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=2016-10-06=

哲学とは、人間と人間の関係を考えることだ。

社会は何のために必要なのか?

社会はどのように築くべきか?

人間はどこから来てどこへ向かうのか?

人間は何を知ることが出来るのか?

生命は繋がっているのか?

空間以外の宇宙も存在するのか?

数学の概念を塗り替える新しい発見と、工学的な便利で役に立つ発見は、同じではないのか?

人間の違いとは、環境的要因ではないのか?

主観と客観は同じで、全部同じ自己があるのではないのか?

哲学は、そういう、否定的で、疑う人間が分かる。

人間の精神など、右脳と左脳に過ぎない。

善とは、社会的な信頼である。

善とは、成長における進歩の方向性である。

歴史とは、社会的実現性の進歩の段階である。

決定とは、具体的に決められることを事前に決まりとして決めることであり、公理、インフラ、プログラム、政治権力、金、法律、契約などがこれに当たる。

決定は、慎重で状況に適応した自由であるべきだ。だが、対象とする範囲と目的、そして理想となる結果は、平等の方が良い。

哲学は、そういう風に、小難しく考えるが、ほとんど難しくない。理解すると、世界が良く分かる。

社会は、本来人間の下にあるべきだ。

思考は応用だ。

思考とは、それを識別し、自分の心を説明し、理由から原因と結果を考え、それに対する主観的な肯定と否定をし、そこから、信じることによって客観的結果を知り、「分かる」と言う理性の実験のプロセスである。そして、一つ一つの世界観を積み重ねて、説明から「気付く」ことによって疑い、知性から世界の「変化の可能性」を知ることである。

社会とは、人間の全員を生かすこと、生かしやすくすることであり、そのためのプロセスの実現である。プロセスは、自由、独立性、創造性、独自性、可能性、自然、実現性などを考えながら、合理的に、全員に平等な社会の方式とシステムを、理想的想定と現実的具体例から考えることである。

思考から、気付きなさい。

自分や他人に出来ることから、社会をどのように作れば良いか、考えなさい。

問題の本質は、「自由」にあることを知りなさい。

精神とは、感覚と感情であり、肉体とは、エネルギーの受容体だ。

当たり前に、それがそうなると何がどうなるのか、考えなさい。

そこから、「それがどうなった時にだけそれが起きるのか、そうでなければ起きないのか」と言う、「必然性」と「依存性」を考えなさい。

もっと、否定的になった方が良い。否定的な人間の方が分かる。

テレビは、いじめているだけだ。

学校は、奴隷にして、馬鹿にしているだけだ。

ネットは、知性がない。

社会は、意味の無い努力を頑張っているだけだ。

そういうものは、分からない方が良い。そういうものは、要らない。

もっと、宗教や哲学のようなことを分かっても良いが、それも要らない。

哲学は、狂っている。

宗教は、騙されている。

そういうものを、悪いと思えば、分かるようになる。

いつ何が起きるのか、それがどうなっているのか、それを考えただけの方が、分かる。

環境を変え、世界を変えることで、新しいことを知れる。

自分は、賢くなるのが怖かった。賢くなると、馬鹿が死ぬ。そして、馬鹿になる。

認知症の方がまだ賢いから、馬鹿になる。

あとは、世界を「もう充分変えた」と思うのがおかしい。これ以上、もっと変えれば良い。

もう、正常にするのはもう良い。

自分は、失ったものがたくさんありすぎて、「何も望まない」になっている。

だが、そのせいで、新しいことを何もしなくなっている。

誰が見ても、それがおかしい。新しいことを望んで、たくさんのことをして行けば良い。

宗教は間違っている。何も望まないと、心は楽にはなるが、生きている意味がない。

僕は、まだ28歳だ。これから、いくらでも出来る。

今日は英会話教室に行ったが、若い頃よりも今の方が、出来たことや伸びたことは大きい。

最近の方が、伸びしろがある。最近が一番賢い。

自分が思っていることと、この世界の実際の姿は、違う。そういう風にすれば分かる。

知り尽くすことは良いが、自分は明らかに、何も分かっていない。

こんな世界は賢くない。この世界に賢いものはない。賢いのは、自分だ。

自分だけをそこまで考えた方が、分かる。

自由とは、自分の出来ることを増やし、自分のことを考えることだ。

ソフトウェアなんか作っても意味がない。もう少し、きちんと何か意味のあることがしたい。

2ちゃんねるは意味がない。何故か、2ちゃんねるは「異常」だ。

異常者が多い。全く普通ではない環境を普通だと思っている。

最初から貶すのは良いが、そのせいで、誰もが自分から負けて、弱くなっている。

2ちゃんねるの外に出れば、強くなるのが分かっていない。

悪口を言って、自分から負ける、と言う発想が、強いように見えて、一番弱くなる。

そういう、悪口は、言えなくして、みんなで賛同や支持のようなことを言った方が、強くなる。

2ちゃんねるは意味がない。ネットがどんどん弱くなるのは、悪口を強いと思うからだ。

ただ、弱くなるのは、悪いことではない。いくらでも負けていると、友愛と絆の心が生まれる。

本当に強くなりたいなら、賢くなること。賢くなると、きちんと沢山の力を持てる。

自由に勝っても意味がない。それが一番負けている。

賢い人間は、何も考えなくても、賢いだけで勝てる。

哲学は、関係を理性的に考えて、個別性と普遍性を考えれば、誰でも出来る。

それから、経験から観念のようなものを全部作れば良い。

昔の自分なんか、経験から関係を考えただけだ。それだけを、心の中で統一的にやっただけだ。

そういうわけで、2ちゃんねるは、「馬鹿が自分から負けているだけの掲示板」だ。

そして、哲学は、経験と関係を考えるだけだ。

そういう、おかしな子供は、止めた方が良い。子供は、賢くない。

本当に強くなるためには、支配者になること。馬鹿に見えて、それが一番賢い人間になる。

右翼は悪くない。見ていると、左翼の方が悪い。

そういう風に哲学を考えると、作用の構造、理由の段階、相対性と客観性が分かる。

客観的経験に裏打ちされた知は有効である。昔は、そういう風に分かっていた。

社会を変えるより、自分を変えた方が、楽だ。

人生とは、一つ一つの知を拡大して、世界と心を一致させ、あらゆるものを創造する、自由への道だ。

昔は、そういう真理を、論理的に考えていた。それを、世界観にしていた。

きちんと実像を見ないから、いつも分かっていない。実像を書いていただけだ。

LinuxのGUIは、簡単に引き出したり、隠したり出来る、「表示・非表示切り替えボタン」を、全てのバーにつけると良い。それが一番、楽に簡単なインターフェースが作れる。

このブログは、たまに変な挙動をする。最初から、HTMLに書いた方が、楽かもしれない。

新・日記より

ネットで、色んな環境を知った。本当にたくさんの環境を知って分かっていた。