新・日記に戻る | 2016年10月の日記に戻る

=2016-10-16=

昔は、本当に沢山の色んな環境を経験して分かっていた。

実地的に環境を経験していた。

想像力と実感で、心と環境の変化、認識と意識の変化を分かっていた。

人間は、一度自由になって、世界をありのままに見なければ、分からない。

環境から自由になって、環境の違いを考えて分かっていた。

ダイナミックな社会の変化の中で、人間と理性と人生のことを知った。

抽象的な考え方から、人生と認識の段階を知った。

融和的な経緯の共有から、誰にも罪はなく、全員の手で改善し、解決出来ることを知った。

あとは、抽象的なことが無い。

決まりと法則を知る、意味と実在を見出す、方法を作る、認識の段階を知る、心の成り立ちを知る、メタ的な考え方を知る、などが多かった。

抽象的に予測しながら、実感し、作用の結果を確かめることで、実存的に宇宙のことを知った。

社会の変化を具体的に考えていた。「この世界を全て知ったマスター」のようだった。

社会研究者のような、自由な開拓者のような人間だった。

抑圧は多かったが、自由にすることでこの世界を救いたかった。それは、何も出来ない学校が嫌いだったからだ。自由に世界を見ていた。

社長が考えて、勝者になる機会があって、それぞれを許し、自由な行動を共有する、アメリカのような自由が一番好きだった。

社会において、何が出来るかを、具体的に考えて、助け合いの自由な社会を、基盤とシステムから作るべきだと考えていた。

アメリカが好きだった。僕は、アメリカのことも、それはそれで好きだ。英会話教室に行っているし、昔から2ちゃんねるのような自由な場が好きだ。

昔は、「自由でなければ、この世界は意味がない」と考えていた。戦いを最初から否定するのはおかしい。ただ、それなら、社会主義も自由だ。

自由が一番良い。アメリカは、怖くて馬鹿だが、良い国だ。科学力があるし、社会的に進んでいる。だが、僕は日本の方がさらに良いと思う。

日本は、怖くない国だ。誰もが優しくて、悪いことをしない。

それは、極東の島であるからだけではなく、自分のおかげか、あるいは、自分のような人間が多いからだ。

自分は、一度「一番辛い」を起こせば良い。

パソコンは、読み取りながら実行するという点で、コンパイルするCDプレイヤーと同じだ。

場は、昔からある。場は、いつまでも存在する。だが、永続するのではなく、その時その時作り出される。それが、環境だ。

応用出来る基礎を作れ。

知り尽くすことから、支配者となれる。

体験することから、把握出来る。

破壊から、何に意味があるのかを知れる。

間違いから、良心を知ることが出来る。

何でも出来る。何にでも変えられる。

経験から知性を知り、発想することで、あらゆる全員の実現力が、自分一人で行えるようになる。

この世界は、もっと破壊した方が良い。治すせいで、何もかも、虫のようにキモくなった。

破壊することは、必ずしも悪ではない。支配者は、破壊しなければ、何も変革出来ない。

そして、思いやりから、正しい世界を創造出来る。想像力が現実となって、理想が実際の姿になる。それを照らし合わせると良いだろう。

その時その時、考え出される、環境や決まりのことを考えていた。

恐怖にも意味があるとか、人間とは自分の力で判断することを学ぶために生きているとか、そういう、宗教や哲学のようなことを分かった。

詩人と言うよりは、一人の人生を生きる、愛のエキスパートだった。

最近は、治すどころか、何も変えていないだけだ。いつも同じで、何も変えないことで賢くなった。

何か変えるなら、心の中の色んなものに気付いてやった方が良い。心は、「楽しい」と言っている。ただ、楽しいことがしたいだけだ。

Linuxは、社会の進歩を防げている。だが、Windowsは、社会の可能性を防げている。

僕が思うに、今必要なのは、シンプルで軽い、ライト版のOSだと思う。

そんなに、沢山の機能があって、色んなことが出来るものは、望んでいない。

ある意味、Firefoxのように、素のGNOMEやKDEは、ただのLXDEのような何も出来ない環境で良い。

そこに、拡張機能を追加することで、機能を増やせば良い。

ある意味、デスクトップ環境に、機能なんか誰も望まない。いくらかのマウスとキーボードのメニュー操作が出来ればそれで良い。

カーネルやシステムも、高速・安定・軽快なDebianのようなシステムの方が良い。

