グローバル社会の世界観です。
最近、世界では、半導体不足の問題が起きています。
現状、半導体の生産は、台湾がもっとも多く、次に韓国と中国で主な半導体の生産をしています。
ですが、昔は、日本の半導体技術はピカイチでした。日本は素晴らしい半導体生産技術を持っていたにもかかわらず、人件費とコストの節約から、海外に工場を作って、中国や韓国などでの生産に拠点を移してしまいました。
その結果、このような半導体の大きな需要に応えることのできなかった半導体業界、すなわち台湾・中国・韓国の半導体輸出は、元から存在した日本への輸出よりも、より高額で買ってくれる別の国に輸出するようになってしまいます。
その結果、特に自動車の生産が危機に陥っています。自動車のような大型機械であっても、半導体がなければ自動車が作れないのです。
そういうわけで、海外に工場を作って拠点を移し、人件費とコストの削減を行い、自国の自給率を下げてしまうという経営策は、今、間違っていたということが明らかになってきています。
やはり、自らの国の屋台骨となるべき産業は、自らの国で自給し、自らの国で生産しなければならないのです。
(経済に詳しい父親の話を参考にしています。)
自由資本主義は、日本という一国だけを見れば、みんな豊かで先進的な暮らしができていて、理想の平等な世界に見えます。
ですが、これはグローバルな視点から見ると、必ずしも平等ではありません。
実際、日本人が農業や工場の劣悪な労働をしなくていいのは、後進国にそれを押し付けているからです。
言ってしまえば、「アジアのような後進国を、先進国みんなで下位カーストにし、農業や劣悪な工場の労働をさせているだけ」です。
日本人は、ことあるごとに「日本が勝つために」と言います。ですが、その日本が勝った結果、楽になるのは日本人という「上位カースト」だけであり、下位カーストである中国や東南アジアなどの国は、日本や先進国の奴隷あるいは実質的な植民地になっているに等しいのです。
だからといって、ソ連のような社会主義は、この問題を解決できませんでした。強制ノルマは結局、「辛く苦しい農業従事者をさらに辛くするだけ」であり、平等とは「もっとも辛い人々に全員が合わせさせられる平等」でした。
僕が思うに、問題の解決は「農業従事者の賃金を上げること」にあります。農作物の買い取り価格を上げ、たくさんのお金が農家に入るようにして、先進国も後進国もみんなで農業をやればいいでしょう。
そうしない限り、グローバルな視点から見た時に、「グローバル資本主義とは単なる世界人類を騙しているだけの実質的な国際カースト制」であることは、否めないでしょう。
実際のところ、グローバル資本主義だけではなく、民主主義の政治体制も、また騙されていると言えます。
なぜなら、日本の民主主義は役人支配だからです。
民主主義だと思って政治家を選んでいるのは国民だけであり、実際は政治家は自分で政策を考えておらず、役人(官僚)が政策を考えています。
役人が行う行政の事業のために、役人が政策を考案して、貴族のように国民から税金を取っている現状は、民主主義であるとは言えません。国家主義の国から何も変わっていないのです。
つまり、官僚支配である限り、この日本という国家は民主主義ですらありません。
民主主義を信じているのは国民だけであり、まさに「民主主義はフェイク」であると言えます。
そして、役人は国民に対して尊大な態度を取る「おごり集団」です。このような国家だから、学校ではいじめがなくならないのです。
このような世界で、日本人は二分されています。すなわち、「賢い仕事」と「奴隷のように働く仕事」に二極化し、賢い仕事の中でもIT関係の仕事はアメリカの巨大テック企業に支配されています。
後進国が低賃金の農業や劣悪な歩合制の工場労働者として働いているのと同様、日本人も国際カースト制に支配されており、日本社会は「アメリカに支配されたIT技術やほかの労働者を奴隷のように使う賢い仕事」と、「奴隷のように働いてなんとか食いつなぐことのできる仕事」の二つにどんどん分断されてきているように思います。
結局、グローバル資本主義や官僚主導の民主主義は、平等でもなければ民主主義ですらありません。政治家は嘘つきであり、世界はアメリカが完全に支配しているのです。
このように書くと、民主主義やグローバル資本主義は間違っているのだと感じられるかもしれませんが、それはそれでフェイクに騙されています。
なぜなら、「民主主義という考え方を目指すこと自体は間違っていない」からです。
また、問題は民主主義という問題ではなく、「国家」というシステムそのものについての問題です。
国家とは、国には王や首相や大統領が居て、役人や国民はそれに従うという国民を支配するシステムです。
そもそもが国家は国民を支配するものであり、いくら国家が自由や平等な社会を目指したところで、国家である限り、それはありません。どのような国家であっても、国民は国家に服従しなければなりません。
そう、国家という考え方自体が、民主主義と矛盾しているのです。
これは経済についても同じです。経済とは富がどちらかからどちらかに移動することであり、最初から「偏りのない経済」は実現できません。富がどちらかからどちらかに移動しない経済は、もはや経済ではありません。
なので、社会主義経済などは最初から「経済という考え方そのものと矛盾している」のです。
ですが、問題は、単に正しいとか間違っているかという、「0か100か」で測ることができることではありません。「水準」を考える必要があります。
すなわち、「どれだけ平等で、どれだけ民主的か」という観点から、社会のことを考えなければなりません。
このような民主主義の否定論者は、「王国でも構わない」といって帝国主義体制に戻ろうとしますが、それは間違っています。今の民主主義に比べて、帝国主義はまったく自由がありません。できるだけ今の民主主義社会を維持すべきです。
このような「どのような社会を現実に保つべきか」ということは、本当は人間の理性でも捉えられません。人間の理性では、理性的に考えられる「命題」しか考えられず、国家全体のことが簡単に人間には理解できないからです。
ですが、言ってしまえば、「国民が馬鹿なだけ」です。馬鹿な政治家を選挙で選ぶ国民が馬鹿なのであり、リベラルな政治家を選んで、その政治家が中央官僚と対立し、簡単に口で言っていることができないのを、「リベラル派は口だけで何もできない」と断じることのできるような、癒着と腐敗にまみれた保守派の政治家の言うことを、そのまま理解して真に受けるような国民が馬鹿なのです。