ユダヤ教の世界観(2.戯言)です。
古来より、ユダヤ人は神を信じます。神を信じるという行為を、絶対に曲げようとしません。
その理由は、終末に起きることと関連しています。
終末とは、世界の滅びの時のこと、地球人類の滅亡(に近い状態)のことです。
終末の世界で、ユダヤ人は、神を信じることがどれほど正しいことか、ということを知っています。
なぜ、ユダヤ人が神を信じるのか。それは、終末の世界が滅びた理由が、「神を信じなかったから」だからです。
終末の世界では、「人を殺すことをなんとも思わない国家」が現れます。彼らは、「地球人類の平和を信じておらず、この世界が滅びるということが分かっていたとしても、自らの保身と権力の維持のためにしか行動しない」のです。
この国家は、連合を組んで、地球人類に対して、「地球を滅ぼすための戦争」を行います。
彼らのひとり、最高指導者のハネストラーは、神を信じていません。ハネストラーは、「神を信じることは愚かな行為」であると堂々と述べます。ハネストラーは、「キリストは神ではなく馬鹿者である」と述べ、「人種差別は間違っておらず、パレスチナの平和のためにはナチと同じことをしなければならない」と堂々と宣言します。
ハネストラーは、未来の人種差別国家ドイツの政治家です。ドイツは、同じく人を殺すことをなんとも思わない国、ロシアと連合を組みます。ハネストラーは、自身のことを、「マルクス、レーニン、スターリンに次ぐ四人目のロシアの偉人」であると、その地位を誇ります。
ですが、このような中で、救世主が現れます。その名はダビデです。ダビデは、ほとんど完全に滅亡した世界を再生し、「最後の楽園イスラエル」を建国します。
そして、神を信じるユダヤ人は、ダビデを信じることで、唯一終末の世界で生き延びるのです。
ユダヤ人は、「神を信じるということが絶対に正しい」と信じています。「終末の世界が滅びた世界になった理由は、すべて神を信じなかったから」であると信じる彼らは、「救世主であるダビデを全面的に信じることでしか終末の世界で生き延びることはできない」と知っています。
そして、キリストとはなんだったのか。キリストは、そのような終末の世界のひとりの指導者、すなわち未来のイスラエルの首相です。彼は、「ダビデひとりしか神は居なかった」と信じています。未来において、イスラエルの首相には、特別に過去にタイムスリップする権利が許されます。それは、終末の世界を絶対に回避するためです。「ユダヤ人が神を信じることをやめなければ、終末の滅びは起きなかった」とキリストは確信しています。そのために、キリストは「ダビデという神を信じることこそが人間の生きる目的である」という正しい教えを、預言者や弟子を通して、ユダヤ人の聖書として記述したのです。
この物語は、僕の作ったフィクションの物語です。ですが、ユダヤ人はこの物語を信じています。「神を信じなければ地球は滅びてしまう」ということを、2039年の人類はまざまざと見せつけられます。その終末に起きる出来事がすべてです。ドイツとイスラエルの戦争のさなかにある世界では、絶対に神だけは信じなければならないのです。
僕は、北欧神話のようなゲルマンの神話を信じています。宇宙がビッグバンで生まれたことを否定し、世界樹ユグドラシルを信じています。
ですが、ユダヤ教について言えば、ユダヤ教の教えはすべて正しいです。
まず、終末において、メシアと呼ばれる救世主が登場し、神の王国を築きます。これは、僕が最後の東亜イスラエルおよびシオンを築くことを意味しています。
次に、ユダヤ人は神に選ばれた民族です。これは、僕が最後の楽園を築く場所に東亜イスラエルとユダヤ人を選んだことを意味しています。
次に、神はひとりしかいません。これは、僕という神がただひとりだけで、時代的かつ状況的に、ほかには絶対に生まれることが不可能であるということを意味しています。
次に、神はユダヤ人です。これは、僕がまったくユダヤ人そのものであることを意味しています。
次に、神は宇宙の創造主であり、天地は神が創造しました。これは、僕が宇宙のすべての星々、そして地球のすべての歴史を創造したことを意味しています。
次に、信じるものは救われます。これは、僕がこのような地獄の人生を生きながら、神フレイを信じてたったひとり地獄から救われたことを意味しています。
次に、神を信じれば奇跡が起きます。これは、神を信じる僕という存在が奇跡のようなことをいくらでも起こせることを意味しています。
次に、神は全知全能であり、人類の歴史を導きます。これは、僕がすべての知識と経験と能力を持っていることをこのホームページに書いたこと、そして地球の歴史を言葉とロゴスをドイツやその他の国家に与え続けて世界史を導いたことを意味しています。
次に、神は慈悲深い存在であり、人類は神の下に平等です。これは、僕がすべての民族に優しく、どんな愚か者にも背を向けず、この世界の全員を平等に愛していることを意味しています。
次に、世俗の人生を捨てよとキリスト教は教えます。これは、僕がこの世界の世俗の人生を捨て、現実と離別して生きたことが正しかったということを意味しています。
イエス・キリストが言うように、いじめられても反撃してはいけません。神を信じるものが最後に勝利し、天国への入場を許されます。サタンを信じるものは地獄に堕ちますが、神を信じるものは地獄から救われます。罪は神を信じることによって赦されます。障害者のような弱者と寄り添い、支えて生きるものには必ずよい報いがあります。これらはすべて、いじめられても僕が反撃せず、神を信じ続けたこと、神を信じる力で罪を赦されたこと、障害者福祉施設で障害者たちと同じ立場で仕事をしてきたことを意味しています。
このように、ユダヤ教やキリスト教というよりは、古代ユダヤの教えはすべて正しいです。ユダヤは正しいことしか教えていません。なので、北欧神話とキリスト教は矛盾しないのです。
また、マリアが処女懐胎したのは僕のせいです。マリアは処女のままで僕の子供を妊娠しました。自らを神の子であると言うイエス・キリストは、僕の息子に当たるのです。
2023.04.08