秩序やルールを作って、みんなを自由にしていた。
ただ、それは、支配するのと、何も変わらない。
支配原理を作っていた。
良い人間になると治るせいで、みんな良い人間になった。
ただ、そういう良い人間は、騙されている。
本当は、支配されるのではなく、支配する側に回るべきなのか、あるいは、支配をされないべきなのだ。
認識の真理を作っていたのも同じだ。支配したいように見えて、数学的な法則性のようなことを知りたかった。
自分は、哲学の内容を知らないから、哲学のことを知りたい。
現代哲学も良いが、やっぱり、デカルト、カント、ヘーゲルだと思う。
人間は、赤ちゃんがそうするように、嫌なことを「嫌だ」と思わないと、知性がつかない。
辛いなら、しなければ良い。怖いなら、逃げれば良い。
そんなに受け入れていると、辛くなる。それが、最近の自分の問題だ。
そんなに辛いことをしない方が良い。辛いことをしていると、辛い。
子供は賢くない。最初から「する意味がない」と思う子供が多い。
子供が賢いのは、何もない中で、いくらでも時間を過ごしているからだ。何でも分かる子供が多い。
自分は、最近のこの世界を全部否定するのが悪い。
自分は、今の方が賢い。みんなも、今の方が優しい。
自分は、簡単なことを難しくして、その難しい内容を頑張ることで、賢くなった。
みんなのことを、褒めてあげれば良い。みんなは、優しくなった。それに、賢くなった。
立場上、そうするしかないこともある。それも、一つの誇りだ。そこらへんが、分かっていない。
あとは、ドイツのような歴史を考えた。
普通、国家は、民族の独立と統一を目指した、平和で自由な国である。
それが、長く繁栄し、統一のために努力して、自由な国を作る。
そして、上からの権力と下からの革命によって、理想の国が実現する。
だが、自由過ぎるために、理想のために何も出来なくなる。民衆は自由過ぎる問題を生じさせる。
それが、国家主義を生み出す。
国家主義は、自由過ぎる問題を解決することで、支持を得る。
あらかたの問題を解決すると、国家主義は、国家の内部ではなく、外部へと進出しようとする。
そして、開戦して、互角の戦いをする。
勝った国は、帝国主義となって、世界制覇をする。
だが、負けた国は、戦争の反省から、戦後左翼となる。
だが、その戦後左翼は、上手く行かない。失敗に終わって、「もう一度戦争」するいかれた軍国主義を生み出す。
そして、おかしな国が開戦し、大敗北に終わる。
その後は、「戦争相手国と協力する」と言う、穏健派の経済発展重視の「自由圏」と、過激な平和と平等の主義の「共産圏」に分かれる。
そして、自由圏の国家は最大限の繁栄をし、未曽有の経済成長をする。
逆に、共産圏の方は、悪いだけの国になる。
最終的には、何もない自由な世界になる。おかしな世界になって、そのうち、また右翼が勝つ。そして、最初の世界に戻る。
問題は、「本当に元に戻るのか?それとも、滅びるのか?」だが、平和な理想の国はまた自由過ぎる問題が起きる。
自由が悪いことになって、国家主義が勝って、戦争へと戻るのである。むしろ、戻りたい人間が多い。
そういうわけで、ドイツ史はつまらない。日本史をした方が良い。
江戸時代以前の文化がキモいのは分かる。だが、外国人が見ても、キモくないどころか、カッコいい。
外国人が言う、「サムライと芸者」とは、そういう、江戸時代のイラストのような日本人のことを言っている。
そういう人間しか居ないように見える。
怖いと言っているのは、戦争で大日本帝国に対峙したからだ。あまりに、恐怖の悪の帝国に見える。ソ連より悪く見える。
嫌いと言っているのは、その後の経済成長のことを言っている。自動車をパクって、何もしないのに経済成長をしている。一番キモい。
そういうわけで、日本史は悪くない。その昔は、源氏と平氏が戦ったり、仏教を信じたりしているが、中国的な文化が花開いている。
外国人は、日本を美しい国と言う。それは、自然もあるが、日本的な美が美しい。白人の美より、中国や日本の美の方が、はるかに賢い。
日本史はつまらないが、段階的な文明の発展が分かる。ドイツ史は軍事的だが、日本史は文明的だ。
UNIXは、X Window SystemにUNIX古来の「ファイル主義」と「テキスト主義」と「スクリプト主義」を持ち込むと良くなる。
