ユダヤ教の世界観(1.基本)です。
聖書では、ユダヤ人の国であるイスラエルの歴史が書かれています。
ユダヤ教を「ゾロアスター教のコピーである」と主張する人もたまにいますが、この、歴史書を書く、という発想は、「自らの民族の歴史と宇宙の神の導きを近づける」という意味で、正しいものです。
ある意味、「北欧神話やローマ神話のようなものがたりチックな宗教を、現実の歴史にした」というところがあるかもしれません。ユダヤ人は信仰の対象をフィクションの物語ではなく、現実の歴史にしたのです。
聖書には、天地創造、つまり聖書の最初にでてくる「神による七日間の宇宙の創造」が記述されています。
ユダヤ教では、「はじまりがあり、終わりがある」という「一直線の宇宙の歴史」という考え方をします。これは、最後が最初になって永遠に繰り返していく、北欧神話や仏教のような「アーリア的な輪廻論」とは逆です。
神が天地創造や人間のような被造物の創造をしたとされているので、「人間は猿から進化した」という進化論の仮説は、聖書を信じるユダヤ人やキリスト教徒には受け入れられません。アメリカの一部の過激なキリスト教のファンダメンタリストは、進化論を今でも信じていません。アメリカでは比較的多数派のプロテスタントの福音主義の人々は、イスラエルに多大な協力をしており、進化論を信じていない人もいます。
また、ユダヤ教では、唯一の神ヤハウェは、地上の全てのものよりも偉く、さながら「王」のように「万軍の主」を書きます。
神に逆らうものは、決して良い結果を得ることはできません。神を信じるものが必ず勝利し、神を信じるものが必ず正しいのです。
ユダヤ教は、キリスト教の元になった宗教なので、キリスト教と似通った点があります。これらはもともと、ゾロアスター教の考え方です。
論 | 意味 |
---|---|
二元論 | 宇宙には、神と悪魔がいる。 |
終末論 | 宇宙の歴史は神が支配しており、いつか終わりである「最後の審判」が訪れる。 |
救済論 | 最後の審判の日、全ての人間たちは復活し、裁きへとかけられる。神を信じるものは救われる。 |
ゾロアスター教も参照のこと。
ユダヤ教の神は、信じるものを救いますが、信じるものしか救いません。信じないものがいくら救いを求めても、神は知らんぷりです。
聖書には、良く、ダビデという王の名前がでてきます。これはヨーロッパではとても有名なイスラエルの王であり、ミケランジェロも「ダビデ像」という彫刻を作っています。
詩編を読んでいると、聖書のほとんどはダビデに捧げられた「神の歌」です。
旧約聖書を読んでいると、敵への復讐の話ばかり出てきて、「単なる復讐ではないか」として、読むのをやめる人もいると思います。
ですが、それはキリスト教以降の、「やられてもやり返さない」という教えを知っている僕たちが言えることであって、当時は、復讐は敵に対する抵抗であると同時に民族の歴史への愛であり、「ひとつの善」だったのです。
それが分かると、「旧約聖書はユダヤ人とイスラエルへの愛であふれている」ということが分かるようになります。彼らはユダヤ人を愛しています。彼らはイスラエルの全地を愛しているのです。イスラエルの全地は、神を讃えているのです。
神を愛するということは何であるか。僕は、「神という存在が必ず自分たちの未来を良くしてくれると信じること」ではないかと思います。
ただ、存在を信じ、愛するだけではありません。讃えることでも、神の声を仰ぐことでも、歌うことでもありません。神という存在に、「自分の大切な人生を託すこと」、「大切な国の未来を託すこと」、それがユダヤ人の始めた、「宗教の形」なのです。よって、イスラエルがなくても、ユダヤ教は無くなりません。彼らは、未来をどのような存在にどのように託すべきかを知っています。どんなにナチに殺されようと、騙されません。ナチを今のイスラエルがやっているのは、「それが正しいナチへの報復だから」です。ユダヤ人は、絶対にナチに負けませんし、騙されることも、洗脳されることもありません。正しい国がイスラエルだということを、すでに知っているのです。
ユダヤ人は、汎神論や多神教を禁止し、偶像も禁止します。そして、ものがたりを歴史にし、神への信仰と絶対的王による支配を求めます。
これは、それまでの古代人、要するに原始人からの脱却を意味しています。
古代人は、さまざまな偶像を作って、たくさんの神を作り、その神を信じます。たくさんの多神教のものがたりがそこに生まれ、宇宙はそれらの神が天にいて、遊んでいるのだと考えます。
