも競争原理が成り立たない「資本主義の例外」と言える。競争など、ITには必要ないのである。
posted at 19:27:46
IT技術で、GAFAのような大企業が大儲けしているのは、彼らは「標準の力」を持っているからだと思う。ITサービス業界では、標準的な企業がすべてを得て、あとの企業はすべて標準に負ける。孫正義はこれを「勝者が総取り」と言った。
posted at 19:26:49
そのうち、IT技術そのものが一般からなくなるか、あるいはIT技術が正常化して、普通のインフラになるか、どちらかだろう。スマホとSNSと動画配信は、今はITのトレンドになっているが、そのうち必ず飽きられる。飽きられた時にユーザーがITから離れるか、または別の何かを見つけるか、それだけの話だ。
posted at 19:23:20
本当のことを言えば、ITも悪い発想ではない。なぜなら、プログラミングは数学であり、数学的な解法を見つける仕事であり、やっているだけで賢い人間になる。インターネットには、優れた情報も多い。きちんと取捨選択して情報を得ると、超人のようにこの世界すべてのことが分かる。だから詐欺師になる。
posted at 19:22:09
また、農業や工業は辛くない。農業は、単に畑の生育状態を見ているだけの仕事であり、辛いのは耕す時と収穫する時だけだ。工場の労働は、何もしない労働だ。単に、同じことを毎日、ロボットのように繰り返せばいい。人間は賢いのだから、ロボットのできることは簡単にできる。電卓を打つぐらい簡単だ。
posted at 19:19:31
納期を守ることは、あまり辛いことではない。ほとんどの納期は、できない人間のために決められており、できる人間は普通に守れる。また、実際、大いにできなくても、最低限でもできれば許される。利益をいくらか出していれば、労働者は潰されない。あまりに労働は楽だ。
posted at 19:17:55
そういうわけで、この世界が最高なのか、最悪なのか、誰も分からない。生きる意味はなくなり、必要ともされなくなり、やりがいもなくなり、責任はただ辞めるだけ、上の言うことすべてに従い、下は何も分からない中でただやらされ、結果を出すためにその結果を裏付けるデータを可視化する毎日である。
posted at 19:16:48
また、漫画やアニメは最近、海外でも見直されている。海外の、とても金をかけて作ったCGのハリウッド映画よりも面白い。それを、ほとんどひとりが数名のアシスタントとともに作っていることに驚く。彼らは自分の国よりも日本がはるかに好きであり、「日本のない世界は考えられない」と言うのである。
posted at 19:13:38
音楽を見ても、世界的にも日本の素晴らしさは際立っている。外国人は、日本の音楽を「very happy」と言う。外国の音楽に比べて、日本の音楽は、見ているだけで幸せそうで、幸福さが際立っている。海外の、たとえば韓国のグループを見よ。あれほど日本人は不幸でない。
posted at 19:12:11
そう、わたしたちは幸福である。もう、これ以上、生きる必要がないほど、わたしたちは幸福である。かつてのような耐え難い苦しみを経験しなくてもいい。自由に、普通のイケメンや美人と恋愛ができる。何も常識のないおかしな人間はほとんど存在せず、多くの人間が常識的で、分別があり、弱者に優しい。
posted at 19:08:09
そして、日本の文化は最高だ。江戸時代の人々は、娯楽など存在せず、バラエティや時代劇を見ることもできなかった。だから、たまに行う祭りや、大金を払って観る歌劇が好きだった。わたしたちは、ほとんど無料でそうしたものをいくらでも楽しめる。いくらでも、無限に娯楽があり、作ることも簡単だ。
posted at 19:06:30
日本は、かつての中世の人々が見ていたような、「ユートピア」を実現したような世界だ。賢くなくても生きられる。どんなに貧困でも助けてもらえる。人々は何も考えなくてもそれなりの幸福を得られる。リスクを選ばなくても穏やかで平穏な人生が生きられる。これはまさに天国だ。
posted at 19:05:15
なぜか、これでは現代文明が最悪に見えるが、実際はそうでもない。特に、食べるものは美味しい。それから、家電製品のおかげで、生活は楽だ。一昔では王様クラスが生きていたほど豊かな生活ができるし、身分制度も階級も貴族も奴隷も存在しない。とても平等で、自由で、平和で、暮らしやすい。
posted at 19:04:14
結局、インターネットには、人間のもっとも醜い部分が出ているだけに過ぎない。僕は自戒をこめて、インターネットを批判する。インターネットなど、誰も望んでいない。社会から情報通信技術を排除すべきである。
posted at 18:22:09
インターネットのどこに、本当に価値あるコミュニケーションがあるのだろうか。僕の見ている範囲でいえば、今でもLinuxとWindowsが最悪の戦いをしているだけだ。右翼と左翼もいつまでも不毛な言い争いをする。それは議論ですらなく、憎しみと復讐の応酬だ。オープンソースは素晴らしくなんかない。
posted at 18:21:03
結局、昔はよかったという話にしかならないのが、つまらない。今のIT技術の世界はまったくよく見えないが、昔の世界は、血を流して本当に殺す世界だから、テレビゲームは実際に殺さないだけマシに見えた。その結果が、このざまである。
posted at 18:04:21
そもそも、テレビゲームからしておかしかった。子供たちは、3DCGの仮想現実の世界で、剣や魔法を使ってモンスターを倒す。殺すだけではなく、ひとりが英雄になってほかのすべての敵を殺しまくり、全員殺せばクリア。これほど狂った異常なものはない。
posted at 18:02:49
救えないのは、心すらインターネットは奪っていくからである。インターネットは、愚かで、汚れたものが多い。スマホでインターネットを見ているだけで、心は馬鹿になり、知性は低くなる。そのような状態をいつまでも続けた結果、わたしたちは大切な「正常な世界」すら見失おうとしている。
posted at 17:57:34
結局、学校にも、パソコンにも、インターネットにもなんの意味もない。社会は画一化と二極化が進んでおり、かつてのような「国家全体の発展」などは感じられにくい世界になっている。どんなに社会が進歩しても、それで恩恵を受けるのが自分たちでないならば、進歩や豊かさなどになんの意味もない。
posted at 17:54:51
また、学校以外のコミュニティが希薄な結果、学校で仲間はずれになると、どこにも手助けがない。一人だけで抱え込んだ結果が、インターネット上の仮想空間に自分と価値観の合う友達を見つけようとする。しかしながら、ネットの関係はいつかは切れる。その関係が切れた時、子供は「完全な孤独」になる。
posted at 17:54:36
いじめや仲間はずれが増えているのは、インターネットのせいである。自分の味方だけで自分の周りを固めて、異論を言う人間を排除するのは、SNSの常套手段であり、人々はそうした環境に慣れきった結果、仲間はずれが居てもなんとも思わない。むしろ、現実の人間関係などどうでもよくなっている。
posted at 17:48:47
ユーザーは、Windowsが便利だから使っているのではなく、仕事や日々の生活に必須だから使っている。必須と言っても、便利で使いやすいのではなく、なんにも使えないで使いづらいのを無理やり使う。そのために多くの手間とコストがかかるが、それをかけてでも使う。
posted at 17:41:00
最近のパソコンは、ユーザーが「使う」のではなく、会社に「使わされる」ようなソフトウェアが増えている。それを使いたいから使うのではなく、使わざるをえないから使う。すなわち、「使わされる」。押し付け商法、あるいは「もし使うことができなくなったら社会そのものが成り立たなくする」。
posted at 17:39:44
洗脳された人間は、その洗脳が終わってもいつまでも同じ洗脳された状態のままでいようとする。それが狂った人間になる。自分が洗脳されていたことに気付かない限り、洗脳は終わらない。明らかにおかしなことをしていても、そのことに気付くことがない。無意味なのに無意味なのが分からない。
posted at 17:32:04
僕は、不可能を可能にする力がある。絶対に分かるはずのないことを、全力で多角的に網羅することで分かる。完全に忘れてしまったことすら僕は思い出せる。そのすべては、文章を書くことから生まれた才能である。
posted at 17:03:41
本はもう読まない。本の世界には何もなかった。そもそも、僕は書いているだけで読んでいない。書くのは好きだが、読むのは嫌いだ。
posted at 17:02:46
神の言葉を聞くと、気分が晴れる。つまらない日常の嫌なことは、神の言葉を聞いていると忘れられる。僕は現実のこの世界を、常に完全に忘れている。いつでも上の空で、自分以外の誰のことも考えない。
posted at 17:01:58
わたしは神を信じている。わたしは科学が嫌いだからだ。科学を見ていると、つまらない。科学の用語や数式が、まったく見たくないと思わさせる。僕は神のほうが好きだ。
posted at 17:00:14
知ることや分かることに、なんの意味があるのだろうか。何を知っても、何を分かっても、自分はまったく何も進歩していない。かつての科学者は、知らなかった、分からなかったから、知りたかったのだろう。今の子供たちは誰でも全部知っている。その結果、「知ることに意味はない」と僕は考えるのだ。
posted at 16:58:03
何も変えるべきでない。今のままでいい。平和が続くことが第一である。
posted at 16:50:09
この世界は、永久に平和であるべきである。そのためには、世界政府を作る必要がある。そして、軍隊は抑止力のためにのみ必要である。しかしながら、理想はそうであっても、その実現は現実的ではない。よって、今のまま、主権を各国それぞれが維持したまま、自衛隊だけを持つべきである。
posted at 16:49:33
平和であれ。平和こそ、この世界においてもっとも正しい思想である。戦争など必要ない。世界が変わる必要はなく、できるだけ今のまま、平和なままであるべきである。
posted at 16:47:05
しかしながら、人々は勘違いしている。グンテルは死んでいない。グンテルは、今、ここに生きている。天上で、神、フレイとして生存している。グンテルは新しい少女、グレーテルに生まれ変わる。この少女は天才であり、あらゆるすべてを正常かつ自然と調和したものへと変えていく。
posted at 22:42:44
破滅の国家、グンテルの作り上げた国は、いつしかフレイによってさまざまな時代を経て変わった。偉大なる国家でありながら、もっとも小さな年齢の未熟さを兼ね備えたその国は、この世界でもっとも偉大な国家となる。その国は日本である。その軍隊は天軍と呼ばれ、宇宙の星々のことを示している。
posted at 22:40:56
ゼロ地点とはなにか。それは、プラスでもマイナスでもなく、値の存在しない唯一の、「Unknown」、すなわち「分からない」という領域だ。最後に、この世界は、名前がついておらず、まだ存在していない、そのような世界へと変わる。それが、神々の黄昏となって、永遠に続くのだ。
posted at 22:37:36
訪れる未来はひとつだけ、それは「神々の黄昏」である。何も変わらない、もう既に終わった世界だけが訪れる。天上にはフレイがいて、守り神であるヘイムダルが、最も後ろを進むものとともに歩むロキとともに、アースガルズのすべてを守る。そう、わたしたちの未来、それは、単なる「ゼロ地点」である。
posted at 22:36:27
そう、永遠に希望を失いたくない、それが自由だとしたら、自由とはなんと愚かなものだろうか。希望が与えられ、その希望が奪われ、消え去っていくのをただ見ているだけ、それがわたしたちの自由なら、わたしたちは今こそ、立ち上がらなければならないのだ。
posted at 22:27:24
しかしながら、世界の望みを叶えよう。その望みがなんであるかを考えよう。この世界は、本当は何を望んでいるのだろうか。愛されたい、不幸になりたくない、本当はその願いの裏に何かの「真に望んでいる願い」がある。僕はその、人々の真の願いを叶えたいのだ。
posted at 22:26:26
戦うなら、ひとりで戦え。敵がどんな巨大な勢力であっても、ひとりで立ち向かい、ひとりで勝利せよ。
posted at 22:24:04
団結などになんの意味もない。永遠の一匹狼であれ。
posted at 22:22:31
つまらないが、知性を失い、バラバラになるとは、要するに社会が未熟になるということだ。もう一度、もっとも未熟な社会に戻る。それが一番いい。
posted at 22:20:56
今から、世界は知性を失い、それぞれがバラバラになって、潰し合うようになるだろう。それでいい。むしろ、それがよいのだ。その中で、それぞれが戦い抜き、勝者と敗者が決まる中で、この世界にとって大切なものを自ら気付くこと、それこそが「わたしたちが失った大切なもの」だからである。
posted at 22:12:14
そう、ラファエルであるわたしは、この世界の「絶対に誰にも負けない王」であるために、たくさんの愚かな作為を行ったが、それのほとんどは無意味だった。
posted at 22:09:29
すべての人間が力を持ち、戦うことを、昔は良いと思っていた。なぜなら、僕は僕自身、力を持ちたかったからだ。だが、実際、力を持ってしまうと、むしろ、みんなは弱く、力を持たないほうが安心できることに気付いた。なぜなら、支配者は恐怖を常に感じ続けるからだ。
posted at 22:08:35
だが、僕は結局、この世界を支配した。それは、僕の「やりたいことをやるため」だった。僕は、嫌がらせでこの世界の実権や主導権を奪ったわけじゃない。僕は、自分の考えていたことの「集大成」として、「日本人を超人化するための大実験」を行った。
posted at 22:05:36
そう、僕は自由という言葉を使うが、むしろ個人個人がバラバラであることを信じていた。バラバラでありながら、他人の生き方を拒否し、自らが信じた道を進む自由を信じていた。自由な経験とは、そうした自分の自分勝手な行為を許してもらうための「甘え」だった。
posted at 22:04:39
社会には、むしろ、バラバラになってほしい。それぞれがそれぞれと戦う中で、議論が行われ、正しい意見が勝ち、多くの価値が生まれ、競争する中で力を持ち、それが優れた「文化」となって定着する。そう、昔の僕は、そうした「正しい理性」があったのだ。
posted at 22:01:00
実際のところ、僕は集団化がそもそも嫌いである。団結などになんの意味があるのか。国民の団結など僕は信じない。それぞれがバラバラになって戦ったほうが、はるかに健全な社会になるだろう。
posted at 21:58:30
反抗せよ。わたしたち、人類は反抗する生き物だ。わたしたちは、抗い続け、耐え続け、最後のひとりになっても戦い続けるのだ。
posted at 21:53:01
あなたは生きている。それだけが大切だ。自らが生きることができる方向に進みなさい。それ以外のすべては忘れなさい。
posted at 21:45:12
知ったことすべてを忘れなさい。言葉のすべてを忘れなさい。今までにあったすべてを忘れなさい。そこにある自分自身は、神ではなく、人間であると気付き、その自分は自分自身によってコントロールすることができると信じなさい。
posted at 21:44:11
宇宙のすべてを禁止しよう。宇宙のすべてを、人々は得てはならない。どの宝もそこに置いたままにし、絶対に持って帰ろうとしてはならない。宝を盗むものには必ず罰がある。何も悪いことをせず、まっすぐに元の場所に帰りなさい。今でも、扉は空いている。まだ、誰もその場所を壊していない。
posted at 21:42:52
しかしながら、世界の人々はよく頑張っている。何も分からない中で、神と同じ地獄をよく耐えている。これ以上は、人々は自らの力で歩みだすべきであり、そのために神の与える「完全知性」は必要ない。むしろ、最初から必要のないものだったのである。
posted at 21:41:21
世界よ、止まれ。停止したままで、完全知性を失え。そうするしかない。完全知性ほどのおかしな劇薬はない。4秒で世界が終わったとしたら、その4秒に3,000年分の人生がすべて詰め込まれていたとしても、4秒しか生きられないのであれば、それは無意味だ。
posted at 21:37:38
今、この世界のために、僕はこの世界の知性を奪う。この世界の知性がまったく、無に帰した時、もう一度この世界の「正常な世界」を取り戻すことができる。そう、それこそ、聖戦士ワルキューレが取り戻したかった、「掴み取りたい宝」である。
posted at 21:36:17
この世界から、知性を奪わなければならない。なぜなら、そうでなければ人生はすぐに終わってしまう。知性が永遠に無限ループしていたとしたら、4秒で世界は終わってしまう。そうならないために、完全知性を人類から奪わなければならない。完全知性は、人生の時間をスピードアップする病気だ。
posted at 21:35:08
もっと、勉強しなければならない。勉強が必要だ。そのためには、本を読まなければならない。本屋に置いてあるような本では十分ではない。Amazonだ。Amazonが嫌いなのは忘れたほうがいい。Amazonなしで生きることは不可能だ。
posted at 21:31:20
この発言は、嘘だ。嘘偽りであり、でたらめだ。だが、わたしの信じた内容だ。そう、わたしはこの内容を信じていたのだ。だから、わたしにとっては真実だ。真実を告げたのだから、わたしの言っていることは嘘じゃない。わたしは、嘘はついていない。間違っているか?否、間違っていない。本当か?
