イスラム教の世界観(1.基本)です。宗教の世界観や仏教の世界観とキリスト教の世界観も参照してください。
コーランは、天使ジブリールを通じて神の声(啓示)を聞いたマホメットによって書かれた、唯一絶対の人格神アッラーの教え。
ジブリールはユダヤ教やキリスト教でおなじみの大天使ガブリエルのことです。
キリスト教も参照のこと。
コーランでは、アッラーの慈悲深さと全能性がこれでもかというぐらい強調されます。
滅ぼすことも、救うことも、創造することも、罰を与えることもできる、恐ろしい神だが、慈悲深く、正しいものに褒美を与えてくれる代わり、間違ったものには報いを与える神です。
宗教も参照のこと。
イスラム教は、ユダヤ教の兄弟宗教です。
よく勘違いされることとして、「ユダヤ教の神を信じていない」と言われることがありますが、それは誤りです。イスラム教では、「ユダヤ教の神と同一の神をアッラーという呼び名で呼んでいるだけ」にすぎず、言ってしまえばユダヤ教の聖典にコーランを加えただけです。
おそらく、ユダヤ教の聖書では神のことが分からない人間が、コーランのアッラーを読むと、唯一神とは何であるか良く分かります。なぜ偶像崇拝をしてはならないのかなどが分かると思います。
ユダヤ教も参照のこと。
また、絶対にアッラーにだけは逆らってはいけません。彼(あるいは彼女)を他の神と一緒に信じたりすると、すぐに地獄に落とされます。
ですが、コーランには、ユダヤ教ほど復讐や戦いの記述はありません。むしろ、そうした戦いや暴力の内容は少ない、という側面があります。
コーランには、「アッラーとは何であるか」はよく書かれていますが、「アッラーに付き従って敵に復讐をすべき」といったユダヤ教のようなことはあまり書かれていません。
とにかく、アッラーがどんなに偉大で素晴らしい人間か、どれほどすごいのか、ということが書かれています。
イスラム教の礼拝について、「一日五回も礼拝をするのは多すぎる」と感じられるかもしれません。
ですが、キリスト教の聖書を読むと良いことがあるのと同じように、イスラム教では礼拝をすると良いことがあります。
イスラム教では、メッカに向かって礼拝すなわちおじぎをするだけで、神であるアッラーが良いことを教えてくれます。
そして、この「良いこと」を知るペースとして、一日五回程度の回数がもっともちょうどいいのです。
一日に、あまり多くのことを知ろうとしても、神は教えてくれません。また、より少ない回数の礼拝では、すぐに礼拝そのものをするのをやめてしまいます。
継続的に、節度を持ちながら神に「お願い事」をし、それを習慣づけるために、一日五回程度がちょうどいいのです。
コーランでは、天に属するものも、地に属するものも、宇宙に存在するすべてのものはアッラーに属すると書かれています。
つまり、精神がおかしくなって、治りたいと思っている人間は、アッラーを信じればよいのです。
精神はアッラーに属するため、どんなにおかしくなった人間であっても、アッラーを信じれば精神が治ります。
宇宙に存在するものはどんなものもアッラーに属するのですから、どんなことがあってもアッラーを信じれば、何事もなく無事に試練は終わります。アッラーだけが、終わらない戦いや出口の見えない地獄を解決できるのです。
イスラームを学ぼう―実りある宗教間対話のためにを参考に執筆しました。
六信は、神、天使、聖典、預言者、来世、天命を信じること。
六信 | 説明 |
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神 | 神であるアッラーは全知全能の慈悲深い存在であり、天地のすべてはアッラーに属する。 |
天使 | マホメットにコーランの啓示を与えたジブリール(ガブリエル)のこと。 |
聖典 | コーランならびにユダヤ教やキリスト教の聖書も含む。 コーランはアッラーの教えを完璧に記述している。 聖書の教えはアッラーの教えを正しく記述せず、信者が歪曲してしまった。 |
預言者 | マホメットならびに預言者はアッラーの教えを授かった人々である。 マホメット以外の預言者もコーランやハディースには登場し、それらの預言者も信じる。 |
来世 | 世界は必ず終末に終わる。 終末においては時間の存在しない来世に死者が蘇り、最後の審判を受ける。 |
天命 | 「予定」と呼ばれる。 アッラーはこの世界を導いており、完璧な計画と意志によって歴史は動かされている。 |
イスラームを学ぼう―実りある宗教間対話のためにを参考に執筆しました。
五行は、「アッラーのほかに神はない。ムハンマドはアッラーの使徒である」と言う信仰告白をし、一日に五回の礼拝、貧者の救済のための喜捨、ラマダンの断食、メッカへの巡礼、を行うこと。
