国会・法律・行政の世界観です。
法律に詳しい父親の話を参考にしています。
日本の政治体制や思想を決める憲法。「法律の法律」とも呼ばれる。以下のリンクから、日本国憲法の条文を見ることができます。
憲法には、九条で平和憲法が定められている。憲法の条文は以下から参照できる。
だが、憲法九条があるにもかかわらず、日本には自衛隊という「守備と自衛専門の戦力(武力)」を持っている。
これは長い間議論されてきたことで、「果たして自衛隊を持って良いのか」、そして「戦力を持たなくして、どうやって国を守るのか」という、「憲法改正論」と「自衛隊廃止論」が日本には根強く残っている。
僕は、その上で、「永久にこれを放棄する」という条項がついていることに、大きな重要性があると思う。永久に、ということは、「この条項を簡単に変えてはならない」ということを意味しているからである。
だが、僕は、柔和な考え方をする。平和憲法があることは、良いことである。それは、世界においてとても先進的な「戦争を放棄する条項」を持っているからである。だからといって、平和憲法に拘りすぎるのも良くない。武力がなければ国は守れない。バランスを取って、自衛隊があることを憲法に書き加えることは僕は良いことだと思う。
そもそも、軍隊を廃棄するという発想はどこから来たものなのか。
現代の地球では、過去の戦争とは比べ物にならないほど、巨大で強力な「総力戦」と呼ばれる戦争が起きている。
戦車、戦闘機、軍艦、空母、ミサイル、そしてサイバーや宇宙に至るまで、「人を殺すためにここまでするのかと言われるぐらいの強大な兵力」を持っている。
この、巨大軍事力は、「相手に対する対抗」から生まれている。よって、自分の軍事力を強大化しても、その結果相手がさらに強大になり、さらに大きな軍事力を向上させ続ける、という「兵力の悪循環」が生まれる。
それと同時に、核兵器が生まれたことによって、兵力のレベルをすっとばして、「核兵器だけで相手の国全員を皆殺しにできる」ぐらいの、最凶の軍事力が今、まさに生まれている。
こんな軍事力の増強ばかりをしていると、地球は終わりである。人類はすぐに滅びる。利害関係での対立は、過去の弓や槍で戦っていたころとは比べ物にならないくらい、「無意味にたくさんの犠牲を出す」。そう、それが先の太平洋戦争の日本とアメリカの教訓である。
近代軍事力など、あるべきではない。それは日本だけではなく、どこの国も共有する価値観である。軍隊を無くすためには、軍事力に対して軍事力で対抗してはならない。戦争を起こされても、別の方法で対抗する、ガンジーのような指導者を生み出せば良いのである。ガンジーはイギリスによる奴隷化に非暴力と不服従で反抗し、独立を勝ち取った。相手に皆殺しにされるにしたって、戦争に負けて無条件降伏した時は同じである。
そう、軍隊など必要ない。もっと言えば、国境すら必要ない。自分の国が間違っているなら、敵国につくことだってできる。必ず、国境を無くして、地球はひとつになって、愛と平和を確信する希望が生まれるはずである。それが10年後になるか100年後になるか分からないが、そのごろには、もう差別や犠牲は完全に消え去っていることだろう。それを今、僕たちの世代で実現することだって、できるのである。
日本国憲法については、以下の本が分かりやすくてお勧めです。日本国憲法の原文と大阪のおばちゃんが翻訳した「大阪弁訳」があり、難しいとされるポイントを適切な例題で解説してくれます。「憲法の文面はそういうことだったのか」ということがよく分かります。
後日注記:この本でおばちゃん先生は、「憲法を学校で習ったという人は、前文と9条だけを知っている人が多い」と言っています。そして、「護憲だとか改憲だとかを議論する前に、前文と9条だけではなく、憲法の全体を知っておくべき」だとする「知憲」の立場をおばちゃん先生は述べます。確かに前文と9条は憲法の意義と平和主義について書かれており、重要なのですが、憲法を変えるのか変えないのかという議論をする前に、その憲法についてせめて全文は知っておくべき、だとする立場です。そしてこの本には、そのような憲法の全体の説明が、分かりやすい解説とともに記述されています。
2023.11.22
2024.02.20編集
