永遠の青空とともにに戻る

=2023-08-15=

まだ書く

なんだかんだ言って、僕はまだこの文章を書き続ける。

神など信じるな

神など信じるな。

なぜなら、神とされるのはプロキオンにおける星神のことであり、地球上には神はいないからだ。

神を信じるのは、地球に生物がやってくる以前の、生物がプロキオンのいた頃に、星そのものを意味する生物である「星神」の記憶を、わたしたち人類が覚えているからにすぎない。

プロキオンにおいて、ホモ・サピエンスという種は、常に星神とされる星全体を意味する生物に仕える生物だった。

地球にはそのような星神はいない。だが、ホモ・サピエンスという生物が、「大人の人生」を生きるために、そのような神が必要だから、神を信じたいという思いが出てくる。

だが、そのような神を信じるという行為を行うと、プロキオンに多数いるような、原始的な生物になってしまう。

そもそも、神とは、「おかしくなった時に治してくれる存在」であり、プロキオンにおいては神を信じることで、絶対に治らない病気が星神によって治ったりする。

だから、地球においても、おかしくなると神を信じることである程度は幻想と虚像の中で「治る体験」をすることができる。

だが、そのような体験には意味がない。なぜなら、地球には星神そのものがいないからである。

地球には星神そのものがいないため、どんなに頑張って神を信じたところで、なんの効果もない。「神を信じて病気を治す」という体験はできるが、だからといって病気が治ったりすることはない。

地球のホモ・サピエンスにおいて、神を信じる意味などどこにもない。神などいない。神を信じると原始生物になる。いくら神を信じても病気は治らない。

僕の足の精神

僕の足の精神は、怪我をして手術をしたから関節が治らないせいで、いつまで経っても治らない。

これは、ひとつ、治す方法がある。

それは、右足の代わりとして左足を使うことだ。

正常な右足がないせいで、右足が治らないなら、代わりに左足を使うことで治すことができる。

新しい体験をする必要はない

これ以上、新しい体験を僕がする必要はない。

なぜなら、人生を生きるために新しい経験をする必要があるのは、子供だけだからだ。

子供が新しいことをしたいと思うのは、新しい経験をしなければ何も分からないからであり、それは本能でも遺伝子でもない。普通に、新しい経験をしなければ、何も考えることができない、というだけにすぎない。

大人になって、十分に経験をし終えてしまうと、それ以上新しい経験をする必要はなくなる。

そして、僕の足の精神がおかしいのは、まだ新しい経験をしようとしているからにすぎない。

子供が15歳ぐらいになって、中高生の時代に「青春」の経験をするのは、その経験があれば人生すべてを見通すことができるぐらいの、経験ができる知性を持つことができたから、十分に経験しようとしているだけにすぎず、学校の勉強やクラスメイトなどは本来必要ない。

逆に、僕は誰とも違った青春の経験をすることで、17歳の時点で、それ以上普通の人間と同じ経験は一切必要なくなった。

だから、僕は普通の人間と同じ人生を生きることを、その時点で一切やめた。

そして、僕は自分にしかできない独自の経験をすべてした結果、今の時点で、もはや新しい経験をすること自体が必要なくなった。

だから、僕はここで、新しい経験をするのをやめ、新しい経験をする部分自体を殺す。

そして、それだけで、僕の足の精神は治る。僕の足の精神は、「新しい経験がしたくてもできない」と言っている。この部分を、新しい経験をすること自体をやめることで殺せば、僕は賢いいつもの自分に戻ることができる。

いつもの意識の高い人間になった

そういうわけで、僕はそろそろ病気が完全に治った。

僕は、いつもの意識の高い人間になった。

そもそも、この「意識」すら高ければ、ほかはどんなに怪我や病気や障害があっても関係ない。なぜなら、意識の高い人間が賢く、それ以外の要素は考える必要や意味がないからである。

そう、僕は新しい経験を否定することで、ようやくきちんと正しく賢い人間になれた。

これ以上は、何もする必要はない。新しい経験そのものが必要ないのだから、何もしなくていい。何もせず、ただ生きていればいい。それ以外、何も考える必要はない。

神はもう信じない

神はもう信じない。

神を信じるのは本当は間違いではない。なぜなら、きちんとプロキオンには星神がいるからだ。神を信じると、プロキオンという星がその人のことを最後まで導いてくれる。

原始生物にはなるかもしれないし、地球には決してそのような神はいないため、ほとんどの人にとって神を信じることは意味がない。

だが、僕の場合、プロキオンという星が僕の精神の中に存在する。だから、プロキオンという星になりたいのであれば、僕と同じように神を信じれば必ずなれるだろう。

法律を勉強したい

僕は、もっと法律を勉強したい。

法律を勉強することで、この世界のことは全部分かる。

法律を知ると、社会のことを「法律的に考える」ことができる。

そこでは、人々が何をしなければならないか、何を守らなければならないかが書いてある。

法律を知ることで、いわば、「この世界の全員がどのように生きているか」ということが分かるようになる。

ある意味、医学と法律は近い。なぜなら、医学の場合、「この世界の全員がどのように生活しているか」が分かるからだ。

学校の教育内容が間違っているのは、役人が法律のように科目を作っているからであり、法律を学ぶことで、学校の教育内容が意味していることも分かる。

だが、法律だけを分かってすべてを分かったつもりになるな。法律を学ぶと、その分野のことに詳しくない素人であっても、法律を知っているだけで全部分かったかのように勘違いをしてしまう。国民みんなが馬鹿であるかのような尊大な思い違いをしてしまう。だから、役人には国民のことを馬鹿扱いする尊大な人間が多い。

だが、法律に詳しいのはとてもよいことだ。法律が定める内容を知ることで、この世界の人々がどう生きているか、ということが分かるようになる。