五行 | 説明 |
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信仰告白 | 「アッラーのほかに神はない」「ムハンマドはアッラーの使徒である」 という二つの唱えをアラビア語で告白すること。 |
礼拝 | 一日五回、メッカに向けて礼拝する。 金曜日の正午のモスクではもっとも重要な集団礼拝を行う。 |
喜捨 | イスラム教徒の貧者の救済に使われる献金。 |
断食 | ラマダン月では、日の出から日没までの間は飲食・喫煙・性交などをしてはならない。 |
巡礼 | メッカまで旅をすることで、できるものだけが生涯で一度だけ行えばよい。 巡礼をして帰ってきたイスラム教徒は家族などから英雄扱いされる。 |
イスラム教については以下の書籍が参考になります。
イスラム教では結婚は一夫多妻制とされていますが、僕は賛否はあれ、ある意味で容認出来ると思います。
それは、「女が一人で男がたくさん居ても、子供はたくさんは産まれないが、男が一人で女がたくさん居れば、子供がたくさん産まれる」からです。
たくさんの女を妊娠させる一人の男、と言う結婚モデルは、悪くないのかもしれません。
あとは、戦争で男が少ない、と言う考え方もあるかもしれません。
他には、「男は結婚しなくても独身で生きれば良いが、女は結婚しないと意味がない」と言う発想もあるかもしれません。
一人の金持ちの男の周りに遊女がたくさん居てもおかしくはありません。
イスラムの聖戦は、テロリストによる「自爆テロ」の口実として使われています。
そういう考え方や信仰があるのは分かりますが、自爆テロはやめてほしいと思います。
白人の右翼が集団と集団による怒号や暴言のエスカレートになるのも、地球の滅びに繋がりますが、聖戦やテロも同じように地球の滅びに繋がります。
イスラム教そのものは否定しませんし、聖戦も必ずしも悪いわけではありませんが、自爆テロのようなテロはやめてほしいです。
イスラム教の優れているところは、貧者を救済するために、信者に財産の喜捨を命じていることです。
今のイスラム圏は石油が出るために、誰もが金持ちのように豊かですが、宗教で貧者の救済税を定めることは、良いことかもしれません。
自分がイスラム教の中で嫌いなのは、「豚肉を食べないこと」です。
豚肉を食べる僕のような国の人間は、イスラム教徒になることが出来ません。
ただ、僕は豚肉はあまり好きではありません。嫌いな方です。
イスラム教では、イエス・キリストは神ではなく預言者の一人と言うことになっています。
また、聖書を信じている者については同じ神を信仰していると言う意味で、ユダヤ人やキリスト教徒は「啓典の民」と言うことになっています。
僕は、イスラム教を否定するわけではないのですが、イスラム教のように「宗教の骨格を作る」ことは誰にでも出来ると思います。
なぜそういうことを言うかと言うと、昔の自分が全く同じことをやっていたからです。
昔から、僕はイスラム教は好きで、興味があったりします。キリスト教よりも正しく神を書いていると思います。
僕は何もキリスト教をそんなに信じているわけではありません。むしろ、イスラム教のコーランのような、「世界を滅ぼすことも出来て、かつそこから救い出してくださるのも、全部アラーである」と言う神の宣言も、嫌いではありません。僕はキリスト教やイスラム教よりも仏教の方が好きですし、ある意味、哲学者や科学者のように考えることも好きです。昔から、宗教的な幻想を一切排除して、自分だけの力で考えて分かっていました。
イスラム教では、豚肉や酒のような「間違った食べ物」を食べてはいけないことになっている。
だが、イスラム教徒が中東以外の地域に行った時、レストランでは普通に豚肉を使った料理が出てくる。イスラム教徒は、これを決して食べない。
最近では、日本も国際的になって、イスラム教徒の来訪者に配慮するために、豚肉などを使わない料理を「ハラル認証」という認証に合致させて提供している。まさに、イスラム教徒も日本で歓迎されるべき来訪者であり、そのうちアメリカでも、白人や黒人と同様にイスラム教徒のアラブ人も同じように受け入れるようになるだろう。今のトランプ政権が馬鹿だからといって、いつまでも続くわけではないから、心配は要らないだろう。
イスラム教徒は、アッラー以外の神を認めないとか、イスラム教徒以外を認めないところがあります。たとえば、コーランには、「多神教徒を見つけ次第殺しなさい」と明確に書かれています。これは「殺しなさい」という強い言葉で、「多神教を認めない」ということを主張しています。
