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漠然と、「経験」と「意識」と思えば分かる。
学習し、習得すること。
社会を知ること。
自分で経験すること。
そこから、この世の様相が見えてくる。
経験と知性は本質から応用出来る。
経験から、人間の真実が分かっていた。
可能性は、思考から可能となり、行為から現実となり、関係から社会化される。
書くと、精神が治る。人間は、言葉にしないと分からない。
昔は、思考の可能性から、留保と決定による具体化のようなことを考えていた。
自然の中で、それぞれが何をしているかを知り、何を出来るのかを知り、決定し、判断し、それぞれに応じた適切な用意をして、全員のための国を作る。
そこでは、決定し、考え方を決め、それぞれに自由な愛、真実、平等を与える。
そういう風に、具体性と決定による、留保と現実化のような可能性と思考の文章を書いていた。
そして、社会を段階的に作っていた。そういう文章だった。
保守も、自由だ。王になって、一人が考える自由と、戦って、勝者になる自由だ。
自分は、もう、この世界に変わってほしくない。いつまでも、同じまま、変わらない世界が良い。
視点や概念から考えるなら、「自分が今何を考えているのか」を考えれば良い。
全体像の構造を知って、試し、確かめ、必然性を考えながら、「実験と全体像」の世界観を分かる。
世界を知りながら、世界がどのような「自由」に向かって変わっていくのか、目指していくべきものは何なのか、考えた。
大人になって、成長して考えれば良い。自立して、自分の目標を正しく設定し、人生を分かった上で、沢山の体験をすること。
一つのことを続けること。
自分の良い点は、自分がみんなのことを愛しているせいで、みんな良い人間になった。人間は、愛されると良い人間になる。日本は、そういう、悪い人間が居ない国だ。
自分の感情が悪い。自分の感情は、頭のど真ん中にあって、みんなのことを軽蔑し、導き、懲らしめ、分からせている。その感情が、みんなを辛くさせている。分かるのが悪い。
狂った人間は、確かでないものを確かだと思っている。「狂うのは当たり前」な人間が多い。新しい、もっと正しい確かなものを作ると治る。同じことをしていると治らないから、おかしく文章を書くようになる。文章を書かないと、自分が何を確かだと思っているのか分からない。
昔から、自分はそういう人間だ。
神を信じても、自由を信じても、文章を信じても意味がない。それらは、全く確かでないものだ。もう少し、愛を信じれば良い。むしろ、愛と自分を信じられなくなった時に、狂う。
要は、Linuxを信じるのが悪い。もっと良いものを信じた方が良い。
ピアノに行ってきた。
昔は、個人の自由や自発的な自由から、社会を成り立たせていた。
社会は、自由な関係から生まれる。
そして、モジュール的な共同体を考えていた。
王が優れた人間になり、全員が従う共同体を作る。共同体が首長を作る。
あとは、歴史のようなことを考えていた。
原始的な世界では、それぞれが宗教を信じ、部族の単位で行動する。
あるいは、都市国家を作る。
この時点で、信じられる宗教は、地域的な「善と精霊と協力の宗教」である。
そして、王による支配とともに、奴隷を作るために戦争し、都市を奪うようになる。
この時点で、信じられる宗教は、「絶対的戒律の宗教」である。
そして、そのまま、正しい宗教が生まれる。王に対して、宗教が力を持つ。
この時点で、信じられる宗教は、「一人の救世主の反権力の宗教」である。
そして、長い間何もなく、愚鈍な時代が続く。これが中世だ。
そして、王は賢くなる。王によって、沢山の政策と実践が行われる。これが絶対王政だ。
代表的な思想は、マキャベリの君主論だ。