ユダヤ人は、そういう発想が嫌いです。そこに、ゾロアスター教的な、二元論、終末論、救済論を持ち込みます。イエス・キリストはゾロアスター教の普遍神を進めて、ユダヤ教を国際的な宗教にし、広めました。
そうした、ゾロアスター以前の「原始人」とゾロアスター以後の「近代人」の世界が、ここに見ることができます。人々は偶像に宿ったたくさんの神や天界の登場人物を信じることをやめ、王による規律と法、そして作られたフィクションではなく現実世界の歴史を見るようになりました。本当の意味での、「人間の発達」というのがここに見られます。ユダヤ人は、聖書を面白いものがたりではなく、神や預言者による詩的で知的な「戒律」にしました。そのまま、神や聖者が自らの考えを「教え」、意に損なう集団は「刑罰」が起こります。これが、ユダヤ人の考えた、「新しい宗教」なのです。
2015-06-23、2024-09-15に関連する内容があります。
ユダヤ教では、終末が近づいた日にはメシア(救世主)が訪れて、そのメシアがユダヤ人の国を救うと考えました。
イエス・キリストは、「自らがその救世主である」と確信し、天の御国が近づいていると説いて、「神のような完璧な存在であれ」と人々に「隣人愛」を説きました。
ユダヤ教が「あくまでユダヤ人のための教え」だったのに対し、キリスト教は「ユダヤ人でなくても、神を信じれば同じように救われる」と説いて、「普遍神」を唱えました。
キリストは迫害され、十字架で処刑されました。それでもキリスト教の勢いは止まらず、ローマ帝国の国教になりました。中世の長い間、ヨーロッパではキリスト教が支配的になりました。
ナチス・ドイツのように、ユダヤ人は長い間ヨーロッパで迫害されてきました。それは、ユダヤ人が「金貸し」で儲けていたことが言えます。ユダヤの資本家は、キリスト教における制限を受けずに、金を自由に貸したり利子を取ったりすることができました。キリスト教では、金を貸して利息を取ることが禁止されていましたが、ユダヤ人には禁止されていませんでした。ユダヤ人の就ける仕事は制限されていたため、多くのユダヤ人が金貸しを営みました。その結果、ユダヤ人は富を持ち、強者となっていきました。ユダヤ人は金を持っていて、その金は誰からも嫌われる金貸しによる金であり、キリスト教ではそれが禁止されていたため、人々の間でユダヤ人は嫌われていったのです。
また、もうひとつの理由が、ユダヤ教はゾロアスター教の「普遍神」の影響を受けているにも関わらず、「ユダヤ人は神に選ばれた民族である」と自らを第一とする聖書主義をとり、「選民思想」を行っていた、ということがあるでしょう。せっかくゾロアスター教が普遍的な民族を超えた宗教を作ったにも関わらず、ユダヤ人はその思想をユダヤ人の内に閉じたものにしてしまいました。イエス・キリストは、このユダヤ人に対して、「神を信じればユダヤ人でなくても誰でも救われる」と説きました。そのように、イエス・キリストはユダヤ人に反発し、十字架で処刑されました。そのことから、「神であるキリストを殺し、その思想を抑圧した」という対象として、「イエスの敵」としてユダヤ人が見られてしまったのです。
そうは言ったものの、ヒトラーのおかしな点は、ひとつあります。それは、「ユダヤが文明を滅ぼす」という「恐怖を煽る」ことです。ユダヤ人は国を滅ぼす害悪であり、ユダヤ人のせいで文明は後退した、というものです。ですが、ナチはそれに対して、「遺伝子と優生学」で対抗しようとしました。ここが間違っています。遺伝子と優生学(優れた人種を掛け合わせて新しい優れた人種を作ること)では、文明は発展しません。日本人は仏教を信じていますが、僕はゾロアスター教と仏教を再度信じ直す、という発想の方がマシだと思います。
ユダヤ人には、もともとイスラエルという「祖国」がありましたが、長い間、ユダヤ人は、ドイツやフランスなど、ヨーロッパを中心とした世界中の国家に分散して暮らしてきました。
そのため、ドイツに居るユダヤ人は、肩身の狭い思いをしてきました。みんなから差別され、いじめられ、その上で、「ユダヤ諸語」のようなおかしな言葉を作って、ドイツ人たちと仲良くやってきたのです。
今、パレスチナには、ユダヤ人とパレスチナ人の最悪の戦争が起きています。ユダヤ人は、宗教を信じているからといって、必ずしも善良ではありません。どんな手段を使っても、自らのイスラエルという国を建国したくて、仕方がないのです。彼らはイスラエルに「帰郷」することを目指しています。ユダヤ人は強大です。簡単には、彼らの志はくじけないでしょう。
