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=2016-11-04=

全てのことを証明して、実証主義のように分かっていた。

それがそれであり、それがそうなることを、全て証明する。

想像力と変化を全て証明していた。

科学上の証明は、未知の仮説を正しいと証明することだ。

数学上の証明とは、その答えがどのようにその答えになったのかを、論理的に説明し、正しいと言えるように示すことだ。

僕は、マイナス直線というものを作っても良いと思う。

マイナス直線を導入すると、三角形のニ辺の和が他の一辺より大きいと証明出来なくなる。

マイナス図形やマイナス空間を作っても良い。

生命は環境の一部だ。肉体は、神経と血管の根の生える土であり、動物は土の自立した植物である。

環境を作ること。自分が王になるより、皆を王にし、自分がやるより、環境を作るべきだ。

意識から場の段階が分かっていた。

マイナス次元、マイナス座標、マイナス力、マイナス移動、などが考えられる。

マイナス移動は、反対方向に動くのではない。マイナスの距離だけ、マイナス直線分動く、というのがポイントだ。計算して、値が出るようにする。

そういうわけで、自分が出来るより、みんなが出来る、という発想が多かった。

イコールはある意味、「条件的イコール」と「証明的イコール」を分けて、出来れば代入と仮定に完全な区別を作った方が良い。パソコンを見ていると、明らかにイコールが同じなのは間違っている。

植物は、全体で生きていて、葉っぱが脳だ。そして、人間の脳は植物と繋がっている。

マイナス植物、マイナス動物、マイナス細胞などが考えられる。

昔は、全パターン経験して、何にでもなれるような構造を作っていた。

最近は、みんな、経験で分からなくなっている。経験がなくなっている。

経験で分かるようにすると、正常な世界になる。

自分は、ただ許せば良いのが分からない。みんなが自由に行動出来るように許せば良い。

みんな、勝手にしてくれ。

誰が見ても日本が一番ありえないが、日本人はそこが分かっていない。

生命は、死ぬ時は死ぬ。不思議と、感染症や異常生物で、人間は死ぬ時はすぐに死ぬ。人生も同じだ。生きていられる間は生きて良い。

良く考えると、聖書で悪いとされていることは、あまりしていない。あまり悪くない。

神が自分のことを何も悪くないと言っている。ただ、あまり馬鹿な争いをするべきでない。自分が辛いだけだ。

あまり知性のない狂ったことをすべきでない。みんなが機械にはなっていない。

むしろ、そういうものを治したいのが悪い。みんな、治すせいで分からなくなった。

治しても辛くなるだけだ。自分は一番悪い。

あとは、対話のようなことを書いていた。

みんなは、もうこの文章を受け入れなくて良い。

それがおかしいのが、このお告げだ。

脳は、シンプルに、同時に動かせば治る。

明らかに、受け入れるせいで気付かないのがこの世界だ。

みんなは、もう気がついた。

昔は、本当に宇宙の全てが分かっていた。確かに分かっていた。

自分は、予知ではないのが分かっていない。言うように、考えるように未来を作っただけだ。みんなから見ると、運命の出会いだ。

そういうわけで、宇宙になると信じれば良い。それなら未来で宇宙になる。

脳の病気が治る。あとは書いているだけだ。

自分は、イスラム教が起きている。イスラム教徒だからこうなる。

不思議と、あまり悪いことはしていない。イスラム教徒は、神が怖いだけで、賢い人間になる。

アラーは怖いが、信じると賢い人間になる。昔から、自分はイスラム教徒だから賢いだけだ。

国会では、TPP関連法案が強行採決されている。ただ、安倍は、「わが党は結党以来、強行採決を考えたこともないし、したこともない」と言っていた。

何かがおかしい。本当に、強行採決しているつもりがないのだとしたら、お笑いだ。

ああいう人間は、自責の念や罪悪感を持つのが間違っている。そのせいで狂っているのだと思う。

安倍に少し悪いことを書いたかもしれない。僕は、自由な民主主義は好きだが、安倍は嫌いだ。

昔は、何にでもなれる可能性の高みから、色んなものになって分かった。

ドイツ人は、神の人種だから、こういう風になる。ドイツ人だから神が対話している。日本人になれば良い。日本人になると、きちんと楽でまともな人間になる。ドイツ人と言う人種が悪い。