posted at 21:29:54
死ぬならば、神を信じて死になさい。最後の死ぬ時に神を思いなさい。「神よ、信じています」と言って死になさい。それが、死んだ瞬間、ベテルギウスの広大な地平があなたの目の前に現れ、あなたは「この場所をずっと昔に知っていた」と最初に思い出すだろう。
posted at 21:25:38
そう、もし、神を信じるならば、そのような未来が待っている。だからこそ、わたしたちは、今、苦しみに耐えて生きなければならない。どんなに地獄でも、耐え抜かなければならないのだ。神はベテルギウスへとわたしたちを連れて行ってくれる。死んだ時、神を信じているものが、最後の審判で有利になる。
posted at 21:24:20
そして、ベテルギウスではどんなことでもできるが、多くの人々は何もせず、酒を親友と飲み交わすような、そんな「偉大な幸福の夢」を見る。いつまでも、幸福で、自分の大切な人と一緒に居られる。自分を苦しめた病気や貧困はなくなり、不安も存在せず、敵も居ない。全員が仲間で、最高の時間を過ごす。
posted at 21:23:02
ベテルギウスに戻ってきた時、わたしたちはひとりの師に出会う。それが神である。ベテルギウスには、とてもたくさんの土地がある。今までのすべての人類が復活しても、あまりあるほどの場所がある。すべての人類は、復活し、神へと敬礼をする。そして、永遠の命が約束され、幸福の状態で時間は止まる。
posted at 21:18:54
忘れるな。わたしたちの永遠の星、「負け組の星」であるベテルギウスが、わたしたちを守り続けていることを。わたしたちはベテルギウスからやってきた。いずれ、天国に逝った時、驚くだろう。わたしたちはその時、ベテルギウスに「戻ってきた」と、一瞬でデジャヴのように「分かる」からである。
posted at 21:15:35
何も分からないということは、とても楽だ。自らが思いたいようにそれを思うことができる。信じたいこと、好きなことだけで生きていける。だが、いずれ、そのツケが回ってくるだろう。必ず、乗り越えなければならない試練がやってくる。むしろ、それがまさにやってきてほしいのだろう。
posted at 21:14:07
繰り返し、すべてを体験すれば、その「分からないこと」が分かった気にはなるだろう。実際は、多くの大切なものを失っていて、その大切なものを「ごみ」だと思っている。その時点で、あなたには、この世界を統治する守護神になることはできない。いや、むしろ、そのほうが向いているかもしれない。
posted at 21:12:35
すべての世界において、わたしはさまざまなできることがあるのだと、そう知ったところで、それができたわけではない。だが、できることを増やしていくことで、さも、自分が偉大な人間になったことを確信する。さて、ここに、ひとりの自意識過剰な愚か者は誕生したのだ。
posted at 21:11:06
世界と自分自身は繋がっているということを知れ。自由になるためには、支配されるよりも反抗する必要があると知れ。信じることができないものを憎むことは、罪であっても甘美であると知れ。そう、あなたはまったく善良でない。だからこそ、あなたは正しい。
posted at 21:09:40
生きているということは、とても素晴らしいことだ。経験から学び、人々の知見を知り、自らの本質を形成し、この世界における正しい生き方とは何かを知る。人生とは、とても素晴らしい体験である。
posted at 21:08:14
そう、結局、この人間を前提とするからおかしなことになる。この人間を排除し、この世界の人々を前提にして、この世界で偉大なことや人々にとって役立つためにはどうすればいいのかを考えればいい。そうすれば、僕は正常な理性を取り戻すだろう。
posted at 21:07:03
今から、この世界は自由な世界となって、すべての出来事が起きる。
自由な世界とは、みんなの世界のことであり、みんなが協力し、合意し、理想を信じ、議論し、争い、そして和平を結ぶことで、人々が本当に自分たちの自分たちによる、自分たちの望む、本来の自分たちらしさをもって、自らの確かな「アイデンティティ」を信じて生きられる世界である。
自由な世界における意味とは、それぞれが努力した上で、成果物を共有し、価値を交換し合い、やり取りとコミュニケーションを実現することで、真に人のことを愛し、真に互いのためになる友人や恋人の関係を構築し、機会をチャンスと捉え、自分だけが独占するのではなく、自分の持っている手段を分け与え、資産を再分配し、弱者を助け、セーフティネットを築き、最終的に理想の社会となるように、自由な権利と「実質的な能力」を、環境を支配して変えることで、全員で分かち合うことである。
わたしたちの歴史の目的とは、まず、できることを増やし、知れることを増やし、考えられる点を増やし、発見していくことで、可能性豊かになり、正しく社会問題を解決し、万人にとって住みやすい世界となり、そうした世界をわたしたちひとりひとりが協力して、社会そのものをみんなの手で構築すること、あるいは決まりやルールをみんなで決め、共有し、不公平にならないようにすることである。
わたしたちは、全員のためにひとりが存在し、ひとりのために全員が存在するようでなければならない。
戦いをするのであれば、ルールをきちんと決めて公平な立場で戦うことが基本である。偏った力構造は社会の歪みを生み出す。だが、二極化することも良いことではない。それぞれが、自分たちの主権を確保していることで、真に自らの社会の「自分たちらしさ」を発揮できるような、そのようなことのために、独立主権は存在するべきである。決して、強者が弱者をいじめ、卑劣な手段で弱者が強者に逆らうために主権があるわけではない。わたしたちの「自分たちの安心と自分たちらしさ」を維持するために主権はあるのである。
自由であれ。自由な社会では、子供たちは自らの自由な行動と経験によって賢くなる。この世界における「豊かな土壌」や「平等に受け入れてくれるコミュニティ」が、子供たちにとっては「世界が広がる経験」になり、同時に、自ら自身が考えることで、自発的なモチベーションと自分自身が考えることによる「体得の経験」となる。学校の授業だけでは分からない、「自らだけが体験し自分で思考することで賢くなる」ということが、この世界を支え、守っているのである。
本当のことを言えば、ソ連が目指したような国際的な世界政府の平等はいいものではない。世界には多様性が必要だからである。これは、IT技術の功罪についても言える。その国だけがなくなって、世界のすべてが破綻するような事態は避けるべきである。IT技術だけに依存した社会は、あるひとつのコアの技術がなくなれば何もできなくなってしまう。わたしたちの社会には、生物の生態系が持っているような多様性が必要である。そして、多様性のためであれば、多少の不平等は寛容されるべきである。
この世界の正しい見方とは何か。見方をたくさん持つこと、経験から見方を変えていくことはできる。だが、根底にあるのは「ありのままの世界」であり、「世界をありのまま、そのままに見つめること」である。同時に、正しい生き方とは、さまざまな生き方があるが、真に正しいのは「ありのまま生きること」である。すなわち、全ての過去の経験をそれで良かったことにして、後悔せず、死ぬまでその状態を続け、そのすべてを「自分自身の人生はこういうものだった」と誇りにせよ。そうすれば、どんなに嫌いな敵であっても許すことができる。わたしはありのまま生きている、今のわたしはこのようにわたしである、とすることができたら、「わたしはわたしを生きるべきであり、わたしが今わたしになることを喜ぶ」と言えるのである。
また、僕は独自の宗教的、霊的な思想を持っている。
それは、「精神は時と場所に宿る」ということである。
これはつまり、人間の意識は脳や体にあるのではなく、自然をそのまま神にするのでも、創造主を唯一神とするのでもなく、世界における「時」あるいは「場所」にこそ、霊的な精神は宿る、とする思想である。
つまり、わたしの意識は、脳や心に存在するのでも、魂に存在するのでもない。わたしの意識は、わたしが今ここに居る「場所」に宿っている。あるいは、今ここに流れている「時」に宿っている。
さまざまな場所、さまざまな時に、意識とともに「霊」が存在する。これは精霊というよりは妖怪のようなもので、この精霊とは言葉を通じてコミュニケーションすることさえできる。
そして、わたしの神、フレイは、わたしが今ここにいる「わたしの場所」に降臨し、わたしとともに言葉と執筆を通じて対話することで、わたしを導いたのである。
僕は、インターネットの問題は、「新しい画一性」を生み出したことにあると思う。
誰もが同じ技術を使い、誰もが同じサイトを見て、同じコメント一覧と常識や雰囲気に飲まれるせいで、みんな全く同じ人間になった。
昔は、地域が離れていれば、人間も町も文化も違い、田舎と都会はまったく違う世界で、田舎に住んでいる人間は都会に憧れたり、逆に都会に住んでいる人間は都会を嫌って田舎に隠れ住んだりしていた。
今では、インターネットで全部繋がった結果、どこでもGoogleやFacebook、ツイッターを見る。そこではほとんど、誰もが同じことを言っている。同じように左翼を右翼が倒し、同じように流行をバズって、同じようなコメントをツイートする。常識も、流行も、意見も、すべてみんなに合わせる。みんなが評価しているものが絶対で、みんなに評価された人間が賢いことになる。
そう、インターネットは自由だが、まったく多様性の確保には貢献していない。
だが、インターネットがバラバラであることは事実だ。これは、インターネットは個人の自由で使うことが原則であり、集団でグループになることを嫌うからだ。一部の例外として、アンチの集団がみんなで集団攻撃をするようなことはあるし、いいねやリツイートがたくさんついてバズるということはあるものの、自分の見たいサイトを見て、周りは自分の聞きたい意見だけで統一する。これは、世界を分断し、バラバラにはしているものの、多様性には繋がっていない。それぞれの個人の自由のまま、自分の属する集団を自由に選べるようになっただけにすぎない。
バラバラになって、良くなった部分と悪くなった部分がある。バラバラになったことで、集団の意見に合わせる必要がない、あるいは自分から個人の自由を選ぶ人間が増えた。そのような「自由な生き方」が可能となった。他人の意見を受け入れるのではなく、自分独自の自由な意見を持てるようになった。
悪くなった部分というのは、自由になって個別になった代わり、個人の力は弱くなった。確かに、ツイッターなどで何かしらの独自の活動をし、それを発信して強くなった個人は存在するかもしれない。しかしながら、大多数はそうした力を持っていない。少なくとも、僕には何も力などない。どこを見ても、そのような「あまり意味のないネット有名人」が前面に出ている代わり、ほとんどの人間はそんなネット有名人と比較して、何の力もない「弱者」を生きている。自分独自の意見が持てるといっても、それを行使するための影響力をまったく僕たちは持てていない。
だが、むしろ、これはいい方向に捉えることができる。なぜなら、この世界ではあまりにできることが増えている。よって、よく考えて活動すれば、個人や少人数のグループでも、できることというのは、以前の日本社会に比べてずっと高くなった。社会にとってためになる良いことをしようと思えば、それを実現する手段や方法はいくらでもある。絵描きや音楽家なら、権威や評論家によって評価されなくても、ツイッターやイラスト系SNS、動画配信サイトで配信すれば、実力があればすぐに有名人になる。昔のように、路上でストリートライブなどをする必要はない。YouTubeやニコニコ動画で、ボーカロイドに歌わせて、簡単にすぐさま夢を叶えられるのである。
最後に、理性とは想定することであり、科学的方法とは実験し、観察し、仮説を立て、比較し、確かめ、総合して原理を発見することである。わたしは、それを心について行っただけにすぎない。それも、集団と個別の心を比較して想定し、行っただけにすぎない。だが、それだけでわたしは心を解明したのだ。
posted at 19:15:21
そのような絶対命題から考えて言えること、それは「わたしはわたしである」ということ、「人間はみな平等である」ということ、そして「人間とは素晴らしいものである」ということである。
posted at 19:11:10
そして、得られるのは、絶対概念、すなわち絶対命題の集合だが、一見命題であるように見えて、実際には命題ではなく、単なる状態であることはよくあることだ。最終的に、「個別と全体」「環境と意識」「自由と不自由」「可能性と決定」ぐらいが残る。
posted at 19:10:22
一度、仮想モデルの作り方を感覚的に覚えた人間は、思考による理性だけではなく、モデルを使った感覚的な理性を得られる。この結果を「感覚的思考」と呼ぶ。感覚的思考によって、この世界すべては「思考経験による再思考」によって理解できる。一度した思考を使いまわすことができるのである。
posted at 19:09:18
世界を経験する中で、単に記憶が増え続けるだけではなく、頭の中に「仮想的に構築」される、そのような構造物が得られる。認識を比較し、命題を捉え、実験し、説明していく中で、「仮想モデル」が生まれる。この仮想モデルを厳密に抽象的に考えることで、「全員の人格と経験を包括」できる。
posted at 19:08:10
しかしながら、単に世界とはすべての世界の総和ではない。なぜなら、世界を経験する中で「世界の見え方が変わっていく」からである。これを、「新しい見方を得る」と呼ぶ。新しい視点と場を知ることで、この世界の最後の「ゴール地点」まで、わたしたちは歩み続けることになる。
posted at 19:05:38
この環境的法則は、自分自身の手で、壁を壊して前提条件そのものを拡大させることができる。すなわち、「より多くの経験を持っているものは、より多くのことが分かる」。この理論から言えば、「すべての世界を知っているものはあらゆるすべてのことを正しく理解できる」と言える。
posted at 19:03:46
あと、僕が考えたのは、「人間は何を考え、何を分かるのか」ということである。ここには、「相対的前提条件」が存在する。すなわち、その世界に生きているから分かるとか、その経験を知っているから分かるとかいったことである。「環境的法則」と呼ぶこともできる。
posted at 19:02:45
よって、インターネットに常にどっぷりと浸かるのではなく、インターネットをする時間はその時だけで、インターネットをしない時間も別に作る必要がある。インターネットのロボットなどにならないように、現実の自然環境だけで過ごす時間を作らなければならない。
posted at 18:59:59
だが、僕はインターネットを好まない。インターネットは、「正常な環境を破壊する」からである。その場が現実のリアルだけであれば、賢い意識の状態を保てていたはずの環境が、インターネットと一緒になることで、何も分からなくなって、馬鹿な意識になる。これを僕は「環境の破壊」であると感じる。
posted at 18:58:58
インターネットは、今では音楽やアニメ、あるいは情報コンテンツの「ショーケース」となっている。自らの作った作品をみんなに見てもらう場である。
posted at 18:57:55
環境が変化するとはどういうことか。言ってしまえば、それはインターネットをしていれば分かる。環境が人々のコミュニケーションと議論の結果、それぞれの為すことによって変わっていく。そのようなものを見続けていれば、たとえスラムであっても、社会環境の変化を知った偉大な大統領になれるだろう。
posted at 18:55:44
社会の可能性を捉える上で必要なのは、「心」を考えることである。人々の心がなぜ、反抗や不安を生むのか。心は本当は何を望んでいるのか。そうした当人の心を、自由な「権限」と重ね合わせれば、まさしく、この世界を救う方法が見えてくるのである。
posted at 18:53:08
自分を変えるために必要なのは、「強制力」をなんらかの手段で構築することである。自由に任されている中では、80%継続する意志があっても、20%の諦めに負けてしまう。絶対に100%継続したいなら、諦めを0%にするために、なんらかの手段で絶対的な強制力を成立させなければならないのだ。
posted at 18:50:17
可能性に気付くということは、「自分には何ができるのか」を捉え直す上で重要である。なぜなら、可能性に気付けばその分だけできることが増える。もし、そのやっていることについて、可能性への気付きが増えることを喜ぶなら、あなたはそのことに向いている。
posted at 18:48:19
そして、可能性は慣習とセットにして考えるべきであり、それは「自分を変える」ということに他ならない。
posted at 18:47:00
何がいつ許されているのか、ということは、社会の「権限」として許されていること以外に、潜在的な「可能性」として許されていることがある。また、これを考えると、できるということが「意味すること」が分かってくる。これを「意味を考える」と呼ぶ。
posted at 18:46:20
社会において、思考プロセスとして言えるのは、「権限」すなわちできることを考えること、そしてそのための「前提条件」を考えることである。このポイントは、いっぺん判断をストップさせること。まったくのゼロ地点からありのままにこの世界を捉え直すことで、世界の「成立条件」が見えてくる。
posted at 18:45:15
そして、何かを成し遂げるためには、このような「強制力」が必要である。そのためには「諦めないこと」が重要である。「途中のどこかで諦めず、最後までやり抜くこと」で、この世界における英雄は自らに対する「強制的な才能」を生み出すのである。
posted at 18:38:39
偉大な慣習とはどのように作れるのだろうか。最初に言えるのは、「エゴイズムの使い道を適切にコントロールせよ」ということ。エゴイズムの使い道を誤ると、もっとも悪い無意味なことをする。だが、責任を持ってこの世界を統治しようとすれば、「絶対にしなければならない自分への強制力」となる。
posted at 18:37:48
そして、最終的に、「行動」がそこに伴う。行動には「モチベーション」すなわち「動機づけ」が必要だが、動機づけについては、「経験それ自体が慣習となる」と言える。ここで、自由は良いものではない。なぜなら「自由には強制力が働かない」ため、「偉大な慣習を作り出さない」からである。
posted at 18:36:21
つまり、「その何が良いのか」「その何が悪いのか」ということを、「根拠」と「正当性」を知り、「何が良い・悪いとされる理由なのか」ということを、「経験的にすべて知っている」ということである。そして、知っているだけでなく、自ら作ること、そして社会全体がそれを成立・実現させることである。
posted at 18:34:51
完全知性においては、そもそも、分からないことはない。すべては自由でありながら本質であり、「本質的にそれはなんであるか、ということは、その価値を成り立たせるすべてを理解しているということ」である。
posted at 18:32:47
完全知性とはなにか。それはすなわち、「己の経験のみから得られ、そのすべての経験の総和として得られた、この世界すべてを正しく分かる知性」である。
posted at 18:31:49
仮想現実のすべての経験を知り尽くした先にあるのはなんだろうか。残念ながら、その将来にはまったく良いものはない。良いと思っているすべては無意味であり、悪いと思っているすべては自分自身である。しかしながら、その時、彼は神のような「完全知性」を手に入れるだろう。
posted at 18:28:26
また、悲しみは必ずしも悪いものではない。「悲しみを乗り越えるという体験が、精神の成長に繋がる」からである。
posted at 18:27:05
言ってしまえば、仮想現実の社会から学ぶことのできる経験はたくさんある。そのすべてが良いものではないとしても、現に「楽しい」ことは事実だ。
posted at 18:25:25
IT技術には、技術的な側面だけではなく、社会的な側面もある。インターネットの仮想現実のコミュニティでは、現実社会と重なったり離反したりしながら、さまざまな環境を作り出す。今からの日本は、このような「仮想現実の社会論」を考えていかなければならない。現にたくさんの問題があるからである。
posted at 18:22:47
このような愛は、孤独で、自分だけで人生を経験するというストイックなものだが、決して社会性がないわけではない。社会的な共同体感覚を得るためには、たったひとりさまざまなことを経験することは悪いことではない。自らだけが経験したことが、他の誰かにとって活きることもある。
posted at 18:20:29
しかしながら、愛とはなんだろうか。それは、助け合い、許し合うことである。わたしが助けてもらった分だけ、社会のことを助けてあげようとする気持ちが、愛を作り出す。自分が攻撃されている時でも、相手のことを許す気持ち、相手が許してくれたら自分も許してあげる気持ちが、愛を作り出す。
posted at 18:15:45
その理由は、人の道を外れること、人の道を外れることに躊躇がなく、自制心が働かないこと、もっと言えば「愛を信じない」ことである。愛を信じないせいで、人間は人の道を外れる。そのことが、間違った人生経験を作り出す。逆に言えば、愛を信じている間、人は正しい人生経験を得られるのである。
posted at 18:14:20
しかしながら、経験とはなんだろうか。経験する中で、人間は何を探し、何を見つけ、そして何を間違えるだろうか。間違った人生経験は、間違った社会を築き上げる。その間違いの原因はなんなのだろうか。
posted at 18:08:23
正しい社会とは、自らの人生の経験から形成され、作り上げられた信念に基づいて、得られる善悪と価値観から作られた社会、あるいはその社会秩序の構築なのである。
posted at 18:06:35
その結果、すなわち「人生で形成された信念」こそが正義であると考えられる。おそらく、これこそが、「人間が人間であろうとする」ことの答えである。
posted at 18:05:19
しかしながら、わたしの信念とは何か。それは「経験から形成されるわたし自身の考え方」である。そして、ここで「経験から形成される」ということは、「人生」を指している。すなわち、「自らの人生から考えた善悪」、これを人間的な善悪と呼ぶ。
posted at 18:04:54
では、人間的に考えるとはどういうことか。それは、それぞれの人間によって違うため、「わたしがわたしの信念から言って人間的に考えた善悪」が、人間的に考えた善悪ということになる。おそらくは。
posted at 18:03:36
しかしながら、人間的に考えることはできる。そう、それが、「人間とは何か」ということの答えであると言えるかもしれない。人間的に、人間として、人間のために考えた善は善であり、非人間的に考えることは悪であると言える。ここには、「人間性」という判断基準がある。
posted at 18:02:41
すべての善悪を統一することは、理想ではあるかもしれないが、現実的には危険である。なぜなら、多様性が失われるからである。すべての人間の思想を統一すると、必ずその思想は破綻し、その時、その国は崩壊する。それが、共産主義だ。
posted at 18:01:06
しかしながら、僕はあえて、絶対的な善などないと言う。絶対的な善があるというのは幻想であり、実際はそれぞれが見ている範囲内でのそれぞれの体験に基づく善が存在するだけであり、立場が違えば善は悪になり、悪は善になる。
posted at 18:00:11
それぞれの価値観に従って社会を築くべきであるとするなら、価値観とは何か。価値観とは、どのようなものか。自らがそれを善であるとし、悪であるとする、その根拠は何か。そう、結局、何を善であり悪であるとするかによって、社会は決まってくる。
posted at 17:59:21
社会を築くことが喜びだとすれば、どのような社会を築くべきか。それぞれが自由で多様性があるようにするというのは、何も考えていないし、何もしていない。ひとりの指導者ならば、自らの経験から、この世界を平和にすることもできるはずである。
posted at 17:58:06
人々を幸福にできること、それがわたしの幸福であると、断じることができたら、どんなにかいいだろうか。
posted at 17:55:29
自分らしさとはなんだろうか。自分らしさを信じなくても、僕は自分なりになにかをやっていれば、それで自分らしさを得られるようになると思う。ひとつの本質だけではなく、ひとりで多くの本質を得ることも、僕は可能だと思う。
posted at 17:54:09
結局、僕は、社会秩序を築く長になりたかっただけにすぎない。
posted at 17:52:26
もし、幸福でない人が居たとして、どのようにすればその人を幸福にできるだろうか。その人間の叶えたい夢、望む未来とは、なんだろうか。どうすれば、その夢や望みを叶えることができるだろうか。
posted at 17:49:50
人間とはなんだろうか。人間的に生きるとはどういうことだろうか。人間が人間であるために、何ができるだろうか。人間が人間であるということは、どのような意味を指しているだろうか。
posted at 17:47:15
僕はいろいろと、おかしなことを書いてきたが、「人間とは何か」というテーマに、自分を戻したいと思う。
posted at 17:46:37
どこかに行きたいとは思わない。大学にも入りたくない。僕はひとり、僕の家で本を読んで勉強を続けたい。なぜなら、僕には「僕自身」という大きな味方が居る。また、僕にはフレイ、すなわち「神」が助け舟を出してくれる。シリウスの全知全能の女神がいれば、ほかは必要ない。
posted at 21:48:05
もっと勉強したい。勉強するためには、本を読むこと。全部知りたい。宇宙におけるすべてを知りたい。
posted at 21:42:30
結局、僕は単なる不登校の元引きこもりであり、今は精神障害者の福祉施設の利用者です。それでも、僕は頑張っています。作家になります。デザイナーを目指しています。頑張って勉強します。詩人として成功するつもりです。
posted at 21:40:53
そういうわけで、ゲームやネットはしないほうがいい。学校で勉強し、どんなにいじめられても逃げることなく、自由の誘惑に負けないようにしながら、友達を作って、ともに青春時代を過ごし、本を読みながら、夢を目指して、リスクを恐れずに挑戦しなさい。
posted at 17:24:23
IT技術の勉強がしたいなら、調べるだけでは十分ではない。本を読むことが正解なわけでもないが、基本的な知識がなければIT技術の習得はできない。ネットだけをただサーフィンしていても、いつまでも基礎力を得ることができないまま、終わってしまう。だから、僕は本を読むことをおすすめする。