日本国憲法では、「公共の福祉」という言葉がたびたび登場します。
この言葉は、「社会において、自分勝手に自分だけが権利を主張したり、社会のほかの人々に迷惑をかけたりしない範囲で自由を認める」という意味です。
「公共の福祉」という言葉ですが、それ自体が社会福祉のような福祉政策を意味するわけではありません。
「自由」という考え方には、「他人の自由を制限しない限りできるだけの自由を認める」という考え方があり、これを「自由至上主義」(アメリカのリバタリアニズムという政治思想)と呼んだり、あるいはそこから発展して、警察と軍隊だけを持つ最大限自由の国家のことを「夜警国家」と呼んだりします。
「公共の福祉」という言葉もそれらと同様の意味であると言えますが、憲法においては、どちらかというと「自由を最大限尊重する」というよりは、「他人の権利を脅かさない」とか、「他人や社会に迷惑をかけたり、自分勝手なことをしない」という意味が強い言葉だと言えると思います。
民主主義においては、「法の支配」という考え方により、「悪いことをする人間を処罰する」ということが認められています。法治国家においてそのようなルールを定める理由は、「自由にすると悪いことをする人間は必ず出てくるから、全員(あるいは多数派)の意見として、このようなことはしてはならないと決める」ということが、「個人の自由意志ではなく社会的な合意の自由」として認められるからです。
このような「個人の自由ではない社会の自由」においては、注意しなければならないことがあります。第一に、多数派によって決められるということです。法律は多数派によって選ばれた政治家が決めるため、自らの支持母体ではないマイノリティの意見は無視されたり、存在自体が排除されることがあります。第二に、その法律によってルールが定められる自由意志の対象は、当事者であり個人である自分自身ではないということです。自分自身の自由意志であれば、自分が最大限幸福になるように決めるでしょう。自分自身に対して悪いことを自分自身が自由意志として決めることはないでしょう。ですが、法律によって定められるのは、自分自身だけではなく、自分とは別の他人であったり、社会そのものであったり、場合によっては敵である場合もあるのです。そのように、「個人ではなく社会に対するルール」には慎重にならなければなりません。
そのようなことを総合して、日本国憲法では「公共の福祉」という言葉をよく使います。さまざまな条文でこの言葉が出てきます。そこにあるのは「自由という考え方であっても平等という概念は必要だ」ということ、「民主主義だからといって平等をすべて否定しているわけではなく、逆に民主主義だからこそ平等は必要である」ということだと思います。
(詳しくは、日本国憲法 大阪おばちゃん語訳が参考になります。)
2024.02.27
「日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」を読んで分かったのは、日本国憲法で定められているのは、「権利の保護」と「社会制度」が中心だということです。
人権とか、自由とか、国民の権利と義務とか、そういう内容が前半のほう(第9条~第40条)で出てきて、内閣とか、大臣とか、国会とか、裁判所とか、そういう内容が後半のほう(第41条~第99条)で出てきます。
特別な存在だと言えるのは、「天皇」ぐらいだと思います(第1条~第8条)。
なので、憲法を考える上では、「国民の権利」ということと、「社会の制度」ということを分けて考えるといいと思います。「国民の権利を守るため」ということと「国の社会制度を成り立たせるため」ということが一緒になった基本的な法律だと思えばいいでしょう。
後日注記:この本に書いてある通り、日本国憲法には、国民の持つ「人権」が定められています。人権とは、国民に認められた人間としての社会的な自由と権利のことで、実にさまざまなことが許されています。人権は憲法上定められた国民の権利です。また、憲法は政治家などの権力者の行為を制限・制約するものであり、権力者は国民の人権を第一に考えなければなりません。これを「立憲主義」と呼びます。
2024.03.03
2024.08.05編集
かつてヴォルテールは、「君の意見には反対するが、君がそれを言う権利は死んでも守る」と言った。
