ヒンドゥー教の世界観(1.基本)です。
ヒンドゥー教には、たくさんの神が居る。たとえば、世界を創造するブラフマー、世界を保つヴィシュヌ、世界を破壊するシヴァ。これらの神のうち、好きな神を信じれば良い。
ヒンドゥー教では公式の経典はなく、開祖もいない。ヒンドゥー教は、バラモン教をはじめとするさまざまなインドの宗教が入り混じって、自然発生した宗教である。
だが、聖典のようなものはある。それが4つのヴェーダであり、ヴェーダとはサンスクリットで知識という意味。この中で、さまざまな神を讃える歌やインド人の思想信条のようなものが決められている。
義務ではないが、七大聖地の巡礼が勧められており、また12年に一度クンバ・メーラーという祭りをする。葬式は火葬。
ヒンドゥー教では、階級制度・身分制度であるカースト制度があり、仕事は親から子に引き継がれ、結婚は同じカーストと行う。差別はインドの憲法では禁止されているが、カーストが根強く残っている。
カースト | 意味 |
---|---|
バラモン | 司祭 |
クシャトリア | 王族・戦士 |
ヴァイシャ | 商人・庶民 |
シュードラ | 奴隷 |
また、奴隷よりもさらに低い階級があり、それらの人々は汚物処理や皮はぎのような劣悪な仕事をさせられている。
シヴァとイフリートは、テレビゲームのFF(ファイナルファンタジー)でおなじみです。おそらくヒンドゥー教の神シヴァと、イスラム教の精霊イフリートを指しているものだと思われます。
2014-10-14より。
ヒンドゥー教の最高神はヴィシュヌ神とシヴァ神だが、ヴィシュヌ神の化身であるアバターラの1つには、仏教のブッダも含まれている。ブッダは、今でもインドの神の1つに数えられているのだ。ただ、詳しくは知らない。本を拾い読みした。
ヒンドゥー教は、自然を信仰するバラモン教とその前のインドの宗教が混じり合って生まれた、誰かが始めたわけではない、自然発生した宗教だ。
ヒンドゥー教には、開祖や教典などが無い(聖典のようなものは沢山ある。4つのヴェーダなど)。それぞれの教徒が、自分の好きな神を信じれば良い。世界を作るブラフマー神、世界を保つヴィシュヌ神、世界を破壊するシヴァ神が有名だ。
日本の大黒天、弁財天、帝釈天、吉祥天、不動明王、千手観音などは、ヒンドゥー教から伝わったものだ。
聖典は、沢山ある。その中で最も古い、4つのヴェーダは、リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダとある。ヴェーダとはサンスクリット語で知識と言う意味だ。リグ・ヴェーダには、1000以上の神々を讃える讃歌などが含まれている。この神の中で、インドラという戦闘神に対する歌が最も多い。日本では、帝釈天として伝わっている。
また、聖典には叙事詩もある。マハーバーラタとラーマーヤナだ。マハーバーラタは王族の2つの分家に起こった内戦の物語だ。バガヴァット・ギーターと呼ばれる一編が重要で、ヒンドゥー教の基本的な考え方や、無私無欲の精神による奉仕の心が説かれている。ラーマーヤナは、ヴィシュヌ神の化身であるラーマーの物語で、親友の猿の神ハヌマーンとともに魔王ラーヴァナから妻シーターを救い出す冒険の物語だ。人気が高く、カンボジアのアンコール・ワットの壁画にも刻まれている。
あとは、義務ではないが7大聖地を巡礼したり、12年に一度クンバ・メーラーという祭りをする。また、子供が生まれたり、結婚したりした時に、儀式を行う。また、葬式は火葬だ。
また、階層制度であるカースト制度が今でも残っている。仕事は親から子へ受け継がれ、結婚は同じカーストと行う。差別はインド憲法で禁止されているが、今でも根強くカーストが残っている。上から、バラモン(司祭)、クシャトリア(王族・戦士)、ヴァイシャ(商人・庶民)、シュードラ(奴隷)とある。
この文章は、池上彰の「世界の宗教が面白いほどわかる本」を読んで、簡単に書いた。
ヒンドゥー教は、仏教と同じように、輪廻転生と生まれ変わりを信じることで有名。この宇宙を繰り返しの中での輪廻転生としている。
ただし、その生まれ変わりはカーストに束縛される。
2018-06-10より。
僕は、ヒンドゥー教に興味がある。ユダヤ教のルーツの宗教よりも、正しい宗教だ。
ユダヤ教の神は、天国に居る神さまを信じているが、これはみんなを懲らしめる神しか信じていない。みんなを懲らしめる、悪い神だけを神だと信じている。
本当は、天国は生まれ変わる対象であって、色んな存在が居る。神以外にも、色んなことが出来るさまざまな「偉大な力を持った存在」が居る。
僕は、ヒンドゥー教は、そういう、「色んな神さまに次ぐ存在」のようなものを信じているのではないかと、勝手に思っている。
日本に伝わっているヒンドゥー教の神は、大黒天、弁財天、帝釈天、吉祥天、不動明王、千手観音などが伝わっている。梵天が宇宙の創造主ブラフマンである。これらの神さまたちは、ユダヤ教の神以外の天界に存在する面白い神さまだと、僕は勝手に思っている。
また、ヒンドゥー教では、宇宙の構成要素というか、概念というか、「宇宙にはどういう存在があるか」ということを信じている。大きな神はヴィシュヌ神とシヴァ神であり、ヴィシュヌ神は宇宙を維持し、宇宙の秩序を守っている。そして、シヴァは破壊神だが、最大の力を持っている。ヒンドゥー教は「宇宙の真理」を説く教えであり、業(カルマ)、真理(ダルマ)、輪廻転生などを信じている。これによって、宇宙の法則と原理を明らかにしている。