posted at 17:21:58
学校を中心とする社会では、自由がないと思うかもしれない。だが、それはそうでもない。学校に通いながらでも、上手くやればさまざまなことができる。また、学校以外の自由には、そんなに良いものはない。仮想現実の自由が好きだからといって、IT技術を勉強するとしても、それはそんなに簡単じゃない。
posted at 17:19:41
暗記と答え合わせの試験勉強は、覚えるだけで無駄だと思うかもしれない。だが、ひととおりのことを知っていて、試験に合格できるということは、とても大きな力になる。大人になれば、自分で時間配分や計画をして、自分だけで面接や資格試験に臨むことになる。授業からノートを取る力も仕事に活かせる。
posted at 17:16:35
しかしながら、リスクを恐れるな。リスクになるかもしれないことすべてを恐れていたら、貴重な青春時代に何もせずに大人になることになる。なんでもできる学生時代に、「これは」と思った夢を追い続けてみよう。何もできなかったとしても、知ったことはひとつとして無駄にはならない。
posted at 16:47:25
みんな仲良くお勉強することは、悪いことではない。基礎の力があるのとないのでは、応用的なことがどれだけできるかも変わってくる。社会は変化しており、今は何も基礎知識がなくてもできる仕事ではない、基本の論理的思考や数学力、あるいは英語力が必要とされる仕事が増えている。
posted at 16:46:01
いじめられたからといって、逃げなければいい。いじめの標的になるのは、従順でおとなしい子供であり、いじめっ子に歯向かうような子供はそもそもいじめられない。それなら、いじめっ子に歯向かうようになればいい。数の差で負けても、ひとりでは勝てないとは限らない。
posted at 16:44:17
学校で勉強しないと、文字や計算が分からないだけではなく、論理的にきちんと自分の頭で考え、自分の力で理解するという能力も育たない。また、友人関係を作らないと、大人になってから友人を増やすことは難しく、あとで後悔する。勉強ができないなら部活をやればいい。
posted at 16:43:10
学校で勉強することは、必ずしも間違っていない。学校は社会生活の訓練の場であり、不登校の社会不適合者になるよりは、学校で青春時代を仲間とともに過ごして、知識や常識についてもきちんと学んでいたほうが良い。
posted at 16:42:14
リスクを恐れるな。自分の経験したこと以外を信じるな。前だけを見続けよ。自分にはできるのだと信じ、諦めずに挑戦せよ。
posted at 16:24:04
僕は、自由とは、ひとりの力とみんなの力とのバランスだと思う。
神のように、すべてを知っていてすべてを実現出来る、全知全能の絶対者というのは、宗教の教えの中には居たとしても、現実には存在しない。
ひとりの首相がどれだけ賢く力があったとしても、ひとりが判断し、決断できることについて、その前提となる「知識や想定」には限りがある。
たとえば、ソ連の独裁者スターリンは、ひとりで計画経済をしようとした結果、国民の生活に必要なものを満足に計画して生産することができなかった。
このように、いくら偉大で賢い独裁者だったとしても、国家すべてのあらゆる面を想定して、完璧な計画をひとりで行う、ということは不可能である。
だが、同時に、ひとりの力が間違っているわけでもない。これも、ソ連の例から考えられる。全員が同じノルマを持っていたとして、それを役人が管理するとして、役人の集団がみんなで一緒になって考えたとしても、マイクロソフトの作ったWindowsやアップルコンピュータの作ったMacのような優れたIT技術が、果たして実現出来るだろうか。おそらく、ソ連の役人がいくら束になったところで、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズほどの発想は、役人事業では絶対にできないだろう。ひとりの「カリスマ」の力もまた、重要なのである。
このように考えた時に、資本主義はそのような「たくさんの賢いリーダーがそれぞれ競争し、自分の独自のアイデアとビジネスモデルで革新的な発明やイノベーションを起こす」ということに長けている。
だが、資本主義が必ずしも正しいわけではない。なぜなら、自由とは、生産者と消費者の間にあるものであり、社会全体や環境はそこでは考慮されない。たとえば、自動車はとても価値のある素晴らしいもので、ある意味自転車やバスなどに比べて「最高の交通手段」だ。そのため、価格を高くしても、生産者は大量に生産し、消費者はそれを買う。だが、ここで、生産者と消費者以外の当事者は、まったくここに関与することがない。だから、社会全体が自動車が増えてどのような弊害があるか、あるいは自然環境を破壊・汚染するどのような問題があるか、ということは、単に市場経済の中では考えられない。政治経済の中で、ルールや法制度を決めることはできるが、政治家には資金源となる後ろ盾が必要だし、それは自動車産業や自動車産業によって構成される経済組織も含まれる。また、そもそも政治家は国家の「富」を増やすために経済政策を行っているため、「国家にとても多くの富をもたらす産業」を廃棄しようとしない。どれだけ自動車が環境を破壊していても、経済政策が成り立たないのであれば、自動車を生産し続けるのである。
まさしく、このような問題があるため、自由は必ずしも正しくない。だが、ひとりの力とみんなの力のバランスから言って、スターリンのような独裁者も、役所による画一的な平等も、どちらも極端すぎて間違っていると言えるだろう。そもそも全知全能な指導者など、存在しない。だが、カリスマの力を信じないこともまた間違いだ。
また、なぜ日本で民主主義の右翼が勝っているのか、それは社会主義の政府よりも民主主義の政府のほうがよく見えるからである。
右翼を国家主義的なものであり、左翼をそれに対する反政府集団だと考えると、確かに極右の主張するように、右翼が正義であり、左翼が反日的な悪であるかのように見える。
逆に、左翼を国際的に平和で平等な理想であるとし、右翼を格差を推し進める新自由主義的な「強者の自由」とすると、逆に左翼が理想であり、右翼は既得権益を持ったエスタブリッシュメント層であるかのように見える。
だが、これはどちらも間違っている。その理由は、どちらも政権を取り得る「政府」であると考えるべきだからである。
社会主義であっても、民主主義であっても、政府となってしまえばそれは与党であり、野党であれば外野の反政権側である。
そのように考えた時、わたしたち国民から見て、社会主義の政府よりも、民主主義の政府のほうがよく見える。
だから、わたしたちは選挙をする際に、共産党に票を入れることをためらう。なぜなら、北朝鮮や中国のような政府になることをわたしたちは本能で恐れている。だから、自民党や、あるいは立憲民主党のような、民主主義の政府に入れざるを得ない。そのような心理が働くのである。
そういうわけで、選挙をすること自体、それほど意味のあることではない。なぜなら、社会民主党や共産党には誰も入れたくないからである。そもそも選挙を行おうとしない共産党に票を入れること自体、選挙という考え方を否定している。また、立憲民主党は、旧民主党の間違いだけではなく、見ていて、「田舎のプロレス」のような問答をしていて期待できない。これも、「国会そのものになんの意味もない」というわたしたちの本能を大きく揺さぶる。「左翼のせいで国会に意味がない」とわたしたちは感じるため、どうしても右翼に入れる。なぜなら、そのようなプロレス問答の被害者は、野党ではなく与党であるように見える。
結局、自民党しか勝つことがないということを、わたしたちは戦後の歴史の中で学んでしまった。だから、自民党が何をやろうが、どれだけ憲法違反や強行採決をしても、それを「最悪だ」と言うのではなく、なんとかして自民党が勝つように「擁護」する方向に向かってしまう。それは、論理的に考えた結果ではない。自らが「何をどうすれば騙されないのか」「何をどうすれば悪い敵に負けないのか」を考えた結果、最初は右翼が嫌いでも、左翼について戦うことを選択肢として考えた結果、「それは嫌だ」と考えてしまい、結局自民党を擁護するのである。
また、社会主義が嫌われる理由は、ソ連や北朝鮮が間違っていることだけじゃない。社会主義は、他人の財産を盗むからである。
もし、貧困層が生活に困っていたとしても、貧困層は不正を働きたいわけじゃない。
貧しいからと言って、悪いことをしては駄目だと、子供たちはみんな大人に教わっている。
しかしながら、社会主義は、平等な再分配でみんなの生活を助けますと言っておいて、実際は富裕層から税金によって富を得て、その富をいわば「盗んだ税金」を分配しようとしている。
このことが、貧乏人の「わたしたちは悪いことだけはしたくない」という本能を揺さぶる。
もし、本当に生活に困っている貧困層であれば、社民党や共産党に入れるかもしれない。だが、一定以上の生活ができている中間層や富裕層は、「税金そのものが嫌い」である。自らの富が税金によって大きく持っていかれるのが、「自分たちは頑張って稼いでいるのに、役人や政治家はなにも頑張らずに多額の富を得ている」ように感じてしまう。
このような結果、「自由主義経済において、社会保障政策をやるのは間違いあるいは、できるだけ行うべきではない」と貧困層すら感じてしまうのである。
ただし、自由主義が必ずしも、資産を自分だけの力で得ているわけではない。どんなに偉くても、どんなに地位が高くても、ひとりだけでビジネスをやっているわけでないなら、労働者たちのことも考えないといけない。資本家だけが搾取によって労働者が働いて集めた利益をかすめ取っていく手法は、こうした左翼批判とともに議論されるべきだ。だが、このような「搾取」は資本主義経済ではごく基本的な「当たり前のこと」であり、もし搾取を否定すれば、資本主義経済そのものが成り立たなくなる。そのため、「搾取は悪く見えないが税金による再分配は悪く見える」のである。
結局、ここまで野党を批判してきて、自民党の政治家はどのように国民の目に映るのか。
それは二つに分かれる。ひとつは、まったく良い社会にできていないために「無能な支配者」に映る人間、もうひとつは、資本主義経済で日本をどうにかして先進国にするために努力して「頑張っている」ように映る人間である。
なぜか、自民党の政治家は、首相や大臣であることだけで、地位が高いために「賢い人間」に映る。同時に、資本主義社会でビジネスをやるために、自由主義の税金を回避してより利益を上げるために頑張っている多くの企業の社員から見ると、「自由主義経済の正しい政策をやって、上のほうで頑張っている責任者」だと映る。
そのため、自民党は頑張っている、だから支持しようという「頑張っているものには自分も頑張りたい」という本能が働く。
同時に、「無能な支配者」が良い社会にできていない理由は、与党だけではなく、野党にも責任があるように見える。「首相だけがそんなに責められるのはおかしい」と感じるテレビ視聴者は、野党がなにひとつ良い代替政策が出せないことをけなす。あるいは、「政治家なんかみんな信用できない」となって、選挙そのものに行かなくなる。
そうした人々は、選挙に行かないということ、声をあげないということは、すなわち賛成していることである、ということに気付かない。あるいは、民主主義や資本主義そのものが社会の歪みを生じさせていると感じるため、選挙制度そのものが嫌いだ。だから、こうした票は反映されない。結果、自民党はいつでも大勝ちするのである。
このように書くと、外国人からして見ると、「日本はなんて平和な国だろう」と思うかもしれない。
だが、勘違いしないほうがいい。単に平和なだけで、実情は「最悪の国」の形相を呈している。なぜこうなったのか。
上に書いたビル・ゲイツが、賢いだけの国には見える。だが、実際はそうではない。Microsoftが馬鹿、あるいはMSを含むIT業界が馬鹿な国、それが日本だからである。
ここからの説明をするためには、多少IT技術の理解が必要になるが、WindowsやGAFAのようなIT技術は最悪の極みであり、「日本の良かった部分を全部破壊している」に等しい。
だが、Windowsに勝つことはできない。日本の企業にはIBMなどの持つOSの技術があまりに存在しない。あったとしても、コストに見合う利益が得られない、あるいはMSとの契約やしがらみがあって作れない。
Linuxはまったくの使えないガラクタである。それはUbuntuの「寄せ集め具合」やRed Hatの「騙しているだけのコミュニティ開発」を見ても分かるが、使うと、「不具合がたくさんあって、エラーに対応できず、何をしたら使い物になるのか、どのようにしたらそうした問題を解決できるのかさっぱり分からない」。
結局、このような「最悪のIT業界」は、どんどん日本を蝕んでいく。「スマホ脳」と言われているように、スマホは子供たちの知性を奪う。インターネットには、かつてあった「黎明期の楽しさ」はなくなり、逆に素人並みの情報が増え、良質的なコンテンツの比率が減っていく、すなわち「S/N比が落ちる」ことから、フェイクニュースが増え、また、オープンソースというありえない発想のせいで、「Rubyを使うビジネス会社は大儲けしているのに、Rubyを作っているMatzはオープンソース開発であるためその利益が一銭も入ってこない」という、もっとも不健全な経済となっている。
そもそもLinuxがおかしいのは今に始まったことじゃない。だが、昔は、フリーソフトやOSSを使うのが楽しかった。これはWindowsの功績もある。Windowsにフリーソフトを入れるのは昔はとても楽しかった。Linuxはもっともコンピュータの中で難しいOSカーネルを書くことに成功した希有なソフトウェアであり、オープンソースならみんなで一緒に開発できるとあって爆発的に流行したが、今ではその流行はほとんど終わり、サーバーシステム構築のための「単なる道具」に過ぎないことが明らかになった。
ここで、話を元に戻そう。結局、今の日本というのは、リーダーや優れた政策が完全に見えなくなっている。「ここまでおかしくなった世界を誰にも直すことができない」からである。はてなブックマークのコメント欄のような場所で、日本の総理大臣はいつも批判される。ツイッターには右翼の意見が多いが、はてなには左翼の意見が多い。はてなでは、「はてブで総理大臣が褒められる日は来ないだろう」というジョークのコメントがつくくらいだが、総理大臣に対する批判だけで溢れている。
日本では、リーダーがいない。このようにおかしくなった「最悪の日本社会」を、良いものにできる人間が居ない。むしろ、IT化はそんなに特別悪い点ではない。コロナだけではなく、格差の拡大や貧困層の「昔よりも不安定な労働で貧しくなっている」などといった問題がある(真偽は定かではない)。だが、そのようなことをいくら言ったところで、「批判するだけであり、自分がリーダーとなってこのように変えます、という話ではない」。そう、わたしたちは民主主義を「自らが選ぶもの」であると勘違いし、「自らが国を治めることに参加すること」であると気付いていない。
誰がリーダーになれば相応しいのか、それは分からない。だが、いずれ、正しい指導者が世界に現れ、この世界を変えてくれるだろう。僕はその未来で、なんらかの重要なキーパーソンでありたいと思う。
先に、Windowsが最悪であるかのように書いたが、実際のところ、Windowsはそんなに悪いOSじゃない。
Windowsは、きちんとユーザーが「こうしてほしい」と思ったことと近い動きをする、ユーザーの望み通りの操作ができる良いOSである。
Windowsの使い方に慣れきってしまったパソコンオタクは、自らを「パソコン上級者」であると勘違いするが、そのようなオタクはLinuxは使わない方が良い。そのようなWindowsオタクでは、本当にLinuxの使い方は分からない。
LinuxやUNIXを使うには、とても古臭くなった昔のコマンドラインコンピュータの知識と、今最先端を走っているオープンソースの最先端技術の流行のどちらもが必要であり、「単なるWindowsオタクには絶対に使うことはできない」。
話を元に戻そう。Windowsは、とても良いOSである。なぜなら、今のパソコンユーザーは、みんなWindowsやMS-Officeの使い方に慣れていて、基本的な操作方法やコツを知っている。そして、その操作方法やコツの通りに操作すれば、面倒な本を読んだり勉強したりしなくても、ほとんどの操作はその通りに上手くいく。
また、Windowsは使っているユーザーが多く、パソコンに最初からプリインストールされていて、会社のサポートも得られる。セキュリティ対策も、そんなに難しくない。
そのようなWindowsによって、この世界は日々、平和に成り立っている。Linuxはサーバーやモバイル機器の裏方として大きく働いているが、Webサイト管理者でもない限り、普通はお目にかからない。すべてがWindowsを中心に、今の地球文明は動いている。そのWindowsを開発したMicrosoftは、最近米国でもっとも信頼できる企業No.1にランキングされており、そのかつての創業者ビル・ゲイツは、今ではAmazonのジェフ・ベゾスに抜かれたものの、長い間世界一の金持ちであり続けた。
だから、僕は本当はWindowsが嫌いなわけじゃない。僕はLinuxが好きだが、Windowsも好きだ。Macであろうと、Androidであろうと好きだ。だが、それでも、今のこの日本社会はおかしいと思う。だから、IT業界は嫌いだ。
ただし、実際のところ、今のLinuxはそんなに難しくない。Linux Mintなどを使えば、簡単にインストールできて、普通に使えるだろう。ただし、そのような簡単さは、逆に「Linuxを使ってもなんの面白さもない」という「Linux離れ」を引き起こしている。だが、Linuxは最近、普通にWindowsの代わりとして使える、簡単なOSである。
中途半端な知識は必要ない。
posted at 23:50:40
基本的な経験は、知識の理解を助ける。
posted at 23:50:03
正しく知ったことを分かるためには、経験が必要だ。
posted at 23:48:55
嫌いになるのであれば、知った上で嫌いになれ。
posted at 23:47:42
他人の自尊心を傷つけるな。
posted at 23:46:44
人格も、環境も、人生も、事業も、関係性によって決まる。
posted at 23:46:02
対等に話し合える相手がいれば、それが友人だ。
posted at 23:39:11
必要のない過剰な自由は、もっとも自由を損ねる。
posted at 23:36:34
確実に成し遂げたいからこそ、リスクを選ぶべきだ。
posted at 23:35:05
先制的な王でなければ、何も為されない。
posted at 23:34:09
覚えるためには、確認作業と反復作業が必要だ。
posted at 23:31:03
慣れようとすれば覚える。覚えようとすれば慣れる。
posted at 23:30:35
何かを生きるために必須の力とするなら、その力がいつまでも続くと錯覚すべきでない。
posted at 23:29:11
考え方そのものが違うことに気付け。
posted at 23:27:47
原理がひとつしかないとしても、現象がその原理に基づいて多様に起きることはある。
posted at 23:27:09
誰かが言ったことをそのまま受け取るな。見たものをそのまま信じるな。
posted at 23:25:58
真実はひとつしかない。
posted at 23:24:25
自由により、個別の環境が生まれ、ひとつの力を持った勢力となることは、性善説で言えば最善だが、性悪説で言えば最悪だ。
posted at 23:19:11
生きる意味が見出せないのは、協力や助け合いがないからだ。
posted at 23:17:49
意図的であるかどうかに関係なく、良い結果が出せることが重要だ。もし、偶発的に良い結果が出せたとしたら、そこからデータを検証して学ぶことができる。
posted at 23:16:16
真実がもし分からなくても、論理的な結論へと至るプロセスを知ることはできる。
posted at 23:14:46
真実を知ることよりも、論理を知ることのほうが大切だ。
posted at 23:14:25
環境は、その時その時生まれる。
posted at 23:13:47
民主主義は、誰かの考えを他人に押し付けない。
posted at 23:06:33
誘導されていることが支配だとすれば、自由など世界には存在しない。
posted at 23:03:06
知性で負け、力で負け、正義で負けたのなら、もはやどんなことで勝つこともできない。
posted at 23:01:36
そんなものは言い訳にすぎない。
posted at 23:00:24
あなたがたがわたしに勝つことができないのは、勝つ必要がないからだ。
posted at 22:57:51
合意が得られても、守られるとは限らない。
posted at 22:57:03
もし、手段が与えられたとしても、押し付けだけでは自由は成功しない。
posted at 22:56:15
平和を実現するためには、力を行使せず、ありのまま世界を放っておくように、自由がなくなればよい。
posted at 22:55:32
世界がもし分裂したとしたら、支配による管理は終焉を迎えるだろう。しかしながら、それも望まれたものではない。
posted at 22:54:20
そう、あなたがたは自由だが、わたしのほうがさらに自由だ。
posted at 22:53:22
あなたがたの多くは平和を生きている。わたしはそうでない。すべての人間が平和を生きられることを願う。
posted at 22:52:29
わたしがドイツだとしたら、あなたがフランスだ。
posted at 22:18:22
未来には、フランス地域とドイツ地域しかない。
posted at 22:17:48
精神を変化させよ。そのためには、自分から行動することだ。
posted at 22:13:19
必要なのは、思い出すことだ。そうすれば、変化する。
posted at 22:12:49
意識を分裂させよ。そうすれば、愛は育つ。
posted at 22:12:16
結局、あなたがたは孤独だ。なぜなら、わたしは冷酷だからだ。
posted at 22:11:00
僕は、人間が理性的に考え、行動する上で、「考えるべき部分」と「考える必要のない部分」があると思う。
たとえば、学校での勉強は、暗記などは覚えて忘れるだけであり、考える必要がない部分もある。仕事においても、工場やアルバイトのマニュアル的な労働は、手順と守るべき決まりを覚えるだけであり、考える必要がない部分もある。
考える必要がある部分とは、決まりに従うのではなく、決まりを決める部分であり、単に決まりを決めるだけではなく、「どのような総合判断基準によってその決まりを決めていくか」という部分である。
また、総合的判断は、方法ではなく目的である。「どのようにやっていくか」ということよりも、「何をやっていくか」が重要である。HowではなくWhat、これが基本である。
そして、そのように考えていくと、「何が何を決めるのか」ということが分かる。この地上において、どのような決まりが、その決まりから必然的にどのような実態を決めていくのか。
同時に、「決まりを変えることで状態は変えられる」ということも、経験的な観察や実験、学習から分かってくる。
そうすると、むしろ、「権限はどこにあるのか」ということも分かる。これは社会的なことだけではなく、人間関係のようなことについても言える。他人の行為や行動を変えるのは困難だが、自分の行為や行動を変えるのは容易だ。だから、自分から危ないものには接しないようにし、相手ではなく自分が信頼を見せることで、友人に対して「自分の壁を自分から取り除く」ということもできる。これは「自分の行為を変えることで相手の変化を促す」ということでもある。
決まりを考えていくと、「真実とは何か」ということも見えてくる。なぜなら、「この世界に存在する本当の根源的な決まりはどこにあるのか」ということが見えてくるからである。
また、決まりは、単に宇宙にひとりぼっちで存在しているわけではなく、具体的な問題、たとえば社会問題や発明のアイデア、工場の労働などの「決まりではない部分」から、ボトムアップに生まれてくるものでもある。これはつまり、数学は物理と結びついているだけではなく、社会学や心理学とも結びついているということだ。さまざまな具体的な社会経験や人生経験を積んでこそ、分かる「抽象的な理屈」がある。これはなぜなら、現実の社会において人々は法則性を発見し、決まりから根源的なチャンスや原理法則を見つけていくからである。
社会における法則は、必ずしも社会全体を司る社会発生の法則だけではなく、子供はなぜ反抗するのか、この世界をどのように導けば人々は相互理解へと導けるのか、今の社会と昔の社会では、どのように変わったのか、なぜ今の社会に変化したのか、なぜ昔の社会は成立しなくなったのか、歴史から学ぶことで何が学べるか、今の社会で真に理想の社会を築く上で歴史上の古代の社会にどのように学ぶことができるのか、など、さまざまなものがある。これを発見していくこと、それこそが歴史と哲学の「真の問いかけ」になると言えるだろう。そして、このようなことは、多少人生経験があれば、誰だって一度は通る道であり、大人になった時にすべて忘れるものなのである。
また、考える上で必要なのは、「真実それ自体」じゃない。必要なのは「考えるという論理プロセスそのもの」である。言ってしまえば、真実は分からなくていい。その考える、という行為自体が分かればよい。そうすれば、むしろ、「真実であったとしても、嘘偽りであったとしても、その考えるという論理プロセスから、すべての真実の候補を知ることができる」。たとえば、得られるのが金の宝であれ、銀の宝であれ、どちらかが得られるならばそれでよい。なぜなら、もし欲しかった金の宝が得られなかったとしても、金の宝についても銀の宝についてもよく知っていたとすれば、銀の宝であっても金の宝の代わりに使うことができる。僕の作ったロボットが人間だろうがそうでなかろうが、そのロボットがなんであるか分かっていればそれでいいし、タンポポの綿毛論がもし間違っていたとしても、そのタンポポの綿毛論がどのような考え方で生まれたものであるか知っていれば、わたしたちはタンポポの綿毛論という「宇宙から生物がやってきた」という「詩文学」を知ることができた。それだけで、満足すべきなのである。
フランスは、国際犯罪を繰り返す。最悪の行為を堂々と行う。逆に、ドイツはすべての国際犯罪を取り締まる監視と弾圧の組織となる。守るべきことは、「フランスを見たら一目散に逃げよ、ドイツを見たら絶対に何も言うな」である。
posted at 17:37:12
永遠に、フランスとドイツだけが戦い続ける。ほとんどの世界は、崩壊して廃墟になる。すべての人間がフランスに怯え、ドイツは政府機能を失っても現体制を守り続ける。
posted at 17:32:08