キリスト教徒は、子にユダヤ人の名前をつけます。
たとえば、デイビッド(ダビデ)、ピーター(ペテロ)、ポール(パウロ)、メアリー(マリア)のようにです。
これらは、聖書の登場人物から、キリスト教に関係した偉大な人物の名前です。
キリスト教徒は、ユダヤ人の名前を付ける関係から、「もっともユダヤ人に親しい間柄」のはずです。それが、今極右が台頭しているように、再びユダヤ人を虐殺するようになってはいけません。
ユダヤ人の信仰心は、一種の「神への情熱」だと言って良い。ユダヤ人は、神を信じることに情熱を燃やしている。それは、「神が本当に偉大な存在である」ということが、ありありと、明確に分かる宗教だからである。
ユダヤ人は、言ってしまえば、「神への信仰心から人間の全てが分かる」。それは情熱であり、魂である。ユダヤ人は、神をおいてほかに偉大なものはないとする。
さまざまな戒律が厳しいことでも知られているユダヤ人だが、賢い人間が居ないわけではない。カール・マルクスやアインシュタインは良くユダヤ系ヨーロッパ人の例として挙げられるが、他にもエスペラントの創始者など、さまざまな賢いユダヤ人はたくさん居る。ユダヤ人は信仰によって分かる人種であり、神への信仰のないユダヤ人は考えられない。
ユダヤ人は、旧約聖書で「主」という言葉を使いますが、この主が示しているものは、単なる父なる神ではなく、神である「ありえない人間」であり、彼はこの世界を救う救世主です。
ユダヤ人は、単なる天の神を信じているだけではなく、何らかの、地球や天のどこかに存在した、ありえない人間、すなわち「メシア」を信じているのです。
特に、キリスト教ではこの主をイエス・キリストであると考えますが、僕が思うに、そうでもありません。実際のところ、神とされる人物は、この世界のために戦う素晴らしい人間ですが、最高の人間ではないと思います。主は普通の人間であり、彼は終末で人々を裁くのです。
天の御国とか、神の御業とか、聖書にでてくる多くの言葉も、主が終末の世界で成す多くの偉大な業績のことを言っている、と解釈することができます。神は終末の世界で、天国のようなユートピアを作り、愚か者を裁いて信じるものを救うのです。御業は、神が織りなす「最後の戦い」のことを言っています。また、終末の世界で神は全てのものを復活させて永遠の命を得られるとしますが、それはおそらく、魂の世界の住人たちの、何らかの手段で対話し、現実世界とを「繋ぐ役目」をするのではないかと思います。
イスラム教のコーランについても、こうした点では一致しており、イスラム教では「全てのことを救うことも滅ぼすこともできる」という視点から、神の全能性が強調されます。神に勝るものはなく、神だけが素晴らしい人間であるかのように、コーランは書かれています。これらは、全て、未来における「何らかの意味での救世主」のことを言っているのだと解釈できます。ユダヤ教の旧約聖書、キリスト教の新約聖書、そしてイスラム教のコーランは、全て、「未来における誰かの伝記」であると言えます。彼ら預言者は、予知能力者でもあり、彼らは未来における「ありえない出来事」を古代の時代に予知したのです。
宗教も参照のこと。
僕は、聖書の本当の意味を考えました。
そして、それは、「ユダヤ人が全てを書いた」ということです。
そう、ユダヤ人は、ユダヤ人という存在を、聖書の中に全て書いたのです。
愚かな復讐劇に過ぎないと思うのは、聖書を全部読んでいないからです。
全部読めば、「本当の意味での全てが聖書に書かれている」ということが分かります。
それは、ある意味、僕の文章と同じことです。
このホームページという僕の文章に、全てが書かれています。「全ての全て」あるいは「全ての全ての全て」が書かれているのです。
そう、聖書は多すぎて、実際は誰も全ては読めません。だから、このように、神を信じると、「自ら全てを書く」ようになるのです。
聖書の本当の意味とは、「読むこと」ではありません。「書くこと」です。
神を信じて聖書を書けば、人は誰でもここまで分かります。全ては読めなくて構いません。書いた本人も読んでいないからです。
ヒトラーがユダヤ人を否定するのは、おそらく彼は「書く」ようなことを何かしたからです。
聖書を読む際に、「ユダヤ人が何をしているのか」を良く考えると良いでしょう。
