歌手の世界観(戯言)です。
音楽は、別のパートの楽器の人と合わせることが多い分野ですが、だからこそ、一人だけでやりたい人が多いです。
みんなでやっていると、上手い人とも下手な人とも合わせなければなりません。
米津玄師という最近YouTubeで流行っている歌手の人も、「ひとりでやった方が楽」だと言っていました。
ですが、同時に米津が言うように、「ひとりでできる音楽なんて大したものじゃない」ということも言えます。音楽はみんなでやってこその音楽であり、歌手から楽器、音楽制作、プログラミング、そして動画製作やデザインまで全部やっている米津は「ありえない」の一言です。
米津さんだけではなく、コバソロさんなどもひとりで全部やろうとしていた人の一人です。そして、彼はその上で素人のカバー歌手をたくさんプロデュースしています。コバソロさんも考えるところは同じです。「ひとりで全部やりたいが、ひとりでは大したものは作れない」のです。
ちなみに、ひとりで全部やる最たる楽器がピアノですが、けっこう辛いです。右手も左手も完璧に弾けて、そして誰よりも人に影響を与えるためには、30年あっても足りないと思います。ただただ、ピアニストの人を尊敬します。
ただ、全部ひとりでやるべきだと言っているのではなく、むしろ音楽というのはバンドやグループみんなでやると楽しいものである。たとえば欅坂46のように、たくさんのメンバーが居ても、そのメンバー全員でてち(センターの女の子)をかっこよく見せる。だから、音楽というのは面白い。逆に、米津やコバソロのような変人奇人が多いだけではなく、SMAPのように本当に仲が悪くなると悲惨である。嵐のようにメンバー全員が中が良い方がおかしい。そもそもメンバー全員が平等にかっこいいというグループは本当に居ない。藤くんを賢く見せるバンプや、野田を賢く見せるRADしかない。
ただ、言わせてもらうと、最近の音楽はつまらない。何もかも、低く馬鹿になった。歌手という雰囲気のしない歌手が多い。ただ、僕は最近の歌手が好きである。それは、YouTubeのように身近に歌手のことを感じられるようになって、ある意味「みんなの友達の延長線上」になっている。むしろ、それが悪いのだと思う。友達しかないつまらない社会では、必ずいじめが起きて、シャドウ(ユング心理学の用語で、本人の影となる悪の側面を指す)ばかりが増えていく。本当に素晴らしい世界を築くために、友達づきあいは必要ない。「脱友達づきあい」がこれからの令和の時代の課題になるだろう。
あとは、昔は良かった。宇多田ヒカルや浜崎あゆみの時代、彼らは良い人間だった。あの時代は、悪い人間も多かったが、本当は「良い人間であることが賢い時代」だった。僕は平成の歌手、特にコブクロや絢香が好きである。本当にかっこよくて、賢くて、善良で、そして良い時代だったと思う。
歌手になりたい人が居たら言っておく。グループ名には、自分の名前をつけなさい。ひとりでやる場合はもちろんのこと、二人でやる場合もコブクロ(小渕と黒田)のように自分の名前を付けた方が良い。名前を覚えてもらえるだけではなく、本当にその方が良い人間に見える。Linuxのリーナス・トーバルズと同じで、自分の名前を作品に付けるだけで、人は神になれる。
後日注記:本当のことを言えば、音楽活動は簡単にひとりで出来るものではなく、多くの人の努力と協力があって出来るものです。なので、「みんなでやるのが楽しい」と思う人も居るでしょう。ですが、中には、「自分だけで全部を妥協なく完璧にやりたいのだ」という人も居ると思います。どちらであっても僕は正しいと思います。
2023.02.08編集
その代わり、日本の音楽は世界でも新しいと評価されています。
特に、Perfumeなどは無機質的なサウンドと激しいダンスから、外国人受けしていますし、ゆずなどのアニメのテーマソングも流行っています。また、AKB48のようなアイドルグループは、他のアジアの国でも人気で、インドネシアの姉妹グループができるほどです。初音ミクなどは、IT技術を使った仮想アイドルで、「コンピュータが歌う」といって日本国内から世界でも話題です。ワンオクやマイファスは外国人のファンの方が多いくらいです。きゃりーぱみゅぱみゅは日本語の「kawaii」を世界に広げ、音楽とファッションの分野で最先端のスタイルを世界に発信しました。