説明は難しいが、X11の中で、UNIXのようなテキスト主義をやる。
テキストのコピーの時など、テキストで処理出来るグラフィック処理は多い。そういう、グラフィックを全部テキストとファイルにする。
自分は、勉強しているように見えて、本を読んでいないから、もっと読んだ方が良い。
考えて研究するのは良いが、土台となる知識や経験がなければ、考えられない。
逆に、そこが賢かったのが、昔のパソコンオタクだ。何でも知っているせいで、簡単に考えるだけで分かった。
自分は、もっと簡単に分かれば良いのが分かっていない。簡単に賢い人間になれば良い。知性が無くなるようで、それは知性がついている。
要は、[show window]でウィンドウを表示したり、[push button]でボタンを押したり、[add menuitem]でメニューアイテムを追加したりして、コマンドとテキストでGUIを操作出来るようにすれば良いのだと思う。そして、グラフィックの全てをテキストにして、コマンドラインと統合する。そういう「GUIシェル」を作っても良い。
要は、コマンドの入出力だったところを、そのままGUIのグラフィックにすれば良い。GUIを入力し、GUIを出力する。ただ、イベントの登録(ボタンの名前やIDや関数を登録する)をどうするかが問題だし、マウスとキーボードの区別をしなければならない。ただ、GUIがキーボードやコマンドで処理出来ると、そのままスクリプトにして自動化出来る。そこが良いと思う。
繰り返し言うようだが、テキストを入力とし、グラフィックを出力として、それを入力にも出来るようにすると、「テキストとGUIを相互に変換して操作する」ことが出来る。それは、ある意味、「グラフィックのテキスト化」である。そこから、プログラミング言語からGUIを簡単に操作出来るような、「GUIコンパイル」のようなことが出来る。
GUI専門の記述言語のようなものがあっても良いと思う。そこから、GUIの完全に記述的なクラスライブラリが作れるかもしれない。
言っている意味が分からないかもしれないが、大したことは言っていない。GUIをコマンドより、あるいは同程度賢くしたいだけだ。
コマンドだけではなく、ファイル化もしないといけない。GUIの今のグラフィックをファイルにして、今のGUIを今のファイルから操作出来ると良い。
Plan 9がやっているのは分かるが、別にタイル型にしなくても良いし、ネットワーク分散環境にしても意味はない。僕はGUIのことを言いたい。
ファイルを操作するように、コマンドを操作するように、テキストを操作するように、GUIを操作する。
だが、僕は、プレーン・テキストで、単純なコマンドであってほしいと思う。XULとJavaScriptにすると、誰にも分らない複雑なものになってしまう。
ある意味、今のUNIXは、高度化に高度化を重ねて、あまりに複雑すぎるものになっている。GNOMEやKDEでも、それは変わっていない。
もっと単純な、プレーンテキストで、シンプルなファイルとコマンドであってほしい。そういうものでなくなった時、UNIXは破たんする。
誰かが言っていたように、シンプルを維持しろよ、あるいはお前は間抜けだ、と言った言葉が正しい。
全てがシンプルかつ単純になった時、正しい高度化が行えるようになる。コマンドとテキストから、本当に合理的・効率的な発展をするようになる。
その通りの、テキストのようなシンプルな記述で、GUIを表現出来ると良いと思う。
あとは、その間抜けが自分なのが分かっていない。普通に、X11のままで良いだろう。GUIなんか、QtとGTK+で問題はない。
だが、見てキモいのが悲惨だ。何もWindowsから進歩していないのが、あまりにキモく見える。
GNUの問題は、プログラムの改良なんか、誰もしないのが分かっていない。それが、普通になった。
昔は、コマンドラインだったのもあるし、システムエンジニアが自分で研究してプログラムを書くことも多かった。
だが、最近は、アプリケーション・プログラムを、巨大な機能をそのままで使うことで、ほとんどのワークフローをこなせるようになった。
GNUが一番、そういう、LisaとMacから始まり、Windowsで確立した、「オフィス・アプリケーション」の常識が分かっていない。