だが、王の圧政に耐えかねて、人々は反乱を起こす。自由な革命によって、正しい世界になる。
また、民族はこの段階で統一される。
これが、フランス革命だ。思想は、人権宣言だ。
そして、近代化と発展の中で、矛盾が沢山出てくる。戦争は絶え間なく行われ、戦争の反動と平和、そして平和の反動と戦争が行われる。社会は急速に近代化を遂げる。これが産業革命と現代だ。
代表的な思想、と言うより技術は、蒸気機関だ。
そして、その後は、ソ連とアメリカの冷戦になった。民主主義と社会主義の双方から、この世界の正しい思想を考える。みんなのものか、競争だ。代表的な思想は、マルクスの資本論だ。
ここから先は、まず、みんなの力で、民主的な政治が行われる。
だが、ある意味、人々は賢くなりすぎる。本当に超賢い、神のような人間が人々を統治する。
だが、それで終わりではない。みんながもっと賢くなって、独裁者を倒し、平等な世界になる。
支配や権力と言うものは無くなるが、共同体の首長のようなものは残り、「共同体が王を立て、その王が地域を支配し、分散した共同体の関わり合いによって世界を支配する」ようになる。
ここから先が問題だ。ここから先が、未来だ。
まず、共同体は、統一されていく。いくらか数十個の共同体になる。
そして、正しい王が、全てを一つ一つ、「全員によって高まる全員の国」を作る。
また、経済が賢くなって、「本当に正しい経済システム」を作る。
最終的には、ありえない世界になる。「人類をもっと進歩させる、宇宙人のような地球」になる。
昔は、そういう、社会的発展を良く書いていた。
昔は、もっと論理的に、出来るだけ正しいことを言っていた。
あとは、科学や社会論のようなことで、経験のある発想を言って、自由な学習と社会の段階を分かっていた。出来るだけ正しいことを書いた論文だった。
革命は、えてして軍国主義になる。革命家は、他の国に勝ちたいという野心を持った人間が多い。
産業革命以後、世界は小さくなった。列強は帝国主義に走って植民地を奪い取り、弱小国家は少しずつ力を持ち始めた。そして、民主主義と社会主義の勢力が台頭した。第一次世界大戦以後、ドイツとイタリアが少しずつ力を持って、イギリスとフランスの巨頭に対抗した。第二次世界大戦がヒトラーによって起き、アメリカは日本に核兵器を落として勝った。その後は、ソ連とアメリカを中心に、冷戦構造で、民主主義と社会主義の分断された世界になった。冷戦後は、民主主義が勝利し、コンピュータとインターネットの普及によって、世界は限界まで小さくなった。変化も、沢山起きているのだが、それがどこから来て、どこに向かうのか、分からなくなっている。
あとは、具体的な国のようなものを分かっていた。
この世界に、正しい社会と言うものは無い。日本を正しいと思うなら、それは幻想である。
それぞれに、生きるために必要なものは、全部与えなさい。
金ではない。金のような、それぞれに差別と格差を与えるシステムは、使わない。
それぞれに同じだけ、同じ種類のものを、同じように与えなさい。
それぞれに関わることは、出来るだけ自由に決めなさい。
ただ、決まり事にも、種類がある。
サッカーのルールのように、きちんと合理的に公平に決めるべきことは、平等に決めなさい。
ただ、サッカーボールの標準規格のように、柔軟性が求められることは、自由に決めなさい。
社会をそれぞれが作る、あるいは、同じ社会にする、と言ったことは、各地方が決めなさい。
そして、それぞれが本当に生きる喜びを得られるような、報酬や代償のようなものを与えなさい。
金を与えれば良いわけではない。
商品とか、賞とか、資格とか、経歴とか、権利とかを与えても良い。
ボールの規格では例が悪いから、ユニフォームだと思えば良い。それぞれのチームのユニフォームは、自由に決めて良い。ボールは、公式のボールは平等に決めるべきだが、それぞれのチームのボールの柄は、地域によって違っていても良いと思う。