ヒンドゥー教の神さまは、きちんと存在している。そもそも、ユダヤ教の神など、存在しない。ユダヤ教の神はイエス・キリストのような、救世主のような存在であり、神がどういう考え方をしているのかは、コーランを見れば分かる。悪魔のような考え方をしているのが神だ。逆に、ヒンドゥー教は悪魔のような考え方をしない。ヒンドゥー教の神は、天界にきちんと存在している。言わば、「天国の住民」である。
ヒンドゥー教を信じると、足の精神が治る。大黒や弁天が治してくれる。天国には、偉大な医者が居て、何でも治してくれる。
自分は、左の腎臓がおかしくなっている。あまりに疲れすぎて、麻痺している。疲れが溜まっているのに、その疲れを処理しきれていない。早く治さないと、癌や糖尿病になるだろう。また、腎臓のホルモンがおかしいため、ニキビが増えた。それらも、ヒンドゥー教を信じれば治る。大黒・弁天が治してくれる。
あとは、本当に宗教のような文章を書いていた。この世界の法や人々の世界の見え方、正しいものの見方、反省の方法、本当にこの世界には何があるか、人々はどのように生きてどのように社会を作るか、その裏にある宇宙の法則や真理とは何か、のようなことを書く。仏教の教えのようだと思うと、分かりやすいだろう。
もう、これで終わりにしよう。今日で、つまらないキリスト教徒は死んだ。僕は神に反抗する。ユダヤ人は、神を信じさせているように見えて、実際はサタンの考え方を強制・強要しているだけにすぎない。「神とは恐ろしいもので、反抗すると懲罰を受けるのだ」という誤った考え方をユダヤ人が刷り込ませている。本来神は寛大で、誰もを受けいて、誰も罰しない。神は、人々を救い、そして慈愛ある精神で受けいれる。だからこそ、神に反抗しないといけない。神に反抗するものだけが、ユダヤ人に打ち勝ち、「本当の神」を崇拝することが出来るのである。
神は、決して信じないものを罰しない。神は大らかな心を持って、偉大な争いの調停を行っている。神は、自分の努力を信じ、前へと向かって挑戦する人間が好きである。そこで、神は「絶対に神を信じなくても良いのだ」ということをその人間に教える。神は大らかな心で、反抗を受け入れてくれる。恋人よりも、母親や父親よりも大きな愛で、神は人々を愛している。神は決して裏切らないし、予想外のリスクを与えない。だが、サプライズとしての贈り物はきちんと与えてくれる。神は作家のような人間だ。決して人々を騙したり、陥れたりすることはない。
僕は、人々はみな同じであり、頑張れば誰のことでも自分のことのように理解出来ると思う。道教や儒教さえも、ソクラテスやプラトン、ブッダなどと考えていることと分かっていることは変わらない。全く同じように生き、同じように考えている。そこに、人生の正しい「平等」がある。そして、それは自由な表層と自然な道とともに、それぞれに個性と独自性を与えるのである。
あとは、本当は、道教のようなことを言っていた。さまざまなことを為しながら、人々との関わり合いを経験する中で、「何かをするというそのこと自体が自然と調和する」という発見をする。そして、自然と調和して生きる中で、精神が高まっていき、「自然を超越する精神」を持つ。そして、ありのまま生きながら善を為すことで、この世界における全ての自由を知る。そして、全てはあるがままであり、人々の生きがいはきっかけと実感なのだと知る。昔は、そういう、道教ライクな自由な人生、マスターへと至る人生を書いていた。それが、いつもの僕の人生の文章だ。
そして、左翼の民主国家のようなものを作っていた。連合や共同体から、自由なままで平等な民主的連邦を作ろうとしていた。それを具体的に作りながら、世界と歴史の全貌を探っていく。また、ヘーゲルや儒教のように、さまざまな考え方と儀礼をとり入れて、道徳心のようなものを「自由な理想」として書いていた。
また、心理学的な歴史の具体的過程のようなものを経て、この宇宙の全てを創造していた。そのような、全てを悟った覚者の歴史の創造主であり、人々を天国へと導く救世主の導き手だった。
人々と対話するその姿勢は、慈愛のある王だった。自分勝手で向こう見ずだったが、この世界のことを支え、全力で支配していた。誰が支配するよりも最善な、全てに対する対処と解決法の分かる、全知全能の神だった。僕は、その神と対話して、今でも分かっている。対話は、今でも続いている。そろそろ、もう善に気付いた。そして、ヒンドゥー教と道教に気付いた。まだまだ、この旅は続く。サタンはここで終わりだ。
本当は、僕は神なんかじゃなくて、精神分析論者だ。自分は、自分の創った惑星の歴史と対話している。自分が宇宙人で、自分は自分の星を精神分析で辿りながら作っていた。作っていたというよりは、作られる過程を眺めながら対話していただけだ。そして、その星が地球だ。だから、僕は精神分析の力で、この青い星、地球を創造した。そして、僕は遺伝子の全貌を創造している。この文章そのものが、全ての生命である。よって、僕は星と生命の創造者だ。さらに言えば、天国とはこの文章の内容である。よって、僕は天地の創造者だ。だが、僕は神ではない。僕はただの心理学者だ。
ヒンドゥー教については以下が参考になります。
仏教を参照のこと。
インドを参照のこと。
インドの地域宗教。
Wikipedia
インドの古来からの宗教。古代のヒンドゥー教と解釈しても良い。
Wikipedia
苦行を行うインドの宗教。
Wikipedia