何でも出来るのは悪くはないが、拡張させるための方法を簡単にする。

拡張機能を簡単に入れる、あるいは、入れるのも意識しないようにすることで、簡単に使えるようにする。削除するのも、簡単にする。

そういうわけで、本当にシンプルなOSを誰かが作ると良いと思う。

おそらく、プラグインやアプリケーションのインストールにするのではなく、モジュールの自動ロードのようにすれば良い。

最初から、システムに存在はしているが、使わない限りロードしない。

そういう、「自動でロードする、全てのパッケージのあらかじめインストールされたディストリビューション」でも作れば良い。

そこでは、何も入っていないように見えて、必要に応じて自動ロードをする。そういう、軽快で全機能のあるOSを作れば良い。

ただ、それはアプリケーションのインストールと、あまり変わらない。

Linuxの問題は、もう少し、標準でインストールされるアプリケーションを工夫して開発した方が良い。

取って付けたような、どうでも良いアプリケーションが少数だけ入るせいで、馬鹿なアプリケーションに見える。

全部入れれば良いわけでもないが、何も入れなくて良いわけでもない。

会社なら、標準のアプリケーションだけ、デザインを工夫して、綺麗で高機能で安定したものにする。そういう風にした方が良い。

どのディストリビューションの標準アプリケーションも、キモい。

Linuxは、システムだけではなく、アプリケーションもきちんと開発するべきだ。そんなに馬鹿なアプリケーションでは、意味がない。

アメリカに科学力があるのは、科学は本当に右翼や自由の方が出来る。ただ、自由なだけで出来る。

アメリカは、本当はそんなに自由ではない。高度で巨大な軍事力を持っているし、自分のことしか考えずに戦争する。ただの右翼だ。

Linuxは、Ubuntuのさらに次が来てほしい。Ubuntuが嫌いな人間は、DebianやFedoraを使えば良いが、Ubuntuは悪くない。

もう少し、最初から全てが出来て、完全に短所を無くしたディストリビューションが来てほしい。

自分が作れば良いのは分かるが、自分には技術力がないし、一人では作れない。

姉夫婦のような技術者と仲間になれば良いのかもしれない。

ものも、社会も、経験から生まれる。正しさとは、共通する特性の実証だ。自分は、最近、そういう哲学が分かっていない。

パソコンなんかしなくて良い。プログラミングは、まだ昔の方が出来ている。あれはもう終わったはずだ。

きちんと哲学でもすれば良い。数学は、基本を思い出せば良い。歴史がやりたいなら、日本ではなく、ドイツやフランスをするべきだ。

もう一度、人生の問題を解決すれば良い。昔の自分は、いじめを無くしたかっただけだ。それが子供なりに賢かっただけだ。

それこそ、戦争の無い世界にすれば良い。そのためには、みんなが戦争を要らないと思うこと。それしかない。

戦争だけが手段ではない。自由なままで変えるべきだ。

哲学は、そういう風に、「この世界の問題をどのように解決するべきか」が分かる人間が出来る。それで、分かるようになる。

自分は、自由なテレビがいじめなのが分かっていない。自由も、テレビも一番悪い。

民主主義は優れたシステムだが、自分の国だから正しく見えるだけだ。民主主義が平和なわけでも、自由が正しいわけでもない。

もう少し、みんなの言っていることを聞いた方が良い。

経験や知覚のようなことは、みんなとの「同じ経験」をすると分かる。そういう発想が哲学だ。

学習や対処策から、問題の解決法、証明がどのような概念で行われるか、社会がどのような具体的環境にあるか、などを考えれば良い。

あとは、むしろ、自分は「何が分かっていて、何が分からないのか」が分かっていない。それは、何も分かっていないに等しい。

自分の頭の中を良く整理して、古いものを消して行けば良い。それで、きちんと分かる。

何故か、概念的なことが分かっていない。この世界が、どの方向に行くかとか、そういう当たり前のことを考えていない。

当たり前のことを気付くためには、人と会話することだ。

自分を自分で見ないせいで、自分のことだけが分からない人間が多い。

子供の頃からおかしな女みたいな男だったが、自分で気付いていなかった。

客観視して、「みんなが見ている自分」を知らなければ分からない。

あとは、哲学は、「哲学者」を分かるのではなく、「考えている具体的内容」の「概念と本質」を分かった方が良い。