民主主義の基本、それは言論と表現の自由だ。さらに言えば、思想信条の自由や良心の自由なども同列に当たる。
たとえば、現行の国家体制、すなわち民主主義体制に反対し、社会主義やファシズムの立場に立って批判するとしよう。だが、その批判は、民主主義の自由が許されている国だからできることであって、社会主義やファシズムの国であれば、そのような批判が体制側の目についただけで、すぐに独裁者に殺されるか、逮捕されて強制収容所送りになってしまう。
まさに、自由が嫌いだからといって、自由を簡単に否定はできない。「わたしは自由が嫌いだ」という意見すら、自由がなければ言えない。だから、表現の自由は民主主義にとってとても重要なのである。
2024.08.05
国会は立法府の長。新しい法律を定めるには、必ず国会の審議を経て可決して行わなければならない。
国会には衆議院と参議院があり、衆議院で可決した法律を参議院でもう一度チェックする。どちらでも可決して法案は成立となる。
衆議院で可決された法律が参議院で否決された場合は、衆議院に差し戻される。その場合、過半数ではなく三分の二以上の賛成があって法案成立となる。
衆議院と参議院の任期については、日本国憲法第45条・第46条に、
〔衆議院議員の任期〕
第四十五条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。〔参議院議員の任期〕
第四十六条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。
(日本国憲法より引用。)
とある。このように、衆議院と参議院の違いは、「任期が衆議院の場合4年、参議院の場合6年」「衆議院には解散がある」「参議院は3年ごとに半分ずつ入れ替える」という点。衆議院よりも参議院のほうが任期が長く解散も存在しないため、長期的な展望を持って政策を考えられる。そのため、参議院は「良識の府」と呼ばれる。
(詳しくは、日本国憲法 大阪おばちゃん語訳が参考になります。)
Wikipedia
2024.03.03編集
2024.08.05編集
国会議事堂は永田町に存在する。また、首相官邸や衆議院議長公邸・参議院議長公邸も永田町に存在する。中央省庁の存在する霞が関とともに「日本の中枢」を担っている。
2024.08.05編集
六法は憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法のこと。日本の法律は六法によって基本が決まっている。
後日注記:犯罪者、すなわち法律に違反した者は、法律において定められた罪を負い、刑罰が下る。どのような罪に当たり、どのような罰を受けるかは、裁判所で裁判を受けて決定する。あるいは、それぞれの者の間で争い事が起きた時、調停を行うのも裁判所である。これを司法と呼ぶ。
Wikipedia
2024.08.05編集
刑法は、罪を犯した犯罪者に刑罰を与えるための法律。
罪を犯したことが疑われる人間(容疑者)を検挙・逮捕・起訴し、裁判所で裁判して有罪かどうかを確定し、罪の大きさに基づいて懲役刑や罰金刑などの刑罰を与える。
検挙とは、罪を犯した人間であるかどうかを取り調べるために立ち入ること。
逮捕とは、罪を犯したかどうかが疑われる人間に対して、逃げたり他人と口裏を合わせたりできないように拘束し、自由を奪うこと。
逮捕した時点では、まだ容疑は確定していない。容疑が確定した段階で起訴され、裁判所で罪がどれほどの大きさになるかどうかを裁判する。
起訴された時点では、まだ有罪かどうかは確定しておらず、裁判をした後で裁判官に判決を言い渡されて、はじめて罪が確定し、罪の大きさが確定する。
刑罰には、懲役刑や罰金刑などがある。懲役刑は、確定した年月の間刑務所の囚人となって服役する。これに対して罰金刑は罰金だけが課せられる。
刑法の具体的な法令は以下を参照のこと。
2023.06.15
民法は、民事的な争いごとを調停するための法律。
たとえば、家の境界線がどちらかとか、貸した金を返せとか、そういう時に、裁判をしてどちらの言い分が正しいかを言い渡す。
民事的な裁判では、刑事と異なり刑罰を言い渡すのではなく、どちらの言い分が正しいかを言い渡す。
