グローバル社会の世界観です。
日本のような資源のない国は、国家としての富を稼ぐために、ほかの国から資源や材料などを安く輸入し、それを使って工場で機械製品を作って高く輸出するという、「安く買って高く売る」ということしかできません。
日本が戦後大きな経済成長をした理由は、外国から安く輸入し、アメリカやヨーロッパの作っていた技術を真似して、日本で作れるようになって、その作った製品(自動車や家電製品)を外国に高く輸出したからです。
アメリカやヨーロッパの会社と対等に競争するためには、製品を安くて品質のよいものにしなければなりません。なので、作るためのコストを下げながら、品質を下げずに製品を作ることが必要でした。
ですが、現代のグローバル社会において言えるのは、製品の工場のような開発拠点を、日本国内ではなく、中国や韓国や東南アジアのような、ほかの国に作らなければ、競争に勝てないということです。
すなわち、日本で工場を作るよりも、中国や韓国で工場を作ったほうが、人件費が安くつくため、コスト削減に繋がり、結果製品を安くすることができるのです。
ですが、日本で工場を作るのではなく、中国や韓国で工場を作るということは、日本の持つ技術が中国や韓国に流出し、奪われてしまう、ということを意味しています。
つまり、中国や韓国の人員を雇って工場を動かすと、最初のうちは日本の支部としてしか生産できませんが、そのうち彼らは自分たちで生産する能力を得てしまい、結果日本から離脱して独自に中国や韓国の産業が成り立つようになるのです。
なので、中国や韓国で工場を作れば作るほど、日本は技術的な側面で中国や韓国に負けてしまいます。また、日本人の労働者を雇うわけではないため、日本の労働者の雇用が失われ、日本の産業が空洞化するという負の側面があります。
2024.07.07
外国との輸入品や輸出品のやり取りでは、国内の産業を守ることができない場合があります。外国の安い食品や製品が入ってくると、国内の食品や製品は負けてしまいます。
日本の国内産業を守る方法はあります。それは関税をかけることです。すなわち、外国からの輸入品に関税をかけることで、外国の安い製品に対してたくさんの税金をかけて、国内の製品を相対的に安くすることで、国内で国内の産業や製品を守ることができます。
ですが、グローバルなやり取りにおいて、日本のような貿易差額で成り立つ国は、むしろ関税を撤廃することのほうを望む場合が多いです。
すなわち、自動車を輸出する際に外国の関税がかからなければ、外国で自動車を安く売ることができます。それによって自動車業界は利益を得られます。ですが、その代わりの条件として、米や食品などについても同様に日本の関税を撤廃することを外国は求めてきます。そのため、外国の安い米や食品が入ってきて、農家は打撃を受けます。
日本の場合、関税を撤廃すれば主に輸出で儲けている機械産業は利益を得られますが、外国と競争しているわけではない国内の農業は打撃を受けます。外国の場合は、それが逆になることもあります。
関税を撤廃して利益を得ることが正しいのか、それとも国内産業を守ることが正しいのかは、どちらとも言えません。日本の経済と国内産業がグローバル社会で勝つための戦略として、規制と緩和はどちらも重視して行わなければいけません。
2024.07.07
たとえば、自動車産業などで、他国の自動車に勝つために、できるだけ自動車を安く作って安く売る必要があります。
そのためには、価格を下げなければならず、生産コストを下げなければなりません。
そのため、中国や韓国や東南アジアやメキシコのような場所に工場を作って、できるだけ安い人件費で海外の工場労働者に労働してもらいます。
このことを、「日本企業が日本ではなく海外に工場を作るのはおかしい」と、言う人もいます。それは日本人の雇用が守られず、外国に技術が流出するからです。
ですが、よく考えると、日本人で、工場のような劣悪な労働をしたい人は少ないです。
日本人が工場で単純労働をしたくないのですから、中国人などの人件費の安い外国の労働者が、工場で働いてくれて、日本人はその上に存在する「支配民族」として、楽ができる、と考えることもできます。
ですが、そのような考え方をすると、まるで植民地のようです。
すなわち、日本人という「支配民族」が、中国人という「植民地の被支配民族」を支配して、それによって安い自動車を作って、アメリカやヨーロッパなどの巨大市場で儲けている、と考えられます。