そういうわけで、今一度、GNUがオフィス処理を頑張って開発すると良い。そのためには、「簡単に機能の拡張」が出来る、「プラグイン形式」で「ヴィジュアル化」された、少しの変更であらゆる機能をいくらでも変えられるようなオフィスを作っても良い。
だが、それは成功しない。オフィスアプリケーションを作るのは、OSを作るのより、難しい。
GNUは、そういう難しいプログラムが、会社でしか作れないのが分かっていない。そこが、分からないのが、GNU/Linuxだから、Linuxを会社で使えるわけがない。
ただ、問題は少ない。PHPのような、スクリプトとネットワーク・デーモンの巨大な言語が作れるなら、誰かが簡単に巨大なオフィスアプリケーションを作れるようなものを作るかもしれない。それに、Microsoftが勝っているのは、既に標準を手にして、ファイル形式などの過去の遺産が多いからに過ぎない。LibreOfficeも、使おうと思えば使えるかもしれない。それに、無料で、互換性があるだけではなく、オープンソースだから、大企業なら研究や改良が出来る。昔のパソコンでは、LXDEを使えば良い。
Linuxについて言えるのは、「マニアックなオタク向けではない」だ。Windowsの初心者ユーザーと同程度になら、Linuxも使えるだろう。だが、フリーソフトを入れて、プログラミングのことが分かる人間が見ると、Linuxは使えない。サーバーやコマンドラインで使うのなら、まだ分かる。軍事やセキュリティや巨大データセンターやミッションクリティカルなサーバーに使うのも分かる。だが、オタクが見ると、Linuxは使えない。オタクの常識は「Linuxは使えない」だ。まだ、全くWindowsのオタクと同等には、使えるものにはなっていない。良いプログラミング言語が多くて、古くて伝統的なソフトウェアやシステムがあるのは分かるが、オタクならWindowsを使う。
僕は、最近、Linuxのことも大して好きではない。Windowsで、xyzzyとFFFTPとRealSyncとMS-WordとGoogle Chromeを使って、ブログとホームページを書いて、クラウド環境を享受しながら、iPodぐらいを使う。昔ほど、パソコンのことを全くしなくなったし、ニュースなんかも見ていないから、本当は最近のWindowsやLinuxがどうなっているかも分かっていない。ただ、MATEが生まれているように、大して進歩していないのぐらいはひしひしと伝わってくる。LinuxはダメOSだ。Windowsより優れたAndroidなどがあるが、それも嫌いだ。
Linuxは、昔から、そういう風にキモい。オタクが見て一番悪い。何故か、精神がおかしいように見える。
ただ、自分は最近のLinuxは使えるようになって来ているのが分かっていない。最近のDebianで、MATEを使うと、不思議と、安定・軽快・高速になっている。MATEは軽い。
あまり意味がないが、最近はLinuxを使う意味がない。使えるのに、使ってもWindowsと何も変わらない。設定なんか自動でするせいで、何も分からない。
昔は、発想、発展、発生から、科学を分かっていた。
昔から、科学を作るのが得意だ。実例から、森羅万象の科学を作っていた。アリストテレスのようだった。
あとは、僕は、Linuxやドイツのことは忘れて、哲学や神のことも忘れたい。
もう少し、良いことをしたい。そのために、ゆっくりと考えたい。
あとは、死にたくない。このまま生きていたい。楽をしたいようで、そうではなく、もっと充実感のあることをしたい。
自分は馬鹿だ。Linuxやドイツのように、かっこよく見えるものは、かっこよくない。何も賢くないから、賢く見えるだけだ。
ある意味、賢い時代の自分がやっているから、そういう憧れが最初から生まれる。
これでは、考えていたのと、2ちゃんねるをしていたのが伝わらない。思いやりや愛があったのも分からない。賢い哲学者の、人生のマスターだった。
本当に色んなことを考えていた。意味と自由から世界と認識のことを考えて、環境を把握して、心を悟っていた。
自分は、神は終わらないのが分かっていない。
終わらないのは、まだ、何も分かっていないからだ。このまま神を続けていると、そのうち分かる。
あとは、最近のLinuxや2ちゃんねるは、すでに良いものになっている。そこが分かっていない。