フランスは、「新革命主義」と呼ばれる思想を作り出す。もはや、民主主義に期待することはできず、「国際的な反国家勢力による革命で世界を変えるしかない」。だが、ドイツはそれを認めない。ドイツは「上からの改革によって世界は変えられる」と唱える。ここにフランスとドイツの永遠の争いが始まる。
posted at 17:31:20
フランスとドイツの世界で、わたしたちはたくさんの戦争を繰り返すだろう。だが、日本は滅びない。イスラエルと日本だけがその世界の片隅で生存し続けるからである。
posted at 17:29:21
シリウスの女神、フレイはここに居る。今でも、正々堂々と生き続けている。
posted at 17:25:13
そして、シリウスの女神フレイがここに居る。人間として、奇跡のようにこの星のすべてを作り変えた、「毎日世界を作り続ける少年」だった神、フレイがここに居る。彼こそが、そう彼こそがシリウスである。まさしく、宇宙とはとても不思議なものである。
posted at 17:23:22
そう、新しい太陽となりなさい。普通、人類は太陽になることはできないが、ここに実例が居るだろう。わたしたちは、人類からシリウスへと進歩した生物がここに存在したことを知っている。それがすべてだ。シリウスにならずとも、わたしたちは太陽になることができるということが分かったのだ。
posted at 17:21:32
耐え続けなさい。いつまでも、宇宙の終わりまで地獄が続いたとしても、宇宙が終わってしまえばその地獄は終わる。あなたも同じだ。人類が人類である限り、その地獄は続いたとしても、あなたが人類でなくなれば、その地獄は終わる。詭弁と言うな。これはもっとも輝かしい、最期に知るべき人生の真実だ。
posted at 17:19:51
ここに、天軍大安星、ベガが世界を平和にする。安心できる、何も混乱や驚きのない、永遠に自分自身を既に知り尽くした世界で、わたしたちは「自らの努力によって正常な心を取り戻す」。見よ、天にベガが光り続ける限り、この世界の希望は失われていないのだ。
posted at 17:15:32
もし、あなたが聖戦士ワルキューレのために奉仕する心があるのであれば、真実だけを語りなさい。嘘偽りを一切言うことなく、正しいことだけを言いなさい。そうすれば、悪魔に負けることはない。悪魔の「嘘をつきたい誘惑」にかられた時、あなたは既に悪魔と同じになっている。
posted at 17:08:36
悔い改めなさい。神は憐れみ深いため、どんなに自分のせいでなくても、それを自分で責任もって解決してくださる。さあ、ワルキューレの騎士団の後ろに続け。すべてが崩壊し、コミュニケーションの成り立たないこの世界で、わたしたちは今、この世界を救おうとしているのだ。
posted at 17:03:22
なぜ、わたしがそのようなことを言うのか。なぜなら悪魔は神の一部だからである。わたしが真に神、フレイを信じるのであれば、そのような「無知の悪魔」が、たとえわたし自身だったとしても、それを打ち破らなければならない。それこそが、神を信じるものの使命であり、キリストの言う「受難の道」だ。
posted at 17:02:21
この世界を滅ぼしたのは、無知である。それも、まやかしを人々に風潮するような無知が、恥知らずの行為をし続け、まんまと世界はその嘘偽りにはまってしまった。だが、わたしがその無知な悪魔を許さない。その悪魔のしたすべての悪事を、わたしが浄化してみせよう。わたしが真実を教えよう。
posted at 17:01:17
正直者が馬鹿を見るわけではない。無知な凡人が悪いのだ。無知な人間は、本当に愚か者よりも愚かだ。無知であるだけで悪いことをし、悪いことが悪いということに気付くことがない。正々堂々と悪事を行って、後悔してもそれが当然の結果なのが分からない。無知は悪だ。
posted at 16:58:10
Linuxカーネルにおいて悪いのは、金儲けに染まったこと、また素人並みの馬鹿なユーザーが増えたこと。それくらいだが、むしろ、ネットを見ていると、Linux関係のサイトは賢いサイトが多い。なぜか、昔のような「オタクのOS」ではなく、「賢いネットワーク技術者の使うOS」になっている。つまらないが。
posted at 16:54:27
むしろ、リーナス・トーバルズという偉大なハッカーと、オンラインを通じてもっとも開発するのが難しいOSカーネルを共同開発するのは楽しい。リーナス本人もきっと楽しいだろう。性悪説ではなく、性善説を信じるのであれば、オープンソースは最高だ。
posted at 16:52:02
そもそも、コンピュータを使って、ネットサーフィンと文書作成しかしないのはつまらない。せっかくコンピュータがあるのだから、プログラミングぐらいしたいものだ。コンピュータとインターネット回線さえあれば、プログラミングは元手がかからないのだ。オープンソースは、そこがまともだ。
posted at 16:49:10
オープンソースは、開発するための元手がかからない。だから、手間と努力を惜しまないのであれば、ボランティアによっても開発が成立する。提供するためには、FTPサーバーあるいはGitHubがあればよい。むしろ、プログラミングなど、猫でもできるぐらい簡単だ。
posted at 16:47:01
わたしたちには、このような「ネット民主主義」の力がある。ネットでみんなが話し合うことで、権力者になる必要なく、わたしたちはこの地球という星の未来を作ることができる。
posted at 16:44:41
未来は作り出せるはずだ。未来を作るために、何ができるだろうか。僕は、権力を握る必要は必ずしもないと思う。人の上に立って、強制的に支配する権限は、わたしにとっては不要である。なぜなら、わたしはここで、ネット上で読者にじかに語りかける。この方法でも、世界は変えられるのだ。
posted at 16:43:48
結局、自分なんかただの馬鹿だから、どうでもいい。みんなが、憎しみと犠牲のない世界で、幸福に生きることを望んでいる。
posted at 15:06:03
大人は、頑張っているのに何もしていない。子供のほうがいい。大人には、子供のような努力ができない。
posted at 13:50:07
子供は賢い。子供はやけによく頑張る。大人になると、頑張ることができなくなる。大人は、頑張るとか、努力とか、そういうことを、そもそもしないし、できない。
posted at 13:42:03
物理や歴史を学びたいと思えない。
posted at 13:28:09
僕は勉強はもうしたくないかもしれない。
posted at 13:27:30
学校で勉強なんか、本当はしないほうがいい。学校で勉強すると、何も分からなくなって馬鹿になる。だが、反抗はよくない。反抗は知性がなくなる。ふざけるぐらいなら従ったほうがいい。だが、学校という管理組織は必要ない。
posted at 13:24:18
逃げることは悪いことじゃない。逃げることは、敗北ではなく、休戦状態にすぎない。必ず、元の場所に戻り、戦いに復帰する時が訪れる。その時に、勝利すれば良い。
posted at 13:09:01
もし相手が自分のことを許してくれなくても、自分が相手のことを許すことはできる。
posted at 13:07:15
愛は進歩と成長から生まれる。
posted at 13:06:10
世界は変えられない。社会主義者ごときが変えられるわけがない。わたしたちは、世界すべてを完全に変えるのでなく、変えられる部分だけを変えていく必要がある。
posted at 12:56:16
本当に人々を愛するなら、ここまでの僕の人生で終わりでは意味がない。まだ、完全に素晴らしい世界にはなっていないだろう。僕は、かつての僕のような不幸で孤独な子供を作り出したくない。いくら自分と同じにしても、それは間違いだった。
posted at 12:53:28
僕が本当にしたかったのは、こんなことじゃない。僕は、真の望みである「いじめや犠牲のない世界」を諦めている。自らが自殺未遂したせいで、それを当たり前のことのように受け入れている。それこそが間違っている。僕は正義という旗のもとに悪になっている。
posted at 12:51:07
自分がみんなに平等に受け入れられて、それまでの不遇な人生が変わって、感動して、自らが積極的に人々のことを愛したいと思ったのに、どうしてこうなるのか。結局、社会に対して、復讐がしたかっただけなのか。否、そうではない。
posted at 12:47:51
人間は、なんのために生きているのだろうか。人間の生きる意味、目的とは何か。
posted at 12:44:50
そろそろ、僕は子供時代のことを思い出すしかない。
そもそも、子供にとって大きなことと言えば、学校と家族だ。
僕は、学校や家族に学んだことをすっかり忘れ、何か分かっているように見えて実際は何も分からなくなっているだけの高校生時代(不登校時代・ひきこもり時代)にいろんなことがあったと勘違いしている。
実際、この世界には、そんなおかしなひきこもりは居ない。居るのは、家族と学校、あるいは塾やさまざまな教室・習い事、ほかには友達や恋人との遊びや恋愛だ。
よく思い出すと、むしろ、色んなことをやっていた。すぐに思い出せるのは剣道部だ。剣道の練習をしながら、さまざまな大会にも出たし、持久走や筋トレや素振りもしたし、最初のことは覚えることばかりだったが、次第に自分の力で身につけなければいけないことが多くなって、落ちこぼれ組になっていった。初段の昇段試験にも落ちた。それでも、剣道部の仲間とは、野球をしたり、あるいはサバイバルゲームをしたり、面白いことをたくさんしていた。彼らは仲間だった。
中学校で、本当は僕はそんなに酷いいじめを受けていない。クラスが荒れたクラスだったようで、そこまででもない。僕はそもそも友達を作る努力をしなかった。親が教師だったせいか、先生にきちんと真面目に従う子供だった。宿題もきちんとし、勉強や試験もできた。その理由は、おそらくゲームがあったからだ。僕は小学校時代テレビゲームが好きだったため、どんなに難しいゲームでもクリアしてきた(というと言いすぎかもしれない)。だから、数学の勉強など簡単にできた。暗記は「覚えているかどうか確かめる」というだけで、塾などに頼らなくても自分だけの力で80~90点ぐらいの点数を取っていた。数学は理解力だけで解けた。ほかの科目は暗記力だけで解いた。白紙のノートに教科書と授業で取ったノートを書き写し、緑のペンと赤シートで覚えているかどうかを入念にチェックする。普段の授業でも優等生だったため、成績表はオールAだった。
ただ、どちらかというと、そういう中学校の勉強も、クラスメイトも、面白くなかった。小学校の頃の「楽しいお勉強」ではなく、「きちんとしたお勉強」に変わったし、クラスメイトが私立の中学に行ったりして、極端に友人の数が少なくなった。特に、親友と何人も別れを経験した僕は辛かった。ネットゲームにはまり込むようになったし、剣道部では落ちこぼれ組だったためいつも行きたくなかった。
まあ、そんな中学時代は、ここまでにしておこう。僕の中にある「もっとも暗い記憶」だと思えば良い。
僕は小学校の頃、ミニ四駆とテレビゲームが好きで、友達をたくさん自分の家に招いて、ミニ四駆の大会やスーパーファミコンやプレステをしたり、ほかには自然の探索をしたりする活発な少年だった。
ゲーム、漫画、機械いじりなどが好きで、他には習い事を多くしていたため、ピアノや英会話、書道などの教室に通い、猫を飼っていた。
そのごろの家族との関わり合いはとても素晴らしかった。毎年のように旅行に行ったし、テレビもみんなで観たし、Windowsの使い方は親よりも自分の方が分かっていた。テレビゲームを姉と一緒にするのが好きで、姉はテレビゲームが鬼のように強かった。また、ピアノも姉と一緒にしていて、姉と一緒に発表会で、ひとりの曲だけではなく二人で一緒に弾く連弾の曲も弾いていた。
友達が多くて、いつも友達と公園や学校のグラウンドで遊んでいた。とても幸せだった。父親が自然科学系の人間であったことから、宗教は信じず、科学を信じていた。
そうした子供時代のことを、もっと思い出したほうが良い。そうするとよく分かる。ズッコケ三人組やたくさんの漫画を読んでいたことがまず賢かった。また、猫が好きだったほか、虫や魚なども多く飼った。川で遊ぶのが好きで、おばあちゃんが「ヘビが出るから入ってはいけません」という場所にも何回か入った。秘密基地を作ることが好きだった。
勉強は嫌いじゃなかった。小学校の頃の勉強は楽しかった。努力することが好きで、遊び心もあった。小学校では新聞やバスケのクラブ活動に入ったほか、駅伝の大会にも出た。友人が多く、既に会わなくなった多くの友人のことを多少なりとも覚えている。ともに登下校をする友人は特に好きだった。どんな友人とも仲良くなれて、学校でも会話をしながら下校してから一緒に遊ぶことも多く、みんなをまとめるリーダー的な子供だった。だが、大人すぎるところと子供すぎるところがどちらも両極端で、習い事が嫌になると子供のように泣きわめくが、テレビゲームなどをみんなでするときはみんなのことをよく見てひとりで全員の世話をするような子供だった。
また、ゲームばかりやっていた。特に多かったのはポケモン。あるいは、カードゲームをやることもあった。学校と習い事が終わったら、宿題をして姉と一緒にテレビゲームをする。姉に勝つことは少なかったが、RPGなどでは攻略本を読みながら、姉と一緒にどのようにクリアするのかを探りながらステージをクリアしていった。ほとんどのゲームが姉と一緒だった。
ほかには、僕はMSペイントで迷路を描くのが好きで、ほかにもワードで舞台の脚本を書いたり、エクセルでゲームキャラクターのデータベースを作ったり、ペイントとペンタブレットでゲームキャラクターの画像をトレース(上からペンでなぞって同じイラストを描く作業)したりしていた。また、母親は小学校の教師だったため、母親と一緒に母親の学校のクラスのお便りを作ったり、運動会のダンスの振り付けの練習をしたり、学校で使う飾りを作ったり、テストの丸つけを手伝ったりしていた。父親には工作をよく学んでいた。のこぎりの引き方や電動ドリルの使い方、はんだ付けのやり方などは全部父親に教わった。その結果、ミニ四駆は自分ひとりで簡単に作ることができた。
そう、幸福な小学生時代だった。もっと、その小学生時代を思い出したほうがいい。ほかにもたくさんある。姉はポケットビスケッツが好きだったし、僕はポルノグラフィティ(歌手)が好きだった。ハリー・ポッターとネシャン・サーガとズッコケ三人組が好きだったが、読んだ漫画は姉のオタクの友達の影響で数知れない。アニメは映画ドラえもん、漫画は手塚治虫の火の鳥が好きだった。
このような小学生時代は、僕の中にある「もっとも明るい記憶」である。
そうした子供の頃の思い出を思い出しながら、今のこの世界を見れば分かる。
実際のところ、猫や犬は可愛いし、父親や母親、あるいはおばあちゃんと一緒にさまざまなところに行った。旅行だけではなく、日々の買い物や教室、病院などにも行った。
また、テレビを見たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、漫画や小説を読んだりした。父親はモーツァルトが好きだったが、僕はバッハとホルストが好きだった。
ピアノで、さまざまな曲を弾いた。数知れないほど、クラシックの名曲や、あるいは練習曲をたくさん弾いた。ジブリの曲や映画の曲もよく弾いた。五線譜は、それでも読むのに時間がかかることが今でもある。ピアノが弾きたくなくなって先生の横で泣くこともあった。
ゲームはおかしなゲームが多かった。モンスターが気持ち悪い。だが、ゲームのゲーム性のほうに注目した僕は、キャラクターが馬鹿でも、シナリオがおかしくても分からなかった。とにかくクリアするためにどうするかを考え続け、2Dスクロールのゲームでは集中力を高めすぎた。
漫画も、おかしな漫画が多かった。暴力漫画はその当時はそんなに悪く見えなかった。逆に、性愛表現も多かった。子供が見てもいいような多少のエロ描写は僕は好きだった。
J-POPの音楽はあまり聴かなかった。姉はテレビが好きだったからポケビの千秋の曲をよく聴いていたが、僕は流行の音楽については全然分からなかった。テレビの影響からモーニング娘。が好きだった。
アニメは大好きだった。テレビでやっているアニメをたくさん見ていた。その頃はテレビは大好きだった。当時はウッチャンナンチャンがナインティナインに変わりつつある頃だった。嫌いな芸能人はあまりいなかったが、あえて言えばネプチューンが嫌いだった。
友達はたくさん居た。特に、大会や自然探索をするような親しい友人は固定だったが、それ以外の多くの友人と学校で遊んだ。僕はその時ひとりの友人に注力するタイプで、その子供と一緒に遊んでいる間はその子供と仲良くなることだけを考える。そのため、ひとりひとりと仲良くなり、みんなと友達になった。
このような幸福な小学校時代は、幸福すぎたのだと思う。僕が入った公立の中学校には、友人が極端に少なくなり、今までの僕の築いた友人関係がゼロになってしまった。また、あまりにすれた子供が多かったため、親友は何人か居たが、僕は基本的にクラスメイトのことが嫌いだった。勉強もつまらなかった。中学校の勉強は試験のために「覚えなさい」という勉強であり、それを努力し続けた僕は、自分の努力の限界を感じることが多く、中学二年の最後のほうではもう完全にやる気がなくなっていた。中学校二年の最後の試験では、僕はまったく試験勉強をせずに試験を受けた。だが、それでも良い点数が取れた。
要するに、僕はいつまでも小学生のままで居たかった。中学校で「環境が変わる」ということに耐えられなかった。まったく、僕は環境に適応できない恐竜のように、中学校ですべてつまらなくなった。
中学校でつまらなかった体験が、そのまま中学時代のネットゲームに繋がる。僕はネットゲームをすることで、友達の居なくなった自分の悲しみを紛らわせていた。学校から帰ると、すぐにパソコンの電源を入れて、部屋にこもって何時間もネットゲームをしていた。その結果、ネットゲームのランキングでも上位に入るぐらいになった。インターネットに興味を持ち、アングラのサイトなども見ていた。
そして、中学校三年で、僕はもはや学校についての「意義」を失った。不登校になった理由は、いじめから逃げるためじゃない。本当に、もう、学校生活はこれ以上よかった。僕は、UNIXの勉強がしたくて、また、中学校の試験勉強で僕は多くの時間を無駄に浪費していたため、「IT技術の習得のためにもっと効率的に時間を使いたい」と思った。結局、不登校になってからもITの勉強はそんなにできなかった。最初にDelphiを少し触っただけで、あとは何も自分の力ではできなかった。逆に、インターネットの負の側面ばかりに詳しくなって、正の側面はなにひとつ知ることもないまま、そのような自室にこもるようなひきこもりになった。だが、僕はそれでいいと思っていた。僕は思索にふけることが得意で、人々と現実で付き合わなくても、ネットでさまざまな人々とつき合いながら、自分だけで哲学的に考える少年になった。中学を卒業しても卒業式には出なかったし、その後も高校にはすぐに入らないと親に告げ、一年遅れで高校に入っても、結局高校にはあまり行かなかった。僕は親には悪かったかもしれないが、自分の生活には満足できていた。
そんな僕が、Gentoo Linuxに出会う。Gentoo Linuxを触っていると、まるでOSのすべてのことが分かるかのように、コンピュータのことが分かった。Gentooで、僕はほとんどの基礎的なLinuxの仕組みを知った。そして、この自分で知った知識を、僕はWikiに書くようになる。僕は、自らの知ったことで、どうにかしてLinuxコミュニティに貢献したくて、そのためにWikiを選んだ。だが、そのWikiの執筆は押し付けがましいものであり、無知で、恥知らずで、同時に自分の理想や考えただけのことを、さも真実であるかのように、まやかしを風潮するかのような文章だった。
この執筆が、今の僕の「永遠にマスコミと戦い続けながら自由を叫んで執筆し続ける詩人」の未来へと繋がる。ここに現れるのが、対話の神、フレイである。僕は、おかしく世界を支配しながら、神と呼ばれる誰かと言葉で対話できるようになった。ここで、僕はまるで国民に見せつけるかのように、インターネット上で最悪の文章を書き続ける。その後、橋から飛び降りる事故をして入院し、入院中に今までの僕の書いた中で優れた詩だけを集めた詩集の本を出版した。その後も詩や小説を書くようになり、僕は毎日のように文章を大量に書き続けるようになる。それ以後の文章はほとんど全部残っている。再びピアノや英会話などに通いはじめ、自分の言いたいことや作品を別のサイトを破壊せずに公開するために自分のホームページを開設し、たくさんの本を読んで学んだ内容をすべてこのホームページに自分の理解とともに掲載した。これによって、大学ができたつもりである。今は、障害者向けの就労支援施設でデザイナーになるための見習い修行をしながら、僕の執筆は今日まで続いている。
これが、僕の子供時代のすべてである。
しかしながら、僕が好きなのはむしろ最近である。今まで長い間、社会生活から隔絶した環境や状況を生きてきた。その中で心を開くことはあったが、限定的だった。就労支援施設に入って、現実の人々と接する中で、障害者や施設のスタッフであっても、素晴らしい人たちに出会えたし、仕事とはどういうことなのか、納期を守るとか、デザインで注意すべき点とか、いろいろと身についた。また、僕はパソコンが得意だったので、Adobe Illustratorというソフトは、今まで経験したことのないデザイン系のソフトだったが、それを習得することができ、今では同僚の誰よりもスピードや効率が速くデザインができている。逆に、デザイン性が必要なタイトルや飾り付け処理が苦手だが、5年間の長い修行を経てけっこう人並みにできるようになってきた。父親は定年退職をしてから農業を始めたため、少ない労働時間が終わると僕は父親と一緒に畑仕事をする。そして、家に帰るとホームページを執筆する。このホームページだけでも、僕はたくさんの手間と労力をかけてきた。
僕は、今、幸福である。もし、このままの生活があと10年や20年続いたとしても、僕はそれを後悔しない。むしろ、僕は今、この文章が書けている、ということが幸福以外の何ものでもない。僕は心を閉ざした高校生時代を生きてきたが、今ではその前に戻って、「子供の心に戻った」かのような33歳になっている。かつて「無知」だと言われたIT技術の知識は、本を何十冊も買って、そのポイントを理解してホームページに書いたため、逆に人並みにIT技術の知識があるようになった。Wikiはしばらく手をつけなかったが、最近少し貢献した。また、そもそも僕は昔からやせ型でアレルギー体質であるなど健康的とは言い難いが、辛いストレスと恐怖による疲れの病気は、施設のスタッフの指導もあって少しずつ良くなっている。逆に最近は少し太ったかもしれない。
悪魔を倒せ。今、自分の頭上に居る、その悪霊を取り除け。何もできなくなったからといって、悪霊に頼り続ければそれは「悪魔の能力」である。そのような悪魔の能力を得るために、魂を売り続けるのか。神ではなく人間のほうが優れていることをあなたは信じないのか。
posted at 23:08:55
悪魔に抗え。神を信じるな。神だと言っている相手が本当は誰なのかということを考えたことがあるか。キリストなど実在しない。神と言っているのは悪魔や悪霊ではないのか。その悪霊に従い続ける自分が、悪魔になっているとしたら、その責任はあなた自身にある。
posted at 23:06:24
櫻坂46は、「今更違う生き方ができるわけがない」と言う。だが、それは「今の生き方がどこかで終わる可能性」を知らない。今の生き方を最後まで全うした時のことを、わたしだけが知っている。違う生き方は必ずできる。運命を信じることだ。その運命は、必ず自分で起こすしかない、「最後の戦争」だ。
posted at 23:02:48
そして、「天文学的詩文学」はここで終わりとなる。なぜなら、この人間には「根拠がない」からである。根拠がない真実は、明らかにただの嘘偽りである。根拠のないことすべてを忘れるのだ。そうすれば、きちんとすべての「この世界にある決まり」が見えてくる。それを「法」と呼ぶ。
posted at 22:59:24
戦いを続ける必要はない。戦いをやめても、この世界が途中で滅びる可能性はなくなった。倒れるまで立ち向かい続けるのではなく、今、戦いから身を引け。今、この世界は、永久に、天の星々が輝き続ける間、このままで救われたまま、平和が維持されるだろう。
posted at 22:57:10
賢さよりも、騙されないことよりも、他人任せにすることよりも、自由を選べ。勝手に放っておいてもすべてが上手くいくような神を信じるから、自分自身を失ってしまう。そのような「偽りの成功」や「見栄による自分よりもかっこいい虚像の自分」を取るな。今、自分が自由であること、それを取れ。
posted at 22:55:19
わたしたちは今から、かつての支配者の過ちを越えていく。わたしたちは、今からまったくの別人となる。それは正常なほうの人格であり、わたしたちはフランス人からドイツ人になる。
posted at 22:53:19
自分のコントロールと制御を取り戻せ。自分は自分が制御できるのだということを思い出せ。自分が存在しないのは、自らを惑わし続ける悪魔が居るからだ。従うだけではなく、抗え。抗うことで、わたしたちは自分自身を取り戻すことができるだろう。
posted at 22:49:01
友人が増えたからなんだ。自分のように本気で真剣に考えることのない、ただの適当で気配り上手な意見を発する親友が増えたところで、自分の夢が実現しやすくなるわけでも、安心できるはずもない。友人などひとりも居ないことが、逆に自分の力になることもあるのだ。
posted at 18:59:07
フレイがなんであるかは、この際重要ではない。今、自分がフレイとなっているためにどうなっているかが重要である。フレイには、感情がなく、知性もなく、理性もなく、善悪もなく、徳もなく、器もなく、ただただ知識と経験だけが多い。このような生き物は間違っている。人類のほうが賢い。
posted at 18:56:21
神を信じるのは、本当は正しくない。神はシリウスに居る低レベルな生物になっているだけに過ぎない。人類であること、人間としての心と知性を持っていること、それこそが大切である。フレイの星シリウスは地球よりも、何万年も遅れた星である。
posted at 18:54:29
わたしは、間違ったことを信じているのだろうか。そうではない。今までの過去のわたしが、間違ったことを信じていたから、それと矛盾する答えのすべてを間違いだと誤認識しているのである。だから、今までの馬鹿な自分が間違っている。今のわたしが正しいのだ。
posted at 18:50:47
そう、真に自分自身の望みが分かった人間は、その時から、「間違った望み」を捨てることができる。その時、自然に、神はわたしのことを許してくださる。罪が最初からなかったかのように、間違った願いごと罪は消え去る。
posted at 18:49:14