たとえば、自動車事故を起こした時、どちらが悪いのか、どちらがどれだけの修理費を出すのか、ということが主な例である。
一般的に、生活に大きくかかわるのは民法である。生活におけるさまざまなことが民法で決まっている。
民法の具体的な法令は以下を参照のこと。
2023.06.15
刑事裁判の場合、検察側(被告人の罪を認めさせようとする側)と弁護人側(被告人を弁護しようとする側)に分かれて、公判が行われ、それを経て裁判官によって判決された時点で刑が確定する。
基本的に、検察は被告人の刑罰を重くしようとする。それに対して、弁護側は被告人の刑罰を軽くしようとする。この両者が争って、結果、適切な刑罰を裁判官が言い渡す。
公判では、検察側と弁護側が互いの主張を行い、証人や被告人に対する尋問や質問、主張を裏付けるための証言や証拠品などを提示し、法的な立証を行う。これを「審理」と呼ぶ。
自らが証言する際に重要なのが、自らの証言は自らを「有利にすることもあれば不利にすることもある」ということ。
証言したからといって刑が軽くなるわけではなく、逆に重くなる場合があるため、慎重に自らが有利になることを証言する必要がある。
警察に取り調べされた時に、必ずすべてをありのまま話さなければならないわけではなく、すぐに罪を認めたくない場合など、何も言いたくない時は「黙秘」(何も言わない)という権利がある。
そのように、悪いことをしたことが事実だからといって、なんでもかんでもありのまますべて話さなければならないわけではない。
民事裁判の場合、検察は関係ない。原告(訴えた側)と被告(訴えられた側)に分かれて裁判を行う。ただしこの場合も弁護士に頼る。
もし裁判官の裁判結果(判決)に不服がある場合は、控訴・上告(上訴)することができる。日本には地方裁判所の上に高等裁判所があり、その上に最高裁判所がある。これらを順に上訴でき、より高い裁判所で裁判をやり直してもらうことができる。ただし、上訴したからといって元の判決よりも刑が軽くなるとは限らない。
(はじめての法律学 -- HとJの物語 第6版を参考に執筆しました。)
2024.05.12
2023-08-15の日記に書いたように、法律を勉強すると、世界のすべてが分かります。
この世界は、法律で動いているからです。
法律を勉強すると、この世界の「人々が生きている意味」が分かります。
ですが、法律だけを学んですべてを分かった気にならないこと。役人は、大学で法律を学んでいるせいで、世界のすべてを法律だけで知っていると勘違いしています。だから、役人は尊大な態度を取るのです。
それでも、法律を勉強することは悪いことではありません。法律を勉強すると、この世界のことが全部分かるようになります。
この世界のすべての存在は法律で成り立っています。金も会社も店舗も商品も全部法律です。法律を学べばなんでも分かるのです。だから、ぜひ法律を学んでください。
2023.08.20
法律学の入門書については、「はじめての法律学 -- HとJの物語 第6版」という本がおすすめです。
HとJという架空の登場人物を出しながら、刑法、刑事訴訟法、民法(不法行為法、契約法、家族法)、そして憲法の基礎が学べます。
特に、第一章の刑法の基礎の章を読むと、「犯罪とはどのようなもので、どのような時に処罰され、どのような時に処罰されないか」ということが分かります。
この本を読んで驚いたのは、「犯罪を犯しても処罰されないことがある」ということ。犯罪は、処罰する必要がないと判断されれば処罰されないこともある。たとえば、ものを盗んだ時、盗んだものをきちんと返し、謝罪もして深く反省もしている、といった時に、検察官は被疑者を起訴しない選択ができる。多くの犯罪でこのようなことがなされている。だから、犯罪をしても必ずしも処罰されるとは限らない。
2023.11.22
はっきり言って、裁判が受けられるということは、とてもありがたいことです。
昔の日本では、農民や庶民の命など、虫けらのような扱いであり、悪いことをすると、武士から刀でお手打ちになりました。
そこには、裁判もへったくれもなく、すべて武士の都合で、犯罪者は簡単にその場で命を奪われたのです。
裁判所などの司法機関は、「人権最後の砦」とも言われます。裁判では、憲法に定められている「人権」ということをきちんと考えてくれます。人間に存在する「人権」とは、とてもありがたい考え方です。