パソコンは、決められたことを自動でする。そういう、「決めたことをする」のを簡単に作れるようなアプリケーションを作ってもいいかもしれない。

皆にも理性がある。こういう風に分かる人間は、自分と同じように皆にも理性があるのが分かる人間が多い。みんな、何も変わらない。違うと錯覚しているだけで、全員同じだ。

解決方法と抑圧を無くす方法を良く考えていた。本当の解放が自由から生まれると思った。

知識を知れとか、作る仕事をしろとか、人々と関われとか、「自分の人生が出来るようなことを書く」と言う発想が多かった。それだけではなく、「自分の人生が出来る国」を作っていた。

昔は、制度、競争、発展、自由な給与、みんなで決める、のように、社会の色んなことを普通に考えて分かっていた。そして、社会がどうなるか、時代の変転を具体的に知っていた。

自分は、そろそろ働いた方が良い。それから、勉強は本を読めば良い。

自分は、何も知らないから、頑張って勉強した方が良い。

放送大学で良い。きちんと知れば分かる。放送大学は、何でも知っている人間が本当に多い。

もう一度、社会の成り立ちを考えてみよう。そこから考えれば、分かるはずだ。

治すのはやめた方が良い。治せば治すほど、何もない国になる。

日本の黄金時代は、スーパーファミコンとウッチャンナンチャンだ。

本当に、昔は面白いものが多かった。何から何まで、全部面白かった。

最近、つまらない。テレビは悪いだけで、ネットも馬鹿過ぎるだけだ。

本当に、支配して変えるしかない。自分が変えれば良いが、そこに自分が関与すると、韓国の大統領の親友と同じに見えるから、自分は何もしない方が良い。むしろ、テロリストに見える。

自分は、可能性の高みと、根源的な意識と、全ての経験から、人間でない人間になっていた。

自分は、自由でも、平等でもない、多様性が良いと思う。

身分や出身や宗教や性別で差別されることもなく、ソ連がするような「全部同じにして、多様性が失われて滅びる」こともないような、多様で自然な発想が良い。

誰かが支配するのではなく、それぞれが社会に関わり、それぞれの力で変えていき、多様な共同体を作り出すような、そういう発想が良い。

僕は色んな人間を融和させた人間に見えるが、実際は1つ1つのことを順番通りにやっただけだ。多様性は、そういう、「全員と同じになれる」と言う側面を持っている。

ある意味、ドイツは、そういう、「全員を包括する」と言う発想をしている。

あとは、右翼は悪くない。普通、悪い人間は上が処罰する。江戸時代だったとしても、悪い犯罪者は普通上が殺す。下から殺すのは悪い。トランプやドゥテルテはおかしくない。

ただ、支配は良くない。支配すると、自分の意志で決められなくなる。全部、上の頭に下の頭が付き従うようになる。福沢諭吉が言っていたように、天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずだ。従うのが悪いわけではないが、出来るだけ、意志を尊重し、みんなの合意が取れた上で行動すべきだ。左翼には何も出来ないとは言うが、頭に従う頭を作る方が悪い。

する前とした後を考えて、知識をモデルにして、現象を説明すれば分かる。

自分は、右翼なんか、そんなに悪くないのが分かっていない。普通、フィリピン人をバナナと言うだけだ。軽口が過ぎるだけで、そんなに悪くない。ファシズムは、戦争がしたいだけだ。

昔は、「どんな思いが自然に出てくるか」と言う発想が多かった。教育現場、社会、インターネット、色んなところで、どんな思いが自然に出てくるかを考える。そこから、行動を考えていた。

見ていると、日本の国会は駄目だ。国会は、もっと他のものに作り直した方が良い。あとは、朝鮮も駄目だ。韓国は、もう、一般市民によるお遊びの政府にしか見えない。「親友だからそれで良い」と言うかもしれないが、韓国は終わりだ。北朝鮮の方は、調子に乗りすぎている。

昔は、「何かの思考に対して何かの思考を思う」のような、「反応の環境学」を考えていた。

自分は、この先の未来は、右翼が勝って、完全に右翼と左翼の直接対決の時代になると思う。戦争は起きないが、政治的闘争ばかり多くなると思う。そして、最終的には、地球上全体が統一されて、ソ連になるだろう。本当にそうなるような気がしている。

昔の自分は、経験のモデルと社会のモデルを、多角的、多面的に、意味を成り立たせて、相手の立場に立って、宇宙の立場、本当の立場に立って考えていた。

あとは、可能性と経験を知っていく人生のようなものを書いていた。延長線上から、可能性の具体性を知って、自立し、全てを変えられるようになった。

戦いの文章だったから、緊迫感と勇気があったが、希望を沢山詰め込んだ純粋な心を伝える文章だった。支配する責任のようなものがあった。