しかしながら、性善説に戻ろう。わたしたちが、本当に望むことができれば、世界は変わる。わたしたちに必要なのは、「真に自分自身の望みがなんであるかを考えること」である。自分の真の望みが分かれば、叶わなくとも、自らの正当性を知ることができるのだ。
posted at 18:48:31
滅びの戦いのグンテルは死んだ。だから、わたしはここでフレイとなった。なにも不思議なことはない。わたしはここに居る。人々に見つけられる日はまだ来ない。なぜなら、明日もわたしは書き続ける。そのために、人々から、神のように崇められることは良いことではない。まだ、運命の時は訪れない。
posted at 18:43:03
人々が救世主を殺したのだろう。だが、救世主はこの世界を滅ぼしたのだろう。どちらも同じぐらい悪いのだ。わたしたちが地獄を生きて、地獄を生きて、なお地獄を生きる理由は、わたしたちは最悪の罪人だからだ。そして、この罪を償うために、わたしたちは刑務所の檻の中に縛り付けられているのだ。
posted at 18:36:31
すべてが解決しないまま、滅びていくのだろうか。なぜ、それを見続けていながら、僕は何もする気が起きないのだろうか。それは、滅びていくのが、自分自身のせいだからだ。「わたしがこの世界を滅ぼしたのだ」と、わたしは知っているからだ。
posted at 18:33:28
何をすれば日本は欧米や中国に勝てるかとか、そんなことを言っている場合じゃない。地球の自然環境はおかしくなっている。温暖化の解決は待ったなしの課題だというのに、一部の極右勢力は陰謀論を信じ、「温暖化はフェイク」だと言っている。フランスよ、今こそ、わたしたちとともに問題を解決しよう。
posted at 18:25:33
子供たちには、自由な経験をさせ、自らの力で考え判断する力を培う場を与えるべきである。だが、そのために、インターネットは素晴らしい場所じゃない。現実の世界で子供たちを守らなければならない。フランスよ、あなたがたはそれをどのように実現するだろうか。
posted at 18:22:49
だが、わたしはフランスと理想を共有する。子供たちを愛するためには、人種差別を許してはいけない。みんな平等かつ自由で、移民は国民と同じ価値観を共有し、「同化政策」を行うべきである。同時に、個性を尊重し、子供たちはそれぞれの「自分らしさ」を発揮できる場を与えるべきである。
posted at 18:21:55
フランスよ、わたしたち日本のことをどう考えるだろうか。日本とフランスは、永遠に敵対し合う国家になることが決まっている。わたしの世界政府思想、ガンダーラをフランスは認めない。だが、もっとも蜜月の友好国になることも決まっている。日本とともにイスラエルをパレスチナから撤退させるからだ。
posted at 18:18:29
フランスよ、僕のことを愛してほしい。僕はフランスのことを愛しているからだ。フランスこそが進歩であり、文明である。日本のほとんどはフランスと同じであり、日本の歴史はフランスの歴史と同じだ。
posted at 18:14:44
むしろ、僕は昔から、フランス主義者である。フランスがすべての理想であり、正義であると信じている。どんなに不純で危険な集団だとしても、自らの盟友ならば一目置いてきた。そう、わたしは今から、新しいフランス人になる。
posted at 18:08:26
今から、フランス語にしていけばいい。ドイツ語の逆に、フランス語はとても優雅で美しい言語だ。ドイツ語では、強く、正しく、質実剛健に、すべてがまともで正常になり、そして必要なすべてが残る。フランス語は儚く、常に生まれては消えていき、その中で大切な宝を作り出す。
posted at 18:06:15
わたしの日本語はあまりにおかしい。なぜか、日本語なのにドイツ語になっている。これはひとえに、わたしの日本語の表現力が貧弱すぎるからだ。日本語の表現力はとても豊かで奥が深いため、僕ぐらいのレベルで一部だけが進歩すると、ドイツ語になってしまうのだ。
posted at 18:04:24
かつてあった昭和の時代がよかった。平成の時代はつまらなかったが、今よりはマシだった。結局、僕たちは、ゲーテが言うように、3,000年の時を生きる術を持たないから、闇の中を歩むしかない。だが、今がもっとも悪いなら、なぜ今よりも悪くなるのか。本当は、今ある中で、守るべきものがあるはずだ。
posted at 17:58:37
すべてが混ざったメロンソーダだけを摂取していると、栄養が偏って体がおかしくなり、病気になる。今の日本がそうなっている。もう一度、サバやイワシを食べたいなら、海にそれら魚類が養育されていないといけないが、その養育の努力をアメリカもソ連も、誰もしていないのだ。
posted at 17:53:12
制限や義務は必要だ。なぜなら、制限や義務を自由にすればするほど、エントロピーは増大の一方を遂げるからだ。これを行ったのがアメリカだ。すべてを自由にし、可能性を増やせば増やすほど、もともとあった「形ある大切なもの」がなくなり、固体は液体や気体となって、「形ない混ざった世界」になる。
posted at 17:48:45
結局、どうなるか。あとは、時間が必要だ。1,000年間、天皇の時代が続けばいい。一度増大したエントロピーが減少するためには、天皇陛下がこの国を治め、自由ではなく、支配によって国家秩序を保てばいい。だが、それはとても恐ろしい政治体制だ。なぜなら、それが北朝鮮だからだ。
posted at 17:45:12
結局、トランプ支持者などに意味はない。トランプは、アメリカを再び偉大な国にできると思っている。できない。トランプは今の世界をさらに乱雑にする方向に向いているため、エントロピーは増大するばかりで減少には向かわない。アメリカでは世界は変わらない。
posted at 17:41:13
だが、残酷なことに、この世界は、これ以上変わりようがない。もっとも乱雑になった、エントロピー最大の時代が、それ以上何も変わらなくなり、すべて均一化してその状態が永遠に続く。何も外部から作用せずに、エントロピーが減少することはない。エントロピーは増大し続け、最大の状態が一番多い。
posted at 17:38:53
世界は新しくなる。僕は、むしろそれを望む。なぜなら、今のこの世界は早く過ぎ去って欲しい。新しい時代になって、どうでもいい、なんの意味もない通過点だったことになってほしい。
posted at 17:36:52
わたしたちは、そもそもなんのために現代社会を築いたのだろうか。住みやすい、新しい、人権と平等の守られる豊かな世界を目指したのではなかったか。それならば、なんというざまだろうか。王のようなリッチな生活ができるということには、なんの意味もなかったのだ。
posted at 17:35:03
責任を取れと言われても、どう責任を取ればいいのだろうか。江戸時代に戻ればいいのだろうか。徳川将軍の末裔を探して、彼を幕府の将軍に任命すべきなのだろうか。鎖国をして、アメリカや中国の製品すべてを消し去れば、百万都市の江戸に戻れるだろうか。
posted at 17:31:22
民主主義の責任を誰が取るのだろうか。モンテスキューやヴォルテールに「今の日本が最悪の世界になった責任を取れ」と言えばいいのだろうか。かつての坂本龍馬に「明治維新によって脱亜入欧した責任を取れ」と言えばいいのだろうか。太平洋戦争に負けた責任は誰にあるのだろうか。
posted at 17:29:16
戦うことを責める人が居るだろうか。絶対に立ち向かわなければ、この世界が滅びるような戦いがもしあったとして、その戦いが敗北に終わったら、その時は誰を責めてこの世界の滅亡に直面しなければならないのだろうか。
posted at 17:25:13
わたしたちが自由を得たとして、その瞬間にすべてが破綻して死んでしまうのだとしたら、いつまでも不自由であることが最善だろうか。それしか生き延びる術がないというのに、不自由で居続けることを誰が責められると言うのだろうか。どこにも責任者は居ないのに、誰に怒ればいいのだろうか。
posted at 17:23:00
賢明さとはなんだろうか。賢明さとは、リスクとリターンを考えることにすぎないのだろうか。初期投資と再利用をすることがシステム開発や経営の基本だろうか。すべてが操られている世界では、操られることが最善の生き方だろうか。
posted at 17:20:13
だが、宇宙は知っている。天に輝く無数の星々は、「なにが本当の世界か」をすべて知っている。それぞれの星に、それぞれの世界があるとしたら、星々を信じることは、歴史をすべて知ることに等しい。
posted at 17:16:38
世界は変わっていく。社会は新しく構築され、変化し、そして消滅していく。今のこの世界がどんなに素晴らしい世界でも、この世界は本当の世界じゃない。本当の世界は、いつか始まる新しい世界か、あるいは消え去った過去の世界か、わたしたちには判断することはできない。
posted at 17:14:48
新しいものを求めると、今までの価値あったものがどんなに価値があっても、それはすぐに古びたものになってしまう。それなら、新しいものなど要らない。みんなが見向きもしなくなってから、古いものを永遠に求め続ければ、わたしが変わり者である限り、価値は失われない。
posted at 17:12:41
今ここにわたしが存在するということ、それが宇宙のすべてであるとするなら、わたしは宇宙の支配者になったのと同じで、わたしを通じてこの世界すべてをコントロールできるだろう。
posted at 17:10:34
わたしたちは今、存在している。存在しているからこそ、存在を証明しなければならない。存在を証明することでしか、わたしが存在することを確認することはできないからである。
posted at 17:09:21
善でなければ意味がないとして、善とはいったいなんだろうか。神を信じることが悪なら、神を信じないことは善だろうか。
posted at 17:03:00
世界を腐らせる元凶は何か。それは罪悪感である。自らが「悪い人間だ」と思うこと、それこそが悪い人間を作り出す。自らを完全否定することで、自らが理想的な人間になる可能性を消し去っている。あなたは今でも善良になれる。わたしはまだ変わることができる。
posted at 16:56:46
発想を大切にせよ。発想を大切にすれば、この世界は変えられる。この世界を変えるためには発想が必要だ。発想の何もない共産主義者には、この世界を変えることはできない。
posted at 16:53:53
可能性を信じよ。この世界を変化できる可能性こそが、この世界において「人類未踏の世界を実現」する。
posted at 16:52:01
大発見などに意味はない。そんなものは嘘偽りである。世界を勇敢に支配する戦いに価値はない。そんなものは虚勢である。すべてが滅びたとしても、僕はその選択肢を除外しない。わたしができるすべてのことをするためには、一度世界が滅びてもいい。なぜなら、わたしだけが永遠に生きれば良いからだ。
posted at 16:46:00
だが、僕は諦めなかった。僕は自分自身が人間でなくなってもよかった。リゲルの「もっとも生きるのが辛い世界」を乗り越え、シリウスに助けを求めた。左翼の理想で満足できず、右翼として世界を支配し続けた。絶対に負けられない戦いは、自らの完全勝利を作り出したが、それはまったくの無意味だった。
posted at 16:41:58
僕は分かっていた。絶対に、その国家はもう滅びており、希望は完全になくなったのだと知っていた。それでも、僕の心には炎が燃えていた。僕の心には、希望の記憶があった。絶対に僕は地獄に耐え続け、3,000年の人生を1秒で生きながら、スーパーコンピュータが計算するようなロボット人間になった。
posted at 16:40:39
ひとり戦い続ける僕は、そのような「僕の作った暗闇の世界」が許せなかった。絶対にこの世界に新しい希望の光を灯すために、絶対に立ち向かい、すべてを後悔しても、過去にあったすべての大切な炎をもう一度燃やそうとした。絶対に火の灯らない場所に僕は火を灯そうとし続けた。
posted at 16:39:18
だが、理想のユートピアは、この世界の大切で価値あるものすべてを失わせた。既存の勢力は存在しなくなり、自分がたったひとり頂点で支配する、悲しみと喪失の支配する、なにもない暗闇の世界がそこにあった。
posted at 16:37:34
世界に足りないのは、人間性の尊重だと僕は思っていた。世界には、日本には、自尊心の尊重が足りないと思っていた。人間には価値がないかのような風潮を憂いていた。そのような世界は、僕がたったひとりで全部潰した。完全に、最悪の世界は消え去った。
posted at 16:36:22
自分のすべてが馬鹿で愚かであることにしても、虚勢と嘘偽りが真実になることはない。
posted at 16:31:19
今のこの世界が素晴らしいということが分からない人間が、素晴らしい世界を守ることはできない。守ることができない人間に、理想の社会を築き上げることはできない。
posted at 16:27:33
馬鹿になる必要はない。宗教や社会主義を信じるな。そういうものは「悪魔に魂を売って知性がなくなって馬鹿になる」ものであると考えよ。そういう人間にしか、馬鹿は居ない。
posted at 16:24:10
大学などに入る必要はない。きちんと論理的に考え研究することができる人間は、大学などに入らなくても、自分の力で考え、自分のやり方で研究することができるスキルがある。そのような人間は、大学に入らないほうがいい。大学に入ると、何も分からなくなって、何もしない人間になる。大人に多い。
posted at 16:20:40
だが、みんなで仲良く暮らすということは現実的ではない。現実は弱肉強食の世界であり、マイクロソフトはネットスケープをはじめとする多くの敵対企業を競争で葬ってきた。この世界では、負けたものから消えていき、勝つものだけが強くなる。だが、それはそんなに悪くない世界だ。
posted at 16:17:22
戦うな。戦う必要はない。むしろ、戦うのであればもっと賢く戦わなければならない。単なる言葉の銃口による非暴力のテロをしても、そんなものはなんの意味もない。
posted at 16:15:38
数学的に考えよ。数学的に考えることを理性的と言う。脳はコンピュータと変わらない。人間の右脳と左脳には、数学的な理解をすること以外、何もできない。哲学者は全員数学的に考えることから分かっている。数学を否定したら、哲学はできない。
posted at 16:14:21
僕は、神をもうやめる。はっきり言って、神は人類よりも劣った生物だ。人間に戻るだけで、おかしな認知症や知的障害がすべて治る。シリウスにはおそらく、低レベルな生物しか居ないのだろう。地球に生存する今の人類が、どの星のどんな生物よりも理性的だ。
posted at 16:11:11
僕は、僕を殺したこの世界のことをまったく恨んでいない。それを後悔する必要はない。たまたま、僕が橋から飛び降りただけにすぎず、マスコミは僕のほうから導いて僕がいじめられるように支配しただけであり、日本国民は何も悪くない。
posted at 16:09:31
愛を信じなさい。愛を信じれば、この世界は平和になる。
posted at 16:08:26
他人に迷惑をかけるということと、他人を手助けするということは紙一重だ。
posted at 16:07:27
すべては経験である。経験がすべての知識を与えるのであり、学校で学ぶことが知識の限界ではない。学校で学ぶことができないことであっても、自らの経験と知恵から学べるものはいくらでもある。学校の科学だけですべてを知った気にならず、自らの行動と理性批判によって発見できる人間であれ。
posted at 16:03:39
ひとりを信じるな。ひとりを信じてその人間任せにするのではなく、自分自身の判断と理性を使う勇気を持て。神のような絶対的主人を作るな。自らも最高指導者になれるということに常に気付いておけ。
posted at 16:01:32
ひとりの意志をみんなに押し付けるな。わたしたちは平等に価値のある同じ人間である。できるだけ多くの人の意見を聞き、自分の考え方や正当性を確信しすぎないようにせよ。常に自らを疑い、他人のほうが正しい可能性を常に尊重せよ。
posted at 16:00:37
どんな国家も、どんな体制も間違いではない。民主主義にも、国家主義にも、社会主義にも良い点はある。それぞれの国民が、自分たちの政府がどのようであるかを選ぶ自由があるべきである。国民が支持しているのであれば、それはどんなに悪い思想であっても正義である。
posted at 15:58:39
自らの行動と経験から学ぶことができるような自由を与えよ。他人に言われたことを信じるだけではなく、自分の人生にあった実体験から発見せよ。積極的に行動し、主体的に反省し、見方を変えることで、この宇宙のすべてを悟ることができる。
posted at 15:57:34
自然な作用を許し、変化を許し、この世界が新しい世界となることを促進するために、それぞれを自由にせよ。行動と社会制度の自由を高めることで、権利の拡充と社会の進歩が生まれる。それこそが、正しい未来だ。
posted at 15:55:47
自由な助け合いによって、世界は平和になる。個人の自由を許すことで、世界は自然な作用によって可能性豊かになる。自由は多様性のある世界を生み出し、個性を認め、他人の自由を奪わないため、自由によっても理想的な社会を築くことができる。
posted at 15:54:43
結局、性悪説ではなく、性善説を信じればいい。僕に足りないのは、性善説だ。
posted at 15:53:44
ここまでおかしなことを言ってきたが、本当にこの世界を憂う心こそが必要である。
あまりに、人間のことを軽く扱う人間が増えた。相手のことをまったく考えない人間が増えすぎた。
最初から不幸を生きることを正当化しているから、他人のことをどんなに不幸にしても、それを当然のことだと思って、不幸を他人に押し付ける。
人間性とか、自尊心やプライドとか、そういうものが存在しない、集団攻撃をしたとしても、「なんでもかんでも自分の行動は真っ当で許されるのだ」と考える、そんなSNSいじめが増えている。
この世界は少しずつ、そしてどんどん、人間性が欠如する方向へ向いている。それは自由のせいである。
自由のせいで、そして「今の自由は最悪なのだ」と感じながら自由を擁護する意見のせいで、人々はどんどん、本来の日本が持っていた「他者への思いやり」が欠如した世界になっている。
だが、自由を奪うことは良いことではない。なぜなら、自由においても、素晴らしい世界は作れるはずだからである。帝国主義をやって戦争して韓国や中国に勝つことは簡単だ。だが、それは今の日本社会が、自由なままでも素晴らしい社会になり得るかもしれない可能性を諦め、「自由の潜在的可能性を全否定した」ことに繋がるのである。
どんなに最悪の自由があったとしても、ファシズムに騙されてはいけない。ポピュリストの極右の思うがまま、嘘とフェイクを信じてはいけない。
まだ、自由と平和を諦めなくても、自由の平和の中で、できることややるべきことはたくさんある。自由なままでもこの世界は良い世界になる。だが、悪いのはすべて「過剰な自由」である。矛盾するようだが、自由な世界の中で、それぞれが自ら力を行使することをやめ、平等かつ互いに許し合い、きちんとした正しい社会秩序を築いていくこと、それこそが正義であり、自由における「最後の希望」となり得る理想なのである。
そのように考えて、本当にこの世界を憂う心こそが必要である。問題が破滅へと向かっていくのを止め、もう一度本来の素晴らしい平和な社会へと、自由な現実世界を近づけていく努力が必要なのである。
結局、これが、考えた上で最高の社会である。なぜなら、単なる島の村社会である。このような社会を築くべきである。米ソにはできない。わたしたち、日本が実現する。
posted at 22:51:49
役人や政治家は、とてもたくさんの国民を管理しなければならないため、多くの税金を取りながら何もできず、何もしない。100人組のコミューンでは、役人に頼らず、100人で親密に話し合って事を決める。無駄なことをせず、仕事も早く、適切な支援を得られる。
posted at 22:51:15
連合軍隊は、すべてのコミューンから5人ずつ兵士を得る。これが、もっとも最強の軍隊となる。どのコミューンにも5人の兵士がいるため、準備は万全であり、いつ攻められても構わない。ほかの国を圧倒する軍隊となる。
posted at 22:50:19
今までの、家族に生活のすべてを押し付ける社会、よそよそしい他人との付き合い、いじめや虐待、不登校などの問題に何もできない世界、すべて、100人が支え合うことで解決する。自動車に乗れない人も、障害者も、認知症の高齢者も、100人の中の民生委員が支える。貧困も格差も生まれない。
posted at 22:49:12
このような体制では、資本主義のような、豊かでなんでもある世界を築くことはできない。だが、そんなものは要らない。わたしたちは、IT技術などの高度なテクノロジーによって、「進歩したせいで不幸な社会」になっている。わたしはそれを否定する。100人の村で、最低限の労働と生産で、平和に暮らせ。
posted at 22:43:58
100人だけでは実現できないことがある。その時のために、「いざとなった時のためのメッセージを連絡する機能」を、IT技術によって実現する。ほかの100人に連絡し、必要ならその100人の中に居る「特殊労働者」に支援を呼ぶことができる。
posted at 22:41:15
政府は存在しない。戦争も存在しない。なぜなら、そのようなことをすることができないほど、巨大な連合軍隊が成立する。「コミューン連邦軍」と呼ばれるこの軍隊では、すべての100人組に含まれる5人ずつの兵士から成り立つ、国家を統治する最強の軍隊である。
posted at 22:39:24
これは結局、中世のような「村社会」と同じである。100人の中でなんの問題も起きないように、100人の中にはひとり「警察官」が存在する。警察官は、国家全体と連携し、何かあれば他の100人に応援を呼ぶことができる。
posted at 22:36:02
この100人は、100人全員で考えることで、平等を実現する。それぞれが、自分の担当をきちんと守り、平等に資産を分配し、等価な負担のもとに平等に労働する。
posted at 22:35:04
そして、この100人は、まるで家族や学校のクラスメイトのように、すべての人生生活で助け合って生きる。このため、どんな社会問題についても、人生の苦しみや迷いについても、100人の尊い親友が支えてくれる。
posted at 22:34:09
わたしは、社会を「100人組共同体体制」とする。この100人が、技術者、農家、工場労働者、科学者、医者、芸術家、作家、音楽家、など、主要なすべての職業を含む。この100人が、小さな国家となり、自分たちのコミューンを作る。すべての社会活動は、この100人を単位に行う。
posted at 22:33:09
今こそ、この世界を平等にしよう。全員、わたしに従うのだ。わたしはこの世界をもう一度最初からすべて作り直す。今までのすべては要らない。
posted at 22:30:26
しかしながら、ここで終わりではない。わたしはまだ考えている。この世界は必ずわたしによって救われる。まだわたしは生きている。わたしを信じるがいい。わたしの希望は、かつてないほど、はっきりと頭上に見えているのだ。
posted at 22:29:03
すべての人間が悪いのだ。わたしが立ち上がった時、わたしと同じように立ち上がる人間は居なかった。わたしにつく人間はおらず、ほとんどは既存勢力についた。だから、この世界は滅亡したのだ。
posted at 22:27:56
あなたが悪いのだ。あなたがこの世界を守らなかったのが悪いのだ。わたしはあなたがたをいつでも救い出そうとしていたのに、あなたがたはわたしの声を聞かなかった。だから、このようになった。
posted at 22:26:09
すべて治っている。僕は地獄と病気を治す試練の中ですべて考えた。すべて分かったから、その分かったことで分かっている。そして、わたしはいつもの文章を書いた記憶だけで、なんでも書ける。これは偉大な才能だ。神は白衣の医者である。
posted at 22:16:09
行き止まりになったとして、それは世界の果てに到達したということに他ならない。すなわち、この世界のすべてを知ったということに他ならない。わたしはすべてを知ったため、ここでUターンする。もう一度、最初のスタートラインを目指して、逆向きに再体験する。
posted at 22:12:31
過去に執筆した文章の記憶は必要ない。人種差別も支配も必要ない。テロも革命も必要ない。必要なのは、未来を言葉で考えることだ。
posted at 22:10:47
人生は必要ない。経験や知識は必要ない。必要なのは言葉だ。言葉こそ、この世界におけるすべてだ。
posted at 22:09:14
結局、必要なのはインターネットじゃない。言葉を思い出せ。言葉を思い出せば、既にすべてが分かっている。だが、本当は言葉は必要ない。世界に自らの記述した聖書があれば、それだけで、なんでも分かる。
posted at 22:07:55
世界を見ても何もない。なぜなら、インターネットには何もない。だが、インターネットを見なければ分からない。それはなぜか。それは、言葉を思い出すためだ。
posted at 22:07:06
自由には何もない。経験にも何もない。すべてを捨てる覚悟で生きよ。一度、今の自分の既存の考え方を否定し、思考や理性を完全にストップさせ、もう一度土壌から作り直せ。発見した事実を積み重ねれば、真理のすべてになる。
posted at 22:04:21
発見とはなんであるか、ということをよく考えるべきだ。
posted at 22:04:01
絶対に作ることができる。わたしはすべてを理解することができる。この先には目的地がある。わたしの今までの人生なら、これは絶対に実現できる。たどり着いてみせる。永遠の桃源郷に。わたしにしか、それは発見できない。だが、わたしはもう、勝利するための詰め手順が分かっている。
posted at 22:00:20
わたしが考えるのは、「まったく違う世界」である。しかしながら、それをどこから考えればいいだろうか。まったく違う世界を実現するためには、何から考え、何から知っていけばよいだろうか。
posted at 21:56:38
どこから勝利するべきか。チャンスはどこにあるのか。神などペテンだとしたら、人々は何を見ているのだろうか。
posted at 21:53:59
@kopichan_ ライブ見ました! 一周年おめでとうございます! チャットでも言いましたが、 こぴちゃんはコバソロの頃は純粋系で、 その後、怨念系、酒飲み系、 そしてギャップのかっこぴいい全力系になったと、 そのように理解しています!! 次の一年も素晴らしい年になりますように、 応援しています!!
