SNSとブログと掲示板の世界観です。
SNSとは、友達同士みんなで交流したり、ネットで緩い友達関係を作ることのできるサービス。
ツイッターやFacebookなどは、「シェア」や「拡散」といった考え方を世界中に広め、誰かが知っている情報や流行を知るために、友達に同じ情報を拡散して「バズらせる」という方法を生み出した。
友達に拡散した情報は、その友達の友達へとさらに拡散されていく。だが、嘘やフェイクかもしれない情報であっても拡散されるという負の側面もある。真実であろうが嘘であろうが、万人受けのする面白い内容であればインターネット中に拡散され、それが後で間違っていることに気付いても取り返しがつかない。
また、SNSは、「緩い友人関係の中で友人と交流できる」という側面を持っていて、たとえば音楽家の最新情報を知るためにツイッターやその他のSNSを見るなど、「ネットの有名人とファンが相互に交流をする」ということができる。自分の好きな歌手をフォローしたり、コメントをつけたりすることができるため、フォローの多い歌手のツイートにはたくさんのコメントが瞬時につく。
だが、実際のところ、「SNS疲れ」と言われるように、SNSには「友達との関係を維持するのが疲れる」という負の側面がある。いつも友達の夕食の写真を見てメッセージを送り続けるのは疲れる。また、ネットには良い人も居れば悪い人も居る。自らがツイートした内容にたくさんのコメントがついたとしても、そのすべてが本当に自分のことを慕ってくれる人であるとは限らない。まるで「液晶の中の監獄」に居るかのようである。
YouTubeなどの動画配信サービスについても言えることだが、画面上のコミュニケーションがすべてであるとは限らない。実際に面と向かってやり取りしたほうが、会話も弾むし、画面でのやり取りでは気付かないさまざまなリアルのことに気付ける。だが、それでも、ネットで不特定多数とやり取りすることで、たとえば一度に何百人とか何千人という単位でコミュニケーションができる。そのため、昔であれば無視されたような「無名の歌手」や「無名の動画配信者」が、YouTube上では有名になったりする。単に知り合えるだけではなく、ツイッターやSNSを通じてそれらの「ネット有名人」と友達になったかのように付き合うことができる。これは「YouTuberという新しいコミュニケーション集団」を作り出している。
たとえば、僕もTOMOOやこぴや上田桃夏といったYouTuberの歌手を知ることができたし、YouTubeやツイッター上でそれらの歌手とリアルタイムでインタラクティブにチャットなどでコミュニケーションをしたりしている。ピノキオピーやナユタン星人のようなボカロPも、Adoやウォルピスカーターのようなカバーの歌い手も、昔なら絶対に知らなかっただろうが、YouTubeとツイッターのおかげで知ることができた。僕のような友達のほとんど居ない不登校の引きこもり経験者であっても、そうした人々と実際に友達になるのと同じように「緩い関係」を得ることができる。
昔のインターネットを知っている僕から見ると、昔のネットゲームも同じような感じだった。ネットゲームの中だけでは友達がたくさん居て、現実ではブサイクであってもネトゲの中だけではイケメンや美人のキャラクターになりきれる。2ちゃんねるも同じ感じだった。だが、今のツイッターやYouTubeは、むしろより現実に近い。より密接に、誰かと誰かが本当に友達関係を持ったような関係を得ることができる。だが、これは「ネットの距離感」が近づいたことを意味していて、危険ではある。誰かが勘違いして、自分の家に押しかけたりすることがないように、個人情報の提供には注意する必要がある。間違っても自分の家の写真などを公開してはいけない。すぐに誰かが実際の住所を割り出してネット上に公開してしまうからである。
Webサービスを参照のこと。
ブログを参照のこと。
X(旧ツイッター)を参照のこと。
Facebookを参照のこと。
Instagramを参照のこと。
Googleを参照のこと。
YouTubeを参照のこと。
2ちゃんねるを参照のこと。
画像SNS・掲示板を参照のこと。
その他のWebサービスについては、Webサービスの世界観一覧を参照のこと。
LinkedInはビジネス向けに特化したSNS。会社の社員情報の一覧を閲覧したり、最新の情報をシェアしたりできる。
たまにIT・オープンソース業界を痛烈に批判するLinuxカーネル開発者のリーナス・トーバルズだが、新しいインタビューでツイッターやFacebookなどのソーシャルメディアを批判している。
後日注記:SNSのコンテンツの質が低いという意見はその通りだと思います。SNSには、友達付き合いがもしもなかったとしたら、絶対に見る価値のないような情報をさも流行の最先端であるかのように人々に押し付けます。そのため、いいねやシェアによってどんどん低質なコンテンツが拡散され、結果インターネットはゴミ情報であふれてしまいます。
僕は最近図書館で、「毒になるテクノロジー」という本を借りた。この本に、インターネットやSNSに依存することで、どれだけ人類の人間性がおかしくなるか、ということが、心理学的かつIT技術的に記述されている。内容はデータをもとに調査研究していて客観的で、それでいて大胆な分析に基づく。