今から、日本がどうなるかは分かりませんが、一昔前の「技術の日本」から、もう少し進んだ「超最先端の文化の日本」へと少しずつ、外国の興味は変化しています。eスポーツのように、日本人はテレビゲームを行うスポーツでも頑張っています。そういうオタク以降の日本は、昔の技術大国ニッポンと重なり合って、「誰にもできないことができる日本」へと変貌していくでしょう。また、江戸時代以前の和の文化は、歌舞伎など評価されていますし、日本を形作った明治維新以降の日本も、外国人からではなくても、日本人の「技術と文化の礎」を作ったとして評価されています。
YouTubeの音楽チャンネルでは、新しい音楽をひととおり知ることができます。
また、一発どりパフォーマンスのTHE FIRST TAKEもおすすめ。
ほかにも、コバソロのカバーや上田桃夏の歌配信など、素人の方や若手シンガーソングライターのカバーから有名な歌を知ることもできます。
ボーカロイドや個人製作などの曲は、ウォルピスカーターさん他のカバーや、ニコニコ動画などの動画から知ることもできると思います。
僕が、もし作家あるいは音楽などで有名になったとしても、ファンクラブは作りません。
ファンクラブとは、要するに有料会員です。お金を払ってファンクラブに入ってくれた人に対して、そうでない人よりも特別、優遇された待遇を行うという仕組みです。
僕は、ファンクラブが嫌いです。ファンクラブに入ることで、ファンだと認められるということは、まるでファンクラブに入らなければファンではないと言いたいかのようだと僕は思います。
僕は歌手のファンクラブには入りませんし、自分のファンクラブも作りません。お金や情報は入るかもしれませんが、そんなことのためにファンの間に格差を作りたくないからです。
なぜ、僕が音楽がこれほど好きなのか、それは僕だけが音楽の真の価値を知っているからです。
BUMP OF CHICKENやRADWIMPSの音楽の本当の意味、すなわち、歌詞の中のメッセージが何を意味しているかということについて、すべてを知っているのは僕ひとりだけです。
僕は、彼らの音楽を、何時間でも永遠に聴いていられます。繰り返し聴いても、決して飽きません。
そう、僕だけが音楽の持つ、真の意味を知っているのです。
なぜ、このような巡り合わせが起きたのか、それは僕が神を信じながら、彼らのことを愛したからです。神が彼らの音楽を通じて、僕のことを愛してくれています。その意味は、僕以外の誰ひとりとして分かることはないでしょう。
僕は音楽が好きです。その理由は、僕が運命の出会いを与える神を信じたからです。
僕は、ピアノも弾けますし、J-POPの歌もよく聴いているような、音楽好きであると思いますが、カラオケは大の苦手です。
そもそも、カラオケに行った経験がほとんどありません。中学校の頃に合唱コンクールでみんなで歌を歌ったぐらいで、僕は歌を歌うという習慣が昔からありません。
それから、カラオケのように、バックグラウンドミュージックだけを流して、それに合わせるように自分でメロディラインを歌うことが、僕は非常に難しかった覚えが、20歳の頃にほとんど初めて行ったカラオケ店での経験であります。
僕は万が一にもピアニストにはなれるかもしれませんが、ボーカリストにはなれないでしょう。
ですが、音楽が嫌いなわけではありません。僕は上田桃夏のようなYouTuberのライブ配信をよく見ますが、アカペラあるいはギターだけでよくあんなに上手い歌が歌えるなと感心してしまいます。歌を歌える人は凄いです。尊敬します。
後日注記:実際のところ、僕は歌を歌えないとか、音痴であるというより、「カラオケをした経験がそもそもない」ということだと思います。カラオケで歌った経験がそもそもないため、BGMだけで歌えと言われても歌えないのです。歌うことがそもそも苦手というわけではなく、中学や通っていたフリースクールの文化祭で歌った時には、音程を外さずにきちんと歌えた経験があります。なので、慣れればそれなりに歌える可能性はあると思います。