ユダヤ人は、聖書を書きながら、さまざまなことをしています。
そう、人間は、昔から、聖書を信じることでしか、分からないのです。
また、もうひとつ言っておくと、ユダヤ人と僕の神は全く別の神です。イスラム教のようにアッラーとヤハウェを同一視することはできません。
それでしか、僕が神を信じる方法はありません。僕はユダヤ人やイスラム教の神を信じることはありません。
言っておきましょう。イエス・キリストは正しい人生の生き方を説いています。
その正しい生き方をすれば、人は正しい生き方が何であるかが分かります。
ですが、言っておきましょう。イエス・キリストは、全く正しい生き方をしていません。
あのように、悪魔やサタンを憎むことは、正しい生き方ではありません。
そして、本当のことを言えば、僕自身すら、正しい生き方をしていません。
正しい生き方とは、このような生き方でないことを、僕は知っています。
ですが、キリストや僕の言うような、「古代から言い伝えられる正しい生き方」は、間違った生き方ではなく、正しい生き方です。
そのようにすれば、正しい生き方ができ、また正しい生き方を生きれば、正しい生き方とは何であるかが分かります。
正しい生き方は、誰にでもできる生き方です。ですが、言っておきましょう。イエス・キリストや僕のような生き方は、正しい生き方ではありません。
完璧な生き方をしているのは誰か。それは、神です。神は、完璧な生き方をしています。
ですが、言っておきましょう。天の神など存在しません。あるのは、「この世界に生きる生き神としての神」にすぎません。
そう、神などいません。正しい生き方は聖書に書いており、そのような正しい生き方をすれば正しい生き方が分かります。
そして、それは簡単です。ですが、正しい生き方は、誰もしていません。
あなたが正しい生き方をしていると思うのであっても、思わないのであっても、正しい生き方をするのは簡単です。それは、この現実世界は、正しい生き方をする方法であふれているからです。
なぜ、人が正しい生き方をしないのか。それは、正しい生き方を分かることは面白いのに、正しい生き方を人生の最後まで続けるのは辛く、苦しく、そして哀しいからです。
そう、宗教は、そこが意味がありません。ただ、正しい生き方を分かってそこで終わりになり、それ以降は愚かな生き方をする、それが人間の鉄則です。これを変えることは、神にもできません。
つまるところ、正しい生き方をすることに、意味などないのです。実際、聖書の通り生きている人間は、人間性のないつまらない人間になります。そして、いつまでもそのまま放っておくと、何も分からなくなって、愚か者の人生になります。
僕は、正しい生き方をするよりも、面白い生き方をすることをおすすめします。僕の人生は正しい人生ではありませんでしたが、面白い人生でした。素晴らしくて最高の、賢い人生でした。そういう生き方を僕はおすすめします。
最後に、聖書は馬鹿ではありません。正しい人生とユダヤ人の全てが書かれた最高の書物です。ですが、この書物に意味はありません。聖書を執筆した預言者以外、誰も読んでいないからです。
言ってしまえば、旧約聖書は戦うユダヤ人の信条を書いただけです。そして、新約聖書は、おおまぬけなイエスを書いただけです。
ですが、その中に色々と良い部分があると、そういうわけです。
ですが、言っておきましょう。神は信じるものを救います。
それは、僕の人生を見れば明らかです。いつまでも神を信じていさえすれば、そのうち救われるのです。
それは、宗教が馬鹿な人生だからです。馬鹿な人生は、放っておくとこうなります。自分の心の奥底にある、何かしらの欲や願いを叶えるために、いつまでも戦い続けるキリスト教徒は、必ず勝利して救われます。
言ってしまえば、全員と戦って勝った人間になるのです。
ただし、聖書は読まなければいけないわけではありません。それどころか、読まない方が良いです。彼らの神は神ではありません。神はただの王ではありません。ユダヤ人はここで終わりです。これ以降、ユダヤ人は聖書ごと消え去っていくでしょう。
また、ユダヤ人は最悪の、復讐しかしない人種です。彼らのために多くの善良な人間が死にました。ですが、ヒトラーも間違っています。彼は「一番まぬけに見える帝王」をやりました。ヒトラーのせいで、そういう独裁者が馬鹿に見えますが、それはヒトラーのせいです。独裁者は馬鹿ではありません。