そう、民主主義国家では、みんな、悪いことをしても、きちんと裁判を受けられるのです。
2024.08.05
日本の政治制度は三権分立が取られているが、その中で行政を監督するのは内閣総理大臣と、多数の国務大臣による内閣である。
内閣総理大臣と、国務大臣の過半数は、国会議員から選ばれる。
そして、その内閣の下に存在するのが、役人(官僚)であり、役人が行政の仕事を行うさまざまな省庁が国務大臣の下に存在する。
役人には国家公務員と地方公務員があり、一般職(一般的な公務員)と特別職(裁判所・国会の職員、防衛省・自衛隊など、特別な専門の職に就く公務員)がいる。特別職は国家公務員法の適用外となる。
(お役所のしくみ: 日本を動かす450万人の組織と素顔を参考に執筆しました。)
2024.08.05
2024.08.08編集
日本の行政機関である省庁は霞が関に存在し、多くの省庁のビルが建つ。省庁は総務省、法務省、外務省といったようにひとつの省ごとに完全に分割されているため、よく「縦割り」と批判される。
省 | 役割 |
---|---|
内閣府 | 内閣の重要政策を担当。 |
復興庁 | 災害からの復興を担当。 |
総務省 | 行政の基本的政策を担当。 |
法務省 | 基本法制を担当。 |
外務省 | 外交を担当。 |
財務省 | 国の財務を担当。 |
文部科学省 | 教育・科学・文化を担当。 |
厚生労働省 | 労働基準法や年金など、労働や福祉を担当。 |
農林水産省 | 農業・水産事業を担当。 |
経済産業省 | 経済成長政策など、経済政策を担当。 |
国土交通省 | 道路やインフラなどの事業を担当。 |
環境省 | 環境問題や自然の管理を担当。 |
防衛省 | 軍事と自衛隊を指導。 |
(日本の省庁一覧を参考に執筆・引用しました。)
Wikipedia
以下は参考になる書籍。
役所の手続きは、分かりづらく、面倒くさいです。
僕の父親などは、「役人が仕事を減らすためにわざと面倒くさくしている」と冗談を言います。
手続きをする人が増えると、役人の仕事が増えます。手続きを分かりづらく、面倒くさくすることで、手続きをしたいと思う人が減ります。結果、役人の仕事が減ります。
もし、後になって「そんな社会制度があったのだ」ということを知っても、役人は「申請をしてもらわないと分かりません」と言い訳をすることができます。
そんな冗談はさておき、役所の手続きは、行政の言葉をそのまま使っているため、とても理解のしづらい文言の文書となっており、簡単ではありません。
一部では、行政サービスの利便性向上と簡略化のために、さまざまな行政サービスの本人確認をひとつのカードで簡単にできる「マイナンバーカード」の導入もされていますが、さまざまな行政での個人情報がひとつのカードに集約されるということに対する懸念もあって、全国民への普及には至っていません。
最近、役所に限らず企業でも、DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉が盛んに叫ばれるようになりました。
DXは、旧来のアナログなシステム(紙やハンコなどによるシステム)をデジタル化し、デジタル先進化による業務の効率化などを目指すという考え方です。
DXとは関係ない話かもしれませんが、デジタル化に伴う問題として、技術者不足や技術力不足が言われています。デジタル化をするためには、デジタルのことが分かる人間、すなわち情報システム系のエンジニアや「分かる人」が必要です。ですが、一般に「分かる人」と言われている人は、実際はそんなにITのプロほど分かっておらず、「単にパソコンのことが詳しいだけの人」であることが多いです。
このため、IDとパスワードの管理やリモートワークなどでのセキュリティ対策などをきちんとしていないでデジタル化をしたりしている会社などがあり、特に教育環境などで問題になっています。
日本人であることを証明し、今自分がここに存在しているということを確かにするために、国に登録しなければならないのが、「戸籍」である。
戸籍は、「この財産は誰かのものである」といった時に、その誰かとは誰なのかを正しく判別するために必要となる。