悪いものに見えて、インターネットは、すでに良くなっている。それこそ、自分の功績でもあるのが分かっていない。
それから、東大に入れないなら、広島大学にでも入った方が良い。それが一番賢い。
自分は、やっていることが意味がない。昔から、努力はしているが、意味がないものを努力している。
自分の性格なのか、そういう星の下に生きているのかは知らないが、普通、意味があるものを努力する。
そんなに意味がないのがおかしい。
最近、Linuxのせいで分からなくなった人間が多い。一番悪いのは、自分のせいだ。
賢いものなんか、物理だ。普通、心なんか、性格を分かるだけだ。物理的に考えて、物理的に分かるだけだ。
賢くなるためには、学校に行くしかない。昔から、自分は、そういう「王道」が嫌いだが、王道が一番賢い。王道でないと、賢くないだろう。
自分は馬鹿だ。この文章は、糞みたいにキモい文章だ。一番、悪いの三重の悪いを作っている。全部悪い人間になって、滅ぼして、倒す意味がない。
最近、この文章が良く見える人間が多い。それは、きちんと経験が賢いからだが、ただ、2ちゃんねるをしながら孤独に考えただけだ。
何も知らないから自由だった。哲学なんか、知らない方が知っているように見える。哲学を分かると、哲学が分からなくなる。
カントが言うように、哲学は学ぶものではなく、哲学するものだ。自分は、それが分かっていない。
そろそろ、予想外のことは何も起きない。
奇跡とは言うが、その通り、神が入力を助けてくれるのは、起きるか、起きないか、分からない。それだけを信じていれば良い。
いつも自分はおかしい。ノートに書いた漢字を、直さなくて良いのに直したかったのは、本当に、もう止めて良いからだ。
もう、延長線上も同じだ。これくらいしか、残っている書いていないことはない。それだけを続けて、まだ全部書くのは、もう良い。
まともなことを努力した方が良い。むしろ、東大に入った方が良い。受験は馬鹿ではない。自分の常識は、子供の常識だ。受験は賢い。
ただ、大学なんか、行かなくて良い。普通、馬鹿になる。
大学受験は、公式と年号の語呂合わせで通る。それから、授業なんか、放送大学と同じだ。研究は、昔のLinuxのWikiと同じだ。
何もなく、馬鹿な人間になって人生が終わるから、止めた方が良い。
専門学校に行けば良いだろう。哲学や歴史の勉強は、本を読んですれば良い。
数学なんか、きちんと考えれば今でも分かる。ただ、忘れたことすら忘れただけだ。数学の教科書を見ても、賢いことは何もやっていない。
ただ、自分は、放送大学が良いと思う。何故か、自分は放送大学に一番合った人間だと思う。
それこそ、コンピュータ系の専門学校なんか、ITパスポートと基本情報を覚えているだけだ。デザイン系なんか、マンガを描いているだけだ。
放送大学の勉強をしたいとは言うが、そんなに意味がない。
本を読めば良い。誰でも、本を読む以外に、出来ないだろう。哲学は、本を読むしかない、しか居ない。
それこそ、大学なんか、誰でも出ているが、それで、そんな大学の内容に、あまり意味がない。
良い教授が居れば良いが、放送大学の内容は賢くない。何故か、初歩の初歩、基礎の基礎を教えている。
むしろ、数学をした方が良い。数学をすると、哲学が出来る。昔は、数学的な基礎の考え方を自分で作っていた。考え方を作るのは悪くない。
大学の哲学は要らない。放送大学は、基礎どころか、何も教えていない。
ブラック企業を見ていると、日本の労働は悲惨だ。広告デザインが一番悲惨に見える。
みんなは、社会主義に対して、ノルマとか、強制労働とか、辛いとか、あるいは、強制収容所とか、自由が無いとか、そういうことを思う。
ただ、一度、そういうことを無にして、純粋に「平等な労働」と言う概念を照らし出してほしい。
明らかに、ブラック企業が悪いなら、社会で監視や規制を増やさないといけないし、誰かの労働時間を過度に増やして、過酷な労働をしてはならない。
だが、ソ連が悪いせいで、そういうことを言えない世界になっている。社会主義的なことを言えば、すぐにソ連と思ってしまう。
だが、そうではない。平等な労働に向かって、全員で戦うような、そういう思想が必要な段階に来ているのだと思う。
暴力革命をすれば良いわけではないし、ソ連にすれば良いとは思わないが、ブラック企業の問題は、無くしていく必要があると思う。
