新・日記に戻る | 2016年10月の日記に戻る

=2016-10-11=

昔は、みんなの疑問に答えて、それで世界を導いていた。

何にでも、疑問のようなことは、全て答えていた。

もう、僕は、みんなの疑問に答えない。教えない。みんなが自分で考えてほしい。

自分は、全てを「滅ぼす」に治すのが悪い。そのせいで、怖くなっている。

もう、この世界を滅ぼさない。滅ぼすより、栄えた方が、楽になる。

部分化ではなく、統合的に考えること。

子供には、夢がある。夢があるから、賢い子供が多い。

普通、フランスやロシアは、子供が見て、カッコいい国に見える。

歴史や哲学は、子供が見て、カッコいい科目に見える。

Linuxのプログラマは、子供が見て、ものすごく賢い集団に見える。

だが、大人が見ると、それは落ちこぼれか、不良か、精神を病んだ人間の特徴だ。

大人は、きちんと世界にあるものが何なのか分かるせいで、何も分からない。

大人は、馬鹿なのだ。だが、子供の思うようには、なかなかいかないものだ。

いつも、そういう、「子供が見たこの世界」を書いていたのが、いつもの自分だ。

子供が見ると、スーパー・プログラマや哲学者がカッコいいが、大人が見ると、何も賢くない。

大人が見ると、ソ連は全く間違った国だし、アメリカは知性のない国だ。フランスは、狂った国だ。

大人はきちんと分かる代り、何も分からないものだ。

僕の子供時代は、自分の見ている世界しか分かっていない。責任感はあるが、自己中心的な人間だった。

色々と、恥をかきたくなかったし、恐怖も多かった。

だが、超人みたいに全部の分野の勉強が出来ていた。そういう、賢いオールラウンドな人間だった。

スポーツから勉強まで、あらゆることを子供なりにこなしていた。

全力だったが、時に意味がなかった。

昔から、自分はソビエトのような人間に見える。

昔は、感情で色んなことが分かっていた。精神分析で、まるでフロイトのように全部分かっていた。

真面目に考えて、生物学から経済学まで、色んなことを作っていた。

学校の問題は、生物学などの「項目を覚える」ことに終始している。本当に生物のことを知って考えたい人間が居ない。

それこそ、大人から見ると、勉強に意味がない。音楽の教師ですら、音楽のテスト勉強をする意味なんか、分かっていない。

学校は一番悪い。人一倍学校の勉強をしていたせいで、そういう、意味がない学校が心底嫌になった。

そういうわけで、ネットを見ながら、ひとり、独特の科学を作って、UNIXの勉強をして、ネットで社会のことを知った。

自分の青春が一番賢かった。高校には行かなかったが、代わりに、この宇宙と人生の全てを知っていた。

最近は馬鹿ではない。地獄のような、永遠の苦しみのような体験をしたが、それは生まれ変わって女になったのと同じだった。

オタクのようだが、自分は生まれ変わって美少女になった。見ても、ニキビはキモいが、何故か美男子に見えるのが自分だ。

あとは、人生経験を書いていない。神や永遠のように、本当にネットと地獄で色んな人生経験をしていた。本当に沢山の経験をした。

それから、オープンソースは馬鹿ではない。子供なりに、自分なりの協力がしたかった。

ある意味、「無料なら普及する」と考えて、「みんなが作れば良いものになる」と考えていた。

そして、開発体制のようなものにあこがれていた。

あとは、協力の考え方とか、生きる知恵とか、そういう考え方のことが多かった。仮想的な理性の考え方で捉えて分かっていた。

もう、そろそろ残っていない。むしろ、最近のことを書いた方が良い。

そろそろ、2ちゃんねるが滅びる。自分のせいで、2ちゃんねるに意味が無くなる。

どうでも良く世界を支配しているのが、自分だ。

ただ、ある意味、それはおかしい。

なぜなら、最初に2ちゃんねるのWikiを書いたのも自分だ。マッチポンプのように世界を自分で滅ぼして自分で救った。

そういうわけで、もう少し、きちんと議論と発展の場所を作った方が良い。

ある意味、匿名掲示板には、限界があるのかもしれない。

あとは、2ちゃんねるには、アンチLinuxしか居ない。僕は、2ちゃんねるなんか、全く見たくないし、最近は見ていない。

それこそ、2ちゃんねるはもう終わりだ。全く、意味の無い掲示板だったが、もう誰も見ないだろうと思う。

昔は良かった。最近は、子供の見るアニメすら、生気や生きがいのようなものが無い。本当に意味の無い世界になった。

最近の自分がしたことと言えば、自分で滅ぼして、自分で救うだけだ。

最初から、嫌いなものが好きなのだと思う。

それこそ、これではパソコンが一番嫌いな人間に見える。僕は、本当はパソコンのことは好きだ。好きで好きでたまらなかっただけだ。

人生とは、「それが何なのか」を展開させていきながら、その恐怖と真実を知っていくプロセスだ。

怖い人間は、怖くなかった昔に戻れば怖くない。

怖くなったのは、それが怖いのが分かったからだが、もっと良く知っていくと、それはそこまで怖くないものだ。

ある意味、自分の勘違いや思い込みで、どんどん怖くなっていくが、それが何かがおかしい。

基本的に、怖いものはないのだ。何か、おかしなことが起きているのは、考えてもしょうがない。心のどこかで、既に分かっている。

一度、自分の子供時代を独自の子供だと思えば分かるだろう。

自分の場合、最初から「馬鹿になりたい」と望んでいる。それは、馬鹿な方が怖くないからだ。怖くないのが馬鹿なのが分かっていない。