ほかにも、学校に入学するための手続きをするために、子供が小学校の入学生ぐらいの年齢になると役所から通達が来る。犯罪を犯した時に、誰々に刑罰を下すとなった時に、その刑罰が下されるのは誰なのかということが問題になる。そのような時に、戸籍の情報が使われる。
子供が産まれた時に、「出生届」を出さなければならない。この時、生年月日、性別、氏名、家族との間柄、それから生まれた場所を記載し、家族の戸籍の一部として、生まれた子供の戸籍が追加される。
生まれた場所については、住所と言いたくなるが、実際は住所とは異なる。地球上にあるどの場所であっても生まれた場所にすることができるが、この情報は一生変わらない。これに対して、住所は住んでいる場所であり、生きている間に変わってしまう。住所については「住民登録」ということを行い、自らが住んでいる自治体に税金を払う時などに使う。
自らの本人確認をするために、厳密には「戸籍謄本」という情報から本人確認をしなければならない。さまざまな手続きで、名前、性別、生年月日、住所を記載する必要があることがあるが、たまに戸籍や戸籍謄本を求められることがある。実際には免許証や健康保険証やパスポートで本人確認をすることが多いが、それができるのはそれらを登録する際に戸籍謄本を既に提示しているからである。
それが個人の所有する資産であることを証明するために、家屋や土地のような不動産は「登記」ということをしなければならない。登記をしなければ、それが個人の持ち物であることを証明できない。
最近では、そのような戸籍制度について、「マイナンバーカード」という新しい仕組みが導入されようとしている。かつての日本では、村社会であったため本家が変わることは少なかったが、今では住んでいる住所はさまざまに変わるし、それから役所のほうでも紙で管理するのではなくデジタルな方法で戸籍を管理するようになった。このため、よりデジタルで個人の確認がやりやすい「マイナンバーカード」が導入されつつある。
戸籍は普通家族の戸籍に一緒に記載されるが、結婚したり家を出たりする際に、新しい戸籍を作ることができる。
今の自分の戸籍がどうなっているかを知りたい人は、戸籍謄本の写しを役所に申請できるほか、住民票をもらうように役所に申請する際に、戸籍や個人番号の情報が含まれた住民票を得ることもできる。
また、外国人の戸籍についてはいろいろと難しいところがある。日本は島国であった影響があり、外国人が日本の戸籍を取ることは比較的難しい。アメリカは移民の国であり、比較的アメリカの戸籍を取ることは簡単である。もし外国人が犯罪を犯した時は、戸籍が外国籍であれば外国の法律で処罰されることがある。
また、自らが死んだ時は、(勝手に死亡届を出されないために)医師の死亡診断書と一緒に、遺族が「死亡届」を出さなければならない。その時点で、住民票と戸籍から自分の名前が除籍される(昔は×マークがされた)。また、配偶者(妻あるいは夫)や子供のような、相続権を持っている人の間で、誰が資産の相続をするかの議論をして協定書を作り、資産を相続した上で相続税を払わなければならない。
資産を相続する時の問題として、プラスの資産だけではなくマイナスの資産があることを知っておかなければならない。すなわち、相続すると財産だけではなく負債、つまり借金も相続される。たとえば、事業で成功した自営業の故人が、配偶者も子供もおらず、親戚もほとんどいなくて、遠縁である自分にその資産の相続権が回ってくることがあるが、このような時には簡単に「相続します」と言ってはいけない。多額の借金がある場合があるからである。税理士に相談して、借金がどれだけあるかをよく調べた上で、財産よりも借金のほうが多い場合は、相続を放棄すべきである。相続は放棄することもできる。相続を放棄した時点で、財産だけではなく借金まで肩代わりする必要はなくなる。
戸籍には、過去の情報が全部残っているため、先祖代々のすべての情報を知ることができる。そのため、戸籍を調べることで、自分の先祖が誰だったのかを細かく知ることができる。昔は紙に書いた戸籍だったが、今ではデジタル化されている。なので、先祖代々の情報を知りたい時は紙の印刷の写しをもらう。ただし、広島は原爆で焼け野原になったことがあり、家族も全員死んで役所の情報もなくなっているなどということもあったりする。そのような場合は記憶によって復元がされている。