ある意味、ルールなんか、変えられる方が悪いこともある。サッカーのルールは、何年も変わらずそのままであるべきだ。ボールの規格のようなものは、たまに変えることがあるかもしれない。スタジアムやユニフォームなどのようなものは、多様性があって、増減したりすることも沢山あるだろう。もちろん、チームの選手の練習や経営方針のようなものは、非公開で、完全に自由に行われるべきだ。そういうわけで、ソ連でも自由に決めるし、民主主義でも自由でないことはある。そんなに思想が逆だからどうこうだ、と言うことは、難しい。
あとは、会社も同じだ。娯楽のような会社が多様性があった方が良いのは分かるが、国鉄や農協など、公的な企業は自由にしてはならない。ソ連はそういう風にしているだけだから、全部同じとは言っても、そんなに悪い同じではない。
ソ連の問題は、計画経済で十分な量の食べ物や日用品を与えられなかったことだが、理想的に考えると、個人が生きるために絶対に必要なものは国が全部与える、と言う、良い理想があった。
あとは、ノルマ生産が辛かったとは言うが、強者が辛くなっても、弱者は楽になっている。
そういうわけで、ソ連は古い国ではない。きちんと検討に値する国だと思う。
昔の世界は良かった。マルクスをきちんとやっている国があった。最近の競争社会は、意味がない。無意味にロボットの受験と競争を頑張る。生きている「生きがい」のようなものがない。ソ連を良いとは言いたくはない。僕はソ連なんか嫌いだ。だが、生きがいはあった方が良い。
それに、ソ連から見ると、自由な農業は、裕福な人間が美味しいものが食べられる代わり、貧乏人は食べられるものが無くなるように見える。そういう風に思うから、ロシア人と日本人は、議論がかみ合わないだろう。ロシア人は、貧乏人にも麦ごはんぐらい与えるべきだと言う。
ソ連の問題点は、ものが効率的に作れない。アメリカのような効率的なものが生産出来ない。最初から、計画経済なんかしない方が良い。ただ、軍事的な兵器が作れるのに、そういうものが作れないのは、独裁者の「生産ポリシー」があって、それが間違っているからだ。
そういうわけで、独裁者による生産ではなく、みんなが知恵を出し合って、みんなの力で色んなものを合理的に生産するような、そういう社会体制にしないといけない。今のロシアは、市場経済を中国のように導入しているが、まだプーチンだけが考えている。もっと、考える頭や人間の数を増やした方が良い。そこらへんが、馬鹿なのがマルクス主義だ。誰でもそれくらい分かる。
あとは、むしろ、ソ連が好きなのは止めた方が良い。大失敗に終わった国だから、もう一度検討する、と言う発想が悪い。誰が見ても、全部ソ連が悪い。ソ連を否定して、自由な世界にした方が良い。テレビを見ても、中国は何も平等でないし、何も意味がない。中国もロシアも、完全に民主主義体制にした方が良い。ロシア人が見ても、民主主義の思想に変わっても、それはそれで良い。
効率的に生産出来ないのは難点だが、良い手段がある。中国にやらせれば良い。中国は、資本主義のような「過剰に働いた場合、働いた分だけ給与を与える」ことによって、世界の工場となった。日本型のモデルで、いくらでも工場の生産でものを作っている。
そういうわけで、ロシアが決めて、中国が作るようになると、アメリカなんか要らない。これからの時代は、ヨーロッパが没落して、ロシアと中国と、ひん死になっても王者の栄光を持っているアメリカの世界になる。G3になるだろう。アメリカ、ロシア、中国だ。日本は、まだ賢い方だ。日本は普通の良い国だが、右翼でアジアが勝つのは、勝てるわけがないと言うが。
自分は、もっと良く考えてすれば良いのが分かっていない。
もっと良く考えて、行動すれば賢い。