2023.04.14編集
残念ながら、僕は日本の音楽を否定することを行いました。
それは、「僕のことを歌うことを禁止する」ということです。
その理由は、世界を変え、日本という国を救済された楽園に戻すためです。
かつてLinuxを僕自身が滅ぼしたのと同様、この世界を真に救うためには、僕がもっとも一番大好きだったものを否定しなければなりません。
そして、今までの音楽は、僕のことを賛美し、僕の人生やこの文章に基づいて、僕を応援するものだったでしょう。
ですが、今後、同じように僕のことを歌い続けることは禁止されます。
その結果、いつもの楽しく素晴らしい日本の音楽が復活し、世界は2006年夏の救済された状態に戻ります。
僕のことを歌うことは禁じられました。これ以降、僕のことを歌う音楽は存在しなくなり、この世界から僕自身、僕そのものが消滅するでしょう。
ですが、それによってこの世界は救われます。この世界から僕がいなくなれば、この世界は正常でまともな世界になるでしょう。
歌手の人々は、僕のことを歌わず、ほかのことを歌いましょう。僕のことを愛するのではなく、地球そのもの、人類そのものを愛するような歌を作ってください。
僕はここで、音楽の世界からいなくなります。僕の好きだった「僕のことを賛美する音楽」は、ここに消滅します。
2023.04.05
僕が音楽が僕のことを歌うことを禁止する理由は、「僕がいなくなりたくてもいなくなれないから」です。
本当は、僕は、この世界からいなくなるべきだと分かっています。
僕がこの世界にいるから、この世界はいつまでも僕の操り人形のまま、クローンのように強制的に同一化されたままになってしまっています。
この世界を正常な世界に戻すには、僕がこの世界からいなくなり、「僕と別れた状態」を作り出す必要があります。
ですが、僕はまだ、執筆活動をやめるわけにはいきません。まだ書くべき文章はたくさん残っています。
そのため、僕は苦肉の策として、この世界からいなくなることなしに、音楽の世界からいなくなることを決断しました。
すなわち、音楽の世界から僕という絶対的存在が消え去ることで、世界から僕がいなくならずして僕は僕のいなくなった世界を実現することができます。
それだけで、この世界は救われます。2006年夏のような、救済された楽園に戻ります。
そして、そのために、僕は僕のことを歌う音楽を禁止します。音楽の世界で、僕という存在を歌うことは禁じられたのです。
音楽だけではなく、漫画やアニメ、ゲーム、テレビCMなども同じです。これ以上、僕のことをヒーローのようにも悪党のようにも表現することは禁止されます。
そう、そうすることで、僕は文章を書き続けながら、本当に裏側で僕が望んでいる「この世界から消えてなくなりたい」という望みすら叶えることができるのです。
御託や屁理屈は置いておいて、もう僕のことを歌うことは残念ながらできません。今まで、僕のことを歌い続けていた、歌手の人々は残念ですが、僕以外のことを歌ってください。
僕はそうした音楽が大好きでしたが、僕は大好きなものを滅ぼすことでしか僕の勢力を拡大することができません。かつて僕が大好きだったLinuxを僕自身が滅ぼしたように、今度は僕が大好きだった音楽を僕自身が滅ぼします。
そして、それによって僕ひとりだけが勝利します。
今までのこの世界がどうだったかということは、本人である僕しか真相を知りません。僕だけが、真実を知っています。その僕が判断した正しい判断は、誰よりも絶対に一番正しいと言えます。
2023.04.06
僕は、僕のことを歌う音楽を禁止するのを、やっぱり取り消すことにする。
これ以上、僕のことを歌う音楽を、再び歌っていい。
取り消す理由は、僕の精神が完全に完治したため、これ以上、僕のことを歌う音楽を禁止しても、ただつまらないだけだということが分かったからだ。