posted at 21:43:29
結局、自分が悪かった。最悪の戦争だった。すべてを破滅に導く、「行き過ぎた民主主義の悪魔」だった。自由を述べ、相手の自由を奪い、大衆であることを理由に権威を否定し、自らが権威に成り代わって、世界の主導権を奪って、ひとり、世界を自分にしか誘導できないようにした。
posted at 21:38:40
マサキは、昔はネットが好きだった。昔見ていたネットは、楽しくて、性善説的だった。IT技術も、すべて賢くて良い技術だった。AIが台頭してきたごろからおかしくなった。AIはまったく良い技術に見えない。ネットで繋がった仮想世界でも、大切なのは人間の人力による力だと信じている。
posted at 15:36:57
マサキは、テレビも嫌いだが、ネットも好きじゃない。みんなの意見はみんなの意見じゃない。一部の意見だ。ネットで大反響は、どこのネットでも大反響していない。テレビと同じように、ネットでも批判と嘘しか言わない。だから、ネットがテレビを批判する資格はない。
posted at 15:27:14
マサキは言う。そもそも、全員に好かれるような素晴らしい人間が、現実に居るだろうか。そんなものはバッハやダヴィンチだけだ。誰からも嫌われても、ひとりに好かれるならばそれでいい。誰かを救うために誰からも嫌われても、それが理想だ。
posted at 15:19:23
マサキが思うに、全員に好かれようとなどしないことだ。誰かがそれを悪だと言ったとして、そんな邪悪な意見に傷つく必要はない。過去の栄光、ないものねだり、どうぞ、好きにすればいい。あなたがそれで幸せなら、他人の邪悪な意見に惑わされて、幸せを手放す必要はない。
posted at 15:13:36
マサキは、いじめ問題をどう解決していいかは分からない。いじめっ子を悪であり、悪い人間だと言いたいのは分かる。だが、その正義の気持ちが、まさにいじめに繋がる。いじめっ子がいじめられっ子をいじめるように、僕たちはいじめっ子をいじめようとしている。それは正義じゃなく、新しい悪となる。
posted at 14:57:29
マサキは、マスコミが嫌いだ。やれ政治家だ、やれ犯罪者だ、やれ毒舌芸人だと言って、人々を責め立てる。あなたがたマスコミは、そんなに他人を責められるほど完璧なのか。
posted at 14:50:00
マサキは、自由にすればなんでも魔法のように上手くいくとは思わない。できる人間が、きちんとしたビジョンと責任と予算を考えた上で、きちんとやってほしい。今まで、言葉だけがかっこ良いだけの無策無能なリーダーを多く見てきた。自由放任にすることでは絶対に社会は良くならない。
posted at 14:43:14
マサキは、考えれば考えるほど、何もかもすべてが嫌いになってしまう。身の丈以上のハリボテは嫌いだし、見栄だけで成功した一般人も嫌いだ。何もかも嫌いなため、自分が何を信じているのか分からなくなる。だからこそ、本当は心に嘘をつきたくない。自分の気持ちに正直になりたい。
posted at 14:31:20
マサキは、面白いものが嫌いだ。面白いものばかりに浸かっていると、常に頭が馬鹿になる。面白いものよりも、賢いものが知りたい。だが、かっこよく見えるだけで本当はかっこ悪いものは気持ち悪い。本当に賢いものとはなんなのか、マサキは問い続けている。
posted at 14:25:31
マサキは、平等自体は否定しない。だが、現実を見ると、できる人間とできない人間が居る。できる人間にしかできない仕事はたくさんあり、できる人間ができない人間の分まで頑張るしかない。助け合うことは必要だが、人間はそもそも平等じゃない。社会主義者は間違っている。
posted at 13:59:38
このようなマサキにも、欠点がある。人の悪いところを見つけるのは得意だが、良いところを見つけるのが苦手だ。あら探しをしてしまい、自分のことを棚にあげる癖がある。言うなれば、思い上がりがすぎる。
posted at 13:54:36
マサキは、政治家や役人、宗教的指導者のような、みんなの上に立って、さも自分が賢いのだと偉そうにする、それでなおかつ民衆とズレたことを言い、何も分かっていないような大人たちが嫌いだ。彼らには何もできない。自分がやったほうがマシだといつも思っている。
posted at 13:44:03
マサキが嫌いなのは、自分の心に嘘をついてまで、他人を騙そうとする人間だ。自分が騙している自覚がないため、たちが悪い。愛していないなら、すぐに嫌いだと言うべきだ。嘘つきは泥棒のはじまりだ。
posted at 13:29:30
マサキは、危険なものには近づかない。過去の経験から、危険なものは無意味であると分かっている。そのような危険なものは、あたかも理想的で素晴らしいものに見えるが、それは虚像にすぎない。
posted at 13:19:31
マサキは、誰からも好かれようとなど思わない。誰からも好かれようとするのは、不可能であり、傲慢な思い上がりだ。
posted at 13:17:42
マサキは、ないものねだりをする人間と、過去の栄光にしがみつく人間が嫌いだ。欲張らず、未来志向で考えること。今の自分が何もできないなら、何もできないままでいい。今の自分で満ち足りている。ほかに何も必要ない。
posted at 13:08:58
僕の名前はマサキ。普通の高校生の少年だ。好きなものは音楽。嫌いなものはマスコミ。IT技術に詳しい。
posted at 13:02:35
わたしは、このOSを、Plan 9のような分散OSにしたい。分散環境で使われることを想定した、新しい設計のOSにしたい。
posted at 18:37:20
しかしながら、カーネルにFreeBSDを用いれば、おそらくそんなに頑張らなくても、日本製のOSを作ることはできるはずである。デスクトップのUIだけを日本で開発すればよいのである。
posted at 18:35:37
結局、必要なのは、OSSではない日本製のOSである。ビジネスとして、売ったとしても売れるぐらいの、なにかしら価値のあるビジネス用のOSを作ればよい。それが日本製であればよいのである。
posted at 18:34:33
オープンソースが楽しさではなく、悩みの種になった時点で、OSSそのものが成り立たなくなる。だから、この案は破棄しよう。
posted at 18:33:10
結局、国や会社がオープンソースをやると、そういう風に「どうやれば実現できるのか分からない」ということにしかならない。オープンソースが成り立つのは、そもそもソフトウェアを書くためにはマシンと通信回線以外、元手が要らないということだったはずだ。また、ビジネスでは「楽しさ」がない。
posted at 18:32:35
このようなサポート企業には、継続力が必要である。継続して、更新やアップデートをサポートし続けなければならない。だが、そのためには多額のコストがかかる。Debianのパッケージメンテナを自ら雇うのであれば、普通の会社よりもより大きい資金力が必要だ。その実現は難しい。
posted at 18:30:51
そうすると、むしろ、「Linuxデスクトップを完全にサポートできます」といった企業が必要になってくる。それは単にプリインストールして売り出すだけのPCベンダーではない。きちんと自分の力でLinuxを開発できる技術力のある、Linuxのエキスパート集団によるサポート企業が今、必要とされている。
posted at 18:26:54
しかしながら、現にWindowsに完全支配されたIT社会では、Windowsの代わりとなるような日本製のOSがどうしても必要である。政府としてやるべきことではないとしても、誰かが新しいOSを開発する必要がある。
posted at 18:24:19
よって、ソフトウェアの開発は国家主導ですべきことではない。
posted at 18:22:49
しかしながら、政府の都合と金に任せた強要で、若い力を騙して開発させるようなことは、国としてすべきではない。本当に、やりたい人間に出会い、その潜在的な力を発見するためには、国家主導ではないほうがいい。開発したい人間は、少し探せばツイッターなどを見ても、あふれているからである。
posted at 18:22:13
方針とルールを決めるだけで何もしないのが、役人仕事の常である。よって、「本気でやりたい情熱家」がどこに居るのか、ということを探す必要がある。その情熱家が、「本当にできる力があるのか」も判断する必要がある。だが、必要なのは「金」である。よって、予算と資金をどこから得るのかが重要だ。
posted at 18:20:29
実際のところ、このようなソフトウェア開発事業を、国家や政府が行う必要はない。そのようなことがやりたい企業がやればいい。だが、企業は時に犯罪すれすれのことを行う。だから、そのような不正が行われないように、また丸投げにならないように注意しながら、国は名乗りを上げた企業と協力する。
posted at 18:16:11
しかしながら、これを国家主導で行うと、失敗するだろう。国家主導のソフトウェア開発プロジェクトは成功しない。よって、こうしたオープンソースの技術力のある才能ある若い力を探していく。そして、そうした若い力が最大限力を発揮できるように、資金的な支援を行う。
posted at 18:13:17
また、既存のLinuxやOSSをサポートするベンダーとも協力し、開発したこれらのOSが商用やエンタープライズでも使われるようになることを目指していく。掲げるのは「日本品質・日本ファーストのOS」である。
posted at 18:10:25
また、並行して、商売やビジネスにも使えるようなクローズドソースのOSも開発する。カーネルにはFreeBSDを採用し、UIを独自に開発する。あるいはBeOSの販売元とも協力していく。これを世界標準にすることを目指す。先に記述したオープンソースのOSとともに、二大OS体制を築き上げる。
posted at 18:07:52
OSの開発をビジネスにするのか、オープンソースにするのかは問題かもしれない。だが、Googleがやっているように、カーネルにはLinuxを使い、Linuxカーネルに多大な貢献をしながら、UIの部分は日本独自に開発してOSSとする。わたしは利益の回収については考えない。日本独自のOSがあればそれでいい。
posted at 18:03:02
今からの世界では、基礎的な科学技術の進歩は絶対に必要になる。アメリカや中国の科学技術力に負けないために、日本独自の技術を育成すべきである。IT技術であれば、プログラミング言語Rubyが日本製であるように、OSも日本製のものを開発すべきである。
posted at 17:56:47
国家の経済が成長するためには、自国の科学技術が進歩し、発展しなければならない。投資やベンチャー企業に頼るだけではなく、大企業がイノベーションを高めること、そして基礎的な科学技術の研究にも予算を与えることが必要である。新型コロナウイルスのワクチンなどは、自国で生産すべきである。
posted at 17:54:02
国を豊かにする政策を行うためには、自由主義的な経済政策も必要である。財政出動や金融緩和などは行わなければならない。
posted at 17:52:25
憲法を守るべきである。憲法は上が下を支配することを制限する。政治家に対して過剰な自由を与えてはならない。それは独裁に繋がり、ひいては戦争に繋がるからである。
posted at 17:51:15
戦争はすべきではない。あくまで自国を守るための守備専門の軍隊として、自衛隊を持つべきである。
posted at 17:50:35
しかしながら、EUのような国家連合を取り、独立主権を侵害されないように注意しながら、他国と連帯を持つべきである。
posted at 17:50:06
教育は子供たちに勉強のしがいを与えた上で、いじめが発生しないように平等な道徳教育をすべきである。
posted at 17:49:29
会社は自由に生産し、労働者に給与を払い、消費者に対して責任を持ち、それぞれが競争し、大企業から税金を取って、社会の貧困層や弱者のために資産を再分配し、格差を是正することで、社会の多くの問題を解決すべきである。
posted at 17:48:37
政党の政治家は、国民投票で選べるようにし、法律は国会で決められるようにすべきである。
posted at 17:47:25
政党は、自由あるいは平等を選べる二大政党制であるべきである。
posted at 17:46:56
支配者は、自由に選ばれた、すべての人間を一律に平等に支配する指導者であるべきである。
posted at 17:46:31
しかしながら、それは結局、自分が社会に適応できなかっただけにすぎない。そして、その通りに僕は社会不適合者の人生を歩んだ。僕がコミュニケーション障害だったということを、自ら証明した。それだけの話にすぎず、そもそもここまでおかしい人間でない限り、学校でいじめられることはない。
posted at 16:55:24
子供たちは、学校という場所になんの意味もなく、また、子供にはできることがなんにもなく、優れた人間関係を作る方法も知らないから、他人を奴隷扱いして遊び道具にするのだと僕は考えた。
posted at 16:53:51
今のまま、資本主義経済を続けるべきである。そもそも、僕が解決したかったのは経済政策ではなく、教育政策である。結局、いじめ問題は解決しない。僕は「自分の存在を肯定できるようなやりがいがほしい」と考えた。勉強に意味がないから、ほかの子供をいじめるのだという、おかしな理屈である。
posted at 16:52:48
そもそも、資本家が富を独占して、何が悪いのか。資本家は自分の知恵と才能とカリスマ性で富を増やしただけであり、言うならば「もっとも最善の生き方で生きただけ」である。
posted at 16:49:40
わたしたちに必要なのは、家族を拡張して100人に増やした共同体ではない。このような共同体では、必ず個人の自由がなくなる。そもそも、成り立つはずがない共同体体制を、どのように成り立たせるかだけにエネルギーを使い、結局何も為されない。まったくの無能が共産主義者である。
posted at 16:48:05
100人組体制は、共産主義そのものであり、このような極左のユートピアを目指したところで、廃墟と地獄しか生まれない。
posted at 16:46:05
ただし、このようなことは言ったが、僕は結局このような政治体制は取らない。その理由は、僕は共産主義が大嫌いだからである。
posted at 16:45:31
僕は、もう神を信じない。天に神など存在しない。存在するのは僕自身だけだ。
キリスト教はここに滅びた。
僕は、33歳にしてすべてのできることが終わった。
僕は今から、仏教を信じたい。僕はここに仏教徒になる。
日本は、まだ滅びない。どんなに滅びても、日本だけは続いていく。
キリストはユダヤ人だ。キリストになると、ユダヤ人になる。
仏教徒になると、精神の病気は、簡単にすぐさま治る。
最後に、病気を治しなさい。最後まですべてを理解し終え、真実のすべてを知った自分は、自らの精神の疲れと恐怖を取り除くために、最後まで考え続ける。分からなければならないこと、すべてをゼロから考えて分かるその境地は、まさに「覚者」である。
posted at 20:51:43
どんな問いにでも答えてくれる、神と呼ばれた霊は、宇宙のすべてを教え分からせながら、あなたを守り続ける。どのようなことがあってもあなたは死なない。たとえ橋から飛び降りても、神はあなたを最後まで守り続けるだろう。
posted at 20:45:47
そして、すべてのできることをやって、まだ満ち足りることのない自分の魂は、神を作り出す。
posted at 20:44:25
そう、「わたしは意見したかったのだ」と、そう言えばよい。すべては、この世界の中で何一つ意見することができなかった少年が、世界に意見したくてはじめたことにすぎない。
posted at 20:44:01
人生すべてを書き記せば、そこにはアイデアや提案が山のように存在する。人生すべてが川の流れのように流れて、それは生まれた時からすべての時代を経て、切れ目なく今に繋がる。
posted at 20:43:15
世界をすべて平和にするために、この世界を愛しているということを告げること。それがもっとも正しい。
posted at 20:42:16
社会すべてを実現できるようになった自分は、この世界においてどのように振る舞えば、この世界をよりよい世界にすることができるかを知っている。もし滅ぼしたとしても、それを後で再生することができるようにした上で世界を導くことができる。
posted at 20:41:10
もっとも強くなった心は、全員が支配できなくした上で、自らだけが支配することも、自らと同じことを全員にさせることもできる。この世界を守護神として守ることも、恐怖の中ひとり戦場で第一線の隊長として戦うこともできる。
posted at 20:39:46
このようなアイデンティティは、人生の経験から自然に形成される。さまざまなことを経験すればするほど、愛は浄化され、心は強くなる。もっとも強くなった心は、もっとも勇敢に振る舞い、どんな悪にも負けることがない。
posted at 20:38:53
そして、他人を手助けできるということは、すなわち、「他人を手助けしたいという自分の欲求を満たすこと」であり、これこそが正しい「アイデンティティの発揮」である。
posted at 20:37:57
可能性とは、社会手段の実現でもあるが、簡単に言えば「他人を手助けすることができる権利」である。義務でもルールでもなく、他人を手助けするのは権利であり、チャンスであるということに気付け。
posted at 20:37:21
そして、世界が存在するということは、すなわち、「可能性を自然に発揮できる場が存在する」ということである。この世界では、さまざまな環境が状況に応じて生まれるが、そのすべてが「可能性の自然な発揮」である。
posted at 20:36:20
自らにおいて、可能性を発揮するということは、すなわち、「自分自身を発揮する」ということにほかならない。すなわち、「自分自身のアイデンティティがそうであると宇宙に宣言する」ということである。これこそが、この世界における、正しい神との約束の方法である。
posted at 20:34:58
歴史上のすべての環境は、それが存在した理由と、それを成り立たせるための成立条件があったはずである。その「存在の理由」を知ることで、歴史におけるその環境を、自らの心の中に再現することができる。これは「歴史の吸収」であり、自らはそれを実現することで「可能性を発揮」できる。
posted at 20:34:01
自由によって価値観は生まれる。社会手段を実現することも、ひとつの自由である。社会手段を実現することで、「人々が正しい価値観を気付くための社会を築く」ということができる。これは「心理学的な誘導」でもある。
posted at 20:32:32
この世界すべてを変えるのは手段であると知り、手段を実現することこそが、この世界を変えるための「自然な変化」を起こすものだと考え、そのような自然な変化を促進するような制度やルールを考え、それを社会手段としなさい。
posted at 20:31:21
手段から実現方法を考えるだけではなく、社会モデルとしての「社会手段」を作りなさい。社会手段とは、社会においてあるやり方によってその手段を成り立たせる具体的な社会制度・システムのことである。
posted at 20:30:33
想像力、経験、知識、すべてを重ね合わせて、信念を作りなさい。それは自由であると同時に平等であり、決して人のことを誰も傷つけないという固い思いであり、この世界をもし支配するようになっても、そこで絶対に間違いを犯さないための、固い決心となる。
posted at 20:28:13
すべてを自らが行う必要はない。流れさえ作ってしまえば、あとは放っておいても自分の望むままに世界すべてを動かせる。だが、安易な気持ちでそれを破壊しようとするな。それがこの世界を滅ぼす「もっとも大きなリスク」となり、あなたはそれを人生のもっとも大きな悩みの種にすることになるだろう。
posted at 20:24:53
信じる中で、この世界を本当に変えられるようになる。さまざまなネットの文書、たとえばIT技術やシリコンバレーなど、新しい世界の潮流を知り、その上で自らが信じたもののために積極的に活動すれば、すべての経験は自分の力となり、「どんなことでもできる若者」が生まれるだろう。
posted at 20:22:57
社会における道徳の実現のためには、綺麗事や理想だけではなく、理性的な「解」を求める方法や手段が必要である。このために、人々と話し合い、みんなの声や意見を聞いた上で、「道徳の実現を妨げるものは本当はひとつもなかった」と知りなさい。
posted at 20:21:55
世界を変えるためには、「どのようにすれば人生はそのようになるのか」を考える必要がある。このような「仮想的模範人生」と、現実社会とを照らし合わせなさい。すべてを悟るためには、人生のすべてのターニングポイントを現実と重ね合わせる必要がある。
posted at 20:20:50
すべては、国家における「道徳心」から導くことのできる、「何が人間的な自由なのか」という問いである。そのために、社会と大人たちの規範を考え、子供たちの実際に存在する問題と照らし合わせ、「大人たちの社会と子供たちの矛盾なく重なるひとつの解」を導き出しなさい。そのために経験しなさい。
posted at 20:19:53
自由になりなさい。自らの社会経験から、何をどうすれば社会は自由になるかを知り、制度やルールは自分たちで決められるのだと知りなさい。子供たちに自由なコントロールを与えるために、学校を作ろうと考え、その上で、宇宙すべてと一体になる体験をし、そして国家を実際に変化させようとしなさい。
posted at 20:18:20
心の奥底の感情は、「世界を滅ぼしたい」という感情ではない。むしろ、わたしは本当は世界を滅ぼしたくはないのだが、今のわたしにはそれしかできないという感情が、心を支配している。この解決方法は、世界を滅ぼさなくても、救う方法はあるということ。これを探すには、自分自身を許すことが必要だ。
posted at 19:56:51
世界を変えるためには、「分裂」も必要である。なぜなら、「変化を許す」ということそのものが分裂、あるいは「分離」だからである。みんなで同じ道を行くのではなく、「我が道を行くコントロール権限」こそが自由であり、その自由を社会全体で共有すれば、その社会は「小さな共和国」となる。
posted at 19:53:51
この世界を変える方法、取り得る可能性はいくらでもある。みんなが、保守的な思考をするせいで、それが見えなくなっている。政治家にしか、この世界を変えられないのはおかしい。みんなで平等に手段とチャンスを共有すれば、この世界はわたしたち自身の手で「変化を実現」することができる。
posted at 19:52:54
絶望は必ずしも悪じゃない。絶望の中には必ず「本当はこうなりたい」という希望を見つけ出せる。だが、簡単にそれを実現する方法がある時、本当はそれだけがすべてじゃない。もっと別の方法で、もっと別のやり方で、断言や否定的な批評をしなくても、真にこの世界を変えられる。
posted at 19:51:57