本当に、僕は今のIT技術、ソーシャルメディア、インターネット・コミュニケーションは、完全に間違っていると思う。
それは、Facebookとかツイッターが間違っている、というだけではない。本当に、根本的な部分で、パソコンというものは幻想と妄想を与え、人の心と行動をおかしくし、注意力を無くし、人々を精神の病気に導いている。
それが、僕はたとえばLinuxのようなサーバー技術や、GAFAのような資本主義の巨大IT企業だけではなく、「コンピュータそのものの間違い」ではないかと思う。
今、異常な世界が訪れている。それは引き篭もりや不登校を経験した僕だから、はっきりと分かることである。この世界はそのものが全ておかしい。誰かが解決しなければいけないだろう。
僕が思うに、「コミュニティメディア」ばかり作る必要はありません。友達づきあいの情報共有は、もう飽きられていくと思います。
ですが、現代の日本は、まともなコミュニティのようなものがどんどん失われています。友達づき合いはネットになり、学校はカーストといじめに陥っています。会社にすら同僚への嫌がらせやハラスメントが多くなっています。
僕は、ネットに必要なのは、「新しい時代のまともなコミュニティ」ではないかと思います。
それは、Facebookのようなネットだけで活動する、ネット空間に閉じたコミュニティではありません。現実の社会の中でアクティブに活動しながら、その成果を共有するとともに、そうした人々と結びつきたい多くの人々を繋げていく、そのようなコミュニティの中で、自分の言えない意見を言ったり、人に相談出来たりするような、「正しいコミュニティ」が必要とされているように思います。
最近のSNSや動画配信サービスは、会社がお金儲けのために作っていますが、以前のインターネットのWebサービスは、必ずしもそうではありませんでした。
たとえば旧2ちゃんねるのような匿名掲示板は、西村ひろゆきというひとりの管理者によって基本的には個人運営で成り立っていました。
今のFacebookやTwitterやYouTubeというサービスは、そうではありません。会社が金儲けのために作っています。
確かに、会社が作ったほうが、アングラと言われることも多い2ちゃんねるよりは、まともで、きちんとした運営や管理もされるでしょう。
ですが、会社が作るSNSは、すべてが「いいね」や「フォロー」に基づいており、まるで「多数派こそが正義であり、大衆に受け入れられたものが賢い人間なのだ」ということを思想のベースとして持っているかのように見えます。
昔の2ちゃんねるなどは、そうではありませんでした。すべて匿名の参加者は同等の平等な存在であり、むしろ誰とも違ったみんなとは異なる意見を匿名で言ったほうが注目されました。
匿名掲示板では、誰かが力を持ってほかの誰かよりも強いということは、原則ありませんでした。参加と議論はオープンであり、フォロワーを増やさなくてもスレッドに参加でき、友人関係がなくてもみんなと一緒のコミュニティで同じ時間を過ごすことができたのです。
会社が金儲けのために作るサービスがなぜ流行っているのか、それは簡単に儲けられるからです。YouTubeでは、再生回数に応じてお金が入りますし、スパチャ(投げ銭)を使うことでチャットの中でお金のやり取りが飛び交います。
また、Twitterはフォロワーを増やすということがまるで「ネットの至上命題」となっているかのようであり、誰もがTwitterでフォロワーを増やすためにネットに誰も見ないようなツイートや自分が単に好きだから奪いたいようなリツイートを乱発します。
僕は、このような、会社が金儲けのために作るサービスは全部クソだと思います。もう一度、金儲け主義を改め、旧2ちゃんねるのような「個人運営」に戻さないのであれば、そのうち大衆はネットから離れ、「誰もネットを使わなくなってネット社会が滅びる」ということになりかねないと思います。
僕が思うに、インターネットは、「蜃気楼」のようなものです。
蜃気楼のように、見ていたものが何も残らず、すべて消え去っていってしまうのです。
今まで見ていたものが、すべて「虚像」であり、「蜃気楼」であると気付いた時、そこまでの時間は一切何も残すことなく、すべて消え去る、これがインターネットの特徴です。
インターネットが好きな人は、蜃気楼を見ています。YouTubeやニコニコ動画であっても、TwitterやInstagramであっても、すべて蜃気楼であり、何かを見ていたような気がするだけで、最後には何を見ていたのかもよく思い出すことなく、すべて消え去ります。
インターネットは蜃気楼です。そして、蜃気楼に騙されてはいけません。わたしたちは、蜃気楼を否定する必要があります。そうでなければ、「まともにものごとが分かるような理性」を失ったまま、取り戻すことができないからです。
蜃気楼を殺し、インターネットの虚像を完全に消した時、はじめて、いつもわたしたちが生きていた、「正常な理性ある世界」を取り戻すことができるでしょう。
2023.02.18