認識がどこから生まれて、どうなるのか、認識の現象学を考えていた。
みんなの認識、発想、意識を考えて、全員を吸収した。
自分は、人間が最初から持っている部分がない。その部分を作った方が良い。
壊したせいで、なくなった。
最近は、言葉に反応しているだけだ。
自分は、作家の自分は賢くないのが分かっていない。プログラマやピアニストの方が、まだ難しいことをしている。
作家は、そんなに難しくない。いつまでも、馬鹿な文章を量産していれば良い。その時考える。
それは何も賢くない。そのせいで馬鹿になった。
プログラマやピアニストなどを目指して勉強していると、一心不乱に頑張ることで、宇宙の意識が分かる。
昔は、そういう意識を、根源的に分かっていた。
今日はピアノの日だった。自分は、練習をあまりしなくても、すぐに弾けるようになった。
大学は賢くない。だが、作家は賢くない。プログラマも賢くはないが、能力的に、経験的に、何か出来ないと意味がない。
生物学的な進化論も、キリスト教的な天地創造論も、どちらも、「これほどまでに種類の多い、多様な生物世界がどこから来たか」を考える。
ポイントは、「種類が多い」と言う点だ。1つの生物だけなら、誰かが作れるかもしれない。だが、生物には種類が多い。
昔は、宗教では絶対者である神によって創造されたのを信じていた。生物学としても、進化ではなく、個体の種は変わらないとされていた。
そこで、進化論の登場だ。この生物世界の全ては、ただの木と虫のような、単純な生命から進化した、とされるようになった。
進化論は好き好まない人間も居るが、妥当な考え方だ。今では、神によって創造されたと思う人間は少ない。神は居るように見えない。
だが、神の創造論について言えば、「神は全員の人生や歴史まで全部作っている」と言える。それもそれで、正しい。
自分のような人生が多いように、神が歴史や人生に関与することは多い。それも、まざまざと分からせるから、神は居るように見える。
結果として、進化論と創造論のどちらが正しいかは分からない。僕は、どちらも必然的に正しいと言えると思う。
頑張れば、どちらも論理的に証明出来るだろう。考え方が違うだけで、言っていることはあまり変わらないのだと思う。
科学も宗教も、目指しているものは同じだ。方法が違うだけで、矛盾しない。
そういう、「ある意味矛盾しない」は、昔の自分に多かった。
自由と平等は、どちらも民主的な政治を目指しているだけだ。
指導者は、自由でも、平等でも、賢くて能力のある、善人の王なら、それで良い。
それに、王はそれぞれ違うが、悪人の王なら、当たり前に悪くなる。
良い王を選ぶ仕組みが重要なだけで、民主主義と国家主義の目指すところに違いは無い。
失敗しても、もう一度やれば良い。
そうすると、病気が治る。一度失敗したことが、出来なくなっているのが、足の精神だ。
失敗して、それで終わりではないだろう。もう一度、最初から頑張れば良い。そういう人間が多い。
人生に失敗は、まだしていない。最後まで、分からないのが人生だ。
最近、全く失敗しないのが悪い。繰り返ししないせいで、何も出来なくなった。
みんなは、唯一それが出来ないと思う。全く失敗しないのがおかしいだけだ。
成功したことも、一度しかせずに、忘れてしまう。何度も同じことをすれば治る。
全部違うことにして、全部試すのが悪い。ある程度同じなら、しなくて良い。
そして、単純に自由にしたり不自由にしたりして治せば良い。
自分は、むしろ、もう一度勉強した方が良い。
数学は、可能性の中で実例がどのように存在するか、のようなことから、何が解ける可能性があるか、のようなことを考えれば良い。
そろそろ、日本が一瞬で滅びる。
同じことは、同じに見えて、たまに違うこともある。
違うことを起こせば、すぐに滅びる。
滅びるのは、自分も悪いが、テレビのようなものが悪い。テレビを利用したタリバンのせいで、滅びた。
みんなは、何が正しいのか、分からなくなっている。正しいのは、平和な物理環境と物理的手法だ。
自分に勝てる人間は居なかった。自分は、物理的方法によって、この世界を滅ぼした。
だが、それを自分で治したい。おかしく分からない世界になったのを、常にいつまでも治したかった。
そういうわけで、治ってほしい。治るためには、「自分の目的と動機を知る」ことだ。
きちんと疑問を考えて、きちんと分かるようにすれば治る。
きちんと、自分が何をしたくて、何が成功するのか、正しいものは何なのか考えれば良い。
大人には分からない。みんなは騙されて、洗脳されている。騙された人間に騙されているから、たちが悪い。
一度、みんなの力で、そういう悪い人間を倒すこと。そして、きちんと分かるように、視界から靄(もや)や蜃気楼を消せば良い。
何が正しいのか、最初に分からなくした人間が、自分だ。それを、ミカエルだと思えば良い。ミカエルとの知恵比べだ。
テレビで見たが、肝臓は体の物質の加工工場だ。UNIXのカーネルのように、沢山の機能を持っている。
悪い病気は、一度血液中に悪いものを出すと、全部肝臓が治してくれる。
大切なのは、良く寝て、食事と生活習慣を正しくすること。そして、急激な変化をしないこと。
運動するのは良いし、ダイエットするのも良いが、そんなに急激な変化はしない方が良い。
肝臓が治ると、血の中の物質的変化が起きて、毒素が治る。脂肪も蓄える。本当にたくさんのことをやっている。
肝臓は再生能力が高い。ある意味、植物と良く似ている。
生物の弱肉強食で言えるのは、肉となる敗者はたくさん居るが、食べる方の強者は比較的、少ししか居ない。
企業の競争も同じだ。勝ち残る大手の会社は少ししか居ない。負けていく大多数は、それらに吸収されていく。
僕は、インターネットとオープンソースは、そこを変えられると思う。たくさんの負け組が一緒になって、「肉が残る」共存的繁栄が出来る。
ただ、オープンソースには、質の悪いものが多い。質の良いものは少ない。そういう意味では、従来の競争とあまり変わらないのかなとは思う。
インターネットも同じだ。質の無い、最悪のものばかり多い。
自分は、足の精神がもう楽になった。肝臓とブラックホールは同じだ。何でも治る。本当に、病気の原因となっていた、小さな部分が死んだ。
僕は、自由になることが、仏教でいう悟りに繋がると考える。
人間は、関係や立場が違うだけで、みんな、根っこの部分では同じ信念を持っている。
あるいは、環境の違いがそれぞれを隔てる壁を作っている。環境での活動が思い込みや習慣を作っている。
そういう関係から自由になることで、執着心や思い込みが無くなり、解脱へと繋がっていく。
たくさんの環境を知ることで、人々が何を考えているのか、過去に自分が何を考えていたのか、本当は何が問題だったのかが分かる。
自由な行動と経験から、何が何を生み出すか、実感で分かることが出来る。
経験の積み重ねによって、全員の経験を自分のことのように理解出来る。
かくして、自由になることが、本当に悟りを生むことに繋がる。
自分は、もう心が治ったから、世界が変わる。おかしく停止された世界であるのが治って、ダイナミックな動きが生まれる。
心の何が何をもたらしているのか、何が原因なのかを、仏教や精神分析のように分かることで、悟りが得られる。