あとは、放送大学は難しい。見ても、理解出来ない。「まだ何も出来ない」から、まだしない方が良い。今のところは、本を読めば良い。
ソ連なんか、楽で創造的で可能性豊かなユートピアを作りたかっただけだ。それこそ、自由主義は、創造性があって良い。
社会主義にするわけではなく、「みんなの社会」を作った方が良い。みんながきちんと考えて社会を作る。金の社会は、何も考えていない。
そのために、今の都知事や市長は、何も出来ていない。昔の、「ムラ社会」の村長の方が、賢かった。村長が村のみんなのことが分かる。
そこには学んだ方が良い。むしろ、みんなで選ぶより、みんなのことをきちんと分かっている人間を選ぶべきだ。民衆の意志なんか、どうでも良い。
ただ、ソ連は悪かったから、むしろ、ソ連は悪い。
ソ連がやると、法律で決める代り、その法律を守らなくなる。
過当労働を禁止しても、いくらでも過当労働をする。その法律の存在自体を、誰も知らない。
だから、ある意味「ソ連だから悪い」と考えるのも正しい。間違っているわけではないのだ。そういう風に、間違った方向に進むのは良くない。
考え方や思想の違いだから、解決出来ない。自分に合った方を選んだ方が良い。その、「選ぶ」と言う発想が、民主主義の思想だ。
良く考えると、民主主義の方が賢いわけがない。自分に合ったものなんか、選んでも勝つわけがない。政府の分かる役人が選べばそれで良い。
ただ、僕はそんな考え方も嫌いだ。自分は、自分が見ても、右翼なのか、左翼なのか、良く分からなくなった。そんなものはどちらも馬鹿に見える。
むしろ、そんな法律を作っても、誰も守らないのは当たり前だ。ソ連ではなく、日本でも、過当労働禁止の法律は守らない。
明らかに、良い国にすればそれで良い。そのためには、自由とか、平等とか、そういう思想では良くならない。
現実の「良い国」が分かる人間が必要だ。
そういうわけで、最近はみんな分かっていない。辛いことを沢山経験して、何が正しいのかが分かる人間がやった方が良い。
ただ、そんな人間は居ない。自分でさえ、そんなことはもうしたくない。最近は、賢い人間があまりに居なくなってしまった。
ソフトバンクの孫や、東京都知事の小池が賢いのは分かる。
むしろ、そういう賢い人間に従うのが良い。そういう人間が多い。そういう人間も、昔の自分が賢かった人間が多い。
自分が左翼をやるせいで、みんな分からなくなった。左翼が賢く見えるのはおかしい。
そういうわけで、むしろ、ビル・ゲイツが賢い。
自分は馬鹿だ。賢い人間に反抗すると、馬鹿になるだけだ。きちんと右翼になって、従った方が良い。その方が、病気が治る。
今日も馬鹿なことを言った。そろそろ止めた方が良いだろう。そんなにソ連のようなことを書いていても、意味が何もない。
日本人が思う日本と言えば、味噌と醤油が美味いのと、ドラえもんみたいなアニメが多い。あとは、テレビゲームが賢い。
外国人は、やけに和服を良いと言うが、和服は動きづらい。動きやすいTシャツを着る人間が一番多い。
あとは、日本人も色んなことをする。家族でアウトドアで釣りをしたり、温泉旅行をしたりする。遊園地はディズニーランドだ。
日本の小学校は、バス通学がなくて、ランドセルを背負うが、一番ありえないのは、掃除を子供たちがする。
あとは、漢字は難しい。日本人でも、難しい漢字は、書けない人間の方が多い。逆に、読むのは誰でも出来る。
それから、会社が賢い。やけに技術力がある。だが、政治家は馬鹿だ。馬鹿ではないのに馬鹿に見える。そういう国が日本だ。
自分は、戦いとは言うが、良い戦いはしていない。世界のことを、滅びしたかっただけの戦いをした。
何故か、「自分を自由にしたテレビのせいで、自分の自由が無くなった」と言っている。
みんなを精神的に滅ぼして、馬鹿にしている。
自分は、悪いことはしていないし、逮捕もされていない。サタンではないが、唯一、「過ちを犯した人間」だ。
そういうわけで、自分はあまりに悪かった。本当に、ロシアのように、日本をテレビを支配して滅ぼしていた。
そのまま、知性を失って、地獄になった。神は、そういう馬鹿な自分が嫌いだ。
あとは、もう、何もない。
むしろ、Linuxなんかどうでも良い。2ちゃんねるなんか直さなくて良い。直さなくても、そのうち滅びる。