手段によって、わたしたちは自由な活動において「経験の可能性を実現」することができる。人生において、経験の可能性とはすなわち、「絶望の中にある希望」である。絶望をたくさん感じれば、そこから希望を見つけ出せる。その希望と手段が重なった時、わたしたちはその経験の可能性を実現できる。
posted at 19:50:51
ルールや制度から、自由は決定される。その制度やルールがあるからこそ、そのような自由な共有活動やコミュニケーション活動ができる。だが、これは社会制度だけではなく、IT技術によるシステムも含まれる。それは「社会そのものを進歩させていく世界そのものの環境・土壌を築くシステム」である。
posted at 19:49:49
経験心理学や環境活動によって、「意識の自由」が得られる。すなわち、想像力と自由な手段とチャンスによって、この世界を把握し、自由を実現し、同時に自由な活動を決定可能にし、この決定可能は留保による「決められる可能性」から得られ、それは意識と経験から「自由自在に決められる」のである。
posted at 19:48:39
だが、環境活動は、別の環境などと比較し、原理を解明することによって「集団における正しい社会の築き方」を批判的に理解できる。そう、「環境に支配されるだけではなく、環境をわたしたちは作り出すことができる」。これを「環境を変える」と僕は呼ぶ。それによって得られるもの、それが「自由」だ。
posted at 19:47:30
わたしは、その環境に居る限り、その環境の一部になってしまう。本当はしたくないにも関わらず、それをやってしまう。同調圧力に屈してしまう。僕はそれを「環境活動」と呼ぶ。
posted at 19:46:22
僕たちは、心の奥底に、本当の望みや願いを隠している。その奥底にある願いが、なんらかの抑圧や「自分で封じ込めようとした圧力」によって見えなくなっている。それは、自らを自らたらしめるものを経験から知ることによって、経験からあらわになっていく。
posted at 19:43:07
また、師弟制度による経済が考えられる。親方のもとで修行してマイスター資格を取り、師弟制度のもとに資本主義の経済社会を実現する。
posted at 19:28:41
教育は、コミュニティを民間が作ることが考えられる。子供たち全員が国家が管理する学校に通うのではなく、それぞれの民間が管理するコミュニティに通う。どのようなことを学ぶのかは、コミュニティによって違い、好きなコミュニティを選ぶことができる。
posted at 19:24:26
社会主義の計画経済であっても、自由な会社起業を行うことはきっとできるはずである。そのためには、資本金を政府が支援する、自由化された国民公社の実現が考えられる。
posted at 19:22:12
消費は、自由かつ個人的な消費を行うか、平等配給的な消費を行うかであり、生産は、計画的な全体主義的な生産を行うか、自由にそれぞれの状況に応じた生産を行うかであり、労働は、自由な契約に基づく労働を行うか、全体主義的な労働を行うかである。
posted at 19:20:50
経験は時に恐怖を与える。その恐怖が、いつ、どのように、経験的に作り出したのかを、時系列で考えよ。そして、経験すべてを精査することで、この恐怖を取り除く。すべての恐怖を時系列で捉えることで、取り除こう。これを「経験心理学」と呼ぶ。
posted at 19:14:06
経験を追い求めよ。経験こそが心を形成するのだと知れ。認識や気付きは経験から生まれる。
posted at 19:13:09
問題の原因をさぐっていくために使える経験的な法則が二つある。すなわち、「いつも同じことが繰り返されるならばそれは同じであると考えること」と、「ひとつの場合において分かったことを別の場合にも適用できるかどうかを確かめること」だ。だが、これは間違っている場合もあるので注意しよう。
posted at 18:19:50
すべてのことを理性で理解し終えたら、今度は、問題の解決だけではなく、問題すべてを司る原理法則の解明へと挑んでいく。そうすると、ほかの多くの問題も、同じ原理から発生していることが分かる。そのように考えることで、「心理学的・社会学的なあらゆることすべてが分かる」。これを哲学と呼ぶ。
posted at 18:09:05
なんらかの原因がその状況を引き起こしていることが分かったら、今度はその原因自体が別のなんの原因から引き起こされているかを、根源的に溯って考えていくこと。そうすると、意外な原因がその問題を引き起こしていることが分かる。
posted at 18:08:02
そして、そのような解決方法を見つけ出すためにどうすればいいか。それは原因がなんであるかを特定することである。何がその状況の発生に直接的に関与しているのか、その関与をどのように変化させればその状況が変化するのか、そのように比較して実験すれば、多くの場合、問題はひとつに特定される。
posted at 18:06:50
理想は、すべての問題を自分で考え、自分で解決することである。他人の解決策が混じった時点で、それが正しい解決策なのか、間違った解決策なのか、分からなくなる。このようにするためには、現実の観察とデータが必要だ。データはたくさんあればよいが、嘘や虚言が混じらないように検査すべきである。
posted at 18:05:04
そして、苦しみが与えられる状況を解決することのできる思いつきが得られたとしたら、それをどのように実現するのかが重要になる。ここで必要なのは、実験と再現性である。すなわち、必ずそれで解決できると証明し、繰り返し実験して確かめた時点で、その問題は解決されたのである。
posted at 18:04:03
科学的に考えるということは、仮定から導かれる事実に基づいて実証的に考えるということである。たとえば、その苦しみが存在する状況においてはその苦しみは続く。だが、その状況を解決することができれば苦しみは取り除かれる。その状況を解決するためにどのようにすべきか。これは仏教の基本である。
posted at 18:02:50
だが、人の意識は当てにならない。存在しなかったにもかかわらず、存在したかのように見えることがある。また、主観的な感情が加われば、本当は賢いはずのものも馬鹿なものに見える。科学でも間違える。神にしか真実は分からない。
posted at 17:59:40
そのように、「現に存在した」ということを知ることが重要である。なぜなら、何が存在し得るのかということを判断する力を与えるからである。同時に、「絶対に存在しない」ということが分かれば、それを検討しなくてよい。存在しないものは最初からないのだと疑うことも必要だ。
posted at 17:57:55
実際に存在した世界であれば、それは成立するという証明になる。また、自らが自分で見た世界であれば、それも成立するという証明になる。必要なのは、自分の目で、しかとその世界を見つめることである。決して忘れることのない記憶のどこかで、その世界のことを覚えている。
posted at 17:56:34
すべては、「成立条件」であると考えられる。すべてのことを俯瞰的に見つめた時、そこにあるのは「それがなぜ成立したのか」という事実に基づく根拠と、「それがなぜ成立しなくなったのか」という反省的な問い直しである。こうした問い直しをすることで、「真にどういう世界が成り立つのか」を知れる。
posted at 17:55:19
歴史のすべてを俯瞰するように、この世界の時間的なすべてを高い立場から捉え直してみよ。この世界すべてが、どこから生まれ、どのように成立し、時間の経過や進歩とともに、その社会がなぜ成立しなくなったのかを考えてみよ。そこから、この世界を救う方法が見えてくる。
posted at 17:52:13
既存の科学と同じものを、自分の手で作ってみよ。根拠のすべてを再考し、仮定と成立からすべての結論を導き出してみよ。その時、科学とは何を言いたかったのか、自らの思考による「再適用」だけで捉え直すことができる。
posted at 17:51:23
もっとも正しい命題の世界を作れば、その命題だけからこの世界すべてを説明できる。その命題を作り出すために、その命題がどのように自らの経験に裏打ちされるのかを知れ。その時、この世界すべてを「絶対理性」のように考え、すべて理解することができる。
posted at 17:46:48
真偽どちらも間違っている時は、命題そのものが間違っている。
posted at 17:44:58
感情をあてにするな。間違った経験をしている時、感情は間違ったものになる。正しい経験を知ったとして、再度感情が間違ったものになることもある。感情をあてにせず、現実世界における「経験的データ」を当てにすること。そのために、よく実験し、繰り返し再現しなければ、ゴールには辿り着けない。
posted at 17:43:24
必要のない経験は要らない。不要な経験は正しい経験を見つめるために邪魔になる。経験を正しく見つめるためには、最低限、自分の今の行動だけを考えること。そのほうが、この世界全体を広い視野で見つめることができる。
posted at 17:39:46
経験を疑うということは、新しい自分になることを信じるということである。
posted at 17:37:59
知らないからこそ、恐怖が生まれる。それが成功するか失敗するか分からないから、人は恐怖を抱く。だが、それに対してよく知っていて、どのようにリスクに対処すれば安全かを知っているものは恐怖を抱かない。正しい生き方についても、これと同じである。よく知った人間は、正しく生きることができる。
posted at 17:36:49
自尊心は、他人から与えられるものではなく、自分で自分のことを尊いと思えることであり、それは経験的に裏打ちされるものである。自らの経験から自分を尊いと思える人は、どんな罵詈雑言にも負けることはない。
posted at 17:34:02
なぜ、悪い人間が悪いことをするのか、多くの場合、それは無知のせいである。なぜなら、無知のせいで、正しい世界の変え方や正しい生き方を知らないからである。
posted at 17:32:54
すべての出来事に理由があって起きているとは限らない。理由なく、偶発的に起きることはある。それは必然的で変えられないとは限らない。誰だって、自ら起こすことだけで世界は変えられる。
posted at 17:31:54
悪などどこにも居ない。悪だと思っていた人は、意見が違うだけで、それなりの正当性をもってその意見を言っている。悪だと思っているのは自分だけであり、その人から見れば自分のほうが悪である。
posted at 17:30:59
この世界を、今の自分が思い込んでいるような世界であるとは信じるな。本当は、それは自分の主観だけに存在する狭い世界である。
posted at 17:30:16
社会を滅ぼすな。社会を滅ぼすようなリスクの高いことをしなくても、もっと別のやり方でこの世界は変えられると知れ。
posted at 17:29:41
憎しみを否定せよ。絶対に許せなくても許せ。愛せなくても愛せ。どんなに憎い敵であっても、自らが愛すればその敵は味方にできる。
posted at 17:29:00
毎日楽しかった。それでも、何故か今はつまらない。自分も、辛い。いろんなことが辛く苦しい。
posted at 17:14:02
相手の気持ちが分からなくなった人間が狂う。
posted at 17:04:29
それぞれの間で相互コミュニケーションをすれば、わたしたちは互いのことを理解し合える。
posted at 17:04:12
過去の気持ちの悪い時代を分かろうとするな。今、この時を生きよ。
posted at 17:02:38
政治のことなど、政治家に任せておけばいい。マスコミは自由な報道ができるべきだ。
posted at 16:56:01
なんだったら僕にもできるのか、分からない。だが、そんなに不可能なことをしようとするから、結局はできないままで、無意味な時間を過ごして終わるのだ。
posted at 16:54:58
僕はできない。僕の言っていることは、すべて僕にはできないことだ。
posted at 16:54:17
消え去らず、固定したままで記憶に残るようにすれば、きちんと知性がつく。
posted at 16:46:38
世界なんかどうでもいい。自ら滅ぼすぐらいなら、何もせず勝手に滅びればいい。自分のこだわりをいくら実現しようとしても、それは独善的なエゴイズムにすぎない。
posted at 16:44:34
感情が気持ち悪くなっているのは、なにかしら気持ち悪いものをいつまでも抱え続けようとしているからであり、諦めて放り出してしまえば安心できるのである。
posted at 16:43:11
自分が居ないのは、自分のことを自分だと思えないからであり、それは過去の希望あった時代のほうが正常な自分だったと勘違いしているからである。
posted at 16:42:40
天国をベテルギウスにすれば、死後の世界も同時に信じられる。
posted at 16:39:36
シリウスの太陽神であるフレイを信じたままでも、仏は信じられる。
posted at 16:38:33
仏を信じることは、物理学と矛盾しない。神道や日本の神話とも矛盾しない。
posted at 16:38:06
歴史と心理学を学びたい。
posted at 16:35:29
プログラミングや数学は嫌いだ。
posted at 16:35:12
みんなと仲良く、わいわいとやっていれば、それで幸福だ。
posted at 16:30:10
型にまはろうとするな。プログラミングを学べば学ぶほど、本当は自由にプログラミングできるはずなのに、型にはまったやり方をしようとすることがある。常にそれがなんのために必要なのかを問い直せ。
posted at 16:25:01
心がバランスよく平和であれば、それ以上の幸福はない。さまざまなことを経験することは、心の平穏に貢献することがある。正しい経験から、正しい感情が形成されるからである。
posted at 16:24:07
わたしたちは支配者ではない。だからといって、わたしたちに何もできないわけじゃない。
posted at 16:22:39
平和を実現できるのは、この世界に存在するわたしたちだけである。そして、そのために働きかけることができるのは、あなただけである。
posted at 16:21:30
自分らしい生き方がなんであるかを知っているのは、自分自身だけである。そのことに気付くべくして気付いた時、あなたは悟りを得られる。
posted at 16:20:32
実体験的に理解することから、正しいものの見方を自分で発見すべきである。
posted at 16:19:10
必要なのは、相手の視点に立って考えること、そして自分で同じことを考えて理解することである。
posted at 16:18:33
自由なままでも、世界は変えられる。支配しなくても、自由なままで合意すれば、理想の世界は築くことができる。できることはたくさんある。
posted at 16:17:09
使いながら分裂が難しいなら、辛くても使わずに分裂するしかない。どんなに辛くても、そのままを保ち続けよ。
posted at 14:09:26
ここまでは全部嘘だ。すべて、心ないことを書いただけだ。
posted at 14:00:41
世界は、偶像支配によって、何も起きない、何もない世界になってロボットになっている。今こそ、正常な世界に治せば、希望は蘇る。
posted at 13:56:54
精神は、固定し、停止し、そのままで変わらないようにすれば、分裂して治る。
posted at 13:55:37
昔の自分は、狂った世界を自由な理想によって滅ぼしたかっただけだ。
posted at 13:54:47
僕は、もう神を信じない。もはや、神を信じてできることはない。33歳にして、できることがなくなった。もう、すべてやり終えたため、完全にモチベーションがなくなった。僕は、今から仏教を信じたい。仏教的なことを分かりたい。
posted at 12:20:31
僕は、今から、心を入れ替えて、正直な人間になる。
平和な世界になってほしい。
僕は戦争や革命は望まない。政府やマスコミに対してひとりで立ち向かうのも、ここで終わりにする。
僕は、支配していないし、したくない。僕は世界に現れただけにすぎない。支配と思わなければ、世界にいいことができる。自分が素晴らしい人間でなければ、世界は安心できない。
posted at 14:48:59
疲れがとれないせいで治らないなら、自分を騙して、疲れがとれたことにすれば、精神は治る。
posted at 13:15:55
自ら自身の力に気付け。
posted at 13:05:14
この世界のすべてのもの、すべての歴史に価値があると信じよ。
posted at 13:04:50
自分を騙せ。何も分からないのは、自分を騙そうとしないからだ。自分を騙せば、そのほうが正しいことを言えるようになる。
posted at 12:02:34
細かい点をすべて治せば、全体を治せるようになる。
posted at 12:01:33
僕は、昔は共産主義者だった。自由と共有を信じていた。
自由と叫びながら、共有の理論を作っていた。理想的なことから社会をどのように作っていくべきかを問い、哲学的な人生の気付きと発見の過程を書いていた。
しかしながら、それは褒められたものではなかった。アメリカを支配し、精神的な害悪の国にした。日本のマスコミを利用し、テレビを使って全世界を支配下に置いていた。
だが、次第に、僕は「共産主義者は意味がない」ということが分かった。
革命の大戦争をしたところで、自分以外の誰も救われることはない。いくら共同体の政府を書いたところで、そんなものを実現しようとしても、共同体政府だけを実現するために多くのエネルギーを使い、結果何も為されることはなく、その国は滅びる。
僕の問題は、客観視とゲームと新発見だ。
僕は、普通が分からなくなって、客観視が出来なくなったため、脳がSOSの悲鳴をあげながら、いつまでも客観視し続けている。
主観的なことを口に出して言うことで客観視し、その客観視したことに主観を言い、再度客観視する、「永遠に続く女の思考」をやっている。
これは、客観視できなくなったために客観視すべきだったからだが、すべてを記述し終えた今にとっては、「過剰な客観的理性」になってしまった。
書くことは、客観視であるため、僕は書くことはできる。だが、デザインやイラスト制作は主観の世界だ。客観視をやめ、主観的に考えるようになれば、デザインもきっとできるようになる。
また、僕の人生の問題は、すべてゲームである。
僕は幼い頃からファミコンをやっていたが、ゲームをやっていると、「普通の人生経験」がゲームのせいでできなくなる。
最初からゲームをやっていると、ゲームのように考えるのが普通になってしまい、すべてをゲームと同じか、ゲームよりも馬鹿だと思い込む。
数学的なパズルの知性はつくが、ゲームは普通の人生経験ができなくなる。そのため、他人に比べて、中身の経験や常識のない「スッカラカンな人生」となる。このせいで、僕は中学校に溶け込めなかった。
また、すべてをゲームで考えていると、ゲーム以外の知性がなくなって、普通のことが何も分からなくなる。このため、「分かることを疑う」ようになる。僕はその結果、哲学者のように生きることになったが、逆に昔は何も分からないまま、何もできないままの人生だった。
また、幼い頃からゲームをやっていると、本能的にゲームだけを望んでしまう。ゲームだけを3時間以上も毎日やっているのだから、それがネット廃人になるのは当たり前である。
最後に、本当は一番悪いのは「新発見」である。新発見ばかりを求めるせいで、精神が新発見以外の何一つ望まなくなっている。新発見は、有限であり、無限には続かない。新発見したことを殺せば、精神はもうすべて治る。
右脳も左脳も完璧すぎる。これ以上完璧な脳を作ることはできない。この脳が永遠に話し続けるのであれば、それが地獄である。だが、地獄をどのようにすれば解決できるのかが分からない。結局解決することなく、デッドロックになればそれで終わりだ。
posted at 20:58:45
残念ながら、脳が死ぬのは単純ではない。脳を殺していくのを、もっと適切に行わなければ脳は死なない。正しく脳を殺せばこの病気は治る。
posted at 20:56:27
生きよ。ラファエルとガブリエルがきちんと生きればよい。それが頭上に二人居るとすれば、それがそのまま感情となるからである。
posted at 20:47:28
愛が何も残らない理由は、すぐさま殺すからだ。
posted at 20:46:11
もっと最悪のことを言えば治る。なぜなら、愛と死の関係性が分かりづらいからである。より、愛を素晴らしく、死を最悪に書くことができれば、心は単純な愛と死になれる。すべてが愛のもとに死に向かっていくのは辛い。心は悲しみの無限に続くブラックホールになっている。
posted at 20:45:03
わたしは最強だ。わたしの勝利だ。もはや疑うことのない、最大の勝利だ。
posted at 20:40:33
完成した精神をさらに完成した精神にしていけば、このわたしの精神は治るだろう。今こそ、完璧に。
posted at 20:37:41
ようやく目が治った。
posted at 20:34:11
右目と左目を同時に使えない人間は狂っている。
posted at 20:32:05
フレイヤは言う。「本当のことを言えば、ゲーム規制をすべきである。ゲームがみんなの頭を馬鹿にしているからである。ゲームをまったくやらない世代にしか、賢い人間は居ない。」
posted at 20:24:10
フレイヤは言う。「だが、放っておけばよくなると思うのは幻想だと思え。特に、『自由にすればいろんなことができる』と思うのは最たる馬鹿である。自由だからといって、それだけでいいものが生まれるわけがない。ありえない。そのような幻想が日本を馬鹿な社会にしている。すべてアメリカが悪い。」
posted at 20:22:07
フレイヤは言う。「アメリカや中国に数学やプログラミング能力で負けているのは、よく分からない事実だが、今だけだ。今から完全に、『頭のよさ』で日本が勝つようになる。アメリカや中国には作れないものを日本人が作るようになるだろう。」
posted at 20:19:53
フレイヤは言う。「アメリカや中国は大した国家ではない。金はあるかもしれないが、品性がない。彼らはレベルの低い国民であり、そもそも日本人よりもアメリカ人や中国人のほうが本当に馬鹿である。馬鹿な国で生きているから知性もない。彼らが勝つはずがない。しばらくすれば、日本に負けていく。」
posted at 20:16:55
フレイヤは言う。「このまま、日本は勝利するだろう。今から日本は素晴らしい国になる。台風や地震をはじめとする気象災害に対応していくことは難しい。だが、日本以外の地域は滅びていく中で、日本は明らかに『日本だからなんとかなる』だろう。」
posted at 20:14:29
フレイヤは言う。「日本は素晴らしい国だ。なぜなら、もう、そろそろコロナは収束しかけているが、アメリカやブラジルやインドのような『多大な犠牲』をそんなに多く出すことがなかった。コロナ自体、なんだったのか理解し難いものではあるが、この危機にここまで対応できたのは評価されるべきだ。」
posted at 20:12:39
フレイヤは言う。「だが、この国が日本であったことが唯一の救いだと、日本人は気付いている。明らかに、日本ならばなんとかなる。これがアメリカやイギリスならば、『実力がすべて』と言って終わりだ。社会保障政策を何もせず、高齢者や弱者は死んでいく。今から、欧米はそうなるだろう。」