2024.05.12
国籍とは、その国の国民であることを証明する証であり、日本人の場合は日本国籍となる。
日本には日本国籍だけを持った日本人の国民が多いが、アメリカなどでは二重国籍の人がよく見られる。アメリカは移民の国であるため、二重国籍のような重国籍に寛容的である。
元が外国人であっても、たとえば日本人の配偶者と結婚するなどして、日本国籍を取得することを望むことは多く見られる。これを「帰化」と呼ぶ。
2024.08.05
選挙制度は、決して悪いものではありません。
なぜなら、「われこそはこの国を変えてみせる」と思った候補者が、演説や選挙活動をして、その結果多くの票を集めれば、国会議員になることができ、国会で議論することができます。
ここで、「国会で議論できる」という発想が重要です。なぜなら、自らが思うすべてのことを国会で意見し、それをほかの国会議員、たとえば現職の大臣に聞いてもらうことができます。
本当に自らが「こうしなければならないのだ」という野心を持った人間が、国民に支持された時、それを国会で議論することができるというのは、民主主義においてとても大切なことです。
国会のことを「評議会」と呼ぶ国もあります。これは社会主義国、たとえばソ連や東ドイツで用いられた言葉です。社会主義国家においても、国会や評議会に参加して議論できるということは、民主主義的精神の実現において重要だったのです。
ですが、僕は、選挙制度は、国民がたくさん居るということ、すなわち「たくさんの人口がある」ということを活かせていないのではないかと思います。
選挙で議員を選ぶ上で、広く用いられている方法は国民投票ですが、国民投票は、たくさんの人口があった時、自分の「清き一票」は一票の重みしかなく、そのためほとんどの場合選挙の情勢には影響しません。
国民みんなが意見を変えるぐらい、政治的に何か大きなイベントがない限りは、多くの人が通常入れる「与党自民党」が勝ってしまいます。
ですが、国民がたくさん居るから何もできないのは、考えてみるとおかしな話です。国民がたくさん居たほうができることが多いのが普通なのに、選挙だけに限ってみると、国民がたくさん居るから、自分の一票の影響力は非常に低くなってしまうのです。
僕は、民主主義を行う上で、選挙ではなく、より違ったなんらかの手法を考えるべきだと思います。たとえば、資本主義のよい点は、ひとりひとりが払う額が少なくても、みんなが払えば多額の利益になる、という「薄利多売」です。これと同じように、民主主義においてたくさんの人口があることを活かすような政治制度は考えられないでしょうか。
あるいは、共産主義の思想では「共同体」という発想をします。それぞれの共同体をとても小さく分けて、それぞれの「村」のようなコミュニティで平等にした上で、国民全員が一致団結して全体主義思想を行います。これは確かに「全体主義」という意味で、「民主主義の逆」であり、間違いに見えるかもしれません。計画経済は発展のスピードは遅いですし、強制ノルマをみんなに課すのは辛いかもしれません。ですが、みんなの力を最大限活かしているのは、むしろ全体主義思想のほうかもしれません。強制ノルマは辛く見えるかもしれませんが、会社でも社員に一定のノルマを一律に課して生産している会社は多くあります。必ずしも、社会主義が民主主義よりも民主主義制度として劣っているわけではないのです。
公民権とは、選挙に参加して投票する権利や立候補して政治家になる権利(選挙権・被選挙権)のほか、公務員になることのできる権利(公務就任権)などの、「政治や公務に参加する権利」のことを指す。参政権・市民権とほぼ同義。
政治家が公職中あるいは選挙期間中に賄賂(わいろ)を受け取ったり金をばらまいたりすると、公職選挙法や政治資金規正法に違反して、公民権停止状態になることがある。
2024.05.12
選挙制度は、間接民主主義の日本においては、自らが支持する政治家や、自らと思想信条を同じにする政党の政治家について、自らの代表として国民が一票を投じる投票をし、選挙で当選したもの(多くの人々から票を多く得たもの)が国会議員になって国会で議論することができる。