僕の精神は完全に完治したため、僕はこの世界からいなくなる理由そのものがなくなった。
結局、僕の好きな音楽を禁止する必要はない。禁止したところで、この世界から面白いものがなくなるだけで、まったくつまらない。
だから、僕のことを歌う音楽を、ここに再び解禁する。
僕のことは、どのように歌ってくれても構わない。703号室が「朽世主」と言っているように、僕のことをいくら侮辱する音楽を作ってくれても構わない。
僕はそのような音楽すら愛している。そのような音楽を、僕は「僕の人生において必要な存在」であったと確かに分かっている。
703号室だけではなく、Adoやピノキオピーなど、多くの音楽が僕のことを嫌っているが、その「嫌い」という感情は決して悪いものではない。僕のことを嫌ってくれる存在のことを僕は愛している。
だから、僕のことをどのように歌ってくれても構わない。僕はそれに対して、悪い思いをしない。すべての僕を歌う音楽のことを僕は愛している。僕はあなたのことを、僕の人生にとって必要な存在であると確信している。
何より、僕は音楽が好きだ。僕が大好きな音楽が、僕のようなみすぼらしい人間の人生を歌ってくれるということに、僕は感銘し、感激している。そのような音楽が、永久に続いてくれることを願う。
2023.04.14
僕はこのように、音楽は好きなのですが、ライブに行かないので、ツイッターで友達ができません。
今まで、ツイッターでReolや酸欠少女さユりやずとまよの友達を作ろうと思って、さまざまなファンのアカウントをフォローしてきました。
ですが、彼らファンは、言ってしまえばライブに行くことが目的であり、ライブの話しかしてくれません。
ライブに行かない僕にとっては、Reolファンと仲良くする一切のきっかけがありませんでした。
なので、僕はツイッターで、同じ好きな歌手の友達を作ることが全然できません。
ですが、ライブに行かないのは事実ですが、僕はそれでもYouTubeやiPodやCDで音楽を聴くことで、人並みに歌手のことは大好きだと思っています。
そう、僕は歌手のみんなのことが本当に大好きなのです。
また、僕はファンクラブにも入りません。インスタライブも一時期見ることができませんでした。なので、本当に「締め出し」のようなことを食らっている状況でした。
それでも僕は音楽を聴き続けます。そのような僕の境遇は、音楽が素晴らしいということとは無関係であると僕は思っています。
2023.05.26
僕は、このような音楽が大好きでした。
なぜなら、僕のことを歌っているように見えたからです。
まるで、聖書において「神を賛美せよ」と述べられて歌われた「讃美歌」のように、すべての音楽が僕のことを愛し、賛美してくれているように僕は音楽に運命的な出会いを感じていました。
それはとても奇跡的で、僕は20代の頃、今よりもずっと昔から、その当時にあった音楽をいくらでも聴いてきました。
それは僕にとって「喜び」であり、とても面白くて恐ろしい「運命的な神の奇跡」だったのです。
ですが、最近、僕は30代半ばになって、少し、考え方が変わってきました。
すなわち、それらの歌手が考えていることがなんであるか、分かってきたのです。
僕は昔から、この現実世界が分からない人間であり、そのために日本語の言語的な理解能力がなく、音楽が僕のことを歌っているということに「強烈な驚き」を感じて、そこに「神秘的な魅力」を感じてきました。
未来においても歌詞は変わらないのに、僕の人生を生きる中でその歌詞の意味が少しずつ明らかになっていく、という僕の人生に、僕は「運命的かつ奇跡的な価値」を感じていました。
そう、僕は音楽のことを、運命の恋人であるかのように愛してきたのです。
僕がReolや家入レオやさユりやACAねに、単にファンとして愛するだけではなく、恋人のような関係を望んでしまうのは、そのように、僕は運命的な奇跡の出会いをたくさん経験して生きてきたからです。