ソ連には、アメリカの何が賢いのかが分からない。ただ、自由の拡大、と言う思想と、権威ある大学などの知性が賢い。ソ連には、何も分からない。ソ連は、平均の賢さレベルが、低いように見えて、高い。人民がきちんとソ連の理想を分かっている。そこが間違っている。ソ連の人民なんか、何も分かっていない。アメリカは、国民を飼い殺しているところがあるが、逆に、そこが賢い。きちんとそれぞれが役割分担をして、合理的に助け合っている。国民の知性は低くても、国家としての自由な経済が賢い。ロシア人の問題は、「自由な経済」が賢いのが分かっていない。合理的にものを作れないのは、「自由な経済」と言う発想がないからだ。誰かにやってもらって、その代償を与える、と言うシステムが、何でも出来て賢いのが分からないのが、ソ連だ。
むしろ、自分は考え方がおかしくなっている。自由経済では、それぞれの国民が、きちんと自分の責任で行動する。ロボットのような全体主義に陥らない。きちんと常識的なことを分かりながら、自由に行動し、決まりのようなものはきちんと守る。賢いのは、その決まりのようなことを、国が決めるのではなく、みんなでボトムアップに決めるからだ。強制的に上から決めてしまうのでは、賢くない。みんなの意見を出して、それぞれが決めるようになれば、ソ連の何百倍もの効率で組織を動かすことが出来る。何千倍、何万倍かもしれない。そこでは、賢さのようなものは、むしろ、無い方が良い。知性なんかない方が、爆発的な変化が起きる。ソ連は、それが怖いだけだ。
それこそ、ソ連の体制は賢くない。いつまでも、古臭くなった馬鹿な決まりを実行している。日本やアメリカは、新しいし、自由な王の下で、自由にスピーディにものごとが決まっていくから、迅速に強制的な決まりを発動させることが出来る。何でも解決出来るし、柔軟性もある。ソ連なんか、柔軟性が無くて、いつもすぐに終わることを沢山のプロセスで考え続ける。
ソ連が好きなのは良いが、本当に自由の方が賢いのが、この文章では伝わらないだろう。自由は悪くない。それぞれを自由にし、王となり、社会を作り、世界を変えることは、ダイナミックな社会の変化のうねりとなって、全てを変えていく。それも、一人の指導者が変えるのではなく、それぞれがそれぞれの視点で、それぞれの世界を変えていく。
ただ、そういう風に賢い自由なんか、日本にはないだろう。ただ、財閥や大企業がいくらでも力があるから賢いだけだ。軍事力も、経済力も、暗黒に悪いから賢いだけだ。闇の権力だ。
僕が思うに、ソ連の問題点は、一人の指導者が一つの計画経済を全員でやったのが悪い。そのせいで、重工業中心の軍事国家になった。もっと、自治体レベル、出来れば都市や町のレベルで、計画経済をやれば良い。それぞれの出来ることを、それぞれの自治体が、計画経済にする。政府のレベルでは、それぞれの地方の計画経済で出来た成果を「取りまとめる」ような、そういうことだけをすれば良い。そうすると、アメリカに劣らないぐらい、きちんと効率的なものが作れるようになる。
あとは、日本の食べ物が美味いと言う日本人は、ある意味おかしい。ソ連の食べ物を悪いと言いたいだけだ。西側の食べ物なんか、ジャンクフードに見える。ロシア人の前で言わない方が良い。
自分は、もう少し、民主主義に良いことを言った方が良い。
ルールは、みんなで決めた方が良い。みんなのルールだから、みんなで決める。勝手に上が決めると、奴隷にしか見えない。それでは、何時間も働かないと処罰されるような、そういうルールになる。
それから、金による経済は賢い。やってもらう、と言うのも賢いが、経済成長が賢い。最近世界経済があまり成長しなくなったが、昔から金による市場経済は、成長する。どんどんフロンティアを開拓して、どんどん豊かになる。やってもらうのは、良く考えると、国は何も考えなくても、自然にみんなが考えるせいで、限界まで国内経済が良くなる。
