僕は、そろそろ書くのを止める。
昔は、社会的プロセスのようなことを言っていた。社会をどのように知って、どんな社会に変えられるのか、平等な社会はどう作られるのか、どうすべきなのか、考えていた。
散歩で汗をかくと治った。体が軽くなった。
あとは、もう、死ぬかもしれない。何故か、そろそろ死にそうだ。
精神は、傷跡が残っているから、それを治すと治る。あとは、無視していると治る。
ニーチェが本当に何を言いたいのかは分かっていないが、世界の一切を権力への意志として解釈しているとか、遠近法主義とか、そういうことは、言葉では、自分も良く分かる。全ては立ち位置と解釈であるとするその主義は、本当に自分が一番良く分かる。
不思議と、ニーチェから始まるのが、普通哲学だ。
ニーチェは、遠くと近くでは、見えるものが違う、と言いたいのかもしれない。
自分は、顔が醜くなった。ニキビだけではなく、表情がキモい。何かが悪い人間に見える。ただ、たまに女みたいな顔をしている。
もう、死ぬかもしれない。本当に、普通の良い人生だった。
社会のプロセスは、理由を知って、変えられる、可能性として何をどうすれば良いか、どのような社会を作るべきか、などを考えていた。
そして、人生のようなことを言っていた。本当に、普通の文章だった。
むしろ、死にたくても死ねない。何故か、死のうとすると、楽になる。それは、生きれば良い、と思えるくらい、楽になる。ただ、生きようとすると、辛くなる。
今日は汗をかいたせいで、体が軽くなった。今日は、もう楽になった、良い日だ。
これ以上、文章をあまり書かない方が良い。書かないだけで、すぐに楽になる。