2ちゃんねるは、意味の無い掲示板だと思う。
意味と言う意味が、正しい意味で、無い。意味を無くして、それによって意味が無くなっている。
ただ、サタンみたいなことを言わない方が良い。最近は、2ちゃんねるは全く見ていないから、どんな掲示板なのか、全く分からない。
宇多田ヒカルが言っているように、自分は「罪人(つみびと)」だ。そして、自分を歌うみんなも罪人だ。
それこそ、イエス・キリストは、自分のような存在を「罪」だと言っている。
イエスは、積極的にこういう神の決めた罪を「罪」だと思えば救われるのが分かった。
サタンを悪いと思うと、そういう罪が死んで無くなる。そういうわけで、馬鹿な罪人がサタンを悪いことにすれば、赦される。
そういう、「神と罪」と言う発想がイスラエルだ。悪人でも、罪が無い人間なら、神に仕えることが出来る。
ソ連なんか、キモいだけだ。
社長なんか、普通、多い方が、考える頭が増えるし、競争で最大限発展する。
金なんか、普通、好きなものが好きなだけ手に入る。努力に対する代償があることで、いくらでも働きたい人間が働ける。
それぞれの自由にすることで、それぞれが考えて、行動する。
ソ連は、そういう、それぞれの好きなように行動するのを否定することで、何も出来なくなる。
ソ連なんか、馬鹿が勝って、賢い人間が死んで、何も出来なくなる。愚民が勝って、滅びるようにしか見えない。
ソ連は、死んでいく。反革命分子の粛清と、ノルマを果たせない人間や政治犯を強制収容所に入れることで、全員が死ぬようになった。
何をしても死ぬ。どんな人間でも死ぬ。悪いことをしていなくても死ぬ。罪を犯さなくても死ぬ。
本当に、日本の方が良い。
むしろ、宗教はキリスト教で良い。神の裁きを免れて、地獄でなく天国に行くために、善人になる。それで良い。
ソ連をユダヤと言う人間は、そういうところが本当に同じなのを言っている。まさに、ソ連は、本当の善人が死んでいく、善人の国だ。
むしろ、2ちゃんねるが滅びるなら、自由で良く見える。
自由は正しい。誰もが同じ人間なら、それぞれの本当にやりたいようにすれば、自由に国は良くなる。それも、正しい。
2ちゃんねるが悪いのは、悪い人間をソ連の仲間にしたいからだ。辛い右翼をソ連の仲間にしたい。それだけの集団だ。
自分は、そろそろ胃が治った。心と言うよりは、がんが治った。
神経は、動いた方が治る。脳が疲れているのに動き回って、手や足が動き回り、歩き回るのは、動いた方が治るからだ。
本当に、脳が動き回るのは仕方ない。
あとは、文章は書いた方が良い。書いていると、病気が治る。がんになった人間は、文章を書かないと治らない。書くと、何でも治る。
人間は、きちんと書かないと分からない。それこそ、書いていると、誰でも自分の中で一番賢いことを書く。それを増やせば分かる。
最近、自分は、理論的でなくなった。昔は、論理的に、社会論や行動論や体験論のようなことを書いていた。理論的な文章だった。
それから、インターネットで、特に2ちゃんねるで、社会の形成を分かっていたが、馬鹿に、人間と環境のことから全てが分かった。
経験しながら考え、実地的になりながら空想し、発想しながら繰り返し、推論しながら実験した。
本当に、そこまで考えた。
自分一人だけの、自分の部屋の中だけでの、エッチで楽しい青春だった。楽しかった。
自由に勝ちながら、事前に考え、想定して分かる。
そして、全ての意識を把握して、全部の仮象の世界を正しく厳密に、根源的に分かった。
楽しかった。永遠だった。無限だった。一つとして同じではなかった。全部同じだった。有限だった。一瞬だった。何も続かなかった。永遠に続いた。
破壊しなければ、本当に守る気持ちは分からない。たくさんの間違いを経験することで、守る気持ちが生まれ、それがそのまま、愛する気持ちになる。
一度、滅ぼすことが、愛に繋がることもある。間違いを絶対に犯さないことで、本当に正しく偉大な国を築くことが出来る。
明らかに、自分を探している人間が多い。それらに対して、存在を知るための道案内が出来たら良いなと思う。
病気が治る。がんは、胃だけではなく、心臓と肺と肝臓にある。まだ、なっていないがんがある。それを治すと、後の人生が楽に生きられる。