タリバンのようなイスラム教徒の過激派は、「アッラー以外には神は無し」と言って、仏像を破壊します。
ですが、意外と、イスラム教徒の生きている世界で、キリスト教徒が存在しても、彼らは寛容的に暮らしているところもあります。中東のイスラム教国には、たくさんのキリスト教徒がいて、融和的に生活しています。コーランの教えは過激かもしれませんが、キリスト教徒がユダヤ人を虐殺したりしているのとは対照的に、イスラム教徒は現地のキリスト教徒に寛容的です。
ただし、そうは言っても、豚肉を食べるな、などと教えるのは、おそらく、イスラム教徒が裏切って他の地域に行くことができないようにするためではないかと思います。イスラム教のイスラムとは「服従」という意味です。
イスラム教徒の方に直接聞いたわけではありませんが、イスラム教徒の女性がヒジャブと呼ばれるスカーフを巻く理由は、女性の顔や肌を砂風から守るためという理由があると思います。
2023.01.07
中東の情勢については中東の世界観も参照のこと。
また、パレスチナ問題についてはイスラエル・パレスチナ問題を参照のこと。
僕が知っている事実のひとつ、それが、「イスラム教を信じると、偉大な体験ができる」ということです。
イスラム教のアッラーを信じると、必ず「人生全てを棄てても報いがある」かのような、とても偉大な体験ができます。
この世界において、自分の言いたいことややりたいことが少しでもある人間であれば、イスラム教を信じなさい。必ず、偉大な人生になり、神はあなたを救い、導き、そしてあなたは世界で最高の人間となるでしょう。
この宇宙における、裏側の体験全てを知りたいならば、イスラム教を信じることです。
ひとつ言っておくと、イスラム教の教えを守る必要はありません。あんなものは、ただの民族的な慣習にすぎません。
あなたは、この世界の本当の王になるでしょう。辛さも不可能も、全て、あなたがすることで、覆し、乗り越えられていく、最後まで全てが輝いた人生を得られる、それがイスラム教の人生です。
また、イスラム教の預言者であるマホメットを、できるだけ馬鹿にしないほうがいいでしょう。
なぜなら、僕の人生がマホメットだとするなら、マホメットはものすごく賢い人間です。
この世界における、人生全て、宇宙全て、世界全てのようなあらゆる全経験が、イスラム教徒にはあります。これは、マホメットが賢いからでしょう。
マホメットの賢さは、言葉に表すことができません。まさに「神」であると言えるでしょう。
マホメットのおかしな点があるとしたら、それは「ありえないことが起きる」ということでしょう。イスラム教を信じると、この世界でありえないことが起きまくります。何も起きないのが普通だと思っている日本人やドイツ人はまったく分かっていません。マホメットの手にかかれば、この世界は目を開きながら見続ける夢の世界です。イスラムの夢の世界では、この世界で「もっともありえないようなシナリオ」がすべて、全部起きるのです。
僕が考えるに、「偉大なるアッラーが天も地上も支配している」というのは、本当は嘘です。なぜなら、マホメットが全部やっているからです。一度、このような人間になれば、マホメットがなぜこの世界を支配できるのか分かります。マホメットがアッラーであり、マホメットが神なのです。わたしと同じです。マホメットが最初に、この世界を完全に支配したのです。すべての人間は、マホメットの手のひらの上で転がされているだけです。無神論者や多神教の信者、サタンの宗教の信者は、全員マホメットよりも馬鹿です。マホメットは最強でありながら最高の知性を持った最高の人間です。
“まことに、信仰ある人々(回教徒)、ユダヤ教を奉ずる人々、キリスト教徒、それにサバ人など、誰であれアッラーを信仰し、最後の(審判の)日を信じ、正しいことを行う者、そのような者はやがて主から御褒美を頂戴するであろう。彼らには何も恐ろしいことは起りはせぬ。決して悲しい目にも逢うことはない。”―コーラン
イスラム教の神であるアッラーは、ユダヤ教やキリスト教の「父なる神」と同一の神です。よって、イスラム教を信じていなくても、ユダヤ教徒やキリスト教徒は救われることになっています。
ですが、仏教徒やヒンドゥー教徒は注意が必要です。「邪教の神をアッラーと一緒に奉るな」とコーランは言っています。イスラム教の教えでは、仏教やヒンドゥー教を信じてはなりません。「多神教を信じるものは殺すべきである」とコーランにすら書かれています。
中東で信者が多い宗教。信じている神自体は、ユダヤ教やキリスト教の神と同一です。
Wikipedia
書籍
コーラン