そう、日本人がグローバル社会でやっていること、海外に工場を作って安く機械製品を作るということは、植民地と同じです。なので、日本は植民地で儲けたいだけの資本帝国主義の国であると言えます。イギリスやフランスがやったことと同じことをやっているのです。
この問題を解決するのであれば、日本企業が海外で工場を作ることを禁止すればいい話です。あるいは、アメリカのトランプ大統領のように、「米国産のものを買え」と保護主義を推し進めることもできます。
それも一理ありますが、実際に本当に外国に勝つのであれば、むしろ自らの「支配者民族」という立場をより強固にし、外国を日本に付き従うだけの「被支配者民族」となるように推し進めればいいでしょう。保護主義を行うよりも、中国や韓国を日本の完全な植民地にするようにしたほうが、日本の視点から言えば「勝利」には近づけると思います。
2024.11.16
最近、世界では、半導体不足の問題が起きています。
現状、半導体の生産は、台湾がもっとも多く、次に韓国と中国で主な半導体の生産をしています。
ですが、昔は、日本の半導体技術はピカイチでした。日本は素晴らしい半導体生産技術を持っていたにもかかわらず、人件費とコストの節約から、海外に工場を作って、中国や韓国などでの生産に拠点を移してしまいました。
その結果、このような半導体の大きな需要に応えることのできなかった半導体業界、すなわち台湾・中国・韓国の半導体輸出は、元から存在した日本への輸出よりも、より高額で買ってくれる別の国に輸出するようになってしまいます。
その結果、特に自動車の生産が危機に陥っています。自動車のような大型機械であっても、半導体がなければ自動車が作れないのです。
そういうわけで、海外に工場を作って拠点を移し、人件費とコストの削減を行い、自国の自給率を下げてしまうという経営策は、今、間違っていたということが明らかになってきています。
やはり、自らの国の屋台骨となるべき産業は、自らの国で自給し、自らの国で生産しなければならないのです。
(経済に詳しい父親の話を参考にしています。)
最近話題の関税撤廃の政策は、たとえばTPP(環太平洋パートナーシップ協定)。太平洋に面する国々の間で関税を撤廃しようとする政策で、日本にとっては輸出される自動車や機械製品などにメリットがある一方、国内の農家が外国の安い農作物などに太刀打ちできないなどといった懸念もある。
2024.07.14
自由資本主義は、日本という一国だけを見れば、みんな豊かで先進的な暮らしができていて、理想の平等な世界に見えます。
ですが、これはグローバルな視点から見ると、必ずしも平等ではありません。
実際、日本人が農業や工場の劣悪な労働をしなくていいのは、後進国にそれを押し付けているからです。
言ってしまえば、「アジアのような後進国を、先進国みんなで下位カーストにし、農業や劣悪な工場の労働をさせているだけ」です。
日本人は、ことあるごとに「日本が勝つために」と言います。ですが、その日本が勝った結果、楽になるのは日本人という「上位カースト」だけであり、下位カーストである中国や東南アジアなどの国は、日本や先進国の奴隷あるいは実質的な植民地になっているに等しいのです。
だからといって、ソ連のような社会主義は、この問題を解決できませんでした。強制ノルマは結局、「辛く苦しい農業従事者をさらに辛くするだけ」であり、平等とは「もっとも辛い人々に全員が合わせさせられる平等」でした。
僕が思うに、問題の解決は「農業従事者の賃金を上げること」にあります。農作物の買い取り価格を上げ、たくさんのお金が農家に入るようにして、先進国も後進国もみんなで農業をやればいいでしょう。
そうしない限り、グローバルな視点から見た時に、「グローバル資本主義とは単なる世界人類を騙しているだけの実質的な国際カースト制」であることは、否めないでしょう。
実際のところ、グローバル資本主義だけではなく、民主主義の政治体制も、また騙されていると言えます。
なぜなら、日本の民主主義は役人支配だからです。
民主主義だと思って政治家を選んでいるのは国民だけであり、実際は政治家は自分で政策を考えておらず、役人(官僚)が政策を考えています。
役人が行う行政の事業のために、役人が政策を考案して、貴族のように国民から税金を取っている現状は、民主主義であるとは言えません。国家主義の国から何も変わっていないのです。
つまり、官僚支配である限り、この日本という国家は民主主義ですらありません。
民主主義を信じているのは国民だけであり、まさに「民主主義はフェイク」であると言えます。
そして、役人は国民に対して尊大な態度を取る「おごり集団」です。このような国家だから、学校ではいじめがなくならないのです。