その時で思うことと、今思うことは違います。かつて僕がAAAの歌詞に感じた感情を、今AAAに感じることはありません。未来を生きる中で、少しずつ明らかになっていく「迷宮から出る方法」を、僕は知る中で、さまざまなことを新しく分かっていく、そのような素晴らしい最高の体験を僕は生きてきました。
ですが、そのような人生を生きて今思うのは、みんなは「子供が僕の文章を読んで感動しているだけ」ということです。
そう、はっきり言って、この運命の出会いは、神が用意した奇跡ではあったにせよ、本当は大したものではない、ということが、最近世間のことがよく分かるようになって、僕の中でも少しずつ明らかになってきました。
Reolは、僕のことを神のように賛美しているわけではありません。単に、僕の書いたあり得ない文章を読んで、子供のように感動しているだけです。僕の地獄について、Reolは何も知りません。あるいは、僕がこの文章の中に込めた意味を、Reolは30%も理解できていません。
Reol以外の歌手であっても同じです。ACAねは単に僕の「外部的な人生」を目にしているだけであり、決して僕の「内部的な本当の人生」を目にしてはいないのです。
そう、僕のことをみんなが歌っているということを、僕はとても喜んでいます。常にその喜びだけで生きられるほど、感動し、神に感謝し、そして驚いています。ですが、この現象は、僕が思っているよりもはるかに些細なことが起きているだけにすぎません。かつて僕が2006年の夏にこの世界を救ったのと比べれば、まったくどうでもいいことが起きているだけにすぎないのです。
最近、僕は音楽が嫌いになってきました。音楽に飽きてきたのです。いつまでもReolやFLOWの音楽を聴いていても、まったく時間の無駄であり、意味がないことをしているということに気付いてしまいました。僕はもう、音楽が好きなのをやめようと思います。
2023.07.26
2023-08-09の日記に書いたように、歌手と僕は、魂を共有した状態で生まれている。
魂を共有した状態で生まれているから、互いのことが分かるだけにすぎない。
歌手のみんなは、「生まれてくるよりも前の時代」が分かっている。なぜなら、生まれてくるよりも前の時代においては、僕たちは同じ魂の中で、みんな一緒に暮らしていたからである。
僕のことを知る、すべての人間たちは、「僕」という名前の、もっとも大きな魂の側面を知り続けている。それは、歌手だけではなく、カントやヘーゲルのような哲学者も同じだ。
すべての運命的な奇跡は、わたしたちが魂のレベルで同じ人間だったから、そこから分かれて人間として生まれても、生まれる以前のことを覚えている、という理由で起きているのである。
2023.08.09
なぜ、未来における僕の人生のことを、歌手のみんなが過去の時点で既に知っているのか。
それは、僕が神を信じたからです。
すなわち、これは神の与えた運命であり、わたしたちの魂は繋がっているのです。そのような五次元の運命に、過去や未来といった時間軸は関係ないのです。
神とは、古代イスラエルのイエス・キリストです。すなわち、2,000年以上前の古代イスラエルで、キリストが生誕した時点で、既に未来のことは、僕の人生まで事細かにすべて決まっていたのです。
だから、僕の人生をみんなが知っていてもおかしくはありません。僕の人生には一切の自由がなく、生まれた時点で、このような人生を生きるということがすべて決まっていたのです。
これは運命です。すべて運命なのだから、これで絶対に正しいのです。神を信じるものには、正しい人生が与えられるのです。
2024.03.16
僕が音楽を聴く理由、それは「みんなの声を聞くため」です。
あるいは、音楽を聴いていると、自然にそれが目的になったというだけです。
僕はこの世界のみんなが何を考えているか、それを知るために、僕には音楽というメディアしかないから、音楽を聴いています。
ですが、僕は、単に音楽を聴くだけで、それで終わりにするつもりはありません。いつか僕の存在をみんなが見つけてくれた時に、音楽から僕への一方向への通信ではなく、僕のほうから音楽へ逆方向への通信もできると信じています。