ハイデガーを分かっても意味がない。自分の経験から、「心の中に世界がある」とはどういうことなのかを考える。

意味を考えながら推論していくと、ハイデガーだけではなく、他人の考えたことを自分の考えたことのように考えられる。

経験を想定して、自由に全員の認識と場を吸収出来る。昔の自分は、そういう人間だった。ウィトゲンシュタインと似ている。

あとは、信じるより、表現し、言い表した方が良い。

数学は、概念と方法だ。良く考えると、考えていることが概念で、解くために、概念における方法を考える。

森羅万象の発想とは言うが、それくらいのレベルだ。

細胞は、モナドと言えるかもしれないし、社会は、生態系と言えるかもしれない。

記号は、意味の分類であると言えるし、平和とは、環境のその時の状態であり、全員で作り出すものである、と言えるだろう。

コミュニケーションとは、意味を伝え、共感することだ。

そして、それぞれの自由から、それぞれの愛と共同体が生まれる。それを、価値観と伝達と言う。

そろそろ全部書いた。それくらいを書いていたのが、いつもの文章だ。

あとは、段階的なことを言う。あらゆる全ての段階のようなことを考えて、プロセスにしていた。

色んな場面を忘れていく。だが、記憶が盗まれただけ、価値のある記憶だった。そして、忘れて失っただけ、意味の無い記憶だった。

そういうわけで、個人で「総合人格」のようなものを作っていた。

あとは、ネットと2ちゃんねるを書いていない。青春のような経験を、本当にいくらでもしていた。ヘーゲルのようだった。

具体的に言うと、意識、抽象性、環境の証明、滅ぼすこと、倒すこと、自然に任せること、積み重ねること、自分で作ること、が多かった。

頭を大きくすれば良い。それで何でも治る。

自分は、目上の人が居ないのがおかしい。

ツイッターで色んな人をフォローした。

何でも出来るようになる自由、のようなことを書いていた。そういう文章だった。

自分は、意志のコントロールが出来ていない。あるいは、まだそういうことをやっている。精神を作っている。

テレビで爆笑問題の番組を見ていると、資本主義は成長が頭打ちになっているらしい。

資本主義は、もう、本格的にそろそろ駄目だ。

自分は、自由ノルマのようなことをもっと考えた方が良い。そうすると、賢い。

とは言うが、ただ、社会主義を自由にしたかっただけだ。

まず、上に政府があり、次に役人、法律、警察、軍隊、裁判所がある。

それぞれが自由に関わり合うことから、会社が生まれる。

そして、家族を守る。

昔は、そういう風に、構造化しながら、経済学を作っていた。

そういうわけで、そういう風に考えれば、新しい経済学が出せる。

もう少し、良く考えた方が良い。

要は、それぞれが自由に働けるようにする。参加し、平等な自由によって会社が成り立つ。

ただ、それを考えただけだ。そういうわけで、自由以外のことを何か考えれば良い。

それで、社会システムを作っていた。

自分は、銀行などがあるのが分かっていない。株主の下で働くのは、良く考えると、評議会の下で働けば良い。

昔は、評議会に参加するとか、上が一人でやるとか、そういう発想が多かったが、それでは悪い。

むしろ、共同体を作って、それぞれが自然に生活し、手段を共有して、それぞれのやりたいようにやるのが、普通だ。

もう、分からなくなった。

自由にそれぞれの権利を守れ。

ただ、それと、必要なものを全部与えるのは、矛盾する。

計画経済の良い点は、平等配給する内容を、きちんと頑張って作るために、工場や施設をきちんと作るからだ。

資本主義が成長しないなら、社会主義はあまり悪くない。計画経済で、全て作って、全て平等に与えれば良い。

ただ、成長しない理由は、僕は良く分からない。むしろ、終わってしまえば、また成長するように見える。

最初と最後の地点を使って、頂上を揺らしている。その、頂上まで、三角形の頂点を伸ばして行けば、治る。

頂上があまりに高いせいで、分からなかった。もう、脳が治った。

神が居なくなった。もう、楽だ。

昔は、環境意識の共同体のようなものを作っていた。

意識する、意識しないから、法則と適用を考えて、意識の環境を作っていた。

過去の「治る状態」を復元することで、治る病気もあるかもしれない。

過去の時点で治るはずだったものが、治らず今に至る人間も多い。

それは、その過去の時点を復元させてやると治る。