ただ、それらが良いのは、先進国だけだ。後進国では、ルールなんか誰も作れないし、いつまでも貧乏国のままだ。日本には、賢い技術力と生産力があるから、輸入と輸出のバランスで儲けられるが、普通、農業国だ。工業国のものを買って、ほとんどの食料を「奪われている」ようにしか見えない。
自分は、日本を愛した方が良い。自分の国を愛さないのはおかしい。ロシア人が見ても、日本を愛した方が良い。日本は、世界経済の経済規模では結構強い国だし、技術力があるし、独自の文化がある、面白い国だ。先進国だから、弱小国の手助けみたいなことが出来る。アジア人のことは、誰よりも分かるはずだ。日本を愛して、日本のために貢献した方が良い。
ロシアはそんなに良い国ではない。ただ、計画経済が上手くいくわけがない。理想の経済のモデルなんか、独裁者に分かるはずがない。ただ、金と資本に任せて、金持ちが儲けているのは、ある意味、考えなくても成り立つから賢かっただけだ。正しい計画経済の経済圏なんか、作れるはずがない。そのせいで破綻しただけだから、そんなにおかしく悪い国ではなかったが、アメリカの思うように思うせいで、最近はソ連は悪い国に見えて、ロシア人は悲惨だが、日本人なんか全く同じだ。
日本の賢い点は、戦後のオヤジたちが何もないところから頑張って、奇跡の経済成長を遂げたところだ。それが、ソ連が見ても賢い。戦後のオヤジは、ソニーや松下などの大手企業が、まずパクってコピーを作るところから始めて、次に品質の改良を行い、工場を作って安く大量に作れるようにして、世界中に売り込んだ。
ただ、それは中国もやっている。日本人は誰もがそれを誇らしげに言う。悪くはないが、ただのパクリ民族に見えて悲惨だ。
そういうわけで、日本、中国、ロシアで、ある意味、「平等経済圏」のようなものを作れば良い。フィリピンがアメリカと決別したように、日本がトランプのような右翼と決別すれば良い。それが一番良いだろう。日本の技術力があると、ロシア人はすぐに豊かになれる。潜在的可能性を日本が秘めているから、アメリカの犬のままから抜け出した方が良いかもしれない。
日本人は、自分の国を普通だと思っているが、そうでもない。輸入と輸出の差額で儲けるのは、一応絶対王政の国王がやっているが、ありえない政策だ。ただ、イスラム圏が石油で儲けているのよりは、悪くないだろう。
良く考えると、イスラム国が核兵器を持てば終わりだ。それこそ、核兵器なんか持たなくても、化学兵器を持てば終わりだと思う。一気に日本のような国を大量に殺せる。サリンのような化学兵器は、農薬のようなものを使って、簡単に作れる。
あとは、戦闘ロボットなんか作らなくても、体はドローンにすれば良い。ドローンに爆弾をつけて殺せば良い。そのうち、自爆テロよりも、ドローン爆弾の方が増える可能性があると思う。
イスラムはキモいが、イスラムも日本と何も変わらない。完全に負けた後で発展するだろう。最近、そういう風に、どんどん後進国や後進地域が先進国と変わらないぐらい、強くなってきている。ヨーロッパや白人の時代は、そろそろ完全に終わりだと思う。だが、良くはならないだろう。
ただ、これを書いている自分が思うのは、自分はソ連なんかどうでも良い。
明らかに、ソ連がいかに優れた国か、を述べても、僕はロシア人でもなければ、そんなロシアが好きなわけでもない。
そういうわけで、ソ連を書くのはやめた方が良い。
自分も、これを書きながら、冷めた心で見ているところがある。ソ連を研究する意味がない。
僕は、自由な国の方が良いと思うし、強制収容所の秘密警察の国に生きたいとは思わない。
そういうわけで、ソ連なんか、嫌いだ。
自分の好きに出来て、全体主義でなくて、それぞれが自由活発に好きなように生きられるべきだ。
ソ連はどうでも良い。僕はソ連は嫌いだ。