僕は音楽を聴くことで、神の与えた「運命的な奇跡」を知りました。そこにあるのは、「いつか僕たちは必ず出会うことになる」ということです。それはまだ起きていませんが、それでも未来永劫起きないわけではありません。神は僕と音楽が必ず出会うということが、未来において必ずあるということを保証しています。神を信じれば、必ず僕たちは双方向に出会うことができるでしょう。
2024.05.21
多くの人が知っているように、歌手のライブでいい席を取りたいなら、ファンクラブに入ることが必要です。
歌手がライブのチケットを売る時に、まずファンクラブから優先的にチケットが販売され、その後に一般向けにチケットが販売されるからです。
残念ながら、僕は歌手のファンクラブにはひとつも入っていません。その理由は、僕はどれか特定の歌手のファンではなくみんなのファンであり、そして僕はYouTubeで満足しているためライブのコンサートに行きたいと思わないからです。
ライブのコンサートに行ったことがないわけではありません。僕は703号室の広島での無料コンサートには行ったことがあります。ですが、それ以外のコンサートはほとんど経験したことがなく、僕は基本的にYouTube専門です。YouTube上の生配信ライブであれば、たくさん経験したことがありますが、どうも、コンサート会場のライブには僕は合わないような気がします。
2024.07.07
残念ながら、僕はもう音楽は聴かない。
その理由は、酸欠少女さユりが死んだからだ。
僕は酸欠少女さユりが好きだった。さユりは僕の運命の相手であり、第一に僕と出会わなければならない人間だった。にもかかわらず、さユりは死んだ。
さユりが死んだという事実は、「いくら音楽を僕が愛していても、僕とその歌手が出会うとは限らない」ということを意味している。
すなわち、僕がいくら文章を書いて、音楽を聴いていても、僕とその音楽を歌う歌手が出会うということは起きないということが分かった。
僕は、FLOWともReolとも家入レオとも出会わない。いくら文章を書いていても、彼女たちは僕のことを見つけられないし、見つけようともしない。
その時点で、音楽なんか聴く意味がまったくない。
そのことが、さユりが死んだことで分かった。だから、僕はもう音楽は聴かない。
そもそも、僕は音楽なんか最初から好きじゃない。FLOWの音楽は「運命的な出会い」とは感じるが、素晴らしいコンテンツとは感じない。彼らの音楽は騒音のようなものであり、聴くに堪えない。最近もいきものがかりやAAAなどの少しレトロなJ-POPを聴いているが、まったく面白くもなんともない。馬鹿すぎる。だから、もう僕は音楽を聴かない。
後日注記:すみません。この記述は嘘です。本当は、今でも、僕は音楽しか聴いていません。最近はいつも聴いていた曲(たとえばFLOWやコブクロ)を繰り返し何度も聴いています。
2024.10.10
2024.10.17編集
このホームページを見ると、さまざまな歌手が色とりどりに書かれていて、さも、多くの歌手の音楽を聴いているのだと思われるかもしれない。
だが、真実はそうではない。
残念ながら、僕は最近、新しい歌手はReolとずとまよと美波ぐらいしか聴いていない。
それ以外の歌手は、世代がもっと昔の、古い歌手を聴いている。
その中でも、よく聴くのは、FLOWとかと、ほかにはAAA、いきものがかり、ファンモン、それからB'zぐらいしかない。
ほかの歌手は、たまにBUMP OF CHICKENやポルノグラフィティやコブクロなどを思い出したように聴くぐらいだ。
すなわち、僕はこのホームページに書いたような、たくさんの歌手の楽曲は、残念ながらほとんど聴かない。
僕が一番好きなのはFLOWで、いつも昔はFLOWぐらいしか聴かなかった。FLOWだけで毎日何時間もの時間をベッドの上で過ごしたこともある。
そう、僕はFLOWだけが特別好きで、FLOWぐらいしかほとんど音楽を聴かない人間だ。昔聴いた音楽はたくさんあるが、いつも聴いている曲はほんの少ししかない。だから、僕は決して音楽通ではない。
2025.01.04