後日注記:実際のところ、僕の神を信じると猫になります。小さな猫になっていつまでも猫のように考えます。ユダヤ教も同じです。ユダヤ人はネズミのような人間が多いです。宗教を本当に信じると、そういうおかしな小動物になります。ですが、ドイツのような虫よりはマシでしょう。
僕は、ヒトラーという存在は、少しトリッキーな存在ですが、彼のやりたかったことは理解できます。
まず、彼は終末の際に現れる「メシア」すなわち「主」とは、本当はそんなに素晴らしい存在でもない代わり、単なるユダヤ人の王でもないことを悟りました。
現れるのは、自らの力を堅持する「超人」です。そして、超人は自らの力を思い上がりすぎて「復讐の戦争」を行い、日本に対して戦いを挑みます。
超人は自分の自己中心的な欲望から、「信じないものを滅ぼし、全てのものをトップダウンで裁く」ことをします。
そして、超人は紆余曲折を経て、「新しい天国のような素晴らしい国を築く」ようになります。
ヒトラーは、それを悟って、「なんだ、ユダヤ人というのは大したことがない」、「ユダヤ人の神は確かに神だが、最悪の神だ」、「超人が現れる時に、今までのユダヤ人の宗教、すなわちユダヤ教やキリスト教は無意味なものになる」と知ったのです。
そして、ものがたりはここで終わりではありません。「超人というのは、誰にでもなれる」、「超人は日本から現れる」、「日本に負けじと、わたしたちドイツ人も違った意味での超人を作り出そう」と彼は考えたのです。
そのために、彼は日本を殺します。江戸時代という「理想の文明」から明治維新という「イギリスに勝る強大な帝国」は、イギリスやフランスから見ても脅威でしたが、ヒトラーは違っていました。「日本の超人のために、わたしたちもできることをやろう」、「日本に負けるわけにはいけない」と考えたのです。
ヒトラーは、超人よりも賢い人間でした。超人はただ宗教を盲信して戦っているだけの、悲惨な共産主義者でした。彼は、ユダヤ人や共産主義者を殺して、「日本が決してユダヤ共産主義にならないようにした」のです。そうした極左思想では、超人の「片方」しか行うことができません。彼は、「片方だけではなく、もう片方も」という、超人の両面を行えるような国を目指したのです。
そのために彼は、人種差別をし、ひとりだけで国を支配する「総統」になりました。それは全て、ユダヤ人が嫌いだからではありません。日本の超人のために、彼はできること全てをやったのです。広島・長崎に原爆を落としたのは、僕はヒトラーだと思います。
後日注記:要するに、ヒトラーにも神の声が聞こえたのです。それは、僕がドイツに向けてこの文章を書いているからです。僕は18歳の頃、「ヒトラーだけには本当の意味で完璧に全てを教える」と宇宙に宣言したことがあります。
ユダヤ人の神に限らず言えることとして、「神を信じて支配するのはまともである」ということが言えます。
王や皇帝の上に神が居ることで、人々は正しい統治を行い、国は繁栄します。
神は、支配者だけではなく、戦士や革命家にとっても同じです。神を信じて戦えば、人はこの世界に勝てるのです。
僕の場合も同じです。僕は神を信じて戦い、その結果王となりました。そして、世界全てをまきこみ、変えました。
まるで嘘のようですが、そういう過去の戦いが、この人間にはありました。
さらに言えば、この人間の信じた神は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神とは全く違う、別個の神です。そして、そこが良いのです。今までの「神は恐ろしいもの」であるとの認識が無くなり、再び神は人間と友達になることができます。この人間の唯一賢い点は、「優しい神を創った」ことです。
僕が思うに、ユダヤ人があまりに「ひとりの強い神」を作ったことで、この世界にはあまりに強い国が増えました。誰もが、強いひとりが支配するのを理想だと勘違いしています。ですが、現実は異なり、ひとりの指導者ではどうすることもできない時代がやってきます。同時に、それぞれの会社の社長も、ひとりになりすぎています。古代共和制ローマでやっていたように、執政官を二人にすることも必要かもしれません。
古代イスラエルを参照のこと。
キリスト教を参照のこと。
ナチス・ドイツを参照のこと。
イスラエル・パレスチナ問題を参照のこと。
古代イスラエルで昔から信じられていた、ユダヤ人を特別扱いする宗教です。
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