このような世界で、日本人は二分されています。すなわち、「賢い仕事」と「奴隷のように働く仕事」に二極化し、賢い仕事の中でもIT関係の仕事はアメリカの巨大テック企業に支配されています。
後進国が低賃金の農業や劣悪な歩合制の工場労働者として働いているのと同様、日本人も国際カースト制に支配されており、日本社会は「アメリカに支配されたIT技術やほかの労働者を奴隷のように使う賢い仕事」と、「奴隷のように働いてなんとか食いつなぐことのできる仕事」の二つにどんどん分断されてきているように思います。
結局、グローバル資本主義や官僚主導の民主主義は、平等でもなければ民主主義ですらありません。政治家は嘘つきであり、世界はアメリカが完全に支配しているのです。
このように書くと、民主主義やグローバル資本主義は間違っているのだと感じられるかもしれませんが、それはそれでフェイクに騙されています。
なぜなら、「民主主義という考え方を目指すこと自体は間違っていない」からです。
また、問題は民主主義という問題ではなく、「国家」というシステムそのものについての問題です。
国家とは、国には王や首相や大統領が居て、役人や国民はそれに従うという国民を支配するシステムです。
そもそもが国家は国民を支配するものであり、いくら国家が自由や平等な社会を目指したところで、国家である限り、それはありません。どのような国家であっても、国民は国家に服従しなければなりません。
そう、国家という考え方自体が、民主主義と矛盾しているのです。
これは経済についても同じです。経済とは富がどちらかからどちらかに移動することであり、最初から「偏りのない経済」は実現できません。富がどちらかからどちらかに移動しない経済は、もはや経済ではありません。
なので、社会主義経済などは最初から「経済という考え方そのものと矛盾している」のです。
ですが、問題は、単に正しいとか間違っているかという、「0か100か」で測ることができることではありません。「水準」を考える必要があります。
すなわち、「どれだけ平等で、どれだけ民主的か」という観点から、社会のことを考えなければなりません。
このような民主主義の否定論者は、「王国でも構わない」といって帝国主義体制に戻ろうとしますが、それは間違っています。今の民主主義に比べて、帝国主義はまったく自由がありません。できるだけ今の民主主義社会を維持すべきです。
このような「どのような社会を現実に保つべきか」ということは、本当は人間の理性でも捉えられません。人間の理性では、理性的に考えられる「命題」しか考えられず、国家全体のことが簡単に人間には理解できないからです。
ですが、言ってしまえば、「国民が馬鹿なだけ」です。馬鹿な政治家を選挙で選ぶ国民が馬鹿なのであり、リベラルな政治家を選んで、その政治家が中央官僚と対立し、簡単に口で言っていることができないのを、「リベラル派は口だけで何もできない」と断じることのできるような、癒着と腐敗にまみれた保守派の政治家の言うことを、そのまま理解して真に受けるような国民が馬鹿なのです。
以下は国連憲章。どう見てもロシアは国連憲章に違反しているが、常任理事国であるため国連から排除されることがない(国連の決議案に拒否権を行使できる)。
ウクライナとロシアも参照のこと。
2024.08.05
最近、「サステナブル」という言葉をよく耳にします。このサステナブルとは、「持続可能(な社会)」という意味で、国連は人類社会が持続可能であるための開発目標として「SDGs」と呼ばれる17のゴールを掲げています。
ですが、このリンク先を見れば分かる通り、現在の地球の人類の現状は、あまりに先進国と後進国(発展途上国)で格差が開きすぎています。
まるで、「資本主義は素晴らしい世界」という民主主義的な理想が、すべて嘘だったかのようです。
実際、グローバル資本主義が、社会主義や共産主義に比べて優れた社会だと信じているような、右翼や新自由主義者の経済学者は間違っています。SDGsを見れば、それがありありと分かります。
2024.07.14-15
2024-06-30、2024-07-01、2024-07-02、2024-07-06、2024-07-25、2024-07-30などに関連する内容があります。
青年海外協力隊は、海外で活動するボランティアの協力部隊。
ただし、一部では「やめとけ」とも言われている。
2024.08.05
赤い羽根共同募金は募金のひとつ。誰でも自分のお金を社会福祉事業のために募金できる。
また、世界中の恵まれない子供たちのためのユニセフの募金もある。
2024.08.05