生態系は、助け合いと調和の下に生きている。みんなを生かしている植物は、動物に対して食べられることに恨んだりするかと言うと、決してそんなことはない。植物は、死ぬのはつまらないが、動物たちには生きてほしい。動物を生かすために存在しているのが植物だ。同様に、シマウマやヌーはライオンが嫌いかと言うと、魂のレベルでは、そんなことはないのだ。きちんと、食べるライオンに生きてほしい。ただ、ライオンは普通に嫌いだ。
そういうわけで、生態系は共産的だとか、そういうことを言っていた。生命は、環境の一部と言う。それは、暗に地球の意志があると思っていた。地球が何故こんなに生物を作ったかと言うと、答えは単純で、「意志と判断をする個体を増やしたかった」からだ。それが、地球が生命を創り出した理由だ。
自分は、賢くなりすぎて、太陽系のような生命になった。太陽系も、きちんと考えている。意志や判断は無いが、色んな宇宙のものを作っている。
あとは、思考を辿って、説明し、成り立たせ、感情を確かめながら、自由に出来るようにする、そういう、「理性」のようなことを書いていない。
意識と心から、「本当のそれ」を知り、法則性を見出す。そして、多様性を生み出す。そういう、理性と可能性の全てを、いつも書いていた。
生命のもう一つの理由は、「場所を観測すること」だ。
自分の地点を知り、その地点から見える地点を知る。それが、最初の生命だ。火星探査機のようなものだ。
あとは、自然な積み重ねとか、モデルとか、推測・洞察して分かることをいつも書いていた。
そういう文章だから、「意識の歴史的な現象学」のようなことを言っていた。ヘーゲルより、サルトルなどに近い。
物理的な社会と環境の意識を書いていた。心による社会を全部作って、捉え方とパターンで感情の体験化の保留化をしていた。機械のようだった。
関係を比較して心を想定すれば、環境は自由になる。そういうことを言っていた。
あとは、新発見や真実の知性のようなことを言っていた。
空間は、視点だ。
自由とは、存在の意味の決定だ。
ものとは、力の釣り合いだ。
言語とは、人間の意識の中での、部分化だ。
水とは、精神と記憶だ。
そういう、まるで哲学者や科学者のような、「真実の世界観」を書いていた。
そして、社会を作って、歴史を作る。そういう、「真実の世界」や「永遠の思考の記録」を書いていた。思考で全部分かっていた。
「記憶は宇宙にある」とか、「遺伝子は星にある」とか、そういうことを言っていた。
人間は、「村社会」をやめて、個人主義になったことによって、間違った人生の生き方をするようになった。
みんなと全く関係なく、ただ生きて、ただ生きただけで、孤独に死んでも、全く人々とその生と死は、関係ない。
友達は居るかもしれないし、会社や、結婚したりもするかもしれないが、それでも、昔の「村社会」のような、コミュニティは無い。
ある意味、孤独にただ生きるだけ、それは、村社会から完全に退行している。
ものは多くても、社会的、精神的、人生的に、劣っている。
そういうわけで、最近は、田舎に戻る人間が多い。田舎が一番良い。
自分は、あとは、理性や思いやりのようなことを言っていた。具体的な「考え方の構造的なプロセス」を言う。
ただ、あれは狂っていた。おかしな人間だった。もっと、きちんと分析して考えれば良い。もう一度出来ないようには見えない。
ソ連の良い点は、そういう、コミュニティを作って、みんなで活動するところだ。それだけが、唯一アメリカやドイツより進歩している。
知性と感情で理解して、融和し、吸収し、涅槃へと達するとか、不自由な世界にも良いところがあるとか、そういうことを言っていた。
本当に、もう全て書いた。
辛くない。あとは、ソ連を抹殺すれば良い。それで、心が治る。
自分は、昔から、右翼だ。自由が好きで、勝ちあがることに価値があると思っていた。社長も居るべきだ。
むしろ、最近は左翼にはなったが、逆に、自由を悪いとして、弱者を救いたい、宗教の左翼になった。こういう馬鹿は、右翼だ。
みんな、右翼になった方が良い。右翼になると、誰でもこういう風に出来る。
夢が楽しかった。ただ、自分だけが変わったように見えて、自分だけが昔のままだと気付く、虚しさを引きずった寂しさがあると、ケミストリーが言うように、本当に自分だけが変わっていない。みんなは、もう馬鹿になっている。その、新しいみんなのことを「好きだ」と言えば良い。自分だけを治すのは、悪い。