そのように、民主主義の選挙制度は、そもそもが信念と志のある、みんなが支持する政治家を選ぶものだった。
だが、議会制民主主義において、多数たとえば過半数の議員を得た政党は、内閣総理大臣を自らの政党から選ぶことができる。
このため、当選する議員の数ばかりを重要視し、信念や志の何もない、知名度のあるだけのタレント議員のようなものを候補者に立てて、いわば「馬鹿を選んで勝つ」ようになってしまった。
それから、国会議員は本来、国民全員のことを考えなければならない。それなのに、支援者の声ばかりを聞いて、支援者にウケることを主張する政治家が増えた。選挙活動においては、候補者は自らが演説や選挙活動も行うが、多くの選挙活動は支援者が行う。支援者はボランティアが中心となることが多いが、その支援者がたくさんいれば選挙に当選できる。だから、支援者だけの声を聞いて、応援する人だけの都合のいいことを言うことで、選挙に勝とうとする政治家が最近では増えた。
その典型例が、アメリカのトランプ元大統領のようなポピュリストだ。
それでもアメリカが健全なのは、二大政党制を採用していて、共和党も民主党もある程度の政治の実績と能力がある。日本には、55年体制といって、自民党と社会党がしのぎを削った時代もあったが、それでも多数政党制を採用していて、ほとんどの期間で自民党が政権を担ってきた。政権交代を行った経験そのものが、日本においては少ない。
それでも、政治を変えるためには政権交代しかない。政権交代を起こすためには、小選挙区制を採用することが重要となる。以前日本で行われていた中選挙区制では、大きな選挙区から2人とか3人というように複数の候補者を選ぶ。このため、二位や三位であっても国会議員になることはできる。だが、小選挙区制は、小さな選挙区からひとりしか選ばない。だから、もっとも人気のある政党の候補者ばかりになる。一見自民党のような与党に有利に見えるが、時代の世論や人々の気運が民主党のような野党に流れた時は、野党の候補者ばかりが多く当選し、日本全体レベルで野党が与党に大勝ちし、政権交代を起こすことができるはずだった。
実際、日本でも、最近になって民主党が政権交代を起こしたが、それでも、民主党はさまざまな烏合の衆の集まりだったとか、あるいは与党の失敗や間違いをあげつらって批判する経験はあっても自ら政権を担う経験と能力はなかったとか、あるいは官僚や役人が民主党のことを嫌いだったとか、鳩山由紀夫元首相の日本よりも外国を重視する姿勢とか、あるいは内政を頑張っても外交が苦手だったとか、いろいろと理由はあって民主党政権は失敗した。実際、政権交代が起きても、日本はよいことは何も起きなかった。
そのように、選挙制度を考える上で、考えるべきことは「与党と野党のバランス」であり、残念ながら日本ではアメリカのような二大政党制を実現する望みは少ない。自民党の時代がこれからも長く続くだろう。また、政治家は結局のところ数であり、全体のことを考えると言っても支援者のことしか考えないというのは、日本だけではなく残念ながらアメリカでも同じである。
最近は野党の候補者があまりにも人気が落ちており、幹部であっても小選挙区で落選し、比例代表でなんとか当選するということが増えている。比例代表制とは、投票した票数の数に比例して候補者を政党が選べる制度であり、小選挙区で落ちても比例代表で復活することができるため、社民党のような少数政党は比例代表でなんとか幹部だけが復活当選する、というお粗末な状況になっている。
そもそも、国会でも野党の存在感は薄れてきている。野党はまるで「田舎のプロレス」と揶揄されるほどに、与党の政治家の間違いや失敗をあげつらって批判するということしかできない。だが、それでも、野党の政治家が質問する機会そのものを廃止するようにはなってはいけない。国会で議論を行うということ、それが議会制民主主義の「魂」だからである。
2024.08.06
約款とは、会社と客が契約を結ぶ時に、客ひとりひとりと会社が個別に契約するのが難しい時に、あらかじめ決められた客に守ってもらいたい約束事を、契約事項としてまとめたもの。
バスや鉄道のような交通機関のほか、銀行などでも約款が決められている。
2024.10.10
2020-02-20、2020-03-21に関連する内容があります。