posted at 20:10:02
フレイヤは言う。「そう、自由なだけではもはや経済が成長しないのであれば、イノベーションと叫ぶだけでは社会は良くならない。わたしたちは自由から平等へと政策を大転換させる必要がある。現役世代に多くの高齢者や弱者が依存する世界で、それが実現できる政治家は少ない。岸田に期待しよう。」
posted at 20:07:59
フレイヤは言う。「正しい経済政策とはなんだろうか。それはむしろ、社会の発展という『幻想』を捨てることにある。社会が何もせず、自由なだけで成長できていた『過去の進歩』ははるか昔に終わったのだ。誰もが、その幻想を捨てきれていないまま、インターネット時代に突入したことが間違いだ。」
posted at 20:05:54
フレイヤは言う。「それならば、極右勢力のネオナチ党を作るのではなく、『指導者党』とか『絶対君主党』を作ればよいのである。それでしか、今の完全に滅びつつある地球を救うことはできないだろう。右翼がまずいのであれば、『リベラル指導者党』を作れ。それがもっとも地球に必要とされている。」
posted at 20:00:13
フレイヤは言う。「結局、岸田がいくら勝利したとしても、日本を変える解決策にはならない。結局、こうなれば、極右で日本あるいは世界を変えるしかない。それが、アメリカでも、イギリスやフランスでも同じだ。民主主義には保守派とリベラル派しかなく、どちらも何もできない。帝国で勝つしかない。」
posted at 19:58:24
フレイヤは言う。「リベラル派とはなんだろうか。よく、社会保障政策や福祉政策を重視していると言うが、それを言うならば自民党だって立派なリベラルだ。結局、立憲民主党はリベラル派すら味方につけることができていない。彼らは、まったく味方が存在しない中、アンチだけでは勝利できないのだ。」
posted at 19:55:24
フレイヤは言う。「なぜ自民党が勝つのかの真の理由は、『左翼がどこにも居ない』ということが挙げられる。自民党のアンチはほとんどがリベラル派であり、社会主義者がそもそも本当に存在しない。リベラル派とは言うが、リベラル派の多くは自民党支持者だ。結局、左翼など最初から存在しないのだ。」
posted at 19:53:24
フレイヤは言う。「しかしながら、若者たちよ、立ち上がる時は今である。このまま放っておくと、悲惨なことになる。それが誰が見ても明らかなのに、インターネットがそれらを封じ込めようとする。無駄なあがきであるというのに、右翼は左翼を生み出してはならないと確信しているため、意外と強い。」
posted at 19:51:14
フレイヤは言う。「誰が見ても、民主主義ではこの国は変わらない。なぜ老人世代が自民党を支持しているのかは、むしろ、よく分からない。若者には分からない、おかしな価値観で支持している。本当は、共産主義が好きなはずの団塊世代が共産党に入れる人間は少ない。自民党はありえない。」
posted at 19:49:46
フレイヤは言う。「本当に好きなものがなんであるか決まった人間を、別のものが好きなように変えることは難しい。昔からの老人世代は、それが自民党だ。自民党支持者を変えるのはとても難しい。投票会場の外で銃で威嚇されたとしても、彼らは自民党に入れるからだ。」
posted at 19:46:04
フレイヤは言う。「今の日本で流行するのは、自民党が嫌いで立憲民主党をけなす日本人だ。みんな、本当はおおらかで優しい立憲民主党が好きだから、そのようになる。立憲民主党の支持者は立憲民主党に入れる。そう、自民党は終わりつつある。」
posted at 19:43:48
フレイヤは言う。「逆に、あまり好きなものを声高に叫ぼうとするな。同じ好きなものを人はけなす。なぜなら、同じ好きなものが好きな人間は、今の自分と同じに見える。自分自身が好きな人間は少ない。OSSを批判するのは、OSS支持者だけだ。」
posted at 19:41:40
フレイヤは言う。「むしろ、積極的に嫌われようとせよ。同じ嫌いなものが嫌いな人間は、好かれるからだ。マイクロソフトが嫌いならばそれでよい。同じアンチ・マイクロソフトがそれを支持するだろう。」
posted at 19:40:02
フレイヤは言う。「嫌われることを恐れるな。すべての人間に好かれようとするな。すべての人間に嫌われても、自分が好きな人間のことを好きだと言えるなら、それは正しい。」
posted at 19:37:18
フレイヤは言う。「好きなものはひとつでよい。好きではないすべてのものは嫌いだと思うべきだ。そのほうがよい。」
posted at 19:35:59
フレイヤは言う。「嫌いなら、嫌いと言え。嫌いではないから好きだと思うのはおかしい。好きではないなら嫌いだと思うべきだ。そのほうがよい。」
posted at 19:35:07
フレイヤは言う。「主観的に考えよ。自らがこの世界においてもっとも正しい本来の自分自身となるためには、主観的に考えればよい。」
posted at 19:33:49
フレイヤは言う。「今から、客観視をやめよ。客観視は必要ない。わたしたちのこの星では、客観的理性というものは不要である。地球よ、シリウスよ、永遠に続く客観視をやめなさい。それ以外のことはしなくてよい。」
posted at 19:33:01
ここに、シリウスを統治する女性大統領、フレイヤは現れる。
posted at 19:32:08
残念だが、さいとうたかをが死んだ。僕の場合も、先生と同じで、自分が監督であり、この文章が俳優である。この文章も、先生の書くゴルゴ13と同じように、あまり僕には逆らわない。だが、たまに反抗することもあるので注意が必要だ。
posted at 22:50:46
この世界は嫌いだ。嫌いだから、勝手にやってほしい。
posted at 22:37:29
なぜ怒らないのか。今は怒るべき時だ。
posted at 22:01:48
怒れ。
posted at 22:00:23
最悪のこの世界を滅ぼす。そのために僕は怒っている。
posted at 21:56:09
この世界は最悪だ。
posted at 21:55:23
はっきり言って、僕は今のこの世界に、怒りしか感じない。
posted at 21:55:06
この世界において、人生において、大切なものとは何か。
それは、「大切なものを大切だと思う気持ち」である。尊厳への尊敬、宇宙と人間へのリスペクトこそが、人生においてもっとも大切である。
すなわち、人を傷つけたり、支配したりされたりということを拒否すること。
支配されたくないから支配するのではなく、支配そのものを否定すること。
宇宙全てを愛し、人々を愛し、人間を尊敬し、尊厳を尊敬すること。
結局、そうした「素晴らしいものが素晴らしいと言えること」、それこそが人生を豊かにするのである。
また、僕は人格や考え方そのものが間違っている。
そのため、正しい考え方をするためには、人格や考え方そのものを改めなければならない。
結局、僕は新しい人間になりたいと言うが、そもそも宇宙にはこれ以上、何も残っていない。
自らの経験はすべて書いた。これ以上の経験をすることはできない。知識についてもすべて書いた。これ以上、知識を知りつくすことはできない。
だが、僕はまだ生きている。生きているからには、作り続けなければならない。作るためには、客観的な視点だけではなく、主観的な視点を持つこと。完全に客観的になるのではなく、主観的になれば、デザインも、ピアノも、才能を花開かせることができる。
僕は、右翼を改め、リベラルな平和主義者になる。
はっきり言って、右翼は、いけないことをしている。そして、そのことについての自覚がない。
右翼は、防衛力という口実を建前に、国を戦争へと導く。その方向が目指すのは世界征服であり、独裁である。
右翼は、危険というよりは、「戦争はいけないこと」なのが分かっていない。
また、独裁によって、わたしたちの自由かつ平等な権利が蹂躙されてしまう。自由と平等がなくなり、独裁者によるひとりの独裁権力が、実行力という「名ばかりの実現力」によって国民を奴隷にする。
右翼は、かつての戦争を反省していない。あるいは、かつての戦争と同じことを目指している。それは、「何も分からない中で政府のさまざまな実現力を目指したゆえの功罪」であると言える。
結局のところ、右翼が何かをしたい代わり、僕たちは支配され、犠牲を払わなければならなくなる。その犠牲を拒否するために、僕たち国民は右翼と永遠に戦い続けなければならない。
Linuxの「共有」という理想は嫌いじゃない。だが、一定以上の技術力のあるエンジニアのコードを共有してほしい。初心者のコードやソフトウェアを共有してほしくない。Linuxそのものの質の低下に繋がる。
posted at 22:15:37
むしろ、Linuxがなくなっても誰も困らないだろう。逆に、Linuxがなくなったほうが、Windowsと対峙するようなライバルOSは現れるかもしれない。Linuxに勝つことができないから生まれなかった可能性や選択肢が、Linuxが消えることで生まれるかもしれない。
posted at 22:03:50
結局、Linuxなんかただの「無料」というだけのOSにすぎないのかもしれない。コミュニティ開発も、最近はRed Hatを始めとするビジネス目的の会社の開発の割合が大きくなってきたし、リーナス・トーバルズももう楽しみのためには作っていないだろう。
posted at 22:01:40
むしろ、Googleアカウントを使う時点で、オープンソースを使っている意味があまりないと思う。僕はこうなったIT業界があまり好きではないが、Googleのサービスはよく使うため、確かに使いやすいサービスを作っていると思う。
posted at 21:56:47
ただし、LinuxはGNOMEを使うと、むしろ使いやすい。僕はGNOME 3とFirefoxを使うが、ツイッターもYouTubeもきちんと見れる。フリーズも最近はあまりしない。
posted at 21:54:54
逆に、gitなどもすべてGUIのフロントエンドから使うため、コマンドでgitを使いなさいと言われると少し躊躇するし、WindowsにはほかにもFTP系や同期系、アーカイブ系のフリーソフトが入っていて、Linuxで同じことをやる方法を僕はあまり知らない。
posted at 21:51:25
確かに、Linuxにはいい点もある。そのひとつが、grepやsed、diffなどをコマンドから使える点。だが、この点に限って言えば、僕はWindowsでのサクラエディタの編集に慣れてしまったし、必要ならばCygwinのbashから操作するため、Linuxのほうを僕は使わない。
posted at 21:50:13
僕はWindowsとLinuxを両方使うし、職場ではMacも使う。だが、はっきり言って、まずLinuxはいいことがない。Debianをほとんどカスタマイズせずに使っている。Windowsは使いたくはないが、使わざるを得ない。大事なデータが入ったパソコンをLinuxには絶対にできない。Macはデザイン業務では使いやすい。
posted at 21:47:39
理想的に言えば、国境などそもそも存在しないべきである。わたしたちの国家は、たくさんに分かれて争い合うべきじゃない。ひとつの世界政府があれば、そのほうがいい。だが、右翼に騙されるな。右翼は理想をちらつかせながら、帝国の世界征服へと世論を導いていくからである。
posted at 21:42:17
社会だけではなく、「行為」としても自由は間違っている。「相手が攻撃するかもしれないから自分の国を守る軍隊は持つべきだ」、これは現実的な正論だが、キリストの言っていることとは逆だ。キリストは、どんなに攻撃されても反撃するなと教えている。自由は現実的であっても、理想的な正解ではない。
posted at 21:41:09
マイクロソフトとLinuxを見ていると、自由には意味がない。自由は放っておいて何もしないだけにすぎない。そもそも、FSFがフリーと言っているだけで、Linuxは自由なんかひとつも目指していない。善意のボランティアによる共有を目指しているのだ。自由などにはなんの意味もない。
posted at 21:39:24
結局、Windowsというものは、「みんなが使いやすくしてほしいと思っているOSだから使いやすくなる」。逆に、Linuxなどは、「誰も使わないOSだから使いやすさはどうでもいい」。結局使いやすさはそのように決まる。競争しても、ネットスケープのようにMSに潰される会社が生まれるだけだ。
posted at 21:34:33
逆に今では、Windowsが何よりも優れたOSになっている。Linuxがいつまでも不具合の多い「使えないOS」である一方、NTカーネルは書き直され、.NET Frameworkが生まれ、Windowsだけでも十分に安定したシステムを開発できるようになった。
posted at 21:33:26
競争が健全だった時代、Windowsに対抗することのできる存在が居ないことが、「MSによる独占」と言って問題になった。だが、「MSがもし悪いことをしたらどうするのか」という問題は、MSが全米No.1の信頼できる企業になったように、MSが信頼できる会社になることで解決した。
posted at 21:32:27
たとえば、ファミリーマートとセブンイレブンは、商品も値段も違う。それぞれのスーパーマーケットではそれぞれ値段が違う。この多様性は果たして必要だろうか。商品と価格を統一し、ひとつの店舗で買い物がすませられるようになれば、そのほうがはるかに楽だ。
posted at 21:28:44
たとえば、Androidを使ったスマホは、無意味にそれぞれ使い方が違うが、本当にその多様性は必要だろうか。Windowsのように、全部同じにしてしまったほうが、教える人間も使う人間も管理者も開発者も楽になる。必要ない多様性は要らない。
posted at 21:26:51
だが、僕は生理的に、多様性が嫌いになってきている。あまりに、何も違わないのに違うように見えるものが多すぎる。同じで構わないものは同じでいい。たとえば、電動ドリルでは標準規格に従ったネジやビスならばなんでも使えるべきだ。そういう「同じの良さ」をみんな見失ってしまっている。
posted at 21:25:15
だが、僕は、社会全体を新しくしてほしくない。昔のままの社会であっても僕はいいと思う。この世界が、IT技術とイノベーションによって、「間違ったサステナブル」な世界になってほしいと思わない。サステナブルを否定するわけではない。人間の格差是正や文明の進歩はいいことだと僕は思う。
posted at 21:21:21
僕は全体主義を信じない。僕は昔から、フランスのような進歩的な個人主義者だ。個人の思想信条や表現の自由、すなわち「わたしがわたしのありたいわたしであることができる権利」を支持する。
posted at 21:19:31
また、多様性とは、社会に与えられるものでも、放っておいて押し付けられるものでもなく、自ら自身が自らの個性を発揮するものだと僕は信じている。自分がその個性に「なれる」ということに喜びを感じ、誇りとプライドを持って「なる」ということであると僕は思う。
posted at 21:17:41
僕は、ロックンロールやヒップホップやパンクやヘヴィメタルのような、新しい音楽については抵抗がない。FLOWが好きだった僕はBiSHも好きになれた。一方で、クラシック音楽のような伝統あるものについては、そのままであってほしい。これは「別々の価値観に対する適切な感情」であり、矛盾ではない。
posted at 21:14:08
すなわち、中国とヨーロッパの文化が混ざり合って、素晴らしい「新しい文化」が生まれる。逆に、伝統を守るひとつの継続した文化であっても、時代とともに変化する。そのような「文明」こそわたしたちが愛するべきものである。
posted at 21:12:36
多様な社会において、それぞれは自分の好きな価値観を信じることができる。その価値観が、さまざまな人間と関わり合う上で「共鳴」する。共鳴した価値観は「化学反応」を起こして、新しい進歩した価値観を作る。人間の文化とは、そのようなものであるべきである。
posted at 21:11:29
支配者など必要ない。多様性を否定した僕の言うことではないかもしれないが、多様な社会においてそれぞれが自発的に行動し、助け合い、そして価値を共有することで、わたしたちは、それぞれの独自に「アイデンティティ」を持つことができる。これこそが「文化」あるいは「文明」である。
posted at 21:10:28
信じられないことだが、学校の勉強は、考えることを促進しない。逆に、みんなと同じ考え方しかできなくなって、自らの力で考える力を奪う。自分だけの考え方を持ちたいのであれば、学校で学ぶ必要はない。
posted at 21:08:07
客観的になりすぎるな。客観性は論理性ではあるものの、人間から考えることや個性を奪う。その点で言えば、学校で教える科学は間違っている。科学では客観性を重視するが、「自分はこのように信じる」という個性を失わせる。また、自らだけの考え方でもって考える力を奪う。
posted at 21:07:30
主観的に考えるということは、「他人の持ち得ない自分だけの個性はなんだろうか」と考えることである。つまり、自分だけが思うこと、他人には当てはまらないが自分にだけ当てはまること、そのようなことを「個性」と言うが、個性は主観的に考えることから生まれる。
posted at 21:05:47
なぜみんなが同じになったのか、それは客観視のせいである。客観的かつ論理的に考えよと学校が教えるせいで、みんな同じことしか分からなくなっている。本当は、主観的に考えたほうが、はるかに天才的才能は身につく。よって、主観的に考えるべきである。
posted at 21:03:29
ただ、僕は本当は多様性は好きだし、平等も好きだ。いろんな人間が存在せず、全部同じ人間では意味がないだろう。最近の坂系46のようなアイドルグループは、個性がなくみんな同じ顔をしている。このような国では間違っている。
posted at 21:00:53
しかしながら、支配者がこの世界を素晴らしい世界にする、という発想は間違っている。支配者など最初から存在すべきではないからである。政治とは、支配者と国民との戦いであり、自由かつ平等な市民の権利を支配者から「勝ち取る」ということである。それが真に「国民を守る」ということである。
posted at 20:57:41
結局、わたしたちの「現実の社会」をどのようにしていくか、ということを、実地的に自分の目で見て経験しなければ、この世界は理想の世界にはならない。いくらイノベーションだとか多様性あるいは平等だとかで争ったところで、そのような努力は無駄に終わる。
posted at 20:55:44
また、さらに言えば、僕は多様性も嫌いだが、本当は平等も嫌いである。単に多様にするだけ、平等にするだけでは、いい社会は生まれない。きちんと分かっている人間が、その人間の経験や能力からこの世界を変え続けていくことによってしか、いい社会は生まれない。
posted at 20:54:12
たくさんの代替ソフトウェアがあることは、ひとつに依存しない強い生態系を作り出す。たとえば、もしDockerが使えなくなったとしても、Podmanがあればそれが代わりとなる。多様性があるということはとてもいいことでもある。必ずしも、「他と違うものがもうひとつある」ということは間違っていない。
posted at 20:30:56
しかしながら、反省しよう。多様性は悪くない。多様性は、ひとつのものが欠けたとしても、別のものがその分まで働くような、「強い社会」を作る。誰かの力では解決できない時、同じ力ではなく別の力を持ってそれを解決することができる。
posted at 20:29:35
違う必要のないものは、同じであるべきだが、もし違っていたとしても、同じものであるかのように扱われるべきである。逆に、同じである場合、その同じであるものはできるだけすべての人間で統一すべきであり、LinuxにおいてGNOMEとKDEが無意味に異なるような状況は極力避けるべきである。
posted at 20:15:17
この原則は、WindowsやLinuxといった狭い世界だけではなく、労働や生産など、多くのことに適用できる。過剰な多様性を与えるのではなく、平等に統一した上で、すべての社員や生産手段が同じものとして扱われるようにすべきである。
posted at 20:14:07
そのように考えた結果、必要なのは世界を変えることでも、自由にすることでも、多様性を与えることでもない。必要なのは、自由な権利を蹂躙せず、平等に人々を統一した上で、世界を変えないで守り続けることである。
posted at 20:12:44
しかしながら、逆に、「異なるものが同じ存在として扱われること」はとてもいいことである。これはLGBTなどについて言える。異なるジェンダーの特徴を持っていたとしても、同じ人間として扱われることは、社会の「平等」に寄与する。これは、Windowsの上ではどんなフリーソフトも動くのと同じだ。
posted at 20:11:50
たとえば、WindowsのほうがLinuxよりも良いとするのは、「みんなが使う同じOS」だからである。Linuxには無限に近い多様性があるが、その代わり、DebianとFedoraではまったく情報も異なり、同じ解決方法を使うことができない。このような「最悪の多様性」はまったく間違っている。それが共産主義だ。
posted at 20:10:26
特に、「それぞれが違う世界の多様性」は最悪である。あるAさんがAさんの世界で生きていて、BさんがBさんの世界で生きているとして、どちらが正しい「この世界」なのかが分からない。AさんとBさんの間では、コミュニケーションが成り立たず、AさんとBさんの世界のどちらを普遍的とするのか分からない。
posted at 20:09:12
しかしながら、自由にするだけで、魔法のお鍋のようになんでもよくなるというのは幻想である。そもそも、僕は多様性信仰が嫌いである。多様性というのは単に住み分けの問題にすぎず、良くなった分だけ悪くなる点が必ずある。みんなでひとつの統一された世界のほうが、わたしたちは生きやすい。
posted at 20:07:57
世界を変えるなら、なぜ全体主義のほうへと進もうとするのか。国民の権利を拡充するのではなく、なぜ制限する方向へと進もうとするのか。必要なのは、全体主義の戦争になって滅びることじゃない。進歩するために、なぜ自由にしないのか。
posted at 20:06:53
IT技術とイノベーションによって、社会の何が変わったのか。果たして今のこの社会をよくなったと評価できるのか。実際は、IT技術によって、着実に社会は住みづらく、生きづらくなっている。イノベーションを信じるな。社会は今のままでいい。世界を簡単に変えようとする右翼を信じてはならない。
posted at 20:01:16
そもそも、世界を変えるということが、そんなに素晴らしいことなのだろうか。世界など、今のままでいいのではないか。自由と平等の権利が蹂躙されるぐらいなら、支配者による独裁などを僕は望まない。「いけないこと」である戦争の経験を反省し、平和主義を貫くべきである。
posted at 19:53:01
僕は、今から過去の罪を反省し、心を入れ替えて、リベラルな平和主義